[2885] 拝啓、若き理想に燃えたエリア・カザン様

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《選択肢のあるところでは頭をフル回転させよう》

■映画と夜と音楽と...[470]
 拝啓、若き理想に燃えたエリア・カザン様
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■映画と夜と音楽と...[470]
拝啓、若き理想に燃えたエリア・カザン様

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100709140200.html >
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〈紳士協定/ブルックリン横丁/ピンキー/白いカラス〉

●自己弁護さえもきちんとなされていない中途半端な自伝

どこで眠るっているのかは知りませんが、墓の下のエリア・カザン様。以前に「友を売る」というタイトルのコラム(「映画がなければ生きていけない」第2巻73頁参照)であなたのことを書きました。1999年3月、アカデミー賞名誉賞を受賞したあなたに対し、客席の多くの人はブーイングで迎えました。いつもの名誉賞なら全員が立ち上がり、スタンディング・オベイションで迎えるところです。

ウォーレン・ベイテイ夫妻は立ち上がって拍手していました。当たり前です。彼は「草原の輝き」(1961年)というあなたの作品でスターになった人ですから。僕はエド・ハリスとエイミー・マディガン夫妻が立ち上がらず、抗議の姿勢を見せたことに共感しました。彼らの姿勢に好感を持ったのです。そのシーンを見ながら、あなたの不幸な(あなたが、そう思っていたかどうかはわかりません)人生を、僕の拙い文章で振り返ってみたくなったのです。

そう、僕もあなたが1952年にとった行動を認めていません。しかし、アカデミー賞名誉賞受賞後、4年経ってあなたは亡くなりました。1909年生まれのあなたは、94年の人生をまっとうしたわけです。そう言えば、アカデミー賞の舞台に登場したとき、あなたは足下もおぼつかない感じでしたね。そんなあなたに、僕を含めた世界中の人間の半分は冷たい視線を向けたのです。

僕は、朝日新聞社から出た長大な「エリア・カザン自伝」上下巻を読みました。それは、あなたが1952年に行った行為をどう書いているか、知りたかったからです。しかし、あなたはそのことについて、ほとんど何も書いていないという印象でした。結局、わかる人にはわかってもらえるという態度なんでしょうか。あなたは「私は、今、自分の人生に満足している」という、何だか負け惜しみのような言葉で自伝を閉じました。

僕は、別にあなたの下半身遍歴を知りたくて自伝を読んだわけではありません。あなたがマリリン・モンローと寝ていようが、エヴァ・ガードナーと寝ていようが、そんなことはどうでもよかったのです。あなたが、なぜあんなことをしたのか、そのことの本当の理由を知りたかった。その興味だけで、あの400字詰め原稿用紙で何千枚もある自伝を読んだのです。

あなたは舞台の演出家で名をあげ、ハリウッドに招かれました。「アレンジメント」(1969年)が僕が初めて見たあなたの映画でしたが、それより以前に僕は早川書房から出たハードカバーの小説版を読んでいたのです。だから、僕はあなたを小説家として認識していました。その割には、あなたは自伝において充分に、正直に、書いてはいない。自己弁護さえもきちんとなされていない、中途半端な自伝でした。どんなに愚かで卑劣な行為をしたにしても、そのことを真摯に書いていれば、僕は感動したはずです。

もちろん、ジェームス・ディーンの魅力にあふれた、あなたの代表作「エデンの東」(1954年)は好きです。その他にもマーロン・ブランドを有名にした「波止場」(1954年)は、評価の高い作品です。しかし、「波止場」は僕にはあんなことをした後のあなたの言い訳にしか見えませんでした。港湾労働者を救うはずのユニオンの腐敗を糾弾する映画の中で、あなたは露骨に己の行為を正当化しようとしていました。

あなたの裏切りによって、あなたが権力者たちに友を売ることによって、あなたの友人たちは職を奪われ、生活を破壊され、人生を狂わされました。あなたは積極的に「赤」と呼ばれる友人たちの名を明らかにし、自分だけが逃げたのです。あなたは新聞に「私は共産主義者ではない」という広告まで出したそうじゃありませんか。いくら「反共」という集団ヒステリーにかかっていた頃のアメリカではあっても、そこまで卑怯な振る舞いをした人はいたのでしょうか。

●あれほど繊細でやさしい作品を作れる人間が...なぜ?

