[2772] 父親の誇り・息子の敬意

投稿:  著者:  読了時間:31分(本文:約15,400文字)


《♪ストレスが女をだめにする〜》

■映画と夜と音楽と...[447]
 父親の誇り・息子の敬意
 十河 進

■歌う田舎者[07]
 ハッとして!Boo
 もみのこゆきと

■ところのほんとのところ[30]
 28年間の封印を解き放ってパリ
 所幸則 Tokoro Yukinori


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■映画と夜と音楽と...[447]
父親の誇り・息子の敬意

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100115140300.html >
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                        〈3時10分、決断のとき〉

●元旦に初詣にいったときの出来事

毎年、元旦の朝には近くの香取神社へ初詣にいく。昔、まだ冷えた(?)夫婦関係になっていなかったときには、カミサンと紅白歌合戦が終わってすぐにいったことがある。着くと、ちょうど新年になっていた。しかし、参道の外にまでお参りの列ができていて、深夜の寒空の下、一時間近く並ぶことになった。その翌年、まだ高校生だった息子といったが、やはり参道の外にまで人が並んでいた。

このところ、ひとりで初詣にいくことが多くなった。毎年、破魔矢とお札を買ってくるので、それを納めにいって、今年の干支の破魔矢と新しいお札を買ってこなければならないから、やめるわけにいかないのだが、誰も付き合ってくれなくなったのだ。一昨年はひとりでいった。昨年は珍しくカミサンが付き合ってくれたが、今年もやはりひとりでお参りすることになった。

自宅からは、歩いて20分ほどである。家族連れが、やはり去年の破魔矢を持って歩いていく。羨ましいかと問われれば少し羨ましいが、まあ、そんなものだろうと思えるようになった。いつもは自室に籠もって本を読んだり、音楽を聴いたり、DVDを見たり、原稿を書いたりしているだけの男が、突然、家族一緒に...と言ったところで説得力はない。

元旦の10時過ぎだったが、参道にはまだ数10人の列ができていた。御用済みのお札と破魔矢を納め、お参りの列に並ぶと前にいる人が神社から出てきた、裃を着けた氏子代表みたいな人(地元の有力者だと思う)に声をかけ、いきなり深々と礼をした。それから大きな声で、「市場をクビになっちゃったんです」と言った。

氏子代表(かどうかはわからないが)の人は立ち止まり、「どうして?」と苦い顔をした。もしかして、この人が紹介した仕事なのだろうか、と瞬間的に僕は想像した。僕の前の人は「でも、お陰様で今年から職業訓練校に通えることになりました」と、みすぼらしい帽子を取り、再び最敬礼をした。

よく見ると、僕と同年輩か、もしかしたら年上なのかもしれない。ヨレヨレのジーンズに、かなり着古した革のジャケットを痩身に着けている。帽子を脱いだときにてっぺんが薄くなっているのが見えたが、髪は白髪交じりで長髪というより、のばし放題という形容が当たっている。もう少し崩したら、ホームレスの人と間違われるかもしれない。

彼はじっと参拝の順番を待ち、たったひとりで賽銭箱の前に立った。神主さんがお祓いをしてくれるのを、頭を垂れて受け、賽銭を入れ、綱を引いて鈴を鳴らし、作法通りに二礼二拍手をし、合掌して何かを祈った。その時間が、かなり長かった。何を祈っているのだろう、と僕は思った。

彼は、おそらく地元の人で、失業したのを氏子代表(かどうかは不明だが)になるほど地元では顔が利く人の紹介によって、近くにある市場で職を得たがうまくいかず、改めて職業訓練校で何か手に職を付けるのだろう。還暦近くになって、そんな風になるのは大変だろうなあ、と不況を実感した。みんな、幸せに暮らせないものだろうか。

しかし、彼に比べれば僕など運のいい人生だった、と思い上がった考えを持ったのではないか、と己を責める声がして、何となく落ち着かなくなった。そんな風に思うのは、傲慢である。彼も僕も、たったひとりで初詣にきているのは同じじゃないか、と改めて我が身を振り返る。どっちがいい人生だったかなんて、わかるわけはない。

●人は金を得るためだけに生きているわけではない

昨年、「決断の3時10分」(1957年)のことを書いたけれど、あの映画では金を強奪し面白おかしく生きてきたアウトローより、貧しくとも真面目に働き家族を愛し、家族に愛されて暮らしている農民の方が幸せなのだという結末だった。50年代の映画である。それはそれで仕方がない。ピューリタン的モラルが生きていた頃のアメリカ映画なのだ。

