[2719] 時間とともに走る旅

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,000文字)


《さまよえるポール君、君の安息の地はどこに?》

■わが逃走[52]
 手作り料理の思い出の巻
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[133]
 時間とともに走る旅
 三井英樹

■歌う田舎者[03]
 ヘイ、ポール
 もみのこゆきと


■わが逃走[52]
手作り料理の思い出の巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20091008140300.html >
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私は幼児の頃、食事というものに全く魅力を感じていなかった。今では全くもって信じがたいが、食べ物全般が嫌いだったのだ。確かに好物はあった。「餅と赤飯と寿司」。見事に炭水化物、というか米。そして、おめでたいものばかり。あ、別におめでたいから好きという訳ではなく、消去法で決めた程度の消極的な好物である。

それ以外は何を食べても美味しいと感じられず、したがって食事のときも残してばかりで親にしかられた。「今が戦争だったら食べたくても食べられないんだよ」とか「食べないと目がつぶれるぞ」とかいろいろ説教されたというか脅されたのだが、4歳児に「戦争」と言われても自分ごととしてとらえられなかったし、「目がつぶれる」などの恐怖訴求も結局は怯えるだけで、食べようという意思には、結びつかなかったんだな。

ところが、小学3年生の夏くらいからよく食うようになり、小学4年生で食べまくって太り、小学5年生になったら食べまくりつつも体が成長してくれたせいで、普通の体型に戻った。で、この頃になると好き嫌いというものが全くなくなっていたのだ。いったいこの背景に何があったのか。

父は外食が嫌いだった。外食産業に怨みでもあるのか? 何故かは知らないが、外で食べることに激しい嫌悪感を示す。たとえ親戚一同が集まって「みんなで食事に行きましょう」なんてことになっても、父だけ独り家に残って夕べの残り物を食べるという、ひいき目に見ても相当な変わり者と言えよう。

「それはきっとお母さんの料理が美味しいからよ」と大人のヒトたちは言ってたけど、そんなんじゃねえ。あ、別に親戚一同と折り合いが悪い訳でもないのだ。理由は未だ不明。純粋に、ただただ外食が嫌いなだけのようだ。

なので私は子供の頃、家族で外食という経験をほとんどしたことがなかった。そんな訳で、ごく稀に食べるレストランでの食事がものすごく印象的だったというのは、ある。では、いつも食べていた母の料理とはどのようなものだったのか。あえて言うなら、苦かった。

母の作ったハンバーグが嫌いだった。苦いから。私は確かにハンバーグが嫌いだった。あの表面にこびりついた黒い層がガリガリして苦くて嫌だったのだ。でも、よくよく考えると、それって焦げてたんじゃないか?

母の作った海老フライが嫌いだった。苦いから。私は確かに海老フライが嫌いだった。あの苦い衣さえなければまだ食えるかも、なんて思ってたのだ。それにウスターソースをかけて食べると、苦さが増した。私が「苦いー」と言うと父は「苦くない!」と言ったが、あれは絶対苦かった。で、落ち着いてよくよく思い出すと、それって焦げてたんじゃないか?

母の作った酢豚が嫌いだった。苦いから。私は確かに酢豚が嫌いだった。あの苦くて硬い肉さえなければ...なんて思っていた。でも、よくよくじっくり考えると、それって焦げてたんじゃないか?

おそらく母は「息子がお腹をこわしては大変」と、とにかくきちんと火を通すことに専念したのであろう。そういった訳で、私の幼少期における好き嫌いの原因のひとつは「食べ物=苦い」という誤った認識が基となっていると分析できる。その後の人生は、苦くないハンバーグや苦くない海老フライ、苦くない酢豚等を食べる機会に恵まれ、その都度感動していったものだった。

そうこうしているうちに気づけば小学生も高学年となり、成長期に入って急激に体が肉と野菜を求めた。強烈な食欲は苦さなどものともせぬようになり、私も健康な少年となったので、母も極端に火を通す料理を作らなくなったようだ。こうして齋藤家の食卓から苦い料理が徐々に消えていき、私の好き嫌いもすっかりなくなってしまいましたとさ。

おお、なんか自分の食欲の謎が解けたみたいで嬉しいなあ。母の名誉のために言っておくと、彼女の料理は決して不味い訳ではなく、ただ苦かっただけです。今はぜんぜん苦くないですよ。ってフォローになってないですか?

