[2879] モノのデザインとマーケティングの巻

投稿:  著者:  読了時間:23分(本文:約11,300文字)


《自由競争の名のもとに何でも許されるというのは愚行だ》

■わが逃走[68]
 モノのデザインとマーケティングの巻
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[158]
 緩やかな自殺
 三井英樹

■私症説[18]
 時代の未来に日本はどうか
 永吉克之



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■わが逃走[68]
モノのデザインとマーケティングの巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20100701140300.html >
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オレはモノが好きだ。モノが欲しい。というか、欲しいものが常にたくさんある状態でいたい。たとえそれが高くて買えなくても、魅力的なモノたちのことを想いつつ日常生活を送っているとアイデアがたくさん出てくるし、仕事も楽しくなるのだ。

にも係わらず、最近は魅力的なモノが少ない。とくにメイド・イン・ジャパンにおいて顕著。魅力的に思えるモノはどれも過去の製品ばかりで、最近のモノは独創性に乏しく、外国製品の後追い企画商品に成り下がっている。

いったい何がいけないのか。オレが思うに、デザインがいけないのだ。ここでいうデザインとは形状や色彩のことではなく、主張する力や伝える力、そしてその文化的背景を表現する力のことである。

デザインとはいったい何か? デザインを"見た目"とか"かざり"なんかと同義語と思ってしまう人がほとんどだとしたら、人々にそう思わせてしまったこの国の教育に問題がある。

デザインとは迎合のためのかざりではなく、主張を理解させるための手段なのだ。ということは、主張のないモノをいくら飾り立てたところでよいデザインにはならないとも言える。おお、なんか見えてきたね。

ではここで、オレ様が思うところの優れたデザインを年代順に挙げてみよう。

その1◎オリンパス・ペン

1959年登場。カメラ好き新入社員だった米谷美久氏の設計によるハーフサイズ・カメラ。愛用ライカのサブ機として使えるものをと随所に画期的な工夫を施し、レンズ性能を一切妥協せずに小型化を実現。

当時、カメラといえばサラリーマンの月給2ヶ月分の値段が当たり前だったところ、大卒初任給の約半額、6,000円で発売され、写真撮影の楽しさを庶民レベルまで一気に広めた。

ハーフサイズはその名の通り、35ミリ判のフィルムを縦に半分にしたサイズで記録するので(24枚撮りで48枚撮れる)、フィルムが高価だった時代だけに大ヒット。

ちなみに私が人生において最初に使ったカメラも、父から譲り受けたオリンパス・ペンだった。その形状は今の目で見ても斬新。昨年発売されたデジカメE-P1にもそのスタイリングが継承されていることからも、その質の高さは誰もが認めるものだろう。

で、その形状の根源とは、あらゆる人に写真撮影の喜びを知って欲しいという米谷氏の情熱に他ならない。と思う。それがオリンパスという会社の「これから写真は一部の金持ちの道楽ではなく、みんなのものです」という声となり、その主張に賛同した人たちへと届いた、といえるのではないか。

その2◎ソニー・ウォークマン

1979年登場。カセットテープレコーダーから録音機能とスピーカーを取り去るという、"売れるはずがない"モノを商品化。若手設計者が『自分が欲しいから自作しちゃったオーディオ機器』が原型という。

良い音で音楽を聴くための制約を、ほとんどすべて解き放った画期的商品。好きな音楽を聴きながら、好きな街を歩けるなんて!! 発売当初はメディアで取り上げられることもなく、販売台数も芳しくなかったようだが、口コミにより大ヒットした。

ちなみに初代ウォークマンの形状はとてもシンプル。四角いプレイヤー部からヘッドホンが延びてるだけ。でも、だからこそ人々はソニーという会社が提唱する「これからの音楽との付き合い方はもっと自由です。好きな音楽を好きな場所で独り占めしてもいいんですよ」という声を読み取ることができたのだ。

その3◎Apple iMac(初代)

1998年登場。21世紀はここから始まったと言ってもいい。それまでパソコンとは白くて難しい四角い箱でしかなかった。また、そうであることに誰も疑問を感じていなかったのだ。そこへ突然この物体が出現したのだ。そのショックたるや、スゲー!!!!なんてもんじゃない。

