[2914] この映画は事実に基づいて...

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《そうか、巡り巡って、結局ここへたどり着くのか》

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 この映画は事実に基づいて...
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■映画と夜と音楽と...[476]
この映画は事実に基づいて...

十河 進
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〈白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々/ワルキューレ/イングロリアス・バスターズ/ディファイアンス〉

●「ヒトラー暗殺計画」の史実をふまえて作った映画

小林正文さんの「ヒトラー暗殺計画」が中公新書で出たのは、1984年の秋のことだった。その新刊が書評で紹介され、僕は初めて第二次大戦下のドイツでもヒトラー暗殺計画があったことを知った。それもドイツ軍内部での反ナチ運動だったのだ。僕は興味を覚えすぐに新書を購入したが、すでに二刷になっていたから、当時、かなり売れたのだろう。

その新書の冒頭は「総統会議室への爆弾」と題された章で、失明した左目を黒いアイパッチで覆い、失った右手のために軍服の袖をなびかせ、左手に残った三本指で爆弾の入った鞄を提げ、ヒトラー総統の会議室に向かうクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク大佐の描写で始まる。

最近になって「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」(2005年/この映画も事実に基づくとされている)などで知られるようになったドイツ国内における反ナチ運動だが、中公新書「ヒトラー暗殺計画」では、ドイツ軍内部におけるヒトラー暗殺計画、クーデター計画が語られる。クーデター計画は「ヴァルキューレ」と命名され、ヒトラー暗殺と同時に発令される予定だった。

トム・クルーズ主演「ワルキューレ」(2008年)を見ながら、僕は中公新書「ヒトラー暗殺計画」を思い出していた。いや、まるでそのノンフィクションが、映画の原作であるような気がした。「ワルキューレ」は、史実に沿ってドラマが進んでいく。ということは、ヒトラー暗殺とクーデターを企てた軍人たちは、ゲシュタポに逮捕されて徹底的に追及され、多くは死刑になるのである。

もちろん、観客はシュタウフェンベルク大佐を演じたトム・クルーズに感情移入をして見ていたことだろう。史実も知らなかったかもしれない。アフリカ戦線で負傷し英雄になったトム・クルーズは片目片腕がよく似合ったし、黒いアイパッチも精悍な顔を引き立てた。だが、彼が会議室に運び込んだ爆弾は、爆発はしたもののヒトラーは難を逃れ、彼自身は逮捕され銃殺される運命にある。

中公新書「ヒトラー暗殺計画」を読んだだけの知識しかないが、「ワルキューレ」はかなり史実に忠実に描いていた。だから、トム・クルーズが架空のヒーローを演じた作品群のように、派手なアクションシーンなどはない。それが何となく中途半端に僕には思えた。トム・クルーズ映画を見にくる人たちは、こんな作品を望んでいるのではないのではないか。「ワルキューレ」を見ている間、僕が感じていたのは、そんな思いだった。

もちろん、志の高い映画である。トム・クルーズという大スターの心意気も感じる。しかし、主人公の計画が失敗し、逮捕され死んでいくのがわかっているのに、「ヒトラー暗殺は成功するだろうか」と、彼らが爆弾を運ぶシーンを見ながらハラハラドキドキするのは無理だった。結果がわかっていては、人はサスペンスを感じない。

もっとも、トム・クルーズという人気のある大スターが演じたからこそ、「ワルキューレ」は話題になったし、観客を動員した。その観客たちは、ドイツ軍内部でも反ナチの人々が多くいたことを知った。それが権力闘争の一面を持っていたとしても、ナチスが登場する多くの映画のようにドイツ軍人=冷酷なナチだけではなかった、と知らしめたことには意味があるだろう。

●史実さえ変えてしまった「イングロリアス・バスターズ」

僕は大学時代、岩崎昶先生の「映画論」を二年履修したが、その岩崎先生には「ヒトラーと映画」(朝日選書)という著作がある。1975年に出た本だ。その本の中には、ナチス宣伝相「ゲッベルス」が重要な人物として出てくる。「ゲッベルスの登場」と出された章の一行目は、「ヨゼフ・ゲッベルスの生涯の夢は俳優になることであった」とある。

ゲッベルスの生涯は、中公新書「ゲッベルス」(平井正・著)に詳しい。その本も20年近く前に出た本だ。クエンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」(2009年)を見ていたら、ゲッベルスを演じた俳優が本人とよく似ている気がして、その新書を取り出し本物のゲッベルスの肖像写真を確かめたら、確かによく似ていた。

「イングロリアス・バスターズ」はB級映画好きのタランティーノ作品らしく、下品で、悪趣味で、血まみれの残酷描写が頻出するが、実に映画的面白さに充ちたナチ映画だった。その設定はフィクションに徹底していて、史実を忠実に描いた「ワルキューレ」とは対極にある。そこでは、女も含めてナチはいくら虐殺してもよい対象として描かれる。

