[2781] これからのWeb、これからのWeb屋

投稿:  著者:  読了時間:28分(本文:約13,500文字)


《またしても買い値のモトが取れていない感満点》

■電網悠語:日々の想い[146]
 これからのWeb、これからのWeb屋
 三井英樹

■ショート・ストーリーのKUNI[73]
 あいまい
 ヤマシタクニコ

■つはモノどもがユメのあと[12]
 mono11:持ち歩かないまま持ち腐れ
 「CASIO QV-30 / Canon PowerShot S20」
 Rey.Hori


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■電網悠語:日々の想い[146]
これからのWeb、これからのWeb屋

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20100128140300.html >
───────────────────────────────────
これから自分が何をして食べていくのか、Web屋として。そんな問いは数か月ごとに脳裏に浮かんでは消える。別に答えが見えたから消える訳ではない。不安と展望とが入り混じった状態が浮かぶときで、展望が勝ると考えている時間が惜しくなって沈んでいくというのが近いだろうか。そんな今までの経験と、他のITメディア系の興亡からの推測を重ねている。


いい歳にもなっているし、Webの発展は、一応黎明期から体験していると言ってもいいだろう。気に入ったサイトに出会うたびにソースコードを覗き、マネをする毎日。あ〜そう書くのか、おーこう書くのか。新しい表現に出会うたびに、その骨格を眺めては感心していた。

たいした技術はなくても良かったのかもしれない。#ffffffが白を指定するものだと知っているだけで、「外側」の人たちには驚かれた。個人の技が世界を変えると言いきってしまうほど、SOHOやら個人クリエイターたちが注目を集めた。各自の技を惜しみなく開示し、時代のアクセルを踏んでくれた恩人たちともその頃に出会っている。

そして時代は、個人からツールにシフトして行く。個人のスキルを、ツールが代行できるかのような流れ。オペレーションを重要視し、それを使いこなせることがスキルと呼ばれた。定型的なサイトが増え、巨大サイトが誕生したのも、その頃だ。ツールを使った大量生産を、少数チームでも可能となった。

ツール至上主義は、省みられることなく未だに一部の人たちの中で信奉されている。ツールがヴァージョンアップするたびに、競って買う層。最新オペレーションを教えることこそが大切だと言わんばかりの学校群。けれど、真のクリエイティブがオペレーションの中から生まれるとは思えない。ツールが提供する、ある意味汎用化された利便性は、結局均質化したものを生むことが多く、更にそれらは劣化コピーであることが多かった。

そうして漸く、ツールは持っているだけでは駄目だし、オペレーションが長けていても、感動作が作り込める訳ではないことが、潜在的に広がっていく。同時に、ツールは作り手を楽にさせるという意識から、より高い完成度を目指す際に助けてくれるものという意識も生まれていく。これは後に、コンテンツ・マネージメント・システム(CMS)という領域でも同じ歴史を繰り返す。導入すれば楽になるという幻想は広まってはいるけれど、実際に楽になったという話はあまり聞かない。けれど、担当者が様々な工夫をして、質の高いサービス提供ができるようになったとは聞く。

その辺りはパソコンとも似ている。持っていさえすれば、凄く賢くなった気になるけれど、持っているだけで何が変化する訳ではない。ちょっと使うためには、設定とか諸々正直言って手間がかかる。けれど、キチンと作れば、明らかに一段上の品質のものを作成することができる。夜明けまで格闘するようになったのは、パソコンと格闘すると高品質になると自覚してからだと思える。楽にはしてくれない、でも、満足させてくれる。それがIT系ツールの特性なのだと思う。

そんな高品質をアウトプットにする人達は、徐々に大きな舞台を求めるようになっていく。いや、実際は大きな舞台が彼らを求めたのかもしれない。大企業が、ただ大量なものではなく、高品質な情報提供をするための仕掛け、Webサイトを必要とするようになる。高品質な、という枕詞が付く以上、品質に対する評価指標が存在する。指標はほぼ会社ごとにあり、その品質は実はピンからキリまで存在した。

指標があるところには、評価が伴う。様々なWebスキルが、Web以外の評価軸で断裁されていく。それは今でも続いている。Photoshopの使い手が、Java開発者の評価軸で見られる。鶴と亀とを同じ天秤で測ろうとしているようにも見える。かくして、生産性や効率性や費用対効果(ROI)の話が至るところでなされる。

