[2796] ......は売っても魂は売らない

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《自分に対しては誇れる人間でありたい》

■映画と夜と音楽と...[452]
 ......は売っても魂は売らない
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![112]
 禁断の映像作家と21世紀文化
 GrowHair



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■映画と夜と音楽と...[452]
......は売っても魂は売らない

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100219140200.html >
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〈あるいは裏切りという名の犬/裏切りの闇で眠れ/やがて復讐という名の雨/いずれ絶望という名の闇〉

●ラストシーンの男の背中から寂寥と哀愁が漂っていた

もう初老と言ってもいい歳だ。大きな躯に盛り上がった肩。そのせいか少し猫背に見える。若い頃から金髪を長く伸ばし、独特の風貌をしていた。特徴的なのは、いかつい顔の真ん中にある鼻だ。大きな鼻は団子鼻のように盛り上がり、その先がカーク・ダグラスの顎のようにふたつに割れている。フランス一の名優と呼ばれたこともある。

後ろ姿は独特だ。横幅のある大きな背中が上半身を占め、そう長くはない脚が、その下に伸びている。まるで、昔の漫画に出てくるロボットのようなシルエットである。その背中を揺するようにして歩いていく男のシルエットに画面はズームし、片脚を踏み出すストップモーションになってその映画は終わった。男の背中からは寂寥と哀愁が漂っていた。

なぜ、こんなによい映画が劇場未公開になったのだろう。しかし、DVDで出ただけマシなのかもしれない。一時期、フランス映画の日本公開作品は絶滅状態になったことがある。今はDVDマーケット狙いでも、発売してくれるのは有難い。そう言えば、主演俳優と監督とタイトルに惹かれて、昨年「やがて復讐という名の雨」(2007年)もDVDで買った。これも劇場未公開だった。

以前に「あるいは復讐という名の犬」(2004年)について書いた(「映画がなければ...」第三巻278頁)ことがある。ダニエル・オートゥイユとジェラール・ドパルデューが競演したフィルム・ノアールである。主人公のダニエル・オートゥイユは刑事だったが、フィルム・ノアールでは刑事と暗黒街の住人が密接な関係だったりする。単純な正義漢ではない。

「あるいは復讐という名の犬」ではジェラール・ドパルデューは、警察長官をめざす権力欲の権化のような卑劣な男を演じた。その大男ドパルデューが主人公の刑事マックを演じたのが「いずれ絶望という名の闇」(2009年)である。この映画は前述のように、ドパルデューのロボットのような後ろ姿のショットで終わる。ダーティな初老の刑事の「愛と友情と裏切り」の物語だ。

刑事には女刑事の相棒がいる。ふたりのパトカーに交通事故の報が入り、現場にいくと若い女の首がハイウェイに転がっているという。鑑識係がその首を拾い上げてゴミ袋のようなものに包み込んでいる。それを受け取り、中を見たドパルデューは顔をしかめる。ダーティな仕事だ。彼は首の入ったビニール袋を相棒の女刑事に「プレゼントだ」と渡す。

また、彼は高い塔から飛び降りようとしている娼婦に、飛び降りた人間の死体写真を見せて説得する。汚れ仕事は彼の担当なのかもしれない。僕は「ダーティハリー」(1971年)の似たようなエピソードを思い出した。ただ、ドパルデューが演じると、イーストウッドとは違い侘びしさと哀愁が漂う。

彼には麻薬捜査官の友人がいる。演じたのは、オリヴィエ・マルシャル。「あるいは裏切りという名の犬」の監督である。彼は警察に勤務しながら演劇学校に通い、アラン・ドロンの映画に出演し、40半ばで監督デビューしたという。変わった経歴である。「あるいは裏切りという名の犬」にも出演していたらしいが、僕は俳優としてのオリヴィエ・マルシャルを「裏切りの闇で眠れ」(2006年)で初めて認識した。

●トーンやムードなどテイストを形作るものが似ている

「裏切りの闇で眠れ」は出てくる人間たちが冷酷な殺人者ばかりで、リアルな拷問シーンや血まみれのシーン、あるいは露骨なセックスシーンが続き、目を背けたくなるような映画だったが、見終わって何かが残った。もう一度見る気にはならなかったが、ブノワ・マジメルが演じたフランクとオリヴィエ・マルシャルが演じた相棒のジャン=ギィのコンビがよくて、記憶に残る。

