Otaku ワールドへようこそ![122]カメコったりコスプレ写真展を見たりの週末/GrowHair

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今回は、写真論というか写真哲学というか、あれこれ悩めるところを土門拳ふうに小難しく論じ立ててみようかという構想もあったのだけど、こう暑くちゃ、そんな方面へ頭が働かない。やっぱ軽〜い調子で、写真を撮った話とか写真の展示を見た話とか、つづっていこう。まあつまりは、3連休のできごとを日記ふうに。

7月17日(土)は海辺へロケハンに行っているのだが、さんざん歩き回って激しく日焼けしました、以上、な感じなので、すっ飛ばして、と。

●武さんの個展:抽象と具象の織り成す空間

7月18日(日)は、根津へ、武盾一郎さんの個展「Real FantASIA」を見に行く。一週間前にも行っているのだが、展示風景を撮らせていただける話になったので、この日はカメラを持って再び。前回は、絵を見てる時間よりも、自分がしゃべってる時間のほうが長かった気がする。芸術論とか社会論とかベーシックインカムのこととか。飲んで話すような話題で盛り上がった。みんな素面だったんだよね?

今回展示している武さんの絵は、全体的にどれも、抽象と具象が調和よく織り成されて奥深く楽しい。数理と物理と日常と享楽がそこにある、と感じられる。全体の構造を決めている緩やかな曲線群は、何かの数理によって生成された幾何学的なパターンのように見える。その地平線上に、安穏たる日常と遊園地のようなファンタジーが乗っかり連なっている。

もし、その曲線の一本一本がそれぞれ「俺は曲がってなんかいない。まっすぐだよ」と主張していたら、と想像してみる。相対論。重い星をかすめて通る光は、重力に引っ張られて少し曲がることが知られている。曲がるったって、どっかにまっすぐな定規があって、それを持ってきて当ててみるというわけにはいかない。ひとつの星から地球に届く光線が、途中で重い星の近くをかすめているとき、その星は、他の星との位置関係からすると本来見えるべき位置よりも少しだけズレて見える、という現象があるだけだ。

光の側に言い分を聞いてみると「俺は曲がっちゃいねぇ。いつでもまっすぐに全力疾走してらぁ」という。それは嘘ではない。光の側からはまっすぐなつもりでも、観察する側から曲がって見えるとしたら、それは空間が曲がっているからにほかならない。曲がった空間の表面上の2点間を最短で結ぶ曲線を「測地線」というが、光は測地線に沿って進む、とみることができる。

そうは言ったって、どっかにまっすぐな定規があるわけではなく、まっすぐであるかどうかの基準は光以外にはないのであって、それでもってどうやって空間の曲がりを計測できるというのだ。なんか禅問答みたくなってきた。

風になびく旗を見ながら、二人の僧が言い争っていた。「これは旗が動いているのだ」「いや違う。風が動いているのだ」。そこに通りかかった慧能が言った。「旗が動くのでも、風が動くのでもない。あなたたちの心が動いているのだ」。

こっち側の宇宙を支配する物理もそこそこ奇妙だけど、絵の中の宇宙にはまた違った物理があって、違ったふうに空間が曲がっているのかも。うん、武さんの絵は、禅問答みたく、「曲がっているのはお前の心なんじゃないのか?」と問いかけてくる。

18日(日)の午後は、心静かに撮らせていただいた。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/RealFantASIA# >



●笑顔で可愛く「死ねばいいのに」

根津から浜松町へ。ヲタ仲間のファルコンさんが福山から出てきているので、迎撃。浜松町の都立産業貿易センターで開催されている東方Projectのオンリーイベント「紅のひろば」にサークル参加して、自作イラストによるケータイストラップやステッカーなどのグッズを売りに来ているのだ。

ファルコンさんと会うのは3月14日(日)以来だ。福山で痛車のイベントがあり、見に行ったのだった。福山には、それぞれ別個に知り合った人が3人いて、揃いも揃って濃ゆ〜いオタクなもんだから、集めちゃえと思い立って、去年の8月30日(日)にセーラー服持参で福山に行き、カラオケで盛り上がったのだった。そしたら、ばんじょうさんがスタッフを務める3月の痛車イベントのときには、ファルコンさんが描いたイラスト入りのグッズを吉さんとともに売っていて、すっかり持ちつ持たれつの結束を固めていたというわけだ。

