Otaku ワールドへようこそ![107]怖っ! 通りすがりに言われて、やっぱり? 高架下で人形撮影/GrowHair

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私は大汗かきかき一体の人形の写真を撮っている。後ろには他の人形たちがずっらーっと列をなして並んでいる。やけに高い声で口々にぶーたれてくる。「ねー、私の番まだぁ?」「早くしてよぉ」「もう並ぶの飽きちゃった」「帰っていい?」。わー、待って待って、もうちょっとだから。ごめんなさい、きれいに撮るからもうちょっとの辛抱、お願いっ。

......今にそんな夢をみるんじゃないかと恐れている。12月のグループ展に向けて、ハイペースで人形撮影が進行中。11月6日(土)7日(日)と二日続きの撮影で、8体の人形を撮ってきた。

土曜は代々木公園のバラ園で。ごきげんよう系のバラ(※)が地面すれすれの低い位置にまで咲いていたので、洋装の人形を寝かせるととてもロマンチックな絵になった。そこもかなりよかったけど、日曜の高架下での撮影は、昭和初期の面影残る薄暗いトンネル状の歩道に和装人形が実によく似合い、非常にいい按配であった。心地よい環境を得た人形たちが今に動き出しはしないかと、ちょっと怖くもあったが。今回はその模様をば。

マリア様がみてる―リトルホラーズ (コバルト文庫)※今野緒雪「マリア様がみてる」からのネタ。カトリック系のお嬢様学校の生徒会の役職に「ロサ・キネンシス」「ロサ・ギガンティア」「ロサ・フェティダ」と原種のバラの名前があてられていることから、原種のバラを「ごきげんよう系」と称する(ことにした。私が)。



●まずはロケハン:都会の中の田舎という異空間

国道駅のことを知ったのは、つい最近、11月1日(日)のことである。グループ展の打合せで自由が丘の居酒屋「土間土間」に集まって、人形撮影のロケ地はどこがいいかと話し合っているとき、八裕(やひろ)沙(まさご)さんが提案してくれたのである。けっこう有名な場所で、前々から知ってたらしい。

昭和5年に開業した駅の高架下は、時間の流れから取り残されたように当時の面影を残し、映画やドラマでもよくロケ地に使われてきたらしい。1949年(昭和24年)の黒澤明作品「野良犬」とか。2007年のTBSドラマ「華麗なる一族」とか。「国道下」という焼き鳥屋があって、ドラマ収録の記念に撮った木村拓哉さんの写真が掲げられているらしい。

「ラブド〜ル 抱きしめたい!」は今年の10月10日(土)〜10月23日(金)の21:10より渋谷ユーロスペースで上映された映画である。出演するのはオリエント工業製の男性向けのシリコンドール9体。動かないドールを動画で撮影しようという構想からして面白いが、撮影機材はなんとデジタル一眼レフのスチルカメラで、Canon EOS 5D markII とのこと。私が使ってるのと同一機種ではないか。これの動画撮影機能を使ったそうで。その映画の中でも、ロケ地に国道駅の下が使われているらしい。
< http://www.lovedoll-movie.com/ >

後塵を拝するのは、いくぶんかシャクではあるけれど、私もそこで撮ってみたくなった。2日(月)の会社帰りにさっそくロケハン。会社帰りと言っても、職場は埼玉なので、まるで方向違い。1時間半かかった。

JR鶴見線は大学生のころだったか、一度だけ乗りに行ったことがある。まだ国鉄だったころだ。京浜工業地帯の中を走る路線とは思えないくらい田舎田舎した雰囲気で、運転間隔は恐ろしくまばらで、チョコレート色の短い車両がゴトゴトと走る。まるで一気に数百キロ吹っ飛ばされて別の地方に来てしまったかのような、ほよよんと気の抜けた空間。夢の中にいるような気分に浸れた。

浅野駅から分岐する支線の終点の海芝浦駅は、海に浮かぶような駅だった。改札口を出ようとすると駅員に止められた。外は東芝の敷地なので、社員であるかアポがないと出られないのだそうで。駅から出てはいけないという決まりはないが、東芝の敷地に無断で立ち入ってはならないという決まりはあるので、結局出られないんじゃん。うーん。

