ショート・ストーリーのKUNI[79]快楽/ヤマシタクニコ

投稿:  著者:  読了時間:10分(本文:約4,500文字)


彼はとても疲れていた。なのに仕事帰り、改札口から見えた看板に吸い寄せられるようにその店に立ち寄ったのは、ある種のなつかしさからなのか。
「***電気」という名前が大きく、彼の頭の上で輝いていた。

「こんなところにこんな店ができてたんだ。全然気づかなかった。何せ会社と家の往復で精一杯だから」

それにしても家電ショップなんてしばらく入ったことないなと思いながら、彼は店内に入った。最近はなんでもネット通販ですませていた。さほど広くない店内はぴかぴかのテレビや様々な再生機器、レコーダーなどの製品で埋め尽くされ、どのテレビ画面でも同じ女優がゆっくりとほほえみ、うなずいては濃い口紅の唇を動かしてしゃべっていた。でも音量が抑えられていて何をしゃべっているかわからない。

「何かお探しですか」
いつのまにか店員が近寄っていた。
「あ、別に。何も」
「いかがです。最近はモバイルも進化の一途でしてね。こちらの商品でしたら、どこでもネットができるしゲームもビデオも楽しめます」

店員は薄くて持ち運びも簡単そうな、新しい端末を手に取って見せた。スマートな形。指先ひとつで画面がどんどん変化する楽しさ。ほしいと思った。パソコンはすでに持っている。会社でもパソコンを使わない仕事は考えられない。

だが、仕事を離れれば、コンピュータのゲームどころか、テレビも今の彼には見る時間がなかった。家にあるのは前世紀に買った21インチのもので色の調子も悪かったが、ほったらかしだった。どうせ時間がないのだ。彼には家に帰ってからも、しなければならないことがたくさんあった。



「確かにすてきだと思う。でも、いいよ」
「当店ならこれくらいですが」
店員は電卓をささっと操作して、彼の目の前に差し出した。妙になつかしいシーンだ。いまどきこんな店もあるのだ。
「安いな。でも......」
店員は間近で彼の顔をのぞきこんだ。まるで大切な友の身を案じるように。そして店の別のコーナーに誘った。

「あちらは最新型のテレビです。とはいいましても、いまはテレビとパソコンの融合型が主流です。一台でテレビ番組も自由に見られるし、インターネットも思いのままです。お好みのアプリケーションをどんどんダウンロードして使うこともできます。雑誌や新聞を読むこともできます。テレビの多チャンネル契約もご購入と同時にできます。ご存じとは思いますが、いまは300ものチャンネルがありまして。お好きなチャンネルを選んで視聴できます」
「そうらしいな」

彼は会社での同僚との会話を思い出した。評判のテレビ番組、売り出し中のタレント、はやりの曲、だれかが熱中しているゲーム、まんがの登場人物、なんだかわからないが「すごい」とうわさのサイト。

彼にわかるのはほんの一部だけだった。もともと無口な彼が、最近はますます無口になっている。別にかまわない、と開き直れたらいいのだが、会社では商品開発の部署におり、消費者の動向や新製品の情報も積極的に得ていく必要があった。

「消費者の好みもわからずに商品が作れると思うな」
「いま、大衆が何を求めているか知ることだ」
「簡単なことだ。君だって消費者だろ」
上司の言うことは、あたりまえすぎるほどあたりまえだ。しかし、時間が足りない。

店には彼の他に客はいないようだ。がらんとした店内で、ばくぜんとした違和感を感じていると
「いかがでしょう。当店では他店にないサービスも実施しておりますが」
「視聴料が向こう3か月割引とか? それともマスコット人形でもおまけにつけてくれる?」
「いえ、そうではありません。時間をおまけするので」
「時間?」

「はい。さまざまなサービスを享受しようにも、現代人は時間が足りません。忙しすぎるのです。そこで、当店では時間クーポンというものを始めました。このクラスのテレビですと、一日あたり1時間、視聴のためにサービスさせていただきます。こちらの高機能テレビですとお値段も張りますが、時間クーポンは一日3時間」

「テレビをゆっくり見られる時間を一日3時間もらえると? 冗談だろ」
「いえ、冗談ではありません」
「できるわけないじゃないか」
「いえ、できるのです。くわしいことは企業秘密で申し上げられませんが、まあ、そうですね。時間を有効に使えるようになる、と言えば納得していただけるでしょうか。一日はだれにとっても24時間ですからね」

なんだ。比喩のようなものか? 錯覚を起こさせるだけかもしれない。ちょっとあやしげではある。だけど、時間がない、ということをわかってくれているというだけで何となく好感が持てるような気がした。やみくもに売りつけるだけの店よりは。

それから彼は学生時代に先輩が言ってた言葉をひさしぶりに思い出した。
「時間がないないと思っていても、そんなことはない。時間はつくれるんだ。心がけ次第なんだ」

そうかもしれない。忙しい忙しいとぼやいている間にもっと効率のよい仕事の進め方を考えるべきかもしれない。しなくてもいいことをしているかもしれない。どんどん流されるより、立ち止まって考える時間も必要なのだ。新たな時間を生み出すためにも。ああ、そうだ。今日この店に入ってみたのも、自分の中に「何とかして変えたい」という気分が充満していたからかもしれない。時間も、チャンスも、自分でつくるものかもしれない。

彼は思い切って上から二番目に高価なテレビの購入と、多チャンネル放送の契約を申し込んだ。「一日3時間の時間クーポンつき」だ。一番高い商品を選ばなかったのが自分らしいと思った。店内のテレビ画面の女優がいっせいに長いまつげの目を伏せ、花びらが開いて閉じるように笑った。「それでいいのよ」と言われたような気がした。

