[2825] クレオパトラの夢・リズの夢

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《こんな生活続けてたら有名になっちゃうぞ》

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 クレオパトラの夢・リズの夢
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[458]
クレオパトラの夢・リズの夢

十河 進
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〈クレオパトラ/バージニア・ウルフなんかこわくない/ジャイアンツ/陽のあたる場所〉

●クラビノーバでジャズ・ピアノに挑戦した

子どもたちが大きくなって使わなくなった、クラビノーバ(電子ピアノ)がリビングで邪魔になっていた。誰も使わないのならやってみるか、と思って自分の部屋に運び込んだのは、もう10年以上前のことだった。それから「5分で弾けるお父さんのためのピアノ・レッスン」という本を買ってきた。何色かのシールが付いていて、それを鍵盤に貼るのである。

楽譜を見ると各音符の下に、その色が印刷されていた。その色のシールを貼った鍵盤を叩けば弾けるという仕掛けだが、右手の人差し指でメロディーを弾くのが精一杯だった。片手でコードを弾きながら、片手が流麗なメロディーを奏でている自分のイメージが浮かびはしたが、それが現実になるとは到底思えなかった。それでも「ムーン・リバー」のメロディーになったときは、ちょっと感激した。

しかし、それで諦めたわけではなくジャズ・ピアノをやりたくなって、懲りずに入門書を買ってきた。練習曲はバド・パウエルの「クレオパトラの夢」だった。案外、簡単な曲なのかもしれないなと思った。ジャズ・ピアノ独特のボイジングのやり方も載っていて、自在に「クレオパトラの夢」を奏でる己の姿が浮かんだが、やはり指は言うことを聞いてくれなかった。いや、まったく動かなかった。

クリント・イーストウッドはハイスクールの頃に、バーでジャズ・ピアノを弾いて金を稼いでいたという。その頃にチャーリー・パーカーの演奏を生で見た。その凄さに驚き、深く印象に残ったのだろう、イーストウッドは何10年か後にチャーリー・パーカーの映画「バード」(1988年)を作る。暗いけれど、とても印象的な映画だった。

イーストウッドの息子カイルは父親の影響を受けて、ジャズ・ベーシストになった。「硫黄島」二部作(2006年)では音楽を担当し「グラン・トリノ」(2008年)でも父親と一緒に曲を作っている。イーストウッド自身も「グラン・トリノ」のラストでピアノの弾き語りを披露した。「センチメンタル・アドベンチャー」(1982年)では、このふたりの共演が見られるし、歌手役のイーストウッドはカントリーソングを披露する。

イーストウッドはハンサムでかっこよく、映画監督として頂点を極めたうえ、さらにピアノまで弾けるのだ。これは、まことに不公平だと言わざるを得ない。僕は歌えば音程を大きく外すし、楽譜は読めず、楽器など何もできない。クラビノーバを前に、僕はそんなことを思っていた。その後、サックスなら運指を覚え、タンギングなどをマスターすれば何とかなるかもしれないと思って、アルトサックスを購入し週末に河原で練習したが、人様に聴かせられるほどには上達しなかった。

考えてみれば、僕はやはりジャズ・ピアノが弾きたかったのだ。少し前に読んだ奥泉光さんの「鳥類学者のファンタジア」という小説は、女性ジャズ・ピアニストがヒロイン(僕は大西順子さんを連想した)の面白い小説だが、音楽理論などが詳しく書き込まれていて、ますますジャズ・ピアノを自在に弾いてみたくなる。自分で弾くのはとうてい無理だとは思うけれど、バド・パウエルの弾く「クレオパトラの夢」が頭の中に響き渡るのだった。

●クレオパトラはどんな夢を見たのだろうか

「クレオパトラの夢」は、謎の曲である。クレオパトラが見た夢なのか、夢の中にクレオパトラが出てきたのか、日本語でははっきりしない。原題から推察すると、クレオパトラが見た夢だと思うけれど、その夢は「こうありたいと彼女が願ったのか」または「単に眠って見た夢」なのかはわからない。

