[2904] 楽な生き方・得な生き方

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《このままいくと、みんなゾンビみたくなっちまうぞ》

■映画と夜と音楽と...[474]
 楽な生き方・得な生き方
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[474]
楽な生き方・得な生き方

十河 進
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〈妻たちの性体験 夫の目の前で、今.../セーラー服と機関銃/キル・ビル〉

●「つらくない? そんな生き方」という囁きが耳に残った

僕が月刊「コマーシャル・フォト」編集部にいた頃のことだから、もう15年前になる。当時、まだ電通のクリエイティブ部門にいた岡康道さんが手がけた「サントリー・モルツ」のCMを取材したことがある。岡さんは「モルツ球団」というプロ野球チームを結成し、彼らをキャラクターにシリーズCMを作った。

モルツ球団は大澤親分が監督で、ランディ・バース、山本浩二、張本勲など、往年の名選手を集め、夢のようなラインナップを組んだ。特にアメリカからバースを呼んだのが話題になっていた。僕は岡さんに電話取材したのだが、その時は「あれだけのメンバーを集めたんだから、成功させなきゃね」と、少しプレッシャーを感じている印象だった。

おそらく、それに続く「モルツ」のCMだと思うのだが、原田芳雄が盛りを過ぎた中年投手で登場するものがあった。もっとも、原田芳雄は他のビール会社のCM(松田優作、宇崎龍童と共演し、鈴木清順が監督したCMもあった)にも出ていたから、もしかしたら僕の記憶違いかもしれないけれど...。

そのCMには、おそらくチームの問題児であろうと思われるキャラクターの中年投手が登場する。彼は、間違いなく剛速球一筋で勝負するようなタイプだ。とっくに引退する歳を過ぎたのに、意地で現役を続けている。監督とも衝突を繰り返す。だが、彼は未だに現役なのだ。彼は自分のルールで行動し、自分の信念と意地にしたがって生きている。

そんな彼が、遠征先のホテルに戻り、ベッドの上でひとり静かに缶ビールを飲む。そこへ電話がかかってくる。女性だ。おそらく成熟した、酸いも甘いもかみ分ける粋な大人の女に違いない。その女性が「つらくない? そんな生き方」と、耳元で囁くように言う。40代になったばかりの僕は、そのCMを見てゾクッとしたことを憶えている。

僕が、そのCMを岡康道さんの作品だと思うのは、その設定、ニュアンスとトーン、それに「つらくない? そんな生き方」という決めのコピーが、彼以外の誰にも出せないテイストだと思うからだ。ドラマのワンシーンのような設定をし、そこにロマンティシズムを盛り込むのが岡康道という人が作るCMの特徴だった。

当時、原田芳雄はすでに50代半ばだったが、若々しく(といっても盛りの過ぎた40代の投手という印象だけれど)ワイルドで、鍛えた肉体も見事だった。試合のシーンと、ひとり静かにビールを飲むホテルのシーンの落差が、人生の深さまで感じさせたのは、原田芳雄の演技力と存在感があったからだと思う。女性の「つらくない? そんな生き方」という囁きも強く耳に残った。

「コマーシャル・フォト」は、紹介したCMの制作スタッフとキャストを必ず載せている。そのスタッフ表を集めて原稿にする作業をしていた編集部員のKが「ソゴーさん、あの声、誰だと思います?」と、頓狂な声をあげた。「誰?」と訊くと、「ソゴーさん、絶対、好きだと思うな」と思わせぶりに言う。「誰だよ」と聞き返すと、Kは強調するように言った。

──風祭ゆき

●メジャーな角川映画で知られるようになったロマンポルノ女優

風祭ゆきという女優さんは、日活ロマンポルノの歴史の中では中期以降に登場してきたという印象がある。スリムで胸もさほど大きくなく、肉感的でもなかったが、どうも僕はそういう人の方が好きらしい。彼女を初めて見たのは、「妻たちの性体験 夫の目の前で、今...」(1980年)という映画だった。

その映画は、かなり話題になり、「キネマ旬報」でも詳しく取り上げられたと思う。そのため、風祭ゆきもロマンポルノの新星として有名になった。しかし、ねっちりタイプの小沼勝監督の耽美的な描写は僕には合わなかったらしく、正直に言うと、もう一度見たい映画ではない。

その映画の後、風祭ゆきは5、6本のロマンポルノ作品に出て、翌年の暮れに公開されたメジャーな角川映画「セーラー服と機関銃」(1981年)で、一般にも知られるようになる。ヒロインの星泉(薬師丸ひろ子)、目高組代貸の佐久間(渡瀬恒彦)に次ぐ3番目に重要なキャスティングだった。

