[2855] 諸行無常の響きが聞こえる

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《俺、こんなにモテたの初めて!》

■映画と夜と音楽と...[464]
 諸行無常の響きが聞こえる
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[464]
諸行無常の響きが聞こえる

十河 進
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〈めぐり逢えたら/ユー・ガット・メール/ゴッドファーザー/ゴッドファーザーPARTII/ゴッドファーザーPARTIII〉

●アメリカ人にとって「ゴッドファーザー」は古典なのかも?

ノーラ・エフロンの脚本・監督、メグ・ライアンとトム・ハンクスのゴールデン・コンビの主演と言えば、主人公たちがすれ違ってばかりで、最後にようやくエンパイヤステート・ビルの屋上で出逢う恋愛映画の快作「めぐり逢えたら」(1993年)が有名だが、この三人は「ユー・ガット・メール」(1998年)で再びチームを組んでいる。

ヒロインのメグ・ライアンはニューヨークで小さな専門書店を開いていて、ある日、近くに大型書店がオープンする。その書店チェーンの経営者がトム・ハンクスである。彼と彼女は商売敵なのだが、ふたりは以前からネットで知り合ったメール友だちなのだ。

しかし、ハンドルネームなので互いに相手の正体は知らない。現実の世界ではケンカをしているふたりが、互いに相手の悪口をメル友に発信する。昔のハリウッドのラブ・コメディを思い出させる、粋なシチュエーション・コメディだった。

その「ユー・ガット・メール」の中で、トム・ハンクスが「ゴッドファーザー」(1972年)のセリフをしきりに引用していた。まるで、イギリス人が日常会話の中にシェークスピアを引用するような感じだった。つまり、アメリカ人にとって「ゴッドファーザー」は、日本人の歌舞伎やイギリス人のシェークスピア劇のような存在になっているのだろうか。そんなことを感じた。

昔、日本人のほとんどが知っているフレーズがあった。それは浪曲だったり、歌舞伎だったり、大衆演劇のセリフだったりした。そうしたフレーズは映画化されて、さらに広がった。たとえば「旅ゆけば、駿河の国に茶の香り」「寿司食いねえ、神田の生まれだってねぇ」とか、「こいつぁ春から縁起がいいわい」「しがねぇ恋の情けが仇」とか、「せめて見てもらう駒形の土俵入りでござんす」などである。

同じようにイギリスでは、シェークスピアのフレーズがよく引用される。「我らが不満の冬も去り」とか「尼寺へいけ」とか、イギリス人なら知っているフレーズはいっぱいあるようだ。最も有名なのはハムレットの「生きるべきか死ぬべきか」だとは思うけど、海外の小説を読んでいると自然な流れでシェークスピアが引用されていたりする。

歌舞伎やシェークスピアやラシーヌなどの古典演劇を持たない新興国アメリカでは、ハリウッド映画がその役割を果たしているのかもしれない。「ゴッドファーザー」は1972年の第一作の後、二年後に「ゴッドファーザーPARTII」が公開になった。それから「ゴッドファーザーPARTIII」(1990年)が制作され、結局、二十年近くかかって壮大なサーガが幕を下ろした。

少し前のことだが、「キネマ旬報」が映画史上のベストテンを発表したという囲み記事が朝日新聞に載った。外国映画部門のベストワンは、「ゴッドファーザー」だった。三十年ほど昔に、やはりキネマ旬報が映画史上のベストテンを特集したときには「2001年宇宙の旅」が洋画部門の一位だったから、ずいぶんと変わったものである。

●コッポラ・ファミリーの「ゴッドファーザー」シリーズ

「ゴッドファーザー」はコルレオーネ家の物語だが、その映画制作に関してはコッポラ一族の物語でもある。「ゴッドファーザー」シリーズには、コッポラ監督の妹タリア・シャイア、父親カーマイン・コッポラ、娘ソフィア・コッポラが協力した。また「PARTIII」でアンディ・ガルシアが演じた役は、最初はコッポラ監督の甥のニコラス・ケイジが演じる予定だったという。

タリア・シャイアは「ゴッドファーザー」第一作では暴力的な夫を持った末娘役であまり目立たないのだが、PARTII、PARTIIIと歳を重ねて重要な存在感を示すし、一作目のラストシーンで洗礼を受ける赤ん坊で出演したソフィア・コッポラは、PARTIIIでは従兄弟と恋に落ちるマイケル・コルレオーネの娘を演じ、重要な役を担った。