「夢」と言うとき、僕は人生で「こうありたいと願うこと」を連想する。寝て見る夢もいいけれど、人が抱く夢は「こんな人生でありたい」と思うことではないのだろうか。人はどんなにささやかでも「夢」を持っていなければ、生きてはいけない。それは言いかえれば「希望」であり、明日も生きていこうと思う原動力である。夢や希望がなくなれば、人は生きていけない。

エジプトの女王だったクレオパトラは、政治的なせめぎ合いの中で、強大なローマ帝国と渡り合わなければならなかった。彼女が絶世の美女だったばかりに、アントニーやらシーザーやらブルータスといった連中を相手に女の武器を使い、手練手管を駆使して男たちを手玉に取らなければならなかった。それは、もしかしたら心ならずもだったのかもしれない。彼女にも「本当の夢」があったのではないだろうか。

単純だけどクレオパトラと聞けば、僕はエリザベス(リズ)・テイラーを連想する。歴史上の絶世の美女を演じるには、現代の絶世の美女でなければならないと、映画会社のお偉方も考えたのだろう。20世紀フォックス制作「クレオパトラ」(1963年)に出演したとき、エリザベス・テイラーは30歳を越えたばかりで、女としての全盛期を迎えていた。

当時、ロクに映画を見ない大正生まれの僕の母親さえ、「エリザベス・テイラー=世界一の美女」だと認識していた。大げさに言えば、それはハリウッド映画が公開されている地域では共通認識であり、常識にさえなっていたのだ。だから、エリザベス・テイラー自身も、まるで自らが女王であるかのように振る舞った。

──「クレオパトラ」の彼女の出演料はなんと100万ドルという破格のもの。その他日常の必要経費として週3,000ドル、夫のエディ・フィッシャーの仕事のために週1,500ドル(彼の"仕事"とは妻を時間通りに仕事につかせることだった!)を彼女は要求した。フォックスはすべての彼女の要求をのんだばかりか、ビルのまるまる一つを彼女のドレス・ルームとして用意し、撮影所への送迎には運転手つきのロールスロイスを用意した...

これは川本三郎さんの「ハリウッドの神話学」(中公文庫)のエリザベス・テイラーの項で書かれていることだ。超大作「クレオパトラ」という映画を制作するために20世紀フォックスは湯水のように経費を使い、会社が傾きかけたのは有名な話だが、その元凶はエリザベス・テイラーだったのもしれない。ハリウッドの映画会社を潰しかけた女...、それがリズについた勲章だった。

●あの美しく気高いレズリーはどこへいったのだ?

僕が初めてスクリーンで見たエリザベス・テイラーは、汚い言葉を吐き散らすアル中気味の女だった。倦怠期を迎えた中年のインテリ夫婦。エドワード・オールビーのヒット戯曲を映画化した「バージニア・ウルフなんかこわくない」(1966年)は、「クレオパトラ」で恋仲になり結婚したリチャード・バートンとの共演作で、絶世の美女であるはずだったリズは、夫を罵る鬼の形相をした妻だった。

「ああ、あの美しく気高いレズリーはどこへいったのだ?」と、僕は死んでしまったジェームス・ディーンになりかわって嘆いた。その数年前にテレビで見た「ジャイアンツ」(1956年)で、テキサスの牧場主(ロック・ハドソン)と結婚した東部の令嬢レズリーは、高潔な精神と優しい心根で貧しい青年だったジェット・リンク(ジェームス・ディーン)を魅了した。

さらに、僕はテレビのカット版で見た「陽のあたる場所」(1951年)の可憐な美少女を思い出していた。モンゴメリー・クリフト主演の貧しい青年の物語だ。金持ちの美少女アンジェラ(エリザベス・テイラー)は、優しい性格で金持ちぶらず、主人公に思いを寄せる。その美しさは、確かにただごとではなかった。そのとき、彼女はまだ20歳にもなっていなかった。

それが、30半ばだというのに「バージニア・ウルフなんかこわくない」では、髪を振り乱し、酔っ払って卑語をわめき散らす女に変わっていたのである。しかし、その熱演が評判になり、彼女は「バタフィールド8」(1960年)に続いて、二度目のアカデミー主演女優賞を獲得する。なるほど、ああいう演技が受けるのね、と映画を見始めたばかりの少年は思ったものだった。