生産性の高低は議論されるけれど、その評価軸が正当かどうかの議論に、評価される側が呼ばれるはずはない。評価しなければならない状況が正論であることは認めつつ、生産性の良さを考慮して娘や息子と話をするのかという思いも頭をよぎる。効率を求めて伝えて、本当に効率よく進むのか。北風と太陽の話も思い出す。吹き飛ばせば効率良いように思えても、結局旅人がコートを脱いだのは暖かさの故の自発的行動だった。

一つ上の段階に進むたびに、何かしら新しい評価軸の壁に突き当たる。それがWebの進展や進度や深度を測るバロメータなのだろう。そうした測る側の構造も変わりつつ、測られる我々自身も変わっていく。創意工夫のテーブルレイアウトの時代から、情報構造的なCSSレイアウトの時代。セキュリティに対する対策。HTMLという言語における、コードの品質。Webという枯れた技術に見えながら、実は日々深く深く根を伸ばし続けているこの業界。決して歩みが止まっている瞬間すらない。そして下水道管を内包している普通の道路や、年中工事を繰り返している主要鉄道駅と、実はよく似ているのかもしれない。

普通になったからこそ、深化しているもの。一般的になったからこそ、高度なものが求められる世界。ここまで来て、時代は巡っていると意識する。Webサイトって何? という時代に、他社に抜きん出るためにわれ先にWebサイトが構築された。それが、いまやサイトを持たない企業はない状態になった。

「ない」状態から「あって当たり前」状態に。ここでこの種の競争の一巡目が終わったのだろう。「ない」状態での競争から、「あって当たり前」状態での競争へ。次元が一つ増える感覚だろうか。「ない」時代に、一足早くWebの可能性を見出し、投資を始めた担当者の苦労を考える。何度「それは役に立つのか」という問いに答えたのだろう。今、先進的な担当者は、「あって当たり前」という前提で「今あるんだからもういいじゃないか」との問いと格闘しているのだろう。

Web屋も同じ問いと戦っている。HTMLだけなら誰でもかける時代になった。そのスキルだけを見ると、価格競争に入らざるを得ない。「ほとんど書ける人がいない」時代の戦い方と、「誰もが書ける」時代の戦い方は、自ずと変わる。

どこかにヒントはあるはずだ。例えば、花王社長は次のように語る、「商品は機能だけでは売れない。情緒性が必要」。洗剤やシャンプーなどの日用品は、ある意味、どれでも同じでどこででも入手可能だ。その中で、わざわざこれだと思わせ選ばせ買わせる秘訣を、「情緒性」という言葉で示しているのだろう。

  ▼花王の尾崎社長が語る「消費者心理」
   成熟市場では"共感と情緒"がカギ
   < http://diamond.jp/series/psychology_dw/10002/ >

情緒に訴える、感性に訴える。それはより深いコミュニケーションを目指していると言えるだろう。文字情報、イメージ情報を提供するだけでなく、もう一歩先に踏み込んだ交流。形式は同じであろうと、従来よりもレベルの高い方法での交流。一方通行ではなく、相互の交流を意味する場合も多いかもしれない。

ここまで書いて、思わされる。なんだ、それってWebじゃないか。原点回帰である。伝えたいことをより深く伝える。Web屋なら当たり前に考えるべきことを、キチンとやる先に未来が待っている。それをクライアントも求めている。悲観することは何もない。だって、それこそが他社に抜きん出る根幹施策なのだから。


Webサイトを作りながら、コード生産やグラフィック生産が根幹課題ではないことを、各プロジェクトで思い知ることは多い。クライアントからも一番細かな指摘を受ける部分でもあるが、それが問題なのではない。対象となるユーザに、適切なメッセージが、適切に届くのかどうか。「ない」時代のそれらから、「あって当たり前」時代のそれらへの変革。

その変革努力に価値を見出せない人は、「ない」時代にWebに目を向けなかった人達と同種なのかもしれない。ならば、その人たちとは共に未来へ歩んで行けはしない。第一段階ですら、実は登れた人と、登れなかった人たちがいる。既得権にこだわり、従来手法に頼りきった結果は、あまり明るいものへとはつながっていないと言えるだろう。第二段階に差し掛かった今、同時にそうした生き残りフィルターが降りかかっている。いや常に降りかかっているのだろう。

