映画と夜と音楽と...[471]娘の自立・父の嘆き/十河 進

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〈千年の祈り/96時間/コマンドー〉

●中国とアメリカに離れていた父と娘の12年ぶりの再会

イーリン・ユーの短編集で「千年の祈り」は読んでいた。しかし、何となく淡々とした話だなあというくらいの記憶が残っているだけだ。映画化された作品(2007年)は、監督が「スモーク」(1995年)のウェイン・ワンだというので期待した。期待通り、しみじみとしたよい映画だった。ウェイン・ワン監督は小津安二郎ファンだという。確かに小津的静寂が漂う淡々とした物語だった。

しかし、監督は意図的に様々な言語を出して観客を挑発する。騒がしくはないけれど、英語と北京語とペルシャ語、それにロシア語まで飛び交うのだ。北京語とペルシャ語と片言の英語での会話があり、北京語とペルシャ語のときには字幕が出ないので、劇中人物と同じように相手が何を話しているのかはわからない。それがまた、微妙な効果を醸し出す。

中国とアメリカに住み、12年離れていた娘と父親が再会する。空港へ娘が出迎えにきていて、「お父さん」と静かに呼びかけるトーンが印象に残る。中国人の感情の表し方がどのようなものなのかは知らないが、この場面で父娘はほとんど表情も変えない。娘の声のトーンには戸惑いと、もっと深読みすれば迷惑に思う気持ちがあるのではないか。

預けていた荷物を受け取るとき、娘はバッグに赤いスカーフが結びつけられているのに気付く。「紅衛兵のスカーフじゃないの」と、非難めいた言葉を口にする。父親は「目印さ。いらなくなったものの再利用だよ」と答えるが、娘は「よく税関を通れたわね」とあきれたように口にする。彼女は紅衛兵のスカーフを見ただけで、嫌なことを思い出すのだろう。



娘が父親を見る眼に暖かさはない。冷たいわけではないが、この人はいつまでいるのだろうと思っているような視線だ。だいたい、今更何をしにきたのか。だが、父は娘の離婚を心配し、嫌いな飛行機も我慢してアメリカまでやってきたのだ。翌日、父親は娘のためにたっぷりと朝食を作るが、娘は「時間がないから」と冷蔵庫の中のものをバッグに入れて飛び出していく。

ここでも、父と娘のすれ違いがある。娘には娘の生活があり、ライフスタイルがある。娘の価値観があり、モラルがある。父親の価値観やモラルとは、大きく違うのだ。まして、アメリカで12年も暮らしていれば、中国でずっと生きてきた父親とは、全く違う人生観やライフスタイルを持つだろう。

だが、父親はいつも不機嫌そうで無口な娘が心配でたまらない。夕食を作って待つ。「こんなにたくさん作らなくても...」と言われる。娘は迷惑がっている。食事の間も会話はない。「たくさん食べなさい」と、レンゲで料理を取って娘の茶碗にのせると、「やめてよ」という目で見られる。娘は干渉されたくない。20歳前後で北京を出て、もう30を過ぎた。子供のように扱われることが耐えられない。

──人生が楽しくないのか? そんなに無口で。
──お父さんも昔は無口だったわ。不幸だったの?

ロケット工学の研究者だった父は仕事のことは口外できず、家庭ではいつも無口だった。娘にもかまわなかった。老人になり妻を亡くし、30を過ぎた娘を訪ねてきた父親は、罪滅ぼしのように娘の幸せを願い、口を出す。その姿は、僕から見ても最近の人の言葉で言えば「うざったい」と見える。

●すれ違う父と娘の微妙な感情を描いて秀逸

「千年の祈り」は、すれ違う父と娘の微妙な感情を描いて秀逸だった。父は娘のいない日中、近所を散歩していて、イラン人の老婦人と親しくなる。その老婦人はイラン革命で故郷を出たのだろうか、片言の英語とペルシャ語と北京語が飛び交う会話の中で、老婦人がイランで娘を亡くしたことがわかる。

その婦人は、息子が医者になり、今は大きな屋敷で優雅に暮らしているらしい。ある日、友人の車に送られて公園にやってきた老婦人は、息子に孫が生まれて病院にいくところなのだと告げる。しかし、なぜか、それから老婦人は公園には現れなくなる。

老婦人の友人が、いつものベンチにやってくる。その友人は「あの人は病院にいったんじゃないの」と打ち明け、「老人ホームよ」と気の毒そうな顔をする。老婦人の息子は、母親が孫の面倒を見たがるのを嫌い、老人ホームに追いやったらしい。その老婦人も子供に疎まれていたのだ。

中国人の父親が「私は、よい父親ではなかった」と、告白するシーンがある。告白というほど大げさには見えないが、おそらくその言葉を口にするのは彼にとっては初めてのことだ。決意したカミングアウトなのだ。それは、イラン人の老婦人に向かって、たどたどしい英語で発せられ、理解したのかしなかったのか、老婦人は悲しそうにうなずく。

