映画と夜と音楽と...[457]子に先立たれる親の深い悲しみ/十河 進

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〈殺人者たち/アメリカの影/グロリア/私の中のあなた/ジョンQ─最後の決断/きみに読む物語〉

●スイッチ特別号の「映画監督ジョン・カサヴェテス特集」

スイッチ・コーポレーションが出していた「スイッチ」という雑誌が好きで、よく買っていた。ロバート・フランクやクリスチャン・サルガドといった写真家の特集もあったし、小説家や映画監督、ミュージシャンの特集もあった。写真家の操上和美さんが大江健三郎さんを、愛媛の森の中で撮影したときの表紙もよく憶えている。その頃の編集長は、新井敏記さんだった。

Switch (Special issue-3)
Switch (Special issue-3)手狭になるので、雑誌類はある程度たまると整理している。だから、定期誌の「スイッチ」はほとんど残っていない。ただ、時々発行されたワンテーマの別冊は、今も保存してある。その一冊が特別号「映画監督ジョン・カサヴェテス特集[アメリカに曳かれた影]」だ。発行はもう20年前になったが、今も僕の映画関係本の書棚に並んでいる。

殺人者たち [DVD]ジョン・カサヴェテスという俳優を初めて見たのは、ドン・シーゲル監督作品「殺人者たち」(1964年)だった。黒ずくめのふたりの男(リー・マーヴィンと相棒)が、田舎町の盲学校に押し入る。そこで教師をしていた男は、男たちがやってくるのを受付からの電話で知らされても逃げず、黙ってふたりの殺し屋に射殺される。その教師をジョン・カサヴェテスが演じていた。



原作は、ヘミングウェイの有名な短編「キラーズ」である。最初に「殺人者」(1946年)として映画化されたとき、黙って殺される男を演じたのはバート・ランカスターだった。そのイメージがあったからバート・ランカスターの雰囲気に似た、ジョン・カサヴェテスという俳優を使ったのかと僕は思った。彼は、バート・ランカスターのように男臭い俳優だった。

ローズマリーの赤ちゃん [DVD]「殺人者たち」は、その後、殺し屋たちが男がなぜ逃げなかったか不審に思い、真相を探る話だから、回想シーンでのジョン・カサヴェテスの出番はかなり多い。しかし、そんなに有名な俳優ではなかったから、映画好きでも知っている人は少なく、「ローズマリーの赤ちゃん」(1968年)がヒットして、ようやく「ほら、ミア・ファーローの夫役の俳優」と言えば通じるようになった。

アメリカの影 HDリマスター版 [DVD]そのジョン・カサヴェテスがニューヨーク派のインディペンデント系の映画作家だと知ったのは、大学に入って上京し、アートシアターに通い始めた頃だった。「アメリカの影」(1959年)という初監督作品が高い評価を得ているのだという。僕は「アメリカの影」を見たが、同じ年にゴダールが発表した「勝手にしやがれ」と共通するものを感じた。

肌が白く黒人には見えない娘が白人の男と恋仲になり、ある日、恋人を自宅に連れ帰る。白人の男は紹介された家族が黒人なので驚き戸惑い、しかし、黒人だとわかったからと言って先ほどまで「愛しているよ」と言っていた娘に心変わりするわけにもいかない、といった微妙な心理が伝わってくる。人種問題をこういう風に描く方法もあるのか、と作り手の知性に感心した。

グロリア [DVD]その後、ジョン・カサヴェテスは愛妻であり、同志のようなジーナ・ローランズをヒロインにした作品を何本も撮る。最大のヒット作は「グロリア」(1980年)だ。犯罪組織の会計係の一家が皆殺しになるが、その直前に末の男の子を預かった中年女のグロリアが、嫌々ながらも男の子を守って逃げるサスペンス劇だった。ジョン・カサヴェテスにしては、珍しいアクションものだ。それは、僕にとって忘れられない映画になった。

●ジョンとジーナのアメリカ映画界における最高の遺伝子

その映画を見たとき、ジョン・カサヴェテスとジーナ・ローランズというアメリカ映画界における最高の遺伝子は、間違いなく息子に受け継がれたのだと、僕は感慨に耽った。その映画を見ている間、何度も涙が頬を伝った。確かに感動的な話ではあった。しかし、劇中の人物のひとりひとりに思い入れができるから、誰が悪くて誰が正しいという単純な物語ではない。誰もが愛する人のために尽くそうとし、誰かを傷つけている。そんな映画だった。

11歳の少女が、弁護士事務所を訪れるところから物語が始まる。彼女は両親を訴えたいという。自分は生まれたとき(最初は臍帯血の採取)から白血病の姉のために、ドナーとして様々なものを提供してきた。もうすぐ腎臓を片方提供することになっている。でも、わたしはイヤ...と、その賢明そうな少女は太った弁護士(アレック・ボールドウィン)に訴える。

リトル・ミス・サンシャイン [Blu-ray]少女アナを演じているのは、大きくなったけれど、あの「リトル・ミス・サンシャイン」(2006年)のコンテストマニアの太ったメガネの少女だった。老優アラン・アーキンにアカデミー賞をもたらせた「リトル・ミス・サンシャイン」は地味だけど、よい映画だった(「映画がなければ...」第三巻259頁「老人たちの終わらない悔い」参照)。

