[2762] 映画に命をかける人たちがいる

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,800文字)


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■映画と夜と音楽と...[445]
 映画に命をかける人たちがいる
 十河 進

■ところのほんとのところ[29]
 ドイツひとりぼっち
 所幸則 Tokoro Yukinori

■歌う田舎者[06]
 愛について
 もみのこゆきと


■映画と夜と音楽と...[445]
映画に命をかける人たちがいる

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20091211140300.html >
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〈八甲田山/鉄道員(ぽっぽや)/劔岳 点の記〉

●目立つものを好む若い頃の衒気が漂う

「映画と夜と音楽と...」と連載タイトルにあるように僕は本を読み、音楽を聴き、映画を見る。そして、文章を書く。僕は長く文章を書いてきた人間だ。小さな頃から書くのは好きだった。高校生の頃には、初めて小説らしきものとシナリオを書いた。シナリオは8ミリでの映画化が前提だったが、挫折した。

大学時代には、友人たちと同人誌をやっていた。大学のクラスの級友たちと始めた同人誌は、神田神保町の喫茶店の名前を借りて「ラドリオ」とつけ、高校時代からの友人たち数人と始めた同人誌は「発情衝撃体」という誌名にした。「発情衝撃体」というのは、仲間のひとりであるNが金井美恵子の詩から見付けてきた。

Nは金井美恵子の「春の画の館」(だったと記憶している)という詩の中に出てくる「さみしく泣くのよ わたしの局部〈あそこ〉」というフレーズが気に入って、何かというと口にした。マージャンをやっていても、リーチをかけてタバコを口にし、そのフレーズをつぶやく。「局部と書いて〈あそこ〉とルビを振るセンスがいい」と言う。

その詩のタイトルの漢字だけをつなげると「春画館」となる。春画の館という意味である。詩は「春の画の館の主人は...」と始まる。後に金井美恵子は同じタイトルの小説を書いた。金井美恵子は、当時、「現代詩手帖」で天才少女詩人と呼ばれており、やがて小説を出すと天才少女作家となった。異端好みの大学生たちには受けていたし、ある種の難解さが心地よかった。

それにしても「発情衝撃体」というタイトルを付けるとは、今から考えると若者の衒気としか思えない。若いときは目立つものを好んだし、人と違うものを志向した。歳をとると目立たないことを旨とし、なるべく人と同じようにありたいと思う。グレーのスーツを身に着け、一般サラリーマンと呼ばれることを今の僕は望んでいる。通勤電車の中で見分けがつかない存在であることが心地よいのだ。

さて、ある大手出版社の面接を受けたとき、「大学時代に何をやっていましたか」と訊かれて、「友人たちと同人誌を出していました」と答えると、「どんなタイトルですか」と突っ込まれ、「『発情衝撃体』です」と僕は誇らしげに答えた。今思うと、赤面の至りだ。「タイとは軍隊のタイですか」と面接官は苦笑いしながら、さらに質問してきた。

「軍隊のタイではなく、結合体とか、運動体といったタイです」と僕は答え、面接官は苦笑いを深めた。「体育のタイですね。それで、発情した衝撃体とは何を表現しているのですか?」と面接官はしつこく追及してきた。「それはですね...」と僕は詰まった。「発情衝撃体」とは意味のない造語だから、ニュアンスが伝わればいいと思っていただけである。「発情した衝撃体だぜ、衝撃的じゃねぇか」と言ったNの顔が浮かんだ。

面接で相手を見抜くには、受験者がこだわるものを追及しムキにさせ、本性を顕わにさせる手法がある。通り一遍の質問では、マニュアル通りの答えしか返ってこない。そのとき、僕もその手に乗ってしまい、結局、落ちた。あのとき合格していれば、もしかしたら「少年ジャンプ」の全盛期を経験できたかもしれない。いや、月刊「プレイボーイ」の創刊に立ち合い、開高健さんの「オーパ」を担当できたかもしれなかった。

