[2786] 今までのWeb屋、これからのWeb屋

投稿:  著者:  読了時間:24分(本文:約11,500文字)


《ちゃんとしたこと書こうなんて、ポキ、考えなくていいんだよ》

■わが逃走[59]
 犬と悪夢とスパイスの巻
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[147]
 今までのWeb屋、これからのWeb屋
 三井英樹

■私症説[12]
 ふたたび土石流
 永吉克之



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■わが逃走[59]
犬と悪夢とスパイスの巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20100204140300.html >
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みなさんコンニチハ。2週間ぶりの『わが逃走』です。

先日、ちょっとしたナニなものを食ったところ腹をこわし、熱を出してしまいました。皆さんも消費期限無視や拾い食いにはご注意を。そんな訳で、金曜の夜から月曜の朝まで寝続けたオレな訳だが、こうして何もせずにぼーっとしていると、いろんな(どーでもいい)ことを考える。

普段たいして気にしていなかった雑音が妙に意味ありげに迫ってきて、いつもとはベクトルの異なる(どーでもいい)ことを考えてしまうのだ。外でアサヒが吠えている。アサヒというのはオレが飼っている犬だ。

1●脳内で犬を飼う

オレの家の向かいに某新聞販売所がある。ちょうどウチのベランダから見下ろせる位置に犬小屋があり、ハスキーとも柴犬ともつかない奴がいつもこっちを見ているのだ。

これといって美しい訳でもなく、利口な訳でもないのだが、なんとも愛嬌があり気になる。オレは勝手にそいつをアサヒと名付け、高いところからなんとなく愛でるようになっていったのだった。

そうこうしていくうちに、アサヒは本当にウチの犬であるような気になってくるから不思議だ。オレは仕事が忙しいので飼い犬を向かいの某新聞販売所に預け、エサ代として毎月3,925円を払っている。

すると、「犬をお預かりしているだけなのにこんな大金はいただけません。せめて当店で扱っている商品をお収めください」と某新聞を毎日届けてくれるようになった。

というストーリーを妄想しているうちに、それがまるで事実であるような気になってきちゃったからスゴイ。

そういえば最近アサヒが表に出てこないなあ、なんて日が続くと、つい「寒いからってウチの犬を甘やかさないでください。ちゃんとベランダから見える場所に出していただかないと困ります」と店に怒鳴り込みたくなる。

このままオレが後期高齢者になったら本当にやりかねないなあ。最近でも事実と虚構がを混同してしまい、妄想がそのままリアルな記憶となっていて愕然としたことがあったのだ。

なんか押井守の世界を地で行ってる。このまま夢と現実が入れ替わってしまっては困る。とても困る。なぜならオレは、最近、ほとんど悪夢しか見ないのである。

2●悪夢

普段からあまりめでたい夢は見ない方なのだが、病気で寝ていたりすると悪夢を見る確率が上がる。

今回もその例にもれず、男に襲われる夢を見てしまった。筋骨隆々の屈強な大男がオレをおさえつけ、オレのチンチンに頬擦りするのだ。髭のちくちくする感触が異常な程リアルで、まだ感覚が残っていて実に不快。

「やめろー!」という自分の寝言で目がさめた。凄い寝汗だ。こんな夢を見るなんて、オレはひょっとしたらホモなんじゃないかと不安になる。

事実、オレは男にモテるのだ。実家から埼京線で通勤していた頃は何度も痴漢にあっているし、何年か前にロンドンに行ったときは、ジローラモさん似の二人組の男性にナンパされて断るのに苦労したし、ペーペーだった頃はロケバスでヘアメイクのお兄さんに、手を握られてじっと見つめられてしまったこともある。

なんかこう書いていると、自慢話をしているような気になってきた。もしかしたら、もしかしたら、そうなのかしら?(byピンクレディー)そうであったら嫌だ。絶対に嫌だ。

そもそもオレは幼稚園の頃から女子高生が好きで、学生の頃も女子高生が好きで、社会人になってからも女子高生が好きで、借りるビデオも大半が女子高生モノだが、最近ちょっと30代女性もいいな、なんて思っている。なのに何故こんな夢を見てしまうのか。やはりあの呪いのせいなのだろうか。