エリザベス・テイラーは、生粋のハリウッド育ちである。生まれはイギリスだが、7歳でアメリカに移住。ヴァイオレットの瞳を持つ少女は、その美しさを認められ10歳になるかならない頃に映画デビューする。「緑園の天使」(1945年)「若草物語」(1949年)などの少女スターとして人気を博し、スペンサー・トレイシーの娘役を演じた「花嫁の父」(1950年)がヒットする。その翌年に出演したのが「陽のあたる場所」だった。

エリザベス・テイラーは、幼い頃から撮影所内の学校に通いながら映画に出る生活を送ってきた。彼女は、ハリウッド的価値観に染まっていたに違いない。そんな世界にいれば、人はスポイルされ、傲慢で、汚い言葉を吐き、他人は自分を利用して金儲けを企んでいるとしか思えなくなるのかもしれない。しかし、エリザベス・テイラーは、「陽のあたる場所」で、モンゴメリー・クリフトという知的で優しい男と出逢う。

●エリザベス・テイラーが真に愛したモンゴメリー・クリフト

エリザベス・テイラーについて語られるとき、多くの人々は彼女の数多い結婚歴を言い募る。何しろ8度結婚し、7回離婚したのだ。そのうち2回はリチャード・バートンとだった。プロデューサーのマイク・トッドは飛行機事故で死んだので、正確には死別だが、どちらにしろ結婚歴の多さはエリザベス・テイラーという女優のイメージを形作っている。

彼女が初めて結婚するのは18歳の時だ。相手はホテル王コンラッド・ヒルトンの御曹司で22歳だった。しかし、その結婚は一年も続かなかった。その頃だろうか、彼女は「陽のあたる場所」の撮影に入る。シオドア・ドライザーの小説「アメリカの悲劇」の二度目の映画化だった。

貧しく、そこそこの野心を抱く青年ジョージ(モンゴメリー・クリフト)は、叔父の工場で順調に出世するが、同僚の娘アリス(シェリー・ウィンタース)と関係し、つきまとわれている。ある日、パーティで金持ちの家にいき、その家の娘アンジェラと知り合う。

僕は、パーティの賑わいを逃れて広い邸宅をさまよい、たったひとりで部屋にいるモンゴメリー・クリフトを、フッと廊下を通りかかったエリザベス・テイラーが気にとめるシーンを今もよく憶えている。あのとき、彼女は18か19だったのだ。金髪が主流だったハリウッドで、彼女の髪はブルネットで知的な輝きがあった。

ジョージとアンジェラは愛し合う。だが、アリスがジョージの心変わりをなじり、妊娠したと告げる。ある日、ジョージはアリスと湖にボートで出ていき、明確な殺意もないまま、事故のようにアリスは湖に落ちて溺死する。ジョージは逮捕され、殺人罪で起訴される。そのジョージを、変わらぬ愛情を抱いた瞳でアンジェラは見つめていた...。

この映画をきっかけにして、エリザベス・テイラーとモンゴメリー・クリフトは、その仲を噂されるようになったという。結婚も近い、と書いたゴシップ誌もあった。しかし、彼らが結ばれることはなかった。後に、モンゴメリー・クリフトはホモ・セクシャルだったことが明らかになった。

多くの伝記で、エリザベス・テイラーが真に愛した男はモンゴメリー・クリフトだと指摘されているが、彼女が愛した男はホモ・セクシャルだったのだ。もうずいぶん昔のことになるが、ロック・ハドソンがエイズで死んだ直後のアカデミー授賞式にエリザベス・テイラーが登場し、エイズ撲滅を訴えたのを見たことがある。「ジャイアンツ」で共演したロック・ハドソンもゲイだった。

