Otaku ワールドへようこそ![120]萌え〜、ではない「猫耳」/GrowHair

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2年前に銀座の「ヴァニラ画廊」で人形作家さんたちの作品とともに、私が撮った写真を展示したとき、それが人生最大の晴れ舞台になると思っていて、冗談で「あとは死ぬだけ」などと言っていたが、今度こそ「あとは死ぬだけ」になりそうな展示が、浅草橋の「パラボリカ・ビス」にて、6月18日(金)より始まった。

こういういい場所で展示させてもらえる話になった当初から、当然のことながら、プレッシャーを感じていた。人形作家さんたちも同じだったが、彼らはそれを跳ね返して、ちゃんと答えを出してくれた。

よくある人形のグループ展では、各出展者の表現の方向性がばらばらなためか、めいめいに小区画が割り振られ、その中で自由に表現する独立分離の展示形式が多い。10人いたら、1/10ミニ個展×10といった構成。今回は、そういうのとは違うことをしようと話がまとまっていた。人形のいる空間をご覧に入れよう、と。

空間構成は赤色メトロさんが中心となって案を練り、展示の始まる1週間前から搬入開始し、それでも時間的にかなりきわどい進行で、みんな必死にがんばった。自分たちに対して厳しい姿勢を最後まで緩めず、ちゃんと結果を出したのは、本当にスゴいことだと思う。

それにひきかえ写真は、って話は、回を改めてしようかと思う。こっちはこっちで力を出しきって、やれることはやったので、今回の展示がどうこうということはないのだが、伸びきったゴムのごとく今のレベル維持で一生似たり寄ったりの写真を撮りつづけて終わったんじゃ、今まで強運を授けてくださったお天道さんに申し訳が立たないので、これからどういうふうにしていこうかな、と。ぶかぶかの殻に入っちゃったヤドカリは、自分が大きくなる以外にない。

7月5日(月)までの会期中には、土日が3回挟まる。それぞれに週末イベントが入り、6回。その第1回として、黒澤潤監督の映画「猫耳」が上映された。今回はそれをレポートしよう。ということで、2階カフェスペースをちょうどぴったりな感じで満杯にした人々の後ろの通路から、私も見た。見終わって、困った。書けない。無理だ。

面白くなくはなかったのである。普通の人の発想を遥かに超越したシュールな映像を楽しむことはできた。けど、奇妙奇天烈な光景が脈絡なく次から次へと切り替わっていく、たいへん前衛的な映像でした、と言ってみたところで、どんな感じか伝わるとは思えないし。なじみのないジャンルで、どういうところに作風が現れ、こういうところが見どころです、などと語ることもできないし。困った困った。ドラえもぉぉぉん。

あ。いやいや。でもでも。いやいや、とんでもないぞ。でもでも、もしかしたら。おいおい、なに考えてんだ、正気かよ、泣きつく相手じゃないって、畏れ多いって。でもでも、適任といえばこんな適任な人はいないわけで、解説やコメントがいただけたら、ちょっとスゴいかもよ。おいおい、無茶だって、ぶしつけにもほどがあるぞ。でもでも、立っているものは親でも使え、のたとえもあるし。おいおい、たとえが違うって。餅は餅屋、とか?

......ってな葛藤を0.2秒でやりすごし、気がついたらお願いしていたのは、映像作家の寺嶋真里さん。長年にわたって自主制作映像を世に送り出しつづけ、いくつかの輝かしい受賞歴もあるお方だ。最新作の「アリスが落ちた穴の中 Dark Marchen Show!!」は、Rose de Reficul et Guigglesや清水真理さんの人形が登場する作品で、評判上々だ。すでにドイツでも上映されている。こんなすごいお方が、私なんぞの無茶苦茶なお願いを快く聞いて下さった。
じゃ、寺嶋さん、よろしくお願いします。



■ゴスロリ映画の起源〜黒澤潤監督作品「猫耳」上映レポート 寺嶋真里

 去る6月19日、浅草橋にあるギャラリー、パラボリカ・ビスにて幻の元祖ゴスロリ映画といわれる黒澤潤監督の映画「猫耳」が上映された。

 パラボリカ・ビスは「夜想」をはじめとする幻想文学や芸術系書籍の出版で知られる旧ペヨトル工房、現在のステュディオ・パラボリカが直営するギャラリーである。「猫耳」の上映会はギャラリーで開催されている漫画家・画家・ミュージシャンである宮西計三の個展のスペシャルイベントとして企画された。