そういえば思い出しました。私が幼稚園〜小学1年生くらいのときかなあ、母の中で「手作りお菓子マイブーム」みたいのがあったのです。もちろんターゲットは私です。もし私がデキるお子様だったら「わーい、お母さんの作ったお菓子がいちばんおいしい」とか言ったのでしょうが、生憎そういうセンスが全くなかったもので、素直に感想を言ってしまったのです...。

◇レディボーデン事件

確か5歳のときだったと思う。幼稚園の同級生だったようこちゃん(仮名)の家に母と遊びにいった際、おやつに今までに食べたことのない凄いアイスクリームが出された。それがレディボーデンだ。

今ではコンビニでハーゲンダッツやら何やら美味しいアイスクリームが選び放題なので、多少昭和感のあるブランドとなっているが、当時としては画期的な商品で、いわゆる50円の"ラクトアイス"がアイスクリームだと思っていた私にとって、その出会いは衝撃的だった。フレーバーはストロベリーだったと記憶している。安っぽい合成甘味料のイチゴ味なんかじゃない上品な香りと濃厚な舌触りに、5歳の私は完全にやられてしまったのだ。

その後、ことあるごとに「ねえー、レディボーデン買ってー」とせがんでみたが、その都度「高いからだめよ」と言われ続けたのであった。

そんなある日。母が「おやつよー。アイスクリームよ。レディーボーデンよ。」と私を呼んだのだ。おお、夢にまでみたあのレディボーデンに再び会える日が来たんだー! 期待に胸をはずませ食卓に向かうと、市販のコーンに盛りつけられたアイスを手渡された。一瞬(なんか違う...)と思ったのだが、気にせずかじりついた。

うっ、マズい。ジャリジャリした食感と強烈な生卵の匂い。あの日あのとき食べた、あのアイスとは似てもにつかない。「うえーん、こんなのレディボーデンじゃないー」急激な期待とその後の落胆との高低差がけっこうなものとなっており、私は号泣したのだった。

それを見た母は、「子供のくせに味の違いがわかるなんて生意気な」と強く、強く思ったそうである。まあ、せっかく手作りアイスクリーム(のレシピを多少端折って独自のアレンジを加えたもの)を作ったんだし、もう少し良い反応を期待したのだろう。だが、やはり素人に、しかも一部の材料を代用もしくは省略して、それなりに食えるもの(しかも、よりによってアイスクリーム!)を作るなんて無理がありますよ、母上。

◇お誕生日事件

母が手作りケーキ(のレシピを多少端折って独自のアレンジを加えたもの)を作った。私が4歳のときだ。ケーキとは美味しいもの、という認識のあったオレだが、硬いスポンジと生臭いクリームを一口食べて気持悪くなり、もういらないと言った。母はいつになく強気で、全部食べて「おいしかった」と言えという。しかし、私は結局全部食べることができず、泣きながら「おいしかった」と言ったのだった。

その数か月後、幼稚園の友達を呼んで、私の5歳の誕生日のパーティを開いてもらうことになった。その話が出るや否や私は「お母さん、ケーキは作らないで、買ってね。」と言った。それを聞いて母は二度とお菓子なんか作るもんかと心に誓ったそうだ。確かにそれ以来、母の手作りお菓子は食べてない。

この話を誰かにすると、みんな「なんてひどいコドモだ! お母さんがかわいそうだ!」と言うのですが、みんな自分が幼稚園に通ってた頃のことを忘れています。確かに周りは4歳とか5歳くらいのガキばっかですが、ガキにはガキの社会というものがあるのです。

パーティに招待しておいてマズいものを食わせたとなるとすぐに噂が広がり、「あいつはオレにまずいケーキを食わせた」と後ろ指をさされながら卒園までのときを過ごさねばならないのです。子供のくせに気にし過ぎだとよく言われたもんですが、それは違うのです。子供だからこそ、注意しないと社会的立場(いわゆる幼稚園における)の失墜を招くのです。子供は残酷だからね。

