私症説[10]ある種の寓話/永吉克之

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周知のように、人間の右脳と左脳は、互いに補完しながら活動している。そして、このふたつを合わせて「内脳」という。内脳は、体外にある「外脳」と連絡しているが、両者は右脳左脳のような相互補完的な関係にはない。五官からの刺戟によって内脳に生じた、喜びや悲しみ、怒りなどのさまざまな感情が外脳に伝えられ、外脳が、それらの感情を見て見ぬふりをするというメカニズムになっている。

わが国では、外脳は、盲腸の先端にある虫垂と同じで、生命活動には必要のない無駄な部位と考えられ、旧厚生省の働きかけで、昭和39年(1964年)3月31日をもって廃止になった。したがって、同年4月1日以降に懐妊した女性から生まれた子供には、外脳がない。つまり、現在、40代半ばより上の世代が外脳世代ということになる。

実はもっと以前に、外脳廃止が実現するはずだったのだが、ある野望によって遅らされていたのだ。明治末期から日本人の内脳を独占してきた赤間一族が、外脳にも支配を拡げるために、すべての新生児の外脳皮質に、赤間一族の血を引いたエビの卵を埋め込む計画を発表し、国会で審議するよう各方面に働きかけていたのである。



彼らの遺伝子をもった卵が孵って成エビが繁殖すると、その外脳の持ち主は、エビの意志に支配されるようになり、ひいては一族の意のままになるはずだと考えた。そこで、その計画の遂行のために、官界の中枢に人脈をもつ一族の当主、赤間是房が、外脳廃止法案の通過に圧力をかけたのだ。

ところが、江戸末期から日本人の顎を独占してきた尼蔵一族も外脳に眼をつけていた。彼らは、器量のよい幼児を選び出し、その外脳の発達を人工的に妨げ、何歳になっても可愛いらしい子供のままでいる人間を創出し、海外に輸出して、一族に巨富をもたらす案を関係各省庁に持ち込んでいたところで、赤間一族とは、利害が対立することになった。

「赤間一族の大志を実現しよう!」
「尼蔵一族に繁栄をもたらそう!」

両家とも、そんなスローガンを掲げて、新聞や週刊誌で国民に訴えかけた。しかし、その後の研究で、外脳は、人体の他の部位に何の影響力も与えないということが判明し、それまでの努力が水泡に帰したと悟った赤間と尼蔵の親族はみな、年寄りから乳幼児にいたるまで大津波に呑まれて死んだ。そして内脳と顎は国の管轄に入り、外脳は廃止へと到ったのである。

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小学生のときだった。同じクラスに、小山秀春というあだ名の、体は小さいくせに、むやみにでかい外脳をもった男子児童がいた。すぐにカッとなる奴で、本気で怒ると、そのでかい外脳をランドセルから引っぱり出して、フルスウィングで殴りかかってくるのだ。私も一度「貴様の外脳は馬糞に相違なかろう」とからかったために、その巨大な脳で後頭部を殴られて昏倒し、賽の河原が見えたことがあった。

ふつう外脳は、市販の外脳パックに入れてあるので、直接外気に触れることはなく、ササミのように柔らかい。しかし小山秀春の外脳はそうやっていつも鍛えられていたせいか、かなり硬化していた。硬化した外脳というのは牛のバラ肉のような質感をもっている。私はまだバラ肉で殴られたことはないが、同じくらいの衝撃があるのではないかと思う。

小山秀春とは高校まで同じだったが、卒業以来、社会人になって、ある日、街中で邂逅するまでは一度も会わなかった。その時の彼は手ぶらで、例の大きな外脳を身につけている様子がない。アレはどうしたと訊くと、喰ったと言う。
 
「しかし君、脳なんかよく喰えたものだな」
「君だって、指先にささくれができたら噛み切って飲み込むだろう。自分の体を喰ってるわけだ。自分の脳を喰うことと、ささくれを喰うことで、どれほどの違いがあるというんだい」
「なるほど。しかし僕はささくれは喰わないぜ。吐き出すからね」
「そりゃいかんね。身体髪膚これを父母に受く、敢えて毀傷せざるは孝の始め也、だよ君。親にもらった体だ。ちゃんと食べて栄養にしたまえ」
「あまり適切な引用とは思えんな」
「君も食べるか、それがいやなら、外脳なんてさっさと捨ててしまえ。何の役にも立たないんだから」
「役には立たなくても生きてるんだ。内脳からの情報を見て見ぬ振りをするという活動を営々と続けているんだから、生ゴミのように捨てるわけにはいかんじゃないか」
「それそれ。その活動がそもそもいかんのだ。内脳からの切なる願いすらも、外脳は見て見ぬふりをする。いわば、市民からの陳情書を一応は読むけれど、上司に報告せずに溜め込んでいる役人みたいなものなんだ。役に立たないどころじゃない。悪だ。いいか。われわれがいくら神に祈っても願いが通じないのは、外脳が神への通信路をブロックしているからなのだ」

外脳を食べるとは、常識では考えられない行動だが、それよりも彼が、神などというものを持ち出したのには驚いた。しかも、脳と神を結びつけるという荒唐無稽な考えまで持っているということを知って愕然とした。彼と話していると、異常な世界に迷い込んだような気分になったが、それを態度には表さず、話を続けた。

「それはともかく、どんな味だい。外脳は」
「不味くはなかった。ステーキにしたんだが、肉というよりエビ入りピッツァのような風味だったなあ」

エビの風味。赤間一族はエビの卵の埋め込みに秘かに成功していたのか。それとも、小山秀春の外脳が硬化したことによって、エビ味になったのか、あるいは正常な外脳でもエビ味がするのか。謎だ。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
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