ローマでMANGA[28]哉ヰ涼さんがローマにやってきた!
── midori ──

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神種-シェンシード- (GA文庫)哉ヰ涼(ryo kanai)さんがローマにやってきた!

哉ヰ涼さんは、漫画家、イラストレーター、キャラクターデザイナー等々マルチプレイヤー。
< http://fweb.midi.co.jp/%7Eflowlish/
>

今年の末、イタリアとのコラボで本が出る。その発表も兼ねて、トリノで行われたコミックスフェアに呼ばれ、ついでにローマのマンガ学校へ、生徒と交流のためにやってきてくれた(ちなみにアートブックはコミックスフェアに合わせて出た)
< http://www.lafeltrinelli.it/products/9788862330176/Art_of_ryo_kanai/Kanai_Ryo.html
>

イタリア版は、画像が出ていないのでアメリカ版をどうぞ
< http://westfieldcomics.com/comic-books/Art-of-Ryo-Kanai-SC/10031031
>

水曜日の午前11時から午後1時まで、2時間の交流予定。イタリアらしく、いや、ローマらしくというべきか、予定は予定であって確定ではない。ローマ以下、いや、伊北、フィレンツェ、イェーシ、トリノ、ペスカーラ、パドヴァ、レッジョ・エミリア、ブレシャ8校へウエブカムを使って配信するはずだった。

10時半ごろ学校へ着いてみると、なんだかワサワサ。秘書課のロベルタ嬢が「昨日まで、ちゃんと動いてたのに今日は音声がでないのよ」と言う。技師が来て、あれこれやっている間に、当の哉ヰ涼さんが、案内役のブルーノ君と一緒に到着した。

体の大きな技師が体を縮こませて17インチのコンピューターをあれこれやっている間に、哉ヰ涼さんはブルーノ君と一緒に授業中のコミックス課へ見学に行った。あっという間に生徒達に囲まれてしまい、出てきてから「いやぁ、あの熱、いいですねぇ!」と嬉しそうだった。

11時半になってから、どうしても音声の解決ができないので、他の8校への配信は諦めて、ローマ校だけで哉ヰ涼さんとの交流会を始めた。



●教室はシャイな人で一杯

そうこうするうちに、机を片付けて椅子だけにした教室は一杯になった。日本だと「11時から」といえば、11時前にスタッフもゲストも聴衆もやってきて待機しているのが当たり前だけど、イタリアでは言われた時刻以降に到着が当たり前だ(イタリアで誰かの自宅に夕食に呼ばれたら、言われた時刻以前に着いてはいけない。まだ準備ができていなくて、ホストを慌てさせる)。

さて、11時半から交流会の始まり。哉ヰ涼さんは、シャイなので、ご自分が話をするよりも、生徒の方から何か質問してもらってそれに答えるほうがやりやすい、とのこと。ただ、マンガを描こうという人にはシャイな人が多いので、生徒側ももじもじしている。

そこで、わたしが昨晩の夕食会にすでに聞いていた「哉ヰ涼さんがどうやって漫画家になったか」の逸話を披露した。

大学受験のため上京し、空いた一週間で今更勉強してもしょうがないから別のことをしようと思う。で、24ページのマンガを描き、角川のマンガ編集部へ持ち込む。採用となって漫画家デビュー。

実際は、その24ページではなくて、どうせなら連載を狙おうと、同時に書いた長編の企画の方が採用になったそうです。
「え? 一週間で24ページと長編企画を書いたんですか?(17歳で)」
「はい」

ついでながら、それまでマンガを描いたことはなく、ペンも初めて手にしたのだそう。漫画もあまり読んだことがない。その代わり、映画は好きでいやというほど見てるそうだ。

たぶん、観察力がある人なんだと思う。以前も触れたことがあるけど、絵が上手な人は右脳での観察力をうまく使う。たとえば、これは背もたれ、これは脚、と機能別にレベル張りをしてしまうのが左脳。見えるものを見えるように素直に認識できるのが右脳。

まぁ、初めてでも絵が描けてしまったことはこれで説明ができる。ストーリーを作れてしまったのは、映画をよく見てたことで説明できる。でも、バンドも持ってて、マンガの仕事がなくなったときに、ギター、ボーカル、作曲、プログラムを担当して、それでともかく食べていたというマルチな活動ができた説明は、どうつけていいのか分からない。