先日、WOWOWで「エリア・カザン」特集が放映されました。日本未公開の作品も含まれていました。僕は、あなたのやった行為は好きにはなれませんが、あなたの作品まで見ないという偏狭な人間ではありません。それどころか、あんなに繊細でやさしい作品を作れる人間が、なぜ、あれほど恥知らずなことができたのか、そのことが不思議でなりません。

だから、僕はWOWOWで放映された作品をすべて録画しました。そして、改めて思ったのです。なぜ、これほど志の高い作品群を作った監督に、あんなことができたのだろうかと...。もちろん、あなたは苦悩した果てに、友人たちを権力に売り渡したのでしょう。裏切らざるを得なかった。そうしなければ、あなたの名声は剥奪され、仕事はなくなり、社会から葬り去られる。同情的に想像すると、僕もそう思います。

僕は、あなたがあんな行為をする以前の作品としては、「紳士協定」(1947年)しか見ていませんでした。素晴らしい映画でした。僕の大好きなグレゴリー・ペック主演です。敏腕ジャーナリストが自分をユダヤ人と偽って生活し、そのためにホテルで宿泊を断られたり、高級レストランでの食事を断られたり、子供がいじめられたりします。そのことを記事に仕上げるのですが、その取材中に彼は何かに目覚めるのです。

偏見を持つ人間の心の醜さ...、そのことを明確にあの映画は伝えてきます。立派な映画であり、充実したエンタテインメントでした。「仔鹿物語」(1947年)「ローマの休日」(1953年)「大いなる西部」(1958年)「アラバマ物語」(1962年)と共に、僕はグレゴリー・ペック映画のベストの5本に入れています。後世に伝えるべき映画であることは、間違いありません。

先日、WOWOWで放映された5本のうち、3本は40年代の作品でした。「ブルックリン横丁」(1945年)、「影なき殺人」(1947年)、それに名高い「ピンキー」(1949年)です。これらの作品を監督したあなたは、30代でした。「紳士協定」でアカデミー監督賞・作品賞を受賞したとき、あなたはまだ37歳か38歳だったはずです。あなたは、それから半世紀以上を生きなければなりませんでした。

30代で栄光の頂点を極めたあなたは、僕から見れば若き天才監督です。僕は還暦近くになった現在でも、未だに下積みの気分で生きています。あなたは、自分が手にした栄光、それに伴う富や名声を失うことを怖れたのでしょうか。自分が共産主義者であると糾弾され、映画界・演劇界から追放される恐怖におののいたのでしょうか。

でも、あなたとは異なる道を選んだ人たちもいました。たとえば、ジュールス・ダッシンやジョゼフ・ロージーといった人たちは、赤狩りに荒れるハリウッドを逃れてヨーロッパに渡り、その後も数々の名作を作りました。あなただって、ギリシャ系移民の子です。父祖の地に戻り、そこで自分の信念に基づく作品を作る道を選ぶことができたかもしれません。

●ブロードウェイの演出家がハリウッドに迎えられて作った注目作

あなたの最初の作品「ブルックリン横丁」を見ながら、僕は何度も頬を濡らしました。少女の視点で描かれる家族の話。少女のナレーションが耳に悲しく響きました。これは、「アラバマ物語」のように、女性作家が書いた少女時代の回想の物語なのでしょう。ブルックリンに住む貧しい一家の生活が、僕の子供時代を思い起こさせました。貧しさに関しては、僕はちょっとうるさいのです。貧しさが人を鍛え、自尊心について深く考えさせる、と僕は信じています。

愛し合って結婚した貧しい夫婦がいて、ふたりの子供がいる。子供たちはくず鉄を拾ってわずかなお金を稼ぐ。くず鉄屋のおじいさんが女の子に甘いのを知っているから、拾ったくず鉄は姉が売りにいく。そんな世慣れた知恵を持たざるを得ない環境で生きている姉弟が、それでも素直に育っているのは口やかましくも彼らに愛情を注ぐ母親がいるから...。あなたが描くニューヨーク下町の人情が、まるで僕の子供時代を描いているように見えてきました。