という訳で、今回はまた唐突に思い出したことをつらつらと書いてしまいました。"子供騙し"なんていう言葉がありますが、あれは大人の図々しい妄想です。なので皆さん、可能であるなら子供には美味しいものを正しく食べさせましょう。可能でないなら、世の中に美味しいものがあるという事実をできる限り子供にバレないよう、努力しましょう。んでは今回はこれにて。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:日々の想い[133]
時間とともに走る旅

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20091008140200.html >
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ドラッカー曰く「買えない。雇えない。価格もない。簡単に消える。貯蓄もできない。したがっていつも不足している。他のものに代替ができない。しかも、人間に付きまとって離れない。これなしで生きるのはむずかしい。それが時間である」。[注1]

Web屋になって想う事は、時間に振り回される人生が続いているなぁ、ということ。クライアントの時間、会社の時間、チームメイトの時間、ユーザの時間、身近な方々の時間、家族の時間、自分の時間。その制御に成功しているかと問われると心許ないとしか言えない。

なぜいつもいつも追われている感覚があるのだろう。あと何分でこれをしなくちゃ、あと何日でこれをロウンチ(公開)しなきゃ。毎日毎日カウントダウンである。秒針にお尻をつつかれながら作業をしているうちに、次から次へと追いかけてくるモノの影が大きく迫る。飲み込まれそうになりながら、かろうじてお尻を噛み千切られない毎日。

でも、紙一重でかわした経験は、次に生きている。どうなったら「よりヤバイ」かが何となく察知できる。危険だと鬼太郎のアンテナみたいに、何かが心の中でピンと立つ、ささやいてくる。その声に気が付かない程どうかしていることもあるのだけれど、後で考えても、あぁ何か兆候はあったと思い至る。

そうしたアンテナは経験でしか得られないものなのかもしれない。それに気が付いているから、「もの作り」をしないコンサルのみの人の話を信じられない。数日前に斜め読みした日経誌の記事を、さも自分の体験のように語り、机上の「あるべき姿」を説いているだけに見えてしまう。Webがそうした何も生産しない層の中抜き機能によって拡大していると信じているから、なおのこと腹が立つ。傷だらけの現場上がりのボクトツとした声に魅力を感じる体になっている。

デスマーチ(死の行軍)と呼ばれることが多い「アプリケーション開発」は、もはや「そんなものだ」という慣習と化しつつある。そこから抜け出すには、膨大な死の谷を歩んだ実経験こそが鍵ではないかと思っている。後方にいて、対する敵の大きさも恐ろしさも机上でしか経験していない人たちには、語る資格すらないのではないか。

死と直接相対する歩兵である必要はないかもしれない。それでも、前線に出た経験は限りなく重いだろう。その重き経験を重ねたとしてもなお追われる感覚が抜けないのは、経験が足りないのか、戦術が悪いのか、頭が悪いのか、それとも戦場が余りに広いのか。


時間を管理しようと挑むのは、考えてみれば年中行事だ。聖夜から年末にかけて、その年の成果と傷と反省とを見つめる。年が明けたら、今年こそ効率よくしのいで行こうと心に決める。手帳や時間管理の方法論に触れ、毎度あたかも初めて知るかのような感動と反省を覚える。

一か月経った頃、すでに1/12を経過した事実を重く捉えるフリをする。誰に対してでもない、自分で自分を焦らせる。

そして3か月経った頃、再度自分の非力を嘆き、方法論を探す。たいていの本は基本的に同じことを書いてあって、「激励」部分のない「叱咤(しった)」のみに読み解ける。

そして半年経ったところで、今年が半分終了したと嘆き、9か月で慣れっこ無感覚に陥る。「あと3か月だよ今年も」と、つぶやきながらも、「打つ手」に鈍さが増しているのも実感する。そして年末、最初に戻る、というループ。

これだけ情報に接していながら、時間を操る方法に辿り着いていない。きっと、それが一番大切な情報なんだと気付いていながら、闇雲に情報を探る行為を繰り返す。頭の中に、情報に接することと生きることとの差異が余りない暮らしを願う自分がいる。

