[2720] のぞみ棄てるな...リル

投稿:  著者:  読了時間:30分(本文:約14,800文字)


《かくて、コスプレは日本を救う》

■映画と夜と音楽と...[436]
 のぞみ棄てるな...リル
 【上海帰りのリル/無頼より・大幹部/社長漫遊記/駅前旅館/台所太平記/銀座二十四帖】
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![104]
 なかなか下りない撮影許可にロケハン苦戦中
 GrowHair


■映画と夜と音楽と...[436]
のぞみ棄てるな...リル
【上海帰りのリル/無頼より・大幹部/社長漫遊記/駅前旅館/台所太平記/銀座二十四帖】

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20091009140200.html >
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●殺伐としたシーンに重なる抒情的なメロディー

先日、会社の先輩が上海旅行に出かけ、JTBの旅行代が異常に安かったという話で酒の場が盛り上がった。話を聞くと、宿泊先はクリントンも宿泊した一流ホテルなのに、飛行機代を入れてもホントに安い。食事も料金の中に入っていて、有名な高級飯店での食事だったという。

僕は「上海」と聞くと、すぐに「上海帰りのリル」という歌を思い出す。ところが、40代くらいの店の人に訊くと「上海帰りのリル」を知らないと言う。そんなもんかなと思ったが、その夜から「上海帰りのリル」が頭から離れなくなり、気が付くと口ずさんでいた。

「上海帰りのリル」は、子供の頃によく父親が歌っていたので、いつの間にか耳から憶えたのだろう。僕の父親だから間違いなく音痴なのだが、「上海帰りのリル」だけはきちんと歌っていた気がする。父は15歳で満蒙開拓団に参加して満州にわたり、おそらく徴兵されたのだろう、20歳のときに上海で終戦を迎えたと聞いた。

僕が子供の頃には、中国は遙かに遠い国だった。毛沢東が率いる共産党の一党支配で、日本とは国交がなかった。そんな中で父から聞いた戦前の上海が僕をとらえた。上海は国際都市でフランス租界などもあり、ヨーロッパ風の街並みもあると聞くと、エキゾチックなイメージが湧いた。中学生になって、生島治郎さんの「黄土の奔流」を愛読したからかもしれない。

「上海帰りのリル」はいろんな人が歌っているが、僕は根津甚八が声を震わせながら歌っていたバージョンが印象に残っている。うまくはないが、味があるのだ。元々が物語を感じさせる歌なのだけれど、根津甚八の「上海帰りのリル」を聴くと、別れた恋人を尋ね歩く男の映像が浮かんだ。根津さんは中島みゆきの「ピエロ」も歌っていて、これも僕は大好きだ。

もうひとつの忘れられない「上海帰りのリル」は、青江三奈バージョンである。日活映画「『無頼』より 大幹部」(1968年)のラスト、ナイトクラブで青江三奈が「上海帰りのリル」を歌い始めてしばらくすると、悪玉の組長(青木義郎)が手洗いに立つ。そこに人斬り五郎(渡哲也)が現れる。組長が顔を引きつらせて逃げる。五郎がドスを握りしめる。

組長が逃げる。子分たちが五郎の前に立ちふさがる。子分たちを蹴散らし、五郎は楽屋に逃げ込んだ組長を追う。楽屋が散乱し、踊り子たちが逃げまどう。相手の組の幹部(深江章喜)が、狭い廊下をふさぐようにドスを構えて立つ。五郎のドスが幹部の腹をえぐる。組長は裏口から路地に逃げる。酒場裏の路地、背景に見える映画の看板に「汚れてしまった悲しみ」と書かれている。

顔に滴るのは涙と血だ。五郎は顔中をクシャクシャにして組長を追う。彼も傷を負っている。返り血か自分の血か、もうわからない。水たまりを蹴散らして、五郎が組長を追う。追う。追いつめる。恐怖に顔をゆがめた組長の顔がアップになる。深い悲しみと怒りに充ちた五郎の瞳が光る。五郎は両手でドスを握りしめ、全身の力で組長の躯を貫く。

その間、阿鼻叫喚も罵りもなく、ドスとドスが火花を散らす音もなく、ただ青江三奈の「上海帰りのリル」が流れているだけである。

●僕の父も大陸から引き揚げてきた人間だった

「上海帰りのリル」が耳について離れなくなった僕は、ユーチューブで検索をしてみた。何と新東宝映画「上海帰りのリル」(1952年)の映像が、オリジナルの曲(津村謙という人が歌っている)と一緒にアップされていた。昭和27年、戦後7年目に封切られた映画である。

