[2835] みじめに老いるより誇り高く死ぬ?

投稿:  著者:  読了時間:32分(本文:約15,700文字)


《うん、今思い返しても、このお調子者! って思う》

■映画と夜と音楽と...[460]
 みじめに老いるより誇り高く死ぬ?
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[460]
みじめに老いるより誇り高く死ぬ?

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100416140200.html >
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〈レスラー/ダイナー/ランブルフィッシュ/白いドレスの女/1941/ナインハーフ/イヤー・オブ・ザ・ドラゴン〉


●「ナインハーフ」で知名度が高まったミッキー・ローク

一年前のことだ。第81回アカデミー賞の授賞式が始まり、主演男優賞にノミネートされた俳優たちが紹介された。何人めかに「ミッキー・ローク」と紹介された男が立ち上がった。まさか...、と僕は思った。別人だった。まったくの別人にしか見えなかった。

続いて、彼の主演作「レスラー」(2008年)のワンシーンが流れた。長い金髪を垂らし、しわだらけの崩れた顔の男がタイツをはいてリングに立っていた。やはり、別人としか思えなかった。しかし、マリサ・トメイとの会話シーンが映り、マリサを見つめる目がミッキー・ロークだった。どんなに人相が変わっても、目は変わらないのかもしれない。

ミッキー・ロークが紹介された後、コダックシアターにいた全員が立ち上がった。「ミルク」(2008年)で主演男優賞候補になっているショーン・ペンは、真っ先に立ち上がって拍手をしていた。ショーン・ペンが若くやんちゃだった頃、もしかしたら「ダイナー」(1982年)や「ランブルフィッシュ」(1983年)のミッキー・ロークに憧れたのだろうか。

アカデミー賞でスタンディング・オベイションの栄誉を受けられるのは、ひとにぎりの人たちだけである。長いキャリアを持ち映画界に貢献した人たちだけが、スタンディング・オベイションでリスペクトを受けることができるのだ。その夜、ミッキー・ロークは、その数少ないひとりだった。彼は、とても嬉しそうだった。

僕がミッキー・ロークを初めて記憶に留めたのは、「白いドレスの女」(1981年)だった。ワンシークェンスの出演だったが、主人公の弁護士が愛人の夫を殺害するために訪ねる爆弾魔という印象的な役だった。もっとも、変態的でクレイジーな感じがして、あまり好感のもてる役ではなかった。「あぶない男」を感じさせ、それはそれでうまいのだろうと思ったことを憶えている。

ミッキー・ロークの映画デビューは、スティーヴン・スピルバーグ監督のコメディ「1941」(1979年)だというから、僕はその映画で彼を見ているはずなのだけれど、まったく記憶にない。「1941」は、珍しくスピルバーグの失敗作と言われた作品で、僕は日本軍の潜水艦の艦長役だった三船敏郎しか憶えていない。

ミッキー・ロークが深く印象に残ったのは、「ダイナー」だった。後に「レインマン」(1988年)を作るバリー・レヴィンソン監督の作品である。日本では「ダイナー」公開の数カ月前、フランシス・フォード・コッポラ監督作品「ランブルフィッシュ」が公開された。1984年、日本でミッキー・ロークの人気が高まった年である。

「ランブルフィッシュ」ではティーンエイジャーの役だったし、「ダイナー」は田舎町の軽食堂を根城にした若者たちの話だった。どちらも青春群像を描く作品で、若い観客に支持された。当時、僕はすでに30をいくつか過ぎ、ふたりめの子どもが生まれようとしていたが、それでも「ダイナー」を見て過ぎ去った青春の日々を懐かしく、切なく思い出した。

しかし、ミッキー・ロークの名が広く知れ渡るのは、「ナインハーフ」(1985年)が大ヒットしてからである。逆光ライティングで浮かび上がらせた、美しいキム・ベイシンガーの裸の背中にアイスキューブを伝わらせるといった、エロチックなシーンを売り物にしたラブ・ストーリーだった。日本公開は1986年である。

その年に公開された大森一樹監督の「恋する女たち」(1986年)は、斉藤由貴主演のアイドル映画だが、その中で高校生のヒロインが「ナインハーフ」を見にいくシーンがある。彼女が「ナインハーフ」を見終わって出てくると、隣の映画館でアニメを見ていた野球部員のクラスメイト(柳葉敏郎)と出逢う。彼女は彼に恋をしているのに、彼はニヤニヤ笑いながら冷やかす。
----おまえ、こんな映画見るんか。
----あんたの方は、半分たりないのよ。

