映画と夜と音楽と...[453]途方に暮れていた頃/十河 進

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〈遠雷/蜜月/光の雨/星空のマリオネット〉


●1978年の夏に出会った映画や本

1978年のことだった。それは、永島敏行という映画版「ドカベン」の出演者公募でデビューしたばかりの素人同然の俳優が、「サード」「事件」「帰らざる日々」という日本映画の名作群に続けて出演する幸運に恵まれた年だった。その夏、久しぶりに日活はお盆映画として、ロマンポルノではなく「帰らざる日々」という藤田敏八監督作品を公開したのだ。

そんな真夏のある日、僕は一冊の本を書店の棚で見付けた。「途方にくれて」というタイトルが僕の目を惹いた。表紙のイラストは漫画誌「ガロ」などで活躍していた鈴木翁二さんの独特のタッチで、若い男女が抱き合う姿が描かれていた。目次には「自転車」「別れつつあるもの」「ともに帰るもの」「はね踊るものわれら」「途方にくれて」と印象的なタイトルが並んでいた。

奥付を見ると第一版が5月に出て、第二版が8月に出ていた。著者の名を、そのときの僕は知っていたのだろうか。出版社は当時あまり文芸書を出していなかった集英社だった。文芸誌「すばる」の創刊前だったかもしれない、その短編の多くは「早稲田文学」に掲載されていた。新人作家の処女作品集だった。それが、立松和平さんの本を買った最初だった。



同じ頃、国文社という出版社から「今も時だ」という短編集が出た。そして、同じ夏に初の長編小説「ブリキの北回帰線」も出た。僕はその夏、立松和平さんの本を3冊、立て続けに買ったのだ。「ブリキの北回帰線」には、初めて著者略歴が掲載され、僕より4歳年上の作家なのだと知ったが、現住所が宇都宮になっていて違和感を感じたものだった。その頃の僕は、作家はみんな東京住まいだと単純に思い込んでいた。

遠雷 (河出文庫 132A)翌年1月に「火の車」、8月に「たまには休息も必要だ」、10月には長篇小説「光匂い満ちてよ」が出た。立松さんは、その本に初めて著者近影を掲載した。エラの張った顔で、僕は親近感を感じたものだ。同時期に「閉じる家」も出た。長篇2冊がほぼ同時に出たのだ。翌年の1980年1月に短編集「火遊び」、5月に長篇「遠雷」、11月に短編集「冬の真昼の静か」が出て、1981年の春に初めてのエッセイ集「回りつづける独楽のように」が出た。

光の雨 (新潮文庫)3年足らずの間に短編集6冊、長篇4冊、エッセイ1冊である。立松さんは宇都宮市役所に勤めながら、それだけの原稿を書き続けたのだ。しかし、立松さんはその後、専業作家になり、やがて僕は立松さんの本を買わなくなった。それから20年、僕は彼の本は読んでいなかった。「光の雨」という連合赤軍事件を題材にした長篇も、評判は聞いていたが買う気にはならなかった。

光の雨 特別版 [DVD]「光の雨」は、立松さんと交友がある元アサヒカメラ編集部のHさんが送ってくれたのだった。ある日、たまたまHさんと飲む機会があり、立松さんの話題が出た。「新人作家の頃は必ず本を買ったものです」という僕に「『光の雨』は試写で映画も見ましたが、読んだ方がいいですよ」とHさんは言った。その後、すぐにHさんが送ってくれたのだった。

●立松和平さんの12冊の本の中から出てきたもの

立松さんが亡くなったニュースを聞いて、改めて書棚の本を探したら、年月を経てシミが出ていたり黄ばんだりはしているが、立松さんの本が12冊出てきた。きれいなままのものもある。パラパラとめくっていると、それらの本を書店で見付けたときの記憶が甦る。「火の車」が書店に平積みになっていた光景は、ありありと浮かんだ。ヘンなタイトルだなと思ったことを思い出す。宮部みゆきさんの「火車」が出たときには「火の車」を連想した。

「たまには休息も必要だ」には集英社の新刊案内が入っていて、まだ新人扱いだった中上健次の「破壊せよ、とアイラーは言った」が載っていた。あの本でアルバート・アイラーの名を知ったものだ。そうか、1979年8月にあの本は出たのか、と懐かしくなる。「閉じる家」には「閉じる家」と「光匂い満ちてよ」の2冊をまとめて書評した、朝日新聞の切り抜きが挟まれていた。

「火遊び」には、何と映画のパンフレットが二つに折られて入っていた。工藤栄一監督の「影の軍団・服部半蔵」である。同時上映は「十三人の刺客」のニュープリント版だった。どちらかと言えば「十三人の刺客」を見るために、僕は封切館にいったのだ。そのとき、出たばかりの短編集「火遊び」を僕は抱えていたのだろう。そう、確かにあれは30年前の真冬だった。