●伝説の映画キャメラマンたちにめぐりあえた

就職の時には文章を書いて喰っていける職業を前提にしたから、主として出版社を受験し一社だけ新聞社を受けた。コピーライターでもやるかと思って広告会社もひとつ受けたけれど、結局、映像関係の専門誌を出している出版社に入った。というか、拾われた。大学時代に写真を始め自分で暗室作業もやっていたので、写真雑誌に興味があったからだ。

しかし、僕は面接のときに映画好きの本性を晒してしまったのである。「きみは何が好きかね」と訊かれ、「映画です」と答えてしまったのだ。当然、次の質問がきた。「最近、見た映画を教えてください」と言われ、僕は「青春の蹉跌」(1974年)を挙げた。その印象的なシーンを、カメラアングルまで詳細に解説した。いつの間にか手振り身振りが入っていた。

そういうわけで、入社が決まって配属されたのは映像を創っているアマチュアを読者ターゲットにしている「小型映画」という雑誌の別冊編集部だった。8ミリの専門誌である。当時、8ミリフィルムの端に磁気帯を塗布し、映像と音声が同時に記録できる同時録音カメラが出たばかりで、8ミリカメラメーカーは凄く元気があったのだ。

僕が編集していた専門誌は映像を創る側のことを記事にするので、プロに取材するときもスタッフを対象にすることが多かった。監督よりはキャメラマンであり、照明マンであり、音声マンなどだった。多くのキャメラマン(最近は撮影監督と呼ばれることが多いけれど)に取材でお世話になったが、今から思えば凄い顔ぶればかりだった。

東宝の中井朝一さんは、入社早々の新米編集者にとっては優しいおじさんという感じだった。戦前にキャメラマンとして一本立ちし、黒澤明監督の主要作品はほとんど手掛けていた。成瀬巳喜男監督の作品も手掛けたし、小津安二郎が東宝で撮った「小早川家の秋」(1961年)も撮影している。僕が会った頃は、黒澤明監督の新作「デルス・ウザーラ」(1975年)の準備をしていた。中井さんには黒澤作品「野良犬」(1949年)の舞台裏を具体的にうかがった。

東宝争議を経てフリーになり小林正樹監督の「人間の條件」(1959年)や「切腹」(1962年)を撮影した宮島義勇さんの事務所が会社から近かったので、何度かうかがったことがある。僕は映画版「若者たち」(1967年)の現場について、いろいろ質問した。後になって、小林正樹監督についてもっと訊いておくべきだったと悔やんだ。

日活の代表的なキャメラマンだった姫田真左久さんに会ったのは、仕事だったのか、新宿の酒場だったのか記憶が混濁している。日活のいろいろな監督の作品を手掛けている人だったが、僕はやはり「キューポラのある街」(1962年)についての質問が多かった。後には日活ロマンポルノも手掛けたし、日活出身の長谷部安春監督と組んで「あぶない刑事」(1987年)なども撮っている。

岡崎宏三さんには、市川崑監督と組んだ「我輩は猫である」(1975年)で取材した。猫の目ショットを撮るために独自の超広角レンズを使用した話を記事にした。同時期に手掛けた「雨のアムステルダム」(1975年)の特定のショットの話が出たので、三脚と一眼レフカメラを二番館に持ち込んで、目当てのショットをスクリーンから撮影した。今、そんなことをやっていたらすぐ捕まってしまう。

●活動屋魂を伝える過酷な撮影をするキャメラマン

戦前から活躍してきた名匠たちの話を聞いたおかげで、僕は映画を裏方の目で見ることができるようになった。監督の意図を具体的にフィルムに定着させるのがキャメラマンの仕事である。黒澤明は大映で宮川一夫という名キャメラマンと出会い「羅生門」(1950年)が生まれた。小津安二郎には厚田雄春キャメラマンがいた。

中井さんや宮島さんたちより若い世代のキャメラマンで、僕が気に入っていたのは川上皓一、仙元誠三、長谷川清、木村大作といったキャメラマンたちだった。どの人もブルーを基調とした抜けのよい映像を創る印象がある。透明感と空気感が似ている気がする。

