映画と夜と音楽と...[443]「極妻」になった姐さんの半世紀/十河 進

投稿:  著者:  読了時間:11分(本文:約5,200文字)


〈馬鹿が戦車でやって来る/五辧の椿/心中天網島/はなれ瞽女おりん/極道の妻たち〉

●伊勢志摩スペイン村の看板に岩下志麻が...

あれはもう、15年以上も昔のことになってしまった。40を過ぎて運転免許を取り、その年の年末年始に遠出をするために伊勢志摩にあるヤマハリゾートのホテルを予約した。もちろん出版健保が契約していたから、大晦日と元旦に2泊したのに異常に安かった。家族4人で初日は会席コース、翌日はフランス料理のコースだった。

カミサンはずっと昔に免許を取得していたから、運転は交替でやるはずだった。しかし、若葉マークのついた車を運転することに彼女のプライドは耐えられなかったのだろう、結局、ほとんど僕が運転した。常磐高速から首都高を抜け、東名から伊勢の高速を走った。ヤマハリゾートに着いたときは青息吐息、桃色吐息だった。

しかし、2日間、ゴーカートやライフル・シューティングやアーチェリーで遊び、すっかりリラックスしたのか、正月二日に帰るときは長距離運転にも慣れ、周囲を見る余裕も生まれた。帰りに松坂によってステーキを食べようということになり、一般道路をゆっくりと走っていた。

極道の妻たち [DVD]そのとき、伊勢志摩のスペイン村を宣伝する看板が見えた。巨大な岩下志麻が立っていた。「伊勢志摩だから岩下志麻かよ」と僕は言った。「そう言えば、岩下志麻が着物姿でサーフィンしているテレビCMが関西では流れてるそうよ」と、カミサンは答えた。僕は「極道の妻たち」(1986年)の「姐さん」がサーフィンをしているイメージが浮かんだ。



影の車 [DVD]岩下志麻は日本を代表する大女優になったが、「極道の妻たち」以降は貫禄が付きすぎて少し怖い。それ以前の70年前後の頃には「最も濡れ場のうまい女優」と言われた時期がある。ベテラン女優になった「影の車」(1970年)「内海の輪」(1971年)の頃のことだ。それより以前、デビュー当時は可憐で、清楚な美人女優だった。

伊勢志摩スペイン村のイメージキャラクターに起用されていたことに衝撃を受けた(?)のは、僕が岩下志麻を好きだったからだ。僕より少し上の世代になるけれど「がきデカ」で有名な山上たつひこさんは「新喜劇思想体系」というトンデモないマンガを描いていて、そこに登場する和服美人は「志麻さん」と呼ばれ、間違いなく岩下志麻をイメージしている。

つまり、昭和20年代に生まれた世代にとって、岩下志麻は清楚な美人女優であり、後年、「濡れ場の悶え方が真に迫っている」とか「幹部たちを仕切る姐さんの迫力が凄い」などと評されるとは想像もできなかったのである。岩下志麻はNHK連続ドラマ「バス通り裏」でデビューし、原節子を失った小津安二郎がようやく見付けたミューズ(想像の女神)だったのだ。

秋日和 [DVD]岩下志麻はすでに巨匠と呼ばれていた小津安二郎監督の「秋日和」(1960年)にちょい役で出演し、小津の最後の作品になった「秋刀魚の味」(1962年)が21本目の作品である。2年間にそれだけの作品に出るほど売れっ子になっていた。「秋刀魚の味」の前には、小林正樹監督の名作「切腹」(1962年)で仲代達矢の娘を演じた。

●淫乱な母親まで焼き殺す美しき連続殺人者

作家の辻真先さんは「バス通り裏」のディレクターだったのだが、辻さんのサイトを見ると、当時のことが写真と共に語られている。そこには高校生だった岩下志麻が辻さんの部屋に遊びにきたときのスナップや、十朱幸代たちと一緒に岩下志麻が浜辺を歩いている写真が掲載されていた。

十朱幸代も「バス通り裏」でデビューした人だが、彼女のお父さんは俳優の十朱久雄だ。僕は「TVタックル」に出てくる政治評論家三宅某を見るたびに、十朱久雄を思い出す。どちらかと言えば寅さんシリーズのタコ社長に似ていて、娘が十朱幸代だとは信じられなかった。岩下志麻のお父さんも野々村潔という俳優で、この人は上品な紳士に見えたし禿げてもいなかった。

