電網悠語:日々の想い[152]衝撃波(Shockwave)
── 三井英樹 ──

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星野之宣の作品に「超新星メギド」というのがある。超新星の爆発を発見した博士と地球との半生記だ。超新星の爆発は、光の第一波、X線などの目に見えぬ第二波、そして爆発の衝撃波とも言うべき第三波が地球を襲う。人類は、ただ座して死を待つのではなく、備え抗う道を選ぶ。そこに悲劇があり、友情があり、過酷な現実があり、未来がある。

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 ▼大いなる回帰 / 星野 之宣:MF文庫
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大きい画面で見たくて全体構成も大事という方は前者、とりあえず安くという方は後者、かな(あぁ早くデジタルで流通して欲しい......)。

最近はWebを想いつつ、この波状攻撃を思い出している。まばゆい光を感じた黎明期、今は余り語られなくなったけれどネット依存症などの暗部を多く語られた2000年前後、そして今。光も影もかすんでいない、厳然とここにある。そして、更なる波が見えている。



その波を衝撃波に関連つけるのは、「今」が決して平穏無事な状態じゃないからだ。光よりも闇よりも大きな衝撃がやって来ようとしているように感じている。ネットがあたりまえになり、情報が流れてあたりまえになりつつある今、何かが壊され、何かが再構築され始めている気がしてならない。


巨大なIT企業の社長が一般人とおしゃべりをして、その場で経営の方向性を決める。もちろん、常に諸々考えているからこそのアクションなのだろうけれど、数日後には進捗報告がなされ、新しい決まりや戦術が施行される。しかも、それが衆目の中で平然と行われる。躊躇することは悪なのだと言わんばかりだ。想っていることを全てさらけ出さなければ、このステージでは生き残れないのかと思わされる。アイデアと意見の通りのよさとともに、何か違和感を感じる。それは時代に乗り切れない者のヒガミなのかもしれないし、何かの警告かもしれない。いずれにしても、今までとはまったく違う道ができつつある。

そして、何より驚かされるのは、その息を呑むスピード。年単位の開発が、数ヶ月に縮まったのは序章にしかすぎなかったのか。Twitterでやりますと社長が言って、一週間で新サイトが立ち上がり、巨大電光掲示板上で新しいコミュニケーションがスタートする。社内外の壁はない。やろうと思い立ったときに、傍にいたものがそれを建て上げる。綿密なIA(情報設計)と無縁とは言わないが、緻密さよりも優先される何かがある。スピード、ライブ感、そんな言葉が浮かんでくる。あるいは、何かを建て上げる意思や覚悟があると言った方が適切かもしれない。リクルート社が賃貸系のサイトを、cgiも含めて数日で創り上げた逸話を越えるうねりを感じる。

意思決定者が猛進する以上、追従する者達も同じようなスピード感で進む。進まざるを得ない。その渦に巻き込まれるように、周囲の者達も同じ速度で回る。回らざるを得ない。パートナーとして選ばれた者たちには過酷な道が待っていることになる。でも、今までとは少し毛色の異なるデスマーチ。その進軍の後には、何かしらの歴史が残りそうな予感がある。


Webが「Webサイト」を意味するようになって久しい。でも、それが単なる部分しか示していないのは、学術的な部分でもよく言われていた。様々な技術が構成要素として存在し、「net」の厚みを織り成している。

でも、そんな次元でなく、Webは違う意味合いを強めている。今までとはまったく異なるエンジンに変わろうとしているかのように見える。情報流通エンジンから、ビジネスエンジンへ。もちろん、そんな傾向は前からあった。誰も慈善事業をしていた訳ではない。儲けがない畑に種を蒔く会社はない。でも、発注する部署からして異なり始めている。広報部でも情報システム部でもなくなっている。

ドラッカーは言っている、「イノベーションとは技術よりも経済に関わることである」。そう、技術的な革新に見えたものは、始まりにしか過ぎなかったのだろう。舞台は経済的効果の方向に変わりつつある。単サイトでの収益にこだわらず全体の効果を考えたり、通年での動向で判断がなされたり。短期決戦ではない「経営」という息遣いが、ネットに流れ込んできている。

既存メディアの衰退は明白だ。当事者達がどう強がっても、今のままでは、絶滅はないだろうが、衰退しかない。ROIの下がりようはここが一番なのだから。企業はメディア再興のために手を貸しはしない。利用と活用のみだ。自力再建しかない。そして、だからこそ、企業はWebに生き残りをかけた主戦場を求めざるを得ないのだ。既に実験は終わり、志ある企業は収穫の季節を迎えている。


さて、作り手にとって、この波はどうなのか。多分サイトを作ることがメインだった部分は、もっと部品的に考えられるんだろう。もっと大きな流れの中の一部。ネジ一本なのかもしれない。しかも、正しく作れてあたり前。正確に作れることに付加価値はない。間違ったらどやされるだけ。スピードも更なる改善が求められる。「無理ですよ」などという甘えは許されない。

見方によっては、ようやくプロフェッショナルという領域ができたとも言える。もはや誰も優しくしてはくれない。そして隙を見せたら、ここぞと根こそぎ奪われそうな戦場での日々に突入して行っている。

今が苦しいのは、リーマンショックが理由ではない。その辺りを境に、Webそのものの変化があらわになり、クライアント企業の姿勢が変わり始めたのだ。だから嵐が収まるまで身を隠していれば安全という訳ではない。心して豹変していかなければ、生き残れるはずがない場所で生きていかなければならなくなったのだ。

Web業界も土俵際に追い込まれている。これからも生き残れるのか、発言力を持って生き残れるのか、座して衰退を享受するのか、関わる全員が決断を迫られている。今までやってきたことを全て疑う時期とも言える。何を守って、何を捨てるのか、そういったレベルで生き残りを賭けるステージに突入した。

印刷業界に対して、視点を変えればもっとやりようがあるよねと笑ってられたのはもう過去の話だ。いまや電子書籍を抱えた出版業界がWebに対して、もっと視点を変えれば良いのにねと囁いているようにも思う。

Web屋は、html生産工場ではない。コミュニケーションの道を整備してきた者だ。いかに企業とユーザを結びつけるか、それをいかなる技術で達成するか、未だ見ぬ次世代の交流の原型や種を生み出す仕事をしてきたつもりだ。そして勝機もここにある、今までになかったことに十数年前に誰よりも早く自発的に取り組んでここまで来たのが我々だ。もう一回やればいいのだ、同じことを。

黎明期がビッグバンに例えられたが、今度の波はあれよりでかい。遥かにでかい。なぜなら、影響を受ける層が厚いからだ。技術革新の波ではない、企業やビジネスを軸とした文化革新の波だからだ。

意味深にも、衝撃波を英語では「Shock wave」と書く。若い人にはピンとこないだろうけれど、FlashもかつてはShockwave(macromediaからadobeに引き継がれた技術の総称)の一部として語られた時代がある。そして今、そのFlashを巡って争いが起きている。長年の同胞だった、AppleとAdobeの亀裂。ユーザを置き去りにした不毛な痴話喧嘩にも見えるこの戦いも、ある意味、崩れ始めたものの一部なのだろう。

何かが壊れ始めている。その動きは、最初の光の波よりも、見えない闇の波よりも、深く広く何かを変えようとしている。衝撃波が通り過ぎた後には何が残るのだろう。お楽しみはこれから、だ。心して、生き残ろう。

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