[2894] 下駄を鳴らして奴がくる

投稿:  著者:  読了時間:32分(本文:約15,500文字)


《これからは「死ねばいいのニィ〜」で行こう》

■映画と夜と音楽と...[472]
 下駄を鳴らして奴がくる
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[472]
下駄を鳴らして奴がくる

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100723140200.html >
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        〈やがて復讐という名の雨/ギャング/マルセイユの決着〉

●実家の散歩圏内にスタバができているとは思わなかった

帰郷して3日目のことだった。昼食を摂り、散歩にいく、と母親に言い置いて出た。少し歩くと大きな書店があり、そこで新刊の棚でも眺めた後、向かいのショッピングセンターにあるスターバックスでアイス・カフェラテでも飲んで帰ってこようと思ったのだ。まさか、実家の散歩圏内にスタバができているとは思わなかった。

中学生の頃、自転車通学していた道路の両脇は田んぼばかりだったが、今はレインボー通りと名付けられた大きな道路が走り、広い歩道が設置され、人工の流れが造られている。歩道も凝った石畳だし、人工の流れには石がきれいに積まれていた。レインボー通りの両側には大きなショップばかりある。家電の量販店、靴のチェーン店、ファミリーレストラン、それにショッピングセンターである。

梅雨がまだ続いていた。蒸し暑く、歩いているうちに首筋と額から汗が流れ始める。上はTシャツ1枚だからそれほどでもないが、無理をしてジーンズを履いてきたので腰の周りにも汗が流れる。足を止め、ヒップポケットからタオル地のハンカチを取り出して、首筋をぬぐった。見上げた空は、微妙に曇っている。薄日が差す。そのとき、「電話してみるか...」と不意に思った。

Tが東京での生活をたたんで故郷に帰ったのは、もう15年前になる。その後、一度会ったきりで、ずいぶん会っていない。電話もしなくなってしまったし、Tからの電話もいつの間にか途絶えた。3年前、朝日新聞に掲載された「小説宝石」の広告に大沢在昌さんの対談相手として僕の名前が出た朝、「あれはおまえか?」という電話がかかってきたのが、10年ぶりのことだった。

そのときに、何年もメールマガジンに映画の文章を書いていて、それが2冊の本にまとまり、たまたま内藤陳さんに認められて賞をもらい、その縁で大沢さんと知り合い、対談することになったと告げると、Tは「『新宿鮫』書く前の若き大沢さんとは会ったことがあるよ。『本の雑誌』の目黒さんの関係だった」と懐かしそうに電話の向こうで口にした。

しかし、そのときには、その電話だけで終わった。僕の方から積極的に連絡をしなかったからだ。長く連絡をしないと、何となくしそびれてしまうところがあり、気が付くと何年も経っていることがある。そのときも、そんな風に時間が流れ、今年の2月、3巻目の本の担当編集者からメールをもらうまで、僕はTに献本しなかったこともそんなに気にはしていなかった。

水曜社の担当編集者のメールには、著者の友人だという人から3巻目の注文があり、そのときに長く話をすることになったとあった。彼は「朝日新聞の記事を見て、3巻目が出たのを知った。ソゴーに連絡すれば送ってくるだろうけど、買ってやらなきゃね」と話したという。相手は名乗らなかったが、「武蔵境駅でバンザイをした男です」と最後に口にしたと書いてあった。

武蔵境バンザイ事件は、今から31年前の6月のことである。この連載を始めて間もない頃、僕はその話を「祭りの準備」(1975年)という映画の思い出(「映画がなければ生きていけない」第1巻82頁所収)として書いた。そのとき、多くの人から「メールマガジンを読んでいて、泣いたのは初めてです」というメールをもらった。そのことが、僕がこの連載をずっと続けるきっかけになったのだと今も思っている。

●その瞬間、長い長い時間が消え去り昔と同じように話していた

武蔵境駅の改札で「バンザーイ」と、人目もはばからず大声で僕を励ましたのはTである。それがなければ、僕は別の人生を送っていたことだろう。高校の一年後輩、僕が浪人したために大学では同級になったT。最初、「ソゴーさん」と言っていたが、いつの間にか「ソゴー」と呼ぶようになり、一緒に授業をさぼり、映画館のはしごをし、本の貸し借りをし、飲めない酒を飲み、ときには何日も生活を共にしたTだった。

水曜者の担当編集者からメールをもらっても、僕はすぐにはTに連絡をしなかった。迷っていたのだ。長く離れすぎていたために、改めて連絡を取った最初になんと言えばいいのか、そんなつまらないことが僕をためらわせた。僕がTに最初の本を送らなかったのは、その中に書かれていることのほとんどをTが知っているからだった。あいつ、あのことをこんな風に書いたのか、と思われることに妙な恥じらいがあった。

