武&山根の展覧会レビュー 展示費用いくらだかきいてみたい──【建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション】展を観て/武 盾一郎&山根康弘

投稿:  著者:  読了時間:19分(本文:約9,400文字)


武:どうもどうも。なんだかあわただしいなあ。

山:こんちわー。そうやなあ、なんかね。

武:「氷結ストロング」ウマー。

山:なにそれ!うちには糖蜜(武がよく呑んでいる最も安価な焼酎の原材料名が糖蜜であることから)しかないぞ!

武:まだあるんか俺が買ってあげた糖蜜w

山:少しね。

武:糖蜜も呑みなれればイケルだろ?

山:ま、まあね。。

武:あはは! これで山根も秘密結社「糖蜜」の仲間入りだなw

山:勝手に入れるな! いやー、しかし今日は暑かった!


武:なんかね、いい天気でしたよ。妹夫婦の家まで歩いて一時間、姪っ子おんぶしながら買出しの手伝い。子守りを手伝ってると本当に子ども欲しくなるな。まあ可愛いところだけ見るからだろうけど。実際は大変だしね。

山:そうやろね。

武:いやあね、「結婚」って出産とか子育とか、まあ、そういうのを保障する制度でもあるんだなあって。

山:そうやね。

武:......えっと、気を取り直してっと。チャットレビューいきましょう! というわけで国立近代美術館ですよ! よく行くねーここ、良い展示してるってことかあ。



●【建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション】国立近代美術館


山:前回なんやったっけ。【ヴィデオを待ちながら 映像、60年代から今日へ】やったっけ。
< http://bn.dgcr.com/archives/20090408140200.html >

武:そのまえはなんだっけ、

山:フジタじゃないの? 『藤田嗣治展レビュー』
< http://bn.dgcr.com/archives/20060614140000.html >

武:あー、良い展示だった!

山:あ、ついこないだケントリッジ行ってたw 【ウィリアム・ケントリッジ 歩きながら歴史を考える そしてドローイングは動き始めた......】
< http://bn.dgcr.com/archives/20100210140200.html >

武:そうだ! ケントリッジ。いいですねえ。


山:ほんまにそう思てんのかいなw

武:近代美術館、今回も良かったですよ! 常設展!

山:常設かい! 僕は時間なくて常設は観なかった。ちゅうか、あそこ行くときいっつも時間ないぞ。そんなに広くもないねんけどね。企画展で終わってまう。

武:そうなんだよ! きっと考える余地が残されている展示方法なんだよな。なので、圧倒されたい人にとってはサクサク観終わっちゃうんですよ。どこかに「スペクタクル」を拒んでる感じがする。

山:なるほど。

武:それが「近代」ってことか?

山:どうなんかな。何かしらの問いかけはいつも 感じるような。

武:そうそう、それが案外と「近代」に対する疑問だったり。過剰な批判はないんだけど、なんかしっかりまったり問いかける感じはあるですよ。

山:で、今回は建築展やね。


●建築とは何か?


武:美術館で建築展をどう考えるかってのがまずありますね。

山:建築展ってあんまり観たことないなあ。コルビジェを観たか。森美術館。

武:そうですね。レビューはないのか。それと、そもそも俺の出発点は新宿の段ボールハウス絵画で、建築物に絵を描いてるので建築はどこかで何か関わりがあるな。

山:ふむ。

武:要するに、構造体に依存する形で俺の表現活動は始まったわけなんですよ。

山:まあ、たいがい何かに依存しないと表現なんて出来へんけどw

武:まあね。

山:建築ってなんやろ?

武:構造体でしょ。箱ですよ。ハードですよ。


山:「建築(けんちく)とは、人間が活動するための空間を内部に持った構造物を、計画、設計、施工そして使用するに至るまでの行為の過程全体、あるいは一部のこと。また、そのような行為によって作られた構造物そのものを指すこともある。ただし、本来後者は建築物と呼ぶのが適切である。」「語源:Architectureの訳語。明治初期には「造家」という訳語が当てられていた。伊東忠太(建築史家・建築家)は、1894年(明治27年)の「アーキテクチュールの本義を論じて其の訳字を撰定し我が造家学会の改名を望む」という論文の中で「世のいわゆるFine Artに属すべきものにして、Industrial Artに属すべきものに非ざるなり」と述べており、工学ではなく総合芸術としての属性を表す語として「建築」という訳語がふさわしいと主張した。」(wikipediaより) へー、総合芸術である、と。