ヨーロッパ系の映画が暖色系のアンバーを基調にするのに対して、日本映画は寒色系のブルーを基調にする傾向がある。これは絵画の世界にも感じていて、ヨーロッパの絵画と日本画の違いも似ているのではないだろうか。北野武の作品は海外で「キタノ・ブルー」と言われ珍しがられているが、あれは日本映画の伝統的な特徴だと思う。

川上皓一には「サード」(1978年)があり、仙元誠三には「ヨコハマBJブルース」(1981年)や「Wの悲劇」(1984年)がある。長谷川清には市川崑監督の「犬神家の一族」(1976年)に始まる金田一耕助シリーズがある。この作品ではブルー・フィルターを駆使したと長谷川さんはどこかで語っていた。

そして、木村大作さんである。東宝で黒澤組の斎藤孝雄キャメラマンや岡本組の村井博キャメラマンに多くついた後、「野獣狩り」(1973年)で撮影監督として独立。すでに30代半ばだった。映画のスタッフは徒弟制度の職人たちの世界である。サード・アシスタントから始めて、セカンド、チーフと進み、やがて撮影監督になる。10年以上の下積みは当たり前なのだ。

木村さんの手掛けた作品では「駅 STATION」(1981年)の美しい映像が忘れられない。木村さんが高倉健の専属キャメラマンみたいになるきっかけは、「八甲田山」(1977年)だった。これは、健さんのスチルを撮っている人から聞いた話だが、あの極寒のロケで木村さんはジャブジャブと十和田湖の中に入っていき「キャメラはこのポジションしかない」と言ったという。

雪の積もる八甲田。身を切るどころではない冷たさだろう。冷たいというより、痺れる、いや、感覚がマヒする冷たさだ。長時間入っていたら、どんなことになるかわからない。そこにキャメラを据えて撮影した。それを見た健さんが一発で気に入ったという。以来、高倉健主演作は、ほとんど木村さんが撮影監督をつとめてきた。

昨年、TBSテレビ「情熱大陸」で木村大作さんを久しぶりに見た。木村さんはついに監督をやるという。それが「劔岳 点の記」(2009年)だった。過酷な撮影が続いていた。まず撮影機材を抱えて劔岳に登る。俳優たちも役の扮装をしたまま機材を抱えていた。浅野忠信、香川照之たちはろくな登山の装備もない時代の恰好で、雪を踏みしめていた。

雪崩に呑み込まれるシーンの現場が映った。俳優たちが雪の下に埋まる。木村さんがキャメラのファインダーを覗いてスタートを告げる。しかし、もやがたちこめてくる。「カット」の声がなかなかかからない。俳優たちは冷たい雪の下に横たわったままだ。見ている方が心配になる。ようやく「カット」がかかったが、もやが濃すぎたのでリテイクだと木村さんは厳しく宣言した。

そうして完成した木村大作さんの初監督作品は、今年の夏前に公開され大きな話題を呼んだ。木村さんのことだ。CGで誤魔化すなんてことはやっていない。その場にキャメラを据えて撮影した、雄大な自然風景のショットばかりだ。一日の半分以上は山登りだった、とある出演者がぼやいていた。過酷な撮影だったことが、スクリーンから伝わってくる。しかし、だからこそ、自然の素晴らしさに感動する。

そういえば「鉄道員(ぽっぽや)」(1999年)では、あるスタッフが雪に埋もれて大変なことになりかけた話も聞いた。映画の現場では、人が死ぬこともある。それほど情熱を傾ける対象として、映画があるのだ。映画が誕生して100年を越え、世界中で映画に命をかけてきた人たちがいた。「活動屋魂、いまだ健在」とは「蒲田行進曲」(1982年)の中のセリフだが、木村大作さんを見ていると、その言葉が甦ってくる。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com