結局、メールをもらった一ヶ月近く後に、僕はTに電話をした。出てきたのは奥さんだった。奥さんは「ソゴーさん?」と、驚いた声を上げた。声はTと結婚する前と変わっていない。まだ20歳だった奥さんの姿が甦る。あの頃は、簿記学校に通っていた純情そうな少女だった。20歳の女性に少女というのもどうかと思うけれど、どこか幼さの残る人だった。

その日の夜、Tは仕事だった。奥さんは携帯の番号を告げ、「明日、そちらに電話してください」と言う。翌朝、僕は通勤途中、乗換駅でその番号に電話した。「おう」と、Tの声が答える。その瞬間、長い長い時間が消え去った。昔と同じだった。「昨夜、電話もろたらしいな」とすっかり讃岐弁に戻ったTの声が聞こえ、昔ずいぶんなじんだ声だなあ、という思いが湧き起こる。まるで、昨日、別れたばかりのような話し方だった。

気が付くと、僕も昔のように喋っていた。何のわだかまりもなく、言葉が出てくる。「版元に注文したら、担当者だという感じのいい女の子が応対してくれたから、つい長話したよ」とTは言う。人なつっこい男で、人に好かれる男だった。東京で出版社の営業として書店まわりをしていた頃にTは結婚したのだが、そのときには東京の主だった書店の店長たち数10人がお祝いのパーティを開いてくれた。

通勤途中だったにもかかわらず、僕は5分近くも話をした。広いコンコースの壁に寄り添うように立って、携帯電話を耳に当てていた。目の前を早足に人々が通り過ぎる。中には走っている人もいる。無秩序に歩いているようで、ぶつかることはない。誰もが遅刻をせずに、会社や学校に着くことをめざしている。他人のことなど、頭にないだろう。しかし、チラリと僕を見ていく人もいる。

誰も、10年以上会っていない旧友と話しているとは思わないだろうなあ。そんなことを思っていると、「あの本、印税の半分くらいもらってもいいと思うぜ」とTが言った。もちろん、電話の向こうで笑っているのだ。「確かに...。出演料、払うべきだな。でも、知ってる人間には読まれたくなかったもんだから...」と僕が言うと、「何、言ってんだ。ネットで公開してるくせに」と、さらに笑った。

●神田神保町「ラドリオ」でフィルム・ノアールの話で盛り上がる

その後、ときどきTから携帯電話に連絡が入るようになった。そんなときは、決まって昔と同じように本と映画の話になる。日本未公開でDVDのみの発売になった「やがて復讐という名の雨」(2007年)の話が出る。「絶望的に暗い映画だよな」とTが言い、「おれは好きだな」と僕が答える。「ダニエル・オートゥイユが好きなんだ」と続けると、「おれも好きだよ」とTがたたみかける。

そして、話は当然のように「マルセイユの決着(おとしまえ)」(2007年)へとつながる。ジャン・ピエール・メルヴィル監督の「ギャング」(1966年)をアラン・コルノー監督がリメイクした「マルセイユの決着」である。ほとんど前作通りにリメイクしたのに、どこか決定的に違う、致命的な何かが...とTと僕は同意する。

──説明しすぎるんだよ。
──メルヴィルはストイックだからな。
──20分、セリフなしだったり...。
──ところで、「ギャング」のテープ持ってないか。DVDも出てないし...。
──持ってるよ。それもオリジナル版だ。140分近くある奴。
──貸してくれよ。
──いいよ、送るよ。返さなくていい。もう充分、見た。

まるで40年近く前、神田神保町の「ラドリオ」という喫茶店で、初めてフランスのフィルム・ノアールの話で盛り上がったときのようだ。そして現在、携帯電話でそんな会話をした翌日、僕は「ギャング」のVHSテープを緩衝材で大切に包み、封筒に入れて発送した。それは、画質にこだわるために探した、ノーマルモードで140分(通常はノーマルで120分)が録画できるテープだった。

●10数年ぶりに会おう、と決意して携帯電話を取り出した

「ギャング」のテープをTに送ってから数ヶ月後、僕は一年ぶりに実家に帰った。午後に到着して1日目は暮れた。2日目は帰郷すると必ず会う友人の車で土産(もちろん讃岐うどん)を仕入れにいき、うまいピッツァを食べさせる店でごちそうになった。3日目、午前中に父の車を借りてカミサンの実家へいき、ひとり住まいの義母を見舞った。

