[2791] サリンジャーが死んだ夜

投稿:  著者:  読了時間:36分(本文:約17,600文字)


《まともに生きてきてしまったなあという後悔がある》

■映画と夜と音楽と...[451]
 サリンジャーが死んだ夜
 十河 進

■歌う田舎者[08]
 砂漠と夜と音楽と
 もみのこゆきと

■ところのほんとのところ[32]
 写真馬鹿というか表現馬鹿
 所幸則 Tokoro Yukinori



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■映画と夜と音楽と...[451]
サリンジャーが死んだ夜

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100212140300.html >
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     〈スカーフェイス/コレクター/フィールド・オブ・ドリームス〉

●「スカーフェイス」のアル・パチーノが浮かんだ

朝、目が覚めると右目が開かなかった。痛みはそれほどひどくなかったが、右目はぴったりくっついていた。カミサンがやってきて「鏡見てびっくりしないでね」と言う。また、記憶がなかった。息子が心配そうにやってきて、ガーゼを剥がし、薬を塗ってくれた。「目が潰れてるかと思ったよ」と言う。そんなにひどいことになっているのだろうか。

おそるおそる起き出して、洗面所で鏡を見た。「四谷怪談」である。右目はお岩さん状態だった。上下の目蓋が血糊でくっついている。右目の下が大きく裂けていた。小さな傷は周囲にいっぱいできている。水で少しずつ血を流し、ようやく目蓋が開いた。目は大丈夫のようだ。傷ついてはいない。それにしても、またずいぶん派手にやったものである。

人相が変わりそうな傷だ。目の下が引きつれている。これじゃあ、スカーフェイスだな、と思った。そう思った途端、あの血まみれの残酷なギャング映画「スカーフェイス」(1983年)のアル・パチーノが浮かんだ。ハワード・ホークス監督の名作「暗黒街の顔役」(1932年)をオリヴァー・ストーン脚本、ブライアン・デ・パルマ監督でリメイクしたものだ。もちろん、ホークス版の原題も「スカーフェイス」である。

それにしても、どうしてこんなになるまで飲むのだろう。もしかしたら、無意識の自殺願望でもあるのか。確かに、昨夜は夕方から10時くらいまで仕事の関係で飲み、その後、兄弟分のカルロスと約束していたので新宿へ出た。ゴールデン街で一時間以上ウィスキーをロックで飲み、その後、カルロスと一緒に三軒まわったのは憶えている。一軒目で出してもらったマティーニが絶品だった。量もたっぷりあった。

結局、いつタクシーに乗ったのかは憶えていないが、タクシーが自宅近くを通り過ぎたのは、記憶の隅から甦った。「そこでいいです」と口走り、心配する運転手に手を振ってタクシーを降りた。財布にレシートが入っていたから、金は払ったのだろう。おそらく自宅に帰り着くまでに、どこかで顔の右側をぶつけたのだ。そのときにメガネのフレームで切ったに違いない。メガネはなくなっていた。

とりあえず自宅にはたどり着き、息子を驚かせたらしい。カミサンも起きてきて傷を氷で冷やしたりしてくれたそうだ。そんなことは、何も憶えていなかった。幸いメガネ以外の持ち物はすべてあったし、コートもスーツも汚れていない。スーツのズボンの左膝が少しこすれている。これはツーパンツだから、まあいいや、と自分で納得する。しかし、一体、何が起こったのだ。

●サリンジャーが死んだことを知った夜

ことの始まりは、サリンジャーの死である。ジェローム・デイビッド・サリンジャーは、僕が生まれた年に「キャッチー・イン・ザ・ライ」(ライ麦畑でつかまえて)を出版し、1965年からは何も発表していない。隠遁者として半世紀近くを送り、ひっそりと死んでいった。しかし、どの新聞もその死をトップで扱い、「天声人語」でも改めてサリンジャーの死に言及した。

僕はまったく知らずに仕事をしていたのだが、夕方、読書人シェフのカルロスから電話が入り、開口一番「サリンジャーが死んだな」と言う。「えっ」という感じだった。「ライ麦畑でつかまえて」には、やはりそれなりに思い入れがあるし、「フラニーとズーイー」は僕の生涯の愛読書である。

その夜は客の予約が入っているというカルロスだったが、「遅くなったらいける」と言う。店を片づけてからだから、おそらく11時半近くになるだろう。その日、僕は夕方から仕事の関係で招待を受けていて、10時近くまでは飲むことになるだろうと思っていたので、その後、新宿の「深夜+1」にいくことにした。

10時半過ぎに「深夜+1」に顔を出すと、本の雑誌社から「姿三四郎と富田常雄」という本を出しているよしだまさしさんがいた。金曜の夜だから店は混んでいて、常連のNさんもいて「サリンジャーが死にましたね」と声をかけられた。僕はすでに4時間近く日本酒を飲んでいたので、充分にアルコールはまわっていたが、サリンジャーの話も出てさらにウィスキーをオン・ザ・ロックで呷ることになった。