今を去ること30年。母の妹であるところのK叔母が、私のいる目の前で、母に「この子は絶対芸術家になるわよ。そして美を追求していくと、必ず肉体の美しさに気づくの。そこで、女より男の体の方がはるかに美しいことに気づくのよ。だからこの子は絶対ホモになる」と語ったのだ。

多分本人にはわからないとでも思っていたのだろう。しかしそれ以来、忘れた頃にその言葉を思い出すのだ。その度に違う! 違う! 絶対違う!!! と思い続けて30年か。

自分の無責任な発言で、今でもオレが悪夢にうなされているなんて、K叔母はこれっぽっちも感じていないだろうし、そんな話をしたことすら忘れていると思う。

そんな訳で、全国の叔父さん、叔母さん。甥っ子の目の前で大人の話をする際は、くれぐれも発言内容に気をつけるようにしてください。「どうせ子供だから」という油断は、その子の人生を大きく狂わせる恐れがあります。気をつけましょう。

3●「いつもの」

そんなこんなで無事熱も下がり、腹の調子も元通りになった。腹が治ればカレーを食べたくなるのが世の必定。

という訳で、近所の旨いカレー屋『M』のランチを食べた。ここのカレーは基本的にあまり辛くないので、注文の際「ベリーホットで」とひと言添えるのを常としていたが、うっかり今日は忘れてしまい、通常の辛さのものを食すこととなった。

今日食べたのはインド豆のカレーで、チキンやマトンと比較するとさらにマイルドな位置づけになる。とはいえ、絶妙なスパイスの豊かな階調表現はより明快になり、普段食べてるものとは異なる方向(X軸に対してY軸みたいな感じ?)の深みを感じたのであった。

頭の毛穴から、じんわり汗が浮かんでくる。正しいスパイスの効果である。よく「辛いもの好きなんだー」とか言われて困ることがあるのだが、辛いことと味わいの豊かさはベクトルが違うのだ。

てなことを思いながら、食後のマサラティなんぞ飲んでいると、隣の客と店のおねえさんとの会話が耳に入った。

おねえさん「ご注文を伺います」
男「いつもの」
おねえさん「は?」
男「あ、野菜カレーください」

うーん、微笑ましい。

友人のO君は、毎日同じタバコ屋へ同じ時間に通い、何日目に「いつもの」と言うべきか真剣に作戦を練っていたなあ。20年近く前の話だけど。

オレ独自の統計によれば、寂しがりやさんの男に、『「いつもの」願望』が強いようである。

そういえば10年くらい前、電車の中で携帯電話をかけていたおっさんが「あー、私だが」と言ったところ「どちらさまですか」と言われてしまったらしく、「私だーっ!!」と怒鳴っていたことを思い出した。朝のラッシュ時にいい迷惑である。まあ、これも一種の『「いつもの」願望』と言えよう。

目的は、「いつもの」と言うことなのか、いつもの商品を購入することなのか。そのへんを客観的に分析してみると、自分が寂しがりやさんか否かが見えてくる。かどうかはわからんが、まあ話のネタにはなるでしょう。

てなところで今回は平凡な日常を綴っただけになってしまったけど、病み上がりなのでこのへんで。それではみなさん、また次回。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:日々の想い[147]
今までのWeb屋、これからのWeb屋

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20100204140200.html >
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今までのWebは、これからのWebと違うのか。今までのWeb屋と、これからのWeb屋は違うのか。

最初の問いに対しては、本質的な部分では変わらないんだろうなぁと思う。でも、次の問いに対する答えは、違うんだろうなぁというのが本音。立ち上げメンバーと、その拡張メンバーとは、求められる資質が違うのではないだろうかと思うのがその根底。初代社長と二代目社長といったところか。


Webの黎明期に、Webを知らしめるために、文字通り骨身を削ってきた人の蒔いた種は、同じ努力をしなければ刈り取れない種類の実を結んでいる訳ではない。そう思うのは、蒔かれた種が荒地を平らにするためのものだったはずだから。そして、そうでないと報われない気がするから。

情報が走り回れず、特定の場所や人に縛り付けられていた時代。そんな不自由さを知っていたから、使命感も育った気がする。俺がやらねば、この情報はここで死ぬ、それで良いのか。こんなに情報が生き生きと飛び回る、俺がやるんだ、もったいなくて他人には譲れない。様々なレベル感と価値観と悲壮感と使命感とが織り交ぜられて、情報は宙に放たれ続けた。