柳葉敏郎が見ていたのは、あだち充原作の野球マンガ「ナイン」のアニメだったのである。つまり「ナイン」と「ナインハーフ」だから「半分足りないのよ」というセリフで笑えるのだ。ふたつの映画の看板をことさらアップで見せなくても、そのギャグが観客に通じるくらい「ナインハーフ」は誰でも知っているヒット作品だった。

●試合後の控え室でポツンとパイプ椅子に座るタイツ姿の男

昨年、日本公開になった「レスラー」を見ながら、僕は「老いる」ことについて考えた。ミッキー・ロークは僕より5歳ほど若いらしいから、その映画を撮っているときの実年齢は50をいくつか過ぎたばかりだっただろう。それでも、崩れた顔はひどく年老いて見えた。若い頃、セクシーだと女たちを騒がせた甘い顔の俳優だったから、余計に無惨さが募った。

ランディ"ザ・ラム"ロビンソンは、「ラム・ジャム」という必殺技を持つ人気レスラーだった。80年代に活躍する彼の新聞記事がタイトルバックに映り、リングアナウンサーが独特の喋り方で試合の中継をする。それは彼の人生の絶頂期だったのだ。ある悪役レスラーとの死闘は、プロレス・ファンに語り継がれる伝説になった。

しかし、物語は20年後から始まる。試合後の控え室で、ポツンとパイプ椅子に座るタイツ姿の男の背中がファーストシーンだ。広角レンズで、ローアングルから撮ったショットである。画面の手前は、床しか映っていない。画面左上のあたりに、長い金髪を裸の背中に垂らしたレスラーが座っているだけだ。彼は咳き込んでいる。

画面右からプロモーターらしき男が入ってくる。ランディに声をかけ、「ギャラだ」とあまり多くはなさそうな札を渡す。「客も満足だ」という男に、ランディは「すまん、入りが悪くて」と淋しげにつぶやく。着替えをすませたランディが控え室から出ていくと、若者がサインを求める。彼は気さくに応じて帰宅するが、トレーラー・パークに入れてもらえない。

翌朝、車の中で寝ていたランディは、フロントガラスを叩く子どもたちに起こされる。彼はトレーラーハウス住まいで、トレーラー・パークに支払う家賃を溜めているので閉め出されたのだ。ランディはパートタイムで働くスーパーへいき「もっと働かせてくれないか」と頼み込むが、店長は「週末の仕事しかないぞ。週末は乱闘で忙しいんだろ」と冷笑を浴びせる。

週末、彼は試合に出かける。控え室にレスラーたちがひしめいている。誰も彼もランディよりは若い。しかし、彼らは伝説のレスラーだったランディに敬意を払う。ひとりで試合前の準備をするランディ。そこへ試合相手の若いレスラーが挨拶にやってきて、打ち合わせをする。「きみの試合を見たよ。才能ある。がんばれ」と彼は励ます。

老いたとはいえ、ランディの試合は凄まじい。血がほとばしり、巨大な肉体が宙を飛ぶ。椅子が振り上げられ、脳天に振り下ろされる。リングの四隅の柱に額を叩きつけられる。事前に打ち合わせをしているとしても、そんな試合を何10年も続けてきたのだ。ランディの躯はボロボロになっている。

試合後、ランディは疲れた顔を鏡に映し、じっと見つめる。それからストリップ・バーへいき、なじみのパム(マリサ・トメイ)と会うが、彼女は若い客からはおばさん扱いされるストリッパーである。そのパムにランディは、躯の傷のひとつひとつを見せながら説明する。これは伝説の死闘を演じたときの傷、これはロープ最上段から落とされ鎖骨を折ったときの傷跡...

このあたりまで見て、僕は期待感でゾクゾクし始めた。ミッキー・ロークの老いて、尾羽打ち枯らした感じがいい。たまらない...という気分になる。鏡に映るしわだらけの顔を、じっと見つめる表情がいい。若い客に「俺の母親と同じくらいかい」とバカにされているパムを救い出し、「商売の邪魔をしないでよ」と言われ傷つく視線がいい。彼は老いて、みじめで、孤独なのだ。

●誰もが自分が歳を重ねて初めて人間が老いることを知る

30数年前のミッキー・ロークは、ハンサムで颯爽と歩いた。「白いドレスの女」や「ナインハーフ」で見せた、どこか変態的であぶない感じは影をひそめ、狂気を感じさせるものの溌剌としたヒーローとして「イヤー・オブ・ザ・ドラゴン」(1985年)に登場した。「ディア・ハンター」(1978年)のマイケル・チミノ監督作品だったから、僕は公開を待ちかねて見にいったものだ。