映画がなければ生きていけない 2007-2009弁護士はアナの治療歴を調べると、ドナーとしての過酷な過去が判明する。彼は仮処分申請を判事に提出する。判事を演じているのは、僕の好きなスリムで背の高いシャクレ顔の女優、ジョーン・キューザックである。彼女も、事故で娘を亡くした経験をしている。厳格な判事ではあるが、その心の傷を垣間見せるシーンがある。子どもに先立たれた親の悲しみが漂う。

アナの母親サラ(キャメロン・ディアス)は長女ケイトを生み、彼女が白血病と判明するまで弁護士をやっていたから判事とは顔なじみである。判事はサラが長年、長女の命を守ることに文字通り命をかけてきたことを知っている。サラは幼いケイトが白血病だとわかったとき、すぐに自分がドナーになると言ったのだが、両親には適合性がないと診断される。

その後のサラの決断が凄い。長女の命を救うために、夫の精子と自分の卵子を使い、遺伝子操作でドナーとなる子を創り出す。それが次女のアナである。アナは、姉のドナーになるために生まれたきた子供だったのだ。まだ意志を示すことのできない赤ん坊の頃から、彼女は激痛を伴う骨髄採取などのために病院のベッドに身を横たえてきた。

アナの訴状を受け取ったサラは、「どういうことなの」と荒れる。「あなたは姉さんを助けたくないの」と責める母親に、「腎臓を片方なくしたら、スポーツもできなくなるって...」とアナはしょげる。兄と父親が間に入る。しかし、母親のサラはケイトを生かし続けることに、生涯をかけている。彼女はケイトへの愛のために、何も見えなくなっているのかもしれない。それが次女を深く傷つけることになったとしても...。

●11歳の少女が自分の躯を守るために両親を訴える

わたしを離さないで「私の中のあなた」(2009年)はベストセラー小説が原作だと聞いたが、僕は原作をまったく知らなかった。11歳の少女が自分の躯を守るために両親を訴える、という設定はショッキングだしセンセーショナルである。ドナーにするために、遺伝子操作で子供を作るという設定も少しあざとい。ベストセラーになる要素かもしれない。僕は、カズオ・イシグロの小説「わたしを離さないで」を思い出した。

私の中のあなた [Blu-ray]この映画には、悪役や憎まれ役は登場しない。母親のサラは、2歳になったケイトが白血病を宣告されたとき、絶対に死なせないと誓う。弁護士である自分のキャリアを棄てて顧みない。すべてを犠牲にして、娘の延命に尽くす。だが、そのために長男が淋しい思いをしているのに気付かない。次女が傷ついているのを想像しない。彼女の人生のすべては、長女を生かすことにあるからだ。

父親のブライアンは、誠実な男だ。病気の娘を守り、妻の暴走とも言える極端なやり方を許容し、長男の寂しさにも気付いている。それに、彼がひとりで経済的な負担を背負っている。そのことに対して不満は漏らさない。妻がドナーにするために、遺伝子操作で自分たちの子供を作ろうという提案にも従う。

しかし、アナが両親を訴えたことから、家族の中に違和感が漂い始める。一陣の冷たい風が吹き込んだかのようだ。それによって、何も言わなかった長男も何かを主張し始める。父親も妻を少し退いて見るようになる。だが、サラにはアナが移植を拒否することなど考えられない。「あの子は、まだ自分で判断などできない」と判事に訴える。

肝心のケイトは、何を思っているのだろうか。放射線治療による副作用なのだろう、ケイトには毛髪がない。ある日、病室で同じスキンヘッドの少年と知り合う。ふたりは親密になり、ケイトは初めての恋をする。だが、ある日、その少年が現れなくなった。それはどういうことなのか、賢明なケイトにはわかっている。彼女は2歳の時から、自分がいつ死ぬか、嫌でも自覚させられてきたのだ。

ケイトにとって、アナは愛する妹だ。仲のよい姉妹である。アナは、姉のために自分を犠牲にすることを厭わない。そんなアナが臓器提供を拒んで、両親を訴えた。そこには、一体、何があるのだろう。やがて、裁判が始まる。原告側の弁護士は、いかにアナが苦痛を強いられてきたかを訴える。母親は自らが弁護を展開し、自分の娘に証人喚問を行う。

そんな対立関係になって、この家族はどうなるのだろう。そう思うのだが、彼らは家庭に戻ると以前より親密になっているように見える。それぞれが自分の言葉で話し始めたのだ。今までは、すべてがケイトを中心にまわっていた家族だった。それによって一体感も生まれた。誰もが、ケイトのために犠牲になるのは当然だと思っていた。いや、犠牲などではない。家族の命を救うのは、当然だと思っていた。

やがて、母親のサラも気付く。家族それぞれが自分の言葉で語ることを望んだのが誰だったのかを...。人は愛する人のためには何でも差し出すだろうけれど、差し出された人間が愛する人から差し出されたものを当然だと受け取るとは限らない。愛しているが故に、自分の命を縮めても拒否しようとするかもしれない。人は愛する人間のために、何かを犠牲にすることがある。だが、アナにはアナの人生がある。限られてはいても、ケイトにケイトの人生があるように...。

●あの娘がいたから充実して生きてこられた...