短編集「冬の真昼の静か」は角川書店発行で、1980年11月の新刊案内が入っていた。その小冊子の表紙は「『野獣死すべし』絶賛上映中」となっている。松田優作が大藪春彦原作の映画に立て続けに出ていた頃だ。そして、「光の雨」の表紙を開くと、Hさんの手紙が挟まっていた。

──上海蟹の会、立松氏が都合よければ実施しますので、その折りは必ずお誘いいたします。

Hさんの手紙の最後は、そう結ばれていた。しかし、Hさんともなかなか会えなくなり、その話は立ち消えになった。もっとも、僕は昔、愛読者だった作家にどんな顔をして会えばよいか戸惑っていたから、誘いがあったとしても理由を付けて断ったかもしれない。テレビのレポーターとして有名になった立松さんが、僕は少し苦手になっていた。

しかし、今になってみれば、機会があれば一度会って話を聞いておきたい作家だった。立松さんは団塊の世代であり、全共闘世代である。早稲田大学に通っている頃は、学校中が沸騰しているような状態だっただろう。その後、様々な体験をして故郷に帰り、市役所に勤めながら小説を書き続けた。テレビで顔が売れた作家になったけれど、最後まで書き続けたのだ。

遠雷 [DVD]立松和平作品が原作の映画は、「遠雷」(1981年)「蜜月」(1984年)「光の雨」(2001年)の3本だけであるが、どれもがよい映画だ。根岸吉太郎監督の出世作であり、永島敏行と石田えりが演技者として認められた「遠雷」、また立松さん自らが脚本を書いた橋浦方人監督作品「蜜月」は僕にとっては思い出深い映画であり、「光の雨」は高橋伴明監督の力作である。

立松さんの原作は、すべて同世代の監督たちによって映画化された。根岸吉太郎監督は立松さんより少し若いけれど、「遠雷」の主人公の青年に寄り添うように映画化し、橋浦方人監督は「蜜月」の主演の若いふたりを自分の同世代として共感を込めて描いた。また、高橋伴明監督は同世代として、決着をつけずにはすませられないテーマを力業で映画にした。同じ世代の映画監督たちを強く惹きつける何かが、立松和平さんの小説にはあったのだろう。

●それは青春時代に誰もが抱く普遍的な憂鬱と不安

「遠雷」については、7年前に「覚悟を決める」(「映画がなければ...」第2巻33頁)という文章で書いているように、僕にとってはとても大切な映画である。そして、「蜜月」というアートシアター作品も僕にとって、思い出深い映画なのである。26年前、1984年の真冬、30をとおに過ぎた僕は「蜜月」が上映されているスクリーンを見ながら、自分の若い頃を甦らせていた。

「蜜月」は若い男女が出逢い、恋に落ち、駆け落ちをして、行き先もなくさまよう物語だった。地方出身の貧しい若い男を佐藤浩市が演じ、上流家庭のお嬢様を中村久美が演じた。中村久美という女優は若手の演技派として売り出し中で、NHKのシリーズドラマ「夢千代日記」の脚の悪い若い芸者・小夢役が印象に残っていた。

「蜜月」のふたりは行き場もなく、様々な人と会う。彼らは若く、若いが故に無鉄砲なところもある。しかし、彼らはふたりでいることだけで幸せなのだ。先のことも考えず、成り行きのように駆け落ちをする。声高に愛を確かめ合うことはしないが、彼らの気持ちの高ぶりが最高潮にあるのは伝わってくる。女は男に頼り切っている。男は、そんな女が愛おしい。

しかし、スクリーンからは彼らの幸福感は伝わってこなかった。寄る辺のない頼りなさや、若いふたりがこれからどうなるのかといった不安感が画面全体に漂っていた。それは、青春時代に誰もが抱く憂鬱と不安のように思えた。これからどうすればいい、何をすればいい、と途方に暮れる気分が伝わってきたのだ。佐藤浩市は自分を頼りにしている恋人を守ることを誓いながら、その先の不安に苛まれているように見えた。

26年も前に一度見たきりの映画なので、具体的な記憶はないのだけれど、ラストシーンを見終わったときの気分は憶えている。若いふたりがいき暮れて、夕暮れを前にたたずむような印象が残った。明るい画面は憶えていない。どのシーンも暗く、彼らの前途に不安を感じさせた。彼らは、若い情熱だけを抱き、現実を前にして途方に暮れているようだった。