武:「出来事」と「枠」の話になると思うんさよ。本来、建築ってのは出来事、すなわち生活や生存の営みに準じて、それらの内容や本質を具現する枠としてあると思うんですよ。なので人の生き方とか気候とか含まって自然に形成されてきたと思うんですよ、建造物って、プリミティブな状態では。

山:「ローマ時代の建築家、ウィトルウィウスが著した、現存する最古の建築理論書「建築書(建築論、建築十書とも)」によると、用(utilitas)・強(firmitas)・美(venustas)を兼ね備えることが求められるものであり、これを実現する為に、芸術的かつ科学的見地に立たねばならないとされる。」

武:ふむ。


山:その場の状況と不可分なわけで、そういう意味ではサイト・スペシフィックと言えるんかね。

武:サイトがあるなら、モバイル建築ってのもありそうだな。

山:こんな言葉もある。ゲニウス・ロキ。
< http://www.kotono8.com/wiki/%E3%82%B2%E3%83%8B%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%AD >

武:なにこれ、おもろいのう!

山:おもろいよな。

武:ノマドにも建築はあったし、定住にも建築はあった。そりゃそうだわね。

山:日本では地霊と言うそうです。

武:ああ、いいことばだー。


山:「建築的営為とは、地霊の力(ゲニウス・ロキ)を一方に据えてなされてきたものではなかったのか。そしてその集積が都市を作り上げてきたのではなかったか。」「ゲニウス・ロキとは、結局のところある土地から引き出される霊感とか、土地に結びついた連想性、あるいは土地がもつ可能性といった概念になる。」なるほど〜。いやあ、面白かった。なんかもう仕事終わった気になってきたw

武:おわりじゃねーだろ! これからだよ。

山:わっはっは。晩飯も食ったし眠くなってきたな。。

武:俺は酔っぱらってもう眠い。

山:もう酔っぱらっとんのかい!

武:うん。まあ、テキトーにやっつけましょうよ。

山:なにっ! レビューは惰性なのか!

武:うん。

山:認めるなっ!


武:ハートブレイクから立ち直れてないんすよ。

山:え。そうなんか。でもそれはしょうがないので、レビュー行きましょうレビュー。しょうがないっすよ。

武:しょうがないですよ。

山:いや、だからレビューどうすんのよ。

武:正直おれ、「レビューとか展示とかどうでもいい状態」なんだけど。

山:なんやねんそれ! これからだよ、ってさっき言ったやないか。

武:まあ、プロなんでね。とりあえず、なぜ、「建築がアートなのか」というところからだよな。

山:いきなりそこは難しいので、作品を観て行きましょ う。

武:えー!

山:どうせ観るねんから。早くやっとこう。

武:ほいな。


山:概要。「世代もタイプも異なる7組の日本の建築家たちが、新作インスタレーションを展示します。「建物」をつくるときとは異なる条件の中で彼らが頼るもの。それはきっと、建築家として鍛え上げてきた、論理(ロジック)と技術(テクニック)と感性(エステティック)のバランスがとれた思考方法となるでしょう。このバランス感覚に長けているからこそ、現在、日本の建築は世界的に注目されていると言えます。そして、もしそうしたところに「建築」の特徴があるのだとすれば、建築を考える際に重要なのは、「建築とはなにか」を問うことではなくて、どこにどのような形で建築が現われてきているかを捜すことではないでしょうか。三種類の多面体でつくられた空間、「空間」が生滅する場、動物にも見える東屋(あずまや)、模型の一日を見せる映像空間、繊細(フラジャイル)な構造体、スケール感覚が不思議な広場など、多種多様なインスタレーションを通して、建築はどこにあるのか、ぜひ捜してみてください。」(東京国立近代美術館ウェブサイトより)

武:まあ、こういうでっち上げのコンセプトテキストって重要ですからね。そんなに嘘くさくない感じもするしね。


●展示内容


山:ではザザッと観ていきましょう。まず入ってすぐにあるのは中村竜二(1972-)『とうもろこし畑』
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=837858 >
  あ、そうそう。この展示、写真撮影OKなんやね。というわけで撮ってきました。写真。こんなサイトもあるんやな。
< http://www.flickr.com/groups/momat_where_is_architecture/ >
< http://www.flickr.com/photos/18829096@N07/4577990441/sizes/o/in/pool-1423474@N23/ >

武:ああ、いい写真一杯あるじゃん! 写真に撮られて、魅力が捏造される建造物www

山:まあ写真でもテキストでも、建造物に限らずそんなもんやろ。

武:ざまあ! 所詮、虚業じゃん! 現代美術と同じじゃん! 意味なんてないんじゃん!


