[2922] はじめての映画出演なのだ!!

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《風呂場はたまにKGBに入られるときがある》

■映画と夜と音楽と...[478]
 はじめての映画出演なのだ!!
 十河 進

■Otaku ワールドへようこそ![125]
 塀の森公園で昼メシ
 GrowHair



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■映画と夜と音楽と...[478]
はじめての映画出演なのだ!!

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20100924140200.html >
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〈君よ憤怒の河を渉れ/冬の華/これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫/地下鉄のザジ〉

●日本冒険小説協会会長こと内藤陳さんの誕生パーティにて

今年も、日本冒険小説協会会長こと内藤陳さんの誕生パーティに参加してきた。夜の7時からと聞いていたので、7時ちょうどに渋谷にある兄貴分カルロスのスペイン料理店「ラ・プラーヤ」にいったら、すでにほとんど満席で陳さんもレイバンタイプのサングラスをして談笑していた。

真ん中のテーブルしか座るところがなくてひとりで座っていたら、新宿ゴールデン街の酒場「深夜+1」の元カウンター担当の匡太郎くんが相手をしてくれた。匡太郎くんは好きな映画の世界に入り、2年ほど前から助監督としてがんばっている。昨年は「沈まぬ太陽」(2009年)に付き、今年は「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」(2011年公開予定)に付いた。

僕が日本冒険小説協会と縁ができたのは2007年に特別賞をいただいたからだが、以来、春に熱海で行われる全国大会、9月の会長の誕生パーティ、暮れの忘年会には欠かさず顔を出している。会長の誕生パーティに出るのは4度目で、以前は六本木の店でやっていたらしいが、僕が出るようになってからはずっと兄貴分カルロスの店で開かれている。

参加している人は様々で、大病院の麻酔科のお医者さんもいれば歯医者さんもいる。警察庁の警察官僚もいれば、書店員もいる。現在、講談社100周年記念で100冊の書き下ろしシリーズが刊行されているが、その一冊として9月末に「残火」を出す小説家の西村健さんもいる。その「残火」の見本がカウンターに飾られていた。乾杯の音頭は、西村さんがとった。

しばらくして、西村さんと新刊の話になった。任侠小説である。何かに憑依されたように筆が進み、500枚強を4か月足らずで書き上げたという。主人公のイメージは「昭和残侠伝」シリーズの高倉健、もちろん、風間重吉こと池部良を想起させる人物も登場するし、菅原文太や原田芳雄をイメージしたキャラクターも出るらしい。

資料として「昭和残侠伝」シリーズ全9作のDVDを購入したけれど、見直す前に書けてしまったとか。そう言えば、ツイッターによると佐々木譲さんも先日から資料として「昭和残侠伝」シリーズ全9作のDVDを改めて見ていると書いてあった。みんな、健さんが好きなんだろうなあ。

西村さんの健さん好きは年季が入っていて、デビュー作の主人公を小田健と名付け、シリーズ・キャラクターにした。高倉健の本名は小田剛一だから、本名と芸名をくっつけたネーミングなのだ。西村さん自身の名前が健だし、出身も健さんと同じ九州である。僕が「新作、映画になるといいですね」と言うと、「そうなんですよねぇ」と自作が映像化されたシーンを思い浮かべるように西村さんは答えた。

「原田芳雄は『君よ憤怒の河を渉れ』の警部のイメージなんです」と西村さんが言う。「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)は、西村さんの子供の頃の映画である。やっぱり、好きな映画なのだろう。以前に書いたけれど、僕も好きだ。そこから映画の話になった。もっとも、こういうときは「中野良子、おっぱい出すシーンは明らかに吹き替えでしたね」と、たわいのない話になりがちである。

●映画好きの会話は果てしなく、たわいなく、情熱にあふれる

「君よ憤怒の河を渉れ」に続いて、「冬の華」(1978年)の話になった。高倉健の「男の美学」を最も美しく描いた映画だ。倉本聰さんが高倉健および「昭和残侠伝」シリーズに、オマージュを捧げた映画である。だから、プロローグで高倉健に刺される兄弟分は、池部良が演じている。

