映画と夜と音楽と...[475]絶望の先にある何か/十河 進

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〈サンダカン八番娼館 望郷/西鶴一代女/映画女優/前略おふくろさま/おかあさん/流れる〉

●深い悲しみと絶望に捉えられながら嘆きを悟らせまいとする

13歳のときにボルネオに売られた少女サキは、10数年後、望郷の念耐え難く故郷・天草の土を踏む。だが、かつてサキが売られていく姿を遠くに見ながら、その悲しみを刻み込むために自らの足を鎌で傷付けたほど深く妹を愛していた兄は、妹の金で建てた家に安住し妻子を得て、妹の近所への帰郷の挨拶を「外聞が悪い」と止める男になっていた。

湯船に身を沈めながら、サキは兄と兄嫁の会話を漏れ聞く。兄嫁はサキが「この家は自分のもの」と言い出すことを怖れ、兄は「この家は俺の名義で登記しているから大丈夫。それに、あいつもすぐに帰るだろう」と言う。それは、もしかしたら、あえてサキに聞こえるように言っていたのかもしれない。サキは、たったひとりの身内の家で、厄介者と見られているのだ。

兄夫婦の会話を聞いた瞬間、サキは叫び出したいほどの深い悲しみと絶望にとらわれる。だが、その叫びとあふれ出る涙をこらえるために、サキは全身を湯船に沈める。湯の中でサキは口を大きく開けて泣き叫び、涙で顔をくしゃくしゃにする。それほどの絶望にかられながら、彼女は自分の嘆きを兄とその家族に知られまいとした。それは、彼女が身を売って生きてきたことを引け目に感じているからだろうか。



やはり...おきくさんの言うとおりだった、とサキは思ったことだろう。「おまえたち、どんなことがあっても日本に帰るんじゃないよ。帰ったって、イヤな思いをするだけだからね」と、サキたちサンダカン八番娼館のオーナーになり、彼女たちを守り、そして彼女たちに遺産を残して死んでいったおきくさんは、すべてを見通していた。

おきくさんが残した遺産は、袋から取り出すと床に山のように盛り上がるほどの指輪だった。おきくさんは、自分の身を売るたびに金の代わりに男たちから指輪を受け取ってきたのだ。そうして金を貯め、サンダカンの日本人社会では女親分のような顔役になり、八番娼館を買い取り、娼婦たちの守護神になった。そのおきくさんは、サンダカンに共同墓地を造り、自らもそこで眠ることを望んだ。

だが、サキはまだ若い。10数年も身を売って生きてきたが、まだ30にもなっていないのだ。彼女はおきくさんの遺産の指輪を持って、天草に帰郷する。そして、故郷の人々の自分を見る目が、身内の仕打ちが、彼女を深く傷付ける。「からゆきさん」と呼ばれる、貧しさ故に遠い南洋の異国に身を売った女たちの悲しみが、サキを演じた高橋洋子の熱演からにじみ出す。

熊井啓監督の「サンダカン八番娼館 望郷」(1974年)は、その年の邦画ベストワンになり、数々の賞に輝いた。中でも、年老いたサキを演じた田中絹代は、久しぶりの映画出演にもかかわらず見事な演技を見せ、主演女優賞を獲得した。しかし、見事だったのは彼女だけではない。少女の頃からの若きサキを演じた高橋洋子もよかったし、おきくさんを演じた水の江滝子の演技には貫禄と凄みがあった。

水の江滝子が戦前の大スターだとは聞いていたが、僕が演技を見たのは「サンダカン八番娼館 望郷」だけである。日本髪の老女を一体誰だろうと思っていたのだが、キャスト・クレジットに「水の江滝子」と出てきたので驚いた。日活育ちの熊井啓監督だから、日活でプロデューサーとして数多くの映画を制作していた、ターキーこと水の江滝子へは出演オファーをしやすかったのかもしれない。

●人はどんな悲惨な状況にいても諦めさえしなければ希望は生まれる

「サンダカン八番娼館 望郷」は、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した山崎朋子の話題の本を映画化したものだった。どう映画にするのかと思っていたら、廣澤榮(黒澤明や成瀬巳喜男の助監督だった人だ)と熊井啓は、見事な脚本にしあげ、完成作品は映画史に残る名作になった。

構成がよくできている。主人公の女性史研究家(栗原小巻)がサンダカンに到着し、現地の協力者(中谷一郎)と共に八番娼館を探したり、おきくさんが造ったという日本人共同墓地を捜したりするのが、現在時だ。そして、女性史研究家がひとりの「からゆきさん」と出会い、彼女と生活を共にして、その昔話を取材したことを協力者に語るのが、近過去になる。

女性史研究家は、天草でたまたま知り合った貧しい老女(田中絹代)に、下心(取材したいのたが言い出せない)を抱いて接近する。老女の家は貧しく、不潔で、野良猫が何匹も住み着いている。別れ際、「こんな汚いところに、ようあがってくれた」と老女は感謝し、「あんたのことは、一生忘れない」と言う。