見ている側は、ただただ驚きや感動をもって受け止めたかもしれないけれど、作り手はかなり頑張ってた。そして、頑張って(意識しながら)ショックや驚きを提供した。それは既存の仕組みに呑みこまれないように、少しでもアクセルを踏んで加速できるように、未来を1ピクセルでも近くにするために。

でも、それも10年強続ければ、道もできるし、歴史も残る。頑張った実績がきちんと、次世代が通る道を整備していく。同じだけ頑張らないでも同じことができるようになるのが、進歩。使い物にならなかったツールは、重さの難点に目をつぶると、既にかなり良い線まで来ているし、教え方もレベルアップしている。コードサンプルも要点が明確なものがすぐググれる。

黒電話でジーコジーコやっていたことが想像すらできなくなるように、今では自動ドアではないドアの前で開くのを待ってしまうように、ピーガラガラガラというモデム音の記憶が薄れていくように、Web黎明期の苦労は見えなくなっていくのだろう。でも、見えにくくなるだけで、消えては行かない。何かしらの芯として、情報流通の根底を支えるものと化していくのだと思っている。


前回書いたように、「どの会社にも(サイトは)ない」時代から、「どの会社にも(サイトが)ある」時代。それぞれの時代に必要とされるものは当然異なるだろう。誰もが持っているのだから、その気になれば比較がし易い。自社サイトを作る前に、競合サイトをそれなりに見て回れば、それだけである程度指針が見える。見えなければ、担当者としてちょっとさびしいとしか言いようがない。

指針を見据えた上で、戦略を決める。横並びになることをゴールにするのか、先んずることをゴールとするのか。体力、予算、能力、時期。様々な要素があって、ゴールを決める。どっちが良いとかの問題ではない。何が必要なのか、だろう。横並びを選択したなら、スタンダードと呼ばれるものをとにかく探ればよい。コンテンツの種類からその並べ方、遷移の仕方、様々な標準的なものは少しの検索時間で簡単に手に入る。でも先んずることを選ぶなら、様々な問題が起こってくる。業界的に新しいこととなれば、それはなおのことだ。それらを解決していかなければ、公開まで辿り着けない。

システム的な壁、表現の壁、対話の壁、部署間の壁、様々な壁の向こうにゴールがある。苦労はあれど、達成感も大きい。そして、信じるものが正しいと実証されたときの喜びの大きさは経験した者しか分からないだろう。アクセスログを眺めながら、単なる数字の羅列なんだけれど、その増加に涙が出てくる。頑張ってよかったと心から思う。黎明期は手探りの開発が多かったから、そんな感動が様々な場所で見られた。

目新しいアイデア、目新しい表現。未だUIが試行錯誤している時代は奇抜なものも採用されやすかった。それは、その時代にWeb経由で何らかのコミュニケーションが取れるようなユーザに対しては、そのようなアプローチが向いていたからだと思う。戸惑うようなユーザインターフェース(UI)でも、そこに驚きや感動があれば、何の支障もなく何度も訪れた。そのWebサイトのマナーが悪いから戸惑うのか、それとも自分の感覚が悪いから戸惑うのか。多くのユーザは自分の感覚やセンサー自身を疑いながら、鍛えながら、ネットの奥底へと進んで入ったように思う。

それが、総ネットユーザ化にもう少しのところまで来た。高齢者の中には未だネットに縁遠い方々もいるだろう。でも、これからでも孫達が誘導するかもしれない。公共的な情報には興味がなくても、親近者の情報への想いは熱く、それがモティベーションになったりするだろう。更にネットは、PCサイトだけではない。モバイルサイトをWebとは意識せずに使っている人も多いだろう。いずれにしても、既に現状でかなり行き渡っている状態になっている。

対象ユーザが入れ替わった状態というべきなのかもしれない。期待されることが変わってきたと言うべきかもしれない。道具が行き渡れば、奇抜なものよりもオーソドックスなものが、総量的には多くなる。奇抜なコンテンツでさえ、馴染みのある親しみやすいUIで操作されるべきだと考える。もはや「ビックリ箱」を望む場よりも、「あって安心・使って納得」を望む場が増えるのは道理である。

