[2752] 「極妻」になった姐さんの半世紀

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《16GBのカード5枚分一気に撮りまくる》

■映画と夜と音楽と...[443]
 「極妻」になった姐さんの半世紀
 十河 進

■ところのほんとのところ[28]
 パリの7日間
 所幸則 Tokoro Yukinori

■歌う田舎者[05]
 女はそれを我慢できない
 もみのこゆきと


■映画と夜と音楽と...[443]
「極妻」になった姐さんの半世紀

十河 進
< https://bn.dgcr.com/archives/20091127140300.html
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〈馬鹿が戦車でやって来る/五辧の椿/心中天網島/はなれ瞽女おりん/極道の妻たち〉

●伊勢志摩スペイン村の看板に岩下志麻が...

あれはもう、15年以上も昔のことになってしまった。40を過ぎて運転免許を取り、その年の年末年始に遠出をするために伊勢志摩にあるヤマハリゾートのホテルを予約した。もちろん出版健保が契約していたから、大晦日と元旦に2泊したのに異常に安かった。家族4人で初日は会席コース、翌日はフランス料理のコースだった。

カミサンはずっと昔に免許を取得していたから、運転は交替でやるはずだった。しかし、若葉マークのついた車を運転することに彼女のプライドは耐えられなかったのだろう、結局、ほとんど僕が運転した。常磐高速から首都高を抜け、東名から伊勢の高速を走った。ヤマハリゾートに着いたときは青息吐息、桃色吐息だった。

しかし、2日間、ゴーカートやライフル・シューティングやアーチェリーで遊び、すっかりリラックスしたのか、正月二日に帰るときは長距離運転にも慣れ、周囲を見る余裕も生まれた。帰りに松坂によってステーキを食べようということになり、一般道路をゆっくりと走っていた。

そのとき、伊勢志摩のスペイン村を宣伝する看板が見えた。巨大な岩下志麻が立っていた。「伊勢志摩だから岩下志麻かよ」と僕は言った。「そう言えば、岩下志麻が着物姿でサーフィンしているテレビCMが関西では流れてるそうよ」と、カミサンは答えた。僕は「極道の妻たち」(1986年)の「姐さん」がサーフィンをしているイメージが浮かんだ。

岩下志麻は日本を代表する大女優になったが、「極道の妻たち」以降は貫禄が付きすぎて少し怖い。それ以前の70年前後の頃には「最も濡れ場のうまい女優」と言われた時期がある。ベテラン女優になった「影の車」(1970年)「内海の輪」(1971年)の頃のことだ。それより以前、デビュー当時は可憐で、清楚な美人女優だった。

伊勢志摩スペイン村のイメージキャラクターに起用されていたことに衝撃を受けた(?)のは、僕が岩下志麻を好きだったからだ。僕より少し上の世代になるけれど「がきデカ」で有名な山上たつひこさんは「新喜劇思想体系」というトンデモないマンガを描いていて、そこに登場する和服美人は「志麻さん」と呼ばれ、間違いなく岩下志麻をイメージしている。

つまり、昭和20年代に生まれた世代にとって、岩下志麻は清楚な美人女優であり、後年、「濡れ場の悶え方が真に迫っている」とか「幹部たちを仕切る姐さんの迫力が凄い」などと評されるとは想像もできなかったのである。岩下志麻はNHK連続ドラマ「バス通り裏」でデビューし、原節子を失った小津安二郎がようやく見付けたミューズ(想像の女神)だったのだ。

岩下志麻はすでに巨匠と呼ばれていた小津安二郎監督の「秋日和」(1960年)にちょい役で出演し、小津の最後の作品になった「秋刀魚の味」(1962年)が21本目の作品である。2年間にそれだけの作品に出るほど売れっ子になっていた。「秋刀魚の味」の前には、小林正樹監督の名作「切腹」(1962年)で仲代達矢の娘を演じた。

●淫乱な母親まで焼き殺す美しき連続殺人者

作家の辻真先さんは「バス通り裏」のディレクターだったのだが、辻さんのサイトを見ると、当時のことが写真と共に語られている。そこには高校生だった岩下志麻が辻さんの部屋に遊びにきたときのスナップや、十朱幸代たちと一緒に岩下志麻が浜辺を歩いている写真が掲載されていた。