「上海帰りのリル」は戦前の上海で知り合った男女が、戦争の混乱で生き別れになり、戦後の日本に引き揚げてきたけれど、ずっと逢えないままでいることを歌っている。「誰かリルを知らないか」と男はリルのことを気にかけ、探しているのである。「ハマの酒場にいた」と聞けば尋ねてゆき、「のぞみ棄てるなリル」と逢えない恋人に呼びかけるのである。

僕の父も大陸から引き揚げてきた人間だった。生き別れになった人もいただろうし、亡くなった人もいただろう。だが、帰国した日本で若い頃の友人や、もしかしたら憧れていた女性に逢いたかったのかもしれない。おそらく、戦後の日本にはそんな人がいっぱいいた。だから世相を反映した「上海帰りのリル」がヒットし、甘美で感傷的でロマンチックな物語を人々に想像させたのだ。

映画版でリルを演じていたのは、デビューしたばかりの香川京子だった。昭和27年といえば、同じ年に彼女は成瀬巳喜男監督の「おかあさん」に出演している。そちらではまだ少女のような役を演じていたが、リルは立派な大人の女の役だった。僕は元の映画を見てはいないのだが、ユーチューブの歌の背景に流れる3分半ほどの映像だけで物語は把握できた。

上海の高級飯店でリルはヤクザの親分らしき男に絡まれるが、それを助けたのが水島道太郎だ。彼の親友は森繁久彌で、森繁は楽団でドラムスを叩いている。リルと二人の男は楽しく上海で暮らしていたが、ある夜、ヤクザたちに襲われ、リルは水島道太郎をかばって撃たれる。そのとき空襲があって、そのまま別れ別れになる。リルの生死はわからない。

戦後の日本に映像が変わると、水島道太郎は闇屋になっている。ある日、彼はリルによく似た女を見かけて追いかけるが、見失ってしまう。ナイトクラブに出かけたとき、彼は楽団の指揮をやっている森繁と再会する。そして、リルとそっくりな女が彼の前に現れる...。

たった3分半だが、そこに「上海帰りのリル」が流れるので、それだけで何だか切ない気分になる。当時の闇市がそのまま再現されているらしいセットも興味深いし、空襲の跡がそこら中に残っている光景が生々しい。森繁は若いし、水島道太郎をクールに撃つヤクザらしき若者が一瞬映るのだが、それはどう見ても劇団民藝の梅野泰靖である。後に「幕末太陽傳」(1957年)で郭の道楽者の若旦那を軽妙に演じた。

しかし、森繁は、そのときすでに40近くになっている。大陸から引き揚げてきた森繁は、戦後、映画に出始め「腰抜け二刀流」(1951年)で初主演を果たす。翌年の昭和27年、日本が講和条約を結びアメリカの占領が終わった年であり、僕が生まれたばかりの頃のことだが、森繁は「三等重役」(1952年)で人気を博し、年間に10本以上の映画に出演していた。「上海帰りのリル」もその中の一本だった。

●森繁節と言われた独特の歌い方を初めて聴いた

森繁久彌を初めて見たのは、東宝映画「社長」シリーズだと思う。それ以外にも彼は「駅前」シリーズを持っていた。どちらも60年代の森繁の当たり役である。東宝は、その後、加山雄三の「若大将」シリーズと植木等の「無責任」シリーズを加え、夏休みや冬休み時期にはゴジラを中心とした「怪獣」シリーズを公開し、その間を単発作品で埋めていた。

小学生だった僕の目にも「社長」シリーズや「駅前」シリーズは、バカバカしいものに見えた。ストーリーはいつも同じで、浮気者の森繁社長がいて怖い奥さん(久慈あさみ)がいる。浮気相手は淡路恵子が担当することが多く、芸者やホステスなどの役だった。社長秘書は堅物の小林桂樹で、何かというと「パーッといきましょう」と言う三木のり平の宴会部長がいた。

そんな時期に、僕はテレビドラマの「七人の孫」に出合った。今や向田邦子伝説に彩られたドラマになったが、当時は単なるホームドラマだった。お手伝いさん役の悠木千帆が、後に名女優・樹木希林になるとは誰にもわからなかった。僕は長男(長谷川哲夫)の妻役の稲垣美穂子が好きだった。彼女は日活で、葉山良二や赤木圭一郎を相手にヒロインを演じた人だった。