モニタと一体化されたスケルトンボディ。必要なアプリケーションがすべて揃っていて、スイッチONで簡単にMacのある生活がスタートできちゃう。しかも、コードを差し込むだけでインターネットが始められる。そのすべてが"ありえない"ことだったのだ。

そして画期的だったのが、フロッピーディスクドライブが付いてないということ。つまり、もうその程度のデータはネットワークでやりとりする時代なのだということを人々に提示した訳だ。ちなみにこのときAppleが掲げていたスローガンが、『think different.』

ここからAppleの快進撃が始まった。Appleは人々の求めている商品を売ったのではなく、その形状をとおしてAppleと共に送る生活の楽しさを伝えたのだ。Appleの提唱する未来に人々を誘ったのだ。それイコール『教育』と言ってもいい。そして現在。iPod、iPhone、iPad...。Appleのヒットは続く。これはひとえにApple製品のデザインの良さに依るところが大きい。

最初にも言ったけど、この場合のデザインとは伝える力のこと。ところが、遅れをとった日本企業はこれをマーケティング的に分析しちゃって、似たような形のスマートフォンを作れば売れると考えちゃった。

でも人々は"Appleが提唱する未来"を共有するためのツールとしてiPhoneを買ったのであって、スマートフォンを買った訳じゃない。iPhoneというモノは、文化というコトを構成する要素の一部でしかないのだ。なんでそれに気がつかないのか不思議である。

いや、気づいているにも係わらず、体質を変えられない構造が出来上がってしまったのではないか。文化を提示する度量のない企業に人々は共感しない。従って商品は売れない。負の堂々巡りだなあ。

ブランドもののコピー商品を思い出してみる。これらは「LVという柄がプリントされているバッグが求められている。ならば、もっと安く作って皆様に喜んでいただこう」という発想の下に、良かれと思って作られてるのではないか?違法バイアグラだって「楕円状の粒にVIAGRAと刻印されているタブレットが求められている。ならば、もっと安く作って皆様に喜んでいただこう」という発想の下に、良かれと思って作られてるのではないか?

動物園も同様。「シマウマが求められている。ならば、もっと安く作って皆様に喜んでいただこう」という発想の下に、良かれと思って馬に縞模様を描いているのでないか? 思うに、お客様にお伺いをたててお望みのものを作っている限り、お客様の発想を越えたものなんか作れない。

思い出そう。ペンやウォークマンは、そのデザインから開発者の顔が見えた。信念を持って開発した人の気持ちが会社の声となって人々に伝わる。ひとは自信を持つ者に惹かれるのだ。これってとてもわかりやすい構造だと思うんだけど、どうだろう?

好景気になれば国民が元気になって、活気が出てきて、みんな自信を持てるようになって...とか言ってるけど、好景気を待つのではなく、自信を持つ方が先だ。自信がないから他人の意見に頼ってしまう。そこで作ったものが売れなくても、調査結果に基づいて開発したのだから自分の責任じゃない、とか言ってる限りいいモノなんか生まれない。

ひとの意見を聞くことも大切だが、それは自分の信念を伝えることができてこそ、だ。そんな訳でみなさん。ここらでそろそろ自信を回復させつつ、自分の意見を主張してみませんか。そして、信念を伝える技術・デザインの力を思い出そうではありませんか。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/ >

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:日々の想い[158]
緩やかな自殺

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20100701140200.html >
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不況である。Webの価値もデフレしている。コンペの度に痛感する。自分のプレゼンが受け入れられないのは能力不足と、反省と悔しさをかみ締めるが、ボツの理由を聞くたびに、何か違和感を感じる。

Webサイトの提案が、ただ金額だけでコンペ負けする。しかも、話を聞く限り、接戦ではない。壱円入札に近いという状況すらある。更に言うと、今まで、価格帯や諸々の条件で、競合とはならない相手がそういった行為に出ている。

なりふり構わず、まさにそういった形相だ。だからこそ、不況の状況は日々深刻になっている。業界としては部分的に温度差はさるものの、おしなべて見ると、厳しい状況が暫く続くだろう。そして、今なりふり構わずの行動をとっている業者は、間違いなく、このWeb業界で働く者たちにとって悪だとレッテルを貼られるだろうと予想する。


