歌う田舎者[08]砂漠と夜と音楽と
── もみのこゆきと ──

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旅に出られなくなって、もう何年経つんだろうねぇ......。あたしの腰もこんなに曲がっちまった。立ち上がるのも億劫でねぇ。でも若い頃はパスポート片手にいろんな国を旅したものさ。一番思い出深い旅は......そうさねぇ、やっぱり砂漠で過ごした一夜だろうねぇ。ミルク色の砂が足元でさらさらとたてた音。髪を梳いていく熱く乾いた風。砂漠の闇に響く遊牧民の歌。今でもときどき思い出すんだ。あぁ、ほら、昔の流行歌にあっただろう? ♪サハラの〜夕日を〜 あなたに見せたい〜(※1)ってさ。

               ◇

それは大きなシステム開発プロジェクトが一段落した、初夏のこと。「砂漠が......砂漠がわたしを呼んでるんです......あぁぁぁ、有給の残りが、1日、2日、3日......18日、19日......振替休日もまだ余ってるぅぅぅ」と番町皿屋敷ばりのおどろおどろしさで上司を脅したところ「いや、わかった、わかったから。いい、いい、行ってよし」「まじすか、ほんといいすか?」「ダメと言っても行くんだよね」「ふへへへへ......」。有意義な労使交渉の結果、12日間の休みをもぎ取った。行先はチュニジアだ。

え? なんでチュニジアに? とはよく聞かれることだが、通っているジャズボーカル教室で『チュニジアの夜』(※2)を練習しようと思っていたので、そのついでみたいなものだ。加えて旅の達人である兼高かおるが、『私の愛する憩いの地』(※3)で、チュニジアはリゾートも田舎町も「何もすることがない」(良い意味で)と書いていた。日本人向けなら「あれもある、これもある、貴方を一刻たりとも退屈させません」と書かなければキャッチフレーズにならないのに......と。一刻たりとも退屈させない場所など、疲労とストレスを積み重ねるだけなので、何もないところでボーーーーーッとしたかったのだ。



成田発のエール・フランス夜便をパリで乗り継ぎ、降り立ったチュニジアの首都チュニスは、彩度もコントラストも高い街だ。白い壁にチュニジアン・ブルーの扉。ブーゲンビリアの濃いピンク。ジャスミンの芳香。ジャカランダの大木が紫の花を咲かせ、レモンの木は重そうにたくさんの実をつけている。

サハラ砂漠への旅の基点となるのはドゥーズという町だ。移動手段はルアージュと呼ばれる乗り合いタクシーで、車種は赤いルノーのワゴンが多い。同じ方向の乗客が集まったら出発するシステムなので時刻表はない。チュニスからドゥーズへ向かう途中に、ショット・エル・ジョリドという塩湖がある。白く輝く塩の結晶は、強烈な太陽の光を反射し、目が痛くなる。どこまでも続く真っ白な地平線を眺めていると、途中にカフェや、砂漠の薔薇を売る土産物屋が現れては消える。熱にゆらめく空気の中で見るそれは、リアルなのか蜃気楼なのか、定かではない。

長い移動の末、やっと辿り着いたドゥーズは、空の青さと日干しレンガのベージュ色、そしてナツメヤシの深緑に彩られた田舎町だ。さっそく砂漠一泊ツアーを申し込みに、ガイドブックに掲載されていた旅行会社を訪れた。砂漠まで連れて行ってくれる、ラクダ引きを雇わねばならないのだ。事務所から、ヒゲを生やした若い兄ちゃんが出てきた。

「今日はあんた一人だけど、いい?」
「は? 一人? それって......砂漠の真ん中で、わたしとラクダ引きと二人だけってことすか?」
「大丈夫大丈夫。よくあることだ。女一人でもノープロブレム。それにうちの会社からは一人だけど、砂漠に着いたら他の旅行会社のツアー客と合流だしね。セキュリティーは万全さ」

ホントかよ。しかし、ここまで来て砂漠に行かぬでは、番町皿屋敷で上司を脅した意味がなくなってしまう。まぁいい。なんとかなるだろう。

出発まで時間があるのでカフェで休憩していると、このあたりでは珍しい東洋人がいると聞いて、わらわらと人が集まってきた。砂漠行きの客だということを嗅ぎつけて、商人が布を売りにやってくる。「遊牧民はこうやって、布を頭に巻いて砂漠を行くんだぞ、ねーちゃん」商人が手際よくわたしの頭に白い布を巻くと、回りからやんややんやの大喝采だ。目ざとく「地球の歩き方」に目をつけた男が「これは日本語か?」と尋ねる。「そうだよ。おっちゃん、名前は? おっちゃんの名前、日本語で書いたるわ」そして、にわか日本語教室が始まった。一人一人の名前を聞き取り、カタカナで紙に書いていく。ヒゲを蓄えたおっちゃんたちが、小難しい顔をして自分の名前を一生懸命なぞっているのが可愛らしい。