彼女が演じたのは、泉の父親が死んだ後、留守の間に部屋に上がり込むフーテンのような若い女の役である。ラストに、実は...という重要などんでん返しがあるのだが、それはここでは言わないでおこう。彼女はマユミと名乗り、泉の父親とはずっと愛人関係だった。その父親に「もし死んだら娘のことを見守ってほしい」と言われたという。

しかし、泉は自分の父親が、そんなだらしないフーテンのような女と関係していたなどと信じたくない。マユミによるとヤクと酒と男でボロボロになっていた自分を、泉の父親が救ってくれたのだという。しかし、泉は父親を名前で呼ぶマユミに気が許せない。そんなふしだらで汚れた女と父親が愛し合っていたなんて、不潔だ、と反発する。泉は、まだイノセントな処女なのだ。

同じマンションで暮らしていたある日、「また、好きな人ができちゃった」と書き置きしてマユミがいなくなる。いろんないきさつから高校生でありながら目高組組長を引き受けた泉が代貸の佐久間の家を訪ねたとき、泉は男女の激しい息遣いを耳にし、おそるおそる二階へ上がる。そこでは、佐久間とマユミが激しくもつれ合っている。

少女が初めて、男女のセックスを目の当たりにする場面だった。歳の離れた大人だが、泉は佐久間に憧れている。その男が、父親の愛人だった女とセックスしていた。しかし、泉はただ反発するのではなく、大人の男女の機微を知ろうとする。泉は佐久間にマユミとの出逢いを聞き、生きる切なさを知る。

「セーラー服と機関銃」は、イノセントな少女が大人の女に成長する物語である。その成長を促すふたりが佐久間とマユミだ。泉はラストシーンで佐久間にくちづけをした後、真っ赤なルージュを塗り、赤いハイヒールを履き、街の真ん中で空想の機関銃を連射する。赤いルージュとハイヒールは、泉が精神的に大人の女になった証である。

大人の悲しみを教えたのも、人生にはどうしょうもない切なさがあることを教えたのもマユミだった。ギターをつまびき「カスバの女」を口ずさむマユミに、「あなたのようにはならない」と言い放ってバーを出た泉は、外壁にもたれて同じように「カスバの女」を歌う。ふたりの女優の対比が見事だった。当時、風祭ゆきは20代半ばだったが、すでに成熟した大人の女だった。

日本映画が大好きなクエンティン・タランティーノは、おそらく日活ロマンポルノも「セーラー服と機関銃」も見ていたに違いない。「キル・ビル」(2003年)の料理屋の女将役で風祭ゆきが登場したとき、僕はそう確信した。遙か遠く、太平洋を越えたアメリカで生まれ育った映画オタクにも、風祭ゆきは強い印象を与えた女優だったのだろう。

●男を深く理解しているからこそ出てきたフレーズ

「つらくない? そんな生き方」と囁くのが風祭ゆきだと知った僕は、そのキャスティングの的確さに感心した。言葉だけとはいえ、いや言葉だけだからこそ、原田芳雄に拮抗できる女優を起用したのだろう。セクシーであり、倦怠感を感じさせ、女としての成熟を想像させる声とニュアンス...、風祭ゆきの起用は、成功だった。

あのCMの頃、彼女は30代半ば...、そんな成熟した女性に「つらくない? そんな生き方」と言われてみたいと、僕は痛切に願った。そこには、そんな風にしか生きていけない男への愛情と...、いたわりと...、そして理解があった。彼女のひと言は、男を深く理解しているからこそ出てきたフレーズだ。そんな風に言われたいというのは、そんな風に理解されたいということだ。

しかし、その言葉を言ってもらえるような「そんな生き方」を僕はしているのか、という自問が湧く。僕は、楽な生き方をしているのではないか、だとすれば言ってもらえる資格はない。しかし、楽な生き方ってものが存在するのだろうか。さらに、ふっと疑問が浮かんだ。「そんな生き方」は「損な生き方」なのか...。もしかしたらダブルミーニングか?