相棒がいるから一匹狼とは言いにくいのだが、フランクはどこの組織にも属さない暗黒街の男だ。クールで冷酷で、狙った男がたまたま女連れだったときには、ためらわずに女も一緒に射殺する。ジャン=ギィ役のオリヴィエ・マルシャルは中年男の渋さを見せて、「なかなか味のある俳優だなあ」と僕は思った。知らないうちに出てきた印象のオリヴィエ・マルシャルだったが、長い実績のある俳優であり監督だったのだ。

「裏切りの闇で眠れ」は、「ゴッドファーザー」(1972年)を過激にした雰囲気と「仁義なき戦い」(1973年)の躍動感のようなものがあり、単なる暗黒街の覇権争い映画ではない。誰が味方で、誰が敵かわからなくなる怖さは身に沁みる。「マクベス」以来の裏切りの物語だ。フランクがラストシーンで見せる表情が、僕の中に刻み込まれた。

「やがて復讐という名の雨」はオリヴィエ・マルシャル監督作品だが、出演はしていない。主演は僕の大好きなダニエル・オートゥイユ。彼もドパルデューのように鼻に特徴がある。ワシ鼻とぎょろりとした目。「やがて復讐という名の雨」では泥酔してバスに乗り、拳銃を取り出して警官隊に逮捕され、留置場で失禁するというダーティなイメージで登場する。だが、現職刑事である彼の不祥事を警察は隠蔽する。

見分けのつかないタイトルばかりが並んだが、これは「あるいは裏切りという名の犬」という邦題をつけた配給会社の担当者が自画自賛し、「よし、ずっとこれでいこう」と決めたからだと思う。この4本の映画に一貫したものはないが、テイストのようなものは似ている。もっとも、原題はまったく違うのだ。共通しているのは、オリヴィエ・マルシャルが監督しているか、出演していることである。

しかし、「裏切りの闇で眠れ」を除くと、後の「××という名の××」はシリーズと言えなくもない。「あるいは裏切りという名の犬」と「やがて復讐という名の雨」はオリヴィエ・マルシャルが監督・脚本を担当し、「いずれ絶望という名の闇」は脚本を担当している。オリヴィエ・マルシャルがクリエイトする側に参加しているので、トーンやムードといったテイストを形作るものが似ているのだろう。

もうひとつ共通点があった。この3本には、すべてカトリーヌ・マルシェルという女優が出演している。「あるいは裏切りという名の犬」で初めて彼女を見たとき、美人ではないが魅力的な(それなりに歳を重ねた)人だと僕は思った。はっきり言うと、かなり気に入ったのだ。「やがて復讐という名の雨」では主人公の元愛人で、現在は上司の警視役だった。彼女は、主人公をかばい続ける。

そのカトリーヌ・マルシャルは、「いずれ絶望という名の闇」でも、事件現場の写真を撮りながら主人公の姿をスナップする、謎めいているけれど重要な役を演じた。「なぜ、俺の写真を撮る?」と訊く主人公に、「あなただけがまともだから...」とミステリアスに答える。最後に、親友が残した警察の高級官僚を含んだ汚職グループを摘発する証拠を手に入れた主人公は、そのファイルを彼女に託す。

オリヴィエ・マルシャルの2本の監督作品と、脚本に参加した「いずれ絶望という名の闇」に出てくるカトリーヌ・マルシェルの扱いを見ると、彼女はオリヴィエ・マルシャルの奥さんじゃないかと思う。渋い中年俳優だといっても、オリヴィエ・マルシャルはまだ50を過ぎたばかりのようだから、まさか彼女は娘ではない。きっと、愛する妻なのだ。彼女を魅力的に撮ろうとする意志を、僕はスクリーンから感じた。

●人生に疲れているが仕事をまっとうするプロフェッショナル

「やがて復讐という名の雨」のダニエル・オートゥイユは、交通事故で寝たきりになった妻を抱え、酒浸りになりながらも連続殺人犯を追いつめる。「いずれ絶望という名の闇」のダニエル・オートゥイユは、警察組織内の迫害にめげず、政治家や警察の高級官僚たちの汚職グループを暴き出す。どちらの主人公も年老い、人生に疲れてはいるが、自分の仕事をまっとうするプロフェッショナルである。

彼らの生活は侘びしく、孤独だ。ダニエル・オートゥイユは汚い部屋のベッドに横たわり、酒瓶を呷るように飲み干す。彼を責めるのは、自分自身だ。ある夜、彼が愛人と会っているとき、妻は交通事故を起こす。以来、何年も病院のベッドで植物人間として眠り続けている。彼自身は組織内で問題を起こし、夜勤のパトロール班にまわされる。

