映画と夜と音楽と...[476]この映画は事実に基づいて...
── 十河 進 ──

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〈白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々/ワルキューレ/イングロリアス・バスターズ/ディファイアンス〉

●「ヒトラー暗殺計画」の史実をふまえて作った映画

小林正文さんの「ヒトラー暗殺計画」が中公新書で出たのは、1984年の秋のことだった。その新刊が書評で紹介され、僕は初めて第二次大戦下のドイツでもヒトラー暗殺計画があったことを知った。それもドイツ軍内部での反ナチ運動だったのだ。僕は興味を覚えすぐに新書を購入したが、すでに二刷になっていたから、当時、かなり売れたのだろう。

その新書の冒頭は「総統会議室への爆弾」と題された章で、失明した左目を黒いアイパッチで覆い、失った右手のために軍服の袖をなびかせ、左手に残った三本指で爆弾の入った鞄を提げ、ヒトラー総統の会議室に向かうクラウス・シェンク・グラーフ・フォン・シュタウフェンベルク大佐の描写で始まる。

最近になって「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」(2005年/この映画も事実に基づくとされている)などで知られるようになったドイツ国内における反ナチ運動だが、中公新書「ヒトラー暗殺計画」では、ドイツ軍内部におけるヒトラー暗殺計画、クーデター計画が語られる。クーデター計画は「ヴァルキューレ」と命名され、ヒトラー暗殺と同時に発令される予定だった。



トム・クルーズ主演「ワルキューレ」(2008年)を見ながら、僕は中公新書「ヒトラー暗殺計画」を思い出していた。いや、まるでそのノンフィクションが、映画の原作であるような気がした。「ワルキューレ」は、史実に沿ってドラマが進んでいく。ということは、ヒトラー暗殺とクーデターを企てた軍人たちは、ゲシュタポに逮捕されて徹底的に追及され、多くは死刑になるのである。

もちろん、観客はシュタウフェンベルク大佐を演じたトム・クルーズに感情移入をして見ていたことだろう。史実も知らなかったかもしれない。アフリカ戦線で負傷し英雄になったトム・クルーズは片目片腕がよく似合ったし、黒いアイパッチも精悍な顔を引き立てた。だが、彼が会議室に運び込んだ爆弾は、爆発はしたもののヒトラーは難を逃れ、彼自身は逮捕され銃殺される運命にある。

中公新書「ヒトラー暗殺計画」を読んだだけの知識しかないが、「ワルキューレ」はかなり史実に忠実に描いていた。だから、トム・クルーズが架空のヒーローを演じた作品群のように、派手なアクションシーンなどはない。それが何となく中途半端に僕には思えた。トム・クルーズ映画を見にくる人たちは、こんな作品を望んでいるのではないのではないか。「ワルキューレ」を見ている間、僕が感じていたのは、そんな思いだった。

もちろん、志の高い映画である。トム・クルーズという大スターの心意気も感じる。しかし、主人公の計画が失敗し、逮捕され死んでいくのがわかっているのに、「ヒトラー暗殺は成功するだろうか」と、彼らが爆弾を運ぶシーンを見ながらハラハラドキドキするのは無理だった。結果がわかっていては、人はサスペンスを感じない。

もっとも、トム・クルーズという人気のある大スターが演じたからこそ、「ワルキューレ」は話題になったし、観客を動員した。その観客たちは、ドイツ軍内部でも反ナチの人々が多くいたことを知った。それが権力闘争の一面を持っていたとしても、ナチスが登場する多くの映画のようにドイツ軍人=冷酷なナチだけではなかった、と知らしめたことには意味があるだろう。

●史実さえ変えてしまった「イングロリアス・バスターズ」

僕は大学時代、岩崎昶先生の「映画論」を二年履修したが、その岩崎先生には「ヒトラーと映画」(朝日選書)という著作がある。1975年に出た本だ。その本の中には、ナチス宣伝相「ゲッベルス」が重要な人物として出てくる。「ゲッベルスの登場」と出された章の一行目は、「ヨゼフ・ゲッベルスの生涯の夢は俳優になることであった」とある。