その映画では、チャイニーズ・マフィアの若きボスとして登場したジョン・ローンに人気が集中したが、ミッキー・ロークは健闘していたと思う。甘いだけだった顔にも、30近くになった年齢による深みが出ていた。その後、1987年には立て続けに「バーフライ」「死にゆく者への祈り」「エンゼル・ハート」と、男を感じさせるヒーローを演じた。

しかし、その頃から僕はミッキー・ロークの出演作をほとんど見ていない。つまり、「レスラー」のミッキー・ロークは「エンゼル・ハート」の私立探偵が突然、50過ぎの男になって現れた感じだったのだ。20年以上の年月が流れ去ったのだ。人は、別人のように変わることだってある。僕だって、ひどく変わっているのかもしれない。外見も内面も...。

「レスラー」のランディは、様々なクスリを飲んでいる。ジムに通ってバーベルを持ち上げる。自慢の躯を維持するためだ。しかし、耳が遠くなり補聴器を外せない。文字を読むときには老眼鏡をかける。背中は年齢を隠せない。老いが漂う。歩き方だって、全然、颯爽としていない。そして、ある日、心臓発作を起こし、バイパス手術をする。医者から「プロレスを続けたら命の保証はできない」と宣告される。

彼は孤独を噛みしめる。ひとりに耐えられなくなって、パムを訪ねる。彼女は家族の大切さを訴え、ランディに娘に会いにいくことを勧めるが、「娘はおれを嫌っている」とランディは二の足を踏む。それでも孤独が耐えられないランディは棄てた娘に会いにいき、「今更、何しにきたの。手術したからって私を頼る気? 私を棄てたくせに」と激しい拒絶に遭う。

彼は、自分の人生のツケを払わされているのだろうか。家族を棄てた。娘との思い出は幼かった頃のことだけだ。試合が終われば仲間たちと酒を飲み、女と寝た。面白おかしく生きてきたのだ。どこへいっても人々は熱狂し、女たちはベッドに誘う。そんな時代はいつの間にか過ぎ去ってしまったのに、彼だけは変われない。今も、彼はランディ"ザ・ラム"ロビンソンなのだ。

しかし、彼はついに引退を決意し、プロモーターたちに連絡をする。スーパーの店長に頭を下げ、週末にフルタイムで働くことにする。総菜売り場の担当だ。しかし、ある日、客のひとりが気付く。「あんた、老けてるが、ランディ"ザ・ラム"ロビンソンじゃないのか」と。

誰もが年をとる。老いる。しかし、誰もが自分が歳を重ねてみて、初めて人間が老いることを知るのだ。老いが自分の身に起きるまで、誰も老いを想像しない。しかし、人は突然老いるわけではない。気が付けば、自分が年をとっている。躯も無理が利かない。目がかすみ、時々、耳たぶに掌をかぶせて人の言葉を聞き返している自分がいる。

しかし、死が訪れるまで人は生きていかなければならない。そのためには、かつてアメリカのヒーローとまで言われ人気絶頂だったレスラーでも、スーパーの総菜売り場で客の小うるさい注文に応えなければならない。彼と20年前に伝説の死闘を繰り広げた相手は、中古車ディーラーとして成功しているというのに、彼はハムをスライスしたり、サラダをパックに詰めたりしているのだ。

そんな彼に、20年前の死闘の相手との再戦話が持ち上がる。中古車ディーラーをしている相手も、リングに復帰するという。しかし、激しい動きをすれば、ランディの心臓はもたないかもしれない。だからといって、スーパーの総菜売り場でみじめに生きていくのは、もううんざりだ。彼は、みじめに生きるより誇り高く死ぬことを選ぶのだろうか。

老いて、自分の人生を悔いることはしたくない。老いて、孤独にさいなまれるようにはなりたくない。しかし、多くの場合、人は自分の生き方を振り返って後悔し、孤独にさいなまれる晩年を迎える。老いるとは、そういうことだ。誰も生きてきたようにしか、生きてくることはできなかったのに、人は悔いる。年老いて、孤独はさらに深くなる。

老いて自分の人生を悔やむことは、若かった頃の自分に対する裏切りではないのか。僕なら、そう自分に言い聞かす。孤独とみじめさの果てに、ランディも思う。自分は自分が生きてきたようにしか生きられなかったのだと...。だから、その生き方に殉じようとする。しかし、現実の僕たちは誇り高い死を望んでも叶わない。みじめにならないように努力しながら...、孤独と折り合いながら...生き続けるしかないのだろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
就職難らしい。我が家の息子と娘を見ていても感じる。そんなとき、会社で人材募集をした。人事採用担当でもあるので、今まで何百人という人の面接に立ち合ってきた。そのつど、どんな人も何らかの期待を抱かせる。就職難だといっても、若者が希望を持てる職に就けない社会は疲弊すると思う。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
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■Otaku ワールドへようこそ![116]
順風満帆で困ってないけど