無限ループのように、問いを繰り返し、答えを模索する。でも、原点をぶらさない範囲で、自分にも説得力のある答えの尻尾が見えた気になる。そのアンテナが朽ちていないかを気にしながら、一歩踏み出す。踏み出し続ける以外に道はない。

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
・mitmix< * http://www.mitmix.net/ >
・iPadでましたね。欲しいです。制作ツールであるMacが、日常ツールに変わって行ってます。Photoshopマシンという名残すら希薄。事実若い人には、そういった意識すらないんだろうなぁ。隔世の感あり。
・最終回ではないです。もう少し書かせてください(笑)

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ショート・ストーリーのKUNI[73]
あいまい

ヤマシタクニコ
< http://bn.dgcr.com/archives/20100128140200.html >
───────────────────────────────────
どこかの国の午後7時。

「ニュースを申し上げます。わが国の与党の代表を決める選挙の結果、あいまい派が敗れ、明確派総裁が次期与党代表、つまり総理大臣になることが決まりました。これを受け、今日、明確派総裁にして次期総理が次のように述べました」

画面には濃い眉と大きな目と大きな口と鼻が面積いっぱいに配置された角張った顔の男が映った。男はやたらとはっきりと、大きな声で言った。

「わが国の最も悪いところは、なんでもあいまいにすることだ。そのせいで外交も経済も文化もだめになった。明確派はそれを、変える。なんでも明確にする。まず、今後、いっさいのあいまいな表現を国内から駆逐することにした。日常のあいまいな表現の積み重ねがあいまいな国民性を育てるのだ。あいまいな表現こそは諸悪の根源だ。あいまいな表現は禁止、禁を破ったものには罰金1万円から無期懲役までの罰則を適用する」

続いて画面には、丸いぽわんとした顔にあいまいに目鼻がついて、とらえどころのない印象の男が映った。現総理で、負けたあいまい派の総裁だ。
「えー、このたびの選挙でわが派はなんとなく負けてしまったような感じも見受けられ、たいへん残念であるというかそういう感じです」
ふたたびアナウンサーが
「そういうわけで、実際に明確派が政権を執るまであと40日ですが、この期間が事実上、『あいまいな表現を使える最後のチャンス』となります」

ニュースを聞いた国民の間に衝撃が走った。

「なんとさびしいことだ。あいまいな表現が使えなくなるなんて」
「『あいまい』であることはわが国民が世界に誇れる特性かもしれないではありませんか。それを否定しなくてもいいような気がなんとなくしませんか」
「あいまいな表現が悪いなら文学作品はどうなるのだ。『春過ぎて夏きにけらし』は『春が過ぎて夏が来た』に変えろとでもいうのか」

「みなさん、せめてこの40日の間は思いっきり、あいまいな表現を使おうではありませんか」
「そうです。これまではっきりとものを言ってきた人も、せめてこの期間はあいまいに徹しようではありませんか」
「まったくです。明確にものを言うことはいずれ死ぬほどできるのですから、いまは何でもかんでもあいまいにしましょう」

かくして、国のいたるところ、会社でも家庭でも、人々はこぞってあいまいな表現を使うようになった。

「課長、サンサン商事からお電話がかかっているぽい感じですが」
「サンサン商事さまですか。どうもおそらくお世話になっているようでございますが、今回はどのようなご用件で。あ、はい、その件でしたら納期的とかそのあたりに関しましてはだいたいといいますかなんとなく順調に進んでいるようないないような案配でございまして...いつになるかどうかはそのう、申し上げてもいいですが、ええっと、言わないほうがいいかな、みたいな」

「あー、きみ、すまないがこれをコピーかなにかしてもらおうかな、と思っちゃったりして〜」
「課長、そろそろびみょうに会議を始めようかな、と思わないでもないんですが」
「ああ、確かに始めてくれてもいいような気がそれとなくするなあ」
「では、先月から問題になっているわがムーン社とサンサン商事との合併、といいますかもっとあいまいに言うならムーン社とサンサン商事がいろんな面で、ああなってこうなってどっちがどっちかわからなくなるような、そういう問題かと思うのでありますが、みなさまのご意見をお聞きしましょう...か」

「はい、聞いてください。私は賛成です」そうでない
「君、困るなあ。こういう重要な問題はもっとあいまいにするべきではないかと思うのだが、どうしてそうはっきり言うのだという感がしたりして。みんな意見があれば言ってもいいかもしれないようだ」