ゲッベルスの生涯は、中公新書「ゲッベルス」(平井正・著)に詳しい。その本も20年近く前に出た本だ。クエンティン・タランティーノ監督の「イングロリアス・バスターズ」(2009年)を見ていたら、ゲッベルスを演じた俳優が本人とよく似ている気がして、その新書を取り出し本物のゲッベルスの肖像写真を確かめたら、確かによく似ていた。

「イングロリアス・バスターズ」はB級映画好きのタランティーノ作品らしく、下品で、悪趣味で、血まみれの残酷描写が頻出するが、実に映画的面白さに充ちたナチ映画だった。その設定はフィクションに徹底していて、史実を忠実に描いた「ワルキューレ」とは対極にある。そこでは、女も含めてナチはいくら虐殺してもよい対象として描かれる。

アメリカ軍中尉で隊長役のブラッド・ピットは「できる限り残虐な殺し方でナチを狩り、頭の皮を剥いでこい」と部下たちをたきつける。彼らはナチス占領下のフランスに潜入し、ナチの軍服を着た人間たちを狩り、実際に彼らの頭の皮を剥ぐのだ。彼らは、ナチの恐怖の的になる。彼らの残虐さを伝えさせるために、ひとりだけ解放する捕虜の額にはナチの鍵十字をナイフで刻み込む。

しかし、本当にうまいなあ、と感心するのは、そういう場面に漂うユーモラスな空気だ。残虐さが大げさで極端なだけに、にやにや笑いが出そうな雰囲気をタランティーノはスクリーンから醸し出す。彼は、残虐な描写をリアリティだけでは考えていない。だから、並のスプラッター映画とは一線を画している。

「イングロリアス・バスターズ」は、フランスの片田舎の草原に建つ一軒の小さな農家の広い庭で、洗濯物を干している娘の肩越しにジープがやってくる冒頭シーンから、異様な緊張感とサスペンスが漂い始める。遠くてよく見えないのだが、ナチのジープであるのは間違いない。娘は不安な顔をして、薪割りをしている父親を振り向く。

ジープを降りたのは、ユダヤ人狩りで怖れられるハンス・ランダ大佐である。彼は父親を促して家に入り、ミルクを所望する。娘たちの美しさを紳士的な態度で讃え、「彼女たちには出てもらった方がいいだろう」とにこやかに言う。大佐は父親が英語を話せることを知っていて、フランス語から英語に切り替える。大佐の言葉は穏やかで丁寧だが、何もかも見通している怖さが伝わってくる。

ハンス・ランダ大佐を演じた、クリストファ・ヴァルツという俳優が凄い。アカデミー助演男優賞は当然だと思う。怪演という言葉さえ浮かぶが、「イングロリアス・バスターズ」の面白さの大半は彼の存在に負っている。キャラクターとしても抜群で、何カ国語でも話せる設定が後半になって生きてくるし、冷酷さと計算高さ、偽装を見抜く鋭さなど、悪役がいいと映画が引き立つお手本である。

この第一章で大佐の魔の手を逃れたユダヤ人少女が、数年後、ある復讐を果たすのが、ひとつの主要な物語になる。もうひとつは、ゲッベルスが制作したナチの英雄を主人公にした映画のプレミア上映の日、その劇場を爆破してナチ高官を大量に殺そうとする連合軍の計画遂行のストーリーである。プレミア上映には、ヒトラー総統も出席することが伝わってくる。

この映画を見ていると、クエンティン・タランティーノが史実には、何もとらわれていないことがわかる。映画の面白さのためなら、史実なんか変えてしまえ、というのがタランティーノの基本的ポジションである。その割り切り方が、いっそ気持ちよい。

●映画好きのタランティーノはドイツ映画史は尊重した

ドイツ映画は1920年代に全盛を迎えていた。表現主義の代表作として映画史で有名な「カリガリ博士」(1919年)、フリッツ・ラング監督が作った「ドクトル・マブゼ」(1922年)などがあり、ドイツ映画は世界中の映画ファンに注目されていた。だが、ナチが台頭し多くの映画関係者が亡命し、ハリウッドに逃れる。