十朱幸代も「バス通り裏」でデビューした人だが、彼女のお父さんは俳優の十朱久雄だ。僕は「TVタックル」に出てくる政治評論家三宅某を見るたびに、十朱久雄を思い出す。どちらかと言えば寅さんシリーズのタコ社長に似ていて、娘が十朱幸代だとは信じられなかった。岩下志麻のお父さんも野々村潔という俳優で、この人は上品な紳士に見えたし禿げてもいなかった。

僕が岩下志麻を見たのは「秋刀魚の味」が最初だったかもしれないが、忘れられない女優になったのは「馬鹿が戦車でやって来る」(1964年)を見たからだ。ハナ肇の「馬鹿」シリーズで、監督は山田洋次だった。戦争でおかしくなったと思われ村八分にされているハナ肇を、初めて理解するのは岩下志麻が演じた娘である。

ラストシーン、ハナ肇は納屋に隠していた戦車(タイトルにはタンクとルビを振っていた)に乗って馬鹿にしていた村人たちに仕返しをし、海の中に消えていく。差別される者、虐げられる者に寄せる岩下志麻の演じた娘のやさしさが印象に残った。美人だなあ、と姉に憧れるようにスクリーンを見つめた。あのとき、彼女は23歳で、僕は13だった。

「馬鹿が戦車でやって来る」の前作が「五辧の椿」(1964年)である。山本周五郎の代表作で、映画も評判になった。美しき連続殺人者を演じた岩下志麻の演技が激賞された。父親の復讐のために淫乱な母親まで焼き殺すのだが、振り袖姿の岩下志麻は悲しみに充ちた復讐者を熱演した。

「五辧の椿」の前半は岩下志麻の殺人を描く倒叙もの、後半は与力(加藤剛)が謎を追う本格推理ものになるのだが、その構成がよくできていて、この時期の岩下志麻の代表作だと僕は思う。映画が始まっていきなり、岩下志麻が男を誘惑して殺すのだが、その理由は途中まで明かされない。時代推理サスペンスものとしても映画史に残る作品だろう。

さて、岩下志麻が一般的な人気を得たのは1966年である。その年、NHK朝のテレビ小説で人気が出た「おはなはん」を映画化するに当たって、松竹はテレビ版ヒロインの劇団民藝の新人女優だった樫山文枝ではなく岩下志麻を起用した。また、利根川裕のベストセラー「宴」の映画化のヒロインも岩下志麻が演じたのだ。

その当時、「おはなはん」と「宴」は誰でも知っている物語だった。その映画版のヒロインを誰が演じるかは、大げさに言えば国民的関心だったのだ。その頃の人気を背景にして、岩下志麻は珍しくテレビのシリーズドラマに出演した。「花いちもんめ」という作品で、もちろん僕は毎回見ていた。優しい姉に憧れるような視線でブラウン管を見つめた。

しかし、賢明な岩下志麻はアイドル的な人気者ではなく、演技者としてのキャリアを重ねていく。それは「あかね雲」(1967年)で一緒に仕事をした篠田正浩監督を生涯のパートナーとした選択とも関わっているのかもしれないが、やはり僕は岩下志麻の賢明さが、その後の大女優への途を拓いたのだと思う。

そして、岩下志麻は篠田正浩と共に表現社という独立プロを設立し、彼女の最高作になる作品にチャレンジする。それは、彼女にとっても、最も思い出深い仕事であり、キネマ旬報ベストテン一位という評価の高い作品になった。彼女は28歳で、僕は18歳、高校3年生だった。

●制約の中でどれだけ表現的な実験ができるかを試す

「心中天網島」(1969年)を僕は高松で見ている。当時、アート・シアター・ギルド(ATG)作品を他の作品と3本立てで上映する二番館が、三越裏にあったのだ。僕は、そこでATGの「肉弾」や「少年」を見たし、東映の添え物映画「不良番長」シリーズなども見た。日活の「女の警察」「ネオン警察」シリーズも併映された。知識欲と性欲が両方充たされるヘンな映画館だった。