彼らの問題は何ひとつ解決せず、漠然とした不安を抱えたまま、ただふたりだけで身を寄せ合っている...。そんな気分が、明かりがついた映画館の中でポツンと座っている僕の中に残った。「蜜月」というタイトルは、逆説的な意味で...あるいは皮肉として付けられているのではないか。「橋浦さんらしい終わり方だな」と、当時の僕は思った。

●苛立ちや焦燥はときに破滅的な行動を呼び寄せる

橋浦方人監督は、自主映画から出た人だった。それも学生ではなく、30近くになって作った自主映画が評判になった人だ。岩波映画などでPR映画を作っていたからプロである。そんな仕事をしながら、自主制作で劇映画を撮った。「青春散歌・置けない日々」(1975年)というタイトルで、僕が今の会社に入った頃に評判になり、会社の一階にあった狭い映写室で上映したことがある。

当時、僕の会社が発行していた月刊「小型映画」編集部のH女史は「自主映画の母」と呼ばれ、若者たちの自主映画を積極的に紹介していたが、その広い人脈を使って映画評論家にお勧めの自主映画を見せていた。映画評論家を招き、会社の映写室で上映していたのだ。ほんとに狭い部屋で16ミリ映写機をセットすると、映写機の横に座って目前のスクリーンを見る感じだった。

そう言えば、あの映写室には大林宣彦、高林陽一、大森一樹、森田芳光、石井聰亙、長崎俊一、手塚真、今関あきよしといった、今から見れば自主映画の歴史の証言者みたいな人たちがやってきたし、NHKのキャメラマンで詩人だった鈴木志郎康さんも、自分の映像作品を持ってきたことがあった。その映写室で、僕は初めて橋浦さんを紹介されたのだが、橋浦さんは僕よりずっと年上で落ち着いた大人の印象があった。

その橋浦さんの劇場公開された2作目「星空のマリオネット」(1978年)は、橋浦さんに日本映画監督協会新人賞をもたらせた。主演の三浦洋一が話題になり、役者として売れていった。亜湖という女優もこの映画で出た人だ。処女作に「青春散歌」とつけるような橋浦さんだけに、「星空のマリオネット」にも青春の憂鬱さや暗さが描かれていた。

青春時代に感じる漠然とした閉塞感、正体のつかめない不安感、そんなものに苛立ちながら何の意味もないような日常を生きる。苛立ちや焦燥は、ときに破滅的な行動を呼び寄せる。「星空のマリオネット」の登場人物たちの気持ちが、当時の僕にはよくわかった。1978年、僕は26歳で、閉塞感や漠然とした不安を抱えて日々を生きていた。

何も起こらない日常が僕を苛立たせ、自分が何者にもなれないのではないかという焦燥に煽られていた。夢というほどのものではないけれど、抱え込んでしまった何かが身の裡にあり、それは決して実現することはないのだという焦りが僕を駆り立てた。だからといって僕は「星空のマリオネット」の登場人物たちのように、オートバイで突っ走るタイプではない。うじうじと悩む「帰らざる日々」の主人公のような文学青年だった。その頃は、今ほどは酒を飲まなかったが、ときに痛飲した。

6年が過ぎた1984年のことだった。橋浦さんの4作目であり、フルタイムの作家になった立松和平原作の「蜜月」が公開された。その頃には、僕は2歳になった長男を自転車の前の座席に乗せて、毎週、駅に電車を見にいくような落ち着いた(あるいは諦めた)日々を送っていた。だからだろうか、「蜜月」を見ている間、映画の中の若いふたりのように僕も途方に暮れていたなあ、と数年前の自分の気分を甦らせ、郷愁のようなものに浸った。

20代の僕は、いつも、どこにいても途方に暮れていたのだ。将来が見えてしまった気になっていた。妻は何度も流産し、もう子供は諦めようと思っていたが、自分が子供を欲しがっているのかどうかさえわからなかった。暑い夏の日曜日、クーラーのない阿佐ヶ谷の狭いアパートで、駅前の西友にパートに出かける妻を見送り、開け放した窓から見える消防署の訓練風景を見ながら、僕は途方に暮れていた。

だから、熱気にあぶられ、冷房のあるところに逃れようとアーケード街に出かけ、たまたま入った書店の棚に一冊しか並んでいなかった「途方にくれて」と題された、若く無名だった新人作家の処女短編集に出会えたのだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951 >
高校時代からの友人が市の教育部長で、高松にできた菊池寛記念館の担当もやっているらしい。その関係で直木賞授賞式に上京した。受賞者の色紙とサイン本をもらうためだという。パーティを抜け出してきた彼と待ち合わせて飲んだのだが、佐々木譲さんと白石一文さんのサイン本を見せてもらった。ちなみに、ツイッターの方でも映画や本のネタでつぶやいています。

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by G-Tools , 2010/02/26