いやいや、違う。あの言葉のニュアンスは、間違いなく原田芳雄が演じる中年投手の生き方を指す言葉であり、「あなたのような生き方」という意味であることは間違いない。しかし、一度浮かんだ「損な生き方」という字が頭を離れない。「損な生き方」の対語は「得な生き方」である。では、生き方に損得があるのだろうか。

昔、ある人に「僕は、損だと思う方をあえて選択する人が好きですね」と言ったことがある。その人は「僕もそうです」と答えた。その人の2人目の幼い子が亡くなった直後のことだ。2人目の子がダウン症だとわかったとき、その人は3人目の子をつくろうと決意し、ダウン症の子をはさんで3人の子の父親になった。だが、心臓手術がうまくいかず、その子は亡くなった。

僕がその人に初めて会ったのは、出版労連の業種別共闘会議の事務局長をしているときだった。30のとき、僕はなり手のいなかった労働組合の執行委員長を引き受けることになり、「1年だけだよ」と言っていたのが、結局、3年も続けてしまった。それが終わって1年経つと、今度は「出版労連の業種別共闘会議の事務局長に」という要請がきた。

いきなり13もの組合(組合員も300人以上いた)が集まる組織の事務局長はつらいなと思ったが、「事務局次長なら3年、事務局長なら2年でいい」と言われて引き受けることにした。結局、それも空手形になり、事務局長として3年つとめ、その後、出版労連の本部役員を2期つとめた。

その人は、僕の数年後に出版労連の業種別共闘会議の議長をつとめた人だった。僕はその人にダウン症の子がいることも知らず、その子の病気が悪化していることも知らなかった。それでも、その人は時間を取られる議長を引き受けたのだ。僕は、その人の子が亡くなって初めて事情を知った。そのとき、僕は「損な選択をする人が好きだ」と言い、そこに「あなたのような生き方をする人を尊敬する」というメッセージを込めた。

●「適当にやればいいんですよ。何の得にもならないし...」

団地の管理組合の理事が順番でまわってきたことがある。最初の会合に出かけると、案の定、理事長などの役割が決まらない。出版社に勤めているので...と前置きして僕は広報担当に手を挙げ、リーダーが必要だというのでリーダーも引き受けた。ところが、その後の新旧理事の懇親会で前任者に「適当にやればいいんですよ。何の得にもならないし...」と耳打ちされ、こういう人もいるんだな、と改めて顔を見た。

僕は30代の10年間、相当な時間を組合活動に費やした。金銭的には、まったく得にはならなかった。会議後の呑み会の多さを考えれば、持ち出しだった。しかし、賃上げ要求をするくせに、組合活動を担っているのは「金がほしくてやってんじゃない」という人たちばかりだった。僕は、そんな人たちから多くのことを学び、大切なものを得た。人脈もできたし、生涯つきあう友人もできた。男も磨いた。

どういういきさつだろうが、なった以上は一生懸命やる。手を抜かない。それが、僕の最低限の信条だ。そうすれば、何かが得られるはずだと信じている。適当にやれば何も得られないし、適当にやっている自分が許せない。見返りなど必要ない。人はパンのみにて生きているのではない。僕だけではない。多くの人は、そう思っているのではないか。

団地の理事をやったときも、献身的な人を何人か知った。施設担当理事のリーダーになった僕より若い人は、水まわりや電気設備などのトラブルで夜中に呼び出されることも度々あったが、嫌な顔をせずきちんと誠実に対応していた。そんな人たちがいる一方、会合にさえ一度も出てこない人がいた。僕が驚いたのは、1年経って、再び新旧理事の交代の会合があったときのことだ。

任期を終えた理事には1万円の商品券を配布することになっている、と旧理事長が説明した。今回も人数分用意して配布した。一度も出てこなかった人も対象だから、部屋まで持っていったところ、誰も断らなかった。受け取った...という。僕は唖然とした。本当に、そんな人たちがいるのか。

僕は夜中に起こされても嫌な顔をせず、トラブル処理に出かける人が「損な生き方」で、1年間何もせず名目だけの理事で通し謝礼は受け取る人が「得な生き方」だとは思わない。そんなのは、「みっともない生き方」「浅ましい生き方」「恥ずかしい生き方」だ。ときには、進んで何かの犠牲になる。人のために働く。それができない人は、おそらく人生で何も学ばない。本当の意味で、人を愛せない。

ところで、僕は原田芳雄が演じる投手のことを「自分のルールで行動し、自分の信念と意地にしたがって生きている」と書いた。「やせ我慢」と言われても、自分の生き方のスタイルは崩さない。だが、彼は自分の生き方を貫こうとするときに起こる、衝突やあつれきも引き受けざるを得ない。その強さがなければ、自分の生き方を貫くのはつらい。だから、彼を理解する女性は「つらくない?そんな生き方」と心配する。