1956年5月、エリザベス・テイラー邸でのパーティを出て帰ろうとしたモンゴメリー・クリフトは、運転する車を大木に激突させた。事故現場に駆けつけたエリザベス・テイラーはドレスに血が染み込むのもかまわず、救急車がくるまで重体のモンゴメリー・クリフトを抱き続けた。彼女は写真を撮ろうとする輩に向かって、「撮らないで!」とモンゴメリー・クリフトをかばった。

モンゴメリー・クリフトは命を取り留めたが、整形手術によっても以前の甘いマスクは戻らなかった。事故を境にして仕事は減り、やがて不遇のままニューヨークで孤独に死んだ。その死を知ったエリザベス・テイラーは、こう言ったという。

──私はショックで気が動転しています。私は彼を愛していました。彼は私の兄でした。私のいちばん愛した人でした。(「ハリウッドの神話学」川本三郎・中公文庫)

昨年、エリザベス・テイラーは友人だったマイケル・ジャクソンの葬儀に姿を現した。すでに、70半ばを過ぎている彼女は、友人たちの多くを喪った。彼女の夫たちの多くは、鬼籍に入っている。エリザベス・テイラーという人生を生きるとは、一体どんなものなのだろう。僕には想像もつかない。しかし、若い頃、彼女がどんな夢を見ていたのか、気になることはある。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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熱海で行われた第28回日本冒険小説協会全国大会に参加してきました。日本軍大賞は平山夢明さんの「ダイナー」でした。平山さんとお会いするのは2年ぶりくらいでしょうか。怖い小説を書く人ですが、ご家族で参加していてよいお父さんぶりを発揮していました。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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< https://bn.dgcr.com/archives/20100402140100.html
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ここ2〜3回のこのコラムの内容が、一言に縮約すると「こんなに忙しい私」で片づいちゃいそうそうな、日記みたいなもんになってる傾向は否めない。たまには「こんなに暇な私」というテーマで書いてみたいもんである。

そうは天の神様が許してくれない。私、なんか悪いことしましたか? あ、天罰じゃないか。思えば、一昨年、銀座の「ヴァニラ画廊」で開催した「人形と写真4人展〜幻妖の棲む森〜」をなんとか乗り切ったときには、冗談だけど「俺の人生のクライマックスは越えた。あとは死ぬだけだ」なんて言ってたもんだが、人生の地形図を完全に読み誤ってた模様。

気がつくとまたひーひー言いながら登ってるやんけ! これを登り切ったら、前のクライマックスなんて、眺め下ろしてるんでねーの? 今は、冗談だけど「こんな生活続けてたら有名になっちゃうぞ」とか言っている。どこへ向かっているのか、たいへん不安な私である。

●廃墟っぽいところで人形撮影

3月20日(土)は、美登利さんの人形撮影。去年の12月のグループ展「臘月祭」の直前に川崎で一度撮ってる子なんだけど、すっかりイメチェンしているので、展示用に大阪に送る前にもう一度撮っとかなきゃ、というわけだ。

ロケ地は、港の見える丘公園内にある、フランス領事館跡。廃墟。そんなに広いわけじゃないんだけど、撮影セットとしてはかなりいい。川崎のときのロケ地も美登利さんに見つけてもらったのだったが、今回もまた。そんないいロケ地をどうやって見つけたのかは、聞いたような気もするんだけど、むにゃむにゃ......。他人の出がらしのお茶っ葉にもう一度お湯を足して飲む私のプライドのなさが、むにゃむにゃ......。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/IHFss#
> 写真

●苦悩する神父役、できるのか俺

舞台に立った経験もなければ目指した覚えもない、と書こうとして記憶を遡ったらひとつ出てきた。あれは忘れもしない、幼稚園時代の学芸会みたいな催しで、父兄が見守る中、劇をやったんだった。高円寺にある「聖心幼稚園」はカトリック教会に付属していたので、たぶん出し物は「キリストの生誕」みたいな話だったんだと思う。

私は、ほんのチョイ役。横一列に並んだ兵隊だったかが、一人ずつ順番に一歩前へ出て、右手を斜め前に挙げて、一言ずつ台詞を言う。どれも物語の展開にはまったく寄与してなかったような。私のは「国民の数を数えるようにとのご命令」。うん、40余年を経ても、けっこう覚えてるもんだな。