中国人の父親は、様々なことをくぐり抜けてきたのだろう。イラン人の老婦人も長い人生を生き、歴史の波にもまれてきたに違いない。中国もイランも動乱の歴史を持つ国だ。価値観が百八十度ひっくり返る事態も起こった。中国では紅衛兵が反革命分子を糾弾し、イランではイスラム原理主義が復活し自由化が遠ざかった。中国人の父親はインテリであることで糾弾され、イラン人の老婦人は女であることで革命の餌食になった。

そんな彼らが老後を迎えて、人生を穏やかに締めくくろうと思うとき、子供たちのことだけが気がかりなのに、子供たちは親の気持ちとは食い違い、行き違う。彼らは疎まれ、いなくなってほしいとさえ思われるのだ。実際、イラン人の老婦人は、苦労して育てたであろう息子に放逐される。

ある日、不倫相手のロシア人教師に送られて帰ってきた娘を問い詰める父親に、娘は離婚の原因はその相手だったし、彼にはモスクワに妻子がいると告げる。「お父さんのモラルでは許せないわよね」と冷笑めいた表情を浮かべる。父親を怒らせるために、娘はすべてを告白しているのか。

案の定、父親は娘の不貞と不倫を嘆き、つい非難する口調になる。そのとき、娘は父親を傷つけてもいいと思ったのか、父親に向かってある秘密を知っていたと口にする。娘とは友だち同士のように仲の良かった母親も、そのことは知っていたのだと...。そのときの父親の表情が悲しい。

「千年の祈り」を見ながら、僕は身につまされることが多かった。「私は、よい父親ではなかった」と告白するところ、娘のささやかな仕草から父親を疎んでいるのがうかがえる場面...、それらが僕を責めていた。我が身のことのように思えた。しかし、それでも親子だ。もつれた関係であっても、どこかに強い愛情があるはずだと願う。

●娘を愛する強い父親はアクションもののひとつのパターン

「96時間」(2008年)の父親は超人的だ。それに、娘を愛している。最愛の娘が誘拐されたと知ると、どんな手段を使ってでも救出しようとする。彼が娘をどれだけ愛しているか、孤独な部屋で娘の5歳の誕生日のビデオを見ているオープニングシーンでわかる。彼は妻とは離婚し、娘とは別れて暮らしている。だが、娘は彼の唯一の宝なのだ。

娘の17歳の誕生日、彼は歌手になるのが夢だった娘のために、カラオケ装置を抱えて大きな屋敷にいく。妻の再婚相手は金持ちだ。娘は彼のプレゼントに喜ぶが、かつての妻は「歌手になる夢は12歳のときのことよ」と皮肉な口調で言う。さらに、義父から本物のポニー(子馬)をプレゼントされ、驚喜する娘を見て複雑な気持ちになる。

ある日、娘に呼び出され喜んで出かけるが、娘の目的が友人とふたりでヨーロッパ旅行に出るための許可をもらうためだと知り、「危険だ」と反対する。母親は「大丈夫よ」と口を出す。未成年だけの海外旅行には、親が許諾した書類を出さなければならないらしい。彼は「先に相談すべきだろう」と娘に甘いかつての妻に言い、「相変わらず頑固ね」とうんざりされる。そのシーンが強い既視感を伴って僕に迫ってきた。

心配した通り、娘と友だちは男たちに誘拐される。そのとき、娘と携帯電話で話していた父親は、相手の特徴を聞き取り、誘拐犯と交わした会話を録音する。彼はそれを昔の仲間のところに持ち込み、その言葉がアルバニア語であり、彼らは若い女たちを誘拐して売り飛ばす犯罪組織だと教えられる。「猶予は?」と彼が訊くと、「96時間」と昔の仲間が答える。

リーアム・ニーソン演じる父親は、かつては政府の情報機関で働くスパイであり、プロだったのだ。彼は、すぐに娘の義父のプライベートジェットでパリに飛ぶ。彼の仲間には情報通もいるし、パリの昔なじみは情報機関の高官になっている。彼のやり方を知っている高官が「無茶はするな」と言ったとき、彼はこう答える。

──必要ならエッフェル塔を壊す。

僕は、思わず拍手した。「凄い」と声を上げそうになった。その気持ちはわかる。娘は薬漬けにされ、娼婦のための性的なテクニックを仕込まれて、どこかに売られるのだ。一分一秒が彼を苛む。一刻も早く助け出したい。唯一の希望は娘がバージンであることだ。情報通の仲間は「どこかの金持ちに高く売られるだろう。それまでは大事にされる」と言う。