今回は、売り子のお手伝いに、お友達2人を連れてきていて、引き合わせてくれた。中学時代からの友達という響子さんと、東方好きのレイヤーさんを介して知り合って岡山のイベントで仲良くなったといううーさん。ファルコンさんは東方Projectの藤原妹紅(ふじわらのもこう)のコス、響子さんは同じく十六夜咲夜(いざよいさくや)のコスで売り子をしているので、カメコとしては、腕を奮って撮らなくては。......って、間に合わなかったよ。着いたら、イベント終了の3時を過ぎていた。

当日の朝、べちおさんにmixiメッセージを送ってみた。いつも忙しいからダメモトぐらいのつもりで。べちおさんは私よりも古くからファルコンさんとお知り合いなので。そしたら、娘さんを連れて、来てくれた。私の伝え方が多重に間違ってて、世界貿易センタービルへ行ってしまったそうで、やはり3時には間に合わなかった。ごめん。聞かなかったけど、どうやって正解にたどりついたんでしょ?

で、4時から飲みに突入。大門駅近くを歩いていたら、たまたまビラを配っていた「九州黒桜」へ。ビルの4階の窓際の席。いや〜、空が青い。モツが美味い。翌日は「月の宴」という別のイベントが同じ会場であって、やっぱり東方Projectオンリーなので、コス姿はそのときに撮らせてもらうことにして、このときはとりあえず酔っ払い姿を撮る。響子さんがめっちゃかわえ〜のだ。自他ともに認める、異論の余地のないかわいさ。

完熟マンゴー梅酒をたぶん10杯以上飲んでたけど、見かけ、酔ったふうにはぜんぜん見えない。ずーっとカメラを構えっぱなしにして、ここぞという瞬間にシャッターを切っていたら、けっこういいショットが何枚かゲットできた。かわいいコをかわいく撮るのは人物写真のイロハのイであり、それ自体はなんの問題もないんだけど......。なんか、写真というものの表現力の限界を感じた。

写真だけ見た人は、きっと性格やしゃべることもかわいいんだろうな〜と想像してしまうに違いない。ところが、それがそうでもなかったんだなー。いろんな人を槍玉にあげ、さんざんこき下ろし、あげく「死ねばいいのに」と。なんか、ヤンキーっぽいっちゅうか、なんちゅーか。まあ、それはそれでかわいくないとは言い切れないのだけど。

「死ねばいいのに」と言った瞬間がいちばん生き生きとかわいく撮れてるし。響子さんの魅力が最大限に発揮される瞬間だ。うん、写真を撮るとき「はい、チーズ」と言うのはもう古い。それを言われても、たいていの人は真顔のままだ。これからは「死ねばいいのニィ〜」で行こう。

< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/FALCONEtAl# >

●プロが撮るコスプレ写真

プロの写真家によるコスプレ写真の個展が開催されると聞いて、頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだったが、とにかく行って見てきた。冨永浩司写真展「Layer」。新宿御苑前のフォトギャラリー「Place M」にて、7月25(日)まで開催している。

プロがカメコの領域に進出? なぜ? アマチュアとの実力の差をビシッと見せつけてくれるのか? それならぜひ勉強させてもらいたいが。「電撃レイヤーズ」や「コスモード」といった雑誌では、そこそこクオリティの高いコスプレ写真を見ることができて、ある意味、プロの仕事と言えなくもないが、そういうのとも違うのか?

なぜ今? という疑問もある。2005年ごろにはメイド喫茶が話題になったり、映画「電車男」がヒットしたりして、オタクブームの様相だった。それまでの変人集団とか犯罪予備軍といった暗いイメージが徐々にすすがれ、オタクの生態がマスコミによって明るみに引き出され、一種の珍獣として笑っておけばいいのだ、ぐらいには格上げされた。そのブームはすでに沈静化している感じだ。以前の典型的なオタクっぽいオタクはあまり見かけなくなり、そんなに特殊な人というイメージでもなくなってきた。アニメを一本見たからといって、即、一般人の世界からオタクの世界へ転落ってわけでもあるまいし、お台場に立ってたデカいガンダムは、オタク専用ってわけでもなかったのではあるまいか。

かつては、「コスプレ」というと、風俗店で殿方の形而下的な興味を刺激する目的でフィーチャーされるナース服だかチャイナ服だかを思い浮かべる人が多くて、カメコとしてはいちいち説明するのにうんざりしたものである。今は、こっちの世界のコスプレがどういうものかという情報はいちおう世間に浸透している感じで、それがゆえにかえって目新しさがなくなり、世間からの関心自体、薄れているようにも思う。マスコミにいじり倒される前に、オタクの実態をオタクの側からしっかり描写しておこうという高尚な志をもって始めたこのコラムだって、今はただの日記に成り下がってるし。そんな今にあって、コスプレ写真を引っさげて世に問う意味は何なのか?

