ショート・ストーリーのKUNI[71]家族鍋
── ヤマシタクニコ ──

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週末の夜、ここ六反田家ではいましも鍋を囲んで夕食が始まるところだ。主の宗一郎が眉根を寄せ、手には箸ととんすいを持って言った。

「私はうそとか秘密というものが大嫌いだ」
妻の清美が白菜のざく切りを鍋に入れながらうなずいた。
「私もですわ」
「今日の私は悩みを抱えている。どういう悩みかというと、私はあるものを探している。いや、探したいが、それが何なのかわからないのだ」
「おっしゃってることがよくわかりませんわ」
清美が言った。

「だれかが私の何かを隠したような、そうではないかもしれない気がするのだ。清美、おまえじゃないだろうな」
「いったい何のことでしょう。ん〜ん〜んんんんんんんんん〜ん〜」
「なんで急に『川の流れのように』を歌うのだ」
「あら、歌ったかしら。たぶん無意識ですわ。そういえばさっき買い物のとき商店街のレコード屋の前を通ったときに『川の流れのように』がかかっていましたから、それがくっついたのですわ、私の耳に」



「おとうさんの話はいつもちんぷんかんぷんなんだよ。たららららららららららら、ら〜ら、らら〜ら」
「太郎、なんだ、そのメロディは」
「なんか言ったっけ? ああそうだ。サザエさんのテーマソングかな。無意識だよ」
「なんだ。みんな無意識だと言うのか。いいさ。それなら私も今後は無意識でいく」

「意味がわかりませんわ。あ、そこの鶏肉、まだですよ。いま入れたばかりですから」
「明日、私、友だちのところで泊まっていいかなあ。るるるるる〜」
「明美、なんでいきなり『あこがれのハワイ航路』を歌う」
「そんなもの歌ってないわよ。いま、無意識にコブクロの『桜』を歌ったのよ。さっきそのメロディが私の携帯で鳴ったから、耳に残ってたのね」
「ああ、そのエビもまだですわ。あなた、食べるならこっちのしらたきを。白菜も煮えてます」
「おかあさん、ぼく、ホタテ貝を食べたい」
「ああ、ホタテ貝は食べ頃よ、ほら」

「ところで私のあるものがどこにあるか、みんなは知っているのだろ。隠してもだめだ」
「そんなふうに聞かれたってわけわかんないわよ」
「お父さんはうそをつく人間は大嫌いなんだ」
「だから私も嫌いですって言ってますでしょ」

「お母さんはうそをついてるよ」
太郎が言った。
「え、なんですって。私が、いつうそをついたって言うの」
「商店街のレコード屋は今日は一日中『サンタがママにキスをした』と『ラスト・クリスマス』を交互にかけてたんだ。『川の流れのように』なんてかけてないよ」
清美はぎくりとした。
「そそ、そうだったかしら。じゃあお母さんの思い違いね。ほほ、ほほほほほ」

「おかあさんはさっき、電話のあとで急ににこにこしながら『川の流れのように』を歌い出したね。なぜだかしらないけど」
「なんだって」
宗一郎が険しい声を出した。
「なんでもありませんわ」
「なんでもないって、おまえ」
「なんでもないのよ」
「だれなんだ。はっきり言え」
清美は観念したように言った。
「美空ひばりですわ、『川の流れのように』は」
「ああ、そうだったな」

清美は安堵の表情を浮かべるや太郎に向き直って言った。
「そういう太郎ちゃんも、うそをついてるわね」
太郎はぎくりとした、ことを顔に出すまいとして言った。
「ぼくはうそなんかつかない」
「よく言うわね。さっきあなたが口ずさんだのはサザエさんのオープニングのテーマだったわね。今日はサザエさんは途中からかけたのに」
「え、そうだっけ? お母さんの勘違いじゃないのかな?」

「今日、あなたが外から帰ってきたとき、あなたは『宇宙戦艦ヤマト』のテーマを歌ってたわ。無意識のうちに耳についてたのね。そのことに自分で気づいてごまかそうと、わざとらしくサザエさんのテーマを歌ったのよ。子どものくせになかなか巧妙な手口ね。でも、お父さんならまだしも、私をごまかせると思ってるの」
「お母さん、考えすぎだよ。ふっ。どうしてぼくが。まるで何か後ろめたいことがあるみたいじゃないか」
「あら、ないとでもいうの」

「太郎もお母さんもやめてよ。みっともない」
「そうだとも。見なさい、鶏肉がこんなによく煮えている。ぼこぼこぼん、ぼこぼこぼんと歌うように」
「明美。私は知ってるのよ。あなたが外から帰ってきたとき、無意識に『さそり座の女』を歌ってたのを」
「そんな古い歌歌わないわよ」
「隠してもむだよ。あなた、まだ高校生だというのに中年の愛人がいるんでしょ。その人が歌ってた歌が耳について、無意識のうちに口ずさんでいたのよ。思わぬところでぼろが出たわね。この尻軽女」