生徒の一人は「うーん! 絵も音楽も行けるのはわかった。まさかスポーツはできないよね?」と質問。
哉ヰさん、「えーと、子供の頃から空手をやってます」
「まさか黒帯?」
「はい」

●マルチの秘密

なんともわざとらしい釣りタイトルだから、誰も釣られないかも知れないけれど、まぁ許してください。

今回、哉ヰさんがイタリアのコミックスフェアに呼ばれたのは、イタリア人作家とのコラボで、イタリアで本を出すことになったから。このイタリア人作家は日本語堪能で、翻訳もしていて、MIXIで知りあったのだそう。

SNSやら、他のネットサービスを通して、対面によらなくても同志を見つけ仕事に結びつくことも、外国の人と知りあうのも、今や珍しいことではない。珍しくはないけれど、その実例を目の当たりにすると、お手紙と電話が通信手段だった子供時代を過ごした中年には、やはり「新時代」を感じないわけにはいかない。

さらに哉ヰさんは、先にも書いたように、マンガのほかにイラストやゲームやアニメにも関わっている。これも、「わたしもやってます」と言う人も多々いらっしゃると思うけれど、それができないでいる私から見ると,これもじゅうぶん驚きに値する。

たぶん、先の「一週間あるから漫画でも描いていみよう」という精神と通じで、哉ヰさんは自分の前に壁を作らないのだ。もちろん、やりあげてしまう能力があることは基盤にあるにしても。興味があることは、怖がらずにやってしまう。こうでなくてはダメだと思わない。面白がってやってしまう。ご自分でも、オモシロイと思ったらやるんです、とおっしゃっていた。

私が自分の前に壁を作るタイプだから、こういう人に実際に会って話を聞くと、本当に視界が開ける思いがする。

●生徒の熱い反応

生徒は、こうやって来てくれるプロのマンガ家さんに,当然憧れのまなざしを向ける。日本のマンガさんだと、出版物は多く見てるのに、それを作っている人と接する機会がないし、実際にニッポンのあらゆること、あらゆるものにバーチャル以外で接する機会がないので、熱は否応なく上がる。

哉ヰさんというマルチなクリエイターを、みな目を輝かせて次の言葉を待つ。一週間で初めてのマンガを描いてしまうことも、音楽もあれもこれもできてしまうことも、おまけに空手黒帯で、料理もできる、そんなこんなを、「えー?料理までできちゃうの? コロスー!」と嬉しそうに受け入れる(コロスって日本語の。生徒がふざけて言った)。

つまり、自分にはできないことができるスーパーマン、その人と時空を一緒にしていることでスーパーマンに近くなる。そういうことは嬉しいことだけど、「自分にはできないことを出来る人」と壁を作ってしまうのではなくて、哉ヰさんの「自分の前に壁を作らずに、興味があることは何でも試してみちゃう」精神を真似して欲しい。

と、言いつつ、その場では、通訳しつつ、私もそのスーパーぶりに「えーー!えーー!!」と驚きっぱなしで、ひれ伏しっぱなしで、そこまで読み込めず、生徒に伝えられなかった。

【みどり】midorigo@mac.com

デ・アゴスティーニ・イタリアの週刊締め切りの仕事、まだまだ続いてひぃひぃ言ってます。MANGAやマンガのことを知らない編集部の人が、実際に原稿を用意しているグラフィック事務所に、ああだこうだと文句をつけてくる。最初にこの仕事をくれた監修役は、キレていなくなってしまった。グラフィック事務所のトップデザイナー・リッカルド氏がその役を兼任するようになった。

このリッカルド君、書くより話す方が早いと、なにか問題があると電話してくる。話すよりメールをくれた方が早いと思う。というのは、リッカルド君が電話してくると、同じことを繰り返し、昔の話を蒸し返し、さっき言ったことを別の言葉で繰り返し、最低1時間、下手すると2時間電話に釘づけにされてしまうのだった。その分、仕事させてください。。。。

今朝もあった。話をするうちに、コードレス電話の充電を消費しきって切れてしまった。ははは(時々、電話機で確かめて、市外局番がミラノだと、知らんぷりしてます)。

イタリア語の単語を覚えられます! というメルマガだしてます。
< http://archive.mag2.com/0000075559/index.html
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