映画と夜と音楽と...[463]真情あふるる罵詈雑言/十河 進

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〈フォーエバー・フレンズ/殺したい女/女の子ものがたり/ぼくんち〉

●男たちの絆は冒険小説やハードボイルド小説で謳いあげられる

僕は恋愛ものの映画はよほどの出来でない限りは苦手なのだが、友情ものになると途端に涙腺がゆるくなる。特に男たちの絆が冒険小説やハードボイルド小説的に謳いあげられると、それだけでもう「いいなあ〜」としみじみと感動する。たとえば「さらば友よ」「仁義」「冒険者たち」などは男たちの友情譚である。男たちは、黙って相手のタバコに火をつけてやる。それだけで、相手に対する信頼や友情が確認されるのである。

もっとも、僕は男女を問わず友情話が大好きで、映画で言えばベット・ミドラーとバーバラ・ハーシーが主演した「フォーエバー・フレンズ」(1988年)は、女同士の友情が今も鮮明に記憶に残る映画になっている。その映画が日本で公開されたのは、1989年のことだった。もう20年以上も前のことだ。その年にヒットした洋画は「ダイ・ハード」「ニュー・シネマ・パラダイス」などだった。

「フォーエバー・フレンズ」では、最初にふたりの少女が出逢う。後にバーバラ・ハーシーになる少女はとても美しい。一方、縮れた赤毛で肥った少女は個性的ではあるが、あまり美人とは言えない。ところが、後にベット・ミドラーになるその少女がよくて、冒頭から物語に引き込まれるのだ。そして、生涯にわたるふたりの友情が綴られる。



ベット・ミドラーは、当時、絶頂期でこの映画のプロデュースもしているらしい。元々は歌手で、映画は「ローズ」(1979年)で初主演を果たした。これは「サマータイム」の絶唱で有名なジャニス・ジョプリンをモデルにした作品で、若くして死んだジャニスの生涯を物語ったものだった。その後、ベット・ミドラーは「殺したい女」(1986年)など歌とは関係のない役でも出演する。

「殺したい女」は僕が初めてダニー・デビートを見た映画で、これは大いに笑わせてくれた。貧しく気のいい若い夫婦が金持ち女(ベット・ミドラー)を誘拐し、夫(ダニー・デビート)に身代金を要求するが、妻が死んでほしいと願っていた夫は、身代金を払わず誘拐犯に妻を殺させようとする。金持ちのイヤミな女を演じたベット・ミドラーが凄まじく、誘拐犯の夫婦は辟易するという笑いっぱなしの映画だった。

「フォーエバー・フレンズ」のベット・ミドラーは自分の得意な世界に戻り、成長してロック歌手として成功する役を演じている。彼女は自立心の強い、ひとりで生きていける女である。一方、美人役のバーバラ・ハーシーは男たちにちやほやされるせいか、男に頼って生きる女になる。結婚して幸せを得ようとするのだ。ふたりは仲違いしたり、仲直りしたりしながら、それぞれの人生を生きていく。

いろいろあったふたりだが、ラストに至り、バーバラ・ハーシーの遺志をベッド・ミドラーが引き継ぐ決意をするシーンで、僕はグッときた。自立する生き方をしてきたベッド・ミドラーは、対照的な生き方をしてきたバーバラ・ハーシーの遺したものを引き継ぐことで、新しい女性の生き方を提示する。彼女が親友の遺したものを引き継いだのは、単なる感傷からではない。友の生きてきた証を受け継ごうとしたのだ。

●女同士の友情映画なら「女の子ものがたり」と答えるかも

今までは、「女同士の友情映画は?」と訊かれたら「フォーエバー・フレンズ」がすぐに頭に浮かんでいたが、昨年公開された「女の子ものがたり」(2009年)を見て、今後はこちらの映画が浮かぶかもしれないな、と思った。西原理恵子の原作を映画化したものだ。僕は西原さんのマンガを読んだことはほとんどないのだが、映画化された「ぼくんち」(2002年)を見て感心したことがあり、気になるマンガ家ではあった。

