わが逃走[58]ああ小麦粉、の巻/齋藤 浩

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謹賀新年。久々の『わが逃走』です。先日、私が最も信頼するコピーライターのM氏から「齋藤さんのコラムはものすごくクオリティが高いのに、何故出版社からオファーが来ないのでしょう? やはりあのタイトルが災いして各社がビビっているのでしょうか」という褒め言葉を頂戴いたした。

わはは、そこまで真顔で褒めてもらえると、どういうリアクションしていいかわからなくなるぜ。まあ確かにこのタイトルはヒトラーの自伝をおちょくってつけた訳だが、でも実際の話、デザイナーを名乗るからには、ナチスの宣伝戦略とはどういったものだったかを知っておかねばならないとも思うのです。

今でもナチスが開発した宣伝技術をベースに世界平和をアプローチしてたりするってことを、知った上で! デザイナーやってるのと、「知りませんでした」っていうのとでは、その肩書きを名乗る上での責任の重みが違う。

デザインとは狂気につながる凶器でもあり、使い方を間違えると簡単に人も殺せちまうんだぜってことを理解した上で、デザイナーは刃物や銃を取り扱うような自覚と責任を持たなくてはいかんと思うのです。このコラムのタイトルは、デザイナーを名乗る自分への戒めというか、そういった意味を込めてつけたものなのです。

とはいえ、出版社のみなさん。いざとなったらタイトル変更しますので、遠慮なく言ってくださいね。ご連絡お待ちしています。

さて、今回はまたデザインとは無関係な話をしましょう。小麦粉の話だ。ウチの近所にはパン屋やケーキ屋やたいやき屋がひしめいているので、そのあたりを語ろうと思います。

そもそも私はパンが大好きなのだが、太りやすい体質ゆえ、なるべく食べないように心がけていたのだ。ところがです。昨年秋頃から、つぎつぎと美味しいパン屋の情報が私のもとに入ってきまして、それらの味を検証すべく食べ続けていたら、当然のことながら太ってしまった。こわくて体重計に乗ることすらできない。ただ食べているだけでは太り損なので、ここらで一度まとめてみることにした。



1.『P』

三軒茶屋から世田谷通りをまっすぐ歩いて、環七を越えてすぐのところに『P』がある。黄色い壁の小さな店なのだが、結論から言ってしまえばここのパンがいちばん旨い。いちばんクオリティが高い。最も素晴らしい。

店主のパンに対する考え方が、パンをひと口食べれば明快に伝わってくる。実に誠実。『P』の、パンとはこうあるべきだ、こうあって欲しいという気持ちを、味わったすべてのひと達と共有できる幸せを感じてしまう。凄すぎる。普通のパン屋のパンと比較したら、ちょっと単価は高いかもしれないが、費用対効果を考えれば激安の部類に入ると思う。

純粋にパン本来の味わいを楽しむのであれば、食パン、パンドゥミ、クロワッサンをまず食べてみるべし。食パンはまず一斤の重さに驚かされる。味わいも重めだが、重さも重いのだ。

さて、これを薄めにスライスしてトーストしてみると、こりゃもう、とんでもなくいい香り&いい歯触り舌触りなのだ。素材の味がパンの味となって調和してゆく過程までもがイメージできる絶妙な味わい。バターをつけるなら少なめが良い。

パンドゥミは食パンのさらに重たいバージョン的な位置づけか。凄さでいったら、こっちの方が凄いのだが、食べるにはそれなりの覚悟が必要。クラシックのコンサートに、ガソリンスタンドの景品でもらったTシャツを着ていくわけにはいかんよなあ、的な、心の準備が必要なのだ。こちらもスライスは薄めがイイ。

クロワッサン。これはもう、犯罪ですね。外側はサクサクで、中はしっとりしている。しかも密度が濃い。普通の店だと中身は空洞のものが多いけど、ここはしっかり詰まっている。

ここまで旨いクロワッサンは未だかつて食べたことがない。食べた瞬間、脳がバラ色になるのだ。フランス人がエロいのは、こんなものを毎日食べてるからなのではなかろうか。パリ在住経験のある知人二人に尋ねてみたところ、パリにもここまで旨いクロワッサンはないとのこと。

後述するたいやき屋の主人もここ『P』の大ファンで、なにかと情報をおしえてくれる。たとえば、いくら腕のいいフランス人パン職人が本国と同じ条件でパンを焼いても、すっぱくなってしまうのは何故か?? という話。

原因は菌なのだそうだ。納豆菌などの日本独自の菌がかもしてしまうらしい。「空調はもちろん、壁の厚さなどでも完全防備しているらしいんですよ、すごいでしょ、隣のパン屋」。いやー、奥が深いなあ。

2『T』

『P』の隣にあるたいやき屋。このあたりのあんこ系粉もの屋では、三軒茶屋キャロットタワー1階の今川焼が有名だが、いつも行列ができているのでオレはあまり買わない。

で、どうするかといえば、ここまで歩くのだ。数分歩くだけで、独特の食感をもつ美味なたいやきを食べることができる(今川焼とたいやきは別ものだが、細かいことをツッコンではいけない)。