更に、システム的な要件も増えた。もう数年前になるけれど、社内で予算をかき集めて、小さなサイトを作ろうとした時、社内規定に従ってセキュリティを保とうとすると、予算の8割がセキュリティのために必要になった。それではコンテンツに使える予算がない。店は規定通りには作れるが、並べる商品がない状態だ。

でも逆に様々なWebサービスやAPI(Application Program Interface)が活用できるようにはなった。いわゆるマッシュアップ。全部を自分で開発する必要がない。その意味でサイト構築の敷居は確実に下がっている。でも、スタートがしやすくなっただけで、本格的な戦略にそってWeb(サイト)を活用しようとしたなら、実は越えるべき山や壁は以前より遥かに高くなっている。ITの進歩は、リスクの増大とコインの裏表の関係のようなものだから。

そしてWebサイト(Web活動やWeb戦略)自体が、4大メディアの活用路線と入れ替わるように広報活動の中心的な位置に来るようになってきた。アクセスログを生で見れることは、広告代理店という中間層を軽減し、自力でやって行くための道でもある。エンドユーザとの接点をそれまで持たなかった(持てなかった)企業が、いきなりそれらを持てるようになった。

Webでできることと、すべきことは、企業の規模によってもかなり変わる。ブランディング戦略は、多彩なグループ会社や商品構成があるからこそ考慮すべきことだし、多部署間調整はそうそう性急には進められないし、進めては軋み(きしみ)が出ることも多い。ゆっくりと進めるべき事柄があり、何よりもスピードが求められる案件も存在する。後者はこれから新サービスを立ち上げて業界に打って出るようなプロジェクトが多く、阿吽の呼吸で共に活動してくれる小規模Web屋が適しているとも言える。前者は大企業が多く、どっしりと社内ネゴにも耐えられる品質のドキュメントが必須のものも多い。

情報の開放が、黎明期とは異なるステージに上がってきて、求められるレベルも広がった。どこまでやるのかが更に決めづらくなり、意思決定の大切さが増し、HTMLや技術的なものでカバーできる範囲が相対的に狭まりつつある。

ということで、Webの本質が明らかになるにつれ、Web屋に求められるものが変わり広がっている、と言った方が正しいのかもしれない。黎明期に見えていたWebの姿は、実はまだ片鱗で、もっともっと浸透して広まった今、更に裾野の広さが実感できるようになってきた。そこに人的・技術的な世代交代とが重なって、再び混沌とした状態になりつつある。でも以前よりもずっと静かにその混沌は進んでいる。

それでも、今までやってきたことが無駄になるわけではない。あくまでユーザのニーズに目を向けていた、視線の先にある未来にブレはない。私達は変わっていくしかないのだろう。でも本質は変える必要はない。もっと本質を見据えればよい。道は続く、進むしかない。その先の広がりを求めるならば、なおのこと。

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで
・mitmix< * http://www.mitmix.net/ >
・なんとなくtwitterの面白みが分かりかけてきた気がする。mixiより時間かかった。
・今日は母の命日。様々なことを思い出す。

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■私症説[12]
ふたたび土石流

永吉克之
< http://bn.dgcr.com/archives/20100204140100.html >
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本日のコラムの内容は、つい最近、私が始めたTwitterに関することである。したがって、すでに長期にわたって利用しているユーザーにとっては、両耳を塞いで、わかった、わかったからもうやめてくれーと叫んで、膝から崩れ落ちて失神、失禁するほど分りきったことしか書いていないので、Twitterを始めてから2週間以上経過しているユーザーは絶対に読まないでいただきたい。

しかし、失神を覚悟のうえで敢えて読むというのであれば、私も止めはしないが、その場合、転倒しても安全なように、読む前に、周囲に危険物や壊れやすいものがないかを確認しておくことをお勧めする。

できれば、転倒するであろうと予測できる位置に蒲団、もしくはマットレスを敷き、セットした目覚まし時計を手の届かない所に置いておけば、落下時の衝撃が吸収されるだけでなく、失神から睡眠へとスムースに移行することができ、翌日の活動のための英気を養うことができるのである。

                 ●

最近、またTwitterを始めてしまった。「また」というのは、ちょうど1年前に、いったんはやめているからだ。「(始めて)しまった」というのは、その時に、俺はもうTwitterはやらん、金輪奈落やらん、やらんやらんと公言してしまったからだ。

