映画と夜と音楽と...[461]すれ違う記憶・失われたとき/十河 進

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〈モスラ/熱愛者/舞踏会の手帖/スワンの恋/見出された時─「失われた時を求めて」より〉

●僕が記憶している世界と彼が記憶している世界は違う?

熱海で行われた日本冒険小説協会の全国大会に出かけた3月末の土曜日の夜、自宅から携帯メールが入った。「高松のFさんという方から電話がありました。出かけていると言って電話番号を聞いておきました。087−8X-XXXXです」とカミサンが知らせてきた。

そのメールを見て、僕は戸惑った。Fくんとは、もう30年以上会ってもいなかったし、連絡もなかったのだ。それが、突然に電話をしてきた...。僕の本を読んだのだろうか。それ以外には考えられなかった。3巻目の「映画がなければ生きていけない2007−2009」が出て3ヶ月が経っている。彼の目に触れたのだとしても不思議ではない。

その3巻目の中で、僕はFくんとの子どもの頃のいきさつを書いている。「抜けた歯と縁の下について」というコラムだ。小学生の頃、Fくんと遊んでいて彼が石を投げ、それが当たって僕の前歯が欠けたという思い出だ。Fくんが読んで気を悪くしないように書いたつもりだが、何が人を傷つけるかはわからない。僕は宴会でかなり飲んでいたこともあったが、すぐに電話をかける気にはならなかった。



翌日、起きてからもFくんの電話のことが気になった。新幹線に乗り自宅に帰り着くまでの間、ずっとFくんのことを考えていた。昼過ぎに帰宅し、電話をかけるのを躊躇し、シャワーを浴びたり昼食を作ったりして、のばしのばしにしていた。しかし、電話をかけない限り、気持ちの区切りがつかない。僕は、いきなりFくんの怒声を聞かされたらどうしょう、とドキドキしながら電話をかけた。

受話器を取る音がして、「はい、Fです」と声がした。僕が名乗ると「おう」と懐かしがる雰囲気がすぐに伝わった。ホッとしていると「久しぶりやのう」と、昔のFくんの声になった。「電話もらったみたいで...」と僕が言葉を濁すと、「奥さんに話そうか思ったんやけど、あのときの人と違うと困るから...」と彼は言う。僕は、その意味がわからなかった。

──Nからソゴーが本出したとは聞いとったんやが、この間、図書館いったら
  新刊棚の一番目立つところに置いとったから借りてきたんや。
──Nとは連絡あるんか? 僕は何10年、年賀状しかやりとりしとらん。
──あいつは数年前にガンで胃切って、昔のまま痩せとるで。おまえ太ったな。
──あの写真、3年前やからな。あのときから10キロは落としたで。

いつの間にか、昔の言葉に戻っていた。Fくんは僕の本の冒頭に載っている大沢在昌さんとの対談時の写真を見て、僕がひどく太っていることを指摘したのだ。確かに、まん丸い顔をしている。しかし、僕は大坂に住むNくんの手術のことは何も知らなかった。ずっと年賀状のやりとりだけだったのだ。Fくんは、最近もNくんとは会っていたらしい。

──それからな、おまえの本の中で、おれとは大学に入った頃から会ってないと書いとったけど、おれは方南町の下宿にも泊めてもろたで。あのとき会った娘が、今のカミサンやろ。近くに住んどって、病気やから看病にいくって言うたやないか。もし違ってたらイカン思うて、昨夜は何も言わんかったけど...

一瞬、僕は思考が止まった。思いがけない言葉だった。彼が方南町の下宿に泊まったのなら、僕とは大学時代にもずっと交流があったということだ。僕の記憶とは、まったく違っていた。そのときの感覚は、ひどく不思議なものだった。僕が記憶している世界と、彼が記憶している世界は違う世界ではないのか...、言葉にすれば、そんな感覚だった。

●記憶から完全に消えていた青春時代を甦らせる

モスラ [DVD]今は、あまり本を見かけなくなったが、僕は中村真一郎という作家が好きで、高校生の頃からずいぶん読んだ。オタク的な知識で言えば、彼は福永武彦、堀田善衛と3人で「モスラ」(1961年)の原作を担当した。3人とも文学者と呼ばれる人たちだから、当時、話題になったものだ。また同じ年、彼の原作である「熱愛者」が岡田茉莉子の企画・主演で映画化された。

その中村真一郎が1975年の2月に新潮社から書き下ろしたのが「四季」だった。その段階で、その小説が「夏」「秋」「冬」と続く「四季四部作」の大長編になるとは予告されていなかったが、結果的には1984年まで9年にわたって書き続けられた「四季四部作」を、僕は同時代に作者と併走するように読めたことを幸運に思う。