カミサンの実家から帰り、昼食を摂ってしばらくぼうっとしていたが、運動不足を感じて散歩に出ることにした。そして、書店に向かう途中、僕はTに電話しようと思い付いたのだ。携帯電話では屈託なく話ができた。しかし、まだ顔を合わせていない。10数年ぶりに会おう、と僕は決意して携帯電話を取り出し、Tの番号を出した。通話ボタンを押す。呼び出し音が何回か鳴り、Tが応えた。

30分後、僕はTの車の助手席にいた。Tは、ほとんど変わっていない。老けてもいないし、髪も黒く薄くはなっていない。昔から小太り(?)だったから、あまり太った印象もない。学生時代からでも変わったという印象はない。40年、変わらない印象を保っているのだから、大したものだ。僕に対する態度も、少しも変わらないのがうれしかった。

「喫茶店でもいくか」とTが言い、慣れた手つきで小型車を扱う。運転免許など持っていなかったのに、帰郷してから取ったのだ。40を過ぎて免許を取りにいったのは僕と同じだが、彼の場合は必要に迫られてだった。今も、車で通勤している。「おれの車に乗るのは初めてだろ」と笑う。後部座席の紙袋をあごで示し、「うちのがサインもらってくれ、と言ってたぞ」と言う。分厚い僕の本が3冊入っていた。「奥さんも読んだのか?」、まいったなあという気分で僕は下を向いた。

──「ギャング」のテープ、見たんだろ。
──あれで、気になったんだけど、ギュはマルセイユで匿ってくれる男に、マ
ヌーシュのことを妹と言ってるんだが、「マルセイユの決着」じゃギュとマヌ
ーシュは寝てるよな。
──モニカ・ベルッチがマヌーシュ役だったから、サービスのベッドシーンか
もしれないね。「ギャング」のギュとマヌーシュは男と女の関係じゃない印象
だった。
──「ギャング」で一番カッコいいのは、あのロシア人。出番は少ないが、ほ
とんどさらってるよ。ジョバンニの原作では、あれにしか出てこないはずだ。
──確か、オルロフだ。リメイク版ではほとんど印象に残らない。
──ところで、ジョニー・トー、見たか?
──よかったぞ。「冷たい雨に撃て、約束の銃弾を」
──こっちでは見られない。「エグザイル・絆」だってやらなかったんだ。
──「エグザイル・絆」の後、「仁義」をリメイクするという情報だったけど、
あの映画は「サムライ」にオマージュを捧げてる。ジョニー・アリディの役名
はコステロだ。ジョニー・トーはメルヴィルとペキンパーのDNAを受け継いで
るよ。「エグザイル・絆」は「ワイルドバンチ」だしな。
──みんなでウィスキーのまわし飲みするとこなんかもな。

好事家の会話はどんなジャンルでもこんなものだろうが、共通基盤が近いうえ、若い頃からの付き合いで相手が持っている知識や情報もわかっているから、10数年会わなくてもこんな会話が永遠に続きそうになる。といっても、今回は僕の方がはしゃいだように喋っていたのは確かだった。本と映画以外の話にならないようにしていたのかもしれない。

「もう帰って寝なきゃならない。今夜は仕事なんだ」とTが言ったのは、僕がひとりで本の話をしているときだった。いつの間にか時間が過ぎていた。そう言えば、僕は話に熱中するあまり身振り手振りを交えていた。店の女性が呼ばれたと勘違いしてやってきそうだったな、と冷静になると苦笑いが浮かぶ。「いつ帰るんだ?」とTに訊かれ、「明後日の昼過ぎの飛行機」と答えると、「空港まで送ってやるよ」とTは言った。

●長い時間と共に消え失せた二度と戻ってこない何か

Tは、会社運あるいは仕事運の悪い男だった。出版社に編集職で入り、営業に異動になったときには「書店営業は天職だ」と言っていたが、いくつかの出版社を経て、結局、東京を引き払うことになった。その間、「本の雑誌」に原稿を書いたり、ペンネームで文庫(徳間文庫の五味康輔作品など)の解説を書く仕事もあったのだけれど、そちらで身を立てるほどにはならなかった。

東京を引き上げるとき、「おまえみたいに、きちんと就職活動しておけばよかったよ」とTに言われたのが、その後の僕の心理的負担になったのかもしれない。Tらしく屈託のない言い方だったのだが、そう言われたことで気軽に連絡が取れなくなった。Tから見れば、僕は計画的に出版社を受験し、それなりの待遇の会社に入り、経済的にも恵まれて生きてきたと見えるのだろう。