うまく言えたと思う。会場からはどよめきが起きた。たぶん、幼稚園生にしては大人びた台詞をよどみなく言ったなぁ、と感心したんじゃないかと思う。いるんだよなぁ、そういうやつ。チョイ役のくせに、会場の注目をぜんぶさらってっちゃうやつ。

ちなみにあのときはまだヒゲは生えていなかった。本名の小林をもじってケバヤシと呼ばれるようになるのは、中学3年のときからだ。見かけにそれほどインパクトがなくても存在感をアピールできたということは、それなりに才能があったんじゃないかなぁ。なんであのとき役者を目指さなかったのだろう。

そんな私に「舞台に立ちませんか」とお誘いが来たのは、2月26日(金)のこと。前回書いたように、劇団MONT★SUCHTの主催イベントの内輪の打上げの席で、歌手の青炎(セイレーン)さんから持ちかけられた。4月18日(日)、池袋のロサ会館地下のライブハウス「LIVE INN ROSA」で開かれるゴスロリクラブイベント「クラシックアラモード」に出演するVANQUISHの演目は"Tale of Salamandra"。
< http://www.artism.jp/ae_ca03.html
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3月20日(土)に第1回の打合せがあった。美登利さんの撮影の後、下北沢のヴァロワ・ヴォイスに向かう。

総合プロデュースの奥井氏と、由良瓏砂さん、青炎(セイレーン)さん、私。奥井氏の作成したストーリーと音楽が渡される。16世紀のヨーロッパを舞台にしたファンタジー。第1、2章はすでに演じられ、次回は第3章。瓏砂さん演じるOthelloは、トカゲ。実はフランス国王の生まれ変わり。黒い霧の怪物との戦いでは、天使Mの魔法によりSalamandraに変身していたが、今度は人の姿になっている。青炎さん演じるセイレーンは、ネーデルランドの国王の姫。

第3章では、戦いを終えたセイレーンがOthelloを連れて方舟で国に帰るところから始まる。帰ってみると、街の様子がおかしい。道端には死体や不具の老人たち。城は荒れている。二人の帰国を知ったグスタフ神父が城を訪ね、事情を説明する。苦悩する神父。それが私の役だ。「どうです、できそうですか?」と奥井氏に聞かれるも「知りません」としか言いようがない。いや、がんばりますけど。どうかご指導よろしくお願いします。......という打合せだった。できるのか俺。苦悩する俺。

●ナイショの打合せは、映像の話

3月21日(日)のことは、まだ書けない。書けないんだけど、ちょっとだけ書いちゃう。なので、読んでもナイショにしといていただけると。映像の寺嶋真里さんが、中野区の私の住んでるアパートの最寄駅まで来てくれる。なんか、話があるらしい。

私の「いつもの」お店へご案内する。喫茶店なんだけど、私にとっては定食屋。休みの日、撮影などで遠くへ出かける用事がなければ、きまってここで朝昼兼用の食事をする。また、私にとっては「いつもの」と注文するといつものが出てくる唯一のお店。15年来の行きつけなんだけど、今まで一人でしか行ったことがない。初めて人をお連れする。

午後3時だというのに、まだ朝メシも食ってなかった俺。「いつもの」を注文する。豚肉の料理とご飯とみそ汁とコーヒーがつくAセットとオニオントマトサラダ。寺嶋さんは飲み物だけ注文。で、話って何ですか? 話とは、映像に出演しませんか、というお誘いだった。え?