アメリカ軍中尉で隊長役のブラッド・ピットは「できる限り残虐な殺し方でナチを狩り、頭の皮を剥いでこい」と部下たちをたきつける。彼らはナチス占領下のフランスに潜入し、ナチの軍服を着た人間たちを狩り、実際に彼らの頭の皮を剥ぐのだ。彼らは、ナチの恐怖の的になる。彼らの残虐さを伝えさせるために、ひとりだけ解放する捕虜の額にはナチの鍵十字をナイフで刻み込む。

しかし、本当にうまいなあ、と感心するのは、そういう場面に漂うユーモラスな空気だ。残虐さが大げさで極端なだけに、にやにや笑いが出そうな雰囲気をタランティーノはスクリーンから醸し出す。彼は、残虐な描写をリアリティだけでは考えていない。だから、並のスプラッター映画とは一線を画している。

「イングロリアス・バスターズ」は、フランスの片田舎の草原に建つ一軒の小さな農家の広い庭で、洗濯物を干している娘の肩越しにジープがやってくる冒頭シーンから、異様な緊張感とサスペンスが漂い始める。遠くてよく見えないのだが、ナチのジープであるのは間違いない。娘は不安な顔をして、薪割りをしている父親を振り向く。

ジープを降りたのは、ユダヤ人狩りで怖れられるハンス・ランダ大佐である。彼は父親を促して家に入り、ミルクを所望する。娘たちの美しさを紳士的な態度で讃え、「彼女たちには出てもらった方がいいだろう」とにこやかに言う。大佐は父親が英語を話せることを知っていて、フランス語から英語に切り替える。大佐の言葉は穏やかで丁寧だが、何もかも見通している怖さが伝わってくる。

ハンス・ランダ大佐を演じた、クリストファ・ヴァルツという俳優が凄い。アカデミー助演男優賞は当然だと思う。怪演という言葉さえ浮かぶが、「イングロリアス・バスターズ」の面白さの大半は彼の存在に負っている。キャラクターとしても抜群で、何カ国語でも話せる設定が後半になって生きてくるし、冷酷さと計算高さ、偽装を見抜く鋭さなど、悪役がいいと映画が引き立つお手本である。

この第一章で大佐の魔の手を逃れたユダヤ人少女が、数年後、ある復讐を果たすのが、ひとつの主要な物語になる。もうひとつは、ゲッベルスが制作したナチの英雄を主人公にした映画のプレミア上映の日、その劇場を爆破してナチ高官を大量に殺そうとする連合軍の計画遂行のストーリーである。プレミア上映には、ヒトラー総統も出席することが伝わってくる。

この映画を見ていると、クエンティン・タランティーノが史実には、何もとらわれていないことがわかる。映画の面白さのためなら、史実なんか変えてしまえ、というのがタランティーノの基本的ポジションである。その割り切り方が、いっそ気持ちよい。

●映画好きのタランティーノはドイツ映画史は尊重した

ドイツ映画は1920年代に全盛を迎えていた。表現主義の代表作として映画史で有名な「カリガリ博士」(1919年)、フリッツ・ラング監督が作った「ドクトル・マブゼ」(1922年)などがあり、ドイツ映画は世界中の映画ファンに注目されていた。だが、ナチが台頭し多くの映画関係者が亡命し、ハリウッドに逃れる。

フリッツ・ラング、ビリー・ワイルダー、ダグラス・サーク、オットー・プレミンジャー、フレッド・ジンネマン...など、後にハリウッドの巨匠になる人々は、みんなドイツやオーストリア生まれである。1950年代のハリウッド全盛期を作り出したのは、ある意味ではナチだったのかもしれない。

タランティーノは、そんなドイツ映画史をふまえて、連合国側からフランスに送り込まれる、ドイツ語が話せるイギリス士官の元の職業を「映画評論家」に設定する。それが伏線になる。イギリス士官が「連絡をしてくるドイツ人協力者は誰か」と司令官に訊ねると、「ドイツ映画のスターだ。きみなら、すぐに相手がわかるよ」と司令官は答える。

プレミア上映の劇場爆破計画のために、イギリスから送り込まれたイギリス士官を補佐する任務が、ブラッド・ピット率いる潜入部隊に命じられる。だが、ドイツ側協力者が会合の場に選んだ酒場が地下であることが、ブラッド・ピットには気に入らない。しかし、イギリス士官と彼を護衛するピットの部下ふたりがドイツ人将校に化けて、酒場にいく。そこからは、すべてドイツ語だ。

酒場にはドイツの有名女優がいるが、同じテーブルにドイツ軍の兵士が数名いて、酔って騒いでいる。ひとりの兵士に子供が生まれた知らせが届き、特別に許可されて祝っているのだ。女優が、テーブルにやってくる。しかし、酔った兵士がサインをねだり、それをドイツ将校に化けたイギリス士官が叱りとばすと、兵士が「失礼ですが、大佐の言葉は変ですね。どちらの出身ですか?」と問い返す。

ドイツ将校に化けて、ナチの巣窟に潜入する映画は、「ナバロンの要塞」(1961年)「ナバロンの嵐」(1978年)を始めいくらでもあるが、緊迫度では「イングロリアス・バスターズ」は群を抜いている。「ナバロンの要塞」を初めて見たときほど、ハラハラドキドキした。いつ正体がばれるか、というサスペンスが盛り上がる。

