わが逃走[68]モノのデザインとマーケティングの巻/齋藤 浩

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オレはモノが好きだ。モノが欲しい。というか、欲しいものが常にたくさんある状態でいたい。たとえそれが高くて買えなくても、魅力的なモノたちのことを想いつつ日常生活を送っているとアイデアがたくさん出てくるし、仕事も楽しくなるのだ。

にも係わらず、最近は魅力的なモノが少ない。とくにメイド・イン・ジャパンにおいて顕著。魅力的に思えるモノはどれも過去の製品ばかりで、最近のモノは独創性に乏しく、外国製品の後追い企画商品に成り下がっている。

いったい何がいけないのか。オレが思うに、デザインがいけないのだ。ここでいうデザインとは形状や色彩のことではなく、主張する力や伝える力、そしてその文化的背景を表現する力のことである。

デザインとはいったい何か? デザインを"見た目"とか"かざり"なんかと同義語と思ってしまう人がほとんどだとしたら、人々にそう思わせてしまったこの国の教育に問題がある。

デザインとは迎合のためのかざりではなく、主張を理解させるための手段なのだ。ということは、主張のないモノをいくら飾り立てたところでよいデザインにはならないとも言える。おお、なんか見えてきたね。

ではここで、オレ様が思うところの優れたデザインを年代順に挙げてみよう。



その1◎オリンパス・ペン

1959年登場。カメラ好き新入社員だった米谷美久氏の設計によるハーフサイズ・カメラ。愛用ライカのサブ機として使えるものをと随所に画期的な工夫を施し、レンズ性能を一切妥協せずに小型化を実現。

当時、カメラといえばサラリーマンの月給2ヶ月分の値段が当たり前だったところ、大卒初任給の約半額、6,000円で発売され、写真撮影の楽しさを庶民レベルまで一気に広めた。

ハーフサイズはその名の通り、35ミリ判のフィルムを縦に半分にしたサイズで記録するので(24枚撮りで48枚撮れる)、フィルムが高価だった時代だけに大ヒット。

ちなみに私が人生において最初に使ったカメラも、父から譲り受けたオリンパス・ペンだった。その形状は今の目で見ても斬新。昨年発売されたデジカメE-P1にもそのスタイリングが継承されていることからも、その質の高さは誰もが認めるものだろう。

で、その形状の根源とは、あらゆる人に写真撮影の喜びを知って欲しいという米谷氏の情熱に他ならない。と思う。それがオリンパスという会社の「これから写真は一部の金持ちの道楽ではなく、みんなのものです」という声となり、その主張に賛同した人たちへと届いた、といえるのではないか。

その2◎ソニー・ウォークマン

1979年登場。カセットテープレコーダーから録音機能とスピーカーを取り去るという、"売れるはずがない"モノを商品化。若手設計者が『自分が欲しいから自作しちゃったオーディオ機器』が原型という。

良い音で音楽を聴くための制約を、ほとんどすべて解き放った画期的商品。好きな音楽を聴きながら、好きな街を歩けるなんて!! 発売当初はメディアで取り上げられることもなく、販売台数も芳しくなかったようだが、口コミにより大ヒットした。

ちなみに初代ウォークマンの形状はとてもシンプル。四角いプレイヤー部からヘッドホンが延びてるだけ。でも、だからこそ人々はソニーという会社が提唱する「これからの音楽との付き合い方はもっと自由です。好きな音楽を好きな場所で独り占めしてもいいんですよ」という声を読み取ることができたのだ。

その3◎Apple iMac(初代)

1998年登場。21世紀はここから始まったと言ってもいい。それまでパソコンとは白くて難しい四角い箱でしかなかった。また、そうであることに誰も疑問を感じていなかったのだ。そこへ突然この物体が出現したのだ。そのショックたるや、スゲー!!!!なんてもんじゃない。

モニタと一体化されたスケルトンボディ。必要なアプリケーションがすべて揃っていて、スイッチONで簡単にMacのある生活がスタートできちゃう。しかも、コードを差し込むだけでインターネットが始められる。そのすべてが"ありえない"ことだったのだ。

そして画期的だったのが、フロッピーディスクドライブが付いてないということ。つまり、もうその程度のデータはネットワークでやりとりする時代なのだということを人々に提示した訳だ。ちなみにこのときAppleが掲げていたスローガンが、『think different.』

ここからAppleの快進撃が始まった。Appleは人々の求めている商品を売ったのではなく、その形状をとおしてAppleと共に送る生活の楽しさを伝えたのだ。Appleの提唱する未来に人々を誘ったのだ。それイコール『教育』と言ってもいい。そして現在。iPod、iPhone、iPad...。Appleのヒットは続く。これはひとえにApple製品のデザインの良さに依るところが大きい。

最初にも言ったけど、この場合のデザインとは伝える力のこと。ところが、遅れをとった日本企業はこれをマーケティング的に分析しちゃって、似たような形のスマートフォンを作れば売れると考えちゃった。

でも人々は"Appleが提唱する未来"を共有するためのツールとしてiPhoneを買ったのであって、スマートフォンを買った訳じゃない。iPhoneというモノは、文化というコトを構成する要素の一部でしかないのだ。なんでそれに気がつかないのか不思議である。

いや、気づいているにも係わらず、体質を変えられない構造が出来上がってしまったのではないか。文化を提示する度量のない企業に人々は共感しない。従って商品は売れない。負の堂々巡りだなあ。

ブランドもののコピー商品を思い出してみる。これらは「LVという柄がプリントされているバッグが求められている。ならば、もっと安く作って皆様に喜んでいただこう」という発想の下に、良かれと思って作られてるのではないか?違法バイアグラだって「楕円状の粒にVIAGRAと刻印されているタブレットが求められている。ならば、もっと安く作って皆様に喜んでいただこう」という発想の下に、良かれと思って作られてるのではないか?

動物園も同様。「シマウマが求められている。ならば、もっと安く作って皆様に喜んでいただこう」という発想の下に、良かれと思って馬に縞模様を描いているのでないか? 思うに、お客様にお伺いをたててお望みのものを作っている限り、お客様の発想を越えたものなんか作れない。

思い出そう。ペンやウォークマンは、そのデザインから開発者の顔が見えた。信念を持って開発した人の気持ちが会社の声となって人々に伝わる。ひとは自信を持つ者に惹かれるのだ。これってとてもわかりやすい構造だと思うんだけど、どうだろう?

好景気になれば国民が元気になって、活気が出てきて、みんな自信を持てるようになって...とか言ってるけど、好景気を待つのではなく、自信を持つ方が先だ。自信がないから他人の意見に頼ってしまう。そこで作ったものが売れなくても、調査結果に基づいて開発したのだから自分の責任じゃない、とか言ってる限りいいモノなんか生まれない。

ひとの意見を聞くことも大切だが、それは自分の信念を伝えることができてこそ、だ。そんな訳でみなさん。ここらでそろそろ自信を回復させつつ、自分の意見を主張してみませんか。そして、信念を伝える技術・デザインの力を思い出そうではありませんか。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/ >

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。