夕刻が近づいてきた。「じゃ、そろそろ行こうか」旅行会社の兄ちゃんに促され、いかつい4WDで砂漠の入り口に向かう。そこには日干しレンガでできた門があり、ナツメヤシ林の向こうにはミルク色の砂漠が広がっている。門のそばには実直そうな顔をした遊牧民のじいさまが一人、ラクダを連れて佇んでいる。兄ちゃんは「あれがあんたのラクダだ。オレはこれで帰るけど、明日の朝、またここに迎えに来るから」そう言い残したあと、じいさまに向かって二言三言連絡事項らしきことを話し、それから車の排気音を響かせて帰って行った。

じいさまはラクダを座らせ、こぶの上の鞍に乗れと言う。言うといっても、どうやらフランス語オンリーのようだ。わたしをラクダの背に乗せると、手綱を引きながらゆっくりと砂漠の中へ歩いていく。30分くらい歩いたところで休憩し、その後、また1時間ほど歩く。太陽に灼かれた肌はコーヒー色で、顔に刻まれた皺は深い。高齢のじいさまにラクダを引かせて自分は鞍の上というのは、なんとも申し訳ない。

なんとか目的地に着いたようで、じいさまはラクダを座らせ荷物を下ろした。ところどころ背丈の低い灌木が生えている以外は、どちらを向いても砂の大地だ。地平線に太陽が沈みかけている。

じいさまは枯れた灌木を集めて来いと指示する。ある程度集めると、枯れ枝に火をつけ鍋をのせた。どうやら食事の準備らしい。じいさまは玉葱を刻み始め、わたしにはジャガイモ剥き器を差し出した。刻んだ玉葱、ジャガイモ、トマト、チキンと、缶詰のトマトピューレを鍋に入れ、塩で調味してしばらく煮込んだあと、ショートパスタを入れる。

風が出てきた。砂が入らないように鍋のフタを開け、かき混ぜる。砂漠の風紋が静かに形を変えている。もうひとつの火の方には、小さなティーポットがかけてあり、お湯が沸騰している。ミントティーだ。
「さぁ、できあがりだ。ボナペティ」
夕闇の中で、できたばかりのトマト味のショートパスタを口に入れる。シンプルな味付けにもかかわらずうまい。時々口の中で砂がジャリッと音を立てる。

食後のミントティーを飲んでいると、じいさまが笛を取り出した。どうやら何か吹けと言っているようだ。吹けったって音階も良くわからない笛なので、適当にデタラメな曲を吹いてみる。じいさまはその間に、手際良く洗い物をし、ラクダに積みやすいように食器を片づけている。

太陽もとっぷりと落ち、障害物もない地平線上には二人のシルエットだけが浮かび上がり、じいさまは遊牧民の歌とかベルベル人の民謡だとかを歌い始める。

♪我らは砂漠を渡るノマド
 オアシスで喉をうるおし
 砂漠の船 ラクダとともに
 砂の大地を 風のようにさまよう
 おぉ ムスタファ ムスタファ
 明日はどこへ行こう♪ 

というのは、わたしが勝手に推測した歌詞だ。じいさまの発声は朗々として、なかなか上手い。何曲か歌ってくれたあと「今度はお前が歌え」と言う。ジャズボーカルを習っているというのに、こういう時に洒落たスタンダードナンバーなど全く思い出さず、文部省唱歌ばかりが出てくる。砂漠の夜に響き渡った歌は「さくらさくら」「ふるさと」「里の秋」なのだった。

時刻はもう21時。じいさまはラクダの荷物の中から、毛布を引っ張り出してきた。ふっ......そうさ、わたしは気づいていたさ。旅行会社の兄ちゃんはかく語りき。「砂漠に着いたら他の旅行会社のツアー客とも一緒だから」
人っ子ひとりいねぇじゃねぇか! そうだ。日干しレンガの門を出発したその時から、わたしたちはずーーーっと"この世に二人だけ"(※4)だったのだ。料理を手伝いながら、笛を吹きながら、歌を歌いながら、頭の片隅でずっと考えていた。「誰も来ねぇんだが......今から来るんだよな? まさかこのままなんてこたねぇよな?」と。

じいさまはダブルベッドサイズの毛布に、枕を二つセッティングし「もう寝よう」と言う。じいさまと言っても、一応オトコである。「てっ、貞操の危機ッ!」叫びたかったが、叫んだところで誰にも聞こえやしない。逃げ隠れする場所もない。だいたいじいさまを怒らせたら、どうやってこの砂漠から脱出すればいいのだ。日干しになって死ぬだけだ。