やはり、タランティーノは一筋縄ではいかない。ひねりやどんでん返し、緊迫感が最高潮に達したところでの爆発的な破局など、エンターテインメントとしての名人技を見せてくれる。やっぱり、並じゃない。もっとも、この映画の場合はナチに対する観客の共通イメージをベースにできるから、「絶対悪」としてのナチを登場させたにすぎない(別に批判しているわけではないけれど...)。

●自由に映画的脚色をしながら事実の重みを感じさせた

それにしても、ナチがらみの映画は後を絶たない。ユダヤ人に対するホロコーストに関係するものだけでも、ここ数年で相当な数の作品がある。ちょっと思い出しただけで「ヒトラーの贋札」(2007年)「愛を読むひと」(2008年)「縞模様のシャツの少年」(2008年)など、いくらでもタイトルが浮かぶ。

そんな中、やはり事実に基づくという「ディファイアンス」(2008年)を見た。意識していなかったのだが、監督はエドワード・ズウィックだった。しばらく監督業を離れてプロデューサーをやっていたのだが、「ラストサムライ」(2003年)で監督に復活し、「ブラッド・ダイヤモンド」(2006年)の後、「ディファイアンス」を作った。

サスペンス・アクションとしての面白さ、アフリカの難民キャンプの現実や民族間の対立といった現実を描くこと、アフリカを食いものにする先進国の商業主義を告発すること、それらを融合させた「ブラッド・ダイヤモンド」の出来のよさには感心していたから、エドワード・ズウィックの名は記憶に残っていたのだが、「ディファイアンス」の映画の力に引き込まれ、監督の名前など気にしなかったのだ。

ソ連に侵攻したナチの映像で始まる。占領されたベラルーシでユダヤ人狩りが始まり、ロシア人たちもナチの手先になってユダヤ人を虐殺する。ナチが去った農家に、二人の兄弟が戻ってくる。父母が殺されている。納屋の床下に隠れていた末弟が見付かる。彼らは森に逃げ込み、そこで長兄トヴィア・ビエルスキと巡り会う。トヴィアを演じたのは、ジェイムズ・ボンドことダニエル・クレイグだ。

トヴィアは父母を殺したのが地元の警官だと知り、彼の自宅を襲う。警官は家族と食事中だった。トヴィアが銃を向けると命乞いをする。トヴィアは反撃してきた息子たちを殺し、警官の頭を撃つ。妻が「私も殺して」と泣き叫ぶ。彼は復讐を果たしたのだが、心は晴れない。いや、ますます落ち込んでいく。次兄ズシュが彼に「復讐を果たして、どうだった」と批判的な口調で訊ねる。

そんなとき、森に逃げ込んだユダヤ人と出会い、彼らを仲間に受け入れる。やがて、次から次へとユダヤ人たちがやってくる。彼らを拒否しないトヴィアに「あいつらをどうやって食わす?」と責めるズシュは、兄の行動に不満を抱いている。復讐は自分だけで行い、勝手にユダヤ人たちを受け入れ、支配的な兄を彼は嫌っているのだ。ズシュはドイツ軍を襲い、パルチザンとして名乗りを上げる。

森の中に隠れ住むユダヤ人たちのコミューンが膨れあがる。トヴィアの教師だった老人や新聞を出していたインテリの男が加わり、彼らのアドバイスを受けてコミューンのルールができあがる。いつの間にかトヴィアは、彼らのリーダーになっていた。そして、逃げてきたユダヤ人の頼みで、ゲットーのユダヤ人たちも脱出させ、森のコミューンは千人規模に膨れあがる。

人々はトヴィアの作ったルールに従い、仕事を分担し、助け合って生きていく。だが、やがて冬がきて、食料が乏しくなる。人々が飢える。そうなると、トヴィアに批判的な人間たちも出てくる。クーデターじみたものが起こる。ズシュはトヴィアと決定的な対立を起こし、戦闘的な仲間たちと共にロシア軍のパルチザンに身を投じる。リーダーの責任を自覚するトヴィアの悩みは深まる...。

「DIFIANCE」を辞書で引くと、「挑戦、反抗的態度、無視、〜をものともせず」と出ていた。どれも「ディファイアンス」という映画にはしっくりこない気がする。確かに、トヴィアは服従せず、ドイツ軍のユダヤ狩りに反抗し、終戦時には千数百人のユダヤ人のコミューンを率いていた。それをタイトルは示しているのだろうか。

彼らはおとなしく殺されることを拒否して、集団を作り、武器を取って反撃し、自衛しながらホロコーストを逃れる。今までのナチ映画とは、まったく違っていた。ユダヤ人を被害者的に描くのではない。彼らの中にも様々な人間がいて、醜さや卑劣さが存在し、捕えたひとりのドイツ兵をなぶり殺しにする残虐さも描かれる。

だが、そこには「屈服しない」人間たちの姿が描かれており、エンターテインメントとしての出来もいい。もちろん、ドラマチックに脚色しているのだろう。しかし、事実が持つ重みが映画のラストで伝わってくる。彼らが森の中で写した実際の集合写真やトヴィア本人の写真が映るのだ。さらに、彼らのその後の人生をクレジットタイトルで知らせる。