私が行ったのは、初日、7月19日(月)の夕方である。仕切りを取っ払ったメインギャラリーとミニギャラリーの壁を全部使い、正方形のかなり大きな写真が、マット紙をたっぷり使っていっそう大きな額に入れられ、30点ほど展示されている。ほとんどが白い壁を背景にしていて、スタジオ撮りしたように見えた(実はそうではなかった)。なるほど、よくあるコスプレ写真とは、ぜんぜん違う。

まったくけれん味のない、伝統的で正統派のポートレイト。レイヤーとして、というよりも、人物としての魅力を最大限に引き出そうとの意図を感じる。どの写真も、トーンはやや暗めで、印象は重厚。しかし、それは、よく見るコスプレ写真が、架空のキャラの純粋性や清潔感を呈するようにハイキー寄りに仕上げたものが圧倒的に多いせいで、そう見えるのかもしれない。肌のきめなど、撮られる側の乙女心としてはあんまり強調してほしくはないかもしれない現実的なディテールがはっきりくっきりしている。それが、人物としての存在感をぐっと重々しくしている。

構図はよく整い、ポーズは演技的な派手さがなく、表情はアイドルのスマイルのようなのはなく、また、衣装もド派手だったりごてごてと装飾過剰だったりするものはない。その辺が徹底的に抑えられているところから、撮る側の関心が人物そのものへと向かっているのが分かり、見る側の意識も自然とそうなる。まじめな表情は、営業スマイルよりも訴える力があり、見る者の関心を釘付けにする。

世間からはとかく、嗜好が幼稚っぽいとか、軽いノリでふざけることで厳しい現実から目をそらしているとかみられがちなオタクだが、そういうイメージへの対抗意識から、重厚で深い魅力をもった人物として描写しようとしているふうにもみえる。

さて、クエスチョンマークは依然として頭の中を飛び交っており、他のお客さんとの会話が一区切りついた冨永氏に質問をいろいろ投げかけ、お話をうかがった。コスプレ写真を撮り出したのは2年ほど前のことだそうである。それ以前から現在まで続いているメインの路線からは、がらっと外れる別路線なのだそう。クリアファイルに入ったA4判ぐらいの写真を見せてもらったが、はっと息を飲むほど美しい芸術写真である。

浅草の花やしきのあたりを歩いているときにたまたまコスプレのイベントに遭遇して、これだ! と思われたのがきっかけだそうで。そうそう、花やしきで開かれるコスプレイベントって、外まで出てきていいんだよねー。以来、屋内・屋外併用系のコスプレイベントで、主として屋外で撮ってきたのだそう。6×6サイズのネガフィルムで撮り、プリント時に明るさを調整したとのこと。

驚いたのは、スタジオ撮りは一枚もなく、すべてイベント会場で撮ったものなのだそうで。屋内・屋外併用系の会場だったら、背景から会場が言い当てられるぞ、と思ってたのが、見事に裏をかかれた格好だ。具体的な会場名をこっそり教えてもらったが、私もよく撮りに行っていた場所で、特徴的なあんな線やこんな模様が写らないように場所を選んでいるとのこと。

それに、イベント会場で撮ったのでは、誰が撮っても似たり寄ったりにしか撮れないんじゃないか、という思い込みも、粉砕された感じだ。屋内系では混雑が特にひどく、レイヤーさんの前に長いカメコの列ができることもある。レイヤーさんは得意のポーズや表情があって、撮られ慣れているので、カッコよく決っているし、不自然ではないのだが、どうしてもあらかじめ練習された演技的なポスチュアという限界からは出られず、自然に現れる表情によって人物の内面からにじみ出る魅力は捉えづらい。