フリッツ・ラング、ビリー・ワイルダー、ダグラス・サーク、オットー・プレミンジャー、フレッド・ジンネマン...など、後にハリウッドの巨匠になる人々は、みんなドイツやオーストリア生まれである。1950年代のハリウッド全盛期を作り出したのは、ある意味ではナチだったのかもしれない。

タランティーノは、そんなドイツ映画史をふまえて、連合国側からフランスに送り込まれる、ドイツ語が話せるイギリス士官の元の職業を「映画評論家」に設定する。それが伏線になる。イギリス士官が「連絡をしてくるドイツ人協力者は誰か」と司令官に訊ねると、「ドイツ映画のスターだ。きみなら、すぐに相手がわかるよ」と司令官は答える。

プレミア上映の劇場爆破計画のために、イギリスから送り込まれたイギリス士官を補佐する任務が、ブラッド・ピット率いる潜入部隊に命じられる。だが、ドイツ側協力者が会合の場に選んだ酒場が地下であることが、ブラッド・ピットには気に入らない。しかし、イギリス士官と彼を護衛するピットの部下ふたりがドイツ人将校に化けて、酒場にいく。そこからは、すべてドイツ語だ。

酒場にはドイツの有名女優がいるが、同じテーブルにドイツ軍の兵士が数名いて、酔って騒いでいる。ひとりの兵士に子供が生まれた知らせが届き、特別に許可されて祝っているのだ。女優が、テーブルにやってくる。しかし、酔った兵士がサインをねだり、それをドイツ将校に化けたイギリス士官が叱りとばすと、兵士が「失礼ですが、大佐の言葉は変ですね。どちらの出身ですか?」と問い返す。

ドイツ将校に化けて、ナチの巣窟に潜入する映画は、「ナバロンの要塞」(1961年)「ナバロンの嵐」(1978年)を始めいくらでもあるが、緊迫度では「イングロリアス・バスターズ」は群を抜いている。「ナバロンの要塞」を初めて見たときほど、ハラハラドキドキした。いつ正体がばれるか、というサスペンスが盛り上がる。

やはり、タランティーノは一筋縄ではいかない。ひねりやどんでん返し、緊迫感が最高潮に達したところでの爆発的な破局など、エンターテインメントとしての名人技を見せてくれる。やっぱり、並じゃない。もっとも、この映画の場合はナチに対する観客の共通イメージをベースにできるから、「絶対悪」としてのナチを登場させたにすぎない(別に批判しているわけではないけれど...)。

●自由に映画的脚色をしながら事実の重みを感じさせた

それにしても、ナチがらみの映画は後を絶たない。ユダヤ人に対するホロコーストに関係するものだけでも、ここ数年で相当な数の作品がある。ちょっと思い出しただけで「ヒトラーの贋札」(2007年)「愛を読むひと」(2008年)「縞模様のシャツの少年」(2008年)など、いくらでもタイトルが浮かぶ。

そんな中、やはり事実に基づくという「ディファイアンス」(2008年)を見た。意識していなかったのだが、監督はエドワード・ズウィックだった。しばらく監督業を離れてプロデューサーをやっていたのだが、「ラストサムライ」(2003年)で監督に復活し、「ブラッド・ダイヤモンド」(2006年)の後、「ディファイアンス」を作った。

サスペンス・アクションとしての面白さ、アフリカの難民キャンプの現実や民族間の対立といった現実を描くこと、アフリカを食いものにする先進国の商業主義を告発すること、それらを融合させた「ブラッド・ダイヤモンド」の出来のよさには感心していたから、エドワード・ズウィックの名は記憶に残っていたのだが、「ディファイアンス」の映画の力に引き込まれ、監督の名前など気にしなかったのだ。

ソ連に侵攻したナチの映像で始まる。占領されたベラルーシでユダヤ人狩りが始まり、ロシア人たちもナチの手先になってユダヤ人を虐殺する。ナチが去った農家に、二人の兄弟が戻ってくる。父母が殺されている。納屋の床下に隠れていた末弟が見付かる。彼らは森に逃げ込み、そこで長兄トヴィア・ビエルスキと巡り会う。トヴィアを演じたのは、ジェイムズ・ボンドことダニエル・クレイグだ。