清楚で知的な稲垣美穂子さんは好きだったが、僕が「七人の孫」を毎週見ていたのは森繁が歌う主題歌を聴きたかったからだ。人生歌みたいな歌詞で、小学6年生から中学に入学した頃の少年の耳には、何だか深遠な人生の真実を歌っている気がしたのだ。「どんなに時代が変わろうと、人の心は変わらない」というリフレインが印象に残った。

森繁節と言われた、あの独特の歌い方を僕は「七人の孫」の主題歌で初めて聴いた。「社長漫遊記」や「駅前旅館」に主演していた中年のコメディアンが歌を唄うなどとは、僕は想像もしていなかったのだ。しかし、「七人の孫」の森繁節は僕をとらえ、塾の帰りに夜道を自転車で飛ばしながらよく口にしたものだった。

その後、映画少年になった僕は森繁が単なる喜劇役者ではなく、「夫婦善哉」(1955年)「猫と庄造と二人のをんな」(1956年)などの文芸作品を持つ俳優だと知ったのである。あの小津安二郎監督の「小早川家の秋」(1961年)にも出ている。もっとも、東宝育ちの森繁は、小津監督の演出に戸惑いと反発があったらしいけれど...

その頃の森繁映画では「台所太平記」(1963年)が印象に残っている。名前は変えてあるが、森繁は文豪・谷崎潤一郎の役である。足フェチだった谷崎らしいシーンもあるし、文豪の日常を演じて風格があった。森繁は50になったばかりだったが、重厚さと軽妙さを併せ持ち、飄々とした演技を見せた。

才人と言われた川島雄三監督に「銀座二十四帖」(1955年)という映画がある。助監督は今村昌平。三橋達也と月丘夢路の主演で、若き北原三枝が美しい。彼女の相手役が大坂志郎(「七人の孫」の父親役)なのが時代を感じて楽しい。浅丘ルリ子は少女である。その作品で森繁は歌とナレーションを担当した。とぼけたナレーションが作品に味わいを持たせ、「おいらは銀座の雀なのさ」と歌う森繁節に聞き惚れる。

加藤登紀子の「知床旅情」がヒットしたのは、70年代に入った頃だったろうか。やがて、それが森繁が作った曲だと知られるようになり、森繁もテレビで歌うことが増えた。加藤登紀子バージョンとは違う曲ではないかと思えるほど、森繁はくずして歌った。いや、ジャズ・ヴォーカルで言われる「くずし」ではなく、やはり森繁節としか形容できない独特の節まわしだった。

「知床旅情」が頻繁にかかっていた頃、テレビドラマ「だいこんの花」が始まった。ラジオ番組「森繁の重役読本」以来、森繁の座付き作者のようだった向田邦子の脚本である。当時、まだ60前だった森繁なのに、飄々として頑固な老人を演じて絶品だった。大学生だった僕は「うまいなあ」と唸った。もしかしたら、僕は「社長」シリーズや「駅前」シリーズの面白さを見抜けなかったのかもしれないと反省した。

森繁は、戦前から演劇活動をしていたが芽が出ず、NHKのアナウンサーになって満州に渡った。芦田伸介の自伝「歩いて走ってとまるとき」によると、満州で演劇活動をしていた芦田伸介は、やはり満州で芝居を続けていた森繁と出会っている。満州という新しい国での新しい演劇活動に、希望を見出していたのかもしれない。

しかし、敗戦。森繁も一年以上、ソ連軍に身柄を拘束されたようだが、何とか帰国を果たす。その翌年から映画に出始めている。小林信彦さんの著作には、当時の森繁の面白さについて繰り返し書かれている。スタートは遅かったが、それだけに基礎は完成していたのだろう。前述の「上海帰りのリル」の短い映像でも、森繁のうまさは感じられる。

僕は森繁節で「上海帰りのリル」を聴きたいと思っている。それを聴くと、50年前、父が歌っていた「上海帰りのリル」を思い出せる気がする。父が歌う「上海帰りのリル」には、どこか哀愁があった。深い思い入れを込めているのがわかった。父にも、もう一度逢いたかった上海時代の恋人がいたのかもしれない。そんな想像をさせたものだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