ズシュは戦後ニューヨークに渡り、運送会社を経営。後にトヴィアも渡米し、ズシュと30年共に働き、森で知り合ったリルカと生涯仲よく連れ添ったという。そのことを知ったとき、僕は安堵した。現実世界のハッピーエンドだ。主人公が銃殺されて終わる「ワルキューレ」とは、まったく逆の気分になれた。

「事実に基づくことをうたった映画」が描く事実とは、一体何だろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
9月になっても、まったく涼しくなりません。9月二週目になれば少しは涼しくなっているだろうと予想して、ひと月前に予約したゴルフ場に仕方なくいくことにしていますが、当日は32度の予報です。熱中症で死ななければ、来週の原稿も無事に届くはず。来週、原稿が載らなかったら、ソゴーは死んだものと思ってください。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![124]
自己実現を果たした人たちの放つ強烈なオーラ

GrowHair
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人生の成功者と言ってさしつかえなかろう男のことをふたつばかり。同じ9月4日(土)のこと。同じ渋谷でのこと。私にとって、昔へとタイムトリップさせてくれる出来事だったというのも共通点。

●大学時代の先輩、華麗なる転身を遂げていた

音信の途絶えていた大学時代の同じゼミの先輩、名前をネットで検索してみたら消息が判明したので、20年ぶりに会ってきた。長村(おさむら)泰作氏。私より1年上の先輩だが、こっちは駿台予備校で1年ズッコケてるので、もともとの学年は同じ。早稲田大学理工学部数学科の中島勝也教授の下で、計算数学を学んだ学友である。卒業して東芝に入社したところまでは聞いていたが、その後、渋谷でラーメン屋を営んでいたことが判明。

いやぁ。私は自分で「よく曲がる人生」なんて言ったりしているが、この程度で言うかと恥ずかしくなるくらい、華麗なる転身だ。「東芝」と「唐そば」、似てないこともないけど。秘伝の味を出すのに、複雑な数式を駆使しているのでなければ、ちょいともったいない感じもしなくもないなぁ。

名前で検索してヒットしたのは、早稲田大学のサイト内のページで、活躍している卒業生を紹介するコーナーだ。
< http://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2006b/115j.html >

「理工学部出身で父の味を守り受け継ぐラーメン屋店主・長村泰作さん」というタイトルで記事になっている。写真も載ってるし。「2007年1月18日掲載」とあるから、3年以上経ってやっと気がついたのか、俺。父親がもう年なので店をたたむ、と言い出したとき、居ても立ってもいられず、継ぐことにした経緯が書かれている。

そう言えば、大学時代から、オヤジさんのラーメンの美味さは、ちょくちょく自慢していた。北九州の黒崎では、長年の評判店だったらしい。ちょっと美味いとかまあまあ美味いとか、そういうレベルじゃないんだそうで。感動的なんだそうで。お客さんが、感極まった表情で、しみじみと「ほんっっっっとにおいしいねぇ」と言ってくれるのだそうで。九州に来たら、ぜったいに寄ってくれ、と言われていたのを忘れていた。

長村氏と私とは、性格がまるで逆だったが、不思議とウマが合ったのは、彼の社交的な性格によるところが大きい。私は、内向的で、鬱気味で、自閉的で、自分から人に話しかけるなんてことは、決してしなかった。計算機室で、プログラムを自作してはひたすらぶん回す日々を過ごしているとき、「何してるの?」と話しかけてくるのは長村氏のほうだった。それも、社交辞令程度ではなく、ひとつ答えると3つ4つ聞いてくる感じで、こっちのやってることを完全に把握するまで、矢継ぎ早の質問攻撃をやめなかった。で、「わかった!」といって、手伝ってくれる。「これとこれなら俺でもできるから」と。

20年以上経って振り返っているせいか、あのころのことは「青春」の香りがいっぱいだ。徹夜作業になったときなどは、夜中過ぎに、「腹減ったなぁ」と言って、一緒に裏の塀を乗り越えてモスバーガーへ行った。別に不正入場してたわけじゃないので、堂々と守衛所の横を通って行けばよかったのだが、単に近道したかっただけ。

だいたい、あの当時のパソコンは計算がめっちゃ遅かった。大型計算機はお金がかかるので、結局使えるのはパソコンしかないわけだが、今のなら1分足らずで終わりそうな計算が、3日ぐらいかかっていた。3日目ぐらいになって近くに落雷があったりすると、非常に心臓に悪い。そんながんばりの甲斐あって、長村氏と連名で学会発表する機会に恵まれた。京都大学で開かれた応用数学会。座長は一松信先生。しゃべるのは私。あれは人生で一番緊張したなぁ。