兄貴分のカルロスがきたのは、やはり11時半くらいだった。海外文学をやたらに読んでいるカルロスは、サリンジャーに何か思い入れがあるのだろう。それからふたりで「深夜+1」を出て、サリンジャーの話をした。僕は、しきりに「フラニーとズーイー」の話を繰り返した。「新潮文庫の野崎孝訳の『フラニーとゾーイー』ではなく、荒地出版社の『サリンジャー選集』の原田敬一版『フラニーとズーイー』です」とこだわる。

サリンジャーが僕にとってどういう存在だったのかはわからないが、初めてサリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んだ僕はもうこの世に存在していないのではないか。そんなことを考えた。ホールデン・コールフィールドは、大人たちの「インチキな世界」を糾弾し、精神的にどんどん追いつめられていく。彼はイノセントな妹の魂に救済されるのだが、世界中で多くの人に読まれているあの小説には、人間たちのひどく醜い姿が描かれていた。

10代半ばの僕は、ホールデン・コールフィールドに共感した。だが、あのときの少年は僕とは別人なのではないか。今の僕は、ホールデン・コールフィールドが糾弾した「インチキな大人たち」のひとりなのではないか。僕は、本音を隠して生きているインチキな大人なのだ。社会の固い殻を構成するスクエアな俗物になってしまったのではないか。そんなことを感じていた。

●酔っ払って破滅的になるときに聞こえてくる言葉

年明け早々、会社での僕のポジションが変わった。今までも大きな責任は感じていたのだが、背負うものがさらに大きくなった。そのポジションになることは、組織内では大きな成功である。しかし、プレッシャーも大きかった。僕はしばらくブルーになった。その後で、ようやく覚悟ができた。自分のポジションが果たすべき役割を自覚した。

もちろん、得意に思う部分もある。対外的には「おめでとうございます」と言われる話だ。ここ数日、人事の通知状が届いた取引会社からお祝いを言われる。しかし、お祝いを言われるたびに照れ、本当に己でいいのか、勤まるのかと自問する。そう思いながら、あの言葉が僕の脳裏をよぎる。以前にも書いたけれど、それは菅原文太が「仁義なき戦い」(1973年)撮影中に高平哲郎さんのインタビューに答えた言葉である。

──生きてること、やってる仕事。家を持っていること、家族があること。そういうものに何かしら恥ずかしさがつきまとう。それでいてそれをちっとも放棄できない、ふしだらでだらしない自分にも、恥ずかしいわけなんだが......

僕が酔っ払って破滅的になるのは、時々、その言葉が聞こえてくるからだ。その声が今の僕を責める。何を青臭いことを...という気もするけれど、若い頃の自分を完全には否定はできない。ヘンな言い方だけど、まともに生きてきてしまったなあ、という後悔がある。しかし、ここまできてしまうと、今更、無頼にもなれないし、破滅的に生きるのもしんどいものだ。

カルロスと兄弟分の盃を交わしたのは、僕が無頼に憧れるところがあるからかもしれない。渋谷の高級スペイン・レストランのオーナーシェフ・カルロスは、最初に会ったとき、何者かはわからなかった。黒いソフト帽をかぶり、しきりに様々な話をするが、やたらに有名人の名が出る。それに、ひどく口が悪かった。ダーティ・ワーズ連発である。堅気ではない雰囲気だった。彼がオーナー・シェフだと知るのは、しばらく後のことだった。

その後、年が一歳しか違わず、同じような文化的体験をしていることから、飲んで歌って盛り上がって兄弟盃を交わした。以来、いろいろと話を聞くと、様々な体験をしているらしい。僕が大学生の頃にはパリにいたらしいし、スペインも長かったようだ。本はやたらに読んでいて、映画や音楽にも詳しい。それに、カルロスからは修羅場をくぐってきた無頼の匂いがする。彼の両腕にはタトゥーが彫り込まれていて、それを見た途端に僕は「弟分にしてください」と手を突いたのだった。

そんな、カルロスに僕は「今度、......になりましてね」と、正月明けに店にいったとき、ボヤキのような言い方でつい自慢した。「ケッ、それがナンボのもんじゃ」という「このバカ的反応」を予測していたが、「それは、それは...おめでたい」と紳士の対応が戻ってきた。紳士的なIさんが一緒だったからかもしれない。

昨夜、何軒かまわっているとき、カルロスに何度もその肩書きで呼ばれ、「からかうのは、やめてくださいよ」と言った記憶がある。恥ずかしい。自分がそんなポジションになったことが、何かの間違いのような気がする。「ライ麦畑でつかまえて」を読み、インチキな大人の世界に思いを馳せていた頃の僕は、今の僕を見て何を思うだろう。

●傷つきやすいホールデンのまま変われなかったのか

映画の登場人物が「ライ麦畑でつかまえて」を巡って論争するのは、「コレクター」(1965年)という映画である。中学生の時に見たこの映画で、僕はテレンス・スタンプという印象的な俳優を知った。宝くじに当たった青年が、以前から目を付けていた女子大生を誘拐してきて閉じ込める話だ。青年の趣味が蝶のコレクションであることにひっかけて、女性をコレクションする「コレクター」というタイトルになった。