「決断の3時10分」をリメイクした「3時10分、決断のとき」(2007年)は、リメイクものの多くがオリジナルを越えることができない、という定説をくつがえす傑作だった。多くの人を殺したアウトロー役のラッセル・クロウと、真面目に働く牧場主のクリスチャン・ベイル。このふたりの対比が見事で、最後のシーンでは涙ぐまずにはいられなかった。

ラッセル・クロウが演じるベン・ウェイドは冷血な人殺しで、駅馬車に積んでいる大金を強奪するのに皆殺しも辞さない。「金があれば何でも手に入る」とうそぶき、酒場で会った女も彼が肩に手を触れただけで身を任せる。しかし、女とつかの間の情事を持ったが故に、彼は保安官に逮捕されてしまう。

クリスチャン・ベイルが演じるダンは、北軍に狙撃兵として従軍したときに片脚を撃たれ義足になっている。今は小さな牧場の主だが、鉄道会社と結託する川上の牧場主に水をせき止められ、その牧場主に借金をしている貧乏暮らしだ。ある夜、借金を返せと迫る牧場主の手先タッカーに納屋を焼かれ、さらに困窮する。水がなければ牛は死ぬ。彼は追い込まれている。

そんなとき、ベン・ウェイドの一味が駅馬車を襲い皆殺しにするのを、ダンは息子ふたりと一緒に目撃する。それをベンに見付かるが、彼は馬だけを奪って親子を野に放つ。ダンは駅馬車の護衛をしていたバイロン(何とピーター・フォンダだ)を救い、荒野を町に向かっているときに、駅馬車襲撃を聞いた保安官たちと出会い、一緒に町へいく。

町の酒場で、ダンはベンに会い、彼が逮捕される場に立ち合う。鉄道会社の人間が馬で2日ほどかかる町にベンを護送し、3時10分発のユマ行き列車に乗せれば200ドル払うと聞いて、ダンは護送を引き受ける。護送するのは怪我をしたバイロン、彼を手当てした獣医、鉄道会社の男、それにダンの納屋を焼いたタッカーである。

オリジナル版と違って、この護送の道中に様々なエピソードが加えられている。この行程で、自分の欲望のために平気で人を殺してきたベンの生き方と、いくら真面目に働いても楽にならず困窮しているダンの生き方が対比される。夕食のときに会ったダンの妻を、「俺なら贅沢させられる。結婚前は美しかっただろう」と、ベンはダンを挑発する。

護衛はひとり、またひとりと死んでいき、鉄道駅のある町に着いたとき、残っていたのは、ダンと鉄道会社の男とダンの跡を追ってきた長男のウィリアムだけである。彼らは鉄道が到着する3時10分まで、ホテルの部屋に潜む。鉄道会社の男は金を出して保安官に応援を頼み、助手を含めて3人がやってくる。

しかし、ベンを救うべく凶暴無惨な強盗団の一味が町にやってくる。そのリーダー格のチャーリーは200ドルの札束を町の男たちに見せ、「ベン・ウェイドの護送をしている人間を殺せばこれをやる」と宣言する。何10人もの人間が、金につられて銃をとる。ホテルから駅まで800メートル。ダンがベンをユマ行きの列車に乗せるのは、どう考えても不可能だ。

●いくら金があっても誇りをなくしては生きていけない

「3時10分、決断のとき」は、「善と悪」「正義と不正義」「罪と罰」といった根源的なテーマを浮き彫りにする。ダンは借金を返済できる200ドルのために護送を引き受け、「金のためだろう」とベンに言われるのだが、彼は自らの誇りのために、ベンを列車に乗せるまで護送することにこだわる。ダンは、鉄道会社の男から「これまでだ。200ドルは払うから諦めろ」と言われても、たったひとりでベンを列車まで連行しようとする。

ダンはベンを連れてホテルを出る。そこからは銃弾の嵐だ。町中の人間が襲ってくる。彼らは金が欲しいのだ。金がすべてという、ベン的な価値観でしか生きていない。その中で、たったひとり自らの誇りのために、引き受けた使命を完遂しようと、ダンは引き金を絞り続ける。孤立無援の戦いだ。そんなダンの姿が、ベンの中にあった何かを変える。