えーっと、今、別口でも舞台で演じる話が来てて、かなりビビッてたとこなんですが。毒を食したら皿もいただきましょう、みたいなことわざがありましたっけ、あ、それはたとえが違いますかそうですか。まあ、もったいないくらいいい話で、引き受けるかお断りするかの選択の問題ではなく、できそうか無理そうかの見当の問題ですな。

考えたこともなかった方面で立て続けに話が来るって、どういうことなんでしょ、自分にはまったく見えていなかった可能性が、見る人には見えるということなんでしょうか。ところで、寺嶋さんの映像の出演者たちって、人格的にどこか壊れちゃってる感じの人が多いように思うのですが。私のような普通の人にも勤まるんでしょうか。

そういうわけなんで、この話の続きは、時期が来たらまたポカッと再浮上するかもしれません。しなかったら立ち消えになったということなので、どうか忘れていただけると。実は、何を隠そう(いや、隠してるんだけど)、もうひとつ、水面下で進行している話がある。こっちのほうは、4月3日(土)に第一回の打合せがあり、「やりましょう」って話になれば一気に進むはずなので、次回あたり水の上に姿を現すかも。

●二度煎じた茶は三度煎じよ

なんてことわざ、あるわきゃないけど。3月22日(月・祝)は、櫻井紅子さんの人形の撮影。2日前と同じ場所で。三番煎じ。今ちょっとプライドの蓄えを切らしてるもんで、あなたのをヤフオクにでも出してもらえれば買いますよん。

さて、紅子さんには、去年の暮あたりから、いい感じの上昇気流が吹いている。初めて人形に値札をつけた「臘月祭」では、12月22日(火)初日のオープニングと同時に3体の出品作品が完売した(これをギョーカイ用語で「瞬殺」という。オタクギョーカイだけど)。

作品が全部売れちゃって、何もない状態のとき、人形専門店「横浜浪漫館」から紅子さんに声がかかった。3月27日(土)〜4月11日(日)に予定している企画展「春爛漫」に出品しませんか、と。そうとう内なる葛藤はあったらしいけど。申し出を受諾した紅子さん、強いっ!

企画展というのは、出展者側が場所代を持つ個展やグループ展とはわけが違う。場所のオーナー側が展示を企画し、コンセプトに沿った作家に出品を依頼する形をとる。なので、出展者は通常、場所代タダ。それに、企画側が作家の実力と作品の価値を認めたというお墨付きの栄誉に浴することができる。

さらに、横浜浪漫館は、人形を作る者ならたいてい知っていて、そこで展示できたらいいだろうなぁ、とあこがれる場所である。去年の3月1日(日)にべちおさんと一緒に中川多理さんの人形展「Down Below 〜ダウン・ビロウ〜」を見に行って、べちおさんが多理さんの少女の人形にメロメロにやられてしまった、その場所である。

まあ、断る手はないとはいえ、会期までに店の期待を裏切らない新作を作らなくてはならないというプレッシャーはいかばかりであっただろう。それが出来上がったというので、ありがたくも撮らせていただくというわけだ。私は人形をちゃんと論評できる目を持ち合わせてはいない。けど、紅子さんの人形をファインダー越しに見ると、何かが違うのだ。感覚が勝手にピーンと張り詰めてくる。「あ、今、俺、ものすごい被写体と向き合っている」というゾクゾク、ワクワク感。どこがどうだから、そういう感覚が引き起こされる、という因果関係にまで立ち入って分析する力はないのだが。今度のもたぶん瞬殺なんじゃない?

ロケ地は横浜の観光コースにあり、ひっきりなしに人が通る。紅子さんによれば、裸にブーツとコルセットというのが、思いのほかエロくなっちゃったそうで、それを撮っている私が通行人にどう映るかを心配してくれた。あ、だいじょぶ、だいじょぶ、ぜ〜んぜん気にしないから。わが変態性に殉ずるに迷いはないです。

しかし、撮ってる私の耳に入ってきた通行人の言葉は「エロい」ではなかった。「怖い」だった。あー、そうだった。創作人形に慣れ親しんでない人の目にはそう映ることがけっこう多いんだった、と思い出させられて、新鮮に響く。

さて、展示が始まってから横浜浪漫館に見に行った美登利さんの報告によると、すでに売約済を示す赤丸シールが貼ってあったそうである。おおお、おめでとう、紅子さん。今度は6月だからね。新作、よろしく。あ、いけね、言っちゃった。ナイショでよろしく。

< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/eyWwHB#
> 写真

●「いとちいさやか」ドルスバラード最後の展示

東京駅八重洲口から徒歩10分ほどのところにある人形専門店「ドルスバラード」は板橋に移転し、店名も「ぼらん・どぉる」と改め、4月10日(土)から営業を再開する。旧店舗最後の企画展「いとちいさやか」を最終日の3月28日(日)に見てきた。美登利さんが、いと小さき人形を3体、出品している。

美登利さんのいつものパターンだと、新作ができると私に撮影を頼んでくる。時間があれば自然豊かな屋外で、なければ展示している状態で。とにかく撮っておかないと、もし最初の展示で売れちゃえば、写真一枚すら残らないことになる。こっちも撮る者として被写体に恵まれて嬉しいし、誰よりも先に見れるし、写真は後で展示に使えたりするので、お互いに持ちつ持たれつだ。

今回は何も言ってこなかった。私が最近割と忙しいことを知ってて遠慮したのだろうか。なんか予感がしたので、カメラを持って行った。正解。3体出品している新作のうち、2体の値札に売約済みの赤い丸ポチシールが貼ってあった。

当然、美登利さんからお店に話を通してくれているわけではないので、私からおずおずと「撮影していいですか」と切り出す。普通なら、「作家本人に断ってありますか」と聞かれそうなところだが、聞かれることもなく、即、OKがいただけた。ここへ来るのは去年の9月以来だけど、どうやら覚えていて下さったようだ。俺、意外と顔で得してるかも。

このお店がなくなっちゃうのは、ちょっと名残惜しい気持ちがある。由良瓏砂さんと最初に出会った場所でもある。'08年3月8日(土)のことだ。まだ2年しか経ってないような気がしない。

●苦悩する神父役、読み合わせはボロボロ

東京駅から新宿乗換えで下北沢へ。ヴァロワ・ヴォイスは3回目になるけど、いつもカメラバッグを提げて行くなぁ。前回と同じ顔ぶれで、練習。今回は、台詞ができている。前日深夜にメールで送られてきたのを自分の関係するとこだけ手帳に書き留めておいた。電車の中や歩きながらぶつぶつ唱えていちおう記憶して臨む。

10歳で国を出たセイレーンが10年ぶりに帰国する。その噂を聞いた神父グスタフは、自分の行為がもし教会に知れたら裏切り者としてどんな目にあわされるか知れないという危険を犯して、セイレーンに国の状況を知らせるために登城する。

S: あなたは?
G: この街で神父をしております、グスタフと申します。10年ぶりに姫が戻られたとの噂を耳にし、こうして参じた次第です。
S: この国で何が起きているのですか?
これに答えて、この国で進行している恐ろしい事実を告げるのである。

台詞というのは、記憶していることと、言えることとは全然別のことだと思い知らされる。つっかえずに言えれば立派、という学芸会レベルではない。私は最後のほうでちょこっとだけ出るのだが、それまで築き上げてきた緊迫感を弛緩させるような大根芝居を打ってはいけない。要求水準が高く、意識しなくてはならないことが、たくさんあるのだ。

低いトーンで、不吉さを強調するように、芝居っ気たっぷりに大げさな抑揚をつける。抑揚に感情をこめる。浅いのど声にならないよう、腹の底から声を出す。しかし、感情が込められるあまり上体や首が動きすぎるとかえって軽くなってしまうので、動作は落ち着いて、威厳をもってゆっくりしゃべる。

どういうふうに演じればいいか、感じはなんとなく分かった。けど、まるっきりできない。どうしよう。いろいろ意識すると、肝心の台詞が蒸発してしまう。「神父」を「牧師」と言い間違えたり。「迫害」という言葉がどうしても出てこなくて2〜3秒間凍りついたり。

記憶した台詞を再現する芸を見せるというのではなく、個々の言葉が持っている魂が、言葉の連なりの中で互いに呼応しあい、その共鳴によってとてつもなく増幅する感情の波紋を送り出すような芸ができれば。うん、ふもとから富士山を見上げるような話だ。

けど、この練習で、退路が断たれた感じ。うまく出来ていないのに、逃げ道は、もはやない。本番までに、出来るようになるしかない。こういう状態に耐えられる精神の持ち主って、けっこう強い人だと思う。え〜っと、逃げちゃだめだ。
【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