秋刀魚の味 [DVD]僕が岩下志麻を見たのは「秋刀魚の味」が最初だったかもしれないが、忘れられない女優になったのは「馬鹿が戦車でやって来る」(1964年)を見たからだ。ハナ肇の「馬鹿」シリーズで、監督は山田洋次だった。戦争でおかしくなったと思われ村八分にされているハナ肇を、初めて理解するのは岩下志麻が演じた娘である。

ラストシーン、ハナ肇は納屋に隠していた戦車(タイトルにはタンクとルビを振っていた)に乗って馬鹿にしていた村人たちに仕返しをし、海の中に消えていく。差別される者、虐げられる者に寄せる岩下志麻の演じた娘のやさしさが印象に残った。美人だなあ、と姉に憧れるようにスクリーンを見つめた。あのとき、彼女は23歳で、僕は13だった。

「馬鹿が戦車でやって来る」の前作が「五辧の椿」(1964年)である。山本周五郎の代表作で、映画も評判になった。美しき連続殺人者を演じた岩下志麻の演技が激賞された。父親の復讐のために淫乱な母親まで焼き殺すのだが、振り袖姿の岩下志麻は悲しみに充ちた復讐者を熱演した。

「五辧の椿」の前半は岩下志麻の殺人を描く倒叙もの、後半は与力(加藤剛)が謎を追う本格推理ものになるのだが、その構成がよくできていて、この時期の岩下志麻の代表作だと僕は思う。映画が始まっていきなり、岩下志麻が男を誘惑して殺すのだが、その理由は途中まで明かされない。時代推理サスペンスものとしても映画史に残る作品だろう。

さて、岩下志麻が一般的な人気を得たのは1966年である。その年、NHK朝のテレビ小説で人気が出た「おはなはん」を映画化するに当たって、松竹はテレビ版ヒロインの劇団民藝の新人女優だった樫山文枝ではなく岩下志麻を起用した。また、利根川裕のベストセラー「宴」の映画化のヒロインも岩下志麻が演じたのだ。

その当時、「おはなはん」と「宴」は誰でも知っている物語だった。その映画版のヒロインを誰が演じるかは、大げさに言えば国民的関心だったのだ。その頃の人気を背景にして、岩下志麻は珍しくテレビのシリーズドラマに出演した。「花いちもんめ」という作品で、もちろん僕は毎回見ていた。優しい姉に憧れるような視線でブラウン管を見つめた。

しかし、賢明な岩下志麻はアイドル的な人気者ではなく、演技者としてのキャリアを重ねていく。それは「あかね雲」(1967年)で一緒に仕事をした篠田正浩監督を生涯のパートナーとした選択とも関わっているのかもしれないが、やはり僕は岩下志麻の賢明さが、その後の大女優への途を拓いたのだと思う。

そして、岩下志麻は篠田正浩と共に表現社という独立プロを設立し、彼女の最高作になる作品にチャレンジする。それは、彼女にとっても、最も思い出深い仕事であり、キネマ旬報ベストテン一位という評価の高い作品になった。彼女は28歳で、僕は18歳、高校3年生だった。

●制約の中でどれだけ表現的な実験ができるかを試す

心中天網島 [DVD]「心中天網島」(1969年)を僕は高松で見ている。当時、アート・シアター・ギルド(ATG)作品を他の作品と3本立てで上映する二番館が、三越裏にあったのだ。僕は、そこでATGの「肉弾」や「少年」を見たし、東映の添え物映画「不良番長」シリーズなども見た。日活の「女の警察」「ネオン警察」シリーズも併映された。知識欲と性欲が両方充たされるヘンな映画館だった。

「心中天網島」は斬新な映画だった。ファーストシーンは太鼓橋を正面から捉えたショットで、主人公の紙屋治兵衛(中村吉右衛門)が憂鬱な顔をして橋を渡ってくる。登って降り、登って降りするから治兵衛の姿はしだいに現れて、またしだいに消えていく。錦帯橋でのロケだと思うけれど、こちらから修行僧の一団などを渡らせ、いきなり観客を引き込むショットだった。

制作費を抑えるためだろうが、その制約の中でどれだけ表現的な実験ができるかを試したような映画で、そのすべてが成功した珍しい映画だと僕は思った。前衛的な表現に18の僕は興奮した。配役だって出演料を削るためだろうが、遊女のおさんと治兵衛の妻の小春は岩下志麻の二役なのである。もちろん、小春はお歯黒を塗り、ふたりを間違うというビジュアル的な混乱はないが、それがかえって効果を上げていた。