この不景気はいつまで続くのかと、最近、溜息をつくことが多くなった。出版不況などと言われ、新聞の一面の記事になったりする。出版はずっと業界全体の売上が落ちているのだが、ある書籍編集者に訊くと、一年前から本が売れなくなったと嘆く。売れるのは村上、宮部、東野...、本当に限られた作家だけのようです。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■Otaku ワールドへようこそ![104]
なかなか下りない撮影許可にロケハン苦戦中

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20091009140100.html >
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写真撮影のための場所探しをロケハンというが(※)、これに異変が起きている。......などと、どっかの夕刊紙みたいな大げさな表現を用いるのはちょっと恥ずかしくて抵抗あるのだが、まあ、サービスみたいなもんだと思っていただければ。※ "location hunting" の略。

人形なりコスプレイヤーなり、ロケ撮りをしましょうって話になったら、まず、被写体やテーマに合うようなロケ地のイメージを頭に描いておき、それからキーワードでネット検索したり、旅行ガイドを読んだり、地図を眺めたり、人に聞いたりして、イメージ通りの場所がどっかにないか、探していく。候補地をある程度絞ったら、本チャンの撮影に先立って、下見に行く。場所が気に入ったら、管理者と直接話して企画の内容を説明し、撮影の許可をもらう。

この許可が、最近はなかなか下りないのである。特に、日本庭園での和装コスプレ撮影など、以前はあっさりと許可が下りていた企画がいつのまにか拒絶されるようになっていたりすると、膝から地に崩れ落ち、天を仰ぎ、オーマイゴーッドと叫び、ヴァンデグラフ起電機に触れたかのごとくヒゲを逆立て、スプリンクラーのごとく涙を撒き散らし、連続後方でんぐり返しでごろごろ転がりながら退場するしかないのである。......って、この表現増量サービス、あったほうがいいですか?

●掟破ればネットで激しく叩かれる

個人撮影の許可が下りるロケ地が減ってきたというのは、今私が思いついて言ったことではなく、コスプレイヤーの間では、ある程度共通認識になっている。よく聞くのは明治村の問題である。この種の話にはオヒレハヒレがつくのがお決まりで、事実関係は確かめようもないので、ついでに私も背ビレと胸ビレをつけておくと、こんな話である。

以前は、自前のコスチュームを持ち込んでの撮影はOKだった、ところが、ある日、軍服姿のレイヤーが現れ、おそるおそる遠巻きに眺める子供に、冗談のつもりか模造日本刀を振りかざして威嚇してしまった、子供は怯えて泣き叫び、一帯は阿鼻叫喚の地獄絵図と化した、事件後、明治村は方針を変更し、コスプレ撮影が禁止になってしまった、というもの。

実際、明治村のウェブサイトへ行ってFAQを見ると、「特殊な衣装を身につけて入村できますか?」の質問に、コスプレ禁止とは明記していないものの、「あまりにも華美・奇抜な服装や素肌の露出が極端に多い等著しく品位に欠けた服装、その他明治村の雰囲気を著しく損なう恐れのある服装など、他のお客様が不快に感じる恐れのある服装を着用してのご入村につきましては、お断りさせていただく場合がございます」と書いてある。

また、この問題に関するまとめサイトによると、2005年1月に明治村は「コスプレ規約」を打ち出しており、そこには「基本的にアニメ・ゲーム等の衣裳は当館と致しましては望ましくありません」と書かれているらしい。

この例に限らず、あちこちのロケ地で、コスプレの個人撮影の許可が取りづらくなっているという話をよく聞く。なので、そのような動きにつながりかねないマナーの悪いレイヤーがいたという情報が浮上すると、大勢のレイヤーたちから非難の集中砲火が浴びせられる。観光地などでド派手な衣装で許可なくロケ撮り(「ゲリラ撮影」とよばれる)して、一般の人々の顰蹙を買った、みたいなケース。「アンタみたいのが少数いるおかげで、我々レイヤーがみんなギャング集団みたいにみられるじゃねーか」ってわけである。

ある程度具体的な情報が出ていると、探し出されてネット上に晒され、ボコボコに叩かれたりなんてこともあるらしい。サイトを持っていると、メッセージ攻撃にあい、閉鎖に追い込まれたり、とか。いや、聞いた話なんで、真相はどうなのかよく知らないのだけど。まあ、マナーが悪いのは困りものだけど、大勢で寄ってたかって一人をボッコボコというのも、なんだか心胆寒からしめるものがなきにしもあらずなような......。

●あれは「先駆者利益」だった?