自分の生き方を貫くのは理想だが、多くの人は現実の壁にぶつかり、自らに言い訳をしながら、ときに妥協する。楽な方に流れる。挫折する。だからといって、それを「楽な生き方」とは言えないのではないか。自分の生き方を貫けなかった、忸怩たる思いが残る。妥協し、楽な方に流れた自分の弱さを、責めながら生きる...。悔いを抱えて生きていく。

楽に生きているように見える人も、それぞれ「つらさ」を抱えているのかもしれない。つらくない生き方なんて...ないんだ、きっと。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com  < http://twitter.com/sogo1951
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会社の外壁ガラスの交換工事で土曜日に出社。足場を組んでの作業で、僕はその足場に乗せてもらった。子供の頃から職人の父親の現場に行って手伝っていたから、足場になじみがあるし、バイトもそっち系をやることが多かった。昔、足場に立ってビルの窓ふきをしたこともある。高所恐怖症だけど、なぜか足場なら平気なのだ。

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■Otaku ワールドへようこそ![123]
ロマンスも ちょっとズレてる 俺の夏

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20100827140100.html
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会社の同僚のM田君は、昆虫が全般的に恐いという。生物でありながら、どちらかというと精密機械に近いメカメカした感じがするところに、ぞぞぞとなるらしい。特にオニヤンマ。あれはもはやヘリコプターと区別がつかない。そう言われてみると、セミもなんだかまるで乾電池が切れるような死に方をするね。

夕方、羽ばたきながらも上昇するだけのパワーは残ってないようで、降下してきては路面に衝突して乾いた音を立て、羽が高速で路面をたたく。ひっくり返って動かなくなり、死んだのかと思えば、思い出したようにじーじー鳴いては、低空をのたうちまわる。

まだまだ酷暑のさなかにあっても、秋を感じてしまう。セミ君よ、短い夏だったね。羽化してからはたった一週間の命だったけれど、ちゃんと童貞は捨てられたかぃ?......って、セミの心配してるときじゃなかった。自慢できるような、ひと夏のうんちゃらかんちゃらみたいな話、......なかったなぁ。

●ロマンチック、なのかな?

疲弊気味でぺしゃんこになりかけてた自意識が、アクロンで洗った毛糸のセーターのごとくほわっと生き返るような、素敵な出会いなら、あった。一週間の夏休みの最後の3日間はコミケなので迷う余地はないが、前半はいかに過ごそうかと考えると、やはりなんとかしなきゃならないのは、写真撮影の腕を上げることだ。撮り方にもっと芸の幅をもたせたいし、ロケ地情報のレパートリーも広げたい。ということで、ロケハンと練習撮りを兼ねて、あちこち出かけてきた。

撮る者にとってロケ地情報は財産なので、伏せておくのをお許しいただければ。8月8日(日)に行ったのは、都心から列車で2時間ほどのところにある、ヨーロッパ風のテーマパーク。去年、12月のグループ展向けに人形作家さん10人の作品を撮らせてもらったとき、一人からステンドグラスのある教会で、というリクエストがあったにもかかわらず、適当なロケ地が見つからなくて、よろめきによろめいてラブホテルになっちゃったことを反省し、結婚式が挙げられるチャペルのあるテーマパークを重点的に調べていて、見つけた場所だ。

チャペルとそのまわりだけでなく、全体的にカップル向け仕様というか、メルヘンチックな空気がただよう。一人で来て黙々と写真撮りまくってる人なんて、ちょっと見かけない。頭の中のBGMは金井夕子の「ジャストフィーリング」。作詞作曲は尾崎亜美。青い空を独り占めだと強がってみても、初秋の海辺をひとり散歩はやはりさびしくて、わざと誘わなかった彼氏のことが気になる、という歌。

レンガを積んだ壁から水が湧き出ていて、カップが置いてある。「恋人の泉」。脇には能書きパネルが。「地下200mから湧き出ている天然水です。この泉を通じて沢山の愛が生まれました。恋を忘れた人が飲めばたちまち恋をし、愛をなくした人が飲めばたちまち愛が始まります。さぁあなたも飲んでみませんか?きっと泉のような愛が限りなくわいてくるでしょう」。ふふんと鼻で笑いつつも、人が見ていない隙に、ささっと飲んでみる。ひんやり冷たい。で?