だが、優秀だった刑事としての彼の本能は、かつての相棒との無許可の捜査に走らせる。やがて浮かび上がってきた連続殺人犯らしき人物。彼は相棒と共に踏み込むが、犯人の逆襲に遭って相棒を殺される。その亡骸を抱えて叫ぶダニエル・オートゥイユを突然の雨が濡らす...。「やがて復讐という名の雨」というタイトルの由来である。

「いずれ絶望という名の闇」のドパルデューは、汚職の噂がある麻薬捜査官の友人に頼まれて麻薬の売人を逮捕にいき、友を救うために売人を射殺する。それは正当防衛だと判断されたが、数年後、その友が麻薬王と通じていると上司に告げられる。上司は、彼の別れた妻である。かつての妻は上昇志向の強い女で、彼の部屋を訪れ「人が住むところじゃないわ」などと言う。

ドパルデューは生活することにも、生きていくことにも疲れているように見える。投げ遣りな態度で仕事をこなし、人質を取った強盗犯に「そんな娼婦、いくら殺しても代わりがいる」とうそぶき、一瞬の隙を見て強盗犯を射殺する。優秀だが、組織内でははみだしている。

麻薬捜査官フランクを演じたオリヴィエ・マルシャルもドパルデューと似たような男だ。彼は、麻薬を運んできた黒人をトイレでホモ同士の殺人のように見せかけて殺し、大金を奪う。彼の行動は、麻薬捜査官の行動を逸脱している。彼は、ある夜、何者かに射殺される。その後、ドパルデューは友が集めた政治家と高級官僚たちの汚職の証拠を手に入れる。ドパルデューは汚職の噂を聞いても友を信じていた。やはり友は根っからの捜査官だったのだ。

警察内でのドパルデューの味方は、相棒の女刑事レオンだけだ。そのレオンが、取調室からおとがめなしで出てきて職務に戻ったドパルデューに言う。

──戻ったのね。何を売ったの?
──何も売ってない。

汚職グループのリーダーである政治家に、「これで、きみも我々の仲間だ」と言われて釈放されたドパルデューが何も売っていないことを、観客はわかっている。政治家は彼が権力に屈し、汚職警官になったのだと高を括っている。だから彼を職場に戻したのだ。人間は権力に媚び、金を得るためなら何でも売るのだと思っている。自分がそういう人間だからだ。

しかし、権力や組織に屈したように見えても、ドパルデューは魂は売らない。彼は、孤独な戦いを展開する。それは、彼が警察官であり、それを仕事に選び、プロフェッショナルな魂を持っているからである。そして、彼を突き動かしているのは、象徴的に言えば誇りだ。自分に対して誇りたい何かを、彼は守ろうとする。

「あるいは裏切りという名の犬」「やがて復讐という名の雨」「いずれ絶望という名の闇」は、すべてミステリである。したがって、結末にはどんでん返しがあり、意外性がある。細かくカテゴライズすれば、刑事が主人公のハードボイルド・ミステリのジャンルに入るだろう。最近、流行している警察小説と共通する雰囲気がある。

しかし、物語を読んだり見たりするのは、単にラストの意外性を期待するだけではなく、主人公たちの生きる様が魅力的で共感できるからではないのか。彼らは長い時間を生き、人生に疲れているように見える。仕事にも倦んでいる。刑事という職業だ。人間のイヤなところや醜い面ばかりを見てきた。人間嫌いになるのも無理はない。

だが、自分が選んだ仕事なのだ。初めてその仕事に就いたときには、夢も抱いた。希望も感じていた。だから、自分の仕事はまっとうする。人は生きている以上、何かをしなければならない。だとすれば、他人がどう思おうと関係ないけれど、自分に対しては誇れる人間でありたい。耐えられないのは、自分で自分を肯定できないこと。そう、自己蔑視だ。