トヴィアは父母を殺したのが地元の警官だと知り、彼の自宅を襲う。警官は家族と食事中だった。トヴィアが銃を向けると命乞いをする。トヴィアは反撃してきた息子たちを殺し、警官の頭を撃つ。妻が「私も殺して」と泣き叫ぶ。彼は復讐を果たしたのだが、心は晴れない。いや、ますます落ち込んでいく。次兄ズシュが彼に「復讐を果たして、どうだった」と批判的な口調で訊ねる。

そんなとき、森に逃げ込んだユダヤ人と出会い、彼らを仲間に受け入れる。やがて、次から次へとユダヤ人たちがやってくる。彼らを拒否しないトヴィアに「あいつらをどうやって食わす?」と責めるズシュは、兄の行動に不満を抱いている。復讐は自分だけで行い、勝手にユダヤ人たちを受け入れ、支配的な兄を彼は嫌っているのだ。ズシュはドイツ軍を襲い、パルチザンとして名乗りを上げる。

森の中に隠れ住むユダヤ人たちのコミューンが膨れあがる。トヴィアの教師だった老人や新聞を出していたインテリの男が加わり、彼らのアドバイスを受けてコミューンのルールができあがる。いつの間にかトヴィアは、彼らのリーダーになっていた。そして、逃げてきたユダヤ人の頼みで、ゲットーのユダヤ人たちも脱出させ、森のコミューンは千人規模に膨れあがる。

人々はトヴィアの作ったルールに従い、仕事を分担し、助け合って生きていく。だが、やがて冬がきて、食料が乏しくなる。人々が飢える。そうなると、トヴィアに批判的な人間たちも出てくる。クーデターじみたものが起こる。ズシュはトヴィアと決定的な対立を起こし、戦闘的な仲間たちと共にロシア軍のパルチザンに身を投じる。リーダーの責任を自覚するトヴィアの悩みは深まる...。

「DIFIANCE」を辞書で引くと、「挑戦、反抗的態度、無視、〜をものともせず」と出ていた。どれも「ディファイアンス」という映画にはしっくりこない気がする。確かに、トヴィアは服従せず、ドイツ軍のユダヤ狩りに反抗し、終戦時には千数百人のユダヤ人のコミューンを率いていた。それをタイトルは示しているのだろうか。

彼らはおとなしく殺されることを拒否して、集団を作り、武器を取って反撃し、自衛しながらホロコーストを逃れる。今までのナチ映画とは、まったく違っていた。ユダヤ人を被害者的に描くのではない。彼らの中にも様々な人間がいて、醜さや卑劣さが存在し、捕えたひとりのドイツ兵をなぶり殺しにする残虐さも描かれる。

だが、そこには「屈服しない」人間たちの姿が描かれており、エンターテインメントとしての出来もいい。もちろん、ドラマチックに脚色しているのだろう。しかし、事実が持つ重みが映画のラストで伝わってくる。彼らが森の中で写した実際の集合写真やトヴィア本人の写真が映るのだ。さらに、彼らのその後の人生をクレジットタイトルで知らせる。

ズシュは戦後ニューヨークに渡り、運送会社を経営。後にトヴィアも渡米し、ズシュと30年共に働き、森で知り合ったリルカと生涯仲よく連れ添ったという。そのことを知ったとき、僕は安堵した。現実世界のハッピーエンドだ。主人公が銃殺されて終わる「ワルキューレ」とは、まったく逆の気分になれた。

「事実に基づくことをうたった映画」が描く事実とは、一体何だろう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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9月になっても、まったく涼しくなりません。9月二週目になれば少しは涼しくなっているだろうと予想して、ひと月前に予約したゴルフ場に仕方なくいくことにしていますが、当日は32度の予報です。熱中症で死ななければ、来週の原稿も無事に届くはず。来週、原稿が載らなかったら、ソゴーは死んだものと思ってください。

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