「心中天網島」は斬新な映画だった。ファーストシーンは太鼓橋を正面から捉えたショットで、主人公の紙屋治兵衛(中村吉右衛門)が憂鬱な顔をして橋を渡ってくる。登って降り、登って降りするから治兵衛の姿はしだいに現れて、またしだいに消えていく。錦帯橋でのロケだと思うけれど、こちらから修行僧の一団などを渡らせ、いきなり観客を引き込むショットだった。

制作費を抑えるためだろうが、その制約の中でどれだけ表現的な実験ができるかを試したような映画で、そのすべてが成功した珍しい映画だと僕は思った。前衛的な表現に18の僕は興奮した。配役だって出演料を削るためだろうが、遊女のおさんと治兵衛の妻の小春は岩下志麻の二役なのである。もちろん、小春はお歯黒を塗り、ふたりを間違うというビジュアル的な混乱はないが、それがかえって効果を上げていた。

昨年、電通報に岩下志麻が「忘れ得ぬふたつの映画─女優生活五十周年を迎えて─」というエッセイを寄せていた。彼女は女優生活の節目になったのは「心中天網島」と「はなれ瞽女おりん」(1977年)だと書いている。特に「心中天網島」のことを製作の裏話から書いていて、自身の二役については次のように述べていた。

──おさんは日常の中にいて、小春は官能の世界に生きている。女房のおさんは眉毛を剃ってお歯黒にして声も低めにし、母親の温もりを感じられるように綿の入った襦袢を着て、体に丸みをつけてみました。そして、小春は愛人のはかなさが出せればと思い、白塗りにして眉毛も普通の位置より高めに弓なりに描いて、ちょっと見ると人形のような作りにしてみました。

なるほど女優だな、とこれを読んで思った。見た目のことしか書いていない。演技は観客に見えるもので伝える。体つき、動作、仕草、表情...、そんなものすべてがおさんや小春の感情や気持ちを表現するのである。そのために、女優は体の丸みや眉の位置まで気を配るのか。この文章を読んで、岩下志麻が50年にわたって日本の代表的な女優でいられた理由がよくわかった。

最後の道行きの撮影は、2月の京都でロケされたという。「凄まじい寒さの中に雪が舞い、台詞が思うように言えないほど体が凍えてしまった」と岩下志麻は簡単に書いているが、「心中天網島」の道行きシーンでふたりは着物をはだけた半裸状態で川に浸かるのだ。役者は大変だと改めて思う。

それにしても愛する新妻を篠田監督は過酷な撮影に追い込んでいたのだなと、どちらも表現者である夫婦の凄さみたいなものも感じた。ある時期まで、篠田作品のヒロインは岩下志麻だった。やがて、彼女が歳を重ねてヒロインを演じられなくなると脇にまわるようになったが、篠田作品のすべてに岩下志麻は出演している。

そういえば、「はなれ瞽女おりん」(1977年)を日比谷にある東宝本社の試写室で見ていたとき、一番後ろのドアのそばに大きな男が立っているのに気付いた。試写が終わって明かりが点くと、篠田正浩監督だった。観客の反応を見たかったのだろう。残念ながら岩下志麻はいなかった。

「はなり瞽女おりん」は、盲目の役である。岩下志麻は撮影の半年前から三味線を習い、日常も目を閉じて暮らしていたという。目を閉じて歯を磨き、顔を洗い、身支度をして、食事をする。やがて、目を閉じていることに慣れ、空気や風が感じられるほど五感が研ぎ澄まされた。やはり、才能があり、それを開花させられる人は、きちんと努力をしているのだ。

キャリアを重ねた岩下志麻は、篠田作品以外で自分の年齢に合うヒロインを演じた。80年代に一世を風靡した「極道の妻たち」シリーズが代表的な例だろう。着物姿でスックと立ち、リボルバーを構える姿に説得力を持させることなど、他の誰にできるだろうか。ドスを利かせた声で「覚悟しーや」と、男たちを震え上がらせることができる女優が他にいるだろうか。