はなれ瞽女おりん [DVD]昨年、電通報に岩下志麻が「忘れ得ぬふたつの映画─女優生活五十周年を迎えて─」というエッセイを寄せていた。彼女は女優生活の節目になったのは「心中天網島」と「はなれ瞽女おりん」(1977年)だと書いている。特に「心中天網島」のことを製作の裏話から書いていて、自身の二役については次のように述べていた。

──おさんは日常の中にいて、小春は官能の世界に生きている。女房のおさんは眉毛を剃ってお歯黒にして声も低めにし、母親の温もりを感じられるように綿の入った襦袢を着て、体に丸みをつけてみました。そして、小春は愛人のはかなさが出せればと思い、白塗りにして眉毛も普通の位置より高めに弓なりに描いて、ちょっと見ると人形のような作りにしてみました。

なるほど女優だな、とこれを読んで思った。見た目のことしか書いていない。演技は観客に見えるもので伝える。体つき、動作、仕草、表情...、そんなものすべてがおさんや小春の感情や気持ちを表現するのである。そのために、女優は体の丸みや眉の位置まで気を配るのか。この文章を読んで、岩下志麻が50年にわたって日本の代表的な女優でいられた理由がよくわかった。

最後の道行きの撮影は、2月の京都でロケされたという。「凄まじい寒さの中に雪が舞い、台詞が思うように言えないほど体が凍えてしまった」と岩下志麻は簡単に書いているが、「心中天網島」の道行きシーンでふたりは着物をはだけた半裸状態で川に浸かるのだ。役者は大変だと改めて思う。

それにしても愛する新妻を篠田監督は過酷な撮影に追い込んでいたのだなと、どちらも表現者である夫婦の凄さみたいなものも感じた。ある時期まで、篠田作品のヒロインは岩下志麻だった。やがて、彼女が歳を重ねてヒロインを演じられなくなると脇にまわるようになったが、篠田作品のすべてに岩下志麻は出演している。

そういえば、「はなれ瞽女おりん」(1977年)を日比谷にある東宝本社の試写室で見ていたとき、一番後ろのドアのそばに大きな男が立っているのに気付いた。試写が終わって明かりが点くと、篠田正浩監督だった。観客の反応を見たかったのだろう。残念ながら岩下志麻はいなかった。

「はなり瞽女おりん」は、盲目の役である。岩下志麻は撮影の半年前から三味線を習い、日常も目を閉じて暮らしていたという。目を閉じて歯を磨き、顔を洗い、身支度をして、食事をする。やがて、目を閉じていることに慣れ、空気や風が感じられるほど五感が研ぎ澄まされた。やはり、才能があり、それを開花させられる人は、きちんと努力をしているのだ。

キャリアを重ねた岩下志麻は、篠田作品以外で自分の年齢に合うヒロインを演じた。80年代に一世を風靡した「極道の妻たち」シリーズが代表的な例だろう。着物姿でスックと立ち、リボルバーを構える姿に説得力を持させることなど、他の誰にできるだろうか。ドスを利かせた声で「覚悟しーや」と、男たちを震え上がらせることができる女優が他にいるだろうか。

15年前、松坂近くの道路脇に立っていたスペイン村の看板に向かって、僕は「姐さん!」と呼びかけながらその下を走り抜けたものだった。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

会社の面接にきた新卒の人に訊くと、30社以上受けて内定は得られなかったという。新聞にも悲惨な就職状況が出ていた。働く意欲のある若い人が不況にぶつかり職を得られない話を聞くと、僕は人ごとではない気持ちになる。自分の就職の時のことを思い出すからだ。古い話だけれど、僕はオイル・ショックにときに就職試験を受け続けていた。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

photo
映画がなければ生きていけない 1999‐2002
水曜社 2006-12-23
おすすめ平均 star
star特に40歳以上の酸いも甘いも経験した映画ファンには是非!
starちびちび、の愉悦!
star「ぼやき」という名の愛
star第25回日本冒険小説協会 最優秀映画コラム賞
starすばらしい本です。

映画がなければ生きていけない 2003‐2006 ジャガーノート [DVD] ハリーとトント [DVD] 重犯罪特捜班 / ザ・セブン・アップス [DVD] 俺たちに明日はない [DVD]

by G-Tools , 2009/11/27