少女は「唄う給仕」の父親が大好きなのに、夢見がちで酒飲みの父親に対して、母親は生活力のなさを嘆きます。アパートも家賃の安い上階に移らなくてはならない。そんな中、少女は憧れの学校に通いたいと口にする。母親は少女に働きに出てもらいたいのに、父親は少女の夢を叶えてやろうとする。そんな食い違いも、彼らの愛情の発露なのだと描く、あなたの視線は本当にやさしいものでした。

少女は貧しさに負けず、立派な人間になるだろう、と僕は確信しました。実際、その原作は劇作家のベティ・スミスの自伝的な小説だそうですね。映画の中でも描かれる少女の文学的才能は、その後花開いたのだと、そのことを知って何だか誇らしい気分になりました。見終わってこんなに心が穏やかになる作品には、なかなか出会えません。

「ブルックリン横丁」は、ブロードウェイの演出家がハリウッドに招かれて作った注目作でした。30半ば、ニューヨークの演劇界で成功したあなたは、様々な思いを抱いてハリウッドに乗り込んだことでしょう。成功して当たり前、というプレッシャーにもめげず、素晴らしい作品を作ったものだと僕は感心しました。「赤狩り」以前のあなたには、こんなにも心やさしい作品が作れたのです。僕は、若きエリア・カザンに敬意を表します。

社会的な地位、金銭を稼ぐ能力...、そんなことより「夢」や「希望」という言葉に象徴されるものを大切にしたいというあなたのメッセージは、「ブルックリン横丁」の全編を通して伝わってきます。もちろん、現実はそんな風にはいかないし、実際の貧乏は悲しくなるほど人を苛みます。心を貧しくします。そこに打ち勝つのは、本当に大変です。しかし、人は貧しさにまけてしまうことはない、と僕は信じています。

もちろん、現実の社会は悪意に充ちて、ひどく人を追い込みます。そのことは数年後にあなたは身にしみてわかったはずです。しかし、やはり「ブルックリン横丁」を作った人には、「赤狩り」とは戦ってほしかった。そう思います。ダシール・ハメットは「コミュニストと思われる仲間の名前を言え」と迫られ、証言を拒否して入獄しました。その後の彼の生活は悲惨だったとも言われますが、半世紀以上経った今でも彼の名は敬意を持って語られます。

●理想主義を抱いていた青年を卑劣な男にした国家権力

「ピンキー」と言えば、僕の世代では「ピンキーとキラーズ」を連想しますが、僕が最初にピンキーという呼び名を知ったのは、ロバート・キャパの「ちょっとピンボケ」でした。その中に、キャパが「ピンキー」と呼ぶ恋人が登場するのです。それは、スペイン戦争時代の話なので、あなたの「ピンキー」という映画より早いのですが、黒人差別をテーマにした映画が紹介されるときには、必ずあなたの「ピンキー」があがります。

貧しい南部の田舎町。黒人たちが住む地域に、若く美しい白人の女が大きな旅行鞄を提げて歩いてくるシーンから「ピンキー」は始まりました。小屋のような家の庭で、黒人の老女が洗濯物を干しています。「レイ」(2004年)でレイ・チャールズの母親もやっていましたが、老女は洗濯女なのでしょう。それは、黒人女が金を稼ぐための一般的な手段だったのかもしれません。若い女は、老女が働く姿を懐かしそうに見つめます。

振り返った老女は、「ピンキーなの?」と声を挙げます。若い女は、意外にも「おばあちゃん」と返事をし、その瞬間、この映画のテーマが僕にはわかりました。白人にしか見えない肌の色、そのうえ若く美しいのですから、彼女が黒人だとわかったときの人々の(特に白人男たちの)衝撃は大きいはずです。そんな女性の生き方を通して、黒人差別の問題を取り上げたのでしょう。

1949年の段階で、そんなテーマを取り上げたことに僕は驚きました。日本未公開で、評判だけ高かった「ピンキー」です。僕は何の予備知識もなく見始めて、引き込まれました。たたみかけるような物語の運びの見事さ、人々の繊細な演技、予想外の展開を見せる物語...それらが結実し、見事な完成を見せてくれます。「紳士協定」でアカデミー監督賞・作品賞を獲得したばかりのあなたは、「紳士協定」以上の作品を作ろうとし、成功しました。

