映画と夜と音楽と...[477]侮るな、メロドラマの力を...
── 十河 進 ──

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〈エデンより彼方に/天はすべて許し給う/風と共に散る/悲しみは空の彼方に/愛する時と死する時〉

●ジュリアン・ムーアが演じた50年代アメリカの主婦

ジュリアン・ムーアという女優が好きだ。作品はかなり見ているつもりだが、彼女は引っ張りだこで出演作が多く、見逃しているものもある。最初に名前を憶えたのはニール・ジョーダン監督の「ことの終わり」(2000年)だった。その後、意外だったのは「羊たちの沈黙」(1990年)でジュディ・フォスターが演じたFBI捜査官クラリスを、「ハンニバル」(2001年)で演じたことである。

へえー、アクションもできるんだ、と僕は思ったが、その翌年に出演したのが「エデンより彼方に」と「めぐりあう時間たち」(共に2002年)だったので、やはりジュリアン・ムーアには文芸作品が似合うな、と納得した。この二本の役は何となく似ていて、どちらも1950年代のアメリカの主婦を演じていた。「めぐりあう時間たち」では、倦怠感を漂わせる虚無的な雰囲気が印象に残った。

「エデンより彼方に」は1950年代の空気感を再現しようとした作品で、時代のカラーを出すのにCGを駆使していた。ジュリアン・ムーアが演じたのは、都市近郊の高級住宅街に住む富裕なビジネスマンの妻である。ある日、夫がホモ・セクシャルであることを知り、呆然とする。そんな中、黒人の庭師と話を交わすようになり、次第に強く惹かれていく。しかし、半世紀前のアメリカだ。そんな関係が許されるはずはない。

その「エデンより彼方に」を作るのに監督が参考にしたのが、ダグラス・サーク監督の作品群だったという。ダグラス・サーク監督には「天はすべて許し給う」(1955年)という作品があり、それは二人の子供を育てた高級住宅地に住む未亡人が庭師と恋に落ちる物語である。50年代では、富裕な未亡人が年下の庭師と恋に落ちるだけで、身分違いのスキャンダルになったのである。



庭師を演じたのは、白人の中でも正統的なWASP(ホワイト・アングロ・サクソン・プロテスタント)の外見を持つ、ハンサムなロック・ハドソンである。未亡人を演じたのはジェーン・ワイマン。彼女が再婚相手のロック・ハドソンを紹介すると、再婚には賛成していた息子が凍り付く。「年下の庭師との再婚」など、死んだ父親への侮辱だと娘も反対する。結局、彼女は周囲の反対や世間の目を気にして、恋人と別れるのだ。

それだけの話をダグラス・サークは、飽きさせずに見せる。「メロドラマの巨匠」と言われたそうだが、上質なメロドラマは見ていて心地よい。何だか懐かしい香りがする。一歩間違うと、ハーレクイン・ロマンスになってしまうのだけれど、何かが違う。いや、ハーレクイン・ロマンスと括ってしまうのが、間違いなのかもしれない。読んだことはないが、ハーレクイン・ロマンスの中にも「よくできたハーレクイン・ロマンス」は存在するはずだ。

どんなジャンルにも、「よくできたもの」と「そうでないもの」がある。今年の7月、NHK-BSで放映してくれた「ダグラス・サーク特集」を見ながら、僕はそのことを思い知ったものだった。僕が見ていたダグラス・サーク監督作品は「風と共に散る」(1956年)と「愛する時と死する時」(1958年)だけだったので、日本未公開作品を含む放映はうれしかった。そして、どれも「よくできたメロドラマ」だった。

●観客に何をどのように語るかを計算し尽くした監督

「風と共に散る」(1956年)は、夜の道を疾走するスポーツカーのシーンから始まる。タイヤをきしませ、フルスピードでカーブを曲がるスポーツカー。運転している白人の男は、酔っているようだ。目が据わっている。何か、ひとつの思いにとらわれている人間の顔だ。スクリーンプロセスの人工的なアップショットに懐かしさを感じるが、その迫力は現代のCGよりリアリティがある。

スポーツカーは、ある邸宅に入っていく。スポーツカーを降りた男(なんとテレビシリーズ「アンタッチャブル」のエリオット・ネスことロバート・スタックだ)は、酒瓶を片手にふらつく足取りで玄関に向かう。途中、壁に酒瓶を叩きつけると、半地下の部屋の窓に電灯が点き、使用人らしき男女が心配そうに顔を出す。邸宅の寝室のベッドから起きあがった女性(ローレン・バコール)が、窓から見下ろす。

別の部屋にいる若い女(ドロシー・マローン)が、妖艶な笑みを浮かべる。ホールにいた男(ロック・ハドソン)が、心配そうに立ち上がる。そんな三人の男女のカットを短く見せ、再びカメラは酔っぱらって激情に駆られている男に戻る。男が邸宅の玄関に入る。しばらくして、銃声がする。カメラはドアを映したままだ。やがて、ヨロヨロと男が出てくる。玄関を出て数歩、彼はバッタリと倒れる。