「失礼しました。わが社とサンサン商事がいろんな面で、ああなってこうなってどっちがどっちかわからなくなるような、えー、そういう問題につきまして、まあそれも悪くないような、かといって特に問題があるわけでもなく、なんと申しましょうか、限りなく賛成の方向に」
「この問題は当面みんなで知恵をしぼって、よりあいまいっぽくいたしましょうか」
「そうですね、では次の会議はおそらく来週か、えーと再来週あたりの適当な日の適当な時間に」

「ただいまーのようなそうでないような〜」
「あら、あなた。お早いお帰り、だったかも。今日は肉じゃがかカレーライスにしようかと思ったりしてるんですけど〜」
「それはあいまいな表現をしようとしてそう言ってるのか〜」
「単に決めかねているだけですわ。途中でどっちに気が向くか、自分でもわかりません、みたいな。あなた、どっちが食べたいんですか、今日は〜」
「ううむ。肉じゃがかそれともカレーかなあ」
「だからそのどっちかなんですってば〜」
「おまえ、泣いても笑ってもあと30日なんだぞ、あいまいな表現が通用するのは。せめて今日は料理までも肉じゃがかカレーかどっちか全然わからないあいまいなものにしようではないか産婦人科〜」
「わかりましたわ。では肉じゃがかカレーかそれともお好み焼きかどうか絶対わからないものにしようじゃありま戦艦ヤマト〜」

「新幹線にご乗車くださいましてありがとうございます。この列車は途中、京都、名古屋、新横浜、品川に停車すると思ってるでしょうがそれはなんともいえませんよ〜」
「もしもし、消防署ですか。なんていうかー、うちの家の中で火がぼうぼう燃えているっていうかー、火事というか、なんかそんな事態でー、あ、いま私の服に火がついちゃったようでとても熱いんですけどー、来てもらえたらうれしいかも〜」
「私は警察官であったりするが、おまえはさっき自転車で追い越しざまに女性のバッグをひったくったようであることよなあ」

「総理、たいへんです。国民が思いきりあいまいなことばかり言ったりしたりするので国内が混乱している、かな?」
「うむ。私もここまで国民がおっちょこちょい、いやあいまいだとは思っていなかったりして」
「いざ禁止されるとなると惜しくなるのが人情といいますか。急にあいまいなものの人気が高まりまして、コンビニでは『期間限定チョコ・あいまい』とか『期間限定あいまいラーメン』とかが売れてます。『あいまいモコ』という歌手まで急遽デビューしたそうです」
「私的にはどうでもいいかもという気がしておる今日この頃だし、まあいいのではないだろうか」

どこかの国のおよそ20日後の午後7時。

「ニュースをお伝えします。たいへんです。先の与党代表選挙ですが、精密な調査の結果、票の集計が誤っていたことがわかりました。明確派が明確に調査集計をやりなおしたところ、なんと、本当はあいまい派のほうが多かったのです。あいまい派の集計はやはりあいまいだったのです。次期総理大臣は明確派ではなく、あいまい派総裁です」

全国民がいっせいに「えーっ!」と言った。その声は近隣諸国に響き渡り「なにごとだ」「あのあいまいな国の人間たちもやるときはやるものだ」と、事の真相がわからぬままひそかに恐れさせたほどであった。

「では、ここであいまい派の総裁にインタビューです。総裁、というわけでまた政権の座に戻られたわけですが」
「雨降って地固まるとか犬の目にも涙とか申しますが、まったくもって時には少年ジャンプが二人三脚でしょう」
「総裁、意味がわかりませんが」
「それは色上質紙に両面コピーするよりもなおケンタッキーのへそが茶をわかすごとく」

アナウンサーはゆっくりと正面に向き直って言った。
「あいまい派はより高度な次元へと突入した模様です」
ニュースが終わった。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
< http://midtan.net/ >
< http://yamashitakuniko.posterous.com/ >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■つはモノどもがユメのあと[12]
mono11:持ち歩かないまま持ち腐れ ─「CASIO QV-30 / Canon PowerShot S20」

Rey.Hori
< http://bn.dgcr.com/archives/20100128140100.html >
───────────────────────────────────
フィルムの時代からいつまで経っても写真が上達せず、しかもセキララに白状すれば「良い写真」の基準がイマイチよく判っていない筆者なのだが、今回のモノは今次の発掘で見つけたデジタルカメラを採り上げる。