15年前、松坂近くの道路脇に立っていたスペイン村の看板に向かって、僕は「姐さん!」と呼びかけながらその下を走り抜けたものだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

会社の面接にきた新卒の人に訊くと、30社以上受けて内定は得られなかったという。新聞にも悲惨な就職状況が出ていた。働く意欲のある若い人が不況にぶつかり職を得られない話を聞くと、僕は人ごとではない気持ちになる。自分の就職の時のことを思い出すからだ。古い話だけれど、僕はオイル・ショックにときに就職試験を受け続けていた。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html
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受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm
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< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html
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■ところのほんとのところ[28]
パリの7日間

所幸則 Tokoro Yukinori
< https://bn.dgcr.com/archives/20091127140200.html
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◎1日目
パリに着いたらいきなり、迎えに来てくれた西美さん(画家)の知り合いの個展のオープニングに連れて行かれた。[ところ]はつかれているのだけれど...。このまま寝ないでパリで深夜まで起きていた方が、時差ぼけにならないし、パリ初日にすぐ寝るのもどうかなっていわれ、ま、まあたしかにそうだけど。

結局、日本で5時に起きて、オープニングと会食につき合って寝たのが日本時間の8時だから27時間起きてたことに。すっごい眠たかったです。だけど、日仏ハーフなのにほとんど日本語喋れないAliceちゃんが一生懸命、[ところ]の写真と自分のしたい表現について話してくれて随分助かった。洋服の方のデザイナーらしい。

◎2日目
2日目はとにかくバスティーユまでメトロ1号線で向かい、写真を撮りまくる。本当は偵察気分だったけどなんだか火がついちゃって...。16GBのカード5枚分撮ってしまった。

だいたい[ところ]は、2時間以上集中すると消耗しきってしまう。ふらふらになりながら、バスティーユの最近人気のカフェっぽいレストランで食事。フォアグラのテリーヌと、ステーキ。フライドポテトをほとんど残してたら、みんなに、トコロはフリッツ(フライドポテトをフランスではこう呼ぶ)が嫌いなのか? とせめられた。ほんとフランス人てフリッツが好きだね。夜のパリフォトのレセプションはパス。疲れて爆睡......。

◎3日目
3日目、朝はいつもクロワッサンを常宿の近所で買うのが習慣。それを持って西美さんのアトリエに行き、コーヒーを飲みながら食べる。とりあえずギャラリー21のキュレーターの太田さんと、岡山君と11時にルーブルの「パリフォト」の入り口で待ち合わせしてるのでそこに向かう。待ってたら、もうひとり思いがけない人がいた。写真家のM.HASUIさんだ、初めて挨拶してしゃべる。ちょっと緊張した。有名人と会うのはやっぱりね(笑)

みんなで「EYEMAZING」のスーザンのところにいき、新作を見せる。太田さんに通訳してもらう。もともと「パリフォト」に寄るのはそれだけが目的だった。パリの撮影と、その後のドイツのとある街を、今後どう撮るか考えるために見に行く。それがヨーロッパにきた本来の目的、だけどせっかくお互いパリにいるんだし、新作持ってチラットだけ。

「EYEMAZING」の彼女は、僕の写真の黒が凄く好きなんだそうで、もちろん来年の号で新作をまた特集したいと、本当にすごい笑顔で迎えてくれた。で、あとは太田さんと情報交換のはずだったけど...。

「EYEMAZING」のスーザンいわく、パリでトップクラスの老舗ギャラリーbaudoin lebonのディレクターがトコロの写真が良いって誉めてたから、行ってくるといいと言われ、彼女の推薦で会場で見てもらうことに。

アートフェアの会場内でなんて、普通は礼儀的にありえないんだけど、紹介の場合はいいのかな。相手が見たいというわけだから...。「eyemazing」のスーザンにそういわれたと言えば大丈夫だからということで、太田さんと二人で向かう。

baudoin lebonのブロンドの女の子が、いきなりもの凄く喜んでくれた。一番偉いディレクターが16時に来るから、是非もう一度来てくれと言われうれしいんだけど。太田さんが13時半にはいなくなっちゃう...。えーと、英語もフランス語も喋れない僕だけでー??