長村氏は女にモテた。これも私と対極的だ。髪というのは床屋に行って刈ってもらうもんだと思っていたが、彼は美容院に行った。耳にはピアス。男性でピアスはかなりめずらしかった。エレガントでブリリアントなアーバンライフをエンジョイしているふうであった。「モテるでしょ」と人からよく聞かれたそうだが、最初は多少謙遜して「いや、それほどでも」と答えていたが、だんだんめんどくさくなって「はい、モテます」と答えるようになっていた。どっかの県知事とかやってた田中康夫の「なんとなくクリスタル」って覚えてます?あんな時代ですよ(あの本に出てくる店の何割が現存するか、誰か調べてくれないかな)。

それに引き替え、私のほうは、際立ったファッションといえば、リュックを背負って歩いてたことぐらいか。当時はそれで都会を歩くというのはまだまだ珍しく、よく「山でも行くの?」と聞かれた。俺、オタクの原型? そういや、第二人称代名詞として「オタク」を普通に使ってたし。シャツの裾をズボンの外に出すのはカッコいいか、だらしないか、で意見が二分していたころで、私の意見は「入れてたんだけど、自然に出てきちゃったってのがカッコいいんではないか」だったが、「それは間違いなくだらしない」とみんなから言われた。

レクリエーション関係の話になると、長村氏の大活躍の場になった。浅間山を間近に望む追分セミナーハウスでの夏のゼミ合宿のときなどは、嬉々として張り切って、スケジュールを組んだり、宴会の準備をしたりして、大変重宝がられた。数学科って、そういう方面によく気が回る人って少なくて、貴重なのだ。宴会では、みずから道化となって、場を盛り上げてくれる。

また、ふだんの生活においても、院生室のコーヒーの味を格段に向上させてくれた。元はインスタントだったのだが。豆を手でガリガリ挽いて、紙フィルターの谷へ移し、上から湯を注ぐ。最初に少し注いで湯気で蒸らして、なじみをよくして、それから狙うポイントを円を描くように移しながら、ゆっくりと注ぐ。そういうとこまでこと細かに指導してくれる。エルディシュによると「数学者とはコーヒーを定理に変換する機械である」そうだが、コーヒーの質の向上は研究の質の向上にも貢献したのではなかろうか。

院生室で長村氏と私とどんな会話を交わしていたか、よく覚えてないのだが、どうやらそれが元で、あの研究室はスケベだ、といううわさが後輩たちの間に流れてしまったらしい。ある年、ゼミ生に、女性が一人も入ってこなかった。その上、新人歓迎の宴会の席で、新人クンの一人が、卑猥な歌を歌っちゃった。「おもちゃでチャチャチャ」の替え歌で、「おもちゃでやっちゃった」というやつである。本人はうわさを信じきっていて、受け入れてもらおうとのまじめな動機から、精一杯がんばったのであろうが。一同、青ざめ、苦痛の時が流れた。あのときは黙ってたけど、たぶん責は我々にある。この場をお借りして、お詫び申し上げます。

さて、9月4日(土)、唐そば2号店に行くと、長村氏はいた。いやぁ。笑える。お互い、ぜんっぜん変わってないのである。そりゃ、20年余りの歳月はいちおう顔には表れるのだが、雰囲気が。まったく大人になってないのである。なんかこう「その節はどうも」みたいなかしこまった挨拶なんかするようなガラではなく、まるで昨日の会話の続きのよう。間のブランクが一瞬ですっ飛んだ。

結婚したそうだけど、耳にはピアスの穴の痕跡がふたつ、はっきり見えるし、あの調子なら、今でもモテてるに違いない。こっちは、今もってオタクだがな。店のことは、テレビでも放映されたそうだ。それも、ちょっと紹介されたくらいではなく、大転身のストーリーが感動的なドラマ仕立てにされて、一時間番組として放映されたのだそうで。あのころ検索かけてれば、もっとドバドバヒットしてたし、店には行列ができていたそうだ。

いやぁ、語る調子が、なんかはつらつとしている。サラリーマンには向いてなかったんだそうで。いや、私も向いとらんけど、やってますがな。サラリーマン時代は、会社でも電車でも常に手に汗をかいていて、皮膚がぼろぼろだったそうだ。それがラーメン屋になってからは、ぜんぜんなくなったそうで。

ロリコンのマキブチはどうしてるかな、って話になった。「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルを引き合いに出すまでもなく、数学とロリコンとは親和性が高い。純粋なんだな。マキブチは私と同学年で、まあ、典型的なモテない系である。私は、ヤツにはちょっと顔向けできない事情がある。ヤツは、3学年ばかり下の数学科の学生の一人であるユッコちゃんにベタ惚れで、本人には話しかけもできないくせに、我々にはいつもユッコちゃんユッコちゃん言ってた。

ユッコちゃんは、ロリコン好みの、ロリロリっとした子だった。御茶の水女子大付属高校出身。清純そうで、おとなしくて、気品があった。実際、大化の改新だかで活躍した歴史上の人物の子孫なんだそうで、それを言っちゃうと苗字を言ったも同然なんだけど。ひいおばあちゃんは「おひいさま」と呼ばれていて、家来を通じてでないと、シモジモの者たちとは口も利いちゃいけなかったのだそうで。世が世なら、我々もユッコちゃんとは直接話もできなかったというわけだ。本物のお姫さま。