Wikipediaなどをひもといてみると、デジカメ自体は1970年代後半に発明されており、商品としても80年代後半辺りには発売されていたようだ。だが、パソコンの個人ユーザ向け、つまりパソコンの手軽な周辺機器としての日本国内でのブレイクはもう少し時代を下って、95年3月発売のCASIO QV-10であることは、異論も少ないのではないだろうか。

少々脱線。実はそのQV-10発売の一年前、94年2月にAppleからQuickTake 100というデジカメが発売されていた。筆者はこれをよく覚えているが、双眼鏡風のデザインは今見てもインパクトがある。もし買っていたら、確実に本稿で取り上げるべきモノになっていただろう。

パソコンへの画像取り込みのための周辺機器に、ハンディなデジカメをいち早く位置付け、自社から(OEMだけど)発売するあたりが実にAppleっぽいのだが、残念なことにこれには液晶ディスプレイがなかった(光学式ファインダだからこその双眼鏡型だった、とも言えるかも)。

その後大ヒットする後継機もないまま、Appleはデジカメからは撤退する。撮ったその場で撮影画像を確認できるところが、少なくともパーソナルユースなデジカメのキモなのに、そこをハズシてしまった。後知恵で言えばそういうことなのだろう。

脱線もとい。QuickTake 100に照らして言うなら、リーズナブルな値段で小さな筐体に液晶ディスプレイまで搭載し、現在のコンパクトデジカメの基本形を定義してしまったところがQV-10の素晴らしいところだ。光学式ファインダを省いた割り切りもスゴい(ただし電池の保ちが悪かったので、液晶をオフにして撮影するために光学式ファインダのあるほうが良かった、という声あり)。

筆者は某集まりで先輩同業者の持つQV-10を見て俄然欲しくなった。この時はまだそれを仕事に使おうなどという大それた思いはなくて、単に画像でメモを取るように写真が撮れ、DPE屋さんを経由せずに直接コンピュータに画像が取り込める、ということにあこがれたのだ。そして手に入れたのがQV-10の上位機種である今回のモノ、QV-30だ。この時に筆者は後に繰り返す間違いをやらかす。

< http://www.dgcr.com/kiji/RH/mono11.html >
< http://www.dgcr.com/kiji/RH/mono11.html#p2 >

QV-30は96年3月の発売で定価は69,500円だが、筆者の購入は少し後で多分5万円台で手に入れたと思う。QV-10に対して望遠レンズとワイドレンズの切り替え機能や、レンズ部分だけ角度が変えられる機構が追加されていたが、解像度は同じ320×240pxで、本体メモリに画像を記録する仕様だった。筐体は一回り大きい。解像度上、高解像度のグラフィック用途への利用にはいささかの無理があることは説明不要だろう。

せっかく買ったQV-30だが、あまりこれといった活躍の記憶を残すこともなく、次の機種にその座を譲ることになる。実感として買い値のモトは取れていないのだが、ともあれ二台目のデジカメに筆者が手を出したのは、高解像度化競争真っ只中の2001年頃。機種はCanon PowerShot S20、今回のもう一つのモノだ。

< http://www.dgcr.com/kiji/RH/mono11.html#p3 >
< http://www.dgcr.com/kiji/RH/mono11.html#p4 >

PowerShot S20は2000年3月発売で定価は99,800円だが、これまた発売からしばらく経ってから買ったので、6万円台ぐらいだった気がする(もっと値崩れしてたかも)。最新機種じゃなくていいから予算内で最高解像度の製品にしよっと、という態度であまりマジメに機種選定をしていない。ズームレンズ装備で、記録メディアがCompactFlashだったことを除けば、現在のデジカメに比べて見た目や装備されている物にあまり違和感はない。液晶と光学式ファインダを両方搭載していて、最高解像度は2048×1536pxだ。単純計算だが、QV-30から4年間で解像度40倍超というのは凄まじい。

本機発売直後の2000年5月に発売された同社の初代IXY DIGITALが1600×1200px、74,800円だったので、既にIXYとPowerShotの住み分けがなんとなく見て取れる。筆者はこのS20を何度かは仕事の参考写真撮影(写真画像そのものを何かに使うわけではなく、モデリングの参考のための撮影)に使ったが、これまた記憶に残ったり愛着を生むような活躍をすることもなく、やがて持ち出さなくなった。またしても買い値のモトが取れていない感満点である。