チャペル前の広場の反対の端の、切り株だったか、適当なところで休んでいると、小さな女の子がじっとこっちを見ている。なかなかかわいい。母親は娘がついてきていると思っているのか、背を向けて歩いていくが、当の娘はちっとも追おうとしていない。撮ってほしいのかな? パシャッ。撮っちゃった。ポーズ作っちゃったりなんかして、まだ撮ってほしそう。こっちも地べたに座り込んで目の高さを合わせて、もういっちょ、パシャッ。う〜ん、いいねぇ。パシャッ。パシャッ。おお、息が合ってきたぞ。

振り返って、意外な事態を目にした母親は、笑ってるし。聞くと、1歳9ヶ月だという。わ、若いっ。こんなふうに撮れました、とカメラの背の液晶に再生した画像を見てもらうと、わーっと驚いて、すごく感心してくれた。親でもこんなにいい瞬間が捉えられたことはないそうで。というか、親が撮ろうとすると、なぜかいつもぷいっと横を向いちゃって、撮らせてくれないのだそうで。プロが撮ると、ぜんぜん違いますね、と言ってくれた。

それなら後で写真を送りましょう、という話になって、メアド、ゲット。ナンパ成功。......じゃないか。どこから来たのか聞くと、テーマパークを挟んでウチと反対のほうだ。そうとう辺鄙なとこらしい。さて、いったん別れたけれど、写真を送ってあげるんだったら、もうちょっとバリエーションがあったほうがよかったかな、なんて思っていると、建物内の大理石の階段のところで、また会った。

ここではかなりの枚数、撮った。表情がくるくる変わるので、面白くて。子供は難しい。シーンを演出しようなんてもくろみで、ああだこうだ要求したってどうにもなるものではなく、鳴くまで待とうの姿勢が大事。じっと待って、ここぞと思う瞬間が来たら、迷わずシャッターを切る。いい表情は一瞬しかないので、ここで躊躇してはいけない。失敗したっていい。撮っても目を離さず、次のチャンスを待つ。調子が出てくると、もう、やめられない止まらない状態に陥る。

結果、ひとつのシーンで同じようなのがいっぱい撮れてるわけで、後からシーンごとにベストなのを1〜2枚ピックアップすればいいわけだ。そのつもりだったのだが、見てみると、表情が多彩で、どれもこれも面白い。見ていて顔がほころんでいく。無関係な人だったら、似たような写真が延々続いては退屈かもしれないけど、親だったら楽しんでくれるに違いない。そう思って、20枚ぐらい送ることにした。

メールに添付できない大サイズのファイルを受け渡すには、ウェブ上で、ファイルをアップロード・ダウンロードできるサービスがいくつかある。「宅ファイル便」がよく知られてるみたいだが、私は250MBいっぺんに送れるFilePostをよく使う。個人情報入力とか要求してこないし。< http://file-post.net/ja/
>

「感激です!」というタイトルで、お礼のメールが来た。「感嘆をもらしながら家族で写真を拝見」、「娘も自分で『かわいいね』と言って大はしゃぎ」、「写真家さんから撮影していただき、我が家にとって忘れられない思い出深い場所になりました」、「プリントして飾り、年賀状などにも大切に使わせていただきます」、などなど。いやいや、こちらこそ感激です。末尾には、家族みんなの名前と住所と電話番号。

田舎だから素朴で無用心、というのとは、ちょっと違うんだな。なんか、人の心をほんわかとさせてくれる、ほんとうの教養というものに触れさせてもらいました、そんな感じ。ああそうか、だから子供ものびのびと育って、表情豊かなんだ。

< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/1088#
> 撮った写真
(その女の子の写真は、もちろん載せてませんが)

●世間vs.システム

戸籍上は居ることになっているけど実際の所在が分からなくなっている老人の問題、呼称は「非実在老人」でいいのかな? 「シュレディンガーの老人」っていうのもなかなか笑えたけど(分からない人は「シュレディンガーの猫」でググってみてね)。

「週刊SPA!」には、こういう問題が出てくるのは、世の中から「世間」というものが撲滅されてしまったからだ、というようなことが書いてあった。昔は「世間の目」がご近所の動向を常に見張っていて、「あのおじいちゃん、最近見かけないね」って話になれば、なんらかのアクションが起こされたものだという。

うん、まあね、その論そのものには反対しないけど。でも、じゃあ、世間というものがもし復活したら嬉しいかというと、どうも、ちょっとね。昭和前半あたりの小説なんかには、世間という名のばかでかい怪物との絶望的なまでに勝ち目のない戦い、みたいな描写がよく出てきていたような気がする。

凡庸な者たちが、数の力で身を守る。羊の群れ。集団の利益のために個を犠牲にするのがあたりまえ。自由とか多様性とかプライバシーとか、まったく許容せず、お互いに普通であることを強要しあう。基準からちょっとでも外れると異端呼ばわりされて寄ってたかっていじめ抜かれる。悪いうわさが立つとか、後ろ指さされるとか、そういうのを極度に恐れて人々は生きる。何も考えず、慣習を守り、何世代にもわたって同じような生活スタイルを維持しつづけるには、楽な社会形態。私にとってはきっと悪夢のような社会。ヒゲをのばし、二次元の妻と契りを交わし、女のパンツをはき、ぐらいで村八分にあいそう。