 「猫耳」は94年に制作された16ミリフィルムの自主制作映画である。黒澤潤監督の初の長編作品で80分の尺のものだ。それはストーリーが明確で登場人物に台詞があって、という通常の劇映画スタイルではない。イメージの断片の羅列と大音響のノイズ音楽が被った作品で、どちらかといえば"実験映画"と呼ばれるアート映像のジャンルに入るだろう。今、この原稿を書いている時に、どういう映画だったのか記憶が曖昧になってしまっている。傑作、映像美、ノイズ、耽美やゴス好きの人はおそらく好きな映画、という風な言葉しか出てこない。

 ロケ地は立川の米軍基地跡の廃墟や、現在では解体された東大駒場寮などだったらしい。部屋には幾つか宙吊りにされた柱時計、ある時は無数のフォークとナイフが吊り下げられ、どこか小劇場の演劇空間に変質させたかのような廃墟の部屋の中、白い襟の付いた黒いワンピースの若い三、四人ほどの女性たちと、シックで軍服のような衣装の若い一人の男性が登場する。

 最初は数個の棺桶の中に寝ていて身を起こし、また静かに棺桶の中に身を沈める、という風な出だしだったかと思う。セリフがあるわけではなく、揺らめく燭台の炎の元、何か楽しそうに語らいながら皆でテーブルの上のご馳走を食べずに弄んだり、外の木々を眺めながら窓辺で女性が歯磨きしていたり、キャンドルが無数に置かれた床の上を白いスリップの下着姿で角砂糖を並べる、といった風なイメージ映像が続く。天井からたわむビニールに水が貯まっていて、それをナイフで突き刺し頭から水を浴びる、といったようなシーンなども出てくる。アヴァンギャルドな映像美の傑作、としかいいようがなく、どうだったのか思い出せないだなんて、それはまるでタルコフスキーの映画を見ている途中、美し過ぎる映像のせいで己の夢想世界に没入してしまい、しかしハッと我に返る。「嗚呼、やっぱりタルコフスキーの映画は傑作だよね。」というのと同じかも知れない。

 そこでこの「猫耳」を取り扱い、DVD販売などをしているミストラルジャパンのサイトを検索してみた。そこでは「猫耳」が以下のように説明されている。

  4人の若者が、ゲームのような生活をしている。ゲームがルールによって
  常に終わりへと閉じていき、サイコロのひとふりでまた新たに始まるよう
  に、4人の生活は慢性的に、終わりと始まりを繰り返すにすぎない。終わ
  りと始まりの感覚の磨滅によって、彼らは過去と未来といった時間の世界
  と絶縁している。それは同じ映画をエンドレスで見続けていることに似て
  いる。そして、彼らの周りにはカメラや映写機が見えかくれする。一人の
  少女は写真をとられ続け、一人の少年はスクリーンにへばりつく。彼らに
  とって、反復不可能なものは嫌悪の対象でしかない。(ミストラルジャパ
  ンのサイトより < http://www.mistral-japan.co.jp/ >)

 そうか、若者たちが廃墟の中で延々と続ける遊戯的生活だったのか。途中、変調したかのように黒のロングドレスを纏い妖しくて美しい女が登場する。そして女は着席した皆の前で骸骨と踊っている。それは上映終了後のトークに出演したダンサーの薔薇絵だった。そして薔薇絵が演じる女は医療用の寝台ストレッチャーの上に乗せられたまま、部屋中をあちこち暴走させられたり、上半身裸で縛られ目隠しをされいたぶられ、最後には死んで棺桶の中に入ってしまう設定だ。そして皆はその棺桶を外に運び出し、何だか"ごっこ"のような葬列シーンがある。それから森や草原の中、白い襟の付いた黒いワンピースの若い四人ほどの女性たちが、ただ佇んでいるシーンがあったり、それから山の湖の中に入ってゆき、目を閉じたまま横一列で手を繋ぎ、ワンピース姿の女性たちが湖の中を胸まで浸かっている。という風だったかと思う。

 あっという間の80分。私の拙い文章ではこの映画をうまく説明出来ないのだけれど、それは耳をつんざく大音響のノイズ音楽と、タルコフスキー監督の映像美に楠本まきの漫画「KISSXXXX」のような画のセンスが混じり合ったようだと思った。94年の作品だから今見ると時代のレトロ感やズレはあるが、それでもやはり傑作である、と言い切る事が出来る。