銃弾の嵐をかいくぐり雑貨店に逃げ込んだ後、ダンの告白を聞いたベンは、自ら先頭に立って駅へ向かう。ダンとベンは、まるで同志のようだ。ベンは列車に乗せられ、ユマの刑務所に送られると公開処刑が待っているのだが、そのユマ行きの列車に乗るために、自ら銃弾をかいくぐって走る。

このシーンが素晴らしい。ギターが彼らの心を謳い上げる。流麗なキャメラワークが、走る彼らをとらえる。映像的エクスタシーである。気が付くと、僕の頬を涙が伝っていた。男たちの心が通じ合ったのだ。彼らは理解し合ったのだ。互いの人生を...。だから、死刑が待つ囚人なのに、自ら囚人護送の車両に向かい、死を賭して走る。

ダンが何のために命を張っているのか、ベンは理解し、その心根に打たれたのだ。だから、この後の意外な展開も僕には理解できた。何10人もの人間を冷血に殺してきたベン・ウェイドは、大金を奪い、それによって何でも手に入る生き方だけが幸せなのではないことを理解した。人は、いくら金があっても、誇りをなくしては生きていけない。ダンは、そのことを身をもって示す。

●父親はいつか子どもに理解されたいと願っている

「3時10分、決断のとき」のもうひとつのテーマは、オリジナル版でも描かれていたが、より強調する形で鮮明に描写される父と子の物語である。リメイク版では、ベンの長男ウィリアムは14歳と年長に設定され、彼のシーンから映画は始まる。彼は燃え上がる納屋から馬を助け出し、父のダンが「もういい」と止めるのも聞かず、エサを運び出そうとする。それは牧場に残っている最後のエサだった。

父は「何とかする」と言うが、息子は「嘘だ」と吐きすてるように反応する。彼は、父が不甲斐ないのだ。納屋を焼いたタッカーにライフルを向けると、父はそれを止める。納屋を焼かれて、泣き寝入りする父が信じられない。父は「そのうち、俺を理解する」と言うが、彼は「理解したくない」とにべもない。彼は苛立っている。貧乏にも、借金取りの横暴に対して反撃しない父親にも...。

彼はベン・ウェイド一派が駅馬車を襲い、生き残った護衛が部下のひとりを人質にとったとき、ベンが抜く手も見せず部下もろとも護衛を射殺するのを見て、思わず感心したように「速い」とつぶやく。父親がベンを護送するのを追いかけて合流し、野営のときに自分のカードさばきを「プロ並みだ」と言ったベンの言葉に誇らしさを感じる。

彼は地道に真面目に働いても、牧場を取られそうになっている不甲斐ない父親より、拳銃も速く欲しいものは何でも手に入れてきたベンに憧れているのだ。だが、孤立無援になっても、囚人を列車まで護送する使命をまっとうしようとする父親を見て、初めて「凄いよ、尊敬する」と父親に告げる。それに対し、ホテルを出る直前、死を覚悟したダンは息子に言う。

──立派に成長してくれた。おまえは、俺の誇りだ。

この言葉は、父親なら一度は言ってみたいと夢見るものだろうが、現実の人生ではほとんど言う機会はない。僕も一度は「おまえは俺の誇りだ」と子どもたちに言いたいと思っているが、それは、子どもたちが誇れることをしたときに言うのではなく、彼らが困難にぶつかり挫折しそうになったとき、彼らを力づけるために言いたいと思う。失意のとき、せめて父親くらいは、手を差し伸べる存在でありたい。

現在、我が家には28になろうとしている長期失職中の息子と、もうすぐ25になるフリーターの娘がいる。2年ほどSEとして会社員をやっていた息子は扶養から外しているが、娘は未だに扶養家族に入っている。23歳から社会人になり、35年間、厚生年金も健康保険も雇用保険も税金も納めてきた人間としては、情けない気持ちもあるが、そういう状態でも許容されるのが現代だ。