ロリコンのマキブチは、修士課程を修了して、女子高の教師になったそうである。何年か後の同窓会で、あこがれの職に就けて幸せかぃ? と聞かれたマキブチは「あいつら、人間じゃねぇ!」と答えていた。一方、ユッコちゃんは、やはり修士課程を修了した後、川崎市内にあるNECの研究所に就職した。その年のうちに、私と結婚し、次の年に離婚している。向こうは代数系で、こっちは解析系で、ちょっと話が合わなかった(うそ)。

そういうわけで、マキブチには顔向けでけん。いま、ユッコちゃんの本名で検索かけてみたら、おお! 出てくる出てくる、輝かしい学会発表の数々。なんか、基礎研究っぽいこと、やっとるな。コルモゴロフ複雑性がどうしたとかこうしたとか、さっぱり分からん。うんうん、ご活躍の様子である。もはや赤の他人ながら、なんとなく嬉しい。だって、逆に、ひどく荒れた生活してる、とかだったら後味悪いではないか。

えーっと、話が逸れた。久方ぶりに消息の判明した長村氏は元気で活躍してたって話である。今、思い返し、この人もまた、「自己実現を果たした人は、放つオーラの強さが違う」の範疇の人だと感じられる。あ、言うの忘れてた。ラーメン、めっちゃ美味かった。九州から東京に進出しているとんこつ系のラーメンはいくつかあるけど、どれとも似てない。深い味。なるほど、男が人生賭けて守り抜こうってだけのことはある。

●行く前から感動していた「Versailles」のライブ

さて、同じ9月4日(土)、長村氏と会った「唐そば」2号店から徒歩5分ほどのところにある、渋谷公会堂へ。2006年10月から5年間、ネーミングライツの設定により「渋谷C.C.Lemonホール」となっているが。

もともとは、人形作家の清水真理さんと映像作家の寺嶋真里さんと、新宿で一緒に食事をしましょう、って話だった。寺嶋さんのつてで、チケットが入手できたとのことで、急遽渋谷になった。ヴィジュアル系ロックバンドのひとつである、Versailles(ベルサイユ)のライブ。

それが私にとってどれほどストライクゾーンど真ん中だったか、分かってなかったみたい。あんまり言ってなかったもんなぁ、ヴィジュアル系大好きだって。しかも最近はとんと疎遠になってたからなぁ。直接はよく知らなくて、ヴィジュアル系の追っかけの追っかけ、っちゅうか。10年くらい前、原宿の橋でコスするファンたちをよく撮っていたのだ。

あのころ、会社で異動を食らって、気分が腐っていた。もともと製版関係の部署で画像処理をやっていて、それは自分のやりたいことと、ドンぴしゃりだった。本当はCGができれば理想だったけど、それでメシが食えるとも思えなかったので。製版現場へはいつでも行けて、プロの撮ったファッション写真の原稿など、つまり4×5(シノゴ)や8×10(エイトバイテン)のサイズのポジフィルムが心ゆくまで眺められた。

それが、ソフトウェアのプログラマの手が足りないってんで、たまたま手伝っていた、他の事業部へ、そのまま異動させられてしまった。ソフトが書けるので、いちおう仕事になってる、ってだけであって、事業そのものには何の興味もなかった。たいていの人にとって、たぶん、一日のうちで仕事にあててる時間が一番長いのだから、人は仕事を通じて自己実現を図れれば、一番幸せである。が、私はその時点で、あきらめた。

写真、自分で撮りに行こう。で、最初は何を撮ったらいいか分からず、花や景色を撮っていた。が、修士課程を修了するときの総長の言葉を思い出した。どの時代でも、世紀の変わり目には、「世紀末現象」と呼ばれる、おかしなことが起きた。そういうものに惑わされず、冷静に自分の道を進んで欲しい、というような話だった。そうか、100年にいっぺんのチャンスだ。何か、世紀末現象的なものをフィルムに収めたい。

で、渋谷とか原宿とか、撮り歩いていて、発見しちゃったのが「橋」である。それと、もうひとつ動機があった。自分の性格を変えたかったのである。渋谷などでナンパしているニーチャンを見ると、尊敬の念でいっぱいになる。なにしろ、すげなく断られても、一瞬で立ち直り、次の狙いに声をかけているのである。俺には、あれはできない。あんな扱いを受けたら、自尊心がボロボロになって、3日ぐらいは落ち込んで過ごしそう。

それじゃ、だめだ。俺もがんばろう。まあ、それで修行のつもりで、原宿や渋谷で見知らぬ人に声をかけまくって、撮らせてもらっていた。街を歩く人に写真撮影をお願いすると、10人にひとりぐらいは応じてくれる。歩いている人よりも、休んでいる人のほうが確率高い。だんだんコツが分かってきて、こっちの性格も変わってきた気がする。雑談ぐらいにはつき合ってもらえる。もっとも、ちゃんとおつき合いしてくださいなどとはとても言い出す勇気はなく、そういう意味では、収穫ゼロだったわけだが。