マリオ・プーゾォの「ゴッドファーザー」は、アメリカのベストセラーリストの上位に長くとどまった。やがて早川書房から分厚いハードカバーの翻訳本が出て、その映画化作品は完成する前から話題になっていた。完成するとマーロン・ブランドの老け役のメイクや、マフィアの残虐な殺しの場面などが話題になり、日本公開前からテレビでは様々なシーンが紹介された。

スキャンダラスな話題としては、落ち目の歌手がゴッドファーザーに「あの役をとれればカムバックできる」と泣きつき、マフィアの弁護士が映画プロデューサーに話にいくエピソードが紹介された。プロデューサーは、けんもほろろに歌手の出演を断る。すると、翌朝、プロデューサーが目覚めると、切断された愛馬のクビがベッドの足元に投げ込まれているのだ。

テレビの情報番組の司会者たちは、「あれは、フランク・シナトラがモデルなんですよ」と得意そうに言ったものだ。もっとも、その映画が1953年に制作された「地上より永遠に」(「ここよりとわに」と読みましょう)であり、アメリカの代表的な戦後文学を原作とした作品であることなどは語られなかった。シナトラはこの映画でアカデミー助演男優賞を獲得して復活し、その後、大スターとして生涯をまっとうした。

そんな風に、「ゴッドファーザー」は公開前から多くのメディアで露出され、僕はマーロン・ブランドが含み綿をしているというドーデモいい情報と共に、ストーリーもほとんど知ったうえで「ゴッドファーザー」を見に出かけた。大学二年の夏休みのことだった。オイルショックが起きる一年前の夏、日本はまだ高度成長の中にあった。

ちなみに、「ゴッドファーザー」の大ヒットを受けて、東映では「日本版ゴッドファーザーを作ろやないか」という気運が盛り上がった。彼らは「ゴッドファーザー」はマフィアの殺しのシーンがリアルに描かれていることや、物語が事実に基づいていることなどが、大ヒットしたファクターだと考えたのだ。

それを日本でやるとしたら、「ヤクザの実録もんや!」と大物プロデューサーは叫んだ。そして、当時、週刊誌連載中だった飯干晃一の「仁義なき戦い」に白羽の矢が立った。その結果、大急ぎで制作された「仁義なき戦い」は「ゴッドファーザー」とは似ても似つかぬものになったけれど、翌年の正月映画として公開され大ヒットした。

前述の「キネマ旬報」映画史上ベストテンの邦画部門で、「仁義なき戦い」は五位に入っている。イタリア・マフィアの抗争を描いた映画と、その映画に影響されヒロシマ・ヤクザの血なまぐさい権力闘争を描いた映画が、映画史上で高く評価されていることが僕には納得できる。映画は、その始めからアウトローたちを描き続けてきた。そして、アウトローを描くことで、人間そのものを描いてきたからだ。

●マイケル・コルレオーネの人生がすべて描かれた

「ゴッドファーザー」シリーズを見ると、三代にわたるコルレオーネ家の歴史が描かれるのだが、その中心にいるのはマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)である。彼の人生がすべて描かれていると言ってもいい。ヴィトー・コルレオーネは偉大なドンとして登場し、PARTIIでは少年期からのいきさつが描かれるが、ヴィトーの人生は第一部で終わっていた。

もっとも、ヴィトー・コルレオーネの前史としてPARTIIで描かれた部分も印象深い。僕は幼いヴィトーが父と兄を殺したドンの手を逃れて移民船に乗ってアメリカへ向かい、その船上で自由の女神を初めて見るシーン、エリス島の移民局で隔離室に入れられ、その窓から遠くに小さく自由の女神が見えるシーンなど、見返すたびに込み上げてくるものがある。

「ゴッドファーザーPARTIII」が愛娘の死を嘆きながら年老いて死んでいくマイケル・コルレオーネの姿で終わり、それ以降、作られていないのはマイケルの死によって、物語が完結したからだ。甥のビンセント(アンディ・ガルシア)にドンを譲ったマイケルは、落ち着いた心休まる日々を望んでいたのだろう。しかし、彼には最大の悲劇が待っていたし、そのことを悔いながら死を迎えるしかなかった。

最初、マイケル・コルレオーネは、若き戦争の英雄として登場する。純粋な青年である。クリスマスも間近な日、恋人ケイ(ダイアン・キートン)と肩を寄せ合ってニューヨークの街角を歩いている。そのとき、新聞スタンドを見て父親のヴィトーが襲われ、何発もの銃弾を浴びて重体で病院に運び込まれたことを知る。そこから、彼の人生が狂い始める。