作者が亡くなってもうずいぶんになるが、僕は今でも時々「四季四部作」を読み返す。特に第一作の「四季」は、数年ごとに4、5回は読み返した。そのたびに新鮮な思いをするのだから、その小説の持つ力は大したものだと思う。その大ロマンは、主人公が失われた記憶を探る話だ。言ってみればマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の中村真一郎版なのである。

失われた時を求めて〈1 第1篇〉スワン家のほうへ (ちくま文庫)「失われた時を求めて」の主人公がマドレーヌを紅茶に浸した瞬間、その香りから忘れてしまっていた記憶を甦らせるのと同じように、「四季」の主人公は久しぶりに再会した友人が「秋野さんのお嬢さん」と口にした瞬間、記憶から完全に消えていた青春時代を甦らせるのだ。その小説の第一章「夢の発端」は、こんな具合に始まっている。

──それが夢の発端だった。
 突然にKの口から「秋野さんのお嬢さん」という言葉が投げ出された。その名前が冷房のききすぎた夜の部屋の空気のなかで、ブランディーのためにそこだけもやがかかっているように熱していた私の脳に、いきなり飛びこんできて明るく弾けた。

記憶の世界は、夢に似ている。小説家である「私」は、テレビ局に勤める旧友のKと共に、30年前の戦前に軽井沢で過ごしたひと夏の「失われた時を求めて」思い出の地を訪ねるのである。そして、「私」は自分の記憶とKの記憶がずれていることに度々気付かされるのだ。当たり前のことだが、同じ時間を共有した人間であっても、記憶はそれぞれに異なっている。

手探りをするように、ふたりは記憶を辿る。彼らは、多くの若者たちが共同生活をした別荘を探し出し、その夏の記憶を少しずつ甦らせていく。そのきっかけは、夏草の生えた別荘への道だったり、一本の大木だったりする。一瞬にして夢の中の映像のようなものが浮かび上がり、それを手かがりにして30年前のすべてが鮮明に記憶の底から目の前に立ち上がってくるのだ。

記憶は、ひどく個人的なものだ。「私」とKは、ひと夏を軽井沢の別荘で過ごし、秋野さんという小説家や数人の若い女性たちと知り合ったのだが、同じときに同じ場所にいた記憶は共通しているのに、憶えていることは大きくずれていたりする。たとえば、「私」はTが一緒だったと言い、KはTはいなかったと主張する。それが記憶なのだろう。

だから、僕はFくんが「方南町の下宿に泊めてもらったときに、彼女に会ったよ」と言ったとき、自分の記憶とのあまりの違いにひどく動揺したし、不思議な感覚に浸ったのだ。その後で、彼がそう言うのならそういうことがあったのだろう、しかし、なぜ僕はその記憶を消し去ったのだろうかという疑問が湧き起こってきた。

●人間は美しい過去の記憶を甦らせたいと願うのか

過ぎ去ったときは美しい。どんな辛い思い出も過ぎてしまえば、過ぎ去った時間になる。思い出の中の出来事だ。それは何らかの解決がなされた過去のことである。だから、どんな思い出も今の自分を悩ませはしない。それは、安心して振り返ることができるものなのだ。そして、人は記憶の中で過去を改竄する。すべてがすべて自分の都合のいいように変えるわけではないだろうが、何かが変わっていく。

舞踏会の手帖 [DVD]そして、人間はそんな美しい過去を甦らせたいと願うのだろうか。郷愁が、人を過去へ向かわせる。昔から、そんな映画の代表として紹介されるのが「舞踏会の手帖」(1937年)である。僕の親の世代にとっての忘れられない映画として語られてきた。それだけ思い出に残った映画だということは、その映画は多くの人が望む何かを描いているのだろう。

もう若くはないヒロインがいる。彼女は、ある日、自分が社交界にデビューした頃の手帖を開き、深い懐旧の念にとらわれる。若かった頃の自分を甦らせるのだ。その手帖には、彼女のダンスの相手をした男たちの名が書き連ねられていた。彼女は、そのひとりひとりを訪ねることにする。しかし、それは苦い幻滅の旅だった。思い出は思い出のままに...、それがこの映画の教訓なのかもしれない。

懐かしい...という思いは、どこかセンチメンタルで切ないものだ。そこには、失われてしまったものは還ってこないという寂寥感もある。甘美な喪失感も含まれているに違いない。失われたものは、すべて美しい。だから、自分がなくしてしまったもの、思い出の中にしか存在しないものに思いを馳せるとき、人はひどく穏やかでやさしくなる。だが、一方で淋しさが胸を占める。還らぬ昔を甦らせることができたら...、と叶わぬことを願う。