「ピンキー」を見ながら、僕は数年前に見た「白いカラス」(2003年)を思い出しました。肌の白い黒人の男が家族との縁を絶ち、白人として生きて大学教授にまでなりますが、ある日、たまたま口にした言葉が黒人生徒に対する人種差別的発言だと告発され、大学を放逐されます。ハンニバル・レクターで有名なアンソニー・ホプキンスが初老の教授を演じました。彼の愛人になる美しい清掃員を、ニコール・キッドマンが演じて印象的でした。彼女のベストの演技かもしれません。

フィリップ・ロスの原作小説はあるものの、「白いカラス」は「ピンキー」が存在しなければ作られなかった映画ではないのか、僕はそんなことを考えました。そして、ジョン・カサヴェテス監督の「アメリカの夜」も「ピンキー」に触発されたのではないかと連想しました。白人だと思って好きになった相手が黒人だとわかったとき、人はどう反応するのだろうか。手のひらを返すのか。人は肌の色で人を好きになるのか。そんなことを考えさせられます。

さて、ピンキーは南部を出て北部の看護学校に入り、白人の看護師として働いていましたが、ある医師と恋仲になり彼の求婚を受け入れられず、故郷に帰ってきたというのが、物語の進行と共にわかってきます。生まれ故郷では彼女は黒人として扱われ、屈辱的な目に遭い続けます。そんなピンキーに無学な祖母は、身をもって「黒人としての誇り」を教えます。「出自を偽って白人だと人に思わせておくこと」は、彼女にとっては神の意志に背くことであり、罪なのです。

ピンキーは、難しい選択を迫られます。しかし、あなたはやはり理想主義的なハッピーエンドを描きました。ピンキーは、自分が黒人であることを誇り高く宣言する生き方を選んだのです。それも社会に奉仕する崇高な生き方を...。そのラストシーンは確かに甘いし、理想主義かもしれない。しかし、希望に満ちたラストシーンでした。「夢」と「希望」、若き理想に燃えるあなたが描き続けたのは、そんな大切な事柄でした。

そんな理想主義を抱いていたあなたを、友を売る卑劣な男にしてしまった国家という権力に、今、僕は強い怒りを感じています。赤狩りを率先した権力者のひとりだったニクソンを、後に大統領にしてしまうアメリカという国にも僕はなじめません。しかし、「ピンキー」という映画を作ったのもアメリカであり、ハリウッドでした。そのことに、改めて「希望」を感じます。あなたは汚名を雪げないまま墓の下に眠っていますが、あなたの作品は60年以上の時間を経て東洋の果ての還暦間近の男に涙を流させるのです。映画の持つ力を感じました。冥福を祈ります。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
日本写真家協会60周年パーティに参加したとき、20数年前に一緒にカメラ記者クラブに出ていた人たちと再会した。「日本カメラ」編集長をリタイアしたKさんは髪が真っ白。最近、NHK-BSで伊集院光などと写真番組に出ているIさんは、すっかり有名人。懐かしい顔ばかりで、こちらの年齢も思い知らされる。年月は過ぎ、人は老いる。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![121]
失態だらけでボロボロだった──展示を振り返って

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まあ、いろいろあったけど、その「いろいろ」をすっぱりと省略して成功=1、失敗=0の1ビットの情報で表現せよと言われたら、1だ。7月5日(月)をもって、浅草橋「パラボリカ・ビス」での人形と写真の展示が終了した。成功裡に。ご来場いただいた方、ご協力いただいた方、心の中で応援していてくださった方、ほんとうにありがとうございます。

予想を上回る、多くの方々にご覧いただけたことが、まず嬉しい。遠くからご足労いただいた方々も数多くいらっしゃると思う。ほんとうにありがたく、畏れ多い。過去には有名なアーティストが話題性の高い展示をされたギャラリーで、7月18日(金)からの2週間以上にわたる長丁場の展示だったので、心配したのは、早い時期に来られた方からブログなどで「がっかりだった」などと審判を下されると、その情報が広まって、後は閑古鳥、のような事態になりはしないかということだった。