東京都が維持管理している日本庭園がいくつかある。浜離宮、六義園、小石川後楽園、清澄庭園などである。私は、上記4つの庭園では、「遙かなる時空の中で」や「最遊記」などの作品に登場するキャラに扮したレイヤーさんたちを個人撮影したことがある。イベントでよく撮らせてもらっているレイヤーさんたちと、ロケ撮りやろうよって話になって、私がロケ地を選定して、許可をもらってきたのである。

'05年のことであるが、多分、これらの庭園でのキャラ系コス撮影は、私が開拓者だったのではないかと思う。企画内容を管理者に伝えるのに、サンプル写真を持っていって、一から全部説明しなくてはならなかったあたりからして、似たような前例があったとは思えない。「一般の来園者の通行を妨げない」などの当然の制限事項はあったが、許可が下りないということはなかった。園側としても、ユニークな企画は歓迎というムードであった。

さらに、大きな声では言いづらいのだが、特別に、親切にしてもらったりしたこともあった。コス撮影では着替え場所の確保に苦心することが多いのだが、周辺に貸し会議室などがどうしても見つからなかったとき、管理責任者の一存で、園内にある、長らく使っていない倉庫のような小さな建物の鍵を渡してくれて、丸一日、自由に使わせてもらうことができたのである。

まあ、こういう規定外の便宜を当てにするのはあんまりよくないのだけれど、着替え場所が確保できないとロケ地自体をあきらめなくてはならないので、非常にありがたいことであった。この手の撮影の申請はそうめったにないことなので、たまには、ということで柔軟に対応していただくことが可能だったのだろうと思う。

●やっぱり厳しくなっていた

これから年末にかけて、外で人形を撮る機会がどどどとやって来そうで、それもバラエティに富んだ人形だったりするので、できるだけロケ地のレパートリを増やしておきたい。最近1か月ぐらい、あっちゃこっちゃあたってみている。そして、......大苦戦。ロケ地探しが難しくなっていると言われているのが、ほんとうだったと実感している。

ワープステーション江戸。茨城県にある歴史公園。江戸城大手門、武家屋敷、長屋門、見附などが堀と一体となった江戸城ゾーンと、大店街や町屋、廻船問屋などが生活感を醸し出す江戸の町ゾーンで構成されている。映画やドラマの収録用に使われる。つくばエクスプレスみらい平駅からタクシーで約10分と、ちょっと不便。昔はJR取手駅から路線バスが出ていたが、土日祝のみの運行となり、やがて廃止に。コスプレイベントがあるときだけは、臨時バスが出ていたが、最近はここでのコスイベは開かれなくなっている。

かつては、イベントでないときにコスプレ個人撮影ができていた。しかも、入場料以外に費用はかからず。着替え場所も用意してもらえた。ところが、最近電話で問合せてみると、商用目的でも個人利用目的でも一律の使用料がかかるようになっていた。それが1時間あたり6万円。ひょえ〜〜、無理無理無理無理......。ゼロを1個取ってもらってもまだ無理。商用だって、これで採算の合うビジネスなんて存在しうるのか、なんて思っちゃう。

江戸東京たてもの園。小金井公園内にある野外博物館。江戸時代から昭和初期までの27棟の復元建造物が建ち並ぶ。ここも、似たような方針。開園日の撮影は禁止で、休園日にスタッフが出てきて雨戸を開けたりする都合上、商用目的、個人利用目的の区別なく、一律有料。1 時間あたり25,000円。いい場所なんだけどなー。縁がなかったかー。

もちろん、こういう施設って維持管理に相当の費用がかかっているはずだし、作り手の保有する著作権(でいいのかな?)もあることだろうから、個人利用だからといってタダ同然で使わせてもらおうなんて魂胆は虫がよすぎるのは、よく分かる。だから、この方針に意義を唱えるものでは決してない。けど、ちょっと予想外の敷居の高さに、嘆息するばかりである。

夢の島植物園。JR新木場駅から徒歩10分ほど。夢の島公園内にある。電車から見えるけど、球面をスパッと縦割りにした形のガラスのドームがいくつか組み合わさった温室。先に挙げた日本庭園と同じく東京都の管理下にあるので、許可さえ下りれば1時間あたり100円という破格の値段で使えるのだが......。雑誌掲載や公共性の高い展示等の目的ならよいが、個人利用目的では許可しないとのこと。過去に個展出品目的で申請して許可が下りなかった例あり、だそうで。

