歌う田舎者[06]愛について/もみのこゆきと

投稿:  著者:  読了時間:8分(本文:約3,900文字)


愛は失ってはじめてその価値がわかるもの。いつもそばに居ると思っていたのに、ある日突然訪れる不在。カサカサと心がささくれる日々を積み重ねる中で、荒む心を温めてくれたおまえは今どこに......。



夏の終わり頃、文章教室の師匠が宿題を出した。お題は「愛について」で、期間は2週間である。男女の愛、親子の愛、ペットへの愛、花への愛......何でもいいのだそうだ。

困ったことである。"愛"といわれても何も思い浮かばない。スガシカオの歌(※1)なら歌えるのだが。"愛"ってなんだ? ♪愛〜それは〜甘く〜(※2)。うーむ......そんなスイートなお題は滅法不得意だ。仕方がないから、いっそ国家への愛でも書こうかと考えた。



わたしの大学時代の専攻は西洋史学で、卒論のテーマはロシア革命である。ロシア革命を研究テーマにしたのは、池田理代子の「オルフェウスの窓」の熱狂的な読者だったからだ。なかでも第三部ロシア編に出てくるレオニード・ユスーポフ。ロマノフ王朝末期のロシア陸軍将校で、国家と皇帝への忠誠を大義として生きてきた男なのだが、漫画に出てくる頭脳明晰で冷静沈着、色恋沙汰に無関心な黒髪系の男というのは、萌えポイント高いんだな、これが。こんな男が一瞬でも女への恋心など見せたら、もう悩殺メロメロである。

戦争のために働く戦闘バチとして生きてきた軍人たちは、祖国を憂うあまり、ニコライ2世の帝位復活を目論みクーデターの準備を進める。軍人が政治に介入してはならないという鉄則とのせめぎあいに揺れながら。しかし、ケレンスキー率いる臨時政府に計画が露見し失敗。世に言うコルニロフの反乱であるが、参画した将校らは全員銃殺。レオニード・ユスーポフはケレンスキーの喚問を受ける前に自決する。そしてロシアは彼らの屍を踏み台に、世界の誰もが体験したことのない共産主義に向かって突っ走っていく。

命を賭けた男たちの祖国愛というのはかっこよすぎる。世にさまざまな愛があれど、祖国愛はどうも女には似合わない。やっぱり男たちが主人公だ。そういう話を書いてみたいもんだ、うん。そのためには、まずロシアの歴史から復習しなきゃならん。もちろんロシア現地取材も必要だ。参考書籍も読み込まなきゃ。壮大なロシア革命叙事詩だぞ、壮大な!

......そっ、壮大すぎる......どうやって書くんだ、2週間で! 書けねぇだろ。あぁ、「愛について」何を書きゃいいんだ......と頭をかきむしる4カ月前のわたしに教えてやりたい。もっと足元を見てみろ。小さな頃からわたしのそばにいて、いつも見守ってくれた愛しいあいつを思い出せと。艶やかな暗褐色の肌、やわらかな肉体に隠された真っ白な心でわたしをとろけさせたあいつのことを。それを思い出させたのは、秋口にテレビから流れてきたあのCMだ。

♪ふーか ふーか ふーわ ふーわ
♪まんまる エンゼルパイ
♪ちっちゃな ちっちゃな エンゼルパイ
♪はやくみんなで食べたいな

わたしが愛してやまないもの。その名は「エンゼルパイ」。......えっ、エンゼルパイが愛? そりゃあまりに足元すぎやしませんか? ふふっ(網タイツに着替え中)......♪これも愛 あれも愛 たぶん愛 きっと愛(※3)。



そうだ。わたしは物心ついたときから、エンゼルパイを愛していた。遠足のときは、お小遣いを300円握りしめ、2個入りのエンゼルパイを買い物かごにキープしたあと、残りのお金で何を買うか考えたものだ。自分で稼ぐようになってからは「今日は大盤振る舞いだ!」とばかりに、8個入りの大袋を買ってみたりもした。ふっ......わたしの体はエンゼルパイで出来ているの by川島なお美。

あれほど好きだったのに、高度成長期・バブル期はもちろん、失われた10年の間にも、雨後のタケノコのように湧いて出るお菓子の新製品攻勢に踊らされ、気がつけば、たまに思い出したように買う程度になっていたのだ。

CMは、そのエンゼルパイにミニサイズが出たことを知らせていた。そうだ。なぜ忘れていたのだ。エンゼルパイこそいつもわたしのそばにいて、乾いた心を癒してくれるものだったのに。これが愛でなくて何が愛だ! ええい、今すぐ行かねばならぬ。止めてくれるなおっかさん。背中の銀杏が泣いている。これまでの不義理をエンゼルパイに詫びねばならんのじゃ。