とりあえず時間が空いたので、後藤繁雄さんとうつゆみこさんに会いにGPのブースに。ギャラリーの話を一応してみる、情報収集です。後藤さんも、そこはパリでも老舗だねーって言う。渋谷のシリーズは凄くいいからよかったですね、だって。そうかー、随分広いブースだったなー、たしかに。

それにしても荷物が重い。でっかいA2サイズ(重さ10キロ)のケースをスーザンに預けて、ルーブル近辺を偵察に。ここも僕のテーマであるパリメトロ1号線沿いだし、と思いながら撮り始める。燃えた。また2000枚近く撮ってしまった。いいのが撮れたけど。ふらふらになりながら、また「パリフォト」会場へ。

一番偉いディレクターと、興奮してたさっきの子も来た。どうやら彼女もキュレーターらしい。ビューティフルとかクールとか時々聞こえてくるけど、ほとんどフランス語なので、よくわからず。ニッコリ笑って帰る...。こういうとき語学で損してるなーと思う。疲れたー。

ホテルの側で飯。鴨の内臓のテリーヌと生ハムと鴨の脚のコンフィがのったサラダを食べる。ここのお店はいつも並ぶけど、ほんとうまい。ナシオン地区一のお薦めの店。名前知らない...。

◎4日目
4日目、朝は変わらずクロワッサン食べて終わり。僕の撮影風景を撮ってもらいに(12月20日売りの「キャパ」用)ギャラリー21の岡山君が泊まっているホテルの側のオペラ座で待ち合わせ。撮ってもらって、帰りは偵察しながら撮影。また2000枚撮った...。

筋肉痛と疲労がピークだけど、データの整理をしなくては。2TBのHD持って来た意味ないし...。ほんと整理だけでも疲れるね。

◎5日目
5日目はさすがにもう撮影はやめ! 体力回復に、参鶏湯を食べに西美さんとオペラ座近くの韓国料理屋に。もう一度通訳を頼んだ西美さんと、baudoin lebonのディレクターに会いに「パリフォト」会場に向かう。においが気になるかもってことで、エスプレッソを飲みに、まずカフェに寄る。

超ハイテンションの彼女がまたお出迎えしてくれる。こんなに笑顔だと惚れそうだ。ディレクターを呼ぶから30分後に! ってことで「パリフォト」をうろつく。うーん、去年より面白いかも。今年はアラブエリアが招待年だ。日本年の去年は、ある意味見慣れたものも多かったということもあるかもしれない。アラブエリアのギャラリーの写真は、見たことがないタイプのものも多く刺激的だ。

で、30分後。前回見せたときの感想を聞きたいのと、お礼の挨拶。私たちはとても気に入っている、ミィーティングにかけたいと思ってる、とのこと。うれしい!

良いことがあったので、頼まれてた土産を買いに行く。しかし、五つ星に泊まっているギャラリー21の人のところも、[ところ]のところも、西美さんのアトリエも、今いちネットが遅い。なぜ? ニコ動もこれではちゃんとできないようなきがする。毎週土曜日のニコニコ動画は、日本に帰るまでお休みにして今日は早めにねよう。[ところ]は一人旅が好きじゃないのかも。だんだん辛くなって来た。

◎6日目
6日目は、風が強くて。曇ってて、たまに雨がぱらつく。風はごうごう音をたてて寒い。とうとうパリの冬が近づいた感じ、今年は去年より全然寒くなくてビックリしてたんだ。リヨン駅周辺を偵察していて、いいポイントがありそうな場所に引き寄せられるままに歩いていたら、絶好のポイントを見つけた。

晴れた日ならかなり良い場所だ。憶えておかなければ! 巨大な建物の中を歩いたり登ったりしてたら行き着いたんだけど、たぶん平日だと入れない。なんだか会社の敷地内のような感じ。