「ぼくんち」では、男の子が銭湯に駆け込んできて、「ぼくんち、貧乏!」と叫びながら番台を走り抜けるシーンが印象的だった。貧乏だから金を払えないということを、その言葉に込めているのである。そして、そんな子どもたちを許している周囲の世界にも、僕は共感できた。明るい貧乏...、「ぼくんち」を見ていると、そんな言葉が浮かんでくる。変な人ばかり登場する映画だが、ヒロイン(観月ありさ)のたくましさが希望を感じさせてくれた。

生きていくのは大変だ。しかし、うじうじと悩んでいても仕方がない。鬱々としていたら、暗くなるだけ。死にたくなるだけだ。どうせ生きていかなきゃならないのなら、金がなくても前向きに生きていこうというメッセージが伝わってきた。映画を見る効用のひとつは、映画によって力づけられ明日からも生きていこうと思わせてくれること、と僕は思っている人間だが「ぼくんち」はまさにそういう映画だった。

現実のきびしさを認識したうえで、「それでも生きていこう」と思う楽天的なニュアンスがそこにはあった。「毎日かあさん」などを少し読んだだけの印象だが、西原さんの原作の雰囲気が映画化された「ぼくんち」にも生かされているのだろう。そういう意味では、「ぼくんち」はマンガ的な部分を生かしたコメディタッチだった。一方、「女の子ものがたり」は笑える要素はあるものの、かなりシリアスな物語である。

若い男が、古い造りの一軒家を訪ねる。「誰もいませんか」と戸を叩いていると、「いないよ」と背後からぶっきらぼうな女の声が答える。小犬を連れた、その家の主だ。男が「編集の...」と自己紹介すると、「どこの会社?」と女(深津絵里)はひどくそっけない。若い男は女を「先生」と呼び、女がマンガ家であることがわかる。

女の部屋はひどく散らかっている。ビールの空き缶や食べ物の包装紙など、編集者が思わず片づけたくなるほどだ。そのマンガ家は昔は人を感動させる作品を描いたが、今はかなり荒れた状態にあるように見える。編集部からの売れるマンガを...という要望を言い訳にして、つまらない恋愛マンガばかりを描いているらしい。

編集者が「三角関係で、男が事故死...。よくある話ですよね」と言うと、「難病で死ぬことにしてもいいよ」と自作に対するこだわりもない。今はマンガを描く喜びもないのではないか、そんな風に見える。編集者が昼過ぎに訪ねると、酒臭い息で起きてきて「さっきまで飲んでた」と言い、仕事は少しも進んでいない。彼女は長い人生に倦んでいるのだろうか。

若い頃、彼女はマンガ家になる夢を抱いていたに違いない。力を込めた作品を描いていたはずだ。編集者が「15のときに初めて先生の作品を読んで感動しました。少女マンガで感動したのは初めてです」と言うと、その作品のタイトル「心の中の不思議なタンス」を「ココタンね」と省略してつぶやき、「全然、売れなかった。知ってて言ってるの」と、かなりひねくれている。彼女は何かを失ったのだろうか。大人になってしまったことで...

●悲惨な環境を積極的に受け入れ明るく笑い飛ばす生き方

マンガ家の回想が始まる。小学生のとき、少女ナツミは愛媛のある田舎町に引っ越しをする。母親が再婚した新しい父親と一緒だ。引っ越しの日、邪魔にされた彼女はひとりで近所をブラブラと歩き、原っぱで遊んでいるふたりの少女キミコとミサに出逢う。拾った子猫を仲介にして、三人は仲良くなる。

いつも汚れた服を着ているキミコと貧乏なミサは、クラスでも虐められている存在らしい。それでも、ふたりは明るい。キミコはシングルマザーの母親を面白おかしく話すし、暴力的な父母を持つミサはことさら明るく振る舞っているようだ。まだ子どもである彼女たちは、自分たちの環境を受け入れざるを得ないのだから、それを積極的に受け入れようとしている。