コルレオーネ家には長男ソニー、次男フレドー、三男マイケル、末娘のコニー、それに兄弟同様に育った弁護士のトム・ヘイゲンがいる。しかし、ドンである父親が襲撃される非常事態の中、勇気があり、考え深く冷静で、決断力があるマイケルが次第に組織を担うことになる。彼は家族を愛していたが、組織のドンを継ぐつもりはなかった。それが、父親の報復のために自ら警官を含めたふたりを射殺し、コルシカ島に逃げる。

そこで見初め結婚した娘は、マイケルを狙って車に仕掛けられた爆弾によって死ぬ。彼は、否応なくマフィアの抗争に巻き込まれたのだが、やがて自ら望んで父親の跡を継ぐことを決意する。ニューヨークに戻ったマイケルは組織のドンとして、非情で恐ろしい顔を見せるようになる。再会したケイと結婚するが、ケイは夫のマフィアのドンとしての顔になじめない。

やがて時期がきたと判断したマイケルは、かつての敵たち、裏切った身内たちを殺し始める。もちろん、もう自らの手は汚さない。手下たちに命じるだけだ。敵たちは容赦なく殺され、マイケルは妹の夫さえ裏切り者として処刑する。それを知ったコニーは泣き叫ぶが、マイケルの表情は冷たく変わらない。そんな血にまみれた手で生まれたばかりの娘を抱き、マイケルは洗礼式に出る。

●どんな人の人生にも孤独や愛や悲しみや苦悩は訪れる

「ゴッドファーザー」シリーズは、基本的に同じ構成をとる。祝祭シーンから始まり、そのパーティの裏側で生々しい訴えや取引が描かれる。組織間の抗争、裏切りや襲撃があり、ラストシーンは再び祝祭である。そのラストの祝祭シーンの間に、様々な殺戮がインサートされる。洗礼を受ける赤ん坊の次に、マッサージを受けているマフィアのボスの眼鏡を砕いて眼球に銃弾が撃ち込まれるシーンが描かれるといった具合だ。

PARTIIも、マイケルの授章式のパーティから始まる。湖岸の屋外パーティだ。マイケルは実業家として、政財界の重鎮たちとも深く付き合っている。しかし、その夜、マイケルとケイの寝室に機関銃弾が撃ち込まれる。誰が裏切り者なのか。マイケルは絶対権力者の顔を見せて、部下たちを叱りつけ、真相を探らせる。容赦なく殺しを命じる。彼は、冷酷な男になっている。ケイはそんな夫に「化け物」という言葉を投げつけ、家を出ていく。

マイケルは、裏切り者が誰だったのかを知る。次兄のフレドーである。長男ソニーは、抗争相手のマフィアの殺し屋たちに車ごと蜂の巣にされて死んでいった。たったひとり残った兄フレドー。マイケルは一度は許す。しかし、根に持つタイプのマイケルは、結局、部下に命じてフレドーを殺させる。フレドーに懐いていたマイケルの息子アンソニーは何も知らず、「叔父さんはどこ?」と無邪気に尋ねる。

1990年代に入り、コルレオーネ・ファミリーは巨大コングロマリットになり、コルレオーネ財団を設立する。その財団の理事長に娘メアリーを据えたマイケルは、大パーティを催し一族が集まってくる。その中には招待されなかった、ソニーが愛人に生ませた息子ビンセントがいた。やがてメアリーはビンセントと恋仲になる。

マイケルが、後に法皇になるヴァチカンの司教に告解をするシーンがある。マイケルは多くの人を殺させたことを告白し、さらに「愛する父の息子、愛する母の息子である、兄のフレドーを殺させた」と口にする。マイケルは初めて、何かから解き放たれたような表情になる。

それはフレドーを殺した銃声が遠く湖の上から聞こえてきたのを、湖畔の屋敷の窓越しにじっと耳をすますかのように凝視していたマイケルの姿からは、遠く離れたものだった。権力者の孤独...、多くの人を殺し、自分の目的を実現し、恐怖で支配し、権力を手にした男の深い孤独が、あのときのマイケルからは漂っていた。

しかし、兄殺しを告解する年老いたマイケルからは、自分がその地位にいたからそのように生きてこなければならなかったのだという悲哀と悔い、そして諦念が漂う。自分がマフィアのドンの息子ではなかったら、こんな生き方はしなくてすんだのではないか。糖尿を患い、躯もひどく弱っている。ドンの地位も甥に譲るつもりだ。