けれど、年を重ねるごとに、自分自身に対するもの以上に抱え込まざるを得ない「責任」が増えていく。父親として、家長として、家庭における責任。年長者として、各種リーダー格として、会社での責任。地域社会での責任。自分一人がちゃんとしていれば良い時代は過ぎていく。何を書いても、何を話しても、なにかしらが後からついてくる。

重荷として認識することも多いけれど、それを糧とする自分もいる。縛るものは、邪魔であるだけではなく、自分を成長させてくれるものでもあることを、今までの歩みの中で知っている。負荷をかけないと筋肉は強まらない。うとましいけれど、それを避けてばかりでは、生き残れない。ピンチとかチャンスとか、後付で命名はされるけれど、どれも貴重な一瞬に間違いない。


いつか時間を追い越しているような感覚を持てるのだろうか。明日が来るのが待ち遠しい。早く来いよと待つ感覚。ワクワクしながら待ち構える。そして待つほどに、こちらにエネルギーがみなぎって来る。そんな夢のような状況。

そんな夢のような状況を生む秘訣とは何だろう。やはり、計画なんだと思う。先を読み、先手を打つ。迎え撃つように構えることができるように策を講じる。「マネージメントとは、先ず時間を管理することである」。再びドラッカーの言葉である。できない身に沁みる。でも、そうなりたいと願う。

そんなことを考えると、「管理」とは、ペットのように飼い馴らすことではないように思えてくる。決して牙を抜くことが必要なのではない。時間をおろそかにした結果の恐ろしさは保っていて欲しい。それでいて、どこか信頼感のある、「共存関係」を築くことが「時間の管理」なのではないだろうか。獰猛のまま、それでいて傍にいて欲しいという変な関係。隙あらば利用してやるという「強(したた)かさ」。

ただでさえルーズな私が、時間を制することはないだろう。でも上手に伴走していきたい。無限にかけられる時間はない、かけられる時間内にどこまで品質を上げられるか。そんなことを考えながら付き合っていくと、何か違うところに辿り着くように想う。そう、もっとよりよい伴走パートナーとして。

[注1]もしかしたら枝川公一氏自身の言葉かもしれません。
▼mitmix@Amazon──時間とムダの科学(PRESIDENT BOOKS)
< http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4833450127 >

【みつい・ひでき】感想などは mit_dgcr(a)yahoo.co.jp まで
mitmix< *http://www.mitmix.net/ >

・10月9日、京都で話します。TCシンポジウム2009【京都開催】。
テクニカルコミュニケーター協会 > TCシンポジウム
< http://www.jtca.org/symposium/index.html >

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■歌う田舎者[03]
ヘイ、ポール

もみのこゆきと
< http://bn.dgcr.com/archives/20091008140100.html >
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初回のコラムはエロ過ぎ、その次のコラムはお下品過ぎ、「なぜだ! なぜわたしは清く正しく美しい物語を書くことができないのだ!」と、創作の苦しみのあまり、もう少しで玉川上水に入水しそうである。

そんなわたしであるが、最近、友人とともに、忘れられた美しき日本語を発掘することに成功した。この喜びをぜひ皆様と分かちあいたい。

しかし、しかしである。そのネタで原稿を出すと、仏の顔も三度まで。「お前、ちっとも清く正しく美しくなんかねぇじゃねぇか」と石打ちの刑に処されそうな気がしないでもない。

しかし、わたしのPCのDドライブにあるデジクリというフォルダを開くと、この手が勝手に動き出してしまうのだ。うーむ......このフォルダには何者かが取り憑いているのか......。

いっそセレナーデ、違うがな! いっそ"どエロ"で"ちょ〜下品"な話題を書いて、3回で消えたライターとして後世に名を残すのもいいかもしれない。フッ......薔薇は美しく散るものなのだ。

わたしが皆様と分かちあいたいこと。
それは・・・♪ヘイヘイヘイ、ポール♪。
そう、あなたのポールに関するお話です。

●確か"きんぐす"と呼んでいたような......