そして駆け込んだ最寄りのスーパー。「チッ、欠品か......」そこにエンゼルパイの姿はなかった。仕方なくその次に近いスーパーへ行ったが、ここにもない。ミニもレギュラーサイズも。なぜだ? コンビニも見てまわった。意外と百貨店なんかどうだ? とデパ地下も見たが、わたしの立ち回り先からはすべて姿を消していた。おーまいがーっ! なんてことだ! わたしの生活圏から消えたエンゼルパイ。いったいどこに行ってしまったのだ......。

◎以下、横浜のマルエツ大倉山店にて交わされた、もみのこ=も、エンゼルパイ=エの会話。

も「どうしておれの前から姿を消してしまったんだ」
エ「いなくなったことも気付かなかったんでしょう」
も「さがしていたんだよ〜ちいさなしあわせを〜」(※4)
エ「また歌ってごまかすつもりね」
も「横浜のスーパーで見かけたと聞いて、おれはわざわざ飛行機に乗ってここまでやってきたんだぞ」
エ「もういいの。終わったことよ。あなたのことは忘れることにしたわ」
も「どうしてそんなにわからずやなんだ」
エ「わたし知ってるのよ。あなたがわたしのことを忘れて、かっぱえびせん柚子こしょう味に入れあげてることを」

も「あ、いや、その、あの......あれはね、期間限定ものだし......だいたいあいつはおまえと違って塩味系のヤツだから、ほら、ジャンルが違うんだよ。ジャンルが。農水省の役人からも、大分県の柚子農家振興のために消費拡大に協力をって頼まれちゃってさ」
エ「農水省にお友達なんていたかしら。じゃあ明治EXTRA MILKチョコはどうなの。鼻の下のばして舐めまわしてたじゃない」
も「いや、それは、それはね。ガーナのカカオ農家支援のためにだな、ほら、今はやりのアレだよ、アレ、フェアトレードとかいうの?」
エ「つまらない言い訳ね。でもあなたがそう言うなら、そういうことにしてもいいわ」
も「そ、そうか。戻る気になってくれたのか」
エ「いいえ......。あなたは一番やってはいけないことをしてしまったのよ。わたしにそっくりなチョコパイに手を出したでしょ。彼女がいればわたしはもう無用の長物ね......悲しいわ」

そうなのだ。エンゼルパイがあるはずのその場所を占拠しているのは、どのスーパーでもチョコパイなのだ。しかもググってみると、悲しいことにエンゼルパイ好きよりチョコパイ好きの方が圧倒的に多いようである。あぁ、このままではエンゼルパイがこの世から消えてしまう。

お願いだ、チョコパイ派の君よ。一度エンゼルパイを手に取ってみてくれ。君らの言いたいことはわかっている。「あのマシュマロが嫌いだ」って言うんだろ? そう、わたしだってマシュマロ自体はそう好物ではない。ホワイトデーなる菓子屋の陰謀的イベントでは、すべからく、3月14日は女子にクッキー・キャンディー・マシュマロを贈る日という定説が打ち立てられているが、この中で、もらって一番がっかりするのは確かにマシュマロだ。

しかし、ビスケットというドレスとチョコレートのベールをまとったマシュマロの、あの食感はどうだ。それは君が知っているマシュマロではない。あのむっちりとした食感。噛み切ろうとしたとき、最後の抵抗を見せるかのように歯に逆らう奥ゆかしさ。一線を越える最後になって、パンツを脱ぐのをためらう女のようではないか。いやん、ばかん、やめて。♪じれったい こころをとかして じれったい からだもとかして〜(※5)そう、もっともっと知りたくなる、いや、噛みしめたくなるのだ。チョコパイ派の君も、エンゼルパイが醸しだすエロティシズムにクラクラくるに違いない。

エンゼルパイよ、斯様にわたしはおまえを愛しているのだ。だからしばらく忘れていたことを許してくれ。そして戻ってきてくれ、わたしのそばへ。

あなたの愛している人が、いつも当り前のように隣に存在しつづけるとは限らない。いつまでも放置プレイしていると、あなたのもとから消えてしまうかもしれない。心当たりのある人は、クリスマスという異教徒の祭りにでも便乗して、ないがしろにしている大切な人に、小さなプレゼントのひとつも贈ろう。そしてたまには「愛について」スイートに語ってみるのもいいかもしれない。

※1「愛について」スガシカオ
< >
※2「愛あればこそ」91年宝塚歌劇団月組
< >
※3「愛の水中花」松坂慶子
< >
※4「倖せさがして」五木ひろし
< >
※5「じれったい」安全地帯
< >

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。近所にないんです。エンゼルパイ。だから、秋の東京出張のとき一番にしたことは、横浜のマルエツ大倉山店でエンゼルパイミニのバニラとデビルズココアを入手したこと......というのは本当です。