実際には、後半、来場者数が伸びており、最終日には、2度目、3度目の方もいらっしゃったとのことで、宣伝が功を奏したということだけでなく、展示内容にも一定の評価がいただけた結果だと解釈していいのではなかろうかと思い、ほっとしている。もちろん、同時開催していた宮西計三さんの個展目当てで来場して、ついでに人形もご覧いただいたという方も多くいらっしゃったはずで、助けられたという側面は多々あるけれど、それがどのくらい大きかったかはあいまいのまま「相乗効果」だったということでよろしいのではないかと。

準備段階でも会期中でも、大変な思いをする事態がいろいろ生じ、まあ、結果がよかったんだから、がんばった甲斐があったと手放しで喜んでもいいところではあるのだが、ただ、その「大変な」「いろいろ」の中身には揉め事に属することもあり、また、清水真理さんにも多大なるご苦労をおかけして申し訳なく、必ずしも後味のいい終わり方とは言いがたいという側面もあったりする。けど、そういうことも含めて大いに勉強になったのだから、それも収穫だったと考えれば、今回展示をした意義は大きかったと思う。

パラボリカ・ビスの主である今野裕一さん、スタッフの方々、今回の展示の話を持ちかけてくださり、ずっと面倒をみてくださった清水真理さん、人形の制作と展示に力を発揮してくださった10人の人形作家さんたち、週末イベントで演じてくださったMONT★SUCHTさんと電氣猫フレーメンさん、展示の宣伝や会場の設営などでご協力をいただいた多くの方々に、あらためて厚く感謝いたします。

「いろいろ」の中身は、いろいろあって、ここに全部ぶっちゃけるわけにはいかない。私がしょーもない失態やらかしてて恥ずかしいから、という理由だけだったら、いまさら何が減るわけでなし、いいのだが、関係者を巻き込む話なので、これ以上怒られてはかなわないので。あるときなど、ひとつのグループから怒られている最中に、怒られ終わったら次に怒ろうと、別のグループが横で控えている、なんて事態もあった。チクチクして、なかなか座り心地の悪いムシロであったなぁ。......って茶化してるけど、あれはどっちも私の軽率さのいたすところでした、ほんとにすいません。

私とて、展示を失敗に導こうとか、がんばってるみんなの足を引っ張ってやろうとか、悪辣な意図をもってしたことではないわけだから、運が悪かったといえば悪かったのだが、そうは言ってもこれだけ度重なると、運のせいというよりは、心がけが悪かったせいと考えたほうが当たってそう。結果を見てから後付けの理屈で、あのときああしてりゃよかったと言うことはできても、それじゃあ実際にそこまで気を回すことができたかと言えば、やっぱり無理だったよなぁ、ってこともけっこうあるんだけど。

ひとつだけ、具体的に書いておこうと思う。何かのご参考になるのではないかと。不運が続くと思ったときは、あんまり難しいことはしようとせず、安全確実な道を選ぶべし、とか、選択肢を前にしたときは、頭をフル回転させて、あらゆる事態を脳内シミュレーションしてリスク最小の道を選ぶべし、とか、なんらかの教訓を引き出して、おのおのの生活に役立てていただければ。

来場者にもれなくお渡ししていた小冊子がもしかすると足りなくなるかもしれないと気がついたのは、7月3日(土)のことだった。会期は5日(月)まで。あと2日。これはそもそも、来場者数を過小に予想して、刷り部数を決めたのが判断ミス。だけど、あの時点じゃ、無理だったよなぁ。いちおう、過去の展示の実績を参考にしつつ、もろもろの状況を鑑みて予想した数字を25%増しぐらいはしたのである。それで、区切りのいい数字になった。もっと刷っておくとなると、その2倍刷ることになる。元からすると、150%増しですな。この計算、分かります?(元の25%増しとは、1.25倍。それの2倍とは、元の2.5倍)

展示の案内に「もれなくプレゼント進呈」と書いている以上、ウソをつくわけにはいかず、品切れという事態はぜったいに避けなくてはならない。かといって、コストも安くはないので、さすがに2倍刷る度胸はなかった。2倍刷らなくても、大量に余ったという結果に終わったとき、いったいどういう楽観予測だよ、とののしられて気まずい空気が流れるのは、ちょっとかなわない。