山:なんか荒れてますなw

武:俺ね、したり顔で「アーキテクチャがうんちゃら」とか言ってる奴らをぶん殴りたい。あ、それ俺じゃん!w

山:何を言ってるんか意味が分からんw

武:俺が分ってないからね。

山:どういうことやw で、この作品、どうやったん? きれいな構築物やったけど。

武:そうですね。最初にドーンとあったのは良かったです。それは建築なのかインスタレーションなのか、まあそれはそれのどちらでもいいんですが、「なにか、ないのか?」と感じたんですよ。


山:ないのか? というと?

武:絵ってさ、描かれたものがあるだけでしょ。ところが今の芸術ってそういうわけにはいかないじゃない。プロセスなりコンセプトなりが重要だったりするじゃないですか。

山:はい。

武:何の説明もなく、出来上がった物をどんと置いておく。それを観た時、絵を観るのと同じ感覚でみると「これなら絵の方がオモレエ」とか思ったんです。「構造」は見えるけど「営み」は見えないから。構造物見せられてもなあ的なのが正直あったんですよ。


山:こんなのもあった。中村竜二さんは人気ですな。『建築はどこにあるの?7つのインスタレーション@東京国立近代美術館の感想まとめ』
< http://togetter.com/li/17334 >

武:なるほど。

山:で、紙でできた構築物で、長いところは16メートルぐらいあるらしい。

武:それは凄いですよ! リスペクトしますよ! プロセスを知ると面白いんだよね。

山:で、「風景の一部のように希薄で、それ自体を見るというよりは、歩きながら向こう側にあるほかの展示物が変化していくのをなんとなく感じる、そう言う空間になればいいなと思っています」とリーフレットにある。構造物そのものは一つの部品、装置的な捉え方なんやろか。現代美術的な。

武:そうね。きわめて「現代美術」。


山:で、その奥にあるのがですね、鈴木了二(1944-)『DUBHOUSE』
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=837859 >

武:ほい。「建築的」って感じしましたよ。

山:鈴木氏曰く、「DUBHOUSE」はデカい模型でありながらチイサい建築でもある。と。あ、「DUBHOUSE」はいろんなところでその場所に合わせて延ばしたり縮めたりして、展示しているらしい。

武:なんでだか既視感がすごくあったんだよなあ。

山:なんやろな。これ、僕はどういうことなんかよくわからなかった。中に机と椅子があったりするんですけど入ることはできない。

武:絵とかあるけど見えない。

山:うん。床がガラス張りになってて、そこに美術館の天井が写り込んでいたのはきれいだった。

武:そうね。なんか、やっぱ「近代」っぽさを感じちゃったなあ。


山:では、次。中山英之(1972-)『草原の大きな扉』
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=837860 >

武:ああ、なんつーかね。ホクホク設計図?

山:これは北海道の草原にカフェとして設計した建築の1/3の模型だそうです。

武:こんなインスタレーションだったら、がっつりその世界を絵に描けばいいじゃん。

山:絵も展示されてたな。

武:そういう世界に暮らしていたんなら一生そういう絵を描いていればいいじゃん。

山:建物はキオスクと納戸らしい。

武:作者はどうやら一生そういう世界に暮らしたいわけじゃないんだよね。

山:どうなんやろ。聞いてみたいところやねw


武:そうだね。案外と表出されたイメージは好み。ファンタジー好きだから。

山:なんせ1/3の模型なので、実際には扉は6メートルになるらしい。って、これ、ほんまにあるんか?