価格競争が発生するのは仕方がないことだ。技術が均衡した時点で、そういった局面での争いは避けられない。しかし、限度がある。1ページあたり数百円で作りますといって請け負う人たちは、今の自分達のことしか考えず、更に業界を破壊しているという意識が欠如しすぎである。

自由競争の名のもとに、何でも許されるというのは、愚行だ。誰も大人びた態度しか取らないので、敢えて言おう、「愚行だ!」。それ以外に言葉がない、サステナブル(持続可能)という言葉が、緩やかに流行っているが、正にその言葉を考えるべきである。

例えば1ページを1,000円で請け負ったとしよう。かろうじて、東京都の最低賃金よりも高い水準である。しかし、それで1日10ページ作ったとする(10時間勤務)、本人は1万円を得るかも知れない。会社が請け負ったとしたら、数割は割り引くだろうから、1日数千円の世界である。

それで家族を養うのである。子供は大きくなり、教育費はそれなりの増加する。それを担う大黒柱として、Web屋に属する人が1日10時間をモニターの前で過ごすのである。それでなんとか額面約20万/月という計算だ。かなり厳しい。

しかも、単純なコーダーとしての作業だけで、この業界が成立しないことは周知の事実である。知らない人は、まったくの無知(異業界の人)か、耳を意図的に閉ざしている人しかいないはずだ。1日数千円の仕事が毎月ずっと継続して存在する状況がそもそもあり得る訳もなく(枯渇する時期はある)、更にそうした定常的な作業をマネージできるPM(プロジェクトマネージャ)がそうそういる訳もない。先にWebサイトのコンセプトがあり、全体俯瞰する戦略があり、そしてページが作られる。Webサイト制作は、既にかなり縁の下の力持ち的な人材が入り組みながら進む体制になっている。

我侭を言う人がいれば、我侭を聞く人が居る。そうした需給関係が成立するからこそ、「業界」として成立する。その成立条件は、互いの立場への配慮であるというのが、私の持論だ。それなくしては、成立し得ないし、それがあるから、今回は苦労してもらっても、次回は穴埋めをするという男気的な付き合いが成立するのだ。

そうした大人の付き合いをできる人が、人同士が、配慮しながら、実は寄り添いながら、業界を成長させてきたのである。それは、Webに限ったことではなく、建築業界でも他の商習慣のところでも同じであると予想する。そして性善説の立ちたいので、これに異論を挟まない、こうあって欲しいと願いつつ、こうした大人たちの存在を信じている。


いい仕事の裏には、いい関係がある。間違いなくある。WebやRIAの黎明期にも、それを証明する武勇伝がごろごろしていた。開発の遅れを、自分の首をかけて上層部にもらさず、ハラハラしながら公開当日を迎えた部長さんは山ほど居る。今考えれば、リスクヘッジが皆無だとも言える。でも、だからこそ頑張れたスタッフは居る。信じてもらえたから、防波堤になってくれたからこそ、死に物狂いで間に合わせるように頑張れた人は沢山いる。

技術革新の波の中で、そんな人情話が散在していたのも、Webの魅力のひとつである。今、綺麗な言語体系の技術が登場しても、それにすぐに飛びつけない層が居るのは、そうした生々しくも熱い記憶があるからだろう。

でも、一線を越えた取引きの前には、そんな甘い関係などありようがない。ただただ安さをベースに結びついた状況では、淡々とプロジェクトは進められ、無理もきかず、想いを込めるチャンスすらないのだろう。発注者がWebの傾向を知っていることは稀なので、通常はその辺りの教育も情報共有という名のもとで行われるが、そんな教育的側面すら次々と省略されて行くのだろう。


今ですら、目を疑うような使いづらいWebサイトが存在する。情報階層を降りていきながら、眉をしかめる。「ん? こっちか」、迷路の中に必死にルールを探しながら進む。見た目の派手さと、ドロップシャドウの中をさまよいながら進む感覚が、そのサイトのオーナーである企業ブランドにとってマイナスとしか思えない結果を予感させる。