僕たちの仲間には、就職活動をする人間をバカにする気分があった。その気分は僕にもわかったから、僕は後ろめたい思いを抱えながら大学4年の夏休みから就職活動を始めた。言い訳をするなら、僕には卒業したら呼び寄せる約束をしている女性が郷里にいたのだ。経済的基盤を築く必要に迫られていた。僕は故郷に帰って就職することも考えたが、自分のやりたい仕事はなかった。だから、僕は出版社を受験し続けたのだった。

その結果、運がよかったのか、ひとつの会社でずっと勤めている。それなりの仕事をしてきた自信はあるし、社内での評価も得た。会社は毎月、給料を支払ってくれたし、ボーナスも出た。30前でマンションを購入し、35で今の高層団地に移った。ローンも支払い終えたし、子供たちも育った。倒産もリストラも転職も経験せずに生きてきた。しかし、人生はそれだけのものではないはずだ。

10数年ぶりに会ったTは、落ち着いた顔をしていた。帰郷してからも、いろいろ苦労はあったのだろうが、生まれ育った土地で落ち着いた豊かな気分で生きている雰囲気だった。相変わらず古本漁りをしているらしい。長男は、すでに結婚して近くに住んでいる。真ん中の子は大阪で働いていて、下の子が18で高専に通っているという。隣の芝生は青いと言うが、Tの家庭は幸福そうに思えた。

実家の前まで車で送ってくれたTが「......ちゃんによろしく」と、カミサンの名前を口にした。そう言えば、就職し結婚した頃、阿佐ヶ谷の狭いアパートでカミサンが作った夕飯をよく一緒に食べたな、とすっかり忘れていたことを思い出す。「あさって、午前中に連絡くれたら迎えにくるよ」と言ってTが去った後、不意に「我がよき友よ」という吉田拓郎の歌が浮かんだ。大学を卒業する頃、かまやつひろしが「下駄を鳴らして奴がくる」と歌ってヒットした。

そう言えば、大学に入学したばかりの頃、Tは下駄で大学に通っていたことがある。あの頃は、まだそんな若者の衒気が認められたのだ。カランコロンとゲゲゲの鬼太郎のように下駄の音をさせ、Tは教室に現れたものだった。遙かな...、そう、遙かな遠い昔の話だ。

あの時代に存在し、今はなくなってしまったもの、とうに失われてしまった何か。僕らの長い時間と共に消え失せ、二度と戻ってこない何か...。それらが一瞬、胸にあふれ返るように甦り、僕は実家の玄関の前で呆然と佇んでいた。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
あなたはすべての思いが過去に向かっている、とある人に指摘された。ものを書く人間はナルシシズムから逃れられないのかと、改めて反省。ある作家さんからは「ソゴーさんは正直な人だなあ」と言われたけれど、その本意はわからない。自己憐憫も自己韜晦も否定したいと努力しているのですが...。

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■Otaku ワールドへようこそ![122]
カメコったりコスプレ写真展を見たりの週末

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20100723140100.html >
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今回は、写真論というか写真哲学というか、あれこれ悩めるところを土門拳ふうに小難しく論じ立ててみようかという構想もあったのだけど、こう暑くちゃ、そんな方面へ頭が働かない。やっぱ軽〜い調子で、写真を撮った話とか写真の展示を見た話とか、つづっていこう。まあつまりは、3連休のできごとを日記ふうに。

7月17日(土)は海辺へロケハンに行っているのだが、さんざん歩き回って激しく日焼けしました、以上、な感じなので、すっ飛ばして、と。

●武さんの個展:抽象と具象の織り成す空間

7月18日(日)は、根津へ、武盾一郎さんの個展「Real FantASIA」を見に行く。一週間前にも行っているのだが、展示風景を撮らせていただける話になったので、この日はカメラを持って再び。前回は、絵を見てる時間よりも、自分がしゃべってる時間のほうが長かった気がする。芸術論とか社会論とかベーシックインカムのこととか。飲んで話すような話題で盛り上がった。みんな素面だったんだよね?

