映画と夜と音楽と...[448]すべては美しすぎたロミーのせい
── 十河 進 ──

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〈ルードウィヒ/離愁/夕なぎ/追想〉

●記憶をなくし目覚めた朝の不安と自己嫌悪

また、やってしまった。今朝、気付くと自分のベッドで寝ていたのだが、上はセーターを着たままだった。下は下着一枚である。見渡すと、床にコート、ズボンが脱ぎ散らかしてある。服を剥がしあうのももどかしく、着ているものを投げ捨て、女性とベッドインしたという風情ではない。単に酔っ払って寝てしまったのが、歴然たる痕跡だった。

記憶が...まったくない。あわてて起きあがり、財布とカード入れがあるかと確認したら、床に散っていた。メガネがないと慌てたら、コートの下から出てきた。その他に持っていたものは、兄弟分カルロスにもらった小型のポケットナイフと、息子が昨年の誕生日にプレゼントしてくれた革カバーをした文庫本である。

ナイフと文庫本は見付かったが、文庫本の上部は水を含んだように膨れ上がっている。匂いを嗅いだら、ジンの香りがした。記憶が少し甦った。その記憶が甦ったことで、躯のあちこちが痛んでいる理由を理解した。右の掌が痛い。肘も痛む。左手の指をすりむいていた。

カルロスにもらった、いい香りがするおいしいジンを、駅のホームで転んで割ってしまったのだ。陶器の容器に入っていたジンは、酔ってフラフラして転んだはずみに割れてしまった。その瞬間を思い出した。ジンの香りが、駅のホームに広がった。そのとき、躯のあちこちを痛めたのだろう。

紙袋には、ジンと文庫本と...。しまった、Iさんにもらったカミサンへのお土産も入っていたのだ。あわてて、カミサンの部屋へいき「夕べ、Iさんにもらったお土産、持って帰らなかった?」と聞いた。カミサンは眠そうな顔をして、「知らないわよ。帰ってきて電気をつけてまわって、騒いで...。あれで、よく帰れたわね」と、うんざりしたように言う(気持ちはわかる)。



ふと見ると、リビングのテーブルの隅にパリ土産の袋が置いてある。Iさんの奥さんが暮れにパリにいったときのお土産だった。ホッとしたところで、カルロスにもらったジンを割ってしまったことを、改めて後悔した。何と詫びようか、と落ち込んだ。後悔しない酔っ払いはいない。飲んだ翌日には、自己嫌悪しか存在しない。

とぼとぼと自室に戻ったら、床に線香が散らばっていて、初詣でもらってきた香取神社の木のお札が落ちていた。昨日、カルロスの店に出かける前に自室を掃除し、そのお札をテープで壁に貼り付けていたのだが、そのテープが剥がれ、その下の棚に小さなグラスに差して置いていた線香のストックもろとも床に落ちたのだろう。

ガムテープを両面テープのようにして、お札の裏に貼っていただけなので、それで剥がれたのだと推察できたが、カミサンによると帰宅した僕は、それを見て「陰謀だ、陰謀だ」と騒いだらしい。しかし、そのお札が落ちたということは、僕の身代わりになったのではないかと考え直した。僕が線路に落ちていても不思議ではなかったのだ。

あらためて、無事に帰れたのが奇跡に思える。カルロスの店を出て、青学の前を歩き、紀伊國屋の前を通り過ぎ、きちんと表参道から千代田線に乗り、長い時間を混んだ終電近くの電車で過ごし、きちんと駅で降り、転んで紙袋を落とし、タクシーに乗って自宅の近くで降り、金を払って帰ってきたのだ。一時間半かかるのだ。やはり、奇跡としか思えない。

それから、不安に襲われた。カルロスの店で、きちんと勘定はしたのだろうか。最後に出してくれたジンを「こんなうまいジンはない」と騒ぎ、「じゃあ、一本もってけ」と紙袋に入れてくれたのだが、僕はしつこくねだらなかったか。つまらない自慢をしなかったか。電車の中で人に迷惑かけなかったか。タクシーに金は払ったのか。カミサンにヤバイことを口走らなかったか。

●すべては美しすぎたロミー・シュナイダーのせい

ロミー 映画に愛された女──女優ロミー・シュナイダーの生涯おそらく、すべてはあの美しすぎたロミー・シュナイダーのせいだ。気品にあふれたドイツ生まれの女優である。今朝の朝日新聞の読書欄に「ロミー 映画に愛された女 女優ロミー・シュナイダーの生涯」という日本人が書いた本が紹介されていたが、それを読んで、僕は昨夜のことを思い出し、妙な暗合に驚いた。