心穏やかに暮らすことが、おそらく彼の唯一の願いである。しかし、悲劇が彼を襲う。その悲しみを抱えたままマイケルは年をとり、父親のヴィトーと同じように、枯れ木に残っていた最後の生命の灯が消えるように死んでいく。風が吹く。彼には何も残っていない。その長い長い物語の果ての死を見たとき、僕は「平家物語」の冒頭のフレーズを思い浮かべた。

  祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響きあり
  沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕わす

マイケル・コルレオーネの人生は特殊なものだ。しかし、彼が抱えた孤独や愛や悲しみや苦悩は、どんな人の人生にも訪れる。生涯抱えるような罪の意識も、誰かを怨み続けるような想いも、深い悔恨も...、どんな人もそんな重荷を抱えて生きている。そんな人生のコアが描かれているから、「ゴッドファーザー」に多くの人々が魅せられるのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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久しぶりに大規模なジンマシンが出て、翌日、医者で注射をしてもらったが、ひどく眠くなっただけで、一週間経ってもジンマシンが引かない。あちこち場所を変えて出没する。どうやら慢性になってしまったのか。看護婦さんに「疲れてるのよ。仕事、大変なの?」と訊かれたのが印象的だった。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![118]
セーラー服にヒゲ三つ編みでぶいぶい言わす

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小心者の私は、まだセーラー服を着て新幹線に乗る勇気はない。なので、京都へはセーラー服持参で行った。京都駅のコンコースに修学旅行の中学生や高校生があっちに100人、こっちにまた100人と整列している横を、セーラー服姿の私が5月の風のようにさわやかに歩き抜ける、なんて図を想像すると、わくわくしちゃうんだけどね。

妄想スイッチ、オン! どう反応してよいか困って唖然とする制服集団。かわいく微笑み、手を振る私。それをキューに、とりあえず撮っとけー、とケータイのカメラを一斉に構える少年少女。慌てる引率の先生たち。修学旅行とは学を修める旅行、教育の一環として京都までわざわざ連れてきたというのに、教育に悪そうなもんにのうのうと闊歩され、ウチの純な生徒たちの思想を穢されてたまるかぃ! 捕まえて一言言ってやる!

ケツまくって韋駄天走りで逃げ去る私。いやいや、外の世界は広いんだなー、と勉強するいい機会になるかもしれないし、ああいう大人になりたくないと思うなら、どういう大人になりたいか自分の頭で考えるいい機会になるかもしれないし、教育にそれほど悪くはないと思いますよーーーん。......ってなことが実際にできたらさぞかしスカッとすんべぇ、と思うのだが。

なかなかできない引っ込み思案な性格をなんとかしたいという思いで、徐々にではあるが、歩ける範囲を広げていき、自己鍛錬のステップを一段一段上がっていっている。今回はその過程を記録する日記のようなものと思っていただければ。まずは、デザフェスのことから。写真はこちら。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/RlhCsJ#
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●キャンディ・ミルキィさんをセーラー服姿で迎撃

去年の10月24日(土)、25日(日)のデザイン・フェスタでは、2日目に偶然、女装界のカリスマであらせられるところのキャンディ・ミルキィさんにお会いした。40年来の女装歴をもつ、押しも押されもせぬ大御所である。安達加工所のブースで、自主的に広告塔を務めていた。今回は来られるのかどうか、前日の5月14日(金)にmixiメッセージを送って聞いてみたところ、ほどなく返事が来て、日曜の午後に行きます、とのこと。

この時点では、セーラー服姿を生でさらすつもりはなかった。けど、キャンディさんに立ち寄っていただけるのなら、こちらもそれなりの姿でお迎えするのが礼儀にかなっているんじゃないかという考えがふと浮かんでしまった。デザフェスは、東京ビッグサイトの西ホールの上と下とを全部使って開催され、2日間でたしか、約5万人が来場するのだった。私にとってはちょっとばかり敷居が高い。

けど、キャンディさんはあの姿で平然と電車に乗って来ちゃうのである。この程度でぐだぐだ言っていては、恥ずかしい。しかし、まあ、まわりの反対を押し切ってまでするほどのことでもないので、まずはお伺いを立ててみよう。というわけで、1日目はいつもの普段着で行き、周囲の人々の意見を聞いてみた。