これら二機種が大して持ち歩かないままに持ち腐れてしまったのは、どうやら大きさと重さの要素が大きい......ということに思い当たったのはウカツなことに三台目のデジカメ、Canon IXY DIGITAL 10(以下IXY 10)を買った2008年春のことだ。筆者の場合、十分に小さくて軽いカメラじゃないとすぐに持ち出さなくなる、という単純な結論なのだからもう少し前に気付くべきだろうと我ながら思う。機能的なスペックの小差に惑わされずに、QV-30ではなくてQV-10を、PowerShot S20ではなくて初代IXY DIGITALを選ぶべきだったのかもしれない。

< http://www.dgcr.com/kiji/RH/mono11.html#p5 >

ただ、ここには時代とテクノロジも大きく影を落としている。解像度を見ると、QV-30はともかく、2000年のS20が2048×1536pxに対して2007年発売のIXY 10が3072×2304pxというのは、素晴らしい進歩ではあるが隔世の感というほどのものではない(その意味では、QV-30からS20への解像度の伸びのほうを驚くべきなのだが、そのどちらも持ち腐れてしまった以上ここがポイントではない、ということ)。

このCanon同士の両機種の差で驚くべきは、記録メディアの容量ともう一つ、バッテリーだ。QV-30は単三乾電池4本で作動する。S20とIXY 10は充電池だが、S20はニッケル水素(Ni-MH)、IXY 10はリチウムイオン電池で、両者の体積と重さの差は、同じカメラというハードウェアを動かすものとは思えない。しかも厳密に測定したわけではないが、IXY 10の電池のほうがずっと長持ちする。本体サイズの縮小を電池の体積にだけ求めるのは無理があるが、設計の自由度などに大きく貢献していることは間違いないだろう。

< http://www.dgcr.com/kiji/RH/mono11.html#p6 >

以前デジクリの別の記事※に書いたが、IXY 10はほとんど苦もなく持ち歩き、あれこれ撮りまくり、それが新しい絵のシリーズ誕生に結びついて、新しい仕事につながったりした。作品に直接使う写真素材のクオリティを上げるべく、より高解像度でRAWデータを書き出せる高級コンデジやデジイチも気になってはいるものの、いつまで経っても上達しない写真のウデと、QV-30とS20の残した苦い教訓が筆者の物欲にブレーキをかけている2010年なのだ。

※「運動不足同志諸君に告ぐ」
< http://bn.dgcr.com/archives/20080902140800.html >

【Rey.Hori/イラストレータ】 reyhori@yk.rim.or.jp

IXY 10のデザインは本当に気に入っています。カメラにお詳しい読者の皆様、デザインはともかくとして、IXY 10に近い大きさで、マクロ撮影に強く、RAWデータを書き出せるカメラをご存じでしたら是非アドバイス下さいませ。動画なんて撮れなくていいんで(Canon PowerShot S90を気にしてはおります)。

3DCGイラストとFlashオーサリング/スクリプティングを中心にご打診をお待ちしています。サイト:< http://www.yk.rim.or.jp/%7Ereyhori/ >

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■編集後記(1/28)

・今年のセンター試験、現代社会の問題で、最高裁が外国人参政権を憲法上問題ないと容認する立場であるかのように判断させる記述があった。4択式で「適当でないもの」をひとつ選ばせるのだが、「最高裁判所は外国人のうちの永住者等に対して地方選挙の選挙権を法律で付与することは憲法上禁止されていないとしている」は「誤りではない」とされる。おかしいじゃないか。誤りだろう。この選択肢の記述は、外国人参政権付与を推進する立場の人たちが根拠として必ず持ち出すものだが、これは拘束力のない傍論である。判決では「参政権は国民主権に由来し、憲法上日本国籍を有する国民に限られる」としている。本論を無視して、傍論を最高裁の立場として試験問題に用いるのは不適切であり、意図的でさえある。答えが2つあるのだからこの問題は無効で、全員に点を与えるべきではないか。さて、わたしも日本史Aに本気で挑戦した。出題範囲は近世から近代までの政治・経済・文化。しかし、100点満点で55点とは情けない(予想平均点は50点とか)。大正・昭和の政治経済と渋沢栄一・敬三については満点だが、幕末・明治前期は惨敗。近世・近代の年表が頭に入っていないのだ。予備校の東進によれば、今年の日本史Aは全体的に易化傾向にあり、「まさに基本に忠実であれば高得点の期待できる出題であった」という。嗚呼、基本がなってないわたし。勉強勉強。(柴田)