「ハ、ハ、ハ。そうすねぇ。普通夜になったら寝るもんっすよねぇ」
動揺を隠して間の抜けた返事をし、もそもそと毛布にもぐり込む。ヤバい。ヤバいんじゃねぇか? この状況。今日初めて出会ったオトコと異国の空の下で同衾だなんて、ヤマトナデシコとしてあるまじき淫らな行状。あぁ、神よ、何も起こりませんように。毛布の中で祈りながら体を硬直させる。しばらくすると、じいさまがむっくりと起き上がり、わたしの肩に手をかけた。

「ぎえ〜っ!。キターーーッ!」
間髪入れずに飛び起きた。頭の中には「邦人女性、サハラ砂漠でレイプ。単独行動に自己責任の声も」と報道されている映像がめまぐるしくフラッシュする。「な、な、な、なによ、なんなのよ!」と鬼の形相で、今にもパンチをお見舞いしそうなポーズを取って睨みつけた。

じいさまは黙って空を見上げ、それからゆっくり右手を上げて天空を指差した。
「マダム、エトワール」
激しく波打つ心臓の鼓動を感じながら空を見上げると、星だ。満天の星だ。青みを残す漆黒の夜の空には、たくさんの白く輝く星が瞬いていた。気が抜けた。腑抜けのように半分口を開け、それからじいさまの顔を見た。じいさまはにこにこと笑いながら、また毛布にもぐり込んだ。

なんだよ。なんなんだよまったく......ビビらせやがって。そう呟いて、平和な寝息を立てるじいさまの顔を見る。食べて、寝て、働いて、空を見上げる。生きるとはシンプルなことだ。日本の暮らしは、複雑になり過ぎたのかもしれない。ディジー・ガレスピーの曲のように、スリリングなチュニジアの夜に星が降る。

そして夜が明けると一層スリリングな出来事が。砂漠の夜は冷えるのだ。サハラに太陽の光が戻り始めた時刻、冷えたお腹がきゅるるるると鳴いた。そして周囲を見渡すと......待て、待て、ちょ〜っと待て〜っ!!。「はばかりはいずこに?」

そうだ。右を向いても左を向いても果てしなく続く地平線。ゆるやかな砂山が起伏しているばかりで、はばかりなどあるわきゃない。起きだしてきたじいさまは、のんびりと薬缶でお湯を沸かしている。

仕方ない。一番手前の砂山の向こうでこっそりやっちまおう。じいさまから見えない角度のゆるやかな砂山を越え、そこでナニをナニした。あぁ、なんということだ。異国でこんな狼藉を働くことになろうとは。このような事実は即刻葬り去らねばならぬ。さらさらさらさら、さらさらさらさら......。文字通りの砂かけババァというヤツだ。砂山の麓には、小さく盛り上がった墓標がひとつ。この作品に名前を付けるとすれば......ふっ、そうだな。「野糞の墓」かな。

  「私なんでも野菊の生れ返りよ。野菊の花を見ると身振いの出るほど好も
  しいの。どうしてこんなかと、自分でも思う位」
  「民さんはそんなに野菊が好き......道理でどうやら民さんは野菊のような
  人だ」(※5)

そんな高尚な世界を頭に思い描きつつ、自分の作品を見つめる異邦人のわたしである。♪子供たちが〜空に向かい〜♪(※6)。食べて、寝て、働いて、出す。生きるとはシンプルなことだ。

翌朝、迎えにきた旅行会社の兄ちゃんは「セキュリティは万全だったろ?」と自慢げに胸を張った。「バカたれが!」そう言いながらも、げらげらと笑い出したわたしを見て、兄ちゃんは「ヘンな東洋人だ」と首をすくめ、じいさまは、ぽかりと欠伸をした。

               ◇

あぁ、昔の旅の夢を見ていたようだねぇ。あんたたち、与太話につきあってくれてありがとう。旅は本当に素敵なものさ。あたしみたいに婆になって体が弱っちまう前に、世界を見ておいで。あの光、風、匂いが、きっと何かを作り出すインスピレーションになると、婆は思ってるんだ。

※1「SAND BEIGE -砂漠へ-」中森明菜
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※2「A Night In Tunisia」Dizzy Gillespie
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※3「私の愛する憩いの地」兼高かおる
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※4「この世に二人だけ」中島みゆき
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※5「野菊の墓」伊藤左千夫
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※6「異邦人」久保田早紀
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【もみのこ ゆきと】qkjgq410@yahoo.co.jp

働くおじさん・働くおばさんと無駄話するのが仕事の窓際事務員。かつてはシステムエンジニア。わたしの友人(女性)に、海外のビーチリゾートに行くたびに、砂浜でウンチの砂像を作って記念撮影をするのが趣味という人がいます。ホントです。ところで「あれ〜、この書きっぷり、どこかで読んだような......雰囲気パクリなんじゃねぇの?」と思われると困るので......。
< http://el.jibun.atmarkit.co.jp/engineerx/
>
↑これは過去の遺物です。