安く作られるサイトの全部がこうなるとは言わない。開発プロセス改善とツールで、低価格を実現しているところも存在するだろう。それでも、景気や、継続的な発注や、IT投資予算の伸びを考えると、首を傾げざるを得ない受発注関係は存在する。無理に無理を重ねている、今さえ乗り切ればよいという考えが臭ってくるプロジェクトは多い。

 ・2010年のIT投資額はマイナス成長に - ITmedia エンタープライズ
 < http://www.itmedia.co.jp/enterprise/articles/1006/28/news048.html >

しかし、今だけで済むはずがない。日常品ですらそうである、100円ショップで買えると分かっているものに、わざわざ高額な支払いはしない。一度下がってしまった価格は、そうそう簡単にはあげられない。少し考えれば、開発担当者が家庭を支えることができる訳がない金額であっても、同じである。温情で、経理は進まない。安いにこしたことはないのである。その先に開発者の生活があることなんて省みられない。


いま安売り合戦になるのは、ある程度致し方ない。しかし、Webの技術は日進月歩で更に進んでいる。発注される情報システムであるWebサイトは、更に情報がこんがらがっていて、紐解くにはそれなりのIA(情報設計)スキルが必須である。そして、それが本当にできるのは、それなりの生活基盤がしっかりしているテクノロジスト的な人材でないと厳しいだろう。

 ・テクノロジストの条件(はじめて読むドラッカー 技術編)
 < http://astore.amazon.co.jp/milkage-22/detail/4478300720 >

業界は、こうした人材を育てていかないと、先がない。その上で、新しい感性を持った人材が入り易い状況を作っていかないと駄目である。それを怠り、刹那的な受注作戦を展開するのは、自殺行為にしか見えない。

ここ10年で、Webは様々な変化をしてきた。しかし、まだまだ使い辛いサイトは多々存在する。悲しいかな、特に公共のサイトは無残と言いたくなるほどの品質のものも多い。それは情報が絡み合っているが故に、ハイパーリンクという手法で整理しようとするWebの根本思想にとって、悲しむべき状況である。一部が使い辛いというのは、全体も使いづらいからである。どこかでハイパーリンクの紐解きマジックが途切れるのである。情報の袋小路のようなところが生まれ、先に進めない、理解できずにイラつく状況が生み出されているのだ。

Webサイトがなかった頃、私が現状のような気持ちで企業情報を見ただろうか。私は偏ったサンプルかもしれないが、一般の人でもいい、創業年や企業情報、他にどんな製品があるのかと考え、探そうとしただろうか。Webが発達したからこそ、こうした生産者を知るとか、安心できる企業なのかを考える、文化基盤ができたのである。

そして、それは今後ますます深めていくべき話だ。たゆみなく研ぎ澄ませて行くべき話である。そのためには、この業界の未来や、その担い手の未来を真剣に考えるべき時期に来ている。それに逆行する行為は、実は緩やかで、見た目には分からないような自殺行為なのではないだろうか。

【みつい・ひでき】感想などはmit_dgcr(a)yahoo.co.jpまで

・PKを外した人の母親をなじるような行為は、メディアの自殺行為だ。親のコメントを聞きにいくという感性自体が理解できない。番組やキャスタの信用がなくなるばかりではない、そうした放送をした局自体にむしずが走る。
・mitmix : < * http://www.mitmix.net/ >
・Twitter : < * http://twitter.com/mit >

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■私症説[18]
時代の未来に日本はどうか

永吉克之
< http://bn.dgcr.com/archives/20100701140100.html >
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未来の日本史の教科書がどうなっているのか、ぼくは知りたくて知りたくてしかたがないんですよ。いつも死にたいとか言ってますけど、未来の日本史の教科書が見られるのなら、あと百年くらいは生きてもいいんじゃないかって思ったりなんかしてるくらいなんです。

みなさんご存知の通り、鎌倉時代とか室町時代とか江戸時代とか、時代の名称は基本的に、幕府がおかれた都市の名称と一致します。でも明治維新以降は単に明治、大正、昭和、平成と、元号で呼ばれるだけで、これらを一括して「◯◯時代」とは呼ばれていません。