今回は「妖怪横丁」の一員として、人形の写真を展示した。妖怪横丁は、通路を挟んだ両側にミニブースを12個借りて、妖怪というカテゴリを緩〜い縛りで解釈したつながりで、それぞれのブースにそれぞれの作品が掲げられる。その中で、人形関係では3ブース占め、人形作家4人の作品と、私の写真を展示した。

なので、人形作家さんたちと、妖怪横丁のリーダーにお伺いを立てておくのが筋というもの。明日、セーラー服姿でいていいですか、と。誰かが反対したら、それを言い訳にして思いとどまろう、という後ろ向きの考えが多少あった。ところが、さすがはデザフェス出展者たちである。誰も反対しない。どころか、ぜひぜひと推す声まで。

どなたかがブログかなんかでデザフェスについて、上手いことを言っていた。普段はまわりから変人扱いされている人たちが、普通になれる年2回の機会だと。なるほど、集まっちまえば、いいわけだ。いや、デザフェス自体は、自分で作ったものを展示すること、がブースを構えるための唯一の条件であって、変人うんぬんとは一言も言ってないのだけど。世の中全体からすると、クリエイティブな指向をもった人々というのは、変人の部類なのかもしれん。

少女主義的水彩画家のたまさんのブースに、ごあいさつがてら立ち寄った際にも聞いてみたのだが、ぜひ見たいという、大変力強い肯定のお答えが返されたのであった。思いとどまる機会どころか、かえって、退路が断たれちゃった感じで、もうこの時点で完全に引っ込みがつかなくなっていた。

運命とは奇妙なもので、去年の4月5日(日)に秋葉原の秋月電子の上の階のコスメイトプラスでセーラー服を一式揃えた際には、着た姿を人前にさらそうなんて考えはまるっきりなかったのだけど。シャイな性格を克服したいとお悩みの向きには、いい手なのかもしれない。とりあえず一着持っておけば、自然ななりゆきでちょっとずつ指向が外へ向かっていく、と。

そういう経緯で、抗しがたい運命の波に乗せられて、日曜はセーラー服持参で東京ビッグサイトへ。自分で三つ編みが編めない不器用な私は、妖怪横丁の人にやってもらう。ヒゲで。左右に細いのが2つできた。自分で言うのもなんだけど、これはけっこうかわいいかもしれない。

度胸試しに、比較的人の少ない午前中に、歩き回ってみる。ウケは上々。たまさんとの2ショは、妖怪で一緒に出展している人形作家の八裕沙さんに撮ってもらった。撮っているところを見て人が集まってきて、人だかりができ、周りからもずいぶん撮られた。おお、なんか気分いいぞ。

人形作家の西條冴子さんは、去年たまたますぐ背中合わせのブースだったが、今年は4〜5列ばかり離れていた。前日に一度ごあいさつしているが、セーラー服のことは予告していなかったので、サプライズ。後ろから「おはようございます」と声をかけると、「おはようございます」と言いながら振り返り、絶句。なんか言おうとするが言葉にならないって感じで。繊細な感性を粉砕しちゃったみたいで、すいません。

屋内の長いエスカレータに乗り、4階へ。歩いているとブースから「素敵!」といった反応が聞こえてくる。追いかけてきて、「撮らせてください」とお願いされることも。だんだんとアイドルの気分に。安達さんのところに行くと、大笑いしながら「もう、どこからツッコんでいいやら」とか「かける魔法を間違えたかのよう」とか。

午後になって人が増えてくると、もう、すっかりアイドル。歩いていると、どんどん写真を撮られる。多かったのが、若い2人連れの女の子が声をかけてきて、撮る人と私の横に立つ人とで交代してそれぞれの2ショを撮っていくというケース。ブースから、近くの自販機までお茶を買いに往復するくらいでも、軽く10回や20回は声がかかる。俺、こんなにモテたの初めて! なんでもっと早くやらなかったのだろう。

映像の寺嶋真里さんに来ていただけた。わ、池袋のときに引き続き、またしても足をお運びいただいちゃって、恐縮です。口枷屋モイラさんと引き合わせていただけた。前の日にもモイラさんの姿は拝見していて、強烈なインパクトを受けていたが、距離を置いて眺めるだけだった。上がセーラー服のようなデザインになっているスクール水着を着て、空気で膨らませる丸いビニールの子供用プールに入って遊んでいた。プールは水の代わりに、たくさんの小さな風船で満たされていたのだけど。