息子は自分なりの夢があるようで、夜中にしきりに何かやっている。娘も改めて今年からある専門学校へいくことになり、昨年の秋からパン屋でアルバイトを始めた。彼らの夢が実現することを僕は望んでいるが、そう簡単には実現しないだろう。生きることは、困難を乗り越えることだ。我が家の現状をシビアに見れば、ニートとフリーターが存在するだけである。それでも、彼と彼女が僕の誇りであることは間違いない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
昨年暮れ、結膜下出血になった。10年ほど前から時々なるのだけれど、そのときは出血が多く、左の眼球がいびつに膨らむほどだった。「赤目」といえば白土三平の劇画に出てきそうだが、ほんとに真っ赤な目になった。仕方がないので花粉防止用に買ったサングラスをしていたら、会社の若いモンに笑われてしまった。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■歌う田舎者[07]
ハッとして!Boo

もみのこゆきと
< http://bn.dgcr.com/archives/20100115140200.html >
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成人式も終わり、年末年始モードもすっかり消えた今日この頃、皆さまいかがお過ごしでしょうか。......にもかかわらず、年末年始ネタを振ろうとするわたし。いいのだ。デジクリ的には今週まで松の内ということで。

年賀状が嫌いだ。いや、正確に言うと、年賀状の文面を考えるのが嫌いだ。「正月休みで"ムダだな?"と思う行為TOP10」なるものがネットニュースに出ていた。
< http://life-cdn.oricon.co.jp/news/71983.html >

寝すぎる/テレビを観る/何もしない/帰省......などなど上がっているのだが、年賀状が入っていないのが不思議でならない。あ、年賀状は正月休みの前にやるべきことだから入っていないのか。

システムエンジニア時代は年末年始に一日しか休めないということが珍しくなかったものの、プロジェクト終了時に「ちっくと国外逃亡するがで。おまんら、ゴチャゴチャ云うがやったら、出るとこ出るけんどえいがか? わては鬼政の娘じゃき、なめたら、なめたらいかんぜよ!(※1)」と凄みつつ休暇届を出すことが可能だった。だから、その年に出かけた旅先の風景写真を適当に貼り付けてりゃ、それなりの年賀状ができたのだ。

しかし窓際事務員となった今、これができなくなってしまった。月曜や金曜に休むことは不文律により御法度となっているため、それを押して休むと、微妙に刺々しい雰囲気が漂う。これすなわち、2泊3日の韓国にも行けないということなのだ。もちろん2泊3日の浪花粉もん食い倒れツアーにも、2泊3日のカニ・ウニ食べ放題北海道ツアーにも、2泊3日の山形さくらんぼを食べ尽くす旅にも行けない。

わたしのストレスは、国境の向こう側でしか解消できないのだ。ポルトガルの田舎町を巡った最後の旅から幾星霜。パスポートに印鑑がもらえない日々を積み重ね、わたしの脳みそは発狂寸前である。♪ストレスが女をだめにする〜(※2)。許される旅は新婚旅行だけなので、誰かわたしと毎年偽装結婚してはくれまいか。

このような理由で年賀状に旅の写真が使えなくなったため、違うことを考えなければならなくなった。しかし、そこいらの年賀状テンプレートから無難なものを貼り付けた、誰の印象にも残らない年賀状を作るのは、森林資源の無駄遣いではないかと思うのだ。いっそ出すのを止めてしまおうと毎年決意しそうになるのだが、かと言って一通も出さないというわけにもいかぬ。よって年末年始は毎年パソコンに向かって頭をかきむしっているのだ。

そんなわけで、苦悩の末に出来上がった年賀状はこちら(mixiオンリー)。
< http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1379628955&owner_id=3402746 >
虚礼廃止! をスローガンに、年賀状の枚数を年々削減しているわたしではあるが、中には「私に年賀状を送らないことをしてください」と、わざわざmixiで宣言なさる方もおいでになる。しかし我が家の家訓は「人の嫌がることをする」なので、そのような方は真っ先に筆まめのアドレス帳に登録し、元旦に届くようにポストに投函するという嫌がらせをせねば、ご先祖様に申し開きができぬのだ。すみません永吉さん。

あぁ、それにしても昔は良かった(遠い目)。いにしえの外遊日記を紐解いてみると......。市制施行記念日でおまわりさんマラソンリレーが行われていた凍るモスクワ。「あちらのお客様からです」と赤ワインが運ばれてきたニューヨークのジャズバー。サハラ砂漠のまんなかで、ひたすらじゃがいもを剥いたチュニジアの夜(※3)。なぜか『美しい十代(※4)』をタクシーの運ちゃんにリピートで聞かされたペナン島。