今回展示している武さんの絵は、全体的にどれも、抽象と具象が調和よく織り成されて奥深く楽しい。数理と物理と日常と享楽がそこにある、と感じられる。全体の構造を決めている緩やかな曲線群は、何かの数理によって生成された幾何学的なパターンのように見える。その地平線上に、安穏たる日常と遊園地のようなファンタジーが乗っかり連なっている。

もし、その曲線の一本一本がそれぞれ「俺は曲がってなんかいない。まっすぐだよ」と主張していたら、と想像してみる。相対論。重い星をかすめて通る光は、重力に引っ張られて少し曲がることが知られている。曲がるったって、どっかにまっすぐな定規があって、それを持ってきて当ててみるというわけにはいかない。ひとつの星から地球に届く光線が、途中で重い星の近くをかすめているとき、その星は、他の星との位置関係からすると本来見えるべき位置よりも少しだけズレて見える、という現象があるだけだ。

光の側に言い分を聞いてみると「俺は曲がっちゃいねぇ。いつでもまっすぐに全力疾走してらぁ」という。それは嘘ではない。光の側からはまっすぐなつもりでも、観察する側から曲がって見えるとしたら、それは空間が曲がっているからにほかならない。曲がった空間の表面上の2点間を最短で結ぶ曲線を「測地線」というが、光は測地線に沿って進む、とみることができる。

そうは言ったって、どっかにまっすぐな定規があるわけではなく、まっすぐであるかどうかの基準は光以外にはないのであって、それでもってどうやって空間の曲がりを計測できるというのだ。なんか禅問答みたくなってきた。

風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。「これは旗が動いているのだ」「いや違う。風が動いているのだ」。そこに通りかかった慧能が言った。「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」。

こっち側の宇宙を支配する物理もそこそこ奇妙だけど、絵の中の宇宙にはまた違った物理があって、違ったふうに空間が曲がっているのかも。うん、武さんの絵は、禅問答みたく、「曲がっているのはお前の心なんじゃないのか?」と問いかけてくる。

18日(日)の午後は、心静かに撮らせていただいた。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/RealFantASIA# >

●笑顔で可愛く「死ねばいいのに」

根津から浜松町へ。ヲタ仲間のファルコンさんが福山から出てきているので、迎撃。浜松町の都立産業貿易センターで開催されている東方Projectのオンリーイベント「紅のひろば」にサークル参加して、自作イラストによるケータイストラップやステッカーなどのグッズを売りに来ているのだ。

ファルコンさんと会うのは3月14日(日)以来だ。福山で痛車のイベントがあり、見に行ったのだった。福山には、それぞれ別個に知り合った人が3人いて、揃いも揃って濃ゆ〜いオタクなもんだから、集めちゃえと思い立って、去年の8月30日(日)にセーラー服持参で福山に行き、カラオケで盛り上がったのだった。そしたら、ばんじょうさんがスタッフを務める3月の痛車イベントのときには、ファルコンさんが描いたイラスト入りのグッズを吉さんとともに売っていて、すっかり持ちつ持たれつの結束を固めていたというわけだ。

今回は、売り子のお手伝いに、お友達2人を連れてきていて、引き合わせてくれた。中学時代からの友達という響子さんと、東方好きのレイヤーさんを介して知り合って岡山のイベントで仲良くなったといううーさん。ファルコンさんは東方Projectの藤原妹紅(ふじわらのもこう)のコス、響子さんは同じく十六夜咲夜(いざよいさくや)のコスで売り子をしているので、カメコとしては、腕を奮って撮らなくては。......って、間に合わなかったよ。着いたら、イベント終了の3時を過ぎていた。

当日の朝、べちおさんにmixiメッセージを送ってみた。いつも忙しいからダメモトぐらいのつもりで。べちおさんは私よりも古くからファルコンさんとお知り合いなので。そしたら、娘さんを連れて、来てくれた。私の伝え方が多重に間違ってて、世界貿易センタービルへ行ってしまったそうで、やはり3時には間に合わなかった。ごめん。聞かなかったけど、どうやって正解にたどりついたんでしょ?

で、4時から飲みに突入。大門駅近くを歩いていたら、たまたまビラを配っていた「九州黒桜」へ。ビルの4階の窓際の席。いや〜、空が青い。モツが美味い。翌日は「月の宴」という別のイベントが同じ会場であって、やっぱり東方Projectオンリーなので、コス姿はそのときに撮らせてもらうことにして、このときはとりあえず酔っ払い姿を撮る。響子さんがめっちゃかわえ〜のだ。自他ともに認める、異論の余地のないかわいさ。

完熟マンゴー梅酒をたぶん10杯以上飲んでたけど、見かけ、酔ったふうにはぜんぜん見えない。ずーっとカメラを構えっぱなしにして、ここぞという瞬間にシャッターを切っていたら、けっこういいショットが何枚かゲットできた。かわいいコをかわいく撮るのは人物写真のイロハのイであり、それ自体はなんの問題もないんだけど......。なんか、写真というものの表現力の限界を感じた。