とはいえ、注文してから焼いてもらうことも多いので、時間的にはそう変わらないのかもしれないが、店で待っている間の雰囲気も含めて旨いたいやきと言えましょう。中身は小倉、豆乳クリーム、黒ごま、キャラメルクリームの4種。これらを独自の薄皮で包み、サクサク、パリパリの歯触りとあつあつのあんことのコントラストには、ある種の美学を感じてしまう。

ベーシックな小倉あんこがおすすめだが、この対極ともいえるキャラメルクリームも癖になるジャンクな味わいだ。ケーキやドーナッツと比べ、あんこ系粉ものの良いところのひとつとして、食べたときの罪悪感が少ないという点が挙げられましょう。

しかし、このキャラメルクリームは完全に罪悪の塊です。けっこうなカロリーなんじゃないかなあ。独特の甘ったるさと軽い歯ざわりとの対比が、庶民としての幸せを再認識させてくれるのだ。これもある種の美意識といえましょう。

3『F』

数年前まで梅丘に『L』という大好きなパン屋があったのだが、遠くに移転してしまって寂しい思いをしたのだ。その寂しさをまぎらわせてくれたのが、ここ『F』である。『T』からさらに世田谷通りを進み、コンビニのある交差点を左に入ったところ。

かなりクオリティが高いのだが、やはり『P』を知ってしまうと普通に思えてしまうなあ。GT-Rは確かにいい車なんだけど、ランボルギーニ・カウンタックやフェラーリBBの隣にあっては普通の車に見えてしまうといったところか。

いわゆる食パン系やクロワッサンは値段相応な美味しさだが、ここはセーグル系が旨い。とくに、ドライフルーツがぎっしり入ったもの(名前は忘れた)が絶品と言えましょう。

4『M』

交差点の、コンビニの向かい。商店街に入ってすぐ左側の「町のケーキ屋さん」。ここは凄い。21世紀の小洒落たスウィーツなんかじゃない、昭和のケーキの味が楽しめるすばらしい店だ。噂によると、ここのご主人は某有名ホテルのパティシエだったらしい。

現在30〜40代くらいの世代にとって、子供の頃に本当に食べたかったハレの日の味が良心的な値段で手に入る救世主のような店である。ショートケーキとシュークリームとアップルパイとチョコレートケーキとサバランは、とりあえずおさえておこう。誰もが子供の頃にときめいた佇まい。この店で誕生日のケーキを買ってもらえる子供は、きっと親とシアワセ感を共有できることであろう。

5『OO』

最近できたベーグル&ドーナッツの店。『M』からまっすぐ世田谷線松陰神社前駅に向かい、駅前踏切の手前のアーケードを左に入る。非常に良心的かつ誠実な味わい。内装もご主人が手がけたそうで、それゆえ告知から開店まで一年近くかかったという、なんともこだわりの店である。

現在はドーナッツとベーグルが数種類ずつ+ドリンクメニューといった構成だが、ゆくゆくはベーグルサンドなんかも作るかも、とのこと。たのしみである。ベーグルはもっちりと、きちんとした歯ごたえで、食べたときの香りがまたイイ。ドーナッツはほどよい甘さで、ダイエット中でも罪悪感を感じない。

ベーグルやドーナッツに性格があるとしたら、いわゆるいい人っぽい感じ。近所の評判もすこぶる良く、これからも応援していきたくなる今日この頃。やはり地元の人の信頼ってのがここらで店出していく上では重要だよね。

6『N』

老舗パン屋。『M』からまっすぐ商店街を進み、踏切の角の店。ここも素晴らしい。とにかく、安くて旨いのだ。コンビニで普通に売ってる大量生産モノと値段的にたいして変わらないのに、ここまで旨いというのは実に庶民の味方と言えましょう。費用対効果というモノサシで見たら、おそらく『P』といい勝負になる。

焼きたてのエピ系のパン「ベーコンエピ」「ごぼうエピ」と、種類が豊富な食パン系がオレ的には特にオススメ。ベーシックな食パンから、オレンジピールを練り込んだものや牛乳をたっぷり使ったものなど、お店に行くタイミングであったりなかったりするのだが、どれを食べてもシアワセな気持ちになれるのだ。ありがとう、『N』。

7『O』

踏切を渡ってちょっと行って右側。いわゆる町のパン屋さんである。過去に一度食べたのだが印象はイマイチで、それ以来足が遠のいていた。しかし、複数の方からここの「上食パン」は旨いという情報を得ていたので、この度6枚切りを購入、トーストしてバターを塗って食べてみたところ、おお、旨いじゃないか。

いわゆるきめ細かな昭和の食パンなんだが、香りがいい。檜のいいにおいがするのだ。どうやら焼き上げた後にストックしておくケースに檜を使っているらしく、それが味わいに一役買ってるみたい。さらに、冷凍保存しても味が落ちないという評判も聞く。なかなか奥が深い店なのかもしれない。

以上、年明け一発目から、地元ネタをデジタルともクリエイターズとも無関係に語りました。この他にも有名すぎて書く必要のないスウィーツの名店や、セレブな人達と地元の人達とで意見が二分されるパン屋などいろいろあるのだが、今回はここまでといたします。んでは皆さん、今年もよろしく。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。