監督はウィリアム・ワイラー。かの「ローマの休日」(1953年)の監督だ。あの映画からはずいぶんと遠い作風だけど、どちらかと言えば元来サスペンス・スリラーを得意とする監督だから、「ローマの休日」の方が異例なのかもしれない。今では手垢のついたサイコ・サスペンスの設定だが、女性をさらってきて飼育するというのは、当時はまだ斬新な物語だったのだ。

さて、そのふたりは「ライ麦畑でつかまえて」を巡って論争する。テレンス・スタンプは否定派だったと思う。サマンサ・エッガーが演じた女子大生は「素晴らしい本だわ」と肯定する。しかし、男を刺激しないように、控えめな反論しかできない。ジョン・ファルズの原作では、この論争部分がかなり長いと友人に教えてもらったことがある。

「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)では、黒人作家に変更されていたが、原作の「シューレス・ジョー」に登場するのは、サリンジャー本人である。主人公レイ・キンセラは「彼を連れてくればそれはくる」というトウモロコシ畑で聞いた声に導かれて、何人かの人間をアメリカ中に探しにいくのだが、その中のひとりが作家のサリンジャーだった。

キンセラは作家の魂を救うためにサリンジャーを誘拐し、自分のトウモロコシ畑を切り開いて作った野球のグラウンドに連れてくる。キンセラがサリンジャーの魂を救おうと考えたのは、サリンジャーが自宅に高い塀を巡らせ、常にカーテンを引いている自宅に籠もったまま、ほとんど人前に姿を現さない生活を送っていたからだ。

世界的なベストセラーを書いたサリンジャーは、何かによって深く傷つき、隠者のような生活を始めた。彼は1919年に生まれ、1953年には自宅の周りに高い塀を張り巡らせてしまう。以来、ずっと外界との接触を断っていた。キンセラは、そんなサリンジャーが救いを求めているに違いないと考えたのだろう。確かに、サリンジャーは魂の救いを求めていたのかもしれない。

村上春樹版「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の最後には、「本書には訳者の解説が加えられる予定でしたが、原著者の要請により、また契約の条項に基づき、それが不可能になりました。残念ですが、ご理解いただければ幸甚です」と書かれている。サリンジャーは、自作の翻訳本にも解説や自身の紹介文の掲載を拒否したのだ。そこまでやるか、と異常ささえ感じる。

彼は、傷つきやすいホールデン・コールフィールドのまま変われなかったのかもしれない。ホールデン・コールフィールドが成長し世界的ベストセラーを書き、その成功によって様々な人間が群がってきたとしたら、精神的にはとても耐えられないだろう。人は(僕のように)何らかの図太さを獲得しない限り、少なくともそんな鎧をかぶらない限り、大人の世界では生きていけない。

僕が生きている世界を、今の僕は「インチキな大人の世界」とは思わない。それで世の中が成り立っているのだ。編集者時代と違って、受注と発注の関係など金銭を伴うビジネスの世界にいると、それこそが社会を成り立たせているリアル・ワールドだと感じる。税金や社会保険と言った社会的システムも見えてくる。企業運営は、経済活動なのだとわかる。しかし、社員の顔を思い浮かべて、「彼ひとりで年間の人件費がいくら」と発想するようになったのも事実だ。少しさみしい。

それにしても、これからは鏡を見るたびに「サリンジャーが死んだ夜」を思い出すことになるのかもしれない。スカーフェイスを気取るのもよいが、人相が悪くなるのは嫌だなあ。休みが開けたら、形成外科へいってみようか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com
先週、「ツイッター始めました」と書いたら、その後すぐに40人近くの人がフォロワーになってくれました。何となくツイッターの世界がわかり始めました。ボヤッキーである僕には向いているのかもしれません。よければ、のぞいてみてください。sogo1951です。
< http://twitter.com/sogo1951 >

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■歌う田舎者[08]
砂漠と夜と音楽と

もみのこゆきと
< http://bn.dgcr.com/archives/20100212140200.html >
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旅に出られなくなって、もう何年経つんだろうねぇ......。あたしの腰もこんなに曲がっちまった。立ち上がるのも億劫でねぇ。でも若い頃はパスポート片手にいろんな国を旅したものさ。一番思い出深い旅は......そうさねぇ、やっぱり砂漠で過ごした一夜だろうねぇ。ミルク色の砂が足元でさらさらとたてた音。髪を梳いていく熱く乾いた風。砂漠の闇に響く遊牧民の歌。今でもときどき思い出すんだ。あぁ、ほら、昔の流行歌にあっただろう? ♪サハラの〜夕日を〜 あなたに見せたい〜(※1)ってさ。

               ◇

それは大きなシステム開発プロジェクトが一段落した、初夏のこと。「砂漠が......砂漠がわたしを呼んでるんです......あぁぁぁ、有給の残りが、1日、2日、3日......18日、19日......振替休日もまだ余ってるぅぅぅ」と番町皿屋敷ばりのおどろおどろしさで上司を脅したところ「いや、わかった、わかったから。いい、いい、行ってよし」「まじすか、ほんといいすか?」「ダメと言っても行くんだよね」「ふへへへへ......」。有意義な労使交渉の結果、12日間の休みをもぎ取った。行先はチュニジアだ。