20年ほど前のことだ。組合活動で知り合ったS出版のKさんの、14歳になるお嬢さんが亡くなったという報が組合の会議中に入ったことがある。その場にいた全員が、エッと驚いて腰を浮かした。そのとき、会議に出ていた同じS出版のNさんが「彼の一番上のお嬢さんは、ずっと白血病だったんです」とつぶやいた。

Kさんが...と、誰もが意外に思ったに違いない。Kさんはいつも大きな声で話をする、どちらかと言えば体育会系の雰囲気を持つ陽気な人だった。酒が好きで、組合の会議が終わると「飲みにいこうぜ」と率先して声をあげた。バンカラで有名な高校を出ていて、本人にもバンカラの魂が染み込んでいるようだった。どんな屈折も感じさせない人だった。そんなKさんは、14年間、白血病の長女を見守ってきたのだ。

僕は、Kさんのお嬢さんのお通夜にも告別式にもいけなかった。翌日から組合の討論集会が2泊3日で熱海であり、それに出なければならなかったからだ。僕は会議を仕切る立場だった。討論集会の2日目だったか、遅れて参加した人から、通夜に出てKさんと飲み明かした話を聞いた。酒好きのKさんは豪快に飲み、豪快に泣いたという。

僕を含めた4人が、討論集会の後にKさんの自宅に寄ることになった。14歳の娘を亡くしたKさんの自宅に、僕はひとりで線香をあげにいく勇気がなかったのかもしれない。Kさんの自宅で、僕は真新しい骨壺の前で線香をあげた。手を合わせた。セーラー服姿の少女が、写真の中で笑っていた。不意に涙がこぼれた。少女の笑顔がにじんだ。

訪ねた人数が多かったせいもあったのか、Kさんが酒好きだったのが原因か、奥さんが陽気な人だったからか、テーブルに料理が並べられ酒盛りになった。僕たちは、かなり酔った。Kさんは、ずっと亡くなった長女の話はしなかった。「お通夜、告別式と、あの娘のことばかり話していたからね...」と彼は言った。彼には長女の下にふたりの子がいて「ふたりとも、お姉ちゃんのことで我慢させてしまって...」とつぶやいた。

帰るときになって、酒を飲んでいない奥さんが送ってくれることになった。僕たちはワンボックスカーに乗り込み、駅まで奥さんの運転する車に乗った。途中、「大変だったですね」と僕が意味もない言葉を口にすると、奥さんが「あの娘がいたから、充実して生きてこられたんですよ」と答えた。その言い方には、何の気負いもなかった。ただ、口惜しさがうかがえた。

昔、森繁久弥が60過ぎの長男を亡くし、その葬儀の様子をワイドショーのニュースで見たことがある。90近い老優はテレビカメラの前で、長男の名を叫んで号泣した。60を過ぎた子どもが死んでも、親はあれほど嘆くのか、と僕は子に先立たれる親の悲しみを想った。共感した。感情が入った。

「私の中のあなた」にも印象的なシーンがある。放射線治療を受けているケイトが吐いてひどく苦しむ。それを見つめる母親サラの表情が切ない。娘が不憫で仕方がないのだ。何もしてやれない自分を彼女は責めている。血を吐くような思いをしているに違いない。そのシーンを見ながら、「死ぬな、親より先には絶対死ぬな」と、僕は誰に向かってかはわからないがつぶやいていた。

前述の「映画監督ジョン・カサヴェテス特集[アメリカに曳かれた影]」の巻末に、カサヴェテス一家の家族写真を載せたコーナーがある。その中に、見開きで家族全員が抱き合っている写真が掲載されている。幸せそうな5人家族だ。真ん中に少年時代のニック・カサヴェテスが写っている。

ジョンQ 最後の決断 デラックス版 (初回限定パッケージ) [DVD]ニック・カサヴェテスは俳優としてキャリアを積み、やがて監督として「ジョンQ─最後の決断」(2002年)でアメリカの医療制度の欠陥を告発し、「きみに読む物語」(2004年)で母親ジーナ・ローランズを使い、見事に父母の物語を紡いだ。息子に演出されたジーナ・ローランズほど、幸せな母親はいない。

ジョン・カサヴェテスは、1989年に60を目前にして亡くなったから、息子が映画監督として成功する姿を見ることはできなかった。それでも、彼は幸せな父親だ。ニック・カサヴェテスはいつか...、父親が監督し母親が主演した「グロリア」を越える映画を作るだろう。「私の中のあなた」を見た僕の中に、そんな期待が生まれた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951 >
会社の昔の先輩から僕の新刊に対する長文のメールをもらった。元編集者だから、いくつか誤植を指摘された。確かに、最近、僕の校正能力は極端に低下している。編集部をクビになって、もう7年になる。まだクォークを使っていた頃だものなあ。

映画がなければ生きていけない 2007-2009●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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by G-Tools , 2010/03/26



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