デジクリトーク/確定したデータ(原本) フジワラヨウコウ・森山由海・藤原ヨウコウ

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〈「夢幻空想綺界画帖異録」から転載〉

立て続けに別の人達から同じコトで説教を食らうと結構こたえる......

ボクは絵を描きっぱなしで、後はほとんど管理らしい管理などしていないのはここの日記で何度も言及しているのですが、この点についてめちゃめちゃ大目玉を食らってしまった。まぁ、言われることはもっともなんですけど、どうもイマイチ踏ん切りがつかないというか、あずにゃんみたいに「やってやるですっ!」という気にもなれん。が、どうも今のままほったらかしに出来ないような包囲網が迫ってるのも事実である。なんとも困ったなぁ (´-ω-`)

そもそもデジタル環境で絵を描いていることに端を発するのだ。タブローならこうはならない。別の問題は出るけど......。

データというのは完成していても実は確定されたモノではないのだ。非常にややこしい「状態」であるに過ぎない。まぁ、ここがデータのいいところでもあり、困ったところでもあるのですが。で、話は「ちゃんとした原本を残さないと無責任だ」というボク的には実に痛いところをつかれたのでこうして困っている。

基本が印刷なのでそれ用にデータを作っているのですが、ボクは今のデジタル印刷を全く信用していないので、入稿データを渡したら後は出版社さんと印刷屋さんに任せっきり。だから、色校は滅多なことがない限りほとんどスルー状態で校了している。


信用できない理由というのは実に明確で、「データ通りです」という答えしか返ってこないからだ。データしか見てくれない。そこに見えているはずの風景を見てくれないから(見てくれても程度はしれている)何を言っても話が通じないのだ。ぎゃあぎゃあ騒いで進行を遅らせたくない、っていうのももちろんあるんですがね。

限られた時間の中で作業は進行していくし、そういう中でほとんど宇宙人的、未来人的、あるいはそれに準ずるような発言をしても迷惑なだけじゃないですか。日常的な限界の中で出来る範囲内のコトが出来ていれば、それで良しと思ってもいる。一種の諦めですね。割り切り、と言ってもいいかもしれない。

一方で、絵を描いている時というのはハイエンドな状態しか考えていない。ボク自身が今出来るハイエンドだ。当たり前の話だがイメージの落差はすごい。

ネットに絵をアップした時によく言われるのが、「データの方がキレイ」なのですが、実はボクがアップしているデータも色々な許容範囲内に収まるようにしていて、アップされたデータすらも確定した状態ではないのだ。

ここで「確定したデータ(原本)」の問題が浮上する。

どれだけ描いたのか分からないけど、とにかくそれぞれの絵にはそれぞれの確定されたイメージがあるのですが、それはあくまでもボクの頭の中にしかなくて、第三者が見ることが出来る状態ではないのです。まぁ、ボクが生きてる内は構わないんだろうけど、「死んだらどうすんねん」というところまで話が飛躍しているので余計に困ってしまうのだ。

ボクの描く絵はレイヤー構造の複雑さもあるのですが、一枚の絵にするために描いたパーツの量も含めると、尋常じゃないコトになってしまっていて、これはデータを全部公開すればどうにかなるという話でもない。

レイヤーが使えなかった時代のデータは逆にまだマシで(アルファ・チャンネルの量がすごいけど...)、今現在メインで使っているPhotoshop CS4PとPainterIXのデータは酷いモノになっている。特にPhotoshopデータはえげつなくて、レイヤーはもちろんレイヤー・マスクに調整レイヤー(これにもレイヤー・マスクを多用している)、さらにアルファ・チャンネルまで総動員しているので、ぱっとデータを見てもナニがどうなっているのかボクでもしばらく解読を試みないと分からないのである。

機嫌良くじゃんじゃん描いているからこうゆうコトになったのですが......。

まぁ、イイ訳じみたことを言わせてもらえるとすれば、描く前に頭の中で完成させたイメージをデータで再現するために手段を選んでいない、というコトぐらいでしかなくて、データが複雑だからといってそれが作業スピードに遅延をもたらしたのではなく、スピードが上がれば上がるほどデータがややこしくなっていった結果なのである。

で、こうした絵の量は正直言ってどれぐらいあるのかボクは全く把握していない。一応バックアップは取ってるけど、そいつらをひっくり返して枚数を数える気にもなれない。とにかくそれぐらい量が多いのだ。おまけにとんでもなく大きなサイズ(データサイズではなく実寸レベルの話だ)の絵も相当量存在する。量は多いわ、一つの絵はややこしいわ、サイズは無茶苦茶だわで、後ろを振り向く気になれないボクの気持ちも察していただきたい(また怒られるな)。

更にこれとは全く別の問題がある。ボク自身が自分が描いた絵を後世に残したいと、これっぽっちも思っていないという事実である。テキストと切り離された絵にボクはなんの価値も見いだせないからだ。『ことのはの海 カタシロノ庭』だけは別です。アレは何が何でもボクが生きている内に完璧な状態で確定したい。完全版を作りたい。でもそれ以外のものは、今必要とされていて、今を生きている絵であって、ボクが死んだ後のことなどなぁ〜んにも考えていないのだ。

絵はボクにとって単なる結果に過ぎないし、むしろボクにとっては20世紀型挿絵に終止符を打つ、という行動そのものの方が重要で(『ことのはの海 カタシロノ庭』は正にそれを体現したまとまったモノなのだ)、もっと極端な言い方をすれば、今を生きるのが精一杯なのだ。死後のことまで考えるゆとりはない。むしろ、ゆとりがあれば今に回したい。

だから、いつも「お仕事下さい」と喚き、なければないでetudeを量産する。「絵を残す」という点からすれば泥沼以外の何ものでもないのですが、ボクはやっぱり「今」が大事だからこうした事態は止まらないし、止まったら終わりだという脅迫概念じみたモノすらあるような気がする。

そこに冷や水をぶっかけたのが今回の話である。言われてみればもっともな話だし、「きちんとした形で残すべきだ」と仰って下さる方がいるのは非常に栄誉あることなのだろうとも思う。ありがたい話であり、我ながら果報者だなぁとも思うのだ。こればかりは死んでからじゃ分からないからね(笑)

論理的にも感情的にも「せなあかんなぁ...」という結論にしかならないのですが、ボクはデタラメで横着者で怠け者なのでなかなか腰が上がらないのも事実だっ!

で、こうしてグズグズしている内に「フジワラヨウコウ作品の完全なアーカイブを作る」などというとんでもなくでかい話になってしまい、ボクはますます引っ込みがつかなくなったのだ。逃げられない・・・_| ̄|○;

要はボクが腹をくくって「やってやるですっ!」となればイイだけの話なのですが......嗚呼......(September 06,2010)

【フジワラヨウコウ/森山由海】絵描き
1965年:広島県生まれ
2000年:「藤原ヨウコウ」名義で装幀挿絵画家デビュー
2004年:周囲の猛反対を振り切って「森山由海」に改名
2007年:あっさり「ヨウコウ」ブランドを復活
    いつの間にか「藤原ヨウコウ」も復活
現在はフジワラヨウコウ・森山由海・藤原ヨウコウの三つの名義で活動中(但し使い分けできてません)。
< http://homepage3.nifty.com/yowkow-yoshimi-y2/ > 夢幻空想綺界画帖