武:つか、たまたま僕が行った時にインスタレーションの扉を係員さんが閉めて、しばらしくてまた開けたんですよ。それが面白かったな。

山:ちゃんと動かすんやね。「ある時代を生きていたとある人物が、同じ時代にあったいろいろなものに触れながら考えたり何かをつくったりすることによって、単純な切断面としてではない感覚や、その時代の生活の風景のようなものが、なんだか得体の知れない謎めいた塊になってこちらに迫ってくるような、そういう複雑な人間像が、僕にとっての理想的な建築家なのかもしれません。」とおっしゃっております。

武:「建築家」を「画家」に換えてもいいしな。


山:ふむ。では次。内藤廣(1950-)『赤縞』。僕のカメラでは撮影できなかったので、こちらをどうぞ。
< http://www.flickr.com/photos/middle_of_nowhere_hokanak/4568166522/in/set-72157623843871269/ >

武:おお、この写真はいいですねえ。「建築」という概念を取り払いました的な。反則技ですね。飛び道具使ったこういう反則技は好きなんですよ。

山:えっとですね、これはレーザーですね。垂直器。現場で使いますね。

武:この建築家は反則技だけで食って来れたんかね?

山:「美術館という現実の建物の中に、抽象的な空間を出現させようと思った。」


武:どんな「賃労働」をしてきたのでしょうか? ときいてみたいなあ。

山:「いつもは見えていない空間の抽象性を体感することになる。空間の抽象性、それは20世紀近代が夢として追い求めたものだ。これはそのビジョンの断片である。」とあります。

武:そして、いまの自分の現状をぶつけてみたいな。どうやったら食えるようになるのか。

山:いや、だから「これは20世紀近代が夢として追い求めたビジョンの断片」らしいぞ。

武:それでいいです。


山:じゃあ次。菊池宏 (1972-)『ある部屋の一日』
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=837862 >

武:一生懸命見たけど俺の好みではない。

山:模型がぐるぐる回ってる。で、カメラがついてて、その映像がとなりのデカイ壁に映し出されている、と。

武:回るって事自体は好きなんだけどねえ。。。

山:あ、模型が回ってるんとちゃうかった。電気が回ってる。

武:展示費用がどれくらいなんだろなこれ。トーキョーワンダーサイト、3万円で良い展示出来るか?

山:展示コンセプトは、「太陽の運行と室内空間から現れるもの」というインスタレーションだそうです。


武:そんなん数百万円以上かかるだろ! 展示費用いくらだかきいてみたい。

山:まあ金はかかるやろな。

武:なんかなあ。腹立つな。金さえありゃあさあ。

山:昔見た屏風思い出したよ。これね。ここでも金のこと言ってるなw
「プライス大邸宅 〜 お金があれば何でもできる展(とりあえず若冲)」若冲と江戸絵画展
< http://bn.dgcr.com/archives/20060823140200.html >
  なんかこれはあんまり、、って感じやったな、僕も。意味は分かるけど。プライスコレクション展の屏風のほうが面白かったw

武:展示するのには金がかかるわけで、バカにしてるよ3万円とかって。


山:なんかまた荒れてきたなw とっとと次いこう。伊東豊雄(1941-)『うちのうちのうち』
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=837864 >

武:おもしろかったね。フラクタルすきすき。ハニカムはフラクタル。

山:多面体によるインスタレーション。実現する伊東ミュージアムの約1/2のスケールだそうです。

武:部分的に好き!=全体的に好き! フラクタル。

山:繰り返されるとなんで面白く感じるんだろう。

武:ルーチン? ミニマル? ループ?  イエス、フラクタル。

山:何言っとんのかわからんw えーと、なんやろ、幾何学空間に迷い込むような。映像的と言うのか。これね、最初の中村竜治さんもそうで、まあ模型やからやねんけど、素材はチープやねんな。紙とか、ビニールとか。それが良いと思った。で、武さんは他になんかありますかー?

武:俺、生きていけない可能性が高いなあとか、考えるので精一杯。


山:今考えんでもええやろw じゃあ、最後。アトリエ・ワン(塚本由晴:1965-/貝島桃代:1969-)『まちあわせ』
< http://japan.swamp-publication.com/?eid=837866 >

武:ああ! なんかすこし関係がある感じがするぞ! アトリエ・ワン!