いま、世間に取って代わりつつあるのはシステムだろう。人の所在確認のみならず、防犯とか、結婚相手探しとか、不要物の譲り渡しとか、生活上の助け合いとか、店の評判とか、商品の評価とか、人のうわさや陰口とか、以前は世間の役割だったことが、どんどんシステム化していっている。

役所の管理する情報をデータベース化したり、ケアの必要な人の情報を役所が把握して巡回するなどの福祉サービスが法制化されたり、公共の場所を防犯カメラで監視したり、不要物の譲り渡しがネット上のオークションサイトでできるようになったり、婚活の商業サービスがいろいろ出てきたり、店や商品やサービスに関する口コミサイトがあったり、うわさ話や陰口が横行する学校裏サイトなどの掲示板があったり。自分の口座を晒して金を乞う「金くれ」なんてサイトまであり、乞食もネット上でできるようになっている。

社会のシステム化傾向が究極まで推し進められた結果、どんなふうになっているかは、SF作家でなくともある程度想像がつく。森羅万象がすべてデータに反映され、何かあったときには必要な情報がすべて瞬時にして出揃う。なにもかもが監視され記録されている。すべての人がGPS機能つきのケータイを常に持ち歩くことが義務づけられるとか、あるいは、その機能をもった極微小デバイスが、誕生の時点で体内に埋め込まれるとか。

体内にデバイスを埋め込むなら、センサーの機能もつけておけば、死んだときには自動的にその情報がセンターに送られるようにできるから、非実在老人問題は起こりえなくなる。血圧や脈拍や血中成分含有率や特定のウィルスの有無や存在密度などの健康状態の情報も送っておけば、具合の悪くなったとき、呼ばなくても救急車が来る。というか、もっと早い時点で「医者へ行け」とお達しが届く。

治安はめちゃめちゃよくなる。犯罪の突発的な発生そのものは防止できないかもしれないが、ひとたび何かが起きれば、捜査に必要な情報は瞬時に出揃うので、労なくして検挙率100%を達成。それが抑止力となり、実際の犯罪発生は皆無。無賃乗車や信号無視すらできない。

データを分析すれば、誰と誰がどこで何時間一緒にいたか、なんて情報も抽出できるので、人間関係相関図なんてのも構築できる。商品の購買歴やネット上での発言歴などとリンクさせれば、個人の嗜好や思想傾向や生活スタイルなども分かっちゃう。組織の所属歴やイベント参加歴、メールのやりとりなどの通信歴も記録しておけば、テロなどは、企てそうなやつを抽出して、マークしておける。共謀者も一網打尽にできる。

収入支出も筒抜け。膨大な個人履歴を分析して、趣味嗜好や容貌や健康状態や技能や財力や社会的地位や性格などのパラメタを抽出すれば、その組合せにより、最適な結婚相手などは、そうとう精度よく抽出できそうだ。「あーあー、日本のどこかにぃ〜、わたしを待ってる〜人がい〜る〜」と。鉄道で旅して探し回る必要はないのだ。

個人の自由は最大限にまで尊重される。自由意志にしたがって、好きな格好をして、好きなところへ行き、好きなものを見て、好きなものを食べ、好きなトイレで糞をひり、好きなものを読み、好きな音楽を聴き、好きな趣味に没入し、好きな発言をしていい。ただ、社会のルールに違反したときは、ほぼ自動的に捕まり、罪状に応じて事務的に処罰される。安全で便利で自由で公平な社会。

わがままばかり言って申し訳ない。世間によってがんじがらめにされる社会はいやだと言ったが、ここまで極端なシステム化社会も、ちょっとなぁ、と思う。だけど、今の世の中は、そっちへ向かって着々と進んでいっているんだよなぁ。上記のような社会って、みんなは快適だと思うんだろうか。どうも私には、味気ないというか、自分もシステムに組み込まれて機械的に生きてるだけ、みたいな、生の実感がもてない、喜びに欠ける人生を過ごすことになってしまうのではないか、という気がしてならないんだけど。