しかも途中にテントが点在してて、ホームレスの溜まり場の横を通らなきゃいけなかったので、かなり怖かった。巨大な建築物の中にあるんだ。突っ切ったのはいいけど、帰りも同じ場所通らないと帰れないのかもと思ってたらやっぱりそうだった。うーん。渋谷のガード下は怖くないんだけど、外国だと怖い。あのポイントでは撮りたいからまた行くだろうけど、何年も住んでたら平気なのかなー。渋谷で見かけても平気なように。

◎7日目
7日目にはドイツに上陸するための準備と、パリで撮った写真をとりあえずセレクトして、文章を書いてもらうギャラリー21の太田さんに何点か送らなければ、ということで大雑把ではあるが5点仕上げた。疲労で倒れました......。明日はドイツに発つ日だ。大丈夫だろうか、旅慣れないところとしては不安がいっぱいなのである。

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/
>
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/
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■歌う田舎者[05]
女はそれを我慢できない

もみのこゆきと
< https://bn.dgcr.com/archives/20091127140100.html
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恥の多い生涯を送ってきました。罪深い行いもたくさんしてきました。このまま死んでしまいたいと、自らを責め苛んだことも一度や二度ではありません。それでも生きていかねばならない。神は自ら命を絶つことをお許しにはならないのですから。それなら、この場でひとつずつの罪業をつまびらかにし、神の許しを乞いながら、天に召される日を待ち続けることにいたします。

それは10年前の枯葉散る秋の夜でした。出来心で罪を犯してしまったわたくしに、神は大いなる罰をお与えになったのです。

週末の夜、同僚と食事を楽しんだ帰り道。家まであと5分ほどで到着する片側1車線の道路を走っているときのことでした。

「あー、ちょっとすみませーん。検問にご協力くださーい」
赤く光る棒をぐるりと回し、わたくしの車を止めたのは若い警官です。車の窓を開けると、冷えた秋の空気が車内に流れ込んできました。
「お忙しいところ申し訳ありません。免許証を拝見できますか」

窓からこちらを覗き込んだ警官は、年の頃、28歳ほど。浅黒い肌に精悍なマスク。鍛えられた肉体に隙のない動作。薩摩藩風に言うとヨカニセとでも申しましょうか、たいへんに美しい男でした。バッグから取り出した免許証を手渡したわたくしは、警官がチェックしている間もその美しい見目形に見惚れていました。
......あぁ、この男を彫像にしてずっと家に閉じ込めておきたい。つれづれなるままに、心にうつりゆくよしなし事を語りかけ、そこはかとなくその厚い胸板を撫で回し、倒錯の調べに溺れたい。あやしうこそものぐるほしけれ。でへへへへ。

「はい、ありがとうございます」
不埒な妄想を破る声で我に返り、顔を赤らめるわたくし。返された免許証を再びバッグに仕舞っているときでございます。
「じゃ、息を吐いてください」
「......は? 何と申されました?」
「息を吐いてください」
「どこに」
「ここに」
そういって、警官は自分の鼻を指差しました。
「な、な、なんですってぇ!?」

このわたくしに、あなたの鼻先に向かって息を吐けと??
......できない。そんなことできませんわっ。だって、わたくしが今日の食事の最後に食べたものは『ニンニクたっぷりチャーハン』。しかもその前に食べたのは『ペペロンチーノ』。食後に殿方と会えないほど、絶望的にニンニクが効いた料理ばかりだったのでございます。それなのに、監禁したいくらい美しいあなたの鼻先に向かって息を吐けと??

皆様ご存じでしょうか。竹宮恵子の名作「風と木の詩」。主人公のジルベールが無理やり男子生徒にキスされたとき、『カレースープの味がするキスなんて。ゲス野郎!』と叫ぶシーンがございました。なんて屈辱的なセリフでしょう。もし愛する殿方と接吻して、このようなことを言われたら、舌を噛み切って死んだほうがマシでございます。あの名作を読んで以来、わたくし、カレースープだけは食べないことにしようと心に誓っているのです。もし、美しい警官に『ニンニク臭い息を吐くなんて。クソババァ!』などと思われでもしたら、ジルベールのセリフと同じくらいの屈辱。わたくしの女としてのプライドはズタズタでございます。