 この映画を見ながらふと思い出した事がある。それは私が関西に居た90年代の終わり頃、京都大学の敷地内にある廃墟となった校舎を、若者たちがしばらく不法占拠したのだった。おそらく京大生や美術系の学生、アーティストなどの十代から三十代後半までの男女がたむろしていたかと思う。私も友人から噂を聞いて二度ほど訪れた記憶がある。部屋を其々が好きに使い、ベットを置いて仮の住処にしたり、簡易バーが開店されたり、アトリエとして使ったりという風だった。そしてその若者たちが政治や哲学、芸術論などを語り合ったり、少し恋が芽生えたりする姿を傍目に見ながら、強烈な恥ずかしさが込み上げてきたのだ。

 なぜならそこに集う者たちのほとんどが学生かアルバイト、フリーターであって、社会の中で自分のポジションを見つけられず、だが"負け組"の中には入りたくはないモラトリアム人間の"学園祭ごっこ"だと思ったからだ。校舎だからトイレはあっても風呂はないだろ?! 銭湯に行くのか?! 洗濯機もないし洗濯はどうするんだ?! アイロンはっ?! 薄汚いだろっ!! 簡易コンロで鍋なんかも、カセットボンベを買うのがもったいないのでは? 不法占拠の廃校暮らし、アウトローや反体制な自分を気取っても、一々着替えを取りに帰ったりコインランドリーに行ったりで無駄じゃないのかっ?! そしてここから授業やバイト先に通うのかっ?! ...否、皆若いからの一言で。

 しかしコラッ、そんな事をしている間に論文書けよ! もっとバイトして次のステップに備えろよ! とも思っていたが、大学側の強硬措置で数ヵ月後にはこの"学園祭ごっこ"は終息したのだ。廃墟の中で展開するゲームのような若者たちの生活。現実になると何と稚拙なのだろう。ちっとも耽美じゃないし。嗚呼、恥ずかしい!

 だが「猫耳」は映画であるから現実生活の些末な恥ずかしさは省略され、出演者は皆美しく、センスの良い服や小物が目に写り続けてくれた。おかげで京大校舎不法占拠の"学園祭ごっこ"の記憶はかき消され、私はホッと安堵したのだ。80年代のトランスギャルやナゴムギャルを経て、ゴシックロリータが誕生し認知さていゆく時代のセンスが、そのまま映画の画面全体にきらめいていた。90年代の理想や美学を体現し、若い時の一瞬にしかあり得ない輝きをシャープで美しく、暴力的に描いているのだ。

 黒澤監督はこの作品で音楽や美術、衣装まで自らが担当しており、おそらく監督自身がそのような指向なのだろう。私は「猫耳」の他には「片足の神様」しか見てはいないが、確か同じように映像美が光るイメージの羅列の集積で見せていく傑作だったと記憶している。黒澤監督は他にも「東京天使病院」「スピノザのレンズ」「Un Ange Passe」などの短編がある。なるほど、タイトルからして夜想の読者やゴスロリ文化が好きな人には食指が動くではないか。

 さて、上映が終わり休憩を挟んで映画の出演者である薔薇絵のトークショウとなった。薔薇絵は舞踏家・ダンサーでもあり、丁度パラボリカ・ビスで開催されている展覧会作家の宮西計三のパートナーでもある。そしてトークショウのお相手のゲストは、当時、観客としてリアルタイムで見ていた人形作家・役者として活躍する由良瓏砂。司会はこの上映イベントの企画者でもある人形作家の清水真理だ。パッと花が咲いたような何と素晴らしい組み合わせなんでせう。トークショウには黒澤潤監督を呼びたかったらしいのだが、実は黒澤監督は消息不明であるそうだ。私は昔、黒澤監督と数回年賀状のやり取りをした事がある。なぜ消息不明なのか理由は定かでない。

 出演者の薔薇絵は撮影秘話などを披露してくれた。最初に黒澤監督から出演の依頼があった時には薔薇絵が主役でセリフも有り、脚本は未完のままだったそうだ。出演を受けるかどうか悩んでいて、しばらくしてまた話があった時には全然違うプランになっていたらしい。薔薇絵が話すには黒澤監督は凝り性で、上映会のその都度編集を変えてしまい、最初出演者が受け取った作品コピーとは全く違うものになっていたそうだ。また薔薇絵が石膏で身体が固められてゆく過酷なシーンなど、散々苦労したのに結局どのバージョンにも使用されなかった。どんな役か詳細な説明のないまま監督の指示通りに演じたら、結局私はいたぶられる役で、でもそれはとても楽しかったわ、と薔薇絵はニッコリと笑っていた。