だから「やがて復讐という名の雨」のダニエル・オートゥイユも、「いずれ絶望という名の闇」のジェラール・ドパルデューも魂は売らない。酒浸りで失禁するような醜態を演じても、汚職警官と名指しされても、彼らは己の職務をまっとうし、孤独な人生を歩んでいく。僕も、そんな精神性は保っていたいと願っている。生きる糧を得るために人生の時間は売っても、魂は売らない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com   < http://twitter.com/sogo1951 >
社員の結婚式の後も呑み続け、靴を取り違えられたけど、とりあえず帰宅。その間、私のツイッター・アカウントがダイレクトメールでスパムを撒き散らしていたらしい。処置法を教えてもらって火を消したけど、知らないで迷惑をかけるのは情けない。朝日新聞の書評に「映画がなければ生きていけない2007-2009」が取り上げられました。「同じ名前の人がいるな」と瞬間的に思い、それから「あっ、おれの本だ」と気付きました。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/ >

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禁断の映像作家と21世紀文化

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●禁断の映像作家・寺嶋真里氏の個展上映、室井教授が天才と絶賛

2回前のこの欄で、「これからは禁断芸術カメラマンとして、がんばる」と冗談半分に書いた。「漫画実話ナックルズ 増刊 ザ・タブー 2010年2月号」に美登利さんの人形作品が紹介され、ついでに私が撮った写真が掲載されたのはいいとして、その記事のタイトルが「禁断芸術の世界〜異形の美」。美登利さんもろとも、いつの間にやら、気がつきゃ住んでた禁断芸術の世界。

全然関係ないけど、ここに「禁断の映像作家」と称される人がいる。寺嶋真里さん。20年以上にわたって映像作品を作り続け、'91年にイメージフォーラムフェスティバル一般公募部門グランプリ獲得などの実績がある。私なんぞから見れば遥か高いところにおわします存在であるからして、軽〜い調子で「禁断つながり」みたいに言っちゃうのは、貴乃花と宮沢りえのふんどしつながりみたいな話ではある。(←古くてごめん)

けど、レベルの高低を横っちょに置いておけば、住んでる世界はそう遠くはないんじゃないか、という親近感がある。私が寺嶋氏の存在を知ったのはつい最近のことで、これがまた妙な縁。いつもお世話になっている劇団 MONT★SUCHTが主催する初のイベント "Rosengarten I" が2月20日(金)、21日(土)に渋谷ギャラリーLE DECO 1Fで開催される。私は今までの公演の模様を撮った写真44点をA4サイズで展示してもらえることになっている。チラシでは、写真入りでプロフィールが掲載されているが、自分が被写体の写真はこんなのしかなかったという都合上、セーラー服姿のが使われている。
< http://montsucht.web.fc2.com/rosengarten/ >

寺嶋氏も参加者のひとりで、映像作品が上映されることになっている。チラシでは私とお隣りどうしでプロフィールが掲載されている。...という縁。互いの活動領域が映像と写真という近さから、そう配置されたのだろうけど、私のようなばったもんとはわけが違い、まっとうに活動し、ちゃんとした実績のある映像作家である。リンク先のウェブサイトへ行ってみると、2月6日(土)、13日(土)に馬車道の北仲スクールにて個展上映会が開かれるとある。これは勉強のために見ておかねば。というわけで、両日とも行ってきた。

馬車道駅の北側、横浜第二合同庁舎の敷地内に「北仲BRICK」と呼ばれるレンガ造りの古い建物がある。その中に北仲スクールはある。横浜国大、東京芸大など7つの大学の共同事業によるサテライト校として、今年4月に正式オープンする。横浜国大の教授である室井尚氏がスクール代表を務める。

6日夜7時、約30人の観客が集まる教室で、寺嶋氏の個展上映会は室井代表の挨拶で始まった。この日上映されたのは、「初恋」('89年/8mm 作品/25分)、「幻花」('90年/8mm 作品/35分)、「緑虫」('91年/8mm 作品/41分)の3本。8mm映写機がないとのことで、実際にはDVD版の上映。

いや、すごかった。よくぞこんなの撮れましたという奇跡の映像。余人をもってこの仕事はできまいと確信させてくれる、才能を感じる。扱うテーマはどの作品も心の暗部に属するダークなもの。多くの人にとっては直視するのを避けたくなるテーマかもしれない。目を向けたとしても、侮蔑・嘲笑・哀れみ・嫌悪などのネガティブな感情をもって、自分の住む世界とはまったく異質な、自分よりも低い位置に住む他者として、ついつい見てしまうのではなかろうか。

テーマは3本それぞれ、少女を洋館に幽閉して偏愛する車椅子の紳士、絵の中の少女に惚れて妄想の中でダンスを踊る女装老人、緑の部屋にこもる緑のパジャマを着た少年。それぞれの人物を、同じ目の高さで映像に捕え、どうです、ここに美しさというものが存するでしょう、と提示してくれる。うん、すばらしい。