写真だけ見た人は、きっと性格やしゃべることもかわいいんだろうな〜と想像してしまうに違いない。ところが、それがそうでもなかったんだなー。いろんな人を槍玉にあげ、さんざんこき下ろし、あげく「死ねばいいのに」と。なんか、ヤンキーっぽいっちゅうか、なんちゅーか。まあ、それはそれでかわいくないとは言い切れないのだけど。

「死ねばいいのに」と言った瞬間がいちばん生き生きとかわいく撮れてるし。響子さんの魅力が最大限に発揮される瞬間だ。うん、写真を撮るとき「はい、チーズ」と言うのはもう古い。それを言われても、たいていの人は真顔のままだ。これからは「死ねばいいのニィ〜」で行こう。

< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/FALCONEtAl# >

●プロが撮るコスプレ写真

プロの写真家によるコスプレ写真の個展が開催されると聞いて、頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだったが、とにかく行って見てきた。冨永浩司写真展「Layer」。新宿御苑前のフォトギャラリー「Place M」にて、7月25(日)まで開催している。

プロがカメコの領域に進出? なぜ? アマチュアとの実力の差をビシッと見せつけてくれるのか? それならぜひ勉強させてもらいたいが。「電撃レイヤーズ」や「コスモード」といった雑誌では、そこそこクオリティの高いコスプレ写真を見ることができて、ある意味、プロの仕事と言えなくもないが、そういうのとも違うのか?

なぜ今? という疑問もある。2005年ごろにはメイド喫茶が話題になったり、映画「電車男」がヒットしたりして、オタクブームの様相だった。それまでの変人集団とか犯罪予備軍といった暗いイメージが徐々にすすがれ、オタクの生態がマスコミによって明るみに引き出され、一種の珍獣として笑っておけばいいのだ、ぐらいには格上げされた。そのブームはすでに沈静化している感じだ。以前の典型的なオタクっぽいオタクはあまり見かけなくなり、そんなに特殊な人というイメージでもなくなってきた。アニメを一本見たからといって、即、一般人の世界からオタクの世界へ転落ってわけでもあるまいし、お台場に立ってたデカいガンダムは、オタク専用ってわけでもなかったのではあるまいか。

かつては、「コスプレ」というと、風俗店で殿方の形而下的な興味を刺激する目的でフィーチャーされるナース服だかチャイナ服だかを思い浮かべる人が多くて、カメコとしてはいちいち説明するのにうんざりしたものである。今は、こっちの世界のコスプレがどういうものかという情報はいちおう世間に浸透している感じで、それがゆえにかえって目新しさがなくなり、世間からの関心自体、薄れているようにも思う。マスコミにいじり倒される前に、オタクの実態をオタクの側からしっかり描写しておこうという高尚な志をもって始めたこのコラムだって、今はただの日記に成り下がってるし。そんな今にあって、コスプレ写真を引っさげて世に問う意味は何なのか?

私が行ったのは、初日、7月19日(月)の夕方である。仕切りを取っ払ったメインギャラリーとミニギャラリーの壁を全部使い、正方形のかなり大きな写真が、マット紙をたっぷり使っていっそう大きな額に入れられ、30点ほど展示されている。ほとんどが白い壁を背景にしていて、スタジオ撮りしたように見えた(実はそうではなかった)。なるほど、よくあるコスプレ写真とは、ぜんぜん違う。

まったくけれん味のない、伝統的で正統派のポートレイト。レイヤーとして、というよりも、人物としての魅力を最大限に引き出そうとの意図を感じる。どの写真も、トーンはやや暗めで、印象は重厚。しかし、それは、よく見るコスプレ写真が、架空のキャラの純粋性や清潔感を呈するようにハイキー寄りに仕上げたものが圧倒的に多いせいで、そう見えるのかもしれない。肌のきめなど、撮られる側の乙女心としてはあんまり強調してほしくはないかもしれない現実的なディテールがはっきりくっきりしている。それが、人物としての存在感をぐっと重々しくしている。

構図はよく整い、ポーズは演技的な派手さがなく、表情はアイドルのスマイルのようなのはなく、また、衣装もド派手だったりごてごてと装飾過剰だったりするものはない。その辺が徹底的に抑えられているところから、撮る側の関心が人物そのものへと向かっているのが分かり、見る側の意識も自然とそうなる。まじめな表情は、営業スマイルよりも訴える力があり、見る者の関心を釘付けにする。

世間からはとかく、嗜好が幼稚っぽいとか、軽いノリでふざけることで厳しい現実から目をそらしているとかみられがちなオタクだが、そういうイメージへの対抗意識から、重厚で深い魅力をもった人物として描写しようとしているふうにもみえる。