・2009年2月13日のmixi日記より抜粋(原文のまま)
「誰かと会話するわけでもなく、じめじめと私生活の愚痴ばっかり書いているうちに自分自身が哀れになってきたので、やめました。もっと社交的かつ建設的かつ東京的な使い方ができるんでしょうけど、あたしみたいな田舎もんにゃむりですね」

このなかの「東京的」という言葉で何を示そうとしたのかは憶えていないが、私が言うと、皮肉とも卑下ともとられかねないような言葉だ。まあ、それはともかく、他人に読んでもらってもしかたのないことをだらだらと書いているのに嫌気がさしたのだった。

「だったらさ、他人が読んで面白いようなこと書けばいいじゃん。ポキ」

ポキ、というのは指の関節を鳴らす音で、この仮想の話し相手が、あまり品のよい人間ではないということを読者に了解してもらうためだ。べつに上品な人間でも差し支えはないのだが、上品な人間を想像させるための適切な擬音が思いつかないのである。

「確かにそうですね。面白いことを書けばいいんです。事実、限られた字数のなかで、精一杯、フォローしてくれている人たちのために、私もけっこう凝ったことをこつこつ書き連ねてたんです。始めの頃はね」

「じゃなんで、ポキ、つまんないこと書くようになったんだい。ポキ」

「それはつまり、私が練りに練って書いたコメント......じゃなくてツイートか。その私の大切なツイートが、後から後から湧き出てくる他のツイートの土石流にどんどん下流へと押し流されて、あっというまにモニター画面から追い出されてしまうのを見ていると、いったい何人が読んでくれてるんだろうと思って、なんだか、ちゃんとしたこと書こうという気持が失せてしまって......ま、それでやめたわけなんですけどね」

「ちゃんとしたこと書こうなんて、ポキ、考えなくていいんだよ。そういうのは、オピニオンリーダーみたいな奴らにまかせときゃいいんだって。グキ」

指の関節を全部鳴らしてしまったので、頸(くび)の関節を鳴らしている様子を表すために、グキ、という擬音を入れた。

「じゃあ、私のような凡夫は何を書けばいいんでしょう?」

仮想の話し相手は、手の指と頸以外で鳴らせる関節がないらしく、頸が鳴らなくなると、膝を折ったり、足首を回したりしたが、きれいな音が出ず、明らかに苛立ち始めていた。

「んなものは書き捨てでいいんだよ、カキ捨てで。Twitterってのは日本語で、さえずるとか、そんな意味なんだろ? だから、どっかの店のラーメンがまずかったとか、ひいきのサッカーチームが勝ってうれしいとか、最近、腹が出てきたとか、そんなことさえずってりゃいいの!」

なんだか、いかにも面倒くさそうに話すのが不愉快だったので、私は、この仮想の話し相手を削除することにした。彼は、哺乳類→爬虫類→魚類というぐあいに、系統発生の過程を退行しながら消えた。

                 ●

おお、諸人は挙(こぞ)りて我に問うであろう。なぜ再び Twitterを始めたのかと。それは、知り合いの日本人から「Twitterしてるますか? Twitterですのならは、わたしのフォローしますはどうしますか?」と訊かれて、そういえば、1年も経っているから様相も変わっているかもしれない、それに、やっぱり自分に向かないと思ったら足を洗うのも簡単だし、と思ったからだが、始めてみて、リツイートとかリストとか、機能は増えているものの、基本的には何も変っていないように思える。

講演【私はTwitterをこう考える】
講師:永吉ヤコブ・沖ノ鳥島大学名誉教授

ご存知の方も多いと思いますが、新幹線車内の通路ドアの頭上に電光掲示板があります。走行中、そこにニュースなどの情報が流れ続けているわけですが、乗っている間じゅう、乗客がそれを睨んでいるわけではありません。

窓ガラスに頭をもたせかけて居眠りしていると、窓の外側に小さな人間がはりついていて自分に助けを求めている夢を見て、はっと目覚めたとき、また、富士山が拝みたくて、窓外をずっと見ていたのに、その日は曇りで裾野しか見えず、このツキの悪さ、俺の人生そのものだと溜め息をついたとき、あるいはまた、トイレから席に戻ってきて、なぜ揺れていると用が足しにくいのだろう、まあいいや、それより腹が空いた、車内販売はまだかとドアの方を見たとき、そういった時に、ふと電光掲示板に目が行って「また民主党の支持率が下がったか」と苦笑し、ふたたび眠り、窓外を眺め、トイレに行くのであります。