......ってなことを思い出しつつ、21:30鶴見発の海芝浦行きに乗り、2分で着いた最初の駅が国道。ゆるく湾曲した高架線の下の中央が道になっていて、両側には二階建ての古いアパートのような建物がほとんど隙間なく建ち並んで薄暗く、トンネルのようになっている。高架を支える柱の上のほうはアーチ状になっていて、古めかしく、重ったる〜い感じ。

ほんの数十メートルばかりの空間なのだが、まるで申し合わせたかのようにものが古いままで、石のゴミ箱があったり、がらがらっと開ける玄関があったり、木製のドアにつけられたノブの下の鍵穴は中が覗けそうなくらいでかかったり、古い看板がそのままだったり。空き家もあるが、人が住んでいるところもある。保存しようと決めてそうしているわけでもないのに、こういう状態になってるって、なにか霊的なものに守られているんじゃなかろうかとさえ思えてしまう。

すぐ先が鶴見川なので、水がつくことを心配して住みたがらない人が多く、不動産としての価値が上がらなかった、それで再開発の手を免れてきた、ってことなのかな。昭和の面影残るところは他にもあるかもしれないが、昭和初期のというのは、そうそうないんじゃないかな。まるで映画のセットだ。というか、ここ、何かの映像で見たことあるぞ。思い出せないけど。ここ、なかなかいいぞー、とアナウンスし、人形作家さんたちが乗ってきてくれたので、次の日曜に撮ろうという話になった。

●昼も薄暗い国道下が、人形で一気に怪奇空間に

日曜の朝9:40鶴見発の電車はガラガラに空いていた。電車というよりか、軌道の草刈り機。そりゃ言いすぎか。まばらながらいちおう乗客いたし、国道駅でも何人かは降りていたし。

無人駅。角がすり減って丸くなった木製の改札口に鉄製の切符回収箱が据えられている。脇には便所がある。トイレ、ではなくて、便所。ニオイが違う。ちゃんと便所のニオイがする。高架下の住人のおっちゃんがバケツに水をくんで、片手に下げて道を歩き回り、もう一方の手でちょびちょびすくって撒いている。日課なのだろう。さぼると空気がホコリっぽくなってしまうに違いない。

八裕さんと、赤色(せきしょく)メトロさんと、長尾都樹美(ときみ)さんが、それぞれ一体ずつ人形を連れてきてくれた。ただでさえ薄暗くてなんか独特の雰囲気のある場所なのに、人形が3体出てきたら、一気にお化け屋敷のような怪奇空間になった。人形作家が人形を怖がってちゃ商売にならないのだが、これにはさすがにちょっと怖いね、と言い合っていた。私は例によって撮るのに夢中で、通行人の声が耳に入っていなかったのだが、後で聞けば、「怖っ!」とか言って通りすぎる人がけっこういたらしい。ひー、不気味な活動しちゃって、どうもすみません。

まあしかし、それほどの衝撃をもって迎えられたというわけでもなく、あーまたなんかやってるよ、ってなもんだったようで。慣れっこ。いろんな人がよく来てなんかやってく場所なんだろうなぁ。よく言えば今の世の中の風潮に問題意識をもったクリエイティブな人たち、悪く言えば時代の潮流からズレまくった常識はずれの異端者たち。かつてのメインカルチャーも、いまやそれを好んで追い求めるのは、ほんの一握りのおかしな人たちってことで、ひとくくりに狭〜いサブカルのカテゴリーに押し込められてるのかなぁ。

撮影を始めようと準備しているとき、シクラメンの鉢を片手に持った初老のおじさんが話しかけてきてくれた。近所に昔から住んでいるそうで、我々みたいな人が来るのは歓迎だという調子で、終始にこやかに昔のことをたくさん語ってくれた。道沿いにはもっと店があったとか、昔は天井から変なもんがぶら下がっていて(なんだろ?)コウモリが巣をかけてたとか、道を突っ切る形で水が流れてたとか、水車があったとか、有名な建築家が建てたので造りはしっかりしてるとか、壁には米軍による機銃掃射の痕があるとか。