通路が狭く、どこで撮っても通行の邪魔になるので、開園時間は撮影を許可していない。開園日の閉園後2時間か、休園日に限定。同じ時間に2件以上の同時進行は、場所が狭いし造園の作業もあるので、受けられない。撮影希望者すべてに許可を出していると、対応しきれなくなるので、大きな案件に限定せざるを得ない、とのこと。まったく、おっしゃる通りで、この方針に不満を申し述べるわけにはいくまい。で、あ〜あ、また負けか、とため息をつくわけである。

式場病院。千葉県市川市にある精神科神経科の専門病院。北総線矢切駅から徒歩5分。すばらしくきれいなバラ園がある。精神病理学者である式場隆三郎氏(1898─1965)が1936年にこの病院を創設した。式場氏は文芸や芸術に造詣が深かった。ゴッホに関する著書がある、山下清(裸の大将)の活動を支えた、三島由紀夫と親交があった、など。

もし将来頭が不調になったときは、ぜひここで診てもらいたいと密かに狙いをつけているのだが、今のところはだいじょうぶそうである。でも、バラ園はどうしても見てみたくなったので、日が暮れてからひょろっと立ち寄ってみた。頭が正常な人は入ってはいけないみたいなことが書かれていたような気もしなくもないが、多少の良心の呵責を感じつつ、頭のネジが外れたふりをして、ちょこっと見学してきた。

吉田兼好の「徒然草」に「狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり」とか何とか書いてあったっけ。あいたたたたたた..。バラ園は、広くて、よく手入れされてて、非常にいい。何より場所がロマンチックでいい。入院患者たちが手塩にかけて手入れしているらしい。ああぜひ撮りたい。バラたちが、撮ってくださいとささやきかけてくる。けど、どう考えたって、無理っぽい。

●実は需給バランスが崩れただけ?

負け続きのロケハンだが、人形撮影に関しては、許可がもらえたところがある。大サービスで言っちゃうけど、ポティロンの森。茨城県にある農業公園。JR牛久駅からタクシーで30分。路線バスはない。広い。やたらと広い。花壇、農園、牧場あり。洋風のしゃれた建物あり。錆びて朽ちかけた昔の農具あり。風情があって、非常にいい場所。たま〜にコスプレイベントが開かれる。

電話して、人形撮影はどうかと問合せてみたら、入場料だけでOKという。企画書を提出して撮影許可申請、みたいな手続きも不要とのこと。あー、やっといい場所が見つかったー。ほっとする。ほんっとにありがたい。タクシーに30分乗ったらいったいいくらかかるんだ、って話はあるけど、まあ、スタジオの借り賃だと思えば、箸にも棒にもかからないほどべらぼうに高いってわけでもないだろう。

あの広大な場所に、風変わりな人形で遊んでいる大人が2〜3人いたところで、誰も気にするまい。逆に、背景に無関係な人が入ってきて撮るのに苦労するってこともあるまい。いい場所だ。思うに、ロケ地が確保しづらくなってきている背景には、マナーの悪いコスプレイヤーがいて一般の人から苦情が出たからというのは確かにあるのだろうけど、それ以外にも、単に需要が増えて供給が追いつかなくなったから、ってことがあるのではあるまいか。


案外とそっちの理由のほうが大きかったりして。ロケ撮影の希望者がどんどん増えていって、全部許可していたのでは対応が追いつかない。かといって、なんらかの制限を設けて一部だけ許可するようなことをしたら、その判定基準をめぐってモメるのは目に見えている。ならば、一律禁止だ、みたいな感じで。もしそうだとしたら、ちょっと奇抜な衣装で撮影したレイヤーがいて、たまたま見かけた一般の人がびっくり仰天しちゃった、ぐらいのことで、大バッシングを受けるのは、ちょっと気の毒な気がしなくもない。

●そこにビジネスチャンスあり?