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20100416140100.html >
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困っている。この困っている状況を微に入り細にわたり語ってみたところで、あんまり同情が集まるような感じのしないところが、また困る。昔、山本リンダが「こまっちゃうナ、デートに誘われて」と歌っていたが、どうぞ困ってて下さい、としか言いようがない。

思春期と呼ばれる年齢のころ、熱狂的に応援しているアイドル歌手と、もし本当にデートできるような機会が訪れたらどうしよう、なんてことを脳内シミュレーションして思い悩んだことはなかっただろうか。俺だけ? もしマスコミに知れたら大スクープになるに違いない。そしたらこっちまで世間に名が知れ渡り、他のファンからカミソリの刃とかが送りつけられたりするんだろうな、どうやって人目を避けるか、別々の飛行機で海外へ飛んで、どこかで落ち合うか、とか。今、私が置かれている状況を抽象的にたとえると、そんなようなことになる。頭ん中がお花畑で困っている。

人の悩みというものは、たいていの場合、ものごとが思い通りに運ばないことに由来する。しかし、たまにはその逆、ものごとが思い通り以上に運んじゃって困る、という状況に直面することもないわけではない。そんなとき、問題を粉砕し、解決に導くのは、道化力というか、お調子者力というか、そんなようなパワーなのではなかろうか。あれれ、やけに高いところの扉が開いているぞ、俺なんかが入っていいのかな? まいっか、開いてるんだし、入っちゃうよ〜〜〜ん。

●役者としての初舞台、目前に迫る

私にとっての役者としての初舞台は、4月18日(日)、目前に迫ってきた。池袋、ロサ会館の地下2階にあるLIVE INN ROSAにて、5:00pmからの予定。国内最大級のGothic & Lolitaイベントである「Alamode Night」から派生した、アンダーグラウンドクラシカルワールド「Classic Alamode」というイベント。ウェブサイトによれば、「ゴシックやロリィタの様式美にクラシカルで幻想的な音楽が漂う古き良き時代のライブサロン的イベント」とある。ざっくり言って、ロリ服で盛装した「少女」たちが集い、踊る、クラブ系のイベント。
< http://www.artism.jp/ae_ca03.html >

歌手の青炎(セイレーン)さんから「一生のお願いっ(はぁと)」と拝み倒され、引き受けちゃった経緯については、以前に書いたとおりである。たとえていうなら、ちょっとおしゃれして原宿をぶらぶらしてたら、たまたま芸能プロダクションのスカウトの人の目に留まっちゃって、「芸能界に入りませんか」とお誘いを受けちゃったような感じ。「いえ、ワタシそういうの、特に目指そうと思ったこともないんですけど」。「その初々しさが、またいいんだ。君ならきっと大スターになれるよ」。「あら、そうかしら」。

実際には、ワタシは今年48歳になるんで、初々しいというお年頃は、少し過ぎちゃってる感じなんだけど。この世界でうまくやっていけるかしら、とドキドキしつつ、ワクワクときめいちゃったりしている。4月3日(土)は、別の打合せの後、瓏砂さんと浅草橋から下北沢の「ヴァロワ・ヴォイス」に向かう。総合プロデュースの奥井氏のご指導の下、青炎さんとともにお稽古。夜7時ぐらいから終電近い時間まで。

前回、3月28日(日)のお稽古では、前日に台詞がメールで届いたばかりということもあって、うろ覚えで、ボロボロだった。今回は、いちおう頭に叩き込んだつもりで臨んだけど、繰り返し練習するうちには、何回もトチる。ヤバい。足引っ張ってるぞ、俺。この日は主に、抑揚のつけ方、間のとり方、立つ位置と向き、身振り手振り、など演じる練習。ぎこちない。その場ですぐにできるようにはならなかったけど、どうすればいいか、イメージを作っておいて、後で一人で練習しよう。

それとは別に、ボイス・トレーニングのレッスンを月に2回、定期的に受けることに決めた。3月6日(土)に青炎さんのご指導による体験レッスンを受け、これは続けて受けたいと思っていたので。ただ、4月から6月にかけて自分のスケジュールが立て込んできそうだったので迷っていたのだが、月に2回ぐらいなら、まあなんとかなるか、と。

4月7日(水)は、その初回レッスン。課題曲が用意されていた。"Amazing Grace"。「すばらしき恩寵」などと訳される讃美歌である。最初なので、メロディーラインが簡単で、入りやすい曲、ということで青炎さんが選んでくれた。初回は誰でもこの曲、というわけではなく、個別に考えてくれている。歌詞が英語なのは、私からの希望。