 それから当時の出演者の活動を知る由良瓏砂は、美加理が天井桟敷、演劇舎蟷螂、月蝕歌劇団、ク・ナウカなどの劇団に所属しており、小劇場のアイドル的な存在だった事を話した。また「猫耳」の伝説的な上映会の恵比寿EAST GALLERYでの話を披露してくれた。由良瓏砂の話に薔薇絵も加わり、当時の様子の輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる。その伝説となった上映会は「完璧な病室」と題され、ギャラリーの地下にある使用されていないプールの中、医療用ベットを客席として並べ、そのベットに観客が座って作品を見るスタイルであった。そのような特殊な演出のおかげも手伝ってか、自主制作の長編実験映画であるにも拘わらず、ギャラリーの受付には長蛇の列が並んだという。

 嗚呼、何だか今、フッと思い出す90年代の名前と作品たち。それは医療用器具を使用した作品で知られる現代美術作家のリサ=スペース・ナイチンゲール(井上リサ)、同じく医療繋がりでレントゲン藝術研究所、テクノクラート、東京グランギニョル、という名前が出れば当然それは飴屋法水。嗚呼、そうか。その流れでもあるのか、「猫耳」は! 何だか嬉しくなってしまった。自分では絶対に作れないけれど、憧れる作品の系譜ではないか! そして懐かしい! そんな発見でウホウホとしていたら、「ではそろそろ時間ですね。」と手際良い清水真理の司会の声でトークショウは終了した。次回は7月3日に同じくパラボリカ・ビスで再度上映される。これは再び行かねばなるまい!

〈猫耳情報〉
◎黒澤潤監督の映画「猫耳」は、コスプレやアニメキャラに登場する"猫耳"ではありません。念のため。上映会場は浅草橋であって、秋葉原ではありません。念のため。
◎さらに詳細なデータはミストラルジャパンのサイトの「猫耳」をご覧下さい。
< http://www.mistral-japan.co.jp/ >
◎次回の「猫耳」の上映は7月3日(土)・午後7:30〜 詳細は夜想/パラボリカ・ビスのサイトをご覧下さい。他にも関連イベントや展示有り!
< http://www.yaso-peyotl.com/ >

【映像作家 / 寺嶋真里】
HP ☆ < http://honey-terashima.net/ >
アリスが落ちた穴の中 ☆ < http://www.rose-alice.net/ >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。6月26日(土)のパラボリカ・ビスでの週末イベントには、劇団MONT★SUCHTが出演します。2年前に川口の鋳物工場跡のスタジオで撮らせてもらって以来、公演のたびに撮っています。私の印象では、ずっと上昇気流に乗っている感じ。一回一回、全力を出し切っているのが伝わってきます。今度のも、人形展示テーマに合わせた新作です。由良瓏砂さんが中心になって、がんばっています。設営は開場前の2時間だけでは足りず、前日から照明の交換などします。すごい気合いです。ご期待くださいませ。

7月4日(日)の電氣猫フレーメンもよろしくお願いします。瓏砂さん、永井幽蘭さん、廻天百眼および月蝕歌劇団の大島朋恵さんで組みます。ゴシックでダークで耽美で、ちょっとだけホラーな世界観を洗練された演奏と歌と台詞回しで体現します。こちらもご期待くださいませ。詳しくは、上記パラボリカ・ビスのサイトをご覧ください。

やっぱくるわな。2ちゃんで叩かれた。人類を2ちゃんで叩かれたことがある人とない人とに二分し、どっちかに自由に入れるとしたら、やっぱなんてったって前者だ。面白い側っちゅうか。今まで嘲笑されることはあっても、酷評されることはなかったので、ぜひ一度はと思っていた。なんらかの活動をつづけてりゃ、ある水準(というか目立ちレベル)を超えた時点で叩かれるのは必然で、通過儀礼みたいなもん。乗り越えられなくてどうするよ。念願かなった格好で、「やったー、これで一人前だー」と言いたいとこだけど、うーん、やっぱ痛いね。ひりひりするぜ。あー、そう言われるか。皮肉や負け惜しみではなく、言ってくれた人に真面目にありがとうと言いたい。重く受け止める。