需要の伸びに供給が追いつかなくなってきたというのなら、そこにビジネスチャンスがありそうとは考えられないだろうか。単純に、需給のバランスがとれるところまで料金を引き上げるというのはひとつの手ではあるけれど、それはあんまり面白くない。払う財力がなくて排除されてしまう私が面白くない、ってことなんだけど。

東京近辺が容量オーバーなら、地方がある。町おこしの種にもなりそうではないか。実際、ツアーを組んで山梨県の「ハイジの村」や岩手県の「藤原の郷」へ行くコスプレイベントなんていうのも出てきている。そこそこ成功しているのではなかったか。あと、地方だったら、廃墟ってけっこうあるのではないかな? 廃工場とか、空き家になった民家とか。安全性の確保のためには、多少の整備は必要だろうけど、なるべく元のままの荒廃ぶりが保存されていたほうがいい。そういうところで写真撮りたいってすご〜く思うし、同じような嗜好の人って、かなりいるんじゃないかな?

だいたい何でもかんでも禁止、禁止では、社会全体から活気が失われていきますぞ。システムの歯車として単調に生き、余計なことをしでかそうなんて考えないのをよしとするような風潮では、その空気に適応した人たちは、自主的になにかしようなんて考えを起こさなくなっていき、素直で従順で無個性で主体性のないパチンコ玉の集まりになっていくであろう。秩序だけは整っていて一見平和だけど、どこを見渡しても画一的で面白みというものがまったくなく、自分という存在の尊厳までぐらぐらしてくる、淀んでゆがんだ不吉な社会になっていきそう。

社会のルールを決める人たちって、いい加減じいさんばあさんになってて、かつての若いころのこと、すっかり忘れてるでしょ。エネルギーがあり余ってて、なんかしたくてうずうずしてるんだけど、何をしたらいいかよく見えてなくて、ちょっと焦燥感にかられてて、だけど、そのエネルギーを年配者が喜ぶような「いいこと」に使うのはぜーったいに面白くなくて、どうせなら、ヤツらが腰を抜かすような奇想天外でバカバカしいことに真剣に取り組むことでエネルギーを発散しきっちゃいたい。

そこに廃墟があれば、とりあえず探検してみたくなるわけだ。探検したってなんもねーよ、というのは大人の理屈。正しいけど、面白くない。やっぱ人間いくつになっても、廃墟と聞いただけでケツが半分浮いてわくわくそわそわしちゃうようなガキでありたいものである。そういうのを苦々しく感じ、権威的な力で抑えつけたくなっちゃうのは年寄りの悪いクセである。実際の年齢がどうとかこうとかではなく、ものの見方・考え方が年寄りくさくなっちゃうのはやだなぁという話である。

地方のテーマパークや廃墟を写真撮影の場として有効活用する。それ自体がビジネスになる。都会と地方の間の人の往来が増え、地方が活性化する。お仕着せの娯楽ではなく、各自が創造性を発揮して主体的にものごとを面白くしていくような遊びが広まれば、精神が活性化して、社会が活気づき、前向きな変化により諸問題を解決していこうという空気が生まれる。それが新技術や新規ビジネスを次々に生み出す活力の源となり、景気の低迷からの脱出路が開かれる。精神が活性化すれば、ものごとの明るい側面がより明るく輝いて見えるようになり、シラケた精神に活気が蘇り、婚活だってうまくいく率がぐぐんとアップし、少子化問題も流れが変わる。かくて、コスプレは日本を救うのだ。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。10月2日(金)の夜、由良瓏砂さんのおうちにおじゃまして、高円寺の個展に出す人形を撮影させてもらってきた。前回、瓏砂さんは人形作家でも、生活のすべてをファンタジー的な統一コンセプトの下に演出し、自分も人形みたくなっているタイプの典型だと述べたが、そんな瓏砂さんがどんなふうに暮らしているのか、見るのが楽しみだった。やはり期待にたがわず……。

言っていいって言うから言っちゃうけど、天蓋つきのベッド。お姫様ですな。バロック音楽がずっと流れ続け、何時間ももつろうそくからは芳香が放たれ続ける。人形がいっぱいで、書棚にはチョー難解そうなカターい本が並び……。なにやら呪術的なムードがただよう。このただならぬ気配、タダモノではない感じ。才能を感じる。よいなぁ。人形の個展「アウロラ残照」は10月14日(水)〜16日(金)、高円寺の「前衛派珈琲処 Matching Mole」にて。
< http://dollexhibition.blog93.fc2.com/blog-entry-183.html >

丸善・丸の内本店4階ギャラリーにて「人形(HITOGATA)展」が開催中。10月15日(木)まで。人形作家30人による多彩な作品が一堂に会する。いつも作品を撮らせてもらっている美登利さんも出品作家のひとり。白蟻姫と鬼娘は買い手がついたそうで、今回の展示が見納め。
< http://www.marunouchi.com/oazo/02_event/02_event.html >