1月に出かけた旅は熱帯モンスーンの国、タイ。ふっ......タイか......何もかも皆懐かしい...... by沖田艦長(※5)。あれはまだ一人旅など怖くてできず、パッケージツアーで出かけた女子4人旅だった。エレガントな思い出の一夜を♪あ〜な〜た〜に〜も〜 わけてあ〜げ〜たい〜 by明治チェルシー(※6)。

それは1999年1月のこと。黄金色に輝く天使の都、タイのバンコクに到着したのは、とっぷりと日が落ちた時刻だ。バンコクでの最初の食事は、定番の民族舞踊ディナーショーを眺めながらのタイ料理。タイ風レッドカレーやグリーンカレー、トムヤムクンの酸っぱ辛いスパイシーな味が胃袋に染み渡る。カレーはもちろんタイ米だ。

一昔前、日本で米が不作の年に輸入したタイ米を「不味い!」と、倉庫で放置プレイするというけしからん出来事があった。われら田舎者は「お百姓さんを泣かすようなことをしてはいかん!」という掟がDNAに金科玉条の如く刻みつけられている。今まで食べたものと多少食感が違うくらいで、食べ残すような極悪非道なことをしてはならないのだ。だいいち、ココナツミルクをベースにしたさらさらのタイカレーには、もっちりした日本米よりタイ米の方がおいしいではないか。国境を越えた喜びに「あぁ、これぞ外つ国の味よ......」と目頭を押さえ、あれもこれも食べ過ぎるわたしである。

翌日は、バンコク市内の観光ポイントを巡る。暁の寺やエメラルド寺院、王宮や迎賓館などを見学。水上マーケットで果物の王様ドリアンを買って食べるが、噂ほどの激烈な匂いはしない。お昼は飲茶だ。水晶餃子や焼豚肉まん、揚げたてパリパリの春巻きなど、美味すぎて再び食べ過ぎる。なんと云っても、わたしが世界で一番愛する料理は春巻きなのだ。これを腹いっぱい喰わずして、どの面さげて国に帰れと云うのだ。

午後はローズガーデンで象に乗り、夜はタイ風しゃぶしゃぶの食べ放題。タイ風しゃぶしゃぶは、豚肉やエビ、肉団子にワンタン、野菜を入れた鍋料理なのだが、鍋には大量の香菜(コリアンダー)が入っている。その匂いのせいで日本人は香菜が嫌いな人も多いがわたしは大好きだ。田舎のスーパーには売っていないので、家で栽培して喰らうくらい好きなのだ。ナンプラーベースの怪しいタレやスイートチリソースを付けて食べるのだが、このナンプラーも「くさい」と嫌がる人がいる。農学博士の小泉武夫先生も「くさいはうまい」と言っておられる。ありがたくひれ伏して喰うべし、喰うべし、喰うべし。......そしてみたび食べ過ぎる。

あぁ、まずいな。毎食毎食こんなに食べては体重が......。しかもわたしはもともと便秘気味なのだ。デリケートな体質であるからして、他人と同室という環境では一層出なくなる。うーむ......喰って喰って喰い過ぎて、そして出ない日々。妊婦に間違われやしないかと心配になって腹をさする2日目の夜。

3日目は免税店でショッピングのあと、世界遺産アユタヤ遺跡へ。バンパイン宮殿や、ビルマ軍に破壊された仏教遺跡を見学し、昼はタイ料理バイキング、夜はタイ風家庭料理。料理人が目の前で調理してくれる熱々の焼きそばの美味いこと。砕いたピーナツや桜海老、塩漬け大根やもやしを具に、米の麺と炒りつける。タマリンドジュースやライム果汁の甘酸っぱさがエキゾチックな味わいだ。

......で、あんた、食べ物のことばっかり書いてるけど、寺だの遺跡だのに関して蘊蓄披露とかないんですか? と言われそうだが、食べ物以外のことは覚えていないのだから仕方がない。

この日の食事の後は、タイ古式マッサージが組み入れられていた。このままマッサージを受けたら、体中の穴という穴から喰い過ぎた焼きそばが出そうなのだが、田舎者は貧乏性なのだ。目の前に提示されたせっかくの異国体験を放棄するというもったいないことをしては、ワンガリ・マータイ女史に顔向けできない。あーもったいないもったいない。