先週、弱気の愚痴を書いたら、お叱りをいただきました。最終の校正折りと表紙とカバー・帯の色校正が出て、それを見てたら「いい本じゃないか」と再び自惚れ状態に...。恍惚と不安は交互にあらわれるようです。せっかく出す本ですから、売れてくれないと出版社に迷惑をかけます。このテキストが配信される頃は、印刷されているはず。16ページ折り37台。三巻目も600ページ近くあり、巻頭は大沢在昌さんと私の対談です。クリスマスプレゼント、年末年始の読書にいかがでしょうか。

「映画がなければ生きていけない2007-2009」アマゾンで予約受付中。
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21日(月)書店に並びます。

●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1429ei1999.html >
受賞風景
< http://homepage1.nifty.com/buff/2007zen.htm >
< http://buff.cocolog-nifty.com/buff/2007/04/post_3567.html >

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■ところのほんとのところ[29]
ドイツひとりぼっち

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://bn.dgcr.com/archives/20091211140200.html >
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初めてのドイツ上陸です。日本ではハノーバーだけど、こっちでの発音に近いのはハノーファーらしい。初めてのドイツがここでいいのか?? やっぱベルリンとかから入るべきだったのかなあ。という疑問を抱きつつ、シャルルドゴール空港からハノーファーへ。

飛行機に乗った時からいかにもドイツ人な感じの人に親切にされる。空港降りて、カートの使用法がわからなくて困ってるときも、となりのおじさんが親切にやってくれる。タクシーもチップうけとらないし、寡黙だけどとても親切。

ホテルの値段はパリの70%だけど、広さは130%。欠点が部屋にネット回線がないこと。ドイツってこういう方面進んでそうなイメージあったけど、やっぱ田舎町だからかな? ともあれネットスピードは良好だ。

そして何より、空港に降り立った時に管制塔のデザインの違いに驚愕。なんかカッコいいけど、怖いようなデザインだ。ホテルもパリの安ホテルでは小ジャレた感じだったのが、ドイツはシンプルでモダン。こんなに違うんだなー。同じヨーロッパなのにね。

今日はゆっくりするつもりだけど、ちょっと水とか調達に駅前に行ってくる。おーーー、なんか夕方行ったせいか、童話っぽいな。市内の路面電車が、かわいいなあ。でかいクリスマスケーキのイルミネーションも可愛い。パリのヨーロッパっぽさとはまた違うヨーロッパって感じ。お店の人もみんな親切で笑顔だった。パリのスーパーでは、レジの人には笑顔なんてなかったけど。ドイツでも田舎だからだろうか。コンパクトで全体がつかみやすいし、結構いい感じの街だ。とりあえずビール一杯だけ飲んで就寝。

朝7時半には朝食をすませて、朝からわりと調子よく散策しながらの撮影。光が結構来てて快調快調! だけど、11時ぐらいから、お腹がいたくなる。なんだー? 水とかじゃ下したことないんだけど。ストレスかなー。これは何も食べない方がいいかも、ということになるとへこんで来た。なおるまであきらめようソーセージ、と思ったけど。

とりあえず夕方の街を、作品じゃないのも撮っておこう! ってことで街に出る。ってあるいて5分で中心街だ。屋台のソーセージ屋さんの匂いに負けて、つい頼んでしまった。それも2種類。パンも丸いのが2個ついて来た。こんなには食えないなー、って野外のテーブルにいくと、自転車の旅行者みたいな外国人が、ボナペティ ♪どうぞ召し上がれ! とか言ってきた。ん? フランス語か? フランスから来てるのね自転車で、すごいなあ。セボン「美味しいね」と返しておく。

次の日の朝に、壊されようとしているビルディングを撮っていたら、おばあちゃんがビルを指差しながらいっぱい説明してくれようとしてるんだけど。まったくわからない。すいません。ハノーファー駅からのまっすぐの道で、歩いて3分の正面のビルだしこの街にとってなにか大事な建物だったんだろうな。最後にここを頑張って撮って、空港に向かう。その後、大変なことが起きるとは思いもしなかった......。