会期中、日々の減り具合をチェックして、補外してX軸との交点を求め、会期終了前になくなりそうなら早めに増刷しよう、なんて話も出ていたんだけど、やらなかったなぁ。あと、増刷が間に合わなかったら、代替品として、缶バッヂかなにかで許していただこう、なんて話も出ていた。しかし、それすら間に合わないじゃん。できることといったら、小冊子に載せている10枚の写真をプリントしたセットを作って代替品とするぐらいだ。小冊子1冊単価よりもずっとコストがかかる上に、だいぶん見劣りするという、歯がゆい代物だけど、何もないという事態は避けなくてはならないし、お詫びの意味も込めて、こうするしかなかろう。

さて、画像データを毎日持ち歩いているわけではないので、3日(土)のうちにプリント注文するのは無理だ。4日(日)、画像データを持って出かけ、秋葉原のヨドバシカメラに着いたのは、1:00pm過ぎになってしまった。いつもは新宿のヨドバシカメラでプリント注文しているのだが、展示会場が浅草橋なので、秋葉原のほうが時間の節約になると考えた。ところが、そうじゃなかった。

入り口のフロア案内を見ても「デジカメプリント」という言葉が見当たらない。店員に聞くと、機械の前まで案内してくれた。機械が数台並べて置いてあるけれど、そういうコーナーになっているというふうではなくて、隅っこに押し込められている感じ。よくよく見れば、求めていたタイプと違う。セルフサービスで機械を操作して、プリントする駒と枚数を決めていけるところまではいいのだが、機械の中でプリントしてその場でプリントが出てくるタイプではないか。それはただのプリンタだ。

私が求めていたのは、機械からは注文伝票が出てきて、それをカウンターに持っていくと、30分〜1時間後に、印画紙に焼き付けたのを渡してもらえるタイプ。周囲を見回しても、そういうのは、ない。店員に聞き直せば別の場所にあったのかもしれない。けど、こういうのは普通固めて置いておくもんだという気がするので、そこらになければどこにもないのだろう。あきらめる。

さて、どうするか。秋葉原なんだから、そういうお店は他にもありそうだけど。知らないなぁ。Kinko'sも頭には浮かんだ。けど、あれこそプリンタであって、印画紙に焼いてくれるサービスを提供しているとは思えないなぁ。しょうがない、新宿まで戻ろう。1:30pm過ぎに新宿に着き、1時間でプリントして、1時間でOP袋に詰めて、週末イベントの設営開始時間の5:00pmにはパラボリカ・ビスに到着できる計算。そうすれば、週末イベントの来場者には写真セットをお渡しできる。

勝手知ったるヨドバシカメラ新宿西口本店の機械で、プリントする駒と枚数を決定する。10種類を50セットで、計500枚。すべてLサイズ。出てきた伝票をカウンターに持って行くと、仕上がりは5:00pmになるという。え? なぜ今日に限ってそんなにかかる? いつもだと、たいていは30分で仕上がり、枚数が多くても1時間以内には仕上がるのに。機械が不調でどうとか、こうとか。え?それだったら5:00pmにだって仕上がる保証はないじゃん。

注文をキャンセルする。ビックカメラへ。ここのサービスはほとんどヨドバシのコピペな気がする。プリント注文する機械やソフトウェアまで同じだ。ただし、画面を指でいくらつついても反応しないので、故障かと思って隣りのに移っても同じで、店員に聞いたら、マウスがつながっていた。駒を選んで決定し、出てきた伝票をカウンターへ持っていくと、5:00pmまでかかるという。え? なんでそういうとこまでコピペなの? まさか裏で同じマシンを共有して使ってるんじゃあるまいな?