記憶を探る。記憶の中の情景を書き綴る。そんな行為は、失われてしまったものを甦らせたいと願う人間の本能なのかもしれない。その代表的な物語がプルーストの「失われた時を求めて」だ。この長大な小説を読み通した人がどれほどいるかは知らないが、そのタイトルだけは世界的に有名になった。それは、歌謡曲のタイトルにさえ剽窃されたのだ。

僕が小学生の頃に流行った舟木一夫の「花咲く乙女たち」という歌のタイトルは、「失われた時を求めて」第二篇「花咲ける乙女たちのかげに」だったのだと知るのは中学生になってからだった。「カトレアのように派手なひと」と始まるフレーズは、「失われた時を求めて」の中で効果的に使われるカトレアからインスパアされたのだと思った。

スワンの恋 [DVD]「失われた時をもとめて」を映像化したいという思いは、多くのクリエイターたちの胸に去来したことだろう。しかし、長大な物語をすべて映像化するのは無理なのかもしれない。1984年の冬、「スワンの恋」(1983年)が日本で公開されたとき、第一篇「スワン家の方へ」の中の第二部「スワンの恋」だけの映画化だと知り、賢明だなと僕は感じたものだった。

それはイギリスの俳優(ジェレミー・アイアンズ)を主人公として、フランスやイタリアの俳優たち(アラン・ドロン、オルネラ・ムーティなど)を配し、ドイツ人(フォルカー・シュレンドルフ)が監督した作品だった。僕は、その映画が公開される直前、中村真一郎の「四季四部作」の最終巻「冬」を読んだばかりだった。「冬」の外函には「プルースト楽派の巨匠のみがなしうることである」という文章で結ばれた、倉橋由美子の推薦文が印刷されていた。

僕も「失われた時を求めて」を読み通したことはない。一部をかじっただけである。しかし、「スワンの恋」は見にいかなければならないと思った。その映画では、ヒロインであるオデットの胸に飾られたカトレアのコサージュを主人公のスワンが直すシーンが官能的に描かれていた。それは、原作でも数ページにわたって描写される印象的な場面なのだが、やはり映像の力は強かった。

また、侯爵役のアラン・ドロンが馬車の中で手鏡を見ながら頬に白粉をはたき、夜のパリで男たちがたむろする場所に出かけていくシーンで、「失われた時を求めて」が男色をひとつのテーマにしていることも理解した。アラン・ドロンは若い男に向かって、「僕は男色者だ」と言うのだ。プルーストの時代、それはとてもスキャンダラスなことだった。

見出された時~「失われた時を求めて」より~ [DVD]「失われた時を求めて」の映画化作品は、もう一本、日本で公開された。最終篇である第七篇「見出された時」を映画化した「見出された時─『失われた時を求めて』より」(1999年)だ。これは、フランスの女優たち(カトリーヌ・ドヌーブ、エマニュエル・ベアールなど)やアメリカの男優(ジョン・マルコヴィッチ)を使い、チリ人(ラウル・ルイス)が監督した作品だった。

残念ながら、僕はこの作品は見ていない。おそらくドヌーブがヴェルデュラン夫人を演じ、オデットをエマニュエル・ベアールが演じているのだろう。この物語のすべてを回想するマルセル役はジョン・マルコヴィッチらしいから、見てみたい。彼らは、「スワンの恋」で登場した人物たちの後の姿である。

ところで、Fくんと電話で話した僕は、その夜、カミサンに「昨夜、電話してきたFは、昔、方南町にいた頃に、あなたに会ったと言ってたよ」と言うと、「そんな35年以上前のこと、憶えてるわけないでしょ。ホントに私だったの」と、とりつく島もなかった。おいおい、あなた以外に誰がいるのか、と反論したくなったけれど、考えてみれば僕が最も記憶のズレを感じるのは、40年以上のつき合いであり、多くの時間を共有してきたこの人だったな、と秘かに溜息をついた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

久しぶりにカラオケにいった。歌える歌は日活系しかない。裕次郎、旭、哲也、圭一郎といったところだ。僕と同じようにあまりうまくなかった宍戸錠の歌だって歌えるのだが、一曲歌ったらあまりに不評だったので、後は聞くだけにした。それにしても最近の若者は、どうしてあんな難しい歌をうまく歌えるのか。音楽教育の違いだろうか。

映画がなければ生きていけない 2007-2009●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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