ヴィジュアル系のコスの人たちは、一言お願いすれば、ほぼ100%撮影OKだった。あと、くれる名刺には、自宅の住所や電話番号が載っているのには、ちょっとびっくりした。紙焼きした写真を郵送してあげるとすごく喜ばれた。いかにうれしかったかを語った長い手紙が来たり、めちゃめちゃきれいな年賀状を何通ももらったり。

ヴィジュアル系のコスの姿は、すごくインパクトがあり、いかにも世紀末的だ。私は約2年にわたってほぼ毎週日曜に橋に行って撮った。最初は、なんだかすげー、メンタリティーとかよく理解できないけど、とにかくフィルムに収めとけー、ぐらいの動機だった。しばらくすると目が慣れてきて、最初のような衝撃はいちいち受けなくなったが、とにかく撮っとけー、だった。

さらにしばらくしてやっと「あ、美しい」とハタと思い至った。その瞬間までは、ダークでゴシックな耽美の世界、って概念、まったく理解していなかった。でも、一度分かっちゃうと、もう好きで好きでたまらない。あのコスのコらって、10代も多くいるってのに、こういうタイプの美というものを、ちゃんと、しっかり理解してるんだよなー。天才なんじゃね? なんて思えてきた。それで、ますますハマる。

あの当時のヴィジュアル系というと、Malice Mizer(マリスミゼル)、Dir en grey(ディル・アン・グレイ)、LAREINE(ラレーヌ)、Psycho le Cemu(サイコ・ル・シェイム)、Raphael(ラファエル)、LUNA SEA(ルナシー)、Kagrra(カグラ)、ムック、犬神サーカス団、グルグル映画館あたりであった。

その後、キャラ系のレイヤーさんを撮るようになって、そっちのイベントに出没することが多くて橋とはだんだん疎遠になっていったし、以降に出てきたバンドなどはよく知らなかったりするのだけど、ヴィジュアル系が飽きたとか嫌いになったとかではなかった。写真を撮ることに関しては、俺を育ててくれた恩人という思いもある。実際、どうしてここで撮っているのかと、通りすがりに聞いてくる人がいて、撮る腕を磨きたいから、と答えると、がんばってください、と力強く励ましてくれる人がいた。

非常にうれしかったけど、自分の中には、疑問というか、迷いもあった。俺はいったいどこを目指しているのだろう。これを続けていると、いったいどこへ行けるというのだろう、と。だから、寺嶋さんからお誘いを受けたときは、そうか、巡り巡って、結局ここへたどり着くのか、と感慨無量であった。見る前から感激していた。

VersaillesのボーカルのKamijoさんは、以前はLAREINEでボーカルをやっていた。LAREINEのコスの人たちはよく撮っていて、みんな互いに仲がよくて、協調性があって、心が優しくて、ノリがよくて、すご〜く好印象だった。中野サンプラザのライブのときは、開場前にたまたま通りがかって、見慣れたコスの人たちが大勢集まっているのを見て、驚いたものである。

そのご本尊が拝めるのだなぁ。今回のライブは、半年にわたる世界ツアーのグランド・フィナーレ。6月のブラジル、チリ、アルゼンチン、ペルー、メキシコ、ノルウェー、ロシア、フィンランド、イギリス。7月のスペイン、フランス、オランダ、ドイツ、もういっちょドイツ、ハンガリー、再びフランス。その合間には、日本全国を巡業。その最後の最後が今回の渋谷、というわけだ。

ビジュアル系が世界的にこれだけ知られているというのも、驚きだ。原宿のコスの人たちも、かなり貢献したと私はみている。今ではすっかり少なくなっちゃったけど、一時期は日曜ごとにすごい数のヴィジュアル系コスの人たちがやってきて、異様な雰囲気をかもしており、海外の東京観光ガイドでは、観光スポットのひとつになったりしていた。また、海外からのテレビなどのメディアがよく取材に来ていた。

さて、そういった万感の思いを引っ提げて見にいったVersaillesのライブ、うん、ほんっとにすばらしかった。まず、音がきれい。リズムのキレがよく、ノリノリになれる。Kamijoさんのボーカルも、太い声が力強くていい。それと、さすがはヴィジュアル系、視覚的にもすごくきれい。衣装がいいだけでなく、立ち姿勢や動きもいいので、ほんとうにいい絵になってる。Kamijoさんの手の動きに、エネルギーあふれる力強さを感じたし、Hizakiさんのワインレッドのドレス風の衣装がすばらしく、また動きが曲線的で、衣装の流れるような動きがすごくきれい。ほんっとによかったなぁ。

終了後の、寺嶋さんの感想。「自己実現を達成した人のオーラの強さは、すごいわぁ」。そう言われて、私もほんとにそうだったなぁと思った。けど、このフレーズを言ったのはもともとは清水さんだったのだそうで。ムックの達郎さんと初めて会ったときに。最初はお客さんの数150人ぐらいのライブをやってたのに、みるみる大きくなり、武道館でライブをやるまでになった。そのオーラがすごかったと。あれ? 私から見れば、清水さんと寺嶋さんも同じ範疇なんだけど。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