女装界のカリスマ、キャンディミルキィさん、茨城県の鉾田市立図書館にて、「キャンディキャンディ・コレクション展」を開催中。10月18日(日)まで。本気の心意気を示すためか、現在女装断ち中。
< http://www.lib-hokota.jp/cgi-bin/c_notice.cgi?12 >

少女主義的水彩画家たまさんの原画展「Gallows」、10月12日(月)から銀座ヴァニラ画廊にて開催。
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/tama/tama2.html >
< http://tamaxxx.blog.shinobi.jp/ >

10月24日(土)、25日(日)、鳥取県の中国庭園「燕趙園」にて、「中華コスプレプロジェクト」が開催される。年に2回の恒例となったこのイベントだが、今回は去年の同時期に引き続き、第2回アジア大会となる。中国、韓国、香港、タイから約30人の外国人コスプレイヤーが参加する予定。参加登録は10月10日(土)まで受付。

中野にある行きつけのメイドバーをついこの間辞めちゃったkちゃんは、鳥取県庁表敬訪問とか、コンテストの司会とか、バラエティ番組の生中継とか、活躍の舞台が用意されている模様。なのに、なのに、……私はデザフェスとカブって行けない。どなたか見てきてレポートしてください。

10月3日(土)は、べちおさんがすでに書いてるけど、鹿児島のもみのこさんを迎え撃っての飲み会。あんなエロいことを書く女性の私生活はどうなっているのだろうという好奇心から根掘り葉掘り聞いてしまった。ここには書かない(生々しすぎて書けない)けど、すんごく勉強になりました。

いいロケ地、ご存知の方は教えていただけると非常にありがたいです。廃墟でもテーマパークでもバラ園でも海岸でも森でも滝でも渓流でも古い建物でも味のある古い町並みでもどことなく頽廃の香り漂う場末の飲み屋街でもなんでもかんでも。全国どこでも。芸術の秋ですな。

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■編集後記(10/9)

・台風一過でみごとに晴れ渡る空。ここ10年間で最大級の台風の上陸と報道されていたので、さすがに不安があった。風雨の吹き荒れる夜中に、室内の水回りからボコッボコッという怪音が聞こえた。汚水が室内に噴き出す悪夢を見たが、夢で済んでよかった。心配だったのは荒川の水量である。この地ではなによりも洪水がこわい。ときどき国交省荒川下流河川事務所のライブカメラ映像を見て、水位情報もチェック、安全を確かめた。結局、台風18号のわが家の被害はというと、エアコン室外機カバーが隣家の庭まで飛んで行っただけだった。/メガネを新しくしてから、見え過ぎちゃって困るくらい。モニター上のこまかな文字も、身体を椅子の背もたれに預けたまま、確実に読めるのがうれしい。その上、ツインモニターを従来位置よりずっと後方にスライドできたので、机の上が広くなって快適だ。もっと早くからこのメガネにすればよかったと思う。ためしに前のメガネをかけてみると、この環境ではモニターの文字を読むのは苦しい。もう元には戻れない。しかし、モニターを見るのは快適だが、手元の辞書や印刷物を見る時はうっとおしい。新聞もそうだが、裸眼でないと読めない。その度に新しいメガネをはずす。印刷物を見ながらのテキスト入力が苦痛だ。でも、そのうちきっと眼が適応しちゃうんだろうな。それはますます目が悪くなるということだが。モニターの前以外ではこの見え過ぎメガネをかけない。人の顔というものはあまりクリアには見えないほうがいい。(柴田)

・夢を見た。夜逃げしようと荷造りしているところに、クライアントから電話。修正はいつになるのか? と。当然ネットは繋がらない。すぐに修正しますと返事。夜逃げ先に早く移動してネットに繋げないと、と焦っているところで目が覚めた。目が覚めてからも、心臓ばくばく。夢だとわかっているのに落ち着かない。夜逃げだとしても、元データはこちらなんだから、修正はしないとあちらは困る、と思うところが……。今の引っ越し先で、一番最初にやったのは、荷解きでも生活必需品の購入でもなく、ネット接続とパソコン立ち上げだ。繋がっていなければ、緊急対応ができないから。ああ怖かった。/風邪ひいているのはバレエやっていないせいもあると思うんだな。もう二ヶ月休んでいるもん。体ばきばき。(hammer.mule)
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