殊に印象深かったのは、女装老人。あ、女装つながりか、やっぱり近いところにいるなぁ、と言いたいところではあるが、戯れにセーラー服なんぞ着てみる私とは、年季が違う。表情・しぐさが完璧に女になりきっている。徹底的にナルシシズムに浸りきった恍惚の表情がすばらしい。また、一緒にいる丸っこい男の子(の役柄の、実は女の子)がいい。脈絡なくケケケと笑い、自閉症っぽさを見事に演じる。レースの白手袋で女装老人をすすす、すすすと撫で回す。老人はこれに反応して恍惚の曲線を昇っていく。壁にかかる少女の絵をはずして、抱えて踊ると、妄想の中では少女は絵を抜け出して実在の人となり、一緒に踊る。

女装老人を演じた方は、すでに故人となっているが、茶人の堀宗凡氏。堀氏は実生活でも女装愛好家で、京都の四条河原町あたりを女装して闊歩する名物男だったそうである。寺嶋氏によれば、一、言えば、十、演じてくれる、たいへんノリのよい方だったそうで。3本の上映終了後、室井氏は、あらためて見るとやっぱりすごい、天才だ、と絶賛していた。

寺嶋氏が京都芸術短期大学(現在の京都造形芸術大学)の映像コースの一期生として入学してきたとき、室井氏は非常勤講師だったそうである。独特な雰囲気で創作の情熱を感じるけれども、最初は何が表現したいのかよく理解できなかった。その後でゴスロリなどが流行るようになり、あ、これだったのか、と。「気づいてみれば、時代は寺嶋真里にどんどん近づいてきている」。

当日配布された小冊子から、室井氏が寺嶋氏の映像について書いた紹介文のキーワードだけを抜き出してみよう。ヴィクトリア朝、ゴシック趣味、幻想、怪奇、人形愛、廃墟美学、耽美主義、退廃、洋館、少女、不具、妄想、老人、フリークス、畸形、シュールレアリスティック、痙攣的な美。そんなのを、まだゴスロリという言葉も存在しないころからやっていたのだから、スゴイ、というわけである。

寺嶋氏の新作「アリスが落ちた穴の中 Dark Marchen Show!!」は、2月20日(土)、28(日)、浅草橋の「パラボリカ・ビス」にて上映される。2月11日(木)〜3月8日(月)、清水真理さんの人形展「片足のマリア〜Strange Angels Garden〜」が開催されていて、その中での上映である。新作では、清水氏の人形と、パフォーマンスグループ "Rose deReficul et Guiggles" とマメ山田氏を撮っている。

"Rose de Reficul et Guiggles" は、MONT★SUCHT や「電氣猫フレーメン」とよく同じイベントに出演するので、私も何回か撮らせてもらっているが、いつもほんとうにいい絵になっていて、すばらしい。そう言えば、ローズさんたちの舞台を撮らせてもらったことは、以前、デジクリに書いていた。ミュージシャンのサエキけんぞう氏がプロデュースしたイベント「SERAPHITA」が去年の3月8日(日)、渋谷の「青い部屋」で開催されたときだ。そのときは、「美しき狂気の世界」って書いてた。Rose de Reficul et Guiggles のパフォーマンス「Dark Marchen Show!!」は、2月27日(土)に、やはり清水氏の人形展の中で演じられる。

実は、2月11日(木・祝)のオープニングパーティには、清水さんから私にも声がかかっていたのだが、その日は、MONT★SUCHTのイベントで展示することになっている写真のデータが入っているコンパクト・フラッシュが出てこなくなっちゃって、半狂乱になって部屋中引っ掻き回して探していたのだ。結局出てきたけど、行けなかった。後で聞けば、著名なアニメ監督さんなどがいらしていて、盛況だったそうで。アホだ俺。かなりくやしい。

2月20日(土)は、寺嶋氏の映像が浅草橋と渋谷でそれぞれ新作と旧作、2か所同時上映となるのであった。ご本人は浅草橋だそう。トークショーがあるので。

●21世紀文化とは:プラスチック製の蓮の花VS.下に隠れた本物の泥

「文化」という言葉は、なんだか狐みたいに油断がならない。つい気を抜くと、なんか変なもんに化けてそう。多くの人が「大層なものではない」と価値を軽くみているもの、ついつい侮蔑・嘲笑してしまうもの、あるいは嫌悪感を抱いて目をそむけたくなるものに対して、一発逆転を狙って「これは文化なんです」と大上段に構えて言ってみるとき、それが功を奏しているうちはいいけれど、厚化粧が剥がれはじめてくると、無理して持ち上げてる感、過剰な装飾でもったいつけすぎてる感が露呈してきて、かえってカッチョ悪いことになりそう。川エビに厚く衣をつけて揚げて車エビの天ぷらみたく見せかけてるみたいな。