政府がおかれる都市が同じとはいえ「江戸」から「東京」という名に変ったのだから、将来の教科書では「東京時代」と呼ばれるかもしれませんね。でも、ぜんぜん芸のないネーミングですよね。ま、時代の名前で芸を見せてもしかたないんですけど。「この時代の名前、ごっついおもろいがな」って未来人を楽しませてもしょうがないんですけど。

明治維新からもう140年以上経ちましたよね。あの室町時代だって、だいたい100年間でしたから、そろそろ、時代が変ってもいいんじゃないかと思うんです。このところ、中国企業の日本買いが絶好調なのを考えると、近い将来、中国が日本を併合してくれるでしょうから、日本が中国の領土だと国連で承認してもらえるまでを区切りとして、維新以降の時代の呼称を決めればいいと思うんですけど、どうでしょうか。まあ最終的には中国が決めることですから、日本人が悩む必要はありませんけどね。

ところで、時代の呼称ってどこのどいつが考えてるんでしょうね。これも知りたくて知りたくてしかたがないんですよ。例えば「江戸時代」と命名した人、あるいはその呼称を公式なものとして承認した人が必ずいたはずなんです。名前が勝手に湧いてくるわけないんですから。

それは調べれば判ることなんでしょうけど、面倒くさいから調べたくないんですよ。かかりつけの占い師に占ってもらうと、命名した人の名前は「せ」で始まるということなので、「せ」でググってみたら、106,000,000件もヒットしちゃって、ぼくはもう完全にいやんなっちゃってるところなんです。ぼくは怠惰の権化のような人間なんですから、誰か教えてくださいよ。知っている人が知らない人に教えるのは、人としての義務なんですからね。

ちなみに、余計なお世話かもしれませんけど、たとえば1,000年後の学校の生徒たちは憶えなきゃならないことが多くて大変でしょうね。特に歴史の教科書なんか、厚さが30cmくらいになってるかもしれません。昭和に生まれてほんとによかったと、胸をなで下ろしているところです。

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ところで昔の人間は、自分たちの時代を何と呼んでいたのだろうか。私はもうそれが知りたくて知りたくてしかたがないのだ。例えば、奈良時代から平安時代にかけて生きた人間が「いやあ、あたしゃ奈良時代の人間だから、平安の人の考えにはついていけなくてね、はは」なんて笑っていたのだろうか。縄文時代の人間が「嗚呼、縄文の世に生まれて僕は幸せだ」なんて人生を賛美していたのだろうか。

Wikipediaの「日本の歴史」の項目では、飛鳥時代以前は、遡って、古墳時代、弥生時代、縄文時代、旧石器時代、以上四つの時代しかない。ということは、飛鳥時代の歴史学では、この四つの時代をカヴァーすればいいのだから、当時の学者はそりゃ楽だったろう。ましてや、いちばん古い旧石器時代の学者は、過去に学ぶものがないのだから、何を研究したらいいのか判らなくて右往左往したに違いない。

旧石器時代より前の日本。時代とは呼ばれない時代の日本。つまりまだ時間が始まらない世界。そのころの日本は、モヤがかかったように茫洋としていて、エネルギーだけが国土を満たしていたと考えられる。そして何かをきっかけとしてエネルギーが物質に変換された瞬間に旧石器時代が始まり、それと同時に、日本人がポンと発生したのだ。そう考えないと、何もないところにどうやって旧石器時代と日本人が出現したのか説明がつかないのである。

「おお、これはどうしたことだ。突然、私が現れたぞ!」
「私も現れた。なるほど、これが旧石器時代か。この時代に生きるのだな」
「今日は旧石器時代元年の1月1日だから、われわれが最初の日本人だな」
「......しかし、今日のコラムは何が言いたかったんだろうねぇ」
「まあ、いつだって何が言いたいのか解らんこと書いとるから」
「どうやら、時代をテーマに、ひねくったこと書こうとして失敗したようだな」
「どう見ても、そうとしか考えられんじゃないか」

「まあいい。ところで、"明治時代""大正時代"とは言うが、"昭和時代"というのは、あまり聞かんようだな」
「"時代"という尊称を得るためにはだね、君、それ相応の時間が必要なんだ。昭和はまだ評価も定まっておらんし、それに、近すぎて客観的に見ることができんのだ。軽々に"時代"と呼んではいかんのだよ」
「ほう。しかし君は、細君の話をするときに"新婚時代は"などとよく言うじゃないか。あれを軽々と言わずして何と言うんだい?」
「失敬な男だな、君も。妻を侮辱するのはやめたまえ」