これがプロローグである。室内の二階の窓から男が倒れるのを見せ、カメラがパンするとデスクの上に日めくりカレンダーがある。窓からの風が、そのカレンダーを過去へとめくる。そして、話は数ヶ月前に遡るのだ。半世紀以上前の映画だが、古くささは少しも感じない。普遍的なスタイルを持っているからだろう。その格調の高さは、現代の映画には感じられないものだ。描写にも、台詞にも、抑制がきいている。

過去に遡った物語は、石油会社に勤めるロック・ハドソンがデザイン会社の秘書であるローレン・バコールと初めて出逢うシーンから始まる。彼には子供時代からの親友であるロバート・スタックがいる。ロバート・スタックは石油会社の社長の息子で、有り余る金で社交界を騒がせることばかりしている。その尻ぬぐいをするのは、いつもロック・ハドソンである。

ロック・ハドソンは出逢ったときからローレン・バコールに惹かれるが、強引に割り込んできたロバート・スタックの魅力に惑わされたローレン・バコールは電撃的に彼と結婚してしまう。ロック・ハドソンは親友のために慕情を押し隠すのだが、愛する女性が親友と新婚生活を送るのを見るのが耐えられない。彼は離職し、海外の仕事に就くことを決意する。

ここに、もうひとりの女性が登場する。ロバート・スタックの妹で、幼い頃からロック・ハドソンを愛しているドロシー・マローンだ。彼女はロック・ハドソンの気を惹くために、他の男たちと浮き名を流すような女である。妖艶で、ニンフォマニアのような雰囲気さえ感じさせる。遊び人の兄も、彼女のことを心配する。ドロシー・マローンの登場で、映画は悲劇の予感を漂わせ始める。

ローレン・バコールを巡る二人の男の関係、ロック・ハドソンを巡る二人の女の関係...、それらが複雑に絡み合い、冒頭に描かれた破局に向かって収斂されていく。この物語の語り方、描き方は、謎の解明を軸にしているから、観客の興味をそそり、余計なことに関心をそらさせない。「そうか、それで、こうなるのか」と、映画の進行と共に、冒頭の破局が迫りつつあるのを観客だけが知っている。

ある文芸書の編集者に「小説の展開とは、結局、読者に情報を隠すことです」と聞いたことがある。それは、映画も同じだ。観客に何をどのように、いつ知らせていくかがテクニックなのだ。「風と共に散る」は冒頭に破局を見せ、改めて最初に戻り少しずつ観客に知らせていく。登場人物たちは未来がわからないから、それを知っている観客たちは彼らの言動に一喜一憂し、映画の世界にのめり込む。

●5人の主要な登場人物がテンポよく紹介される

ダグラス・サークの最高傑作と評判が高いのが「悲しみは空の彼方に」(1959年)である。ジュリアン・ムーア主演「エデンより彼方に」が、この映画のタイトルをふまえていることはすぐにわかる。しかし、僕が映画を見始めた頃、主題曲がヒットしたジェラルディン・チャップリン主演の「悲しみは星影と共に」(1965年)というイタリア映画があり、何となく僕はそちらを連想する。

「悲しみは空の彼方に」も冒頭は、まるで物語の途中から始まったかのような印象だ。海辺の行楽地。大勢の人がいる中で、若い母親(ラナ・ターナー)が子供の名を呼んでいる。カメラを持った若い男(ジョン・ギャビン)が事情を聞き、迷子捜しに協力する。彼は黒人の母娘と一緒に遊んでいる幼い少女を見付け、母親もやってくる。彼らはそれぞれに自己紹介をし、男に写真を撮ってもらう。

こうして、白人の母娘、彼女らと一緒に暮らすことになる黒人の母娘、彼女らを長年にわたって見守ることになる男...、5人の主要な登場人物がテンポよく紹介されたわけである。ラナ・ターナーは貧しい女優志願の母親、黒人のファニタ・ムーアは白人に見える娘を抱え住むところもない。この二組の母娘が助け合い、寄り添い、様々な問題を抱えながら生きていく物語が簡潔に、抑制をきかせ、そして感動的に綴られていく。

ラナ・ターナーは女優として売れ、生活が華やかになった代わりに芸能界の水に染まり、生活は荒れていく。そんな母親を成長した娘(サンドラ・ディー)は批判的に見る。彼女は子供の頃から親身になってくれるジョン・ギャビンに憧れているが、写真家になった彼はずっとラナ・ターナーを愛しているのだ。

ラナ・ターナーが女優に専念できるように家庭のことすべてを見てきたファニタ・ムーアは信心深く誠実な人柄だが、「どうして、あんたが母親なのよ」と娘に罵られる。娘の忘れ物を母親と名乗って学校に届けると、「あれは乳母よ」と娘は友だちに言う。娘は、自分が白人に間違われることが誇らしく、黒人の母親を拒否し続ける。