え? なんでチュニジアに? とはよく聞かれることだが、通っているジャズボーカル教室で『チュニジアの夜』(※2)を練習しようと思っていたので、そのついでみたいなものだ。加えて旅の達人である兼高かおるが、『私の愛する憩いの地』(※3)で、チュニジアはリゾートも田舎町も「何もすることがない」(良い意味で)と書いていた。日本人向けなら「あれもある、これもある、貴方を一刻たりとも退屈させません」と書かなければキャッチフレーズにならないのに......と。一刻たりとも退屈させない場所など、疲労とストレスを積み重ねるだけなので、何もないところでボーーーーーッとしたかったのだ。

成田発のエール・フランス夜便をパリで乗り継ぎ、降り立ったチュニジアの首都チュニスは、彩度もコントラストも高い街だ。白い壁にチュニジアン・ブルーの扉。ブーゲンビリアの濃いピンク。ジャスミンの芳香。ジャカランダの大木が紫の花を咲かせ、レモンの木は重そうにたくさんの実をつけている。

サハラ砂漠への旅の基点となるのはドゥーズという町だ。移動手段はルアージュと呼ばれる乗り合いタクシーで、車種は赤いルノーのワゴンが多い。同じ方向の乗客が集まったら出発するシステムなので時刻表はない。チュニスからドゥーズへ向かう途中に、ショット・エル・ジョリドという塩湖がある。白く輝く塩の結晶は、強烈な太陽の光を反射し、目が痛くなる。どこまでも続く真っ白な地平線を眺めていると、途中にカフェや、砂漠の薔薇を売る土産物屋が現れては消える。熱にゆらめく空気の中で見るそれは、リアルなのか蜃気楼なのか、定かではない。

長い移動の末、やっと辿り着いたドゥーズは、空の青さと日干しレンガのベージュ色、そしてナツメヤシの深緑に彩られた田舎町だ。さっそく砂漠一泊ツアーを申し込みに、ガイドブックに掲載されていた旅行会社を訪れた。砂漠まで連れて行ってくれる、ラクダ引きを雇わねばならないのだ。事務所から、ヒゲを生やした若い兄ちゃんが出てきた。

「今日はあんた一人だけど、いい?」
「は? 一人? それって......砂漠の真ん中で、わたしとラクダ引きと二人だけってことすか?」
「大丈夫大丈夫。よくあることだ。女一人でもノープロブレム。それにうちの会社からは一人だけど、砂漠に着いたら他の旅行会社のツアー客と合流だしね。セキュリティーは万全さ」

ホントかよ。しかし、ここまで来て砂漠に行かぬでは、番町皿屋敷で上司を脅した意味がなくなってしまう。まぁいい。なんとかなるだろう。

出発まで時間があるのでカフェで休憩していると、このあたりでは珍しい東洋人がいると聞いて、わらわらと人が集まってきた。砂漠行きの客だということを嗅ぎつけて、商人が布を売りにやってくる。「遊牧民はこうやって、布を頭に巻いて砂漠を行くんだぞ、ねーちゃん」商人が手際よくわたしの頭に白い布を巻くと、回りからやんややんやの大喝采だ。目ざとく「地球の歩き方」に目をつけた男が「これは日本語か?」と尋ねる。「そうだよ。おっちゃん、名前は? おっちゃんの名前、日本語で書いたるわ」そして、にわか日本語教室が始まった。一人一人の名前を聞き取り、カタカナで紙に書いていく。ヒゲを蓄えたおっちゃんたちが、小難しい顔をして自分の名前を一生懸命なぞっているのが可愛らしい。

夕刻が近づいてきた。「じゃ、そろそろ行こうか」旅行会社の兄ちゃんに促され、いかつい4WDで砂漠の入り口に向かう。そこには日干しレンガでできた門があり、ナツメヤシ林の向こうにはミルク色の砂漠が広がっている。門のそばには実直そうな顔をした遊牧民のじいさまが一人、ラクダを連れて佇んでいる。兄ちゃんは「あれがあんたのラクダだ。オレはこれで帰るけど、明日の朝、またここに迎えに来るから」そう言い残したあと、じいさまに向かって二言三言連絡事項らしきことを話し、それから車の排気音を響かせて帰って行った。

じいさまはラクダを座らせ、こぶの上の鞍に乗れと言う。言うといっても、どうやらフランス語オンリーのようだ。わたしをラクダの背に乗せると、手綱を引きながらゆっくりと砂漠の中へ歩いていく。30分くらい歩いたところで休憩し、その後、また1時間ほど歩く。太陽に灼かれた肌はコーヒー色で、顔に刻まれた皺は深い。高齢のじいさまにラクダを引かせて自分は鞍の上というのは、なんとも申し訳ない。