さて、いったい私は何を申し上げたいのか。電光掲示板に現れては、あれよあれよと言う間に流れ去ってゆく情報。Twitterもそれと同じでいいのではないかと。ずっと見ているわけにもいかないから、たまに見たときに、ああ、こんなこと言う人もいるんだなと感心したり憤慨したりする、そして忘れる。それでいいじゃないかと。読み手のスタンスとしては、Twitterをそのように位置づけしておる次第であります。

で、発言者としてのスタンスでありますが、私は有益なことは何ひとつ書けません。ましてやオピニオンリーダーになろうなどと、夢でしか思ったことはありません。しかし役に立たないことなら人並に書けるつもりですから、駄洒落のひとつ、与太のひとつも飛ばして、たとえひとりでも笑ってくださる方がいれば功徳もあらんと、まあ、そんな風に考えておる次第であります。(拍手)

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、以下のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz >

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■編集後記(2/4)

・政府与党の言う「国民」とはなにか。「私どもは決して法に触れるようなことをしたつもりはありません。それは国民も理解してくれたと思う。ですからこそ、政権を我々に与えてくれたのではないでしょうか」と言った幹事長は、暫定税率すえおきというマニフェスト違反をした理由に、あろうことか「国民の要望でございますから」と言ったのも忘れられない。「これは国民に選ばれた民主党という民主主義勢力と、検察に代表される官僚体勢との全面戦争です」と言ったバカな議員もいた。ここにいう「国民」にわたしは入っていない(朝日川柳の秀作「国民の皆さまの中にいない俺」)。一方、新聞で見られる「国民そっちのけで」や「国民からは疑問の声」の「国民」には属している。民主党のつかう「国民」という言葉はじつに不愉快である。「国民主役の政治」「官僚目線ではなく国民目線の政治」なんて大ウソだ。だれが主役でだれの目線で政治が行われているか、「国民」はみんな知っている。総選挙で勝ったと言っても、議席率64.2%はともかく、民主党の得票率は小選挙区制47.4%、比例代表制42.4%と過半数に達していない。「国民」の半数は支持しなかったのだ。数に奢ってなんでもできるとゴーマンかましていないで、謙虚に「国民」の声を聞いたらどうだ。総選挙後の鳩山代表(当時)の勝利宣言をあらためて読んだが、ここでも不可解な「国民のみなさん」大乱発。「国民のさらなる勝利に向けたたたかい」ってなんだ? 人民解放軍? わたしはその「国民」に所属していないことをここに宣言する次第であります。(柴田)

・「対象ユーザが入れ替わった状態」というのは実感。/昨日、Ustreamスタジオ設立までの経緯について書いたが、伊集院光が孫さん宛に送ったツイートがきっかけで、ソフトバンクの方との面談があったような。どちらもフォローしていたので、わくわくした。/フォロワーにシーシェパードのアドバイザーが......。映像プロデューサーでありCEOであり、シーシェパードの、である。アップしている画像には船体に日本の国旗と船名があって、その上にはぶつかったと書かれてある。3,700人ほどいるフォローイングには私以外にも日本人はいて、無差別フォローする人なんだろうとは思うのだが、ちょっとな〜。/日本語がマイナー言語ってのはこういう時にいいね。相手の書いている英語はなんとなくわかるが、こちらの書いていることはわからない。翻訳サイトでワンクッション置くのはめんどくさかろう。/無料セールをしていたらつい落としてしまう。iPhoneアプリ「ののワ」というのを試してみた。列記されていたタイトルだけで吹いた。人類の英知に乾杯。(hammer.mule)
< >
かねてからソフトバンクに持ち込みたい企画が
< http://togetter.com/li/3855 >  あ、これこれ!
< http://togetter.com/li/4667 >  ハマコー......
< http://imihu.blog30.fc2.com/blog-entry-3151.html >
マンガ内ならCTUでも見破れまい
< http://popppop.blog67.fc2.com/blog-entry-217.html >
googleのトップページがもたらすもの
< http://buzzapp.jp/apps/346474831/2chまとめビューワー%20ののワ/ >
< http://www.yomiuri.co.jp/atmoney/news/20100131-OYT1T00010.htm >
ソフトバンクでもやるよね?