美しく成長した黒人の娘は、白人のボーイフレンド(何とトロイ・ドナヒュー)ができる。しかし、その男は噂で彼女が黒人だと知り、彼女を問い詰め、暴力をふるう最低の奴だ。それなのに、娘は自分が黒人であることがすべて悪いのだと考える。母親を罵って家を出る。都会で白人として暮らし始める。その娘の姿に僕は「ピンキー」(1949年)と「白いカラス」(2003年)という二本の映画を思い出した。

エリア・カザンの「ピンキー」は、北部の病院で白人の看護婦として働いていた娘が白人の医師に愛され、彼から逃れるように南部の黒人の村に戻ってくる話だったし、「白いカラス」は黒人学生への差別発言で大学を追われた教授が、白人として偽って生きてきた己の過去を甦らせる話だった。どちらも、内なる差別意識をえぐる作品である。

しかし、「悲しみは空の彼方に」の黒人の娘は、自分の出自を隠すことだけに懸命だ。仕方がない。1950年代のアメリカである。ケネディの登場まで、まだ数年ある。公民権運動も盛り上がっていない。60年代の10年間、アメリカは黒人差別で大揺れに揺れた。キング牧師が登場した。ブラック・パンサーが結成された。マルコムXが過激なアジテーションを行った。そんな歴史を経て、アメリカの人種問題は少しずつ前進してきた。

自分が白人に間違われることから、黒人の娘は幼い頃から深く傷ついていたに違いない。いっそ、見た目も黒人だったら幸せだったのだ。その母親が死んだ。母親の死を知らせたものの、彼女は葬儀に現れないだろうと誰もが思っていた。葬儀が終わり、葬列が進む。そのとき、娘が通りに飛び出してくる。母親の棺にすがりついて泣き崩れる。彼女は、母親を拒否したのではない。母親が黒人であることを、拒否して生きてきたのだ。そんな風に生きるしかなかった、娘の深い悲しみが伝わってくる。

●「よくできたメロドラマの力」を思い知らされた

「悲しみは空の彼方に」には、今は忘れられた映画スターかもしれないが、ジョン・ギャビンが出演している。好青年、好漢という字が浮かぶような役だ。正統的な白人の二枚目。ダグラス・サークは50年代前半はロック・ハドソンを使い、後半はジョン・ギャビンを使った。ジョン・ギャビンの初主演作はダグラス・サークの「愛する時と死する時」(1958年)のようだし、「悲しみは空の彼方に」以降はあまり目立つ役はない。

僕が「愛する時と死する時」を見たのは、高校生のときだった。当時、レマルクを愛読していたからだった。「西部戦線異状なし」が世界的なベストセラーになり、ナチスに睨まれて亡命せざるを得なくなったドイツ人作家である。17歳の僕は「西部戦線異状なし」に感動し、「凱旋門」「愛する時と死する時」を続けて読んだ。その3作は、すべて映画化された。

「愛する時と死する時」を見てからもう40数年が過ぎたが、今でも僕は鮮明な印象を受けたことを思い出す。さすがに細かいストーリーは忘れてしまったけれど、若きドイツ軍兵士を演じたジョン・ギャビンの清新さが甦る。相手役の女優もきれいだった。調べてみたらリゼロッテ・プロファーという人らしい。おそらく、ドイツ系の女優だ。キリッとした美しさだった。

ロシア戦線に派遣されていた青年兵士が、休暇で故郷の町に帰り幼なじみの娘に出逢う。街は空襲の爪痕だらけだ。荒廃している。ナチの秘密警察ゲシュタポは、ドイツ市民にも暗い影を落としている。そんな中、青年は娘と恋に落ちる...。ドイツの敗色が濃い頃の設定だ。敗戦国ドイツの側に立つ映画だが、そんな映画を作れるのも戦勝国アメリカの余裕なのだろう。

しかし、ナチを逃れてアメリカに亡命し、ハリウッドで「メロドラマの巨匠」と呼ばれることになったダグラス・サークの思いは別だったに違いない。彼にとっては、故国を舞台にした話である。だから、彼はジョン・ギャビンをどんな観客にも好かれる好漢にし、相手の娘を純情可憐な乙女に描いた。甘さはある。しかし、メロドラマ独特の甘さと感傷があったからこそ、10代の僕の記憶に刻み込まれたのだ。反戦のメッセージと共に...。

「悲しみは空の彼方に」で観客の心に響いたであろう黒人差別の問題、「愛する時と死する時」で多くの観客の胸に生まれたであろう反戦の意識、それらをダグラス・サークは上質なメロドラマの中にさりげなく忍ばせる。「よくできたメロドラマの力」を思い知らされた。

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炎天下、30度以上の中で一日走り回り、無事、生還。そう思っていたら、今度は6連続呑み会という艱難辛苦が待っていた。これを乗り切れば三連休が待っているが、三連休初日は日本冒険小説協会会長こと内藤陳さんの生誕祭(これが6連続の最終日)に参加することになっている。

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