なんとか目的地に着いたようで、じいさまはラクダを座らせ荷物を下ろした。ところどころ背丈の低い灌木が生えている以外は、どちらを向いても砂の大地だ。地平線に太陽が沈みかけている。

じいさまは枯れた灌木を集めて来いと指示する。ある程度集めると、枯れ枝に火をつけ鍋をのせた。どうやら食事の準備らしい。じいさまは玉葱を刻み始め、わたしにはジャガイモ剥き器を差し出した。刻んだ玉葱、ジャガイモ、トマト、チキンと、缶詰のトマトピューレを鍋に入れ、塩で調味してしばらく煮込んだあと、ショートパスタを入れる。

風が出てきた。砂が入らないように鍋のフタを開け、かき混ぜる。砂漠の風紋が静かに形を変えている。もうひとつの火の方には、小さなティーポットがかけてあり、お湯が沸騰している。ミントティーだ。
「さぁ、できあがりだ。ボナペティ」
夕闇の中で、できたばかりのトマト味のショートパスタを口に入れる。シンプルな味付けにもかかわらずうまい。時々口の中で砂がジャリッと音を立てる。

食後のミントティーを飲んでいると、じいさまが笛を取り出した。どうやら何か吹けと言っているようだ。吹けったって音階も良くわからない笛なので、適当にデタラメな曲を吹いてみる。じいさまはその間に、手際良く洗い物をし、ラクダに積みやすいように食器を片づけている。

太陽もとっぷりと落ち、障害物もない地平線上には二人のシルエットだけが浮かび上がり、じいさまは遊牧民の歌とかベルベル人の民謡だとかを歌い始める。

♪我らは砂漠を渡るノマド
 オアシスで喉をうるおし
 砂漠の船 ラクダとともに
 砂の大地を 風のようにさまよう
 おぉ ムスタファ ムスタファ
 明日はどこへ行こう♪ 

というのは、わたしが勝手に推測した歌詞だ。じいさまの発声は朗々として、なかなか上手い。何曲か歌ってくれたあと「今度はお前が歌え」と言う。ジャズボーカルを習っているというのに、こういう時に洒落たスタンダードナンバーなど全く思い出さず、文部省唱歌ばかりが出てくる。砂漠の夜に響き渡った歌は「さくらさくら」「ふるさと」「里の秋」なのだった。

時刻はもう21時。じいさまはラクダの荷物の中から、毛布を引っ張り出してきた。ふっ......そうさ、わたしは気づいていたさ。旅行会社の兄ちゃんはかく語りき。「砂漠に着いたら他の旅行会社のツアー客とも一緒だから」
人っ子ひとりいねぇじゃねぇか! そうだ。日干しレンガの門を出発したその時から、わたしたちはずーーーっと"この世に二人だけ"(※4)だったのだ。料理を手伝いながら、笛を吹きながら、歌を歌いながら、頭の片隅でずっと考えていた。「誰も来ねぇんだが......今から来るんだよな? まさかこのままなんてこたねぇよな?」と。

じいさまはダブルベッドサイズの毛布に、枕を二つセッティングし「もう寝よう」と言う。じいさまと言っても、一応オトコである。「てっ、貞操の危機ッ!」叫びたかったが、叫んだところで誰にも聞こえやしない。逃げ隠れする場所もない。だいたいじいさまを怒らせたら、どうやってこの砂漠から脱出すればいいのだ。日干しになって死ぬだけだ。

「ハ、ハ、ハ。そうすねぇ。普通夜になったら寝るもんっすよねぇ」
動揺を隠して間の抜けた返事をし、もそもそと毛布にもぐり込む。ヤバい。ヤバいんじゃねぇか? この状況。今日初めて出会ったオトコと異国の空の下で同衾だなんて、ヤマトナデシコとしてあるまじき淫らな行状。あぁ、神よ、何も起こりませんように。毛布の中で祈りながら体を硬直させる。しばらくすると、じいさまがむっくりと起き上がり、わたしの肩に手をかけた。

「ぎえ〜っ!。キターーーッ!」
間髪入れずに飛び起きた。頭の中には「邦人女性、サハラ砂漠でレイプ。単独行動に自己責任の声も」と報道されている映像がめまぐるしくフラッシュする。「な、な、な、なによ、なんなのよ!」と鬼の形相で、今にもパンチをお見舞いしそうなポーズを取って睨みつけた。

じいさまは黙って空を見上げ、それからゆっくり右手を上げて天空を指差した。
「マダム、エトワール」
激しく波打つ心臓の鼓動を感じながら空を見上げると、星だ。満天の星だ。青みを残す漆黒の夜の空には、たくさんの白く輝く星が瞬いていた。気が抜けた。腑抜けのように半分口を開け、それからじいさまの顔を見た。じいさまはにこにこと笑いながら、また毛布にもぐり込んだ。

なんだよ。なんなんだよまったく......ビビらせやがって。そう呟いて、平和な寝息を立てるじいさまの顔を見る。食べて、寝て、働いて、空を見上げる。生きるとはシンプルなことだ。日本の暮らしは、複雑になり過ぎたのかもしれない。ディジー・ガレスピーの曲のように、スリリングなチュニジアの夜に星が降る。