さて、クエスチョンマークは依然として頭の中を飛び交っており、他のお客さんとの会話が一区切りついた冨永氏に質問をいろいろ投げかけ、お話をうかがった。コスプレ写真を撮り出したのは2年ほど前のことだそうである。それ以前から現在まで続いているメインの路線からは、がらっと外れる別路線なのだそう。クリアファイルに入ったA4判ぐらいの写真を見せてもらったが、はっと息を飲むほど美しい芸術写真である。

浅草の花やしきのあたりを歩いているときにたまたまコスプレのイベントに遭遇して、これだ! と思われたのがきっかけだそうで。そうそう、花やしきで開かれるコスプレイベントって、外まで出てきていいんだよねー。以来、屋内・屋外併用系のコスプレイベントで、主として屋外で撮ってきたのだそう。6×6サイズのネガフィルムで撮り、プリント時に明るさを調整したとのこと。

驚いたのは、スタジオ撮りは一枚もなく、すべてイベント会場で撮ったものなのだそうで。屋内・屋外併用系の会場だったら、背景から会場が言い当てられるぞ、と思ってたのが、見事に裏をかかれた格好だ。具体的な会場名をこっそり教えてもらったが、私もよく撮りに行っていた場所で、特徴的なあんな線やこんな模様が写らないように場所を選んでいるとのこと。

それに、イベント会場で撮ったのでは、誰が撮っても似たり寄ったりにしか撮れないんじゃないか、という思い込みも、粉砕された感じだ。屋内系では混雑が特にひどく、レイヤーさんの前に長いカメコの列ができることもある。レイヤーさんは得意のポーズや表情があって、撮られ慣れているので、カッコよく決っているし、不自然ではないのだが、どうしてもあらかじめ練習された演技的なポスチュアという限界からは出られず、自然に現れる表情によって人物の内面からにじみ出る魅力は捉えづらい。

また、カメコの個性も生かしづらく、レフ版やフラッシュの使い方といったテクニカルな面の巧拙の違いぐらいでしか勝負しづらい。......と思っていたのだが、そうでもないよと示された格好で、「やられた」と思った次第である。「やられた」と言っても、思いつけばよかったという問題ではなく、写真を撮る腕前が相当のレベルでなくては、こういう正統派のは撮れないのだけれども。

きっかけは通りすがりでも、その後は、オタクの世界のことをたいへんよく勉強していらっしゃる。原作の漫画やアニメはちゃんと見て、レイヤーさんたちとヲタ話で盛り上がれるようになるべく努力したというし、コミケにも行ったそうである。撮る側は、後で写真を見る人の側に立った、突き放した視点も大事だけれど、それ以前に、撮られる側の世界に深く立ち入ってよく理解しておくことも大事である。そこのところを抜かりなくがんばっているところに、頼もしさを感じた。いやね、かつて、オタクの世界にろくに踏み込みもせず、犯罪者予備軍のように決めつける報道をした連中を「マスゴミ」と呼んで、いまだに根にもっているオタクも多いもんでね。

イベント会場にわんさかいるレイヤーさんたちの中から、どういう基準でピックアップするかは、嗜好の分かれるところかもしれない。私の場合は、衣装の完成度にまず目が行きがちだ。ちゃんとした生地を使ってしっかりと作りこんであり、装飾が過剰なまでにきめ細かいと、作るのがどれだけ大変だったかと想像がはたらき、そこにキャラへの愛の深さが感じられ、敬意をこめて撮りたくなるのである。ただ、最近は、ネットのオークションで入手できるし、オーダーメイドできたりもするので、衣装のつくりとキャラへの愛が必ずしも比例しなくなってきている。

冨永氏は、直感だという。人物として、なにか雰囲気をもっている人。ポートレイトの面白さは、写っている人物の内面からにじみ出す魅力によって生じる、という基本に忠実な信念が感じられる。今後もしばらくは、このスタイルを変えずに撮り続け、作品の厚みを増したいとのこと。

オタクが「文化」という言葉を付して論じられることは、以前からよくあった。しかし、オタクが軽くみられ、鼻で笑われることへの切り返し文句として、大仰に「文化」という言葉が持ち出されていたようなところがある。そのような文脈で仮設の建造物のようにオタクの世界が語られる必要性がなくなりつつある今、もう少しじっくりと腰を据えて、骨組みのしっかりした文化として、コスプレが捉えなおされてもいい時期に来ている。今後もそれを記録し伝達することをもってプロの仕事としていただけたら、たいへんうれしいことである。