ひと月後、女性史研究家は明確な取材の意図を抱いて老女を再訪し、歓待される。それから3週間、女性史研究家は老女と寝食を共にして、話を聞き出そうとする。最初は渋っていた老女も気を許し、少しずつ子供の頃からの話を始める。女性史研究家は隠れてメモをとり、それを郵便で東京の夫に送る。郵便を出すのも老女の目を盗むようにしているのは、彼女の後ろめたさの表れだ。

老サキが語る昔話が、物語の構造としては大過去になる。この3つの時間が交錯しながら話が進んでいくのだが、極貧の家に生まれ、少女時代にだまされるようにしてボルネオに連れていかれ、やがて身を売らされる若きサキの物語が強烈だし、感動的である。人は、どんな悲惨な状況にいても、諦めさえしなければ希望は生まれる。そして、希望さえあれば生きていけるのだということが伝わってくる。サキは金を貯めて故郷に帰る日が来るのを唯一の希望にして、客に身を売り続ける。

そんな中でも、魂のふれあいはあった。ある夜、女性史研究家に「好きな人はいなかったの?」と訊かれた老サキは、はにかむような表情をして、たったひとつの大切な思い出を語り始める。それは、数え切れない男たちに抱かれてきた19になった自分が、「あんたが私の初めての男...」と口にして抱いた青年だった。

その青年(田中健)は、サキを見初めて何度か店を覗きにきた。ある夜、青年を部屋にあげたサキは、青年の身の上話を聞く。信州の荒れ地に育った青年は、早くに父親を亡くし養蚕で暮らしていたが、あるとき霜で桑畑が全滅し母親は毒を飲んだ。青年は役所の勧めで外国に働きに出て、ゴム園を経営するボルネオ人に拾われた。今は、そこで働いている...。

サキは自分に似た身の上に、心が震えたのだ。青年は18、サキは19。たったそれだけしか生きていないのに、すでにあらゆる辛酸をなめ、社会の底辺ではいずりまわるように生きてきた者同士だった。3日にあげず通ってくるようになった青年に、サキは恋をする。「いつか所帯を持とう」と言う青年にうなずく。それが、サキの新たな希望になる。

その思い出を語る老サキの表情がとてもいい。70を過ぎた老女が恥じらい、照れ、そして暗い過去の中で唯一輝いている時間を思い出しているのだ。だが、その恋も実らなかった。老サキは「いつか迎えにきてくれる...」と思っていた。しかし、「男なんてもんにゃ二度と惚れるもんじゃなかと...」と口にし、「いまとなっちゃ恨みもなーんもなか。50年も昔のことだかんな」とキセルを吹かす。

彼女は好きな男に裏切られて、絶望した。身を売って稼いだ金を兄に送り続け、その兄の家に戻ったとき、厄介者扱いされて絶望した。しかし、彼女は生き続け、今も目を覆うほどの極貧の中で生きている。しかし、絶望の先にも何かがあるのだ。その何かは、確かに存在する。生きていくために必要な何かが、確かにある。それを彼女の人生は教えてくれる。

●「前略おふくろ様」の劇中での死と現実の田中絹代の死が重なる

かつて日本映画は、男優はヤクザ者ができなければならなかったし、女優は娼婦が演じられなければならなかった。昨年が生誕百年だった田中絹代は、その代表作では娼婦を演じることが多かった。つまり、日本の女優の王道をいく人だったのだ。彼女の代表作は、国際的な評価を得た溝口健二監督作品「西鶴一代女」(1952年)である。その作品では、最下層の娼婦を演じた。

冒頭は、零落し今は夜鷹に身を落としたお春(田中絹代)が屈辱的な仕打ちを受けるシーンである。おしろいを塗りたくり、ゴザを丸めて小脇に抱えた夜鷹の姿は目を背けたくなるほど無惨だった。老醜といってもいい。そのシーンを撮影するところで映画が終わるのが、吉永小百合が田中絹代を演じた市川崑監督作品「映画女優」(1987年)だった。

田中絹代のキャリアが、「西鶴一代女」を頂点としてひと区切りつくと見るのは、映画史的には正しいのかもしれない。だからこそ、「映画女優」は「西鶴一代女」の撮影が始まったところで、エンドマークにしたのだ。しかし、「西鶴一代女」から20数年後、彼女が「サンダカン八番娼館 望郷」で再び主演女優賞を独占するとは誰も予想しなかった。

「サンダカン八番娼館 望郷」は、僕が大学4年のときに公開された映画だったが、当時、田中絹代は映画出演もなく、一般的には忘れられた存在だった。僕も、かつての大女優であることは知っていたが、彼女の真価が発揮された作品を見ることはできず、久しぶりに出演した「サンダカン八番娼館 望郷」を見て、こういう人かと思ったのを憶えている。

僕が同時代で見た田中絹代は、テレビドラマだった。倉本聰さんが書いた「前略おふくろ様」である。僕が就職した年に始まったドラマだから、「サンダカン八番娼館 望郷」の公開の翌年だ。「傷だらけの天使」で俳優としての人気が高まったショーケンが同じ日本テレビで、「傷だらけの天使」とはまったく違い短髪の板前見習サブとして主演したドラマだった。