僕は今回撮る量が半端じゃないから、2TBのHDDを持って旅をしている。さらに、良いと思ったカットはMacBook ProのSSDにもコピーして、さらにカメラ用のメモリーにもコピーして、移動のときはカメラバッグにカメラ1台だけいれてほかにはHDDや、メモリー系の物をいれて機内に持ち込むようにしていた。だって飛行機のロストバゲッジの確率って結構あるし、やっぱ、デカイHDDなので携帯するような設計でもないから衝撃にも弱そう、空港でぽんぽん放り投げられたら怖いし。

重量制限に厳しいエアフラには毎回ギャーギャー言われながら、コートのポケットに変圧器入れたり、パリフォトのカタログはズボンのベルトを緩めて差し込んだり、ありとあらゆる手段を講じてくぐり抜けて来た。あー、ファーストクラスに平気で乗れたらなあ。頭上の物入れにはとても入らないサイズです。キャビンバゲッジというタグを付けてもらって、CAに渡すと機内のロッカーみたいなとこにいれてもらえる。

今回は、スーツケースが重量オーバーしたがなんとか許してもらう。手荷物の制限は基本8kgぐらいだが、ある程度アバウト。それでも4kg分くらいはコートやズボンのポケットに突っ込んだりしてなんとかすり抜けたので、安心してハノーバー空港からシャルルドゴール空港へのフライトの便に乗るタラップへ進むと、その手前で豪腕ドイツ人に「ヘビーバッグ! ビッグバッグ!」とか注意されて、まるまる強奪されてしまった(!)。

あれ? 不意のことでうまく対処ができなかった。例えば、大きいバッグの中にHDDとメモリーカードの入ってる小さいバッグが入っていたので、パスポートが入ってるバッグだからとかなんとか言って、それだけでも奪い取れば良かった。と、後悔してるうちに離陸。

万が一の事があってもまた撮ればいいじゃないか、とか正論をふりかざしつつも、だけど同じ写真は二度と撮れないんだよ、今回パリでも10枚〜15枚はいいのが撮れてるし、ハノーバーでも思いもしないカットが撮れた。なんであそこであんな動きしたんだろうって人がいて。やっぱ僕は引きがつよいな〜って思ってたのに、あーーーーーー、取り返しがつかない! って、確率的には低いんだけど。すんごい最悪のことばっかり考えてしまった。飛び降りるならやっぱ「ラストタンゴインパリ」にでてた鉄橋のうえからかなあ、絵的に、はあ。

せっかくメモリーカードに粗選びした写真いれてても、バッグごと一緒じゃこんなときは意味がないじゃないか。今度からメモリーカードはポケットにいれとこうって思ったり。こんなに頑張ったり、奇跡のようなタイミングでハノーバーに来てたんだなと思うようなこともあったし、撮り直しなんてきかないじゃん。

しかし、真面目そうなドイツ人だったじゃないか。乗り継ぎ便じゃないし。99%大丈夫だ! しかしなあ、フランスの担当者が真面目じゃないかも、とか妄想が頭を駆け巡る。考えすぎて頭ががんがんして来た。と思ったら着陸態勢に入った。え、1時間半も目を潤ませながら考えてたのか? タラップを降りたらそこに本来はキャビンバゲッジのはずだったけど、取り上げられてたバッグ達がいっぱい並んでた〜。もちろん僕のも!!

もう、ぼくはこれだけで充分ですう〜。と思ったけど、ちゃんとスーツケースも一番目に出て来たから迷わずゲット! 思わずスキップ♪ はあ、今度こそ体からはなすもんか! 外国から外国に一人ぼっちでの初めての旅は終わった。「はじめてのおつかい」のようだった。

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

◇『1 Sec ONE SECOND 01』出版記念 One Second - SHIBUYA-YUKINORI TOKORO
会期:2009年12月5日(土)〜2010年1月24日(日)
会場:PROGETTO(プロジェット)店内にて
< http://www.progetto.co.jp/event/index.html >