・黒船来たる。龍馬は誰?/スペース!! 引っ越しのため本を大量に捨てた。引っ越し先に収納スペースはあるが、段ボールに詰めて、移動して、出して、並べて......という手間には代えられなかった。貴重本でない限り中古で買える。手元に置いておきたかったものは、裁断機PK-513でばらして、ScanSnap。iLiadで読む。/あの本はどこだっけ?/iLiadとKindleの違いは、ダウンロード販売。在庫の豊富さ。でも日本語書籍がないなら別に買わなくても......。/UI。デザイン。フォント。/Palmはモノクロラストのもの。スケジュール管理だもん、カラーじゃなくてもいいもん、と言いつつも、やっぱりカラーのPalmを見るといいなぁと思った。携帯だってそうだった。電話するだけだし、なんて言いつつ、カラーが出た途端、モノクロのは色あせて見えた(......って字面通りかい)。/歳をとると文字が見づらくなる、だから本は読める時に読んでおけ、と親から言われてきた。吉川英治でか文字版とか、年々大きくなる新聞の文字とか。iPhoneアプリの青空文庫リーダー類は文字サイズが変えられる。テキスト配信なら老人に本が戻ってくる。/今までスキャンした書籍(PDF、JPG)はiPhoneアプリがあるから見られる。ただiLiad用にしているので解像度がつらいかも。/暗いところで本を読んではいけません。バックライトは目に優しくない。電子インクは目に優しい。一日中パソコンやiPhone触っている私が言うな?/駅より図書館の方が近い場所に引っ越した。地域図書館なので小さい。予約を入れても順番待ちでまわってこない。/在庫切れがない。待たなくていい。送料がいらない。肩が抜けそうになったり、袋が手に食い込む苦労はない。/海外在住の日本人が、同時期に読めるようになる。台湾では日本雑誌が人気なんだっけ?/書籍だけでなく雑誌にも。カラーだから雑誌が活躍。これから付録付きの雑誌が増える? 浸透度合いによって付録はなくなる?/エディトリアルデザイナーの活躍の場が広がりそう。カラー書籍が増える。/重い教科書や辞書を持ち歩かなくていいんだ。いいなぁ。出欠もとれる。テストもペーパーレス。連絡帳、給食表。勉強用にゲームは入れないように。/PL学園名物の人文字も?/立ち読みできない。ビジネス書によっては一冊30分程度で読めるものもある。買って失敗する本は出てくるね。マーカーはリーダーが対応するだろう。検索できるよね? キャプチャとプリント(PDF化でもいい)はさせてね、個人スクラップ用に。/立ち読みできない漫画なら同じ。/新聞配達してもらうのが贅沢な時代が来るね。マンションに住んでいて、朝刊は配達してくれるけれど、夕刊は一階のボックス。なので取るのやめて、もっぱらiPhoneで産經新聞。切り抜きできないし(キャプチャはとれる)、お掃除に使えないし、バックナンバー読めない。大阪情報はないけれど、ネットがあるからどうにかなる。/コストがおさえられるなら、本を半額ぐらいで出してくれないかな。それなら、これは中古でいいや、と思っている本を買うことはできる。/64メガ? パソコンと同期するならいいか。WiFiでライブラリに接続できるだろう。/反対にそれで流通やら製紙やら印刷やらの業界は厳しくなる。中古やオークションは? あと何年でそんな時代が来る?/MacやiPhoneを持っている。MacはMac、iPhoneはiPhoneの良さがある。iPhoneで時々欲しくなるのは大きな画面とキーボード。iPadに惜しいところはあるものの、書籍や動画再生関連に期待。/人の意見が怖くてtwitter見に行っていない。/Appleのサイト。いつからメニューにOSXがなくなったんだろう。(hammer.mule)
< http://www.apple.com/ipad/ >  iPad
< >
つながりにくかったら
< http://www.apple.com/ipad/design/ >  キーボード
< http://www.est.co.jp/iliad/ >  iLiad