山:これ最初、全然気付かんかったw  外にあるんやね。

武:「アトリエ・ワンは美術批判をしてる」って思ったんですよ。

山:ほう。

武:近代美術館の企画は美術館の内側ですよね、館内。でね、アトリエ・ワンはね、その外側に置きたかったんですよ、批判的に。「美術展ですよー」って言われた時に、「館内でやる必要性ないじゃん」的な。


山:ふむ。どうやらこの展覧会は、当初は「楽しい建築」というタイトルだったそうで、リーフレットには「(前略)いつのまにか「建築はどこにあるの?」になった。国立近代美術館が、「楽しい建築」というタイトルのもとに、建築物でもないインスタレーションや、大型動物の竹細工などを展示する美術館の姿勢には、建築家達の現在のアプローチを全面的に肯定する姿勢(共犯と言ってもいい)が感じ取れる。しかしそれが『建築はどこにあるの?』になった途端、建築家たちとは一線を画して突き放した感じになった。」とある。

武:俺が葛藤しちゃうのは、こういうアトリエ・ワンの姿勢は好きなんだけど、彼らは排除と思われてしまう建築もデザインしちゃうんだよ、宮下公園。
「宮下NIKEパークについての公開質問状」
< http://kaigi246.exblog.jp/10349071/ >
【特別寄稿】アトリエ・ワンへ公開質問状を出す/小川てつオ
< http://www.realtokyo.co.jp/docs/ja/column/opinion_report/bn/or_001/ >


山:「近代美術館が建築展を行うという、美術館行政の枠組みへの挑戦が理論武装を必要とし、結果、少し引いた構えになったのだろうか。」と。

武:「美術」って「建物の内側になくていいじゃん」っていうのと「入場料を払わなくても観る事出来るじゃん」ってのを提示したのがアトリエ・ワンだと思うよ。

山:なんか話が噛み合っとらんぞw

武:そういうアトリエ・ワンの思考って好きなんだけど、皮肉だなあと、つくづく思うよ。

山:そうですね。お、新たな事実発見。外での展示はキュレーターの指定だった模様。これね。アトリエ・ワン、インタビュー
< http://www.cinra.net/interview/2010/04/22/000000.php >


武:えっ!? そうなんだ!! 美術批判してなかったのか! むしろがっかりだ!

山:頼まれ仕事らしいでw リーフレットの文章では、美術批判と言うより、タイトル批判をしてるぞ。いや、行政批判なのか。

武:そうなのか。。。建築の世界には100%能動ってのはないのか? 建築って全て「受注」の中での「思想」だったのか? エリートが「アーキテクチャ」とか、どや顔で理論語ったとしても受注なのか? 受注ってさ権力構造から解放されることはないからね。

山:まあ受注しないとなかなか金にはならんやろね。

武:俺も受注制作しますけどね。食ってくために。権力には屈服しますからね。食ってくために。

山:食えてんのかいなw

武:【食いぶちはどこにあるの? 7つのインスタントラーメン】

山:で、酒は糖蜜ww

【建築はどこにあるの? 7つのインスタレーション】
< http://www.momat.go.jp/Honkan/where_is_architecture/index.html >
会場:東京国立近代美術館 企画展ギャラリー
会期:2010年4月29日(木)〜8月8日(日)10:00〜17:00 金20:00
※入館は閉館30分前まで
休館日:月曜日[2010年7月19日は開館]、7月20日(火)
観覧料:一般850円、大学生450円

【武 盾一郎(たけ じゅんいちろう)/コクってフラれました】
アーティスト活動歴15年目の初個展『Real FantASIA』来て、買って下さい!
< http://take-junichiro.tumblr.com/post/371808706/real-fantasia-press-release >
会期:7月9日(金)〜7月18日(日)11:00〜19:00 ※12日(月)休廊
会場:gallery TEN(東京都台東区谷中2-4-2)
< http://blogs.dion.ne.jp/blogten/ >

take.junichiro@gmail.com
twitter  < http://twitter.com/Take_J >
Ustream 制作ダダ漏れ配信
< http://www.ustream.tv/channel/Take-Junichiro-live-drawing >
Take Junichiro Art works
< http://take-junichiro.tumblr.com/ >
246 表現者会議
< http://kaigi246.exblog.jp/ >

【山根康弘(やまね やすひろ)/糖蜜のせいだ】
yamane@swamp-publication.com
twitter < http://twitter.com/swamp_jp >
SWAMP-PUBLICATION
< http://swamp-publication.com/ >