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■歌う田舎者[06]
愛について

もみのこゆきと
< http://bn.dgcr.com/archives/20091211140100.html >
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愛は失ってはじめてその価値がわかるもの。いつもそばに居ると思っていたのに、ある日突然訪れる不在。カサカサと心がささくれる日々を積み重ねる中で、荒む心を温めてくれたおまえは今どこに......。



夏の終わり頃、文章教室の師匠が宿題を出した。お題は「愛について」で、期間は2週間である。男女の愛、親子の愛、ペットへの愛、花への愛......何でもいいのだそうだ。

困ったことである。"愛"といわれても何も思い浮かばない。スガシカオの歌(※1)なら歌えるのだが。"愛"ってなんだ? ♪愛〜それは〜甘く〜(※2)。うーむ......そんなスイートなお題は滅法不得意だ。仕方がないから、いっそ国家への愛でも書こうかと考えた。

わたしの大学時代の専攻は西洋史学で、卒論のテーマはロシア革命である。ロシア革命を研究テーマにしたのは、池田理代子の「オルフェウスの窓」の熱狂的な読者だったからだ。なかでも第三部ロシア編に出てくるレオニード・ユスーポフ。ロマノフ王朝末期のロシア陸軍将校で、国家と皇帝への忠誠を大義として生きてきた男なのだが、漫画に出てくる頭脳明晰で冷静沈着、色恋沙汰に無関心な黒髪系の男というのは、萌えポイント高いんだな、これが。こんな男が一瞬でも女への恋心など見せたら、もう悩殺メロメロである。

戦争のために働く戦闘バチとして生きてきた軍人たちは、祖国を憂うあまり、ニコライ2世の帝位復活を目論みクーデターの準備を進める。軍人が政治に介入してはならないという鉄則とのせめぎあいに揺れながら。しかし、ケレンスキー率いる臨時政府に計画が露見し失敗。世に言うコルニロフの反乱であるが、参画した将校らは全員銃殺。レオニード・ユスーポフはケレンスキーの喚問を受ける前に自決する。そしてロシアは彼らの屍を踏み台に、世界の誰もが体験したことのない共産主義に向かって突っ走っていく。

命を賭けた男たちの祖国愛というのはかっこよすぎる。世にさまざまな愛があれど、祖国愛はどうも女には似合わない。やっぱり男たちが主人公だ。そういう話を書いてみたいもんだ、うん。そのためには、まずロシアの歴史から復習しなきゃならん。もちろんロシア現地取材も必要だ。参考書籍も読み込まなきゃ。壮大なロシア革命叙事詩だぞ、壮大な!

......そっ、壮大すぎる......どうやって書くんだ、2週間で! 書けねぇだろ。あぁ、「愛について」何を書きゃいいんだ......と頭をかきむしる4カ月前のわたしに教えてやりたい。もっと足元を見てみろ。小さな頃からわたしのそばにいて、いつも見守ってくれた愛しいあいつを思い出せと。艶やかな暗褐色の肌、やわらかな肉体に隠された真っ白な心でわたしをとろけさせたあいつのことを。それを思い出させたのは、秋口にテレビから流れてきたあのCMだ。

♪ふーか ふーか ふーわ ふーわ
♪まんまる エンゼルパイ
♪ちっちゃな ちっちゃな エンゼルパイ
♪はやくみんなで食べたいな

わたしが愛してやまないもの。その名は「エンゼルパイ」。......えっ、エンゼルパイが愛? そりゃあまりに足元すぎやしませんか? ふふっ(網タイツに着替え中)......♪これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛(※3)。



そうだ。わたしは物心ついたときから、エンゼルパイを愛していた。遠足のときは、お小遣いを300円握りしめ、2個入りのエンゼルパイを買い物かごにキープしたあと、残りのお金で何を買うか考えたものだ。自分で稼ぐようになってからは「今日は大盤振る舞いだ!」とばかりに、8個入りの大袋を買ってみたりもした。ふっ......わたしの体はエンゼルパイで出来ているの by川島なお美。