また、カメコの個性も生かしづらく、レフ版やフラッシュの使い方といったテクニカルな面の巧拙の違いぐらいでしか勝負しづらい。......と思っていたのだが、そうでもないよと示された格好で、「やられた」と思った次第である。「やられた」と言っても、思いつけばよかったという問題ではなく、写真を撮る腕前が相当のレベルでなくては、こういう正統派のは撮れないのだけれども。

きっかけは通りすがりでも、その後は、オタクの世界のことをたいへんよく勉強していらっしゃる。原作の漫画やアニメはちゃんと見て、レイヤーさんたちとヲタ話で盛り上がれるようになるべく努力したというし、コミケにも行ったそうである。撮る側は、後で写真を見る人の側に立った、突き放した視点も大事だけれど、それ以前に、撮られる側の世界に深く立ち入ってよく理解しておくことも大事である。そこのところを抜かりなくがんばっているところに、頼もしさを感じた。いやね、かつて、オタクの世界にろくに踏み込みもせず、犯罪者予備軍のように決めつける報道をした連中を「マスゴミ」と呼んで、いまだに根にもっているオタクも多いもんでね。

イベント会場にわんさかいるレイヤーさんたちの中から、どういう基準でピックアップするかは、嗜好の分かれるところかもしれない。私の場合は、衣装の完成度にまず目が行きがちだ。ちゃんとした生地を使ってしっかりと作りこんであり、装飾が過剰なまでにきめ細かいと、作るのがどれだけ大変だったかと想像がはたらき、そこにキャラへの愛の深さが感じられ、敬意をこめて撮りたくなるのである。ただ、最近は、ネットのオークションで入手できるし、オーダーメイドできたりもするので、衣装のつくりとキャラへの愛が必ずしも比例しなくなってきている。

冨永氏は、直感だという。人物として、なにか雰囲気をもっている人。ポートレイトの面白さは、写っている人物の内面からにじみ出す魅力によって生じる、という基本に忠実な信念が感じられる。今後もしばらくは、このスタイルを変えずに撮り続け、作品の厚みを増したいとのこと。

オタクが「文化」という言葉を付して論じられることは、以前からよくあった。しかし、オタクが軽くみられ、鼻で笑われることへの切り返し文句として、大仰に「文化」という言葉が持ち出されていたようなところがある。そのような文脈で仮設の建造物のようにオタクの世界が語られる必要性がなくなりつつある今、もう少しじっくりと腰を据えて、骨組みのしっかりした文化として、コスプレが捉えなおされてもいい時期に来ている。今後もそれを記録し伝達することをもってプロの仕事としていただけたら、たいへんうれしいことである。

< http://www.placem.com/schedule/2010/20100719/100719.html >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。額から皮がぼろぼろと......。7月17日(土)は特急列車に乗って海沿いのトンネルの多い町へ。半島部は硬そうな一枚岩の絶壁が海に落ち込んでいるので、入り江と入り江を結ぶにはトンネルしかないのは分かるのだが、実際に目の当たりにしてみると、機能うんぬん以前に掘る行為それ自体が地域信仰における功徳として神聖化されて伝統的に実践されてきたのではあるまいかと思えてくる。きっちりと四角く掘られた窪みには仏さんが座っていたり、物置になっていたり、ゴミが放置されていたり、草ぼうぼうだったり。広い砂浜もある。人が大勢いるのだが、なんだか静かで落ち着いている。まだ夏休み前で、子供が少ないせいか。ビキニ姿のオネーチャンに撮らせて下さいと声をかけてみる度胸はなく、眺めるだけにしておく。

駅に戻るつもりで歩いていたら、道の脇に手作りの矢印矢印があり、駅は元来たほうで、この先は海岸となっている。おかしいなぁ、とは思いつつ、信じて引き返す。まだかと不安になるころ、トンネルから出てすぐトンネルに入る単線の線路。さて、駅はどっちだ? たまたま電車が通りすぎる。加速しながら。ということは、電車が来た方向が駅だ。つまりは元々歩いてたほうじゃんか。さっきの矢印矢印を通って、駅へ。あれは標識だと思ったのは間違いで、アート作品を展示してたのだ、とか? 再び矢印矢印を通って隣の駅まで歩いてみる。トンネルを抜けるとまたビーチ。結局なにしに行ったんだっけ?