例えば、女装。これを「文化なり」と言ってみれば、「そう言えば歌舞伎における女形とか、歴史があったりして、研究してみれば奥の深い世界なのかも」といちおう思えなくもないけど、私なんぞがセーラー服を着て堀ちえみのデビュー曲「潮風の少女」を振りつきで歌い、恋を期待する15歳のときめく乙女心を表現するとき(←見ちゃった被害者は実在する、ごめん)、それまでひっくるめて「文化だよ」と言いくるめようとしても、若干無理がありますわな。

この文脈で「文化」という言葉が冠せられる最も卑近な例は漫画・アニメ・オタクなのではなかろうか。論壇のお立ち台でスポットライト浴びてきらめいてる権威ある評論家先生方、持ち上げていただけるのはたいへんありがたいのだけれど、あんまり張り切りすぎると、こう、なんというか、パンツが丸見えになっちゃってるといか...。わざわざ文化という名の衣を着せんでも、漫画・アニメはそのまんま漫画・アニメでよろしいんじゃないかと。いや、衣を脱がせたら川エビみたいにちっちゃかった、と言いたいんじゃなくて、その逆で、そこにあるそのまんまの姿でじゅうぶんすばらしいんじゃないかな、と。

話が逸れてるけど、そういうわけで、寺嶋氏の、たぶん一般ウケのそんなによくなさそうな映像を称して「これは文化なんですっ、すばらしいんですっ」という調子で衣を着せてみせるようなことは私の好みではない、と言いたかったわけです。寺嶋氏の映像から見えてくる文化には、もっと別の意味がある。

木村伊兵衛の撮った写真を今見ると、そこに写っているのはまぎれもなく文化である。撮った時点では人を撮ったのかもしれない。情景を撮ったのかもしれない。けど、何十年もの月日を経てから見れば、我々が何を獲得し、失ったのか、はっきり思い知らされる。いくら懐かしがっても、あのときの文化は取り戻すことができない。当時の建築やら風景やらを精密に再現して博物館やら居酒屋やらを建ててみたところで、そこにあるのは懐古趣味やエンターテインメントであって、当時の人々の精神、あるいは心の通いようが簡単に取り返せるわけではない。

ならば、今、写真の上手な人が、この時代に特徴的と思われる情景をきれいな構図で切り取っておき、50年間寝かせておいてからあらためて眺めてみるとき、そこには文化が写っているだろうか。どうも、なんだか、文化の不在が写っているような気がしてならない。

マクドナルド、松屋、富士そば、スターバックス、セブンイレブン、ガスト、ビッグエコー、和民、日高屋、TSUTAYA、ドン・キホーテ、アコム、ユニクロ、などなど。50年後にも店名ぐらいは生き残ってるとこはあるかもしれない。けど、景色としては、間違いなくがらっと塗り替わっているはずだ。どうなっているかは、とんと予測がつかないけど。だから、ああ、あの時代だな、とは思うに違いない。けど、文化だ、と思えるかどうか。

都会はやたらと人が多い割には意外と清潔で、安寧秩序が保たれている。庶民の生活がちっとも生々しくなくて、まるで人々までもが工場で生産され、出荷され、流通してきたかのように、無機質で均質的だ。行くところがある、することがある、会う人がいる、買うものがある、食うものがある、とコテコテに現実的な目先の用事につき動かされてせわしない人がいる。することがない、会う人がいない、金がない、愛がない、夢も希望もない呆然自失の人がいる。いろんな人がいるにはいるが、人と人とが思いやりの心で支えあって生きているのではなく、システムの枠組みの中で、役割が分担されていっただけ。一様に、表情に生気がない。

効率やら利便性やら快適性やら安全性やらを徹底的に追求して、きめ細かくデザインされて作り上げられた都会の風景は、たしかに、きれいではある。それは、プラスチック製の蓮の花のきれいさ。そこに完全に適応して、住み心地のよさを感じられる人は、それはそれでよい。1年365日、ディズニーランドに通える人。