そして夜が明けると一層スリリングな出来事が。砂漠の夜は冷えるのだ。サハラに太陽の光が戻り始めた時刻、冷えたお腹がきゅるるるると鳴いた。そして周囲を見渡すと......待て、待て、ちょ〜っと待て〜っ!!。「はばかりはいずこに?」

そうだ。右を向いても左を向いても果てしなく続く地平線。ゆるやかな砂山が起伏しているばかりで、はばかりなどあるわきゃない。起きだしてきたじいさまは、のんびりと薬缶でお湯を沸かしている。

仕方ない。一番手前の砂山の向こうでこっそりやっちまおう。じいさまから見えない角度のゆるやかな砂山を越え、そこでナニをナニした。あぁ、なんということだ。異国でこんな狼藉を働くことになろうとは。このような事実は即刻葬り去らねばならぬ。さらさらさらさら、さらさらさらさら......。文字通りの砂かけババァというヤツだ。砂山の麓には、小さく盛り上がった墓標がひとつ。この作品に名前を付けるとすれば......ふっ、そうだな。「野糞の墓」かな。

  「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好も
  しいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
  「民さんはそんなに野菊が好き......道理でどうやら民さんは野菊のような
  人だ」(※5)

そんな高尚な世界を頭に思い描きつつ、自分の作品を見つめる異邦人のわたしである。♪子供たちが〜空に向かい〜♪(※6)。食べて、寝て、働いて、出す。生きるとはシンプルなことだ。

翌朝、迎えにきた旅行会社の兄ちゃんは「セキュリティは万全だったろ?」と自慢げに胸を張った。「バカたれが!」そう言いながらも、げらげらと笑い出したわたしを見て、兄ちゃんは「ヘンな東洋人だ」と首をすくめ、じいさまは、ぽかりと欠伸をした。

               ◇

あぁ、昔の旅の夢を見ていたようだねぇ。あんたたち、与太話につきあってくれてありがとう。旅は本当に素敵なものさ。あたしみたいに婆になって体が弱っちまう前に、世界を見ておいで。あの光、風、匂いが、きっと何かを作り出すインスピレーションになると、婆は思ってるんだ。

※1「SAND BEIGE -砂漠へ-」中森明菜
< >
※2「A Night In Tunisia」Dizzy Gillespie
< >
※3「私の愛する憩いの地」兼高かおる
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410387001X/dgcrcom-22/ >
※4「この世に二人だけ」中島みゆき
< >
※5「野菊の墓」伊藤左千夫
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4569672590/dgcrcom-22/ >
※6「異邦人」久保田早紀
< >

【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。わたしの友人(女性)に、海外のビーチリゾートに行くたびに、砂浜でウンチの砂像を作って記念撮影をするのが趣味という人がいます。ホントです。ところで「あれ〜、この書きっぷり、どこかで読んだような......雰囲気パクリなんじゃねぇの?」と思われると困るので......。
< http://el.jibun.atmarkit.co.jp/engineerx/ >
↑これは過去の遺物です。

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■ところのほんとのところ[32]
写真馬鹿というか表現馬鹿

所幸則 Tokoro Yukinori
< http://bn.dgcr.com/archives/20100212140100.html >
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北京、上海と回って来た[ところ]が、次に行くのはハワイのホノルルなんですが、日本に帰って少ししたらガクッと来てしまった。意外と[ところ]は弱い部分が多いようです。

特にストレスに弱い。それと一人旅に弱い。外国に行ってコミュニケーションが取れないことが、こんなにきついとは思わなかった。カメラを持って歩き始めると、なぜか体が動くので写真は撮れるのだが、体はおかしくなっていく。荷物を背負って何か月も外国を旅をする人もいるのに。うーむ。うらやましい。[ところ]とどこが違うんでしょうか。

さて、北京は前回のイメージと随分変わってきた。やっぱり度々来ないといかんなあと思った。と言ってもまだ二度目ですが。でかいビルは多いけれど、都市として成熟していないという感じが確かにある。とにかくビルはハンパなく大きい。東京よりNYよりどこよりもでかい。

といってもピンと来ないだろうから、一応例えてみることにします。六本木ヒルズやミッドタウンクラスのビルがその数10倍ある。しかも、もっと大きいものも沢山ある。郊外にいってもそれが結構あるんです

もちろん、裏通りには昔ながらの場所も残ってはいる。この前はあまり時間がなく、巨大ビルの足元には行ってなかったので、今回は何時間も歩いてみたのだ。素敵なコンクリートジャングルには、日本でも有名な牛丼屋がある。もちろんコンビニエンスストアもあれば、携帯電話屋さんもある。中国ならではの中華のファーストフードのような店もたくさんある。世界の食べもの屋さんが軒を連ねている。もともと中国は食には貪欲な国なのだから、考えてみると当然の流れか。