モイラさんと私の2ショを寺嶋さんが撮ってくれた。それはもう大はしゃぎで。「もっとセクシーに!」とか、監督の声が飛んでくる。その光景が面白くて、人が集まってくる。はいはいどうぞ、みなさんもお撮りくださいませ〜。一日を通じても、このときの人だかりがいちばん大きかった。コミケのコスプレ広場のように、カウントダウンしようかと思ったくらい。

夕方になってキャンディさん登場。私の姿は、すごくほめていただけた。「わたしの40年はいったいなんだったのでしょう」。いやいやまたまた口が上手いんだから。おほめにあずかれたのも光栄なら、私のブースの前で一緒に写真を撮らせていただけたのも光栄であります。

そういうわけで、今回アイドル・デビューしたデザフェスは、人々の肯定的な反応に支えられて、ノリノリで過ごすことができた。批判的というわけではないが、よく注文がついたのは足まわり。特に、人形作家さんからのは細かかった。「靴下は白の三つ折かクルーソックス、または紺のハイソックス(赤いエンブレム刺繍付き)希望。靴はローファーがベストだけど、真っ白のスニーカーも可とします」。つまりは、制服・校則という制約の中で精一杯おしゃれしたいという乙女心をもっとちゃんと理解してしっかりやりなさい、というメッセージと受け止めた。うーん、女装って奥が深い。

妖怪横丁の人からは、「妖怪・乙女男(オトメオトコ)」という名のマスコット的な存在として、次回もよろしくと言われる。もしかして、今後のデザフェスで、毎度おなじみのキャラとして乙女男が定着していくことになるのか。いったいどこへ向かっているのだ、俺。

●京都、おったまげたのはこっちだった

オタクが背負って歩くリュックは往々にしてぱんぱんに膨らんでいるものだが、中に何が入っているのか、けっこう謎だったりする。セーラー服が入っているのは、例外的なことなのか、どうなのか。とにかく、一着背中に忍ばせて、5月23日(日)11:53東京発のひかりで京都へ。

Rose de Reficul et Guiggles のイベント「Esprit et Ridicul(エスプリ エリディキュール)」を見に。恒例のローズさんの誕生日イベント。場所は二条城の近くの「夜想(やそう)」。去年は、永井幽蘭さんと紅日毬子(あかひまりこ)さんによる「電氣猫フレーメン」の公演があった。今年は、Rose de Reficul et Guigglesの出演する映像「アリスが落ちた穴の中 - Dark MarchenShow!!」の上映がある。映像制作は寺嶋真里さん。収録と並行して撮影したという、中村キョウ(漢字では[走喬])先生の写真の展示もある。< http://www.rose-alice.net/
> アリスが落ちた穴の中

ローズさんとお会いするのは、2月28日(日)、浅草橋のパラボリカ・ビス以来になる。寺嶋さんの映像に清水真理さんの人形作品も出演しているというつながりで、清水さんの人形展の週末イベントとして、2月27日(土)には Rosede Reficul et Guiggles の公演があり、28日(日)には寺嶋さんの映像の上映があった。そのときに中村先生と初めてお会いして、図々しくも、ローズさんとの2ショを撮っていただいた。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/xUfqJL#5444452837829321058
>

さて、行ってみると、セーラー服なんか吹っ飛んじゃうくらいのビッグ・サプライズが私のために用意されていた。光を通して見るワインのような、鮮やかな赤のスーツ上下。「とりあえず、これ、着てみてもらえますか?」とギグルスさん。え? あの話、生きてたの? たいへん光栄な話だけど、私なんぞではマイナスの誕生日プレゼントになってしまいやしないか、ちと心配ではあるけど、精一杯がんばることで祝意とさせていただければ。

その話があったのは、2月27日(土)のことだ。ローズさんから、一緒に舞台に立ちませんか、とお誘いがあったのである。いい話だけど、私に務まるような気がしない、というようなあいまいな返事をしていた。その前日には、VANQUISHの青炎(セイレーン)さんから神父役を仰せつかったばかりである。

舞台に立ったこともないどころか、演じる練習をしたこともなく、それ以前に役者という方向性すら考えたこともない私のところへ、2日続けて別々のところから舞台に上がるお誘いが来るとは、奇妙なことではなかろうか。才能あるアーティストたちの目から見ると、私の中になんらかの特別な素質でも見えるのだろうか。自分としては、ごくごく地味に生きてきたつもり、見て面白いものではないなずなのだが。

その後、ちょこちょこっとメールをやりとりしたけれど、何も決まらない宙ぶらりん状態で音信が途切れてそれっきりだったので、てっきり話が立ち消えになったのだと思っていた。3月7日(日)に「燕尾服かスーツありますか?」というメールが来て、「ビジネススーツならあります」と返信して、そのまま。