もう一昨年のことになるが、日本冒険小説協会の忘年会で、スペイン料理店のオーナーシェフであるカルロスと兄弟盃を交わした。ふたりとも酔っ払ったうえではあったが、以来、「兄貴」「兄弟」と呼び合っている。後で知ったのだが、カルロスはテレビの「チューボーですよ」に巨匠として出演するほどの有名シェフだった。

カルロスの店は「ラ・プラーヤ」という。けっこう値の張る店なので頻繁にいく訳にはいかないのだが、以前からIさんに「一度いきましょう」と言っていて、新年会を兼ねて正月明けの三連休の初日に男ふたりで予約した。当日、離れた席に五人の男女の客がいた。こちらに背を向けていたのは、ある高名な評論家の人だった。

Iさんは、その評論家の著作や週刊誌の連載を読んでいて、その人の顔もよく知っていた。僕は言われて、見覚えがあるなと思った。もちろん名前は知っている。最近の矢作俊彦さんの諸作を高く評価している人だ。僕も何冊か、その人の本は読んだことがある。

店に迷惑をかけてはいけないので、なるべくそちらの席を意識しないようにしていたのだが、宴がたけなわになって、その席で映画談義が始まった。しばらくして「『いそしぎ』は、絶対見なきゃいけません」と言う男性の声がした。その後、「ロミー・シュナイダー」という名前が聞こえた。耳を傾けると「いそしぎ」の主演をロミー・シュナイダーと言っているらしい。

夕なぎ [DVD]僕はIさんと視線を交わした。Iさんが小さな声で「SHADOW OF YOUR SMILE」を口ずさんだ。「『いそしぎ』は、エリザベス・テイラーです」と、小声で僕が言う。Iさんも小声で「ロミー・シュナイダーには、確かクロード・ソーテ監督の『夕なぎ』という作品があります」と言った。

そこから、こちらの席もロミー・シュナイダーの話になった。Iさんは、音楽、オペラ、歌舞伎、映画、文学、その他の豊富な知識を持っていて、僕もかなわない人(カルロスもそうだ)なのだが、特にロミー・シュナイダーについては思い入れがあるようだ。以前にも、Iさんとはロミー・シュナイダーの話になったことがある。

●ロミー・シュナイダー出演作が立て続けに公開された年

ロミー・シュナイダー―恋ひとすじに (20世紀メモリアル)若い頃のロミー・シュナイダーは、アラン・ドロンとの婚約と破局で語られることが多かった。彼女自身が書いた回顧録「恋ひとすじに」を読むと、婚約者アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」(1960年)の現場にいく話が出てくる。「太陽がいっぱい」の冒頭、彼女は一瞬だけ顔を出す。いわゆるカメオ出演だ。そのとき、ヴィスコンティ監督に会うことをドロンに強く勧められる。

ドロンは「若者のすべて」(1960年)で、ルキノ・ヴィスコンティ監督と出会い、その才能に心酔していたのだろう。その後、ドロンは「山猫」(1963年)にも出演する。しかし、ロミー・シュナイダーとヴィスコンティ監督の幸福な出会いは、「ルードウィヒ」(1972年)まで待たねばならなかった。

ルートヴィヒ 復元完全版 デジタル・ニューマスター [DVD]しかし、ロミー・シュナイダーの代表作は、日本では「ルートヴィヒ 神々の黄昏」として1980年にようやく公開され、完全復元版「ルードウィヒ」の公開は1989年まで待たされた。そのときになって、ようやく「ルートヴィヒ」は「ルードウィヒ」として、オリジナル・タイトルの発音に修正されたのだ。濁音が、ひとつずれただけではあるけれど...。

「ルードウィヒ」は、「狂王」と呼ばれたバイエルン国王・ルードウィヒ二世の生涯を描いた壮大な叙事詩で、ロミー・シュナイダーはルードウィヒが愛する従姉エリザバートを演じた。その映画を見たとき、僕はロミー・シュナイダーの美しさと高貴さに惚れ惚れした。彼女は、ヨーロッパを代表する女優になった。

ロミー・シュナイダーは、アラン・ドロンとの婚約解消後、日本公開作が激減する。やがて「太陽が知っている」(1968年)でドロンと共演し、スキャンダラスな話題を提供して復活した。日本でもそれ以前に「夏の夜の10時30分」(1966年)などが公開されていたのだが、話題になったのは「元婚約者との再共演」だった。

離愁 [DVD]復活したロミー・シュナイダーは娘時代のようなアイドル的美人女優ではなく、ミステリアスな雰囲気を持つ大人の演技派女優になっていた。そして1975年の冬、「離愁」(1973年)と僕は出会う。「離愁」については、「愛に関する究極の選択」(「映画がなければ...」第一巻523頁)で書いたけれど、ラストシーンのロミー・シュナイダーは、神々しいまでに美しい。死を覚悟した女の幸福感(!)を、彼女は見事に表現した。