ポンと楽譜が渡され、内心、パニック。楽譜見るのって、何十年ぶりだろ?シャープが2つって、ベースはラだっけレだっけ? D.S.とかCodaとか、えーっとどこへ飛ぶんだっけ? 最初は、メロディーと歌詞と両方は追いきれない。この曲、ちゃんと知ってはいなかったが、どこかで聞いた覚えはある。転調では半音上がるだけなのに、もう音程が迷子になっちゃって、ハズシまくりで何小節か進んでから、やっと戻って来られる。けど、最後にはなんとかメロディーを追える程度にはなった。

この曲、入り口の敷居はとても低いのだけど、頂上は嫌になるくらい高い。その性質は、童謡と似ている。ちゃんと人前で歌えるレベルの難易度の高さは流行歌などの比ではない。節回しを面白くしたり、サビの盛り上がりを大げさにしたりといった、飾りっ気で聞き手の関心を引きつけておくようなゴマカシが一切効かないので、美声で聞かせる以外にないのである。シンプルで壮大で美しい曲って、そうだ。何ヶ月か後で戻ってきて、自分の進歩を確認するのにいいかもしれない。

4月10日(土)は、芝居のほうのお稽古。瓏砂さんが都合で来られなかったので、私の出るところだけ、集中的に練習。30分ほどの演目の中で、私の台詞のある場面はほんの30秒ほどだ。6時から 8時までの間に、うんざりするくらい繰り返し練習できる。台詞をトチることもほとんどなくなり、演技も安定してきた。「それが本チャンでもできれば問題なし」と奥井氏から言われるまでになった。あとは、本チャンでアガってしまって、頭ん中真っ白白、って状態にならないか、そこだけが心配だ。

●ちょこっと展示のつもりが......

浅草橋の「パラボリカ・ビス」で展示中の清水真理さんの人形を3月6日(土)に撮らせてもらった話は以前書いたとおり。私たった一人のために、閉館後に4時間も残っていただいて、ポーズやライティングも思いのまま、存分に撮らせてもらえたのだった。清水さんといえば人形界では有名な人形作家さんで、プロの写真家が作品を撮って写真集を出版するようなレベルである。一介のカメコにすぎないやつがじっくり撮らせてもらえるなんて、もったいなさすぎる話で、私の中では一生もののいい思い出として完結しかけていた。

ところが、話には続きがあった。3月16日(火)、清水さんからメールが来た。「カフェスペースで展示できる人を探しています。よろしかったらいかがでしょうか」。ビビった。私の中で、パラボリカ・ビスというところは、すごく有名な人の展示やトークが催されるのを喜んで見にいくところであり、自分が上がるような壇はそこにない。次のように返信した。「カフェスペースって、パラボリカ・ビスのですか? 詳しく聞きたいです。場所代とか。時期とか」。うん、今思い返しても、このお調子者! って思う。

まあまあ、カフェスペースの壁にちょこっと写真を掲げさせてもらうくらい、そんな大それたことでもないよね、と自分に言い聞かす。3月17日(水)のメールでは、「Growhairさんの写真と物販と、さらに、2階のギャラリーでお人形展示も可能です」と。このとき自分の中では「あれれ? 話が大きくなっとるぞ」という反応がなぜかまったく起きなかった。

人形が展示できるんだったら、来場者はそっちを見て満足して帰ってくれるだろうから、写真がイマイチでもきっと許してくれるに違いない。それなら、まあ、いっか。一昨年10月に銀座の「ヴァニラ画廊」で催したグループ展「幻妖の棲む森」のときの林美登利さん、八裕沙さん、橘明さんに声をかけて、引っ張り込む。昨年12月に銀座の「Gallery 156」で催したグループ展「臘月祭」のときの人形出展作家10人に、mixiの同名の非公開コミュで参加を呼びかけたところ、赤色メトロさん、櫻井紅子さん、枝里さんが手を挙げてくれた。

さらに、噂を聞いた土谷寛枇さんがコンタクトをとってきてくれた。土谷さんとは、2月28日(日)に、銀座の「ゆう画廊」で中川多理さんの人形を撮らせてもらったときに、お会いしている。両性具有の人形を展示していた。「臘月祭」に来てくれたことで知り合った吉村眸さんも引っ張り込む。吉村さんの人形はすでに3回撮っている。いつもお世話になっている劇団「MONT★SUCHT」の看板女優、由良瓏砂さんにも声をかける。人形作家として。美登利さんのお知り合いで、以前にお会いしている七衣紋さんにも入っていただく。