イベントの前々日の金曜、前売りチケット申込みのメールを送ると、スタッフ扱いで入れるように手配しておくので、4時までに来てくださいと、土曜に返事が来た。まあ、写真撮る係と言えば言えなくもないので、お言葉に甘えることにして、舞台の話は勘弁していただいて、セーラー服で客席をうろうろ、ぐらいで許していただければ、と。

で、行ってみると、私のために衣装が、というわけである。サプライズ出演と言えば普通、出演者が予告なしに登場してお客を驚かすものだが、出演者がサプライズを食らった格好だ。しかし、ここまでお膳立てしてもらっておきながら、お断りする図太さは、私にはない。無理にとは言いませんが、と言ってくれるが、正直言って、嫌ではないのである。ただ、せっかく舞台が用意されても、それに見合う芸のない自分が申し訳なくてしかたがないだけである。

幕が開くとき、カメラを持った自分が幕の舞台側に立っているというのが、とてつもなく間違っている感じがして、ちょっと笑えた。ローズさんの魅力に引きずり込まれて、我を忘れて、気が狂ったように撮りまくる、という役。舞台側にいるか、客席側にいるかの違いだけで、いつもと変わらないとも言えるか。そう言えば、もし自分も舞台に立って、至近距離からローズさんを撮れたらいいだろうなぁ、なんて妄想に耽ってたこと、あったような。念じていれば、いつかはそこへ行けるの法則?

自分が何をしているのか、よく分からなくなっていた。けど、いつも撮るときに出ている脳内モルヒネが、このときも激しく出まくっていたようであるから、カチンコチンに固まって自分の自然な姿が出せなくなっていたということはなく、調子は出ていた模様。なら、いいか。この日は、客席がキャパシティいっぱいいっぱいの超満員であることは最初っから知っていたので、この前の舞台みたいに、顔顔顔にビビッてひるむ、ということはなかったし。

ただそれが見る側からどう映っていたのかが不安で不安でたまらなかったが、最後に、一人一人が決めポーズをしていったとき、私の番でも暖かい拍手がいただけたので、少なくともネガティブに見られてはいなかったと受け取り、間違ってはいなかったのだと思うことにした。楽屋に戻ると、よくこれだけの汗がかけたものだと自分で感心するくらい衣装が重くなっていた。

セーラー服に着替えて客席に出て行くとき、これでやっと普通の姿に戻れて緊張が解けた気分になれた。寺嶋さんからも好評であった。改善の余地はいろいろあるけど、基本的に私は、人々の注目が集まる中で、なにか芸ができる人なのだそうで。うーん、そう言われてみると、小学生時代はそういう道化者だったかな。見られる側として、なんかやれそうかも? 写真撮るのやめちゃおっかな。冗談だけど。孔子は40歳にして迷わずの境地に達したらしいけど、私は50歳間近にして迷走気味なのであった。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。6月18日(金)からの浅草橋「パラボリカ・ビス」での人形と写真の展示の準備、着々と進行中。5月22日(土)は、草ぼうぼうの空き地で吉村眸さんの人形を撮影。人形撮影では、たいていの場合、対象の人形作品が先にあって、その表現の方向性とマッチする背景をイメージし、そういうロケ地を探すという手順を踏む。けど、今回は逆に、ロケ地が先だった。4月11日(日)にロケハンに行ったとき、赤色メトロさんが「ここは大きい人形が合いそう」と言ったのがヒントになって、ピンときた。3月6日(土)に吉祥寺の「リベストギャラリー創」で見た子がいい。上に向かってヒョロピンと立ち上がった耳。するっとした輪郭。宇宙船が難破して地球に漂着しちゃった宇宙人の子供のイメージで。こんな。
< http://picasaweb.google.co.jp/Kebayashi/fBIAkK#
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案内ハガキも出来上がり、好評配布中。パラボリカ・ビスのサイトにも情報が載りました。ハガキの方では6月26日(土)のイベントの出演者がVANQUISHになっているが、都合によりMONT★SUCHTに変更になっています。私の神父役の再演もナシに。MONT★SUCHTは由良瓏砂さんが中心になって、このイベント向けの演目を鋭意制作中です。7月4日(日)の電氣猫フレーメンは、由良瓏砂さん、永井幽蘭さん、大島朋恵さんが出演します。大島さんは劇団「月蝕歌劇団」にも所属し、心の内に広大な宇宙空間を秘めた少女という感じ。目は内側を見ていて、外の世界は内側に取り込むための素材の転がっている小さなガラクタ箱にすぎないんじゃないか、なんて。とてもしっかりした芸をお持ちの女優さん。2月20日(土)に渋谷のLE DECO で開かれたMONT★SUCHT主催のイベント"Rosengarten I"では、明治通りに面したウィンドウに入って、こんなパフォーマンスも。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/KgjJfJ#
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それぞれテイストは異なるけれど、どちらのイベントもダークで耽美な世界をお楽しみいただけると思います。
< http://www.yaso-peyotl.com/archives/2010/05/post_782.html
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■編集後記(5/28)