発表によると、この後、ふたりの間で激しい口論となり、男はかばんの中に隠し持っていた刃渡り20cmの文化包丁で田村さんの腹部を刺したという。田村さんは意識不明の重体。警察では男の行方を追っている。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp
このテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。
・無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz >

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■編集後記(7/1)

・若いころのわたし、センターマークから直接シュートを決めたことがあった。今年のワールドカップはおもしろかった。ってまだ終わってないよ。正直、日本チームの活躍は期待しておらず(直前のテストマッチ見たら普通そう思う)、勝てば儲けものと開き直ったかんじでゲームを見ていた。WBCの日韓戦の胃が痛くなるような緊張感に比べたら、本当にお気楽だった。だが、彼らはじつによく戦った。すばらしい。感謝。盛り上がる応援の人たち、とくに若者たちは素直ないいやつばかりで(変なやつはテレビに映らないが)日本はまだ健全だ、大丈夫だと確信した(変な政治さえやらなきゃな)。でも「感動をもらった」とかいう表現はきらいだ。テレビ観戦の橋下知事は「会場では国旗が掲げられ、国民は意気揚々と国歌を歌っていた。うちでも子供たちに歌わせた。教育現場と国民の感覚はずれている。国旗、国歌は日本の象徴であり、しっかりと教えるべきだ」と述べた、と新聞報道にある。まったくその通りだ! 体育が苦手なわたしだったが、サッカーだけは人並みにできた。なぜなら、3年間、体育の時間の9割以上は勝手にサッカーをやらせる高校だったから、みんな上達する。加えて、ほかの授業をさぼってサッカーやっていた。会社員時代もときどき草サッカーに参加した。ポジションは鉄壁の(←自称)フルバックだ(現在はサイドバックというらしい)。冒頭の快挙、小学校の先生をやっていたときの、狭い子どもコートの出来事だけど。(柴田)

・Appleの製品に注目しちゃう理由に同意。日本企業でも面白いのあるはずなのに目立たなかったり、デザイン(形やUI)が良くなかったり。先に日本がやっているのに、海外で似たようなものを大々的に発表されて負けることも。/ページ1,000円どころか無料でサイト作って毎月の管理費(サーバ代)で儲けるところあり。そしてそれが一番賢いのかもとぐらついてしまう今日この頃。定収入っていいよね......。個人でやってるけど、1,000円じゃ無理。広告は出してないけど、打ち合わせにかかる費用、交通費、電話料金にネット代、電気代に場所代、しょっちゅうアップデートされるソフトウェアまわりに、勉強用書籍にハード代に消耗品に税金。時間は企画や制作時間だけでなくて、打ち合わせ時間に事務まわりだって必要。こういうのを全部差し引いたらページ1万でもきつい。子供のいない個人でこれだから、企業なんて......。/もうどれだけ技術が変わってきて、学んだことがパーになったことか。そのたびに学び直し。限定した技術なら、長年やっている人より、学生さんの方が詳しかったりする。次はHTML5+CSS3。学んだ通りに動けばいいけど、ブラウザによって微妙に表示が違っていて、それらに対応して......。でもまぁ面白いんだけどね。/携帯電話の事務手続費や、メーカーの出張修理費などは言い値で羨ましい...。/某有名店の家具は安くても買わない。別の某有名店のファブリック関係は買わない。どちらのお店もTVCMやってる。キッチンマットとランチョンマットは一ヶ月しないうちにみすぼらしくなった。洗濯したらますます使い物にならず。気軽に洗えないキッチン品って何だよ〜! どちらもプログラムで言うところの枯れた製品なのに。イメージだけで売るな〜! 一ヶ月でゴミになるものより、三年は使えるしっかりしたものを買う方が安くつくさ。/本当だ、何時代になるんだろ。(hammer.mule)
< http://slashdot.jp/it/article.pl?sid=10/06/30/0040241 >
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< http://news.sciencemag.org/sciencenow/2010/06/video-programmable-origami.html >
変形ロボの未来が