あっという間に10人集まった。これなら私の写真の展示なんて、どさくさまぎれ、くらいのもんで、埋もれちゃうだろうから、気楽だ。mixiに非公開コミュを新たに作成し、情報伝達と意見交換の場にする。さて、上記のメールをもらった日のうちに最初の2人は、即、参加表明してくれたので、清水さんにお知らせすると、同じ日の夜、次のようなメールが届いた。「何か週末イベントを入れたいと思うのですが、誰かライブ、トーク、パフォーマンスなどできる、心当たりはありますか」。

え〜っと、心当たりというかなんというか、4月にVANQUISHの公演があって、私も神父役として出るんですが、それの再演、入れちゃっていいですかね? 総合プロデュースの奥井氏に聞いてみると、快諾してもらえる。再演、決定!初回もまだだっちゅうのに。

さて、3月22日(月)の夜には、「スタッフの方から条件がひとつ。入場料を取りたいとのことです。その旨、参加作家さんたちに承諾いただけるでしょうか」。い、いや〜、それはちょっと......。案の定、mixiの内輪コミュでは、反対意見続出だ。俺もビビる。人形の個展やグループ展で入場料を取るケースは、あまり例が多くない。「あの大御所の作品でさえ見るのは無料だったのに、この人たち、いったい何様?」みたいな反感を招くのが恐い。けど、そこはそれ、作品の格付けの問題じゃなくて、パラボリカ・ビスがそういう方針なんだから、ってことを言い訳にしちゃえば、許していただけるんじゃないかな?

ここらへんで、話がずいぶん大きくなってることに尻込みする人形作家さんも出てきた。「昨日までテレビを見てたのに、明日は出演して下さいと言われた気分」。ポン! うまいこと言うね。俺もまさにそんな気分だ。飛行機だって、機首を上げすぎれば失速して急降下しちゃうわけだし、太陽を目指したイカロスは熱で翼が溶けて失墜したんだっけ? けど、アレだ。仮に大コケしたところで、われわれが失うものって、何だろ? また下からこつこつ這い上がってくればいいんでねーの?

入場料については、私の撮った写真を掲載した小冊子を作って、それを来場者にもれなくお渡しすることで相殺してしまおう、という案でまとまった。さて、3月27日(土)の夜のメールでは、「まだはっきりしないのですが、6月に宮西計三さんの展示があるかもという話があり、もし会期が重なるなら、1階が宮西さん、2階でグループ展ということでどうでしょうか」と。

え〜っと、どこまで膨れる、この企画。しかし、入場料のプレッシャーはいくぶんか楽になるね。それに、(大御所を引っ張り出して、まるで対等みたいな言い方は失礼だけど)宮西さんとはこれまでもご縁がなかったわけではない。2月20日(土)、21日(日)にMONT★SUCHT主催のイベント「Rosengarten I」が渋谷のルデコで開催されたとき、宮西さんは奥様の薔薇絵さんとともに、2日とも舞台に立ってくださっている。宮西さんのピアノ(1日目)/ギター(2日目)の演奏に合わせて、舞踏家の薔薇絵さんが踊る。私は、けっこうな枚数、撮らせていただいている。

それと、銀座の「ヴァニラ画廊」で開催中の企画展「オルタナティブ・ゴシック展」では、12人の参加作家さんの中に宮西さんと美登利さんの名前がある。4月12日(月)〜24日(土)。
< http://www.vanilla-gallery.com/gallery/alt-g/ag.html >

私からみて遥か高いところにある扉が今こうして開いているのは、ひとえに清水さんの尽力のおかげである。清水さんは、会場の「中の人」ではない。私との間に入って、やりとりを仲介してくださっていたのである。会場の主は、今野裕一さんである。雑誌「夜想」の編集長。清水さんのおかげで、4月3日(土)に会場で今野さんも交えた初回の打合せを開いた時点では、イベント開催自体はほぼ決まっていた。会期は6月18日(金)〜7月5日(月)。

打合せは、参加側11人に、今野さん、清水さん、スタッフの西川さんと、大人数だった。カフェスペースのテーブルをつなげて、会議仕様にする。ポートフォリオを渡して、承認か却下かの審判をはらはらしながら待つという過程はすっ飛ばされたのが、気分的には楽。午後1時から始まった打合せは、そのまま場所をお借りして内輪の打合せに移行し、夕方5時くらいまで続いた。コンセプトの話、レイアウトの話、フライヤー制作の話、週末イベントの話、会場の見学、倉庫の物色、などなど。