道路を作る計画があり、実施されると国道下の道の半分がなくなってしまうらしい。保存しようよって声はあるけど、誰も立ち上がる人がいないらしい。うをぉーい、たのむよぉ。八ッ場ダムじゃないけど、もう建設はいいよ。そんなことに使う金があるんだったら、古いもんを保存するほうに使おうよ。道路なんて、もうすでにそこいらじゅうにあるじゃんか。なくても済んじゃってるもんを今さらこしらえて得られるちょっとばかりの利便性と、ここにしかない昭和の遺産と、どっちが価値が高いと思ってるんだよぉ。

●時代は進んで行き詰って戻る

社会というものは、そのとき、そのときで、いいとされる方向へちょっとずつ、ちょっとずつ、変化していく。それが年月を経て蓄積されていく。気がつくと、がらっと違った世の中になっている。たとえば、国道駅が開業した80年前当時と比べたとき、今現在、格段にすばらしい社会が実現しているという見方ができる。便利で安全で清潔で静かで平和で安定して、物が豊かにあり、犯罪や争いごとが少なく、世間という呪縛から自由で、娯楽がいっぱい。昔の人たちがあらまほしきと夢想した理想社会がいまここに実現していると言ってもいいのではなかろうか。

だけど、だけど。人々が生きていることの幸せをどれほど実感しているかと問うてみるとき、自信をもって、今がいい、と言えるだろうか。そりゃあ、生活していくだけで手一杯でほかに何もない一生涯と、楽しいことがいろいろある上に、自己実現の機会なんて贅沢なおまけまでついてくる一生涯とを比べたら、後者のほうがいいにきまってるけど。なんか、なんとも言えない欠乏感って、ない? 生きてる意味ってなんだろ、みたいな。自分の価値ってなんだろ、みたいな。実際に世の中全体でものが不足しているときの欠乏感はみんなで共有しあうことができるけど、自分だけの何かが欲しいという欠乏感は、ひとりで悩むしかない。

なんか、まわりを見ていると、幸せを実感しているという状態からは程遠くみえる人がいっぱいいるような気がするのは、気のせいだろうか。時代の生み出す心の病、みたいなものがあって。ひと頃は、リストカットやオーバードーズのような自傷行動に現れがちな境界性人格障害がやけに目立ったが、最近は依存症が目立つ気がしてならない。

好きなことがあって、そこへ熱中するのはいいことなんだけど、依存症って、ちょっと違うよね。こんなことにいつまでもハマっていてもしょうがない、抜けたい、だけど抜けられない、みたいな。便利になって、自由になって、生き方の選択肢がたくさんあるのはいいんだけど、変な方向に行きかけても、まっとうな方向へ引き戻す力が働きづらい、そういう時代なのかな。

また、依存症になりやすい種がごろころ転がってるんだな。酒やタバコなどの嗜好品、下手すりゃ薬物とか、株や為替などの財テク、パチンコや競馬などのギャンブル、パソコンやケータイからアクセスできるゲーム、ネットやリアルでのショッピング、なにかのコレクション。それと、食うことにも摂食障害への罠が潜むし、人間関係にも親子カプセルみたいな共依存性への道がある。

もちろん、そういう対象物自体が有害だというのではない。パチンコや競馬だって、それが好きで、ちゃんと節度をもって楽しんでいる人はたくさんいる。それは健全の部類だ。ゲームだって、十把一絡げに悪いと決めつけては、作った人にも健全に楽しんでる人にも失礼だ。ただ、時として、刹那的な快楽によってそのときだけ嫌なことを忘れさせてくれるにすぎず、漠然とした欠乏感からの救いにはならない、不毛で過度なハマりかたをするケースもありうるということである。

依存症というと作家の中村うさぎさんが浮かんでくる。買い物依存症。世の中の諸々の事象に対して、哲学的とも言えるほど深い洞察を加える人なのに、自身は後先考えずに衝動的にブランド品を買いあさってしまうという、傍目には軽薄な行動から抜け出られなくなっているというのは、一見矛盾しているようにみえる。それに対してもちゃーんと掘り下げている。著書「穴があったら、落っこちたい!」がおもしろかった。