しかしながら、表面ばかりきれいにしてみたところで、それに伴って人々の心が自動的に浄化されていくというものでもない。システムの完成度が上がってくると、人々はコミュニケーションをとる必要性がなくなっていき、お互いの気持ちを思いやり、助け合い支えあっていこう、の精神が薄れていく。つきあいが表面的になり、互いに冷淡になっていく。

システムの運用ルールの枠組み内で、我利我欲にまかせて得を求める生き方が肯定されていく。もっと得したい、さらに得したいの思いばかりを原動力に生きていると、そのうち、肥大化する欲望に供給が追いつかなくなっていき、イライラが募っていきそう。

他人の心の中を深く理解したいという動機が薄れていく。同時に、自分は他人からさほど関心をもたれていないのだ、という空気を感じ取り、孤独感が支配的になっていく。用事がなくても、人と常につながりをもっていないと不安で居ても立ってもいられない、とか。

心の底から楽しめているわけでもないのに、なにか、一時的に熱くさせてくれる対象へとのめり込んでいく。パチンコとか、買い物とか、ネットゲームとか。依存症。とかく今の世は変な罠に陥りやすい。都会の風景や暮らしのスタイルは垢ぬけてきれいなのに、精神のありようはちっとも美しくなっていかない。そこにあるのは、リアルな泥。

私は、こっちのほうに今の時代の本質が隠されているのではないかと感じる。プラスチック製の蓮の花よりも、下に隠れた本物の泥のほうに見るべきものがある。それが21世紀の文化。きれいに掃除された部屋よりも、絨毯の下に掃き込められたゴミの中にこそ、21世紀が見える。

最新鋭の生産設備と管理システムとで、清潔で静寂な環境下、精密な製品が効率よく生産されていく工場。プラスチック製の蓮の花。かつては目的をもって建造されたけれども、利用価値を失って久しく、朽ちかけて自然が半分食ってしまっている廃墟。本物の泥。廃墟は前の時代の遺物だから、21世紀の文化とは言えないのではないかという見方もあろう。しかし、廃墟はいまだかつてなく、多くの人々から美を発見され、好まれている。そこに21世紀的なものを感じる。精神の荒廃の反映というか。

どうも記憶がはっきりしないのだが(※)、かつてテレビ朝日で平日の夜10時から「ニュースステーション」という番組が放送されていた。東京ディズニーランドのことがニュースになったとき、メインキャスターの久米宏氏が、あんなとこ行くくらいならこっちのほうが面白いよ、と対比させて取り上げたのが「目黒寄生虫館」である。館長が登場して「寄生虫のファンの皆様、こんばんは」と。どっちも今も生き残っているとこがすごい。

※ウィキペディアによると、テレビ朝日「ニュースステーション」は1985年から2004年まで放送されたとある。一方、東京ディズニーランドは1983年に開園したとある。ということは、開園のニュースではなく、累積入場者数が区切りの数字に達したとかの話題だったのか。

多分に感覚的だが、いろいろ挙げてみよう。
豪華リゾートホテルVS.ラブホテル
商業誌VS.同人誌
お台場花火大会VS.コミケ
禁煙席VS.喫煙席
ロレックスの腕時計VS.超小型ビデオカメラつき腕時計
天使のブラVS.男性用ブラ
シャネルVS.Moi-meme-Moitie
六本木タワーVS.青山墓地
科学VS.疑似科学
伝統宗教VS.新興宗教
ロードショーVS.自主制作映像

寺嶋氏は、言うまでもなく、本物の泥のほうに軸足を置いて、映像を撮っている。というか、プラスチック製の蓮の花のほうには、見向きもしてないね。北仲BRICK第2回目、2月13日(土)の「姫ころがし」も強烈だったな。当時お隣りに住んでいたという小夜美(さやみ)ちゃんは、軽度の知的障害をもっている。太っていて、顔と首が丸く一体化していて、時折、引いたときにあごがちょこんと飛び出す。厚化粧して、白いネグリジェのような衣装で、犬を両手でぶら下げるように抱えて踊る。おぞましいとも言えるが、寺嶋氏は、たぶん、美しいと思って撮っている。

泥の中から美を発掘するのではなく、泥そのものが面白いのだと教えてくれる。こういうことは、テレビのような媒体では決してできない。やったら猛反発食らうことは間違いないし、それ以前にスポンサーがOKしない。われわれは意外と狭い窓を通じて世の中を眺めているのかもしれない。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