中学時代からの友人であるH子とスペインバルでメシをかっ食らっていた時のこと。なぜその話題になったかは思い出せないのだが、ポール君が洋服の中でどっちに納まっているかの話になった。

H子のご母堂様は、若かりし頃洋裁をやっておられたのだが、そのご母堂様曰く、男性の服は、ポール君が右におわしますのか、左におわしますのかによって設計が異なり、その仕様を確か"きんぐす"と呼んでいたような......と、そんな話をしておられたとか。

そういえば、紳士服売り場に勤務するデパガたちは、ポール君の収納場所がどちらであるかをさりげなく触って確かめるのも仕事である......という怪しげな伝説を聞いたことがあったなぁ。

自慢じゃあないが、わたしはおとっつぁん以外の男のパンツを洗ったことがない。いかに男と縁がないかを如実に表す物悲しいエピソードだ。ものども、恐れ入ったか。頭が高い、控えおろ〜っ!。

子ども手当てなんか大盤振る舞いされたって、ちっとも嬉しくなんかない。民主党よ、頼むから行き遅れの女には男を大盤振る舞いするとか、そういう政策も打ち立ててくれんか。少子化対策にも役立つぞ。

言い訳するつもりはないが、と言って言い訳するのだが、わが薩摩藩は、都道府県別男女性比が全国最下位(女100人に対して男が87.8)という輝かしい記録を打ち立てているのだ(平成17年国勢調査基本集計結果)。結婚適齢期層の比率は、もっと低いに違いない。薩摩藩は男を捕まえるのが日本一難しい地域なのだ。わたしは神奈川・埼玉・愛知・千葉が心から羨ましい。この4県は女より男の人口が多い地上の楽園カムサハムニダなのだぞ。

女を捕まえられない男どもよ。大挙して薩摩藩にやってくるがよい。それでも捕まえられなかったら、お前はもう死んでいる。

いや、もとい。それはどうでもいいのだが、おとっつぁんのパンツはくたびれた真っ白のトランクスである。その形状をどう観察しても、ポール君の格納先が配慮された設計とは思えない。ズボンだって同じだ。しかも、いくらネット検索をかけても、"きんぐす"というワードで服飾関連の記事は出てこないのだ。さまよえるポール君、君の安息の地はどこに?。

そこで早速男性の友人に聞いてみたところ、下記のような回答をいただいた。

│基本的に着衣に左右非対称なものはありません。ブリーフなどフィット性の
│高い着衣は立体裁断でふくらみを持たせていますが、左右非対称ではなく真
│ん中でふくらんでいます。

うーむ......ということは真ん中に納めておるのか? 邪魔そうだが。いや、きっとあるはずだ。彼奴をコンフォータブルに収納するための仕組みが。われわれは不眠不休の調査を開始し、そしてついに突き止めた。

オーダーメイドの衣服には、やはりポール君を納めるための設計仕様があるのだ。ポール君がおわします側に若干余裕を持たせるための仕立における重要用語。その名は「ドレスサイド」。

しかし、そのような紅毛碧眼鬼畜米英が口にする外来語などを恥ずかしげもなく使ってはならぬ。我らは日本語という誇り高く美しい言語を持っているのだから、日本語で語ってこそ次世代への文化継承も可能になるのだ。

今こそ皆様と分かちあいたい。「ドレスサイド」を日本語で言うと......はっ、デジクリコードにひっかかるといかんからな......清く正しく美しい淑女としては、とても口に出せませんことよ。ですからローマ字で申し上げますわ。

"KINGUSE"......と申しますの。
"きんぐす"ではなかったのですわ。

♪あなた〜のために 守り〜とおした♪
それは殿さまキングス。
♪ジョビ ジョバ♪
それはジプシーキングス。

"きんぐせ"ですわよ。"金癖"。

参考サイト:岡山県の洋服仕立屋さん・TAILOR LONDON
< http://london.or.tv/turezure-08.htm >

このサイトの(200)をご覧になっていただきたいわ。清廉潔白純粋無垢なわたくし、本当に勉強になりましてよ。男性の9割が左だということも、はじめて知りましたの(ぽっ)。

オーダーメイドの服は、お客さまの在りようを詳細に分析し、それに合わせて型紙を起こしていくことによって、既製服にはできない完成度の高いものを作れるということですのね。やはりダテにお高いわけではないのですわ。クリエイターの皆様方のお仕事にも通じるものがあるんじゃございませんこと?