喪男。ソープランド行ってきた。金の力を借りないことには誰も相手してくれないもんで。......って話じゃなかった。行ってきたのは廃ソープランド。廃墟サイトを見ていて、どうしても見に行きたくなったので。いやぁ、すごかった、圧倒されたよ。壮大な建築。正面にはトランプのクィーンがどかーんとでっかく。描いたのではなく、タイル細工で作ってあるようだ。

労働者がまじめにこつこつ貯めた3万円を握り締めて行くような、いわゆるワンツーソープ(←入浴料1万、サービス料2万)なんかとは、わけが違う、超高級店。たぶん、値段も桁違い。根本的に目的が違うんじゃないかな。満たすべきは、優雅で粋な遊び心っちゅうか。

それが、廃墟と化して、つる草に覆いつくされんばかりになっていて、おどろおどろしい。ツワモノどもが夢の跡。バブル弾けて山河あり、泡の城夏にしてつる草絡みたりと、笠うち敷きて時の移るまで涙を落としはべりぬ。これ、昭和のバブル最盛期の文化を後世に伝える貴重な資料として、そのままの形で保存しておくべきだよ。すばらしい物件だ。あるいは廃墟スタジオとして再出発を図るとか。たのむ、やってくれ。

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■編集後記(9/10)

・暑い夏の夜。似たような期待感を抱かせてくれた(そして、似たような失望感を味あわせてくれた)、似たような構造の「恐怖映画」を2本連続して見てしまった。いかにも真実の出来事であったかのように見せる、疑似ドキュメンタリーのスタイルで「そのビデオには衝撃の映像が映っていた」という「ブレアウィッチ・プロジェクト」以来おなじみの手法だ。一つ目は「パラノーマル・アクティビティ」、二つ目は「フォース・カインド」で、ともに予告編を見る限り、みょうなリアリティがあって、相当すごい映像が出てくるんだなと思わされた。「映画史に残る衝撃をあなたは目撃する」という前者では、暗視カメラで捉えた映画館客席の女性たちのこわがりようを見ると期待は高まる。後者の、乱れた映像で見る恐怖にひきつった顔と絶叫はショッキングで、「この映画には一部かなり衝撃的な映像が含まれます」と言われるとやはり期待は高まる。結局、どっちも宣伝上手のこけおどし映画に過ぎず、がっかりさせられた。タイトルが謎の解答というのもバカ。「paranormal」は心霊現象など科学的に説明出来ない現象の意味だし、「the 4th kind」はエイリアンに拉致される第4種接近遭遇のことである。まさにそのとおりのストーリーだ(最初から分かっていて退屈すぎたけど)。パラノーマルを指して「もうこれ以上の映画を作ることはできない」って誰が言った? これ以上のバカ映画、だろ。(柴田)
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・App Storeのガイドライン。時間ないので斜め読み。直前のガイドラインを知らないので比較できず。Flash CS5での開発ができることに?/トライアルバージョンやデモバージョンはNGらしい。Liteはいいのか? 非公式APIもダメで、音声ストリーミングは無線LANじゃない時には上限5MBで5分まで。動画ストリーミングは10分までで云々。タバコやお酒、暴力、ポルノあたりの記述もある。親の目が届かないからそういうアプリはやめてね、とか、アプリ数はもう十分だからいまいちなアプリはいらないよとか、外や裏で変なことするアプリも受け付けないとかも。アプリ内からのWebブラウズは、iOS WebKit frameworkとWebKit Javascriptを使うこと、マルチタスクとして使えるものは〜などなど。こんなアプリ欲しいなぁと希望しても、制限外のものは実現しないんだよな〜。/ストアに並ぶアプリに、ウィルスや怪しげな動作をするものがないという安心感はありつつも、Androidの自由さを求めて移動する人が出てくるかもなぁとは思ったり。/海外でiPhoneが売れている理由の一つに、ウィルスがないからという話を聞いたことがある。あったのかもしれないが、守ってくれているのはわかる。/Googleサイト。検索窓に文字入力している最中に、検索結果表示が変わっていく。あかん、間違って入力&予測文字での予期せぬ結果が気になって、またまたネット時間が増えてしまうかもしれぬ......。/あと気づかなかったんだが、自分の知り合い(ソーシャルネット)の発言検索結果が出てる! My social circle BETA版らしい。知らなかった、いつから? あ、google.comの方です。google.co.jpは変わらず。(hammer.mule)
< http://japan.cnet.com/apple/story/0,2000076557,20419812,00.htm >
アップル、iOS向けアプリ開発規制を緩和
< http://japanese.engadget.com/2010/09/09/ios-app-store/ >
アップルが iOS 開発者規約を変更、開発ツール制限を緩和。審査ガイドライ
ンも公開
< http://blog.livedoor.jp/chihhylove/archives/3570622.html >
フォトショってどれだけ凄いの?
< http://masuda.livedoor.biz/archives/51484352.html >
結婚して子供が産まれてから嫁のことを女として見ていなかった事に、
< http://labaq.com/archives/51499995.html >
古くなって使わなくなったCDケースの再利用法
< http://japan.cnet.com/sp/businesslife/story/0,3800105598,20419583,00.htm >
在宅勤務のよくない点--陥りやすい10の落とし穴を紹介