似非聖職者。多少なりとも神父のメンタリティに近づこうと、自主的に禁酒続行中。4月11日(日)〜30日(金)、月川ひとみさんが、再び浅草ロック座の興行に出演するという。誰それ? って、赤色メトロさんのお薦めってんで、1月17日(日)に櫻井紅子さんと3人で見に行ったら、なるほどすばらしかった踊り子さん。群を抜いて動きになめらかさとキレがあり、場の空気がピシッと引き締まる。ロック座のウェブサイトに顔写真を載せてない謎っぷりも、いい。また見に行こうかっていう話をしているのだが、聖職者の私にはご法度なのだ。18日過ぎたら、いいかな? もみのこさん、東京に出てくる?

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■編集後記(4/2)

・19Vのハイビジョン液晶テレビを買った。キッチンのカウンターに置くサブ用で、機能は普通でいい、ブランドにこだわらず、軽くて安いのをと妻が言うので、ネットを見て回っていたら、DXアンテナ(じつは船井製、じつは中国製)で適当なのを見つけた。デザインはごく普通、PCモニタに比べるとちょっとぼてっとしている。じつはPCモニタにもなる。さらに地上・BS・110度CSの3波対応デジタルチューナ付、データ放送対応、双方向サービス対応、電子番組表、クリアピクステクノロジー、HDMIとD4入力端子という、2万円弱で信じられないくらいの多機能テレビだ。わが家はケーブルテレビなので、同軸ケーブルで地上の入力端子につなぎ、リモコンで「かんたん設定」、箱をあけて10分、画面右上に「アナログ」表示のないテレビが見られた。画面はまあ満足できる美しさだ。あとは、分波器を買って地上と、BS・110度CSを接続すればいいのだ。このあと2台、居間用32Vとわたしのデスク用の19V〜22Vを導入予定、各社の新製品をチェックしている。これが楽しいんだな〜。それにしても、ブラウン管テレビってものすごい体積だったんだな。(柴田)

・iPhoneアプリ。いつか欲しいけど値下がりしないかな〜と思うものは、AppShopperで登録し、値下がりするとメールが届くようにしている。具体的な方法。このサイトにアカウントを登録し、右上にある検索ボックスにアプリ名を入れて検索。目的のアプリが出てきたら、価格の下にある「Want It」にチェック。サイト名下のタブにある「Wish List」をクリックして開き、右中程の赤紫「Price Drop Notifications」のところにある「Notify me of price drops by E-mail.」にチェック。これのおかげで安く手に入ったアプリがいくつか。登録時は欲しくても、実際には見送るものも多いけど。いまは「List Master」や「Boxcar」がセール中。「Boxcar(現在無料。ただしサービス二つ目からはアドオン課金)」はiPhoneのロック画面にアラート音とともに通知が表示されるもの(MMS/SMSのようにプッシュされる)。登録できるサービスは、メールやTwitter、Facebookなど。最初にTwitterを登録してみたが、今はタイムライン追えないから表示するとかえって苦しかもと削除。メールを登録してみた。発行されるメールアドレスに、自分のメールのコピーを転送させるという仕組み。セキュリティ? フリー版Gmailや、レンタルサーバー使っている私であります。メールは送信元と件名のみだが(届いたことのみを表示させることも可能)、ロック画面に出るのは助かる。本文が欲しい人はまつむらさんおすすめの「PushGmail」があるよん。無音タイムが設定できるのだが、GMTなので日本だとマイナス9時間で考えてくだされ。夜中0時からだと15時に。(hammer.mule)
< http://appshopper.com/
>  AppShopper
< http://boxcar.io/
>  Boxcar
< https://bn.dgcr.com/archives/20091104140200.html
>
iPhoneアプリ探検隊・その2/笠居トシヒロ&まつむらまきお
< http://www.pushgmailapp.com/
>  PushGmail
< http://www.iphonelistmaster.com/
>  いま115円なのに悩む
< http://www.iphonelistmaster.com/video.jsp
>
いまのところ使い道がないの。