われら女子4人組は別室でパジャマに着替え、マッサージ室に案内された。広々としたその部屋は、すでに施術中の客が何人も横たわっている。指示された場所に座ると、一人ずつマッサージ担当のねえやがやってきた。小さなたらいにぬるま湯を張り、足を洗ったあと、足揉み・ツボ押し。それが終ったら次は全身だ。痛気持ちいい刺激を受けながら布団にうつぶせていると、だんだん体中の力が抜けて意識が遠のいてきた。あぁ、ふわふわと雲の上に浮かんでいるよう......。そしてマッサージ担当のねえやが力を込めて腰を押したその瞬間、静寂を破るあの音が......。

「ぶぅ〜」
〜ハッとして〜 ぶぅ〜っときて〜 パッと目覚める僕だから〜(※7)。

......ちょ、ちょ、ちょっと、歌はいいから。今のはなんですの? わたくしってことはありませんわよね。今の音って、俗に言う「お・な・ら」ってものではございませんこと? あら、いやだ、わたくし生まれてこのかた、「おなら」なんてしたことございませんわよ。いえ、それはわたくし、こちらに来てから食べるばかりで何も出していませんわよ。だからなんだって言うの? ちょっと、皆様、何故わたくしを見ていらっしゃるの? あら、そこのあなたもわたくしを見て笑ってらっしゃるわね。失礼ですわよ。ちょっと、どういうことかしら! お向かいの女子なんて、涙を流してお腹をかかえていますわ。ちょっと、そこのマッサージのねえや、わたくしがタイ語がわからないとでも思って、好き勝手な事言ってるんじゃないでしょうね。あら、そっちのねえやも笑い始めたわ。ちょっと、余計な事言わないでちょうだい! あら、笑い始めたねえやが別のねえやにも説明を始めたわ。伝言ゲームじゃないんだから。ちょっと、お止めなさいってば。聞こえないのかしら? このわたくしの言うことが聞けないっていうの? この野郎、それ以上しゃべるんじゃねぇ!。

.........なんてことをしてしまったの、わたし。もう.........もうお嫁になんて行けないわ。エレガントな旅に食べ過ぎは禁物だ。そして11年後の今、やはりわたしは嫁に行けていない。

※1「なめたらいかんぜよ(夏目雅子)」鬼龍院花子の生涯
< >
※2「ザ・ストレス」森高千里
< >
※3「チュニジアの夜」
< >(The Jazz Messengers)
< >(CHAKA KHAN)
※4「美しい十代」三田明
< >
※5「地球か......何もかも皆懐かしい(沖田十三)」宇宙戦艦ヤマト
< >
※6「明治チェルシーの唄」シモンズ
< >
※7「ハッとして!GOOD」田原俊彦
< >
「くさいはうまい」小泉武夫
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167679949/dgcrcom-22/ >
ワンガリ・マータイ
< http://ja.wikipedia.org/w/index.php?oldid=29971987 >
【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp
働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。トルコでは生水のついたさくらんぼを食べ過ぎて、腹壊しました。

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■ところのほんとのところ[30]
28年間の封印を解き放ってパリ

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://bn.dgcr.com/archives/20100115140100.html >
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無事ハノーバーから帰り、しばらくまたパリ生活を満喫することに。いつものホテルにチェックインしようといたら、フロントの人がニヤリとして「キャッソンドゥ」と言って鍵を渡す。「キャッソンドゥ」とは402のフランス語だ。そう、僕は402号室にいつも泊まってる。屋根裏部屋だけど一番広くて安いからなんだけど、なんだか家に帰ってきた気分で凄く気楽。その日はゆっくり寝た。泥のように。やっぱ初ドイツはつかれてたんだと思う。

その後の数日はデータの整理やら、「キャパ」で連載っぽくなっている1secのためのParisの写真を仕上げるので精一杯。12月号は上海、1月号はパリ、2月号はドイツ。

合間に、カフェ飯(一応フレンチ)たべて、最後の夜は本格フレンチにいって鴨とキノコを堪能。昔風の伝統的なフレンチだったけど、となりのテーブルの人と仲良くなった。ふたりとも弁護士だそうで、片方はロンドンっ子で片方はパリっ子だった。

最初はロンドンっ子が軽く英語で語りかけてきた。どうみてもアジア人の僕ら二人には、英語のほうが少しは分かると踏んだようだ(笑)。一緒にいた友人はカタコトの英語でここのニシンの酢漬けはヨーロッパで一番うまい! とか話していたが、途中からもう一人のフランス人の方に流暢なフランス語で話しかけたので二人とも凄くびっくりしていた。