やがて彼女たちは高校生になり、卒業するかしないうちに大人の世界に放り出される。ナツミの父は事業に失敗して死に、ミサの両親は兄が起こしたひき逃げ事件を隠蔽しようとして逮捕される。ミサはまだ小さな妹と弟を抱えて、大人として生きていかなければならなくなる。しかし、自分の悲惨な境遇を笑い飛ばすことで生きてきたミサは、どんなひどい現実に対しても明るいのだ。

高校時代、ヤクザのような男に憧れる傾向のあったキミコは、卒業して早々に結婚するが、その相手もすぐに妻を殴るような男だ。キミコは、いつもアザを作っている結婚生活を送りながら、「私、不幸じゃないよ」とナツミに言う。それは、単なる強がりとも思えない。子どもの頃から不幸な環境に自分を慣れさせてきたキミコやミサは、男に殴られる生活も「そんなものだ」と受け入れているのだ。

キミコの新婚家庭にナツミとミサがお祝いにやってくる。キミコは顔にアザを作り、ミサは男に殴られ頭に怪我をしている。ミサはナツミに一万円を借り、「これで今日は殴られんですむわ」と笑う。ナツミは、そんなふたりが理解できない。部屋を飛び出したナツミをキミコが追う。そこは子どもの頃、遊んでいたキミコとミサに初めてナツミが出逢った場所だった。

──うちは不幸やなんておもてへんよ。夢があったら幸せで、なかったら不幸か。えーやん、そんなん。どーでも。...私はあんたらとは違うとおもてるやろ。

──おもてる。おもてる。私は、あんたらみたいな人生おくりとない。男に殴られて、言いなりになって、それでなんで幸せなんよ。

突然、キミコがナツミを突き飛ばす。ナツミは戸惑う。しかし、ナツミも売り言葉に買い言葉のように答え、ふたりは大喧嘩になる。殴り合い、水たまりに倒し、互いにやり場のない激情をぶつけ合う。ミサがやってきて仲に入ろうとするが、彼女も巻き込まれる。頭をおさえて「脳みそ、出そうや」とつぶやき、ナツミが笑みを漏らす。それをキミコは「なんもおかしない」と睨み付ける。

──あんたなんか、この町から出ていけ。あんたなんか友だちでも何でもない。顔も見たない。あんたは、うちらとは違うんや。こんな奴は友だちと違うんや。この町から出ていけ。もう帰ってくるな。

このシーンのキミコのまなざしの真剣さが、僕の心を震わせた。きつい言葉だ。ひどい罵りである。だが、その言葉を口にするキミコのまなざしが、ほんの少しの表情の変化が、目を伏せるようなわずかな仕草が...、キミコの真情を伝えてくる。どんな罵詈雑言でも、その言葉を相手がどんな気持ちで口にしているのか、で伝わってくるニュアンスは違う。僕は、こんなに友情にあふれた拒絶の言葉を聞いたことがない。

「女の子ものがたり」は、西原理恵子版「ニュー・シネマ・パラダイス」である。また、夢を抱いていた頃の自分を甦らせたヒロインがラストに見せる希望に充ちた表情は、「フォーエバー・フレンズ」に近いものがある。親友が遺したものを継ぐことを、彼女は誓ったのだろう。

男女を問わず、友情をテーマにした作品が僕の琴線に触れるのは、何の打算もなく相手のことだけを一心に思う真情が描かれるからである。かつて僕にもそんな友がいたのだ、自分はそんな友情にあたいする幸せな人間だったのだ、と回想できるとしたら本当にステキな人生だと思う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

初夏のスーツを買いにいった。昨年までのスーツがどれもぶかぶかになったからだ。昨秋、合い物を買いにいったときにA5体になっていて驚いたが、今回は、ウエスト79センチのスーツがぴったりだった。もっとも、僕の歳でこれだけ痩せると、周りから心配されてしまうのが、困りものだ。

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09」が新発売になりました。
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