今、振り返って考えると、Lサイズだけ、やけに時間がかかるのかも。ほとんどの人がLサイズで注文するので、このサイズだけ待ち行列が長い、とか。いつも30分〜1時間で仕上がっているのは、2Lサイズの話だ。今までそのサイズでばかりプリントしていたのだが、今回はそれでは値が張りすぎると思って、Lサイズにしていたのだ。この推測が当たっているかどうかは、確認していないけど、もしその場で思いついて、値が張ることには目をつぶって2Lサイズに変更したら、サクサクと仕上がっていたのかもしれない。

もう他に手が思いつかなかったので、5:00pm仕上がりを受け入れて注文する。この時点で、2:00pmちょい過ぎ。パラボリカ・ビスに電話すると、小冊子はすでに品切れという。え〜っ?! 5:00pm〜7:00pmの間のイベント設営の手伝いを失礼させてもらう旨を伝える。OP袋を買い、世界堂へ行って、綴じ用の黒い紙を買ったら他にすることはなく、忙しいさなかに空き時間ができて、漫画喫茶で待つ。

5:00pmにプリント仕上がりを受け取って、すぐ近くの喫茶ルノワールへ。抹茶フロートを注文し、綴じ作業。写真を1枚1枚OP袋に入れ、10枚セットを作ったら、2つ折にした黒い紙をかけて、ホチキスでがちゃっと留めるという作業。Lサイズの写真をLサイズのOP袋に入れてみると......。あれっ。ちょうどぴったり収まって、綴じ代ができないじゃないか。2Lサイズだと、あったのに。慣れないサイズに焼くと、予想外のことが起きる。

他に策が思いつかず、カッコ悪いけど、2LサイズのOP袋にLサイズの写真をぶかぶか状態で入れて、上を綴じることにする。持ち物と飲みかけの抹茶フロートをそのままにして、店の人に10分で戻りますと告げて、再びビックカメラへ。2LサイズのOP袋を買って戻る。あ、黒い綴じ紙が足りない! 2つに切って使おうと思って30枚しか買っていなかった。袋のサイズを大きくしたら、切らずにそのまま使ってちょうどいいサイズなので、50部は作れない。仕方がなく、30部だけ作る。この時点で7:00pmを回ってしまった。やばいやばい。

ルノワールを出て、世界堂で黒い紙を買い足して、浅草橋へ。パラボリカ・ビスに着いたのは、8:00pm過ぎ。7:30pm開演の、電氣猫フレーメンの公演がまさに進行しているところだった。ほんとは私が写真を撮る役だったのに。代わりに、八裕さんが、展示されている人形を撮るためにたまたま持って来ていた自分のカメラで撮影してくれていた。

あせりまくっていた私は、この後、もう一発、とんでもない大失態をやらかすのだが、それはまあ、むにゃむにゃ......ということで。結果から逆にたどれば、どこかの時点でもうちょっとマシな判断をしていれば、この事態は避けられたような気がするのだが。選択肢のあるところで、もうちょっと頭をフル回転させるべきだったのだろうか。

読者様におかれましては、いつか似たような状況に置かれたときに、どのように切り抜けるべきかという教訓にしていただくか、あるいは、俺がそんなマヌケな判断でみずからを窮地に追い込むわけがないじゃん、と笑っていただくか、いずれにせよ、何かの足しになっていれば。ぶっちゃけた話、日曜にはもうちょっとゆっくり時間をとって、もっとマシなことを書く構想はあったのであり、この一連のドタバタの被害は読者様にまで及んだということにもなりますわな。ひぇっ、すみませんすみませんすみませんっ。

え〜っと......、まとまりがつかなくなってきたけど。まあそういうことです。今回、このような敷居の高い場所で展示ができ、なんとか成功のうちに終えることができたことは、自分の中で非常に大きな意味をもつ、貴重な経験となった。けれど、今後の人生を、このようなセルフ・プロモーションの場の追求に費やしてばっかりではよろしくないと思う。

山へこもって修行しなおし、じゃないけど、ここらで原点に立ち返って、足元固めをしなければと思う。撮ったものをどこかへ展示、なんてことを考えもせずにがむしゃらに撮りまくってた昔のほうが、純粋で真剣な姿勢で臨んでいたかもしれない。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

金曜日のこの欄を交代交代で埋めているところの(←関係代名詞)[ところ]さんからfacebookへのお誘いメールが届いた。よく分からないままにアカウントを作成してみると、どういう仕組みになているのか、「この人たち、知り合いでしょ」みたいな感じで、すでにアカウントを持っている人たちのリストが表示される。はい、いかにも知り合いですが、なぜ分かったんでしょ?