2月6日(土)は、吉村眸さんの人形を初めて撮らせてもらう。福寿草や水仙の咲く昭和記念にて。私にとっては初の非ピグマリオン系の人形を撮る機会。新鮮だった。優雅で清らかで静謐なビスクドールたち。小さくて精巧。師事する浦野由美先生の志向に同調してる感じ。

馬鹿のひとつ覚えとか、十年一日のごとしとか、自分でさんざんけなしておきながら、性懲りもなくまたしても多用している二重撮り。ごめん、俺ってそんなやつです。吉村さんの人形だったら、変にけれん味を出さずにスタンダードな撮り方をするのが一番だろう、と思ったが、偶然の作用で撮れてしまった変な写真を意外と面白がってくれたりして、やはり狭い芸域に安住しててはいかんと思った次第。ぶっ! まさにそれが吉村さんのウェブサイトのトップ絵に採用されているではないかっ!
< http://ennui.in/sinclairs/ > 吉村さんのサイト
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/3 > 写真

MONT★SUCHT主催サロンイベント「Rosengarten I」
日時:2月19日(金)・20日(土)15:00〜22:00
第一部15:00〜19:00 第二部19:30 open&start
場所:ギャラリーLE DECO 1F(東京都渋谷区渋谷3-16-3 ルデコビル)
料金:第一部 飲食代のみ(予約不要)
   第二部 前売¥1,800+1drink 当日¥2,000+1drink

2月14日(日)に練習風景を見てきた。真剣。音が面白い。平均律とはまったく趣きを異にする、東洋風の旋律と和音。歌と弦楽器(←なんだろ、聞くの忘れた)で表現。作ったのは由良瓏砂さん。人形制作に音作りに演技に朗読に、多彩な才能あるなぁ。
< http://montsucht.web.fc2.com/rosengarten/ >
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/MONTSUCHT > 写真

清水真理・人形展「片足のマリア〜Strange Angels Garden〜」
会期:2月11日(木・祝)〜3月8日(月)水曜休館
月〜金/13:00〜20:00 土日祝/12:00〜19:00 入場料:500円
展覧会会場:parabolica bis[パラボリカ・ビス]
2月20日(土)、28日(日)、寺嶋真里新作映像を上映。トークショー。
2月27日(土)Rose de Reficul et Guiggles パフォーマンス。
< http://garirewo.s318.xrea.com/strnew/ > 清水真理さんのサイト
< http://honey-terashima.net/ > アリスが落ちた穴の中

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■編集後記(2/19)

・外国で行われるオリンピックなどのビッグなスポーツイベントは、時差の関係で日本時間の深夜から早朝に実況放送があるのがベストである。わたしの場合。今回のバンクーバーみたいに、リアルタイムで見られるのはいいような悪いような複雑な気分だ。日本の健闘が期待されるという程度の種目はともかく、メダルがほぼ確実視されている種目は、正直言ってリアルタイムで見る勇気がない。朝起きて良い結果を知ってから、テレビでゆっくり確認するのはなかなかの悦楽である。悪い結果のときは淡々と受け入れる。今回はそれができない。いい結果も悪い結果も、一日中テレビに流れているんだから、ここしばらくは落ち着かぬ日々だ。あのWBCのときはリアルタイムで見ていたから、かなりつらかった。でも攻守が交代するゲームは、ふっと息抜きできる時間があるから救われる。サッカーはずっと緊張が続いて疲労困憊、見ている体力がない。それにしても、NHKのオリンピック放送テーマソング、祝福する曲だそうだが全然そう感じられない。あ〜うっとおしい。だいっきらい。(柴田)
< http://www.nhk.or.jp/sports/vanctheme/ >
NHKバンクーバーオリンピック放送テーマソング

・オリンピックでうきうき。/SPA!の記事「(珍)社名の謎を追う!」が面白かった。有名な会社もあったよ。名前はもちろんだが、経緯やエピソードが楽しい。総務部、ベン、ザ鈴木、△□○、している、愛があれば大丈夫、ありがとうございます、宇宙防衛軍、あいうえお、正義の味方、ハードロック工業、ヤリステ、あたりや商事、もっこり竹の子観光、特命機動、元旦ビューティ工業、さるやまハゲの助。屋号、変えようかな......。(hammer.mule)
< http://spa.fusosha.co.jp/feature/list00000774_2.php >  記事
< http://sankei.jp.msn.com/economy/business/100219/biz1002191051006-n1.htm >
MSとヤフーの提携承認 米司法省と欧州委