それでも、薩摩藩では警官に逆らうなど考えられないこと。『泣く子と地頭には勝てない』と申しますが、薩摩藩では『公務員と警官には勝てない』のでございます。この世でもっとも偉いのは公務員と警官。逆らったら辻斬りされても文句は言えないお国柄。公務員とか警官と聞いただけで平民は道にひれ伏し、恐れおののいて震えているのでございます。もし警官の命令を拒んだら、公務執行妨害で市中引き回しの上、打ち首に処されるやもしれませぬ。

クソババァを選ぶか、打ち首を選ぶか。わたくしは人生の岐路に立たされました。しかしながら、女の尊厳を失ってまでおめおめと生き延びることにどんな人生の意味がありましょうや。女はそれを我慢できない(※1)のです。やはり拒否、断固拒否ですわ。毅然として打ち首を選びましょうぞ。

「絶対にいやでございますっ。いっそ今すぐアルコール検知器にかけてくださいまし。風船でも何でも膨らませてご覧に入れますわ!」意を決してそう叫びかけました。そして、ハタと気付いたのでございます。

わたくし、ワインを2杯飲んでいたのです。アルコールで顔色が変わることもなく、酒豪と呼ばれていた当時のわたくし。ワイン2杯程度なら大丈夫と、つい誘惑に負けていたのでした。風船など膨らましたら、アルコール検知器に反応してしまうかもしれません。そうなると、市中引き回しで打ち首どころか、むち打ち、石抱き、海老責めなどされた挙げ句の果てに、鋸引きの刑にされてしまうかもしれません。

吐くも地獄。吐かぬも地獄。
神よ、あなたはなんという罰をわたくしにお与えになったのですか。
「どうなさいました? 息を吐いてください。さぁ、どうぞ」
窓から顔を突っ込む警官。
「さぁ、あとがつかえていますから」
「.........」
「さぁ、どうぞ」
ついに観念したわたくし。ほんの少し、ほんの少しだけ、警官の鼻先に息を吐きました。

ふたりの間に舞い落ちる色づいた枯葉たち。微妙な間をおいたあと、美しい警官は無表情で「ありがとうございました。お忙しいところお邪魔して申し訳ありませんでした。安全運転でお帰りください」と、型どおりの挨拶を口にし、赤く光る棒を回してわたしの車を送り出しました。でも、彼がひそやかに左の眉をひそめたことを見逃さなかったわたくしです。

あぁ、なぜ飲酒運転などしてしまったのでしょう。ワインさえ口にしていなければ、女の尊厳を守るため、自らの首を差し出した聖女として歴史に名を残せたものを......。わたくし......わたくしこのまま、はかなくなってしまいとうございますっ。

日本では、道路交通法第65条第1項において「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」と規定されております。バイクや自転車はもちろん、牛馬に乗っての飲酒運転も禁じられております。「おらこんな村いやだ」(※2)と、酒をかっ食らってベコに乗っても取り締まりの対象となるのでございます。そろそろ忘年会華やかな季節。御酒を召し上がる際には、ゆめゆめ御国の決まりごとを破ることのないようになさいませ。たとえ法律で罰せられなかったとしても、わたくしのように神が罰をお与えになることもあるのですから。

あれから10年が経っても、秋深まる頃になると、わたくしは歌うのです。
The falling leaves drift by the window(※3)
枯葉の朱色や黄金色を見ると
秋の夜に「息を吐け」といったあなたの唇や
免許証を差し出す陽に灼けた掌を想うのです

※1「女はそれを我慢できない」アン・ルイス
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※2「俺ら東京さ行ぐだ」吉幾三
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※3「AUTUMN LEAVES」Eva Cassidy
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「窓辺でゆれる枯葉の朱色や黄金色を見ると、夏の日にキスしたあなたの唇や、陽に灼けた掌を想うのです」がホンモノです。