「知らないってそんな歌。私が外から帰って来たときに歌っていたのはたぶん、嵐の『Believe』よ。友だちのサオリが歌ってたからうつったんでしょ」
「いいえ『さそり座の女』にしか聞こえなかったわ」
「ああ、また今年も紅白歌合戦か」
「むちゃくちゃだわ、お父さんもお母さんも」

「それに、この前の日曜日はお友達と神戸に行ってきたと言ったけど、あれもうそね」
「うそじゃないわ」
「あなたが帰ってきたときに、無意識で口ずさんでいた曲が何だったと思ってるの」
「覚えてないわよ、そんなの」
「道頓堀のかに道楽のテーマ曲よ」
「えっ。♪とれとれぴちぴちカニ料理〜」

「♪同じのれんの〜...歌わせないでちょうだい。あなたの口からあの歌が出てくるなんて。何が神戸なの。ここはノース大阪、阪急沿線よ。神戸に行くのにわざわざ道頓堀を通る人はいないわ。さあ、白状なさい」
「わかったわよ。ばれたら仕方ないわ。ふん。私はね」

「おまえたちは何をくだらないことばかり言ってるんだ。みなさい、餅巾着がこんなに魅力的に煮えている。いま食べずしていつ食べるのだ」
「あなた、何か悩んでいらしたのでは」
「ああ、そうだった。私のあるものがなくなったと思うのだが、それが何か、実は思い出せない。ただ、なくなったというそこはかとない、しかしリアルな感触があるのだ。お魚くわえたどら猫、追っかけて〜。ああ、太郎の歌ってた歌がうつってしまった。とにかく私はうそはきらいだ」

「ひょっとしたら、探してるって免許証のこと。そこで煮えてるけど」
太郎が鍋の白菜のかげでぐつぐつ煮えている運転免許証を指さした。
「ああ、こんなところに! しかし、これではないようだ。これを見ても私はちっとも『探していたのはこれだ』という実感を持てない。だから、これではない。探していたものにめぐりあったときはもっと感動があるはずだ」

「じゃあそれは。お豆腐としめじの間に健康保険証が見えるけど」
明美が言った。
「ああ、こんなところに私の健康保険証が! しかしこれではない。健康保険証の発見も私に何の感動も与えないのだ」
「あら、餅巾着の中に印鑑登録証が入ってましたわ」
「いい加減にしなさい。そんなものが入ってるわけがないじゃないか」

「なんだかがまんできなくなってきましたわ。今夜は太郎や明美の秘密をあらいざらいぶちまけてもよろしいでしょうか、あなた」
「じゃあ私もぶちまけてもいいのね、お母さんの秘密」
「んんんんんん〜ん〜♪」
「あなた、どうしたんですの。いきなり歌い出して。それは小学校の校歌かなにかですか」
「なんでこれが小学校の校歌なんだ。私は音痴か。西田佐知子のコーヒールンバじゃないか」
「どうしてそんな歌を」

「たぶん、いま食べた鶏肉がブラジル産だったのだ。この鶏肉に、生まれ育ったブラジルの記憶がしみついていて、そこからうつったのだ。ブラジルといえばコーヒーだからな。こういうこともあるのだな。やがて心うきうき〜♪あつっ。やけどした」
「お父さんののことはほっておきましょう。明美、いつかあなたと対決する日がくると思っていたわ」
「もー、お母さん、何言ってるのよ」
「太郎も太郎よ。あなた、コンビニで万引きしたでしょ」
「してないよ」
「道路の向こうのほうのコンビニKではいま、宇宙戦艦ヤマトのタイアップキャンペーンをやってるのよ。あの店で曲がうつったのね。わざわざ遠くのコンビニに行って、そのことを隠そうとするなんて。万引きしか考えられないじゃないの」
「ほかにも考えられるだろ」
「いいえっ」

「ううむ、そうだ。私が探していたのはこのような家庭の『盛り上がり』かも知れぬ。それがないから毎日、なにか物足りなくてもんもんとしていたのか。そうか。今夜はなかなかよい感じである」
「お母さんこそお父さんに隠れて何やってるか、私知ってるんだからね」
「なんですって、この」
「親だからって許さないし」
「もういやだよ、こんな家」
「鍋ひっくり返すぞ」

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みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
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今年もお世話になりました。来年の目標を2つたてました。
1.あわてない
2.落ち着く
ついでにもうひとつ立てました。
3.新しいデジカメをたぶん、買う
ついでにもうひとつ
4.InDesignを使ってみようか
以上です。