その内容は、まだ本決まりでない事項もあるので、ここでは出すのを控えておきますが(って、すでに内情バラしすぎ? ごめん>関係者各位)、どんな展示になるか形が固まってきたら、追々お知らせしていきたいと思います。参加者みんなにとって、ちょっと敷居の高い感覚のある場であることは否めませんが、萎縮せずに、それぞれが持っている力をのびのびと発揮していただければ、きっといい展示になると信じています。私も、自分のはオマケみたいなもん、とか言ってられなくなりました。全力を尽くします。

●レフ板がサンドイッチに化ける鎌倉

参加予定の人形作家さん10人の中で、まだ一度も作品を撮っていないのは、七衣紋さんと土谷さん。なんか今年に入って、撮られたがっている人形たちの待ち行列が、撮っても撮ってもどんどん伸びてるような気がしている私だが、このお二人のは優先的に撮りたい。

打合せの翌日、4月4日(日)は、鎌倉へ。桜を背景に、七衣紋さんと八裕さんの人形を撮ろうということで。本来ならロケハンしておいてから本チャンの撮影に臨むべきなのだが、そんな時間的余裕がなく、いきなり。10時に大船駅に集合し、バスで鎌倉山へ。人があまり多くないと聞いていたので行ってみたのだが。うん、確かに多くはない。けど、車の交通量が多い峠道の街路樹なので、遠景はきれいでも、なかなか人形と一緒に撮れるアングルが見つからない。

一枚も撮らずにあきらめ、バスで長谷へ。長谷寺で撮れないかな、と思ったのだが、人の多さを見て即、あきらめ。入らずに、長谷駅から江ノ電で鎌倉へ。この時点で昼近くになっていて、ちょっとアセる。銭洗い弁天の横を抜けて、徒歩で源氏山へ。ここでやっと撮れた。やっぱり花見客でいっぱいなんだけど、なんとか撮れるアングルを確保する。

日野俊基の墓は、地面がきれいな苔に覆われ、その向こう側が絶壁で落ち込んで、その先の平地には桜の木がいっぱいあって、そこらじゅうで宴会。平地からみて高い位置で咲いている花は、こっちからはちょうどいい高さ。しかも宴会の人々は写らない。七衣紋さんの人形を、ここで撮る。

十数人のまじめそうなおじさん、おばさんの集団がやって来る。歴史研究実地ツアーみたいな感じで、墓の前に集まって、資料の読み合わせが始まる。場違いな撮影をしているわれわれは恐縮しまくりだったが、「どうぞそのまま続けてください」とのお言葉に甘えて続行。人形のベストなアングルを求めて地面に這いつくばって芋虫のようにもそもそ動き回る私の姿に、ひょっとしたら、笑いをかみ殺すのに必死だったのではあるまいか。ごめんなさい、まじめな人たち。

徒歩で鎌倉駅に戻り、七衣紋さんは用事があるとのことで先に帰り、八裕さんとバスで建長寺へ。10年くらい前に来たことがあって、ほとんど忘れているのだが、桜がよかったという印象だけが残っている。それと、裏手にある天狗のいる山へつながる陰気な道。昔、刑場があったんだっけ。独特の雰囲気がある。

そこには首なし狛犬がいた。珍しいからいちおうと、ほぼ無意識に撮っていたらしい。写真屋さんで現像結果を受け取ってみると、狛犬の首がない。なにこれ? いったいどういう現象? 怖くてしかたがなかったが、もし何かのお怒りに触れたのだとしたら、供養せねば。と、次の週末にまた行ってみた。すると、写真のとおりの狛犬がそこにいて、それを見たら、そう言えば撮ったっけかな、とおぼろげながらに思い出した。

なんか、ねずみ一匹に大山鳴動したような自分に腹が立ち、その日は、ろうそくの炎とか線香の煙とか、「いかにも」なものを撮りまくって、帰ってきたのだが、後で現像結果を精査してみても、それらしいものは何も写っていなかった。そのジャンルの写真は自分には無理だと自覚した。......という過去のある場所である。その狛犬は、今は、丸ごと新しいのにすげ替えられていた。

さて、割といいポイントを見つけて、八裕さんの人形を撮ろうとすると、あれ?レフ板がない。しまった、バスの中に忘れた。なぜ忘れたか。その理由がばかばかしい。カラスか、俺は。荷物は3つあったのである。背中に背負っているナップザック、肩から提げているカメラバッグ、脇にかかえているレフ板。鎌倉駅の近くでサンドイッチとコーヒーを買って、持ってバスに乗ったのを忘れていた。降りるとき、3つ持って、それでいいような気になってたというわけだ。