< http://www.placem.com/schedule/2010/20100719/100719.html >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。額から皮がぼろぼろと......。7月17日(土)は特急列車に乗って海沿いのトンネルの多い町へ。半島部は硬そうな一枚岩の絶壁が海に落ち込んでいるので、入り江と入り江を結ぶにはトンネルしかないのは分かるのだが、実際に目の当たりにしてみると、機能うんぬん以前に掘る行為それ自体が地域信仰における功徳として神聖化されて伝統的に実践されてきたのではあるまいかと思えてくる。きっちりと四角く掘られた窪みには仏さんが座っていたり、物置になっていたり、ゴミが放置されていたり、草ぼうぼうだったり。広い砂浜もある。人が大勢いるのだが、なんだか静かで落ち着いている。まだ夏休み前で、子供が少ないせいか。ビキニ姿のオネーチャンに撮らせて下さいと声をかけてみる度胸はなく、眺めるだけにしておく。

駅に戻るつもりで歩いていたら、道の脇に手作りの矢印矢印があり、駅は元来たほうで、この先は海岸となっている。おかしいなぁ、とは思いつつ、信じて引き返す。まだかと不安になるころ、トンネルから出てすぐトンネルに入る単線の線路。さて、駅はどっちだ? たまたま電車が通りすぎる。加速しながら。ということは、電車が来た方向が駅だ。つまりは元々歩いてたほうじゃんか。さっきの矢印矢印を通って、駅へ。あれは標識だと思ったのは間違いで、アート作品を展示してたのだ、とか? 再び矢印矢印を通って隣の駅まで歩いてみる。トンネルを抜けるとまたビーチ。結局なにしに行ったんだっけ?

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■編集後記(7/23)

・暑い。熱い。夏以外はだいたい15時の犬の散歩が、16時になっても不可能。まだ炎天下である。16時半ごろ日陰伝いに決行するが、犬もまったくやる気がないのでウンコをすませるとさっさと家に戻る。今年は格別暑い、例年になく暑い、毎年そう言っていたはずなのに、今年の暑さは異常だと思う。メルマガの発行と「写真を楽しむ生活」サイトの手入れをする午後2時前後は、マックが置かれた足元の空気がもっとも熱く感じられて、足がいらいらしてくる。加えて死ぬほど眠い。終わったあとベッドに倒れ込む瞬間が一日で二番目の至福のとき。一番は夕食の時のビール、最初のひとくちだ。昨夜は、高校時代の気が置けない仲間6人で、居酒屋の最初に迎える客になった。たまに明るい時間から酒を飲むのもいいものだ。気持ちがいいのは、だれもが自慢しないこと。俺が俺がと乗り出さないこと。わたしがまだ導入していないiPadを、得意げに取り出すやつがいないこと(笑)。どうやらわたし程度の「なんちゃってネットユーザー」でも、この仲間うちでは一目おかれているらしいのが実にこそばゆい。しかしなあ、わたしが出した飲み会招集メールに、返事を返すのにまる一日というスピード感覚で平気とは、困ったみなさんである。それとも、こっちがおかしいのか?(柴田)
< http://www.digitalstage.jp/life/award2010/?20100722 >
「フォトシネマ・アワード」7/25 15:00〜 銀座アップルストア

・返事一日は普通です......。/昨日、スケジュールアプリのiPad版を待っていると書いてたら、出たよ。「Pocket Informant HD」。iPhone版のものをiPadで表示することはできたが、やはり単に大きいだけでは使いづらい。HDではインターフェイスが変更され、画面の大きさを存分に味わう。いちいち別の画面に行って戻って、というのが、レイヤー化された画面上でできちゃうメリットは大きい。いいわ、これ。もちろんデータはGoogleカレンダーとToodledoとで同期させているので、iPadで入力したものはパソコンやiPhoneでも共有。/iPad版のインターフェイスで好きなのは、Evernote。レシピの表示はiPhoneでやっていたが、iPad版だと画面が大きくてみやすいし、直感的で素敵よ〜。キッチンで指一本で操作できるのは助かるし。/あとは金銭管理アプリだなぁ。iPhoneと両対応してくれているものがあるけど、やはり画面を行ったり来たりするので、上記二つを知ったら、iPad用インターフェイスのものが欲しくなったよ。iTunesでデータをローカルでいいので同期してくれるもの、もしくはMacデスクトップ版があって同期できるものがいいなぁ。(hammer.mule)
< http://www.pocketinformant.com/products_info.php?p_id=pocketinformant_ipad >
Pocket Informant HD
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Evernote for iPad。キャプション多言語いいね。