あれほど好きだったのに、高度成長期・バブル期はもちろん、失われた10年の間にも、雨後のタケノコのように湧いて出るお菓子の新製品攻勢に踊らされ、気がつけば、たまに思い出したように買う程度になっていたのだ。

CMは、そのエンゼルパイにミニサイズが出たことを知らせていた。そうだ。なぜ忘れていたのだ。エンゼルパイこそいつもわたしのそばにいて、乾いた心を癒してくれるものだったのに。これが愛でなくて何が愛だ! ええい、今すぐ行かねばならぬ。止めてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている。これまでの不義理をエンゼルパイに詫びねばならんのじゃ。

そして駆け込んだ最寄りのスーパー。「チッ、欠品か......」そこにエンゼルパイの姿はなかった。仕方なくその次に近いスーパーへ行ったが、ここにもない。ミニもレギュラーサイズも。なぜだ? コンビニも見てまわった。意外と百貨店なんかどうだ? とデパ地下も見たが、わたしの立ち回り先からはすべて姿を消していた。おーまいがーっ! なんてことだ! わたしの生活圏から消えたエンゼルパイ。いったいどこに行ってしまったのだ......。

◎以下、横浜のマルエツ大倉山店にて交わされた、もみのこ=も、エンゼルパイ=エの会話。

も「どうしておれの前から姿を消してしまったんだ」
エ「いなくなったことも気付かなかったんでしょう」
も「さがしていたんだよ〜ちいさなしあわせを〜」(※4)
エ「また歌ってごまかすつもりね」
も「横浜のスーパーで見かけたと聞いて、おれはわざわざ飛行機に乗ってここまでやってきたんだぞ」
エ「もういいの。終わったことよ。あなたのことは忘れることにしたわ」
も「どうしてそんなにわからずやなんだ」
エ「わたし知ってるのよ。あなたがわたしのことを忘れて、かっぱえびせん柚子こしょう味に入れあげてることを」

も「あ、いや、その、あの......あれはね、期間限定ものだし......だいたいあいつはおまえと違って塩味系のヤツだから、ほら、ジャンルが違うんだよ。ジャンルが。農水省の役人からも、大分県の柚子農家振興のために消費拡大に協力をって頼まれちゃってさ」
エ「農水省にお友達なんていたかしら。じゃあ明治EXTRA MILKチョコはどうなの。鼻の下のばして舐めまわしてたじゃない」
も「いや、それは、それはね。ガーナのカカオ農家支援のためにだな、ほら、今はやりのアレだよ、アレ、フェアトレードとかいうの?」
エ「つまらない言い訳ね。でもあなたがそう言うなら、そういうことにしてもいいわ」
も「そ、そうか。戻る気になってくれたのか」
エ「いいえ......。あなたは一番やってはいけないことをしてしまったのよ。わたしにそっくりなチョコパイに手を出したでしょ。彼女がいればわたしはもう無用の長物ね......悲しいわ」

そうなのだ。エンゼルパイがあるはずのその場所を占拠しているのは、どのスーパーでもチョコパイなのだ。しかもググってみると、悲しいことにエンゼルパイ好きよりチョコパイ好きの方が圧倒的に多いようである。あぁ、このままではエンゼルパイがこの世から消えてしまう。

お願いだ、チョコパイ派の君よ。一度エンゼルパイを手に取ってみてくれ。君らの言いたいことはわかっている。「あのマシュマロが嫌いだ」って言うんだろ? そう、わたしだってマシュマロ自体はそう好物ではない。ホワイトデーなる菓子屋の陰謀的イベントでは、すべからく、3月14日は女子にクッキー・キャンディー・マシュマロを贈る日という定説が打ち立てられているが、この中で、もらって一番がっかりするのは確かにマシュマロだ。