あなた方、「金癖」ご存知でいらした? まぁ、オーダーメイドなどなさったこともない下々のものたちには関係のないお話でしたわね。わたくしなど、ローズ・ベルタン夫人に全ての衣裳をデザインさせておりますのよ。もちろん宅のルイもすべてオーダーメイドですわ。おーっほっほっほっほっ。
何よ、その目は。文句があるならベルサイユにいらっしゃい、ベルサイユに!。

HEY PAULA
< >
いっそセレナーデ
< >
薔薇は美しく散る
< >
なみだの操
< >
ジョビジョバ
< >
平成17年国勢調査基本集計結果
< http://db1.pref.hiroshima.jp/data/tba/H17-1/youyaku.pdf >

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。ローズ・ベルタン夫人はマリー・アントワネットの専属デザイナー。「何よ、その目は。文句があるならベルサイユにいらっしゃい、ベルサイユに!」と嘯いたのは、ポリニャック伯爵夫人@ベルサイユのばらです。そんな私は、ただいま玉川上水の隣の駅近辺に出没中。

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■編集後記(10/8)

・朝日新聞出版「週刊マンガ日本史」を買う。創刊号サービス価格で180円。最新の学説をとりいれた新しい日本史として、人気マンガ家46人が50人の歴史上の人物をオールカラーで描くというふれこみ。創刊号はA4判変型52ページで藤原カムイの「卑弥呼」、以降36ページ(マンガは24ページ)で490円となる。マンガのほかに人物クローズアップ、時代スコープ、検証といった記事ページもあり、すべてルビがふってある。親子で読めるというのも売り。付録に日本史人物カード450枚(毎号9枚)ついてくる。藤原カムイの絵に簡単な解説がつく。総監修と連載コラムは「世界一受けたい授業」の河合敦。ざっと読んでみたら、とくに新しいともおもしろいとも思えないが、そんなに品質は悪くないといった感じがした。この企画のキモは50人の人物の選定だと思うが、その基準はよくわからないが「偉人」というくくりではないようだ。わたしだったら、日本史から50人選べと言われたらおおいに悩むだろう。決められないかもしれない。その上でこの企画の人選を見ると、ちょっと違うなという人物がいるし、いない人物もいる(変な表現)。芸術の分野で世界で最も知られている日本人、北斎がいない。芭蕉もいない。巨大な政治家、藤原不比等や大久保利通がいない。平塚らいてうを入れるなら、津田梅子か与謝野晶子だろう。変わったところではアイヌの英雄シャクシャインがいるが、よくわからない。ザビエル、ペルーより日本人を出すべきだろう。なにか意図がありそうな構成を感じるが、なかでも違和感を覚えるのが49号・ひめゆり学徒隊:戦火に散った乙女達、50・マッカーサー:戦後日本を導いた男、である。これで締めくくる日本史か。ほぼ内容は予測できる。朝日新聞だしな。もう買いません。(柴田)
< http://publications.asahi.com/manga/ > 週刊マンガ日本史

・風邪でぐったりしているのに台風まで。おかげで寝不足。風が窓ガラスに当たる音はするが、揺れもせず比較的静かな状態。窓を開けると突風が入ってくる。少々の雨だとガラスに水滴すらつかず、外出しようと玄関を出てはじめて雨だとわかるような部屋なんだが、昨夜はさすがに雨粒だらけ。列車運行情報が見たくて近鉄電車サイトにアクセスするが、混雑していてなかなかページ開かず。挙げ句の果てに「メンテ中です」なんてコメントが出たり、ページ更新者も慌てているのか、未来時刻での速報が出たり(時と分が入れ違っていた)。大阪は落ち着き始めましたが、中部上陸、北上中。外出する時は気をつけてくださいまし。少し風が収まったからと油断なされるな。(hammer.mule)
< http://www.dtp-booster.com/vol08/ >おなじみ上原ゼンジさんのカラーマネージメントセミナー!
< http://gs.dhw.ac.jp/event/090916.html >法律や契約の知識はありますか?