地獄の貴婦人 [DVD]「離愁」が公開された1975年の晩秋、「地獄の貴婦人」(1974年)というロミー・シュナイダー主演作が公開された。ミッシェル・ピコリとの共演なので気にはなったが、題名の凄さに驚いて僕は二の足を踏んだ。結局、「離愁」のロミーを思い浮かべ、そのイメージが崩れることを怖れて見にいかなかった。

1976年2月、イブ・モンタンとの共演作「夕なぎ」(1972年)が公開された。もちろん僕は、美しいロミー・シュナイダーを見るために映画館に出かけた。ロミー・シュナイダーが「ルードウィヒ」と同じ年に出演したのが「夕なぎ」(1972年)だ。パリっ子監督クロード・ソーテは、大人の恋愛を描く名手である。やはり、ロミー・シュナイダーは美しかった。

追想 [DVD]翌月の3月、今度はロベルト・アンリコ監督の「追想」(1975年)が公開される。「追想」については「美しい思い出が促すもの」(「映画がなければ...」第三巻61頁)で書いたが、美しい妻(ロミー・シュナイダー)の思い出がなければ、成立しない映画だった。殺されたロミー・シュナイダーが美しければ美しいほど、主人公(フィリップ・ノアレ)の悲しみが際立った。

1975年の冬から翌年の春までの一年ほどの間に、日本ではロミー・シュナイダー出演作が4本も集中して公開されたのだ。それは、彼女が34歳から37歳までに出演した作品群だった。彼女は、「花様年華」とも言うべき、30代後半の絶頂期を迎えていた。

しかし、「サン・スーシの女」(1982年)を最後に、彼女のフィルモグラフィは途絶える。その年の5月、ロミー・シュナイダーは自宅のソファで死んでいるのが発見されたのだ。パーティから帰ったままの姿だったという。43歳の短い生涯だった。

●隣席から同じ話題に加わられるほど迷惑なことはない

もちろん、僕とIさんは、そんな話を声高にはしなかった。酒を飲んでいて、隣席から同じ話題に加わられる(特に訂正される)ほど迷惑なことはない。僕らは「いそしぎ」の主演は、ロミー・シュナイダーのままにしておいた。カルロスがやってきて「耳がダンボになってるんじゃないか」と突っ込む。確かに、僕の耳はダンボになっていた。

昔、Iさん夫妻と僕とカミサンの4人で水戸芸術館にロバート・メイプルソープ展を見に出かけた帰りのこと、列車のボックス席の通路側しか空いていなかったので、僕とIさん、うちのカミサンとIさんの奥さんが通路を挟んで腰を降ろしていたことがある。僕の隣の窓際の席に中年の男性がいた。

僕とIさんは、いつものように(気を遣いながらだったと思うけど)本や映画の話をしていた。やがて中上健次の話になり、その作品のことを話していたとき、僕の隣の男性がいきなり「それは違うと思いますよ」と話に割り込んできた。それから、男性はひとしきり中上健次論をぶち、僕とIさんはその勢いに負けて沈黙した。

昨夜、僕はIさんに「ホラ、あの水戸からの帰りの列車」と囁いた。Iさんも「あのときは、いきなり批判的に入ってこられましたからね」と答える。それをきっかけにして、Iさんと中上健次の話になった。兄弟盃をした夜、カルロスが中上健次を愛読していると聞き、四方田犬彦さんが書いた長篇の中上健次論「貴種と転生」を渡した話などをした。

四方田犬彦、中上健次、貴種と転生、オリュウノオバ...といった言葉が飛び交い、もしかしたら今度は向こうの席の人の耳がダンボになっているかもしれないな、と僕は思った。何しろ、その高名な評論家の人はウィキペディアで「中上健次の『千年の愉楽』を『いんちきポルノ』と評した」と書かれている人である。

しかし、このあたりから酒がまわり始め、やがて向こうの席の人々が出ていき、手が空いたカルロスがやってきて話に加わり、さらに僕のボルテージは上がった。広い店に大きな声が響く。おまけに、おいしいジンを出してくれる。僕の酒量は、さらに進んだ...

今朝、目が覚めて風呂に浸かり、自己嫌悪から逃れるために、ここまで原稿を書いてきたが、キーボードを叩くと掌が痛む。見ると打撲傷の青いアザが現れ始めている。やれやれ、である。今年も、前途多難かもしれない(自業自得だけど...)。それにしても、入手しにくい貴重なジンを落として割ったことを、兄弟分に何と詫びようか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
双葉十三郎さんが亡くなった。99歳というから、僕が担当編集者としておつきあいいただいた頃は、60代後半の頃になる。いつも締め切りより前に原稿が仕上がり、銀座の試写室に受け取りにいっていた。最前列に座った双葉さんの両隣には、いつもおすぎとピーコがいた。

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by G-Tools , 2010/01/22