「旅行者じゃないんだ!」って会話になって、「そういえば君たちの食後のチーズの頼み方は(ここはチーズが選び放題食べ放題で有名)普通じゃなかった。アジアの人はこんなにチーズを食後に食べない」と言い出した。まあ、僕らはチーズ好きだけど、日本人なのでアジア人なんだけどな。友人はフランス永住権もってるけど、まあそういうイメージなんだろうな。

その日の帰りに「キャパ」の編集長と電話でしゃべる。カラーでパリのいい写真ある? とのこと。まあ普通に1sec用に撮ってるからありますけど(カラー情報捨ててモノクロームにしてるけれど、もともとカラーだしね)。だけど、パリには特別思い入れがある身としてはちょっと考えた。

だいたい28年間の封印を解き放って、僕はいまパリを撮っている。パリという街への憧れが強すぎると判断して、撮らなかった28年前の僕自身。もう7回はパリに訪れているが、まともなカメラを持って歩いたこともなかった。

20年以上撮らなかったわが街渋谷を、去年からとうとう撮り始めた今が、その時かもしれないと思い、一気に様々な街を撮り始めている。それでもパリは特別な存在なので、ある程度ターゲットを決めて攻め方を考えている。

パリに30年近く住んでいる友人や、僕が核にしようと思っているパリのある街を中心に動いてるクリエイターたちと話して、絞り込みながら撮り始めたところだ。ただそこと離れて1〜2カ所ほど、どうしてもポツンと撮りたい場所がある。それが「ラストタンゴ・イン・パリ」のあの橋。

それでもこの橋の話題が出ると、パリの知り合いみんながあの鉄橋はいいよという話になる。だけど、僕が核にすると決めた街とは何の関係もない街にそれはある。そこを明日の朝、飛行機に乗る前に見に行くかな。

この3日間、ずっと雨だったのに、そう決めると晴れたのだ。真っ黒な服を来て、真っ黒なα900とバリオゾナー16〜35ミリ、その上にNDの8を付けてるからホントに真っ黒。あの映画の結末にならないように撮っていたら5分後には日差しがなくなった。そういうものかもしれない。
その時の写真がこれ、日差しの中の「ラストタンゴ・イン・パリ」
< http://d.hatena.ne.jp/progetto-magazziniere/20091219/1261224512 >

この一連の撮影旅行の話は、ニコニコ動画で話していこうと思う。16日以降ほぼ毎週放送します。
コミュ名 所幸則 1sec(ONE SECOND)
< http://com.nicovideo.jp/community/co60744 >

さて、日本に帰ってきてからは「ヨコハマフォトフェスティバル」で流すためのスライドショー(15分)を作るのに結構時間を割いた。16日(土曜日)には「ライブトーク&スライドショー」を、太田菜穂子さん(キュレーター/G21ギャラリスト)と15時半からやります。開始1時間前から会場受付にて整理券を発行いたします。

テーマは"写真の中に流れる時間とは何か?""都市を写真化することとはどういうことか?"「21世紀の都市の肖像」に取り組む所幸則の作品「PARADOX-TIME」の書籍制作、展覧会づくりという現在進行中のプロジェクトを通して、作家とキュレーターがリアルタイムで経験している思考の発展、交わされている議論の内容、それぞれの役割について率直に語ります。是非お誘い合わせの上いらしてください。

その「ヨコハマフォトフェスティバル」の用意が想像以上に手間取り、3日徹夜。凝り性だからだけど疲れました。なんとかそのデータを渡して、今度は新幹線に飛び乗って広島へ。広島駅の電停から初めてひとりで路面電車に乗った。なんだか、こう広島の人になった気分が少しする(馬鹿?)。10年ぐらい前から年に4〜8日ぐらいの幅で、広島に来るようになった。流れている時間が、明らかに渋谷とは違う。

エピーソードを一つ。電鉄から降りようとしたときにそれが起こった。東京では考えられないことだが、電車から降りるときに料金を支払おうとするとき、料金150円なんだけど200円入れてもお釣りはでない。当然みんなわかっていることだけど、人間うっかりすることもある。ある日、急いで飛び乗って1万円札しかないときがあった。確かに小銭をたくさん持っていたはずなのに見当たらない。運転手に言うと「次回乗ったときに300円いれてくれたらいい」。

[ところ]はびっくりしたが、なんて素敵な街だと思った。もちろん、次回は300円入れたよ。素敵シティ広島の人を裏切らないように。ずっとこういうであってほしいな。頑張って広島を素敵に撮らなきゃね!