もちろん、ブティックやアクセサリーショップなど様々な店もあるのだが、どの店も異常にでかいビル群の足元にあるので、比較すると極端に小さく、妙な感覚だ。しかも、歩いてる人はなんだか少ない。このビル群に人は埋まってるのだろうか? そして、もっともっとビルを増やそうとどんどん工事が進んでいる。ビル群と人の少なさのアンバランスは、絵としては確かにおもしろい。

撮っても撮っても、どんどん風景は変わっていくんだろうな。ここに住んで、ずっと撮り続けないと面白くないのかもしれないと、ちょっと[ところ]も悩みました。どのビルを撮っても、北京人にはさほど思い入れがない。あと10年後に、落ち着いてから撮った方がいいのかもしれない。その頃に[ところ]が生きてるかどうか分らないし、写真を撮ってるかどうかも分らないんだけど。


最近考えこむことが多い。消えていく職業のこともそう。この連載を読むような人にしか分らないかもしれないけれど、写植屋さんという職業がかつてあった。デザインの世界がデジタル化されていく過程で消えていった。

そして、現像所、いわゆるプロラボという場所。これもどんどん縮小している。いつか東京でも一か所とかになるのかもしれない。最盛期は多分30か所ぐらいはあった。これに関しては、[ところ]は写真家なのでものすごくリアルに感じている。

17年前、ある大手現像所の支店長が[ところ]と一対一で会いたいと電話してきた。当時、デジタル系の雑誌で多く取り上げられていた[ところ]と話したいという。その現像所にはたまには顔も出すから、その時でもいいですかと聞いたけど、なんだか急いでいるようだったので来てもらった。なぜ彼が一対一にこだわっていたのかは、その時わかった。

彼が聞きたかったのは、現像所に未来はあるのか? ということだった。デジタルカメラがようやく出始めて、写真のデジタル化もぼつぼつ語られていた頃だ。当時30歳を少し出たくらいの彼としては、このまま現像所にいても大丈夫なのか、それとも別の分野に転職したほうがいいのかと考えていたらしい。

[ところ]はその会社がどういう方向に行くかで変わると思うので、あくまで写真家の立場でと断って話した。「企業側、発注側とすれば写真のデジタル化は経費節減にもつながる。量が多いチラシの写真や、中古車雑誌などに代表される程度の写真なら、今のデジタルカメラでも間に合うから、この分野ではフィルムは不要になる。デジタルカメラはまだ高価なわりに性能は低いが、あと3〜5年もたてば性能は上がり、プロが使うようになる。ポジフィルムの現像は激減するのではないか。10年後にはかなり大変な事態になっているかもしれない」と答えた。彼は一ヶ月後には会社を変わっていました。

そして、フォトグラファーという職業さえ、いつまであるのだろうかと思い始めている。もちろん、生き残る人もいるけれど。まず、フリーになりたての人がやっていたような簡単な取材、質をそこまで重視しない撮影は、編集者やデザイナーが代わる時代になってきている。それと、最近の風潮でもある、軽くなってしまった「写真家」という言葉。

現像所の支店長が訪ねて来たときはカメラマン、フォトグラファーとは簡単に名乗れても、写真家と名乗るのは重いことだった。[ところ]も写真家と自分で書くようになったのもほんの2年ほど前で、それは回りの人が決めるものでもあったと思う。つまり、それほどまでに写真という技術が軽く見られつつあるということでもある。

[ところ]はずっと一つのことを真面目に取り組めば、必ずやっていけると考えていた。パン職人もそう、寿司職人もそう、父が職人気質だったのを見てきた影響もあるだろうけれど。最近では、どの職種でも最高峰なら生き延びれるかもしれないけど、堅実にやってるだけではダメな世の中になってきているような流れを感じる。

10年前なら3DCGの技術者も、自分のタッチをクリエイションしなくても、目の前にあるものを正確に再現すること、例えば人間を作るモデリング能力があれば地道にやれた。いや、結構引っ張りだこだったりした。今ではそうはいかないし、この10年後はもっとそうなっているだろう。

そして、この不況、多少は回復するようになるかもしれないが、凄くよくなることはもうないとみんな分っている。効率的でホドホドを望むようになっていくような気がする。特にアートと呼ばれるような分野は、しょせん社会にお金があって求められるものだからなおさらだ。

去年の夏テレビでやっていたドラマで、炭鉱労働者が仕事を失い大変な目にあっているのを見た。僕にとっては世代が少しずれているので、詳しくは知らなかったが、ただもくもくと働いてる真面目な労働者が食も故郷もなくしていくという現実を見て、どういう世の中なのかと考えるようになった。炭鉱を追いやった石油産業にしても、現場の人間というのはいるはずだ。

石油の次のエネルギーも、みんなが考え始めてる。いきなり切り替わることはなく、スピードは案外緩やかかもしれないけれど、石油は必ずなくなっていくものなんだろう。国やお金持ちの事情でコントロールされて行くんだろうね。