システムが整備されて、生きていくための精神的基盤がかえって脆弱になっていっちゃう、なんてことはないだろうか。ほんの数百年の間には、村がひとつ全滅するほどの飢饉に見舞われたり、結婚相手が自由に選べなかったり、赤紙が届いて戦争に駆り出されたり、16歳から21歳の女性8人が強姦され殺害されるという凶悪犯罪が起きたり、といった社会を経てきた。

そのころに比べれば、今の社会なんて、理想が実現したと言ってもいいくらいなのに、自由を満喫し、生きる喜びを謳歌する人よりも、不平不満だらけの人や、ストレスを溜め込んで参りかけてる人や、何かに依存しきっている人や、特に理由がなくてもなんだかつらそうな人や、「リア充爆発しろ」とか言っている人(あ、俺か)が多い気がする。自殺する人の割合は、過去になく高いのではなかろうか。

太宰治だったっけか、大金持ちで何不自由なく暮らしている人は、悩みなどないのではないかと思って聞いてみた、ってなことが書いてなかったっけ? そしたら、誕生石がダサいっていうのが、その人にとっての深刻な悩みだった、と。人は幸せを実感できない生き物なのか。

このままいくと、みんなゾンビみたくなっちまうぞ。どこかの時点で気がついて引き返すのだろうか。なら、ここらへんにとどまっていて、みんなが引き返してくるのを待ってたほうが、時代の先端をいっていることになったりしないだろうか。10年後には、誰もケータイなんか使ってなかったりして。本はやはり紙で読みたいし。子供は表情豊かなのがいい。

●その他もろもろの出来事

7月24日(土)は池袋の乙女喫茶 "Cougar" でてんちょさんのアメフラシさんが主催するコスプレパーティに参加。私は、セーラー服。ヒゲで三つ編み、自分で編めるようになったし、デザフェスのときに出た要望を取り入れて、ローファに三つ折ソックス。好評だった。アメフラシさんとは、'05年4月22日(金)に秋葉原のメイド居酒屋「ひよこ家」でたまたま隣り合わせて知り合ったのだった。その年の6月11日(土)にはサバゲを経験させてもらっている。

7月31日(土)は大多喜のハーブアイランドへ。ロケ地情報は伏せておきたいところだけど、すごくよかったので、たまには気前よく。スタッフが気軽に話しかけてきてくれるし、こちらから質問するとていねいに対応してくれて気持ちがいい。園内にチャペルがあり、ヨーロッパ風のホテル「ノルマンディー」がある。頼んだら、スイートルームを開けて見せてくれた。レストランのシェフはフランスで修行し、神楽坂にいたこともあるという。けど、手の空いたときは、ガーデンに出て、植木鉢を運ぶのを手伝ったりしている。いい人だ。メニューからやや高めのDセット(1,980円)とハーブティー(500円)を注文。うん、すばらしい。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/100731#
> 撮ってきた写真

その日の夜は、中野でオタク仲間のパーティ。セーラー服を着る。夜中過ぎからは、上の階のTwoFaceへ。朝5時まで。途中、寝落ちしてたよ。かわいい女性が何人かいたというのに。ごめん。

8月10日(火)は、ロケハン。列車で2時間ほどのところにあるヨーロッパ風のテーマパーク。結婚式の挙げられるチャペルやバラ園がある。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/10810#
> 撮った写真

帰りがけに立ち寄った高田馬場の漫画喫茶で寝落ちして気がついたら朝。帰らずそのままロケハンに。列車で3時間ほどのところにある、ヨーロッパ風のテーマパーク。チャペルはないが、屋外で教会式の結婚式が挙げられる。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/10811#
> 撮った写真

夜、中野で、イタリアから来たBiancaさんと会う。お友達のGraziaさんとは初めてお会いする。カラオケスナックへ。AnimeLyrics.comっていうサイトがあるんだね。アニソンの歌詞がローマ字で提供されているという超便利なサイト。どっさりとプリントアウトして持ってきている。「最遊記」の主題歌などを見事に歌い上げ、他のお客さんたちからも拍手喝采浴びていた。

8月15日(日)は、イタリアから来たBarbaraさんと池袋のアニメイトの前で待ち合わせ、乙女喫茶を2つハシゴ。"CAFE801" と"Cougar"。Barbaraさんは、イモヅル式にイタリア人の友達が増えていくきっかけになった最初のひとり。'03年8月3日(日)に、原宿の「橋」でコスしているところを声をかけて撮らせてもらったのが始まり。