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

◇『1 Sec ONE SECOND 01』出版記念 One Second - SHIBUYA-YUKINORI TOKORO
会期:2009年12月5日(土)〜2010年1月24日(日)
会場:PROGETTO(プロジェット)店内にて
< http://www.progetto.co.jp/event/index.html >

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■編集後記(1/15)

・「サンデー毎日」1/3-10合併号のグラビアを眺めていたら、政治家19人の揮毫が掲載されていた。本文記事ではその揮毫にこめた、それぞれの政治家の2010年の抱負も紹介されていて、書の専門家や政治評論家による批評は意外に好意的だ。しかし素人で(意地の悪い)わたしから見ると、これはどうかと思う書ばかりだ。むしろヘタクソもいいとこで、教養も品格も感じられない書のオンパレードではないか。見てる方が勝手に恥ずかしくなる。これではありがたく頂戴しますどころか、引き取りも拒否されるわ。名もなき人が書いたものならともかく、政治家の字がこれでは国の将来が危ういとさえ思う。筆でなくサインペンの人が3人、福島瑞穂と亀井静香、これはひときわぶざま。藤井裕久の「真実一路」も今となっては複雑な思い。文部科学相がこんな字では日本の教育の危機を深刻に感じる。普通にうまいのは前原誠司と仙谷由人、バランスのいいのは谷垣禎一、意外に教養を感じさせるのが北澤俊美。ヘタだけど好感もてるのが渡辺喜美。昔の政治家は、将来大物になったときに恥をかかないよう、書の先生について練習したものだという。政治家になったからには、せめて書ぐらいは人並み以上を目指してもらいたいものだ。谷垣総裁は毛詩周頌よりも「将来の、国民の生活が第一」なんて民主党のそれをパクったキャッチフレーズ書いたらどうだろ。(柴田)
< http://bn.dgcr.com/archives/2010/01/15/01.jpg >
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サンデー毎日」1/3-10合併号より
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正月の新聞広告にあった筆文字 左から竹内結子(わりとうまい)、YAZAWA(それなり)、唐沢寿明(ギャグか?)

・宝塚歌劇。水様退団発表。覚悟はしていたものの......涙。/外国人参政権について、原口総務大臣。強制連行者に地方参政権を。帰国整備の方が筋。参政権を二重に持つ人まで出てくる。こういう発言で迷惑するのは、周囲の圧力に屈せず帰化した人たちや、参政権を頑張って用意した彼らの祖国なのでは? 民主党さん、とにかく日本人向けに経済対策第一でお願いします。失業者対策してください。国力下がったら、ご先祖様や未来の日本人に顔向けできまへんえ。/google対中国政府。検索結果規制解除。google頑張れ。何のためのインターネットだ。/iPhone(Androidも)のgoogle音声検索が便利すぎ。イントネーションの違う「雲」「蜘蛛」のどちらも「雲」になり、他の候補として「蜘蛛」が出てきたりする。一つの単語から連想される言葉も候補にあがる。「雲雀丘学園」まで出てくるのだが、これは「ひばりがおかがくえん」と読む。が、「着メロ 音量」が「着メロ 根性」というのもあった。これはないわ〜。着メロの心意気を見せてもらおうじゃないの! 根性出して着メロ作ったってのがひっかかるか。人名検索がおすすめ。特にタカラジェンヌ。「愛加(まなか)あゆ」だと、「もなか アイス」「真ん中」果てはAV女優さんまで。イントネーションと言えば、大阪だとiPhoneは、「あ」いふぉん(マンションと同じ)、が標準らしい。英語的にあい「ふぉ」ーん、だと思っていたし、CMでもそうなのに、どのショップでも「あ」いふぉん、で返される。「金色の免許証」と言うと「ゴールドですね?」と言われるみたいに自然に(CMの意図は別)。(hammer.mule)
< http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100114/stt1001142351016-n1.htm >
こんな発言したの?
< http://www.google.co.jp/mobile/default/onsei.html >
音声検索ムービー。井上陸さんが気になるわ〜
< http://www.apple.com/jp/iphone/gallery/ads/ >
あい「ふぉ」ーん、だった