曇ってたおかげでさほど支障なくレフなしで撮影し、終わった後、バス停に書いてあるバス会社の番号に電話してみると、ちゃんと保管しているという。取り返せたのはよかったけど、バスの車庫までバスで行くのに、長谷など通り覚えのあるところを通ったりして、最後は藤沢駅へ抜け、複雑怪奇に折りたたまれた移動経路をまっすぐに伸ばしたらいったいどれほどになったのだろうかと思った一日であった。

で、結局、何で困ってるんだっけ? そういえば、前にタロット占いで、ようけ女性カードを引いたっけ。このところ、実際、女性だらけの週末を過ごすことが多い。まるでモテてるみたいだ。困っちゃうナ〜、頭が花畑〜。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

役者。うそうそ。カメコ。4月11日(日)は、ロケハン。八裕さんと、赤色メトロさんと、土谷さんと。いきなり本チャン撮影も考えたが、鎌倉では裏目に出たのを反省したのと、予報では天気が崩れるとのことだったので。

ロケ地として、いい収穫。国産種のタンポポが咲き、土筆が群生し、のどかだ。低木や木製の電柱にはアレチウリが覆いかぶさり、トタン板の掘っ立て小屋は錆びてて、ちょっと不吉な雰囲気も。何十年も放置されたとみえる廃車は、近づいてよくよく見れば、窓ガラスに内側から人間の足の裏がへばりついている。

こういうなんでもない野っ原って、ありそうで意外とないのである。山なら傾斜地は利用価値がないため、けっこう自然のままに放置されているのだが、平地はほとんど何かの目的に利用されてしまっている。システム化が過剰に進んだ、つまらない時代になったもんだ。この場所、貴重。ごめんなさい、当分秘密にさせて下さい。

最後に少し雨がぱらついたけど、歩いている間は、ピーカンで、めっちゃ暑かった。持っていった水も早々に飲み干し、倒れるんじゃないかと思ったくらい。帰ってからシャワーを浴びたら、頭が日焼けでひりひりする。

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■編集後記(4/16)

・調べものがあって高校の卒業アルバムを見る。このアルバムは、編集委員会メンバーではないわたしが版下作りの段階で勝手に参入し、お約束ページ以外のところでレイアウトしたり題字を書いたりしたものだ。クラスのページでは、わたしがオリンパスPen-Sで撮影したモノクロ写真を何枚も切り抜いてコラージュした。Photoshopどころかパソコンもない時代だから、おそろしく稚拙な出来だ(当時は満足の出来だった)。特権(そんなものないのだが)を利用し、4F屋上の廂にぶら下がる友人を、振り上げた棒で叩き落とそうとしているわたし、という自分が目立つビジュアルを考えた。もちろん、ぶらさがり役は切り抜きを貼付けた合成だ。ところが、出来上がったアルバムでは友人の姿がなく、廂の上で意味なく棒を振り上げるマヌケなわたしがいた。ぶらさがり役はずっと後ろのページに意味なく配置されていた。つまり、版下から剥がれ落ちた一片を、印刷屋さんが困って適当に処理したのだった。おかげでわたしは「最大の敗北者」で「哀れでますますいかれている」と笑い者になった。当時はそういう表現ではなかったけど。(柴田)

・radikoがAIRで。ブラウザを立ち上げなくても聞けるよ。/iPhone版ストIVに、キャラ(キャミィ)が追加されるんだって。無償アップデート。/Twitterでのツイートを米国立議会図書館が保管。国籍不問。/フレーム内リンクはやめてね、っていうのは当たり前だったが、もうそれも意味をなさないのかもしれない。ツイート保管記事を検索したら、検索ワードが悪かったせいで、本家(INTERNET Watch)より上に出てきたのが、個人のツイート参照ページとしてのフレーム内リンク。当然、そこからそのサイトの他のページにも行ける。親フレームのURLは短縮.lyのまま。もうドメイン自体、意義が減りつつあるのかも。主流としてのドメインは依然残り続けるし価値はあるが、内容で探す場合には短縮でいいや、って。短縮URLは踏むのを躊躇するのだが、Twitterだと発信元を信じるから踏むのに慣れてしまって、だんだん違和感や怖さが薄れていっている気がする。短いドメインをとるのに必死だった時代があったんですよ、とか?/ボイトレ行ってみたいなぁ。声が小さいと言われるから。腹筋使えてない。一人で仕事をしていると、声を出す機会も少ないので、ますます声帯衰えそう。(hammer.mule)
< http://radiko.jp/download/ >  常に手前に表示することもできる
< http://www.famitsu.com/k_tai/news/1234081_1350.html >  キャミィ
< http://internet.watch.impress.co.jp/docs/news/20100415_361368.html >
Twitterが過去のつぶやきアーカイブ公開、米議会図書館にも収蔵
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