・橋本龍太郎首相は1996年2月、外務省の猛反対を押し切って、クリントン大統領との初首脳会議で普天間返還を提起した。雑誌「SIGHT」2010 WINTERに田中秀征と江田憲司の対談がある。田中「橋本総理がアメリカから帰って来た翌朝の政府与党連絡会議だったか、たまたま僕、総理と隣り合わせになったから、会議が始まる前に話しかけたんですよ。『普天間を返せってよく言えましたね』って。そしたら橋本さんはなんて言ったと思いますか? ボソボソッと、『秀征さん、沖縄の人たちかわいそう過ぎるもん』って言ったんですよ。僕はそのときから、橋本さんに対する評価が変わったんです。それまでは、単なるキザな男だと思ってた」「ポッと吐いたその思いが腹の底にあれば、どんな交渉でも乗り切れるし、理解を求めるためのどんな努力も惜しまないだろうと、僕はそう思ったんです。それを表向き、大声で言うわけじゃなかったから、あの人は。だから、今回もその問題に尽きるんですよ。鳩山さんは、沖縄の人の気持ちを大切にしなきゃいけないって、くり返し口では言っています。でも口だけか、橋本さんみたいにそうじゃないか、大事なのはそこなんです」いい話だ。5月26日の読売新聞に「『普天間』現行案回帰」の解説スペシャルが掲載され、感動しつつ読んだ。橋本首相の政務補佐官だった江田憲司は「人間対人間の極みまでいった交渉だった。内閣の重鎮が、心の底からうめき声をあげて真剣に取り組んだ」と当時をふりかえっている。基地を抱える沖縄の苦しみと日米同盟の重みがぶつかりあった歴史を顧みることなく、この問題にかかわった先達の血と汗と涙の積み上げた現行案を口先だけで平然と捨て去り、再び拾い集めている鳩山首相。こんな八方ふさがりでも平然としているのだから、人類を超越している。ある意味すごいお方だ。日本憲政史上に残るだろう。(柴田)

・家族が知事会を見て一言。「一番悪い会議の形だね。売り上げ対策会議で、トップに具体案がなく、下にとにかく頑張れって言っているようなもの。そして下も頑張りますと答えるしかないまま会議終了。何をどう頑張ればいいのかわからないから時間の無駄。」/iPadを手にした皆様、堪能されてますか〜?/先日、数年ぶりにSkypeを使った。数年前は、ネット回線が遅かったのかディレイがひどくて仕事には使えないなと断念していた。Skypeのことを問われ、慌ててIDを探し、マイクがないからとiPhoneアプリをセットアップして通話。時々雑音が入ったりしたが使えるなぁと。杏珠さんの「Skypeでもファイルを送ります」の一言で、調べてみると今のSkypeっていろいろできるようになっているのね。通話や会議はもちろん、ビデオ通話、インスタントメッセージ(チャット)にファイル送信(サイズ上限なし)、デスクトップ画面の共有。有料プランなら、固定電話や携帯との通話や転送、SMS送信、ボイスメール、WiFiスポットからのアクセス、050からはじまる電話番号の取得。杏珠さんに感謝。ワイヤレスヘッドセットを購入しようと考えつつ、MacBook Proからテスト専用電話にかけてみたら声が録音できた。MacBook Proには標準でマイクもWebカメラもついていたんだった。すっかり忘れていた。/おとといの訂正。メモはなくしたのではなく、雨で濡れて読めなくなったような......忘れた。にしても風と花が住所交換って〜。(hammer.mule)
< http://www.skype.com/intl/ja/features/
>  Skypeの機能
< http://www.skype.com/intl/ja/features/allfeatures/skype-to-skype-calls
>
全機能はこちら
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B002OB3SIE/dgcrcom-22/
>
「ジャック! 衛星の準備ができたわ」