そこからは、父親の超人的な活躍を描くアクションシーンが続く。こんな話、どこかで見たな...と思った。「タイムリミットの設定、元殺しのプロ、誘拐された娘」で記憶を検索したらアーノルド・シュワルツェネッガー主演「コマンドー」(1985年)が甦った。菅原文太主演「犬笛」(1978年)も思い出した。原作は、西村寿行の「娘よ、涯なき地に我を誘え」である。

どちらの映画も、娘のためなら何でもやる、手段を選ばない父親の話だった。しかし、どちらも誘拐される娘たちは、まだ幼く自立はしていない。牧歌的な父と娘の関係が、まだ壊れてはいなかった。だが、「96時間」の17歳の娘は父親の束縛をうざったく思い始めている。自立した大人の女である「千年の祈り」の娘は、父親を疎んでいる。父親は、嘆く他に何ができる?

●小説の主人公に託して描いた娘への心情

3年前、あることがきっかけになって書いた500枚のミステリは、娘を亡くした父親の物語だった。その小説は、江戸川乱歩賞に応募して三次選考の20数編には残ったが、大沢在昌さんが選考委員をしていた最終選考の前で落ちてしまった。自分でもミステリとしてのプロットは弱いと思っていた。しかし、僕と同年に設定した主人公の心情だけは書き込んだ。

僕は、ストーリーやプロットを考えて書き始めたのではない。あるシーンが浮かび、その情景を書き進み、そのまま流れにまかせていたら物語ができあがったのだ。都会の雨の夜、レストランのテーブルにひとり座った50半ばの男がいる。4年前の同じ日、娘の大学合格と18回目の誕生日を家族で祝ったテーブルだ。

外村と名付けた主人公は、雨のしずくがつたわる窓に映る自分の顔を見ながら、4年前に殺された紗英という娘を回想する。「雨だった...」と、僕は書き始めた。それが初めて完成させることができた長編小説になるとは、そのときには思っていなかった。僕は娘への思いを、小説に託して書き連ねていった。


雨だった。

細かな雨が降っていた。何もかもが濡れていた。濡れた歩道に街の明かりが映っている。濡れて都会の夜の光を反射していた。遠くの明るい通りを色とりどりの傘がいきかう。「シェルブールの雨傘」の曲が浮かんだ。紗英が好きだった。「それが永遠に奪われたとしても、私は待っている」と、英語版の歌詞を訳して喜んでいた。

窓ガラスに絶え間なく水滴が付着する。水滴が少しずつ膨らんでいく。膨らみ、重くなり、ガラスを伝い、いくつかつながった水滴が、やがて滴る。そのガラス窓に映っているのは、疲れた顔をした中年過ぎの男だ。髪は短く刈り上げ、四角い顎が目立っている。生きている理由もなく、生きる目的もない男の顔だった。だからといって簡単には死ねない。死ねないから生きている。

不意に「死んだ子の歳を数える」という言葉が浮かんだ。「無意味なことをする」「愚かなことをする」という意味で捉えられている。過去がいつまでも忘れられず、くよくよと未練たらしく悩んでいる...。まったく、その通りだと思う。だが、子供を亡くした親の気持ちを、これほど逆なでする言葉はない。忘れられるものか。忘れられるはずがない。生きていれば今頃は...、と思わない親はいない。

10年近く前、有名な喜劇俳優が長男を亡くし、その葬儀の時に悲痛な声で息子の名を叫び、慟哭していたのをテレビで見たことがある。その喜劇俳優はすでに80歳を越え、長男は50半ばだった。50半ばで死んだ子の名を呼び慟哭する。それも大勢の参列者とマスコミのカメラ群の前で...。いくつになっても子供に先に死なれるほど悲しいことはないのだ、と思ったものだった。

外村は「この人は、名優だったんだよ」と、オフィスに出かける前にテレビのワイドショーを見ながら紗英に話しかけたことを覚えている。紗英は中学生でセーラー服姿だった。「50歳を過ぎた子が死んでも、親はあんなに悲しむものなの。私、お父さんより先には死ねないね」と、紗英は明るく笑った。しかし、目尻に涙が浮いていた。──泣きそうになると、必ず明るい声を出す子だった。


娘が生まれたときの情景、中学生のときに背後から駆け足の音が近付いたと思ったらいきなり腕を組んできたこと、家族で食事にいったとき「家族団欒、家族団欒」とはしゃいでいたこと...。外村が回想する紗英という少女の思い出は、フィクションという形に変えた僕の思い出だった。そんな思い出があるだけ、僕は幸せなのかもしれない。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
帰郷してきました。80半ばを過ぎた父親が免許を返上していたので、慣れない道を運転して父母を選挙の会場に送ったりしました。運転し終わって、ふと見るとまだ高齢運転者のマークが前後にしっかり貼られていました。どうりで、よく道を譲られたなあ。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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