独善に陥らずにものごとを正しく捉えるためには、自分を中心に据えた主観的な見方ばかりしていてはだめで、どうしたって、いろいろな角度から光を当てて客観的にものを見るように心がけなくてはならない。そのためには、一段高いところから俯瞰的に自身を監視して、みっともないうぬぼれからくるゆがんだものの見方を諌める、もう一人の自分というものを自分の中に飼っていないとならない。それを「ツッコミ小人」と呼んでいる。

ツッコミ小人が、自分にツッコミを入れる仕事にせっせと励むと、ナルシシズムがそぎ落とされていく。思索にとってはそのほうがよくても、虐げられたナルシシズムのほうが黙っちゃいなくて、ついには反乱を起こす。それが、軽薄で衝動的な行為となって現れるのだそうで。依存症の心的メカニズムについて、そこまでしっかり考察できているのに、やっぱり自力じゃなかなか抜け出られないところに依存症の怖さがあるなぁ、と思う。

それと、今の時代の特徴として、もうひとつ、情緒ってもんがどっかへ去っていきかけてるような気がする。「昭和のかほり」とかいってよく馬鹿にされているもののエッセンスって、しっとりとした情緒なんじゃないかな。古い歌で深い悲しみを歌ったいいのがいろいろあるけど、カラオケなんかでうっかり場の空気を読まずに入れちゃったりすると、せっかく盛り上がってるのに、なんで水を差すんだ、と文句を言われることがある。

そうか、情緒ってもんはもはや廃物扱いなのか。世の中が便利になって清潔になって、快適になったような気もするけど、同時に無機質で味気なくもなってきてないかな。高度にシステム化されてきてて。システムを回すための従属物として人々がいるような格好になってきてないかな?

システムがパチンコ台なら、人々はパチンコ玉。あっちいくやつもこっちいくやつも穴に入るやつも下に落ちるやつもいるけど、それはパチンコ玉の個性のなせるわざではない。単なる偶発性。パチンコ玉一個一個はいつでも交換が可能な単なる消耗品。人々は各自の得や娯楽・快楽を追求しているけど、意思に根ざした自発性があんまり感じられなくて、ゾンビのよう。マーケティングという名の統計で処理できちゃう。

人々はニュースや広告などから入ってくる情報になんらかの反応を示すけど、それは心の深いところから湧き出てくる感情というよりは、ただの脊髄反射に近かったり。そんな感じ、しない? 便利で清潔という快適さが、実はどこかで人の心に対して不健全な作用をもたらしたりしてはいないかな? メカニカルな社会の仕組みに合わせて人々もメカニカルになりつつあるけど、それは実は人の心の本来のあり方とは齟齬をきたす、みたいな。

社会は常にいいとされる方向へ進歩しているとはいえ、何か得るだけ、ってことはないくて、代償に何かを失っていく。その失ったものとは何か、そこに気づかせてくれるための、過去の遺産ぐらいは、残しておこうよ。たまには便所のニオイをかいで、おのれを知ろうよ。

......と、道路計画に刺激を受けて大幅に話が逸れまくったけど、撮影の模様は写真でどうぞ〜。
< http://www.geocities.jp/layerphotos/Dolls0911/ >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

「田の字熟語」という遊びを考えた。たとえば、「天丼(てんどん)」「天人(てんにん)」「丼物(どんぶりもの」、「人物(じんぶつ)」という4つの熟語を田の字に組み合わせて

  天丼
  人物

と書く。こういうのを思いつくかぎり挙げていこうという遊び。

  内閣 海老 密林 絶対 相対 冗長 電車 変態 俗世 白鳥
  股下 女人 生業 海岸 手話 談話 気体 節度 学界 糖類

  金融 金融 明細 荒廃 未満 景勝 秋風 証拠 強引 金物
  満点 利点 日々 野人 来月 気勢 雨雲 人出 弱火 管理

下から上、右から左に読むのも、ありってことにすれば、こんなのも。

  金魚 貧困 冬眠 強気 暴発 文学 企業 民間 通商 恋愛
  入港 民難 暖気 力体 露出 字数 画商 家借 話談 悲慈

斜めにも読めて、熟語が6個取り出せるやつは、難易度高いかも。

  下山 人手 友愛 大病 山水 有無 内外 出入 男根 女陰
  水車 形相 人情 根気 道場 人数 面接 国力 気性 気性