ちょっと重たい話になってしまったけれど、みんなが時代に敏感でうまく立ち回れる人間ばかりじゃないと思う[ところ]なのでした。だけど、うまく立ち回りたいと思ってる人間の比率だけ上がっていうような気がして、それもどうしたものだろう、人間の本能なんだろうかとも思う。

ひとつのことに打ち込む人間が[ところ]は好きだ。その点スポーツはわかりやすくていいな。体力に自信がないだけに憧れる気持ちは大きい。[ところ]も写真馬鹿というか表現馬鹿なので。いまさら変える気もないけれど。

3月30日から始まる[ところ]史上最大の個展を、まずちゃんと成功させなくては。

◇所幸則写真展「PARADOX」3月30日〜5月30日 GALLERY 21(お台場)
< http://www.gallery21-tokyo.com/jp/exhibitions/2010/yukinoritokoro/ >

そして、「ニコニコミュニティ」で写真家としての話を毎週続けています。ぜひ見てください。

◇「写真家の異常な愛情」所幸則 1sec(ONE SECOND)放送:土曜日21時
< http://com.nicovideo.jp/community/co60744 >

所幸則(写真家)&近江賢介(音楽プロデューサー)がレギュラー、毎回ゲストを呼んで、写真とカメラについてのトークを中心にお送りしています。

ゲストはシグマ繋がりDP繋がりの写真家・保坂昇寿さん、写真家同士で写真とカメラについて語りあいます。保坂さんは音楽も詳しいので、近江くんとも話がしたいようです。お楽しみに! プレミアム会員はひとつ前の回の放送を見逃しても、次の放送開始までは見られます。2月13日(土)21:00〜22:00

【ところ・ゆきのり】写真家

CHIAROSCUARO所幸則 < http://tokoroyukinori.seesaa.net/ >
所幸則公式サイト  < http://tokoroyukinori.com/ >

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■編集後記(2/12)

トランスモーファー リターンズ [DVD]・映画DVD「トランスモーファー リターンズ」を見た。そんなもん、帰って来なくていいって。「衝撃のビジュアルとタイトルで旋風を巻き起こしたSFアクション第2弾。カリフォルニア州・ロサンゼルスのハイウェイで、外交官の娘が突然ロボットに変形した携帯電話に襲われ死亡する。それこそが機械たちによる人類侵略の始まりだった」と、商品説明にある。衝撃のビジュアルですわ、偽装パッケージ、パクリのタイトル。衝撃はその2点だけで中味は笑劇。今度はどんなおバカを見せてくれるか期待したら、第1弾よりさらにスケールダウン。続編でもなんでもない別物である。一応変身メカはあるが3点ぽっきり、ほかは同じロボットしか出て来ない(しかも少数、弱い、古いデザイン)。こいつらにより世界が壊滅状態になっただと。生存して機械生命体と戦う人類側は10人に満たない。舞台は砂漠の工場みたいなところ。圧倒的多数の機械生命体が大都市を侵略して人類を大殺戮、なんてシーンはない。戦闘シーンといったら、ロボットと銃を撃ち合うだけ、地味過ぎ。最低と思った第1弾よりひどいストーリーとSFXで、レジスタンスは機械を捕らえて「拷問」して情報を得たという、オイ、いくらなんでもそれはないだろう、そう言っても仕方ないか。眠気を催す問題作であった。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002ML4WIQ/dgcrcom-22/ >
パッケージはナイス!こんなシーンないす

・iPhoneアプリ「定点カメラ」。定点観測ができるアプリ。通常のアルバムは、私の環境では途中で落ちてしまい、アプリ側に保存できなかった(カメラロールには保存できている)。インターバル撮影は、撮影間隔5秒〜10分、撮影枚数は無制限、10、30、50、100、300枚。写真サイズはQVGAからUGAまでの5つ。先に撮った画像を撮影画面に透過して重ねられるので便利。簡単な人形アニメも作れそう。夕日や雑踏を撮ってみたいなぁ。/オリンピック公式アプリ「2010Guide」仕込み完了!/使うかどうかわからないから買うのを迷っている「Streaks」。カレンダーに×印をつけていくアプリ。複数目標分のカレンダーが作れるらしい。毎日の運動とか、早起きしたとかのチェックリストにもなりそう。書き始めると欲しくなってきた。チェックするだけならエクセルでもいいんだもんなぁ。そして毎日チェックするの忘れそうなのよね。/BuzzからTwitterへは三時間おきに読みに行くみたい。いろいろとTipsが出てきているよ。/Youtube。v=ファイル名#t=分m秒sは、途中再生リンク。(hammer.mule)
< http://keiziweb.sakura.ne.jp/down/teitenCamera/ >  デモ動画あり
< http://itunes.apple.com/jp/app/id354143753 >  無料です
< http://itunes.apple.com/jp/app/id350892863 >  オリンピック公式アプリ
< http://twitter.com/2010tweets >  オリンピック公式Twitterアカウント
< http://fanzter.com/products/streaks >  Streaks公式サイト
< http://itunes.apple.com/jp/app/id345184462 >  iTunesで
< >  1分5秒から
< http://d.hatena.ne.jp/dacs/20100211/1265880922 >
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