もしかして、過去に私宛てにfacebookへのお誘いを送ってくれてた人リスト? こっちがずっと放置してたんだっけ? デジクリ関係では、濱村さんと武さん。コスプレ関係で、イタリアのBarbaraさん。'03年の夏、原宿の「橋」で声をかけて撮らせてもらったのだった。'06年のゴールデンウィークには、ブレーシアで開かれた日伊交流イベントでコスプレ写真を展示させてもらっている。最近もメールをやりとりしていて、今年の夏コミに合わせて日本に来るというので、楽しみにしている。

そのつながりで知り合っていたイタリア人たちの中に、facebookに入っている人が2人いることを教えてもらい、ほどなく「友達」に。国際色豊かなSNSなのは楽しいけど、彼らはイタリア語でやりとりしてるもんだから、何言ってるのか、さっぱり分からん。

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■編集後記(7/9)

・いよいよ参院選の投開票日が明後日に迫った。わが地域にはいまになっても選挙カーが殆ど来ないので(見捨てられたのか)、まったく静かなものだ。昨日、昼寝していたら某党の市会議員が電話で起こしてくれたけど。わが選挙区には10人の候補者がいる。2人の民主党候補がいて、6月11日付けの読売新聞の立候補予定者アンケートでは「永住外国人の地方参政権」について、そろって「どちらともいえない」と回答している。10人中、この問題について旗幟鮮明にしていないのは、この2人だけである。「どちらともいえない」で済ませられる問題ではない。有権者にたいして不誠実ではないか。そこで、メールで紳士的に(ほんとだよ・笑)どうお考えなのかを聞いてみた。A候補から56分後に「ただいま選挙期間中に付き、個々のお問い合わせや応援メッセージへの返信が、公職選挙法上等の制約により出来ません」という返事が来た。埼玉県選挙管理委員会に、そういう規制があるのかを聞いたら、メールはグレーゾーンにあるから用心されているのだろう、電話なら問題はない、とのこと。そこで、返事をくれた事務局員に電話してみた。メールは文書だから公職選挙法上等の制約があることと、メールが一人歩きする恐れがあるから答えられなかった、とまず謝る。肝心の「永住外国人の地方参政権」については「慎重に」という立場であるとのことで、その説明には全然納得出来なかったが、一連の対応がじつに丁寧で好感度が高い。B候補からの反応は未だない。昨日発行の「週刊新潮」に「『民主』過半数なら覚悟せよ『3杯の毒』──『人権侵害救済法』『夫婦別姓法』『外国人参政権』天下の悪法が国会通過を待っている」というこわい記事が出ている。立ち読みしてから投票行きましょう。(柴田)

・恐るべしFacebook。なぜわかったんだろう......。/あるよ、そういうのあるよ! ドツボな時。でもたいてい結果オーライになるんだよ〜。/日曜日は宝塚歌劇三昧。朝8時半に出て宝塚で軽食をとって11時から、水様退団公演「ロジェ/ロック・オン!」を観劇。梅田(大阪)に引き返し、星組公演「ロミオとジュリエット」を観劇。とてもハードなのに、朝から選挙に行くことになるかもしれない。こっちは二ヶ月前から決まっていたスケジュールなのだ。まだどこに入れるか決めていない。明日、不在者投票に行けるだろうか。/iPadでテレビやレコーダー内の録画番組が見られたら、テレビのない寝室でもサッカー見られるなぁと検索してみたが、今のところできないらしい。要因は様々。マックやPC、PS3内の動画や写真は「Air Video」や「Media Link Player Lite」(+「PS3 Media Server」)で見られる。マックに入れた市販DVDディスクは不可。エンコードやら何やらやって、HDDに溜めればサーバにはなるが、見るのは大抵一度だから、エンコードはめんどくさいな。(hammer.mule)
< http://www.facebook.com/help/?faq=15325 >
「紹介」とは何ですか?
< http://www.inmethod.com/air-video/ >
Air Video
< http://code.google.com/p/ps3mediaserver/ >
ps3mediaserver
< http://www.alpha.co.jp/biz/products/dlna/mlplayer/ >
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