ショート・ストーリーのKUNI[81]告白
── ヤマシタクニコ ──

投稿:  著者:


ある朝、大河原権造はなにげなく体温計で熱を測って驚いた。
「たいへんだ」
その声に妻の正子がかけつけた。
「あなた、どうなさったんですか」

「見なさい。体温が37.5度。私は熱があるのだ。病気だ。もしかして風邪をひいたのかもしれない。ああ、そういえばにわかに体がだるく関節が重く、全身的に何やらいけない状態になってきた。私はもうだめかもしれない。いままで病気という病気を知らず、小学校3年生でおたふく風邪にかかって以来、インフルエンザにも花粉症にも無縁でいられた私がなんということだ。これはひょっとしたら覚悟を決めないといけないかもしれない」

「そうかもしれませんわね」
「なんだ、いやにクールなその態度は。おまえ、まさこ」
「ええ、私は正子ですわ」
「いやちがった。おまえ、まさか私に何か隠し事でもしているのか。もしそうなら、告白するがいい。私はもうすぐ死ぬかもしれないのだからな」
「ふふ、そうね。では、告白しますわ。実は、その風邪は私が仕組んだものなの」



「なんだって」
「私、人生をやりなおそうと思うの。それでこの間、あなたに保険に入ってもらったのよ」
「ええっ、ということは、まさこ」
「はい」
「いや、その、まさか私をなきものにして保険金を」
「そのまさかよ。3日前、パッチの替えがなかったでしょ」
「ああ、そうだった。私はこの季節でもパッチがないと生きていけないのに、どうしてもないというので仕方なくはかずに出かけた。おかげで一日中すうすうと寒かった。あれは私に風邪をひかせるためだったのか」

「気づくのが遅すぎたようね。それから、おとといの夜はあなたの布団のすそをちょっとまくっておきました」
「道理でなんだか寒くて北海道流氷めぐりツァーに行った夢をみたように思うが、気にせずにいた。でも、私は最近いつもマスクをして出かけるのでウィルスの侵入を防いでいたつもりなんだが」
「マスクにこっそり穴を開けておきました」

「むむ、気づかなかった。それでこのように見事に風邪をひいてしまったのだ。ああ、私としたことがなんという失態だ。でも、今から薬をのむからだいじょうぶだ。えーと、薬、薬」
「生憎だがわが家の風邪薬は処分させてもらったぜ」
突然、息子の一郎が現れて言った。

「一郎、おまえもぐるなのか」
「残念ながらその通りさ。パブロンもベンザも改源も捨ててしまったよ」
「エスタックゴールドは」
「それもだよ。要するにこの家には風邪薬はないんだ」

「卵とお酒も捨てたから、卵酒もできないし」
娘の早智子が現れ、冷たく言い放った。
「早智子、おお、おまえまで、まさこ」
「はい」

「いや、ちがう、まさか早智子までぐるだったとは。まあ仕方ない。そうだ、あつあつのあんかけうどんに土ショウガをおろして天盛りにしたやつでもいい。あれを食べてぐっすり寝ればよく効くんだ。ああ、食べたい、あんかけうどん、あんかけうどん」
「自分で作れば。でも、うどんもショウガもないわよ」
「かか、買ってくる」

「この家から出られると思ってんのかよ」
一郎がカッターナイフをちらつかせて言った。替え刃も十分あるようだ。
「ちきしょう、どうすればいいんだ。そうだ、救急車だ」
「電話は使えないぜ」
一郎がはずした電話線をこれ見よがしに差し出した。

「な、なんてことだ。そこまで。いや、でも、そうだ、携帯があるじゃないか。私の携帯はどこだ、私の携帯、あった、ああっ、バッテリー切れだあっ」
「ゆうべそれでわざとワンセグ見てバッテリ使いきってやったのよ。全然気づいてないのね、パパったら。もちろん充電器は私が預かってるわ」
「おおおおまえたちっ」

「大声を出してもむだよ。ここは駅から徒歩30分、いまに住宅がどんどん増えてお店もできて便利になると言われて買ったのにその後開発がストップして周囲はがらんとしたままの土地だということを忘れたの。バスも通らないし、お隣とも100メートルも離れている、ほとんど一軒家。購入するときも躊躇したけど、あなたの収入ではこんなものかと思ったし、それより、こういうときにはむしろ有利だと気づいて買ったのよ」

「家を買ったのは12年前だぞ。そんな昔からたくらんでいたのか」
「ええ。ひそかに計画を練っていたの。世の中に保険金殺人はよくあるけど、成功する例は少ないでしょ。それは計画に無理があるからなのよ。ヒ素やトリカブトなんか使っても、どうせすぐ足がつくわ。溺死なんてさらに愚かなこと。その点」
「風邪で死んでもだれもあやしまねえんだよ」
「風邪は万病の元っていうしね」

「そういうことだったのか。なんと巧妙なんだ。わが家族ながらおそるべき知能犯。確かに私は気づくのが遅かったようだ。もはや手遅れだ。さっきより明らかにしんどくなってきた。熱もさらに上がっているにちがいない。ごほっ、ごほっ。咳も出てきた。これは風邪の末期症状ではないだろうか。鼻水も出てきた。いよいよだめだ。はあはあ」

「金が入ったら、おれ、バイク買ってもいいかな」
「バイクぐらい何台でも買えばいいじゃないの、一郎」
「あたしはバーバリーのコート買うわ。それと、カルチェのリングと、あ、それからディズニーランドの年間パスポートほしい」
「なんて小さな望みなの。いじらしいくらいよ、早智子。山分けなんだから、もっと大きなこと考えなさい。ぱあっと使うのよ、ぱあっと」

「すまないがせめてティッシュをくれないか。鼻水が」
一郎が早智子に目配せして、早智子がしぶしぶティッシュを差し出した。権三は思いっきり鼻をかんだ。ずぼぼぼぼぼぼ。
「ねえ、山分けって言ってもどれくらい入るの、保険金」
「そうねえ、いくらだったかしら。ちょっと待ってね」
正子は隣の部屋に行ったが、しばらくして悲痛な叫び声が。
「ぎゃあああああああああ」

「ママ、どうしたの」
「どうしたんだよ、おふくろ」
「い、いま保険証書を改めて見直したら、私、うっかりして医療保険の契約してしまったみたい」
「ええっ」
「というと」

「入院したときに日額5,000円出るけど、病気で死亡しても10万円しか出ないわ」
「10万!」
「山分けしても3万じゃない! 年間パスポート買えない。ていうか、葬式代にもならないじゃん」
「なんでそんなけちな保険に入るんだよ」
「だって掛け金安いし、15歳から75歳までだれでも入れるのよ。長期入院のときは見舞金30万円出るし、日帰り入院から保障、先進医療を受けたときは最高100万円なのよ」
「いや、入院させないんだろ」
「そうだったわね」
「10万かあ」

「あ、パパが気を失ってる。寝たのかと思ったら」
「熱めちゃくちゃ上がってる! まじで悪化してるぜ。やべ。もしものことがあっても10万なのに」

一家は大急ぎでパブロンとベンザと改源と卵と酒とうどんとショウガを買いに行き、電話線をつなぎ、携帯を充電した、いや、しなくてもほかに携帯はあったのだが、とにかく、した。

【ヤマシタクニコ】koo@midtan.net
みっどないと MIDNIGHT短編小説倶楽部
< http://midtan.net/
>
< http://yamashitakuniko.posterous.com/
>