商品は一週間後に届くことになった。その間に、彼は100kmほど離れた土地での一泊二日のセミナーに参加するよう言われた。
「セミナー?」
「はい。時間を有効に使っていただくためのセミナーなんです。時間クーポンを使うにはこのセミナーに参加していただくことが条件なのです」
「なんだ。やっぱり、自己啓発セミナーみたいなものなんだな。まあいいよ。参加無料なら。土日を利用して参加するよ」

乗りかかった船、といった気持ちで参加したセミナーは、特にどうということもなかった。いまの生活を見直そうとか、日々のスケジュールを書き出してみようとか。それでもまあ旅行気分で、なんとなくリフレッシュした気分にはなれた。研修施設は緑深い山の中にあり、日常をしばし忘れることができた。夜はふだんより早めにぐっすり眠った。セミナーを終えて家に帰ると、見慣れた自宅がどこか変わったように見えたのは、われながら単純だなと思ったが。

そして、テレビが届いた。ひさしぶりにゆっくり見る最新式のテレビは画面が大きいだけでなく、おどろくほど精細だった。CMも思わず見とれる美しさだ。大きいけれど薄型なのでスペースもそれほど取らない。チャンネルは彼にとっては無限にあるようなもので、とりあえず釣りのチャンネルを選んだ。飽きると経済ニュースのチャンネルに変えた。時代劇専門のチャンネルやDIY専門チャンネルもあった。彼はどんどんチャンネルを変えては見ていった。

テレビってこんなにおもしろいものだったんだ。彼はたちまち夢中になった。彼は毎日、会社から帰るとテレビをつけて、見た。なんだ。時間がないなんて思ってたが、実際はあるじゃないか。何の支障があるんだ。要は「その気」になるかどうかなのだ。やっぱり。

テレビに飽きるとネットのSNSサイトで遊んだ。仲間からおもしろそうなゲームに誘われ、それもやってみた。「なんだかよく遊んだ。ひさしぶりに楽しかったなあ」彼は遊び疲れてぐっすり寝た。翌朝もまだ興奮の余韻を残したまま出勤した。同僚から「なんだか楽しそうですね」と言われた。

そんな日が、ずっと続いた。

ある日、彼はかつての同僚でいまは別の会社に移った男と駅で出会った。思わず自分から声をかけた。
「だれかと思えば、Tくん」
「ああ、ひさしぶりです」
「元気そうじゃないか」

それは社交辞令ではなかった。以前はもっと、なんとなく陰のある感じだったのが明るくなった。それは見た目にも口調にも表れていた。

「え? そうですか。まあ、おかげさまで。最近なんというか、楽しくやってますよ」
「それはいい」
「ええ。あ、最近テレビ買い換えたんですよ。そうそう、おもしろい番組があるんですよ、えっと、なんだったかな」

Tはいかにも楽しそうに、番組表を携帯で探し始めた。次々に繰り出される画面をつい横からのぞき込むと、犬の画像が見えた。真っ白のマルチーズだ。
「かわいいな、それ」
「え? ああ、これ、ねえ...」
Tは妙な表情をした。頭の中のどこか、ありもしない何かを探しに行くような。
「なんでこんなものがあるのかわからないんですよ。犬なんて興味ないのに」
「え」

彼は思わずTの顔を見た。その犬の写真は見たことがある。Tの愛犬で、彼の部署にいたころ、Tは毎日その犬の世話にかかりっきりだった。犬のおかげで旅行にも行けないとこぼしていたが、でもTは子どもの頃から犬が大好きだとも聞いた。

「犬...きらいだっけ」
「どっちかというと、そうですかねえ。なのに、なんで...だれかがこの携帯を操作してこんな画像を入れたとすると不気味ですよね」
Tの表情は冗談を言ってるとも思えず、彼はなんとなく話題を変えた。

彼は家に帰り、いつものように着替えを済ませるとすぐテレビをつけた。たちまち彼はテレビ画面に夢中になった。時計が10時を示し、そろそろ入浴でもと、着替えの下着を取りに寝室に行った。

部屋の灯りをつけたとき、部屋の隅、たんすの陰に何かが見えた。なんだろうと思って手を差し入れ、引きずり出した。出てきたのは大人用の紙おむつの包装紙、らしかった。なんでそんなものがあるのか、彼にはさっぱりわからなかった。

そういえば、机の引き出しの奥の方に一枚の写真を見つけたことがある。彼にどことなく似た年老いた女がベッドに横たわり、彼がそのそばの椅子に座っている写真だ。

あの女はだれなんだろう? うっすら口を開けたその女の表情は何かが崩壊したような、精神を病んでいる人のそれのようにみえた。でも、考えようとすると頭の芯が拒絶反応を起こし、ずきずきと痛んだ。まるで、そのことを考えるためのパスワードをなくしたように。

彼は考えるのをやめ、またテレビを見始めた。このテレビ専用のアプリというものもあって、ダウンロードすればすぐに使えると聞いている。費用が明示されていないのが気になるが、一度やってみようか。もっともっと楽しい世界が開けるかもしれない。楽しみだ。なぜ今まで、こんな生活ができなかったんだろう? 以前の自分は何を...いや、それはどうでもいいことだ。

彼はなぜか以前より広くなった部屋の真ん中でソファに身を沈め、うっとりとテレビに見入った。そうだ。時間クーポンがもっとあればなあ。時間がもっと、ほしいなあ。

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