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。
飲酒運転、大変反省いたしております。ごめんなさい、ごめんなさい。鋸引きの刑でございますが、かつてNHK大河ドラマ「黄金の日々」で、川谷拓三演じる杉谷善住坊が織田信長狙撃の咎により科された刑罰でございます。首まで土中に埋めて、通りすがりの通行人に鋸で少しずつ首を挽かせるという処刑方法でございますが、幼心にその衝撃は大きく、大人になっても織田信長だけは襲わないようにしようと決心したわたくしでございました。

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■編集後記(11/27)

ライアーゲーム DVD BOX・火曜日にはTVドラマ「ライアーゲーム」を見る。じつにおもしろい。シーズン1のときは一度も見ていない。バカ正直でお人好しな女子大生・直。冷静で大胆で、ほとんど無敵と思われる秋山。このふたりが主役で、謎の組織が運営するゲーム・トーナメント「ライアーゲーム」(騙し合いのゲーム)に参戦する。勝てば大金を得られるが、負けると巨額の借金を背負わされるのは賭博の常識だが、この簡単(に見えて複雑)なゲームで動く金は半端ではない。「24連装ルーレット」「17ポーカー」のふたつの対戦を見たが、よくわからない。解説を見るとわかったような気がするが、じつはよくわからない。
LIAR GAME (1) (ヤングジャンプ・コミックス)これではいかんと、原作のマンガ(甲斐谷忍「LIAR-GAME」集英社)を4巻まで読んで勉強する。ここでは、「マネー奪い合いゲーム」「少数決ゲーム」「リストラゲーム」「密輸ゲーム」が描かれる。第1回戦の「マネー奪い合いゲーム」は簡単なトリックで、これなら想定内と舐めていたが、それ以降のゲームはルールはわかるが勝つ方法がまったくわからない。それは運任せではなく、知恵と交渉力で勝ち取るものである。その仕組みは、心理学、数学を駆使(たぶん)しており、頭をフル回転させないと理解できない。ゲームは作者自身が考案したものだという。騙し、騙され、逆転につぐ逆転。必勝法があるが、進行する状況次第でそれさえも崩れさる。読んでいて、プレイヤー同様に翻弄される。直はこのゲームの本質、参加者全員が正直であれば全員が救われる、ということを見抜いているのだが......。ああ、続きを読まなければ。(柴田)
< http://wwwz.fujitv.co.jp/LG2/
>  ライアーゲーム シーズン2
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4088768558/dgcrcom-22/
>
→アマゾンで見る(レビュー27件)

Wii専用 D端子AVケーブル・大型テレビ(フルHD)にしてから、以前から使っていたDVDレコーダーの画像だと解像度が足りない。そしてそのレコーダーにはD端子までしかない。テレビの表示をフルからノーマルにしても荒れる。地上波でも番組によっては解像度の足りないものがあったりする。PS3と映画のブルーレイディスク(T4)を買ってはじめて、矢沢さんが「もったいない」と言っている意味がわかった。地上波テレビを見ている限り、正直、女優さんたちのシミ皺が目立つなぁと思うだけで、画質の良さなんて気にしていなかったが、映画だと画質の良さは迫力に繋がる気がする。見たことのある映画なので、一部しか再生せず、画質のみに感動していたが、知らない映画ならたぶん。とにかく光が綺麗、というかくっきり見え過ぎ。自分が普段周囲を何気なく見ているのより、解像度が高い気がするというか。TVをシアターモードにしてやっと映画館の落ち着いた映像になった。録画用ブルーレイレコーダーを買わねば......。/PS3の体験版ゲームの画質の良さに驚き、そりゃHDMIだし、とWiiをWii専用AVケーブル(同梱分)で繋いでみたら、少々ぼけるもののそれなりに見られる。PS2(PSX)はD端子でやっと見られるようになったのになぁ。WiiにはコンポーネントもD端子もあるからもっと綺麗に見られそう。/とアマゾンのレビューを読んでみたら、あんまり変わらないよ、とあった。/↑1の方が面白いと思う〜。(hammer.mule)
< http://www.nintendo.co.jp/wii/accessories/
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D2(フルHD未対応)までか......
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000KF7S4G/dgcrcom-22/
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→アマゾンでWii専用D端子を見る(レビュー41件)