その中では「前略おふくろ様」と前置きしたナレーションが入るのだが、実際のおふくろ様はドラマがかなり進行しても、なかなか登場しなかった。やがて、少しぼけ始めたおふくろ様として出てきたのは、田中絹代だった。翌年、第2シリーズ「前略おふくろ様」では、おふくろ様をめぐる話が多くなり、ドラマの最後で田中絹代のおふくろ様は死んでしまう。

僕の記憶では、「前略おふくろ様」の劇中での死と、現実の田中絹代の死が重なっている。「前略おふくろ様」の最終回は、おふくろ様の葬儀のシーンだった。黒服を着たサブちゃんの姿が今でも浮かぶ。雪の中の葬列だった。1977年3月。その放映の何日か前に、現実の田中絹代は亡くなっている。さみしい死だったと新聞で読んだ。

●「おかあさん」を見るたびにあの時代のおかあさんを思い出す

フィルムセンターに通ったり、名画座のプログラムを細かくチェックしていなければ、なかなか古い作品がなかなか見られなかった時代は昔のことになり、今では古典や旧作がいつでも見られる。だから、僕は田中絹代の出演作をかなり見ることができた。小津安二郎監督「宗像姉妹」(1950年)も見たし、溝口健二監督「雨月物語」(1953年)も見た。市川崑監督「おとうと」(1960年)も見た。

中でも成瀬巳喜男監督の「おかあさん」(1952年)と「流れる」(1956年)を見ると、田中絹代という女優のうまさがしみじみと伝わってくる。僕は、今もときどきDVDを取り出し、この2本を見る。「おかあさん」を見るたびに、僕らの時代の日本のおかあさんを思い出す。田中絹代は、夫を亡くしクリーニング屋を続けながら、ふたりの姉弟を育てる気丈な母親である。子供たちには厳しい面も見せるが、そこには子を思うやさしさがにじみ出す。

「流れる」は幸田文の原作がとてもよいのだけれど、映画版も見事なできばえだ。下町の芸者置屋に家政婦で入る田中絹代は梨花という名前なのだが、女将に「家政婦にしては、しゃれた名前ね。面倒だからお春さんでいいわね」と、勝手に「西鶴一代女」のヒロインと同じ名前を付けられる。この映画も、女優たちが素晴らしい。

置屋の女将は山田五十鈴、その娘が高峰秀子である。年増芸者の杉村春子、若いアプレ芸者の岡田茉莉子、その他、中北千枝子、賀原夏子などの演技も印象深い。ちなみに、「アプレ」とは「戦後派」という意味のフランス語「アプレ・ゲール」からきた言葉で、「アプレ××」と使われることが多かった。「アバンチュール」「アベック」など、終戦後はなぜかフランス語がよく使われている。

「アプレ」という言葉は、戦争で苦労した世代には、侮蔑的に使われることが多かった。「あいつはアプレだから」と言うのは、「最近の若いモンは...」に近いニュアンスだろうか。ドライ(これも死語だけど)で現代的...、苦労知らずで遊び好き、そんなイメージで僕は捉えている。戦後すぐの黒澤映画でも、そんな風に使われていた。

田中絹代という女優は、奇矯な行動もあったらしい。「映画女優」には、最初に結婚した映画監督の夫と喧嘩をし、腹いせにいきなり部屋の中で小便をするシーンがあった。そんな性癖が、戦後の事件につながっているのかもしれない。1950年1月19日、3ヶ月に及ぶアメリカ映画視察旅行を終えて帰国した田中絹代の姿に、迎えにきていた大勢の映画関係者やファンは驚いた。

そのときの写真を僕も見たことがあるが、派手な洋装に目立つサングラスだった。彼女は片手に大きな花束を抱えて歓声に「ハロー」と応え、投げキッスを連発した。その後、自動車で銀座から数寄屋橋を行進する。それが報道されると、人々は反発した。「アメリカかぶれ」「アメション女優」と、侮蔑的に言われた。今で言う「バッシング」である。「アプレ女優」などと言われたかもしれない。

そのバッシングの中から彼女は再生する。それが「西鶴一代女」だった。冒頭シーンを見ると、大女優がよくこんな汚れ役を引き受けたものだと驚く。やはり、女優魂が違ったのだ。彼女の武器は演技力しかなかった。だから、半世紀以上にわたって映画に出演し、その晩年に「サンダカン八番娼館 望郷」という代表作を得た。晩年には経済的にも行き詰まっていたと聞くが、幸せな女優人生だったのではないだろうか。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
10キロ減らした体重を維持するために、あまり食べていないのも影響しているのだろうか、あるいは今年の夏が暑すぎたのか、とうとう夏バテが出てしまった。ときどき、フラフラしてめまいがする。酒は飲み続けているが、肉類を食べることが減った。朝飯は野菜だけ。昼飯は、ほとんどソバですます。10センチ縮めたウエストを元に戻さない、悲しい努力なのだけれど...

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