しかし、ビスケットというドレスとチョコレートのベールをまとったマシュマロの、あの食感はどうだ。それは君が知っているマシュマロではない。あのむっちりとした食感。噛み切ろうとしたとき、最後の抵抗を見せるかのように歯に逆らう奥ゆかしさ。一線を越える最後になって、パンツを脱ぐのをためらう女のようではないか。いやん、ばかん、やめて。♪じれったい こころをとかして じれったい からだもとかして〜(※5)そう、もっともっと知りたくなる、いや、噛みしめたくなるのだ。チョコパイ派の君も、エンゼルパイが醸しだすエロティシズムにクラクラくるに違いない。

エンゼルパイよ、斯様にわたしはおまえを愛しているのだ。だからしばらく忘れていたことを許してくれ。そして戻ってきてくれ、わたしのそばへ。

あなたの愛している人が、いつも当り前のように隣に存在しつづけるとは限らない。いつまでも放置プレイしていると、あなたのもとから消えてしまうかもしれない。心当たりのある人は、クリスマスという異教徒の祭りにでも便乗して、ないがしろにしている大切な人に、小さなプレゼントのひとつも贈ろう。そしてたまには「愛について」スイートに語ってみるのもいいかもしれない。

※1「愛について」スガシカオ
< >
※2「愛あればこそ」91年宝塚歌劇団月組
< >
※3「愛の水中花」松坂慶子
< >
※4「倖せさがして」五木ひろし
< >
※5「じれったい」安全地帯
< >

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。近所にないんです。エンゼルパイ。だから、秋の東京出張のとき一番にしたことは、横浜のマルエツ大倉山店でエンゼルパイミニのバニラとデビルズココアを入手したこと......というのは本当です。

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■編集後記(12/11)

隷属国家 日本の岐路―今度は中国の天領になるのか?・北野幸伯「隷属国家日本の岐路」を読む(ダイヤモンド社、2008)。サブタイトルは「今度は中国の天領になるのか?」。いまの日本がアメリカ依存国家であることに異論はないだろう。アメリカが没落したら、日本はどうなるか。「依存」の反対は「自立」である。自分の国は自分で守れるように自立すればいい。ところが、現在日本政府がやっていることは、ことごとく「依存国家になる為の政策」といっても過言ではない。恐ろしいことに、次の依存先は間違いなく中国である。日本には現在、二つの道がある。真の自立国家になるか、中国の天領になるか。祖国が共産党独裁国家の属国になることを認めるわけにはいかない。そこでモスクワ在住の筆者は、日本が自立するための本を書いた。前に紹介したメールマガジン「ロシア政治経済ジャーナル」同様、順序立てて書かれた文章は平易でわかりやすい。これからの日本の危機を語る本は多く、読んでいて悲観的になるものだが、この本では解決策が示されているところがいい。まだまだ希望がある。「日本人は日本人のままでいいじゃないか」という気分はおおいに共感する。おすすめです。ところが、政府は早くも依存先を中国に決定したようだ。アメリカとの同盟が揺らぐ中、実質的な与党代表は600人連れで中国に行き「政権交代は実現したが、解放の戦いは終わっていない。(略)わたしは人民解放軍の野戦軍の最高司令官として解放戦に徹して行きたい」と胡主席に語ったという(本日の読売新聞3ページ)。唖然。民主党って人民解放軍なんだって! たとえにしてもひど過ぎる。そんなつもりで投票した人なんか、日本に一人もいないと思うが。日本は社会主義か。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478007020/dgcrcom-22/ >
「隷属国家日本の岐路 今度は中国の天領になるのか?」

武田航平ファースト写真集 CRUISE・見ていないウェルかめ。仮面ライダーキバの「父さん(紅音矢)」が出ているのをテレビ欄のピックアップ画像で知った。特撮出演者のその後って何か気になるんだよなぁ。いまだに役名で「○○出てる!」って思うもん。そういやディケイドからこっち全然見ていないなぁ。(hammer.mule)
< http://tv.yahoo.co.jp/tv_show/nhk/welkame/ >  ウェルかめ
< http://www.tv-asahi.co.jp/kiva/ >  キバ
< http://kouhei-t.net/ >  父さん......
< http://ameblo.jp/kenji-matsuda/ >  悪役ばっかりなんだよなぁ