'06年4月、Brescia(ブレーシア)で開かれた日伊文化交流イベントのスタッフをしていて、私もそれに呼んでもらえた。人生初の写真展示がこのとき。今回会うのは、そのとき以来で、お世話になった母上と一緒に日本に来た。ポルチーニ茸を持ってきてくれた。Bresciaのレストランで一緒にカルツォーネを食べたときに、酒井順子の「負け犬の遠吠え」のことを話題にし、オタクと負け犬とで話が合わない例として、30代独身女性のイタリア料理の話題、例えばポルチーニ茸のことなどにオタクが乗れないと書いてあったと言ったらウケて、今回も土産に持ってきてくれたというわけだ。

うん、例年のことながら、あわただしい夏だった。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

伝説のカメコ。......ってわけじゃないけど。ネットのある板の住人の間では、最前線君に次ぐ二番手ぐらいなのかな。コミケのコスプレ広場で寝っ転がって撮ってる俺の写真、またぞろ2ちゃんのまとめサイトにアゲられた。「戦場のカメラマン『最前線君』の生存確認!!」というスレ。俺のAA(アスキーアート)まで作ってくれてるし。仕事仲間2人に偶然見つけられちゃったよ。いつか最前線君と会えたら2ショ撮られたいなぁ。

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■編集後記(8/27)

・寝苦しい夜が続く。それでも寝ながらエアコンは苦手なので、足元方面にある扇風機に首を振らせている。適当にタイマー設定しているので、夜中に暑くて目が覚め、またスイッチを入れる。朝5時、テラスに面したガラス戸を開放する。部屋の中を風が通ってようやく暑さがやわらぎ、6時半までまた一眠りする。一晩中ガラス戸を開けていればきっと快適だが、わが家は一階だからそうはいかない。朝5時、既に明るい夏空とセミの声、そんな頃と比べるとだいぶ暗くなって来た。半月くらい前からツクツクホーシが鳴いている。この声を聞くと夏休みの終りが近い、まだなにもやっていない(冷や汗)、そんな焦燥感を半世紀のあいだ抱き続けている。いまだにそうだ。夏の終り、国民不在の愚かな私闘・民主党代表選が行われる。読売新聞の編集手帳は〈「挙党一致」などと漢語を用いず、意味のわかりやすい和語で言うのがいいだろう。「味噌も糞もごちゃまぜ」と。〉と書く(8/26)。ま、後者の方が圧倒的に多いな、あの党は。菅も小沢もどっちもどっち、他に誰もいない。自民党だって同じだ。このあとの政界ガラガラポン、楽しみだな。(柴田)

・GrowHairさんのAA見てみたい。/昨日書いた飾り細工。飾り包丁の方がいいですね。/ネタがないので、まとめサイトから。「秋葉原を逆から読むと、本当に聖地になった」では、地名を逆から読むと、小説やゲームの地名のような印象になるという話。「聖地マヤカオ」「雷鳴都市ギチト」「神々の住む天界モズイ」「砂の都市リトット」「最大の港町ガルツ」など。なんかかっこいー!/日本のお弁当が海外で人気、という記事から。NYやフランスで流行っているらしい。節約になるし、栄養バランスが良く、見た目がきれい、腹持ちも良いとのこと。ポケモンやドラゴンボールを見ていて、あれは何なんだろうと疑問に思い調べたという話もあった。最近のキャラ弁まで真似されている。お弁当箱が可愛いという話まであって、海苔用パンチ(穴開けパンチのようなもの)が輸出されていたり、作り方の本が書店に並ぶ。そういやイギリスでホームステイさせてもらっていた時、遠足のお弁当は、チーズをはさんだだけのパンが紙袋に入っているだけだったなと遠い目。キャラの顔の形のお弁当箱って可愛いよね、当たり前になりすぎて意識したことなかったけど。専業主婦と兼業主婦とでは、お弁当に格差が出たりしないのかな。タコさんウィンナーとか、うさぎリンゴとか、うちの母も頑張っていたんだなぁとふと思ったり。今の私には無理だなぁ。貼られていた動画を見て思ったこと。お弁当だからってお箸で食べることもないと思うんだが......。いやぁ、しかし凄いわ、作っている人たち。才能埋もれている主婦多いと思う〜。(hammer.mule)
< http://kaisun1192.blog121.fc2.com/blog-entry-1361.html
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カサオオってあんまり面白くないなぁ
< http://pype.blog28.fc2.com/blog-entry-1904.html
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貼られている動画を見るだけで楽しい
< http://karapaia.livedoor.biz/archives/51758424.html
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リアル?フェイク?LIFE誌の撮影した写真で真偽判定
< http://waranote.livedoor.biz/archives/1251434.html
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突然だけどキリンって見た目バケモンにもほどがあるよな
< http://i.matomenomori.net/
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まとめの杜