──あそこで、池部良が「なんとかならねぇか」って言うんですよね。
──「ガキがいるんだ...」ってね。
──最後のシーンで裏切った健さんの子分のひとりが、同じ台詞を言う。
──小林稔侍が、ひと言も台詞のない元子分の板前の役で...
──いいですねえ。黙って包丁握りしめるところ。
──池上季実子に毎月、金を届けているチンピラ役が三浦洋一で...
──「毎月、会っているうちに惚れてしまいました」って。
──健さんが「本気か」って、短く訊く。
──藤田進の組長もよかったですね。
──そうそう、シャガールの絵を買って「シャガールはいいぜ」って...

話は果てしない。延々、続きそうである。西村さんは「宇宙戦艦ヤマト」世代だから、僕とはひとまわり以上は年下だと思うのだが、映画の趣味は似ている。その後も「緋牡丹博徒」シリーズのお竜さんの話になり、「お竜さん、あんたには人殺しをさせたくなかった」と言いながら死んでいく高倉健を語る西村さんの情熱に、この人も「映画がなければ生きていけない」人なのだなあと共感したのだった。

陳さんの横で胸に赤塚不二夫さんの写真がプリントされたTシャツを着ていたのは、佐藤英明監督である。「深夜+1」カウンター部の先輩で、長年、助監督として映画作りに携わってきた人である。その佐藤さんが初監督作を撮ることになったのは、春に熱海で行われた日本冒険小説協会全国大会で知った。

その作品に7月からクランクインし、8月の初めに出演者たち(浅野忠信、堀北真希)と一緒に記者発表を行い、翌日のテレビのワイドショーや新聞に大きく取り上げられた。タイトルは「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」という。原作は小学館の「少年サンデー」編集者だった武居記者が書いた「赤塚不二夫のことを書いたのだ」である。

映画では武居記者の役を、新米の女性編集者ハツミ(堀北真希)に変えている。赤塚不二夫役は浅野忠信である。ちなみに奥さん役は僕の好きな木村多江さんだという。話は、1968年から1972年の4年間。赤塚さんが「少年マガジン」に「天才バカボン」を連載していた頃だ。「少年サンデー」に連載していたのは、「もーれつア太郎」だと思う。

佐藤英明監督は内藤陳会長の横に腰を下ろして話をしていたが、カウンター部の檜山くんが「佐藤さんが話したがってます」と呼びにきてくれた。佐藤さんの隣の椅子を空けてくれたので、僕はジャケットの胸を広げて白いTシャツを見せながら「着てますよ」と笑った。

そのTシャツの左胸には小さなマンガの吹き出しが赤くプリントされ、白抜き文字で「佐藤組なのだ!!」と書かれている。背中には「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」と大きくプリントされ、バカボンのパパの鼻毛の絵が添えられている。7月にエキストラ出演したときにもらったスタッフTシャツだ。着てくる人はもっといると思ったのだが、その夜は僕だけがそのTシャツを着ていたのだった。

●夏の一日、ロケ現場のキャバレーで汗をかきながら出演

「みんなで佐藤巨匠の映画に出ませんか」と、カウンター部の祐介くんから連絡が入ったのは、7月中旬のことだった。日曜日の早朝からのロケだという。プロのプロダクションに頼んでエキストラを集めるといつも通りになるので、「深夜+1」の客たちでエキストラをやろうという話だった。監督には内緒にしておいて、現場で驚かすというイタズラ心も少しある。

「日曜一日なら大丈夫」と返事をすると、「ソゴーさんのメガネ、縁なしですよね。時代設定が1968年で、その頃は縁なしメガネはないですよね」と祐介くんが言うので、「以前に使っていた黒縁のメガネがあるので、それでいきますよ」と答えた。そのメガネを掛けてみると、大橋巨泉かミッキー安川みたいになった。時代的にはピッタリかもしれない。

7月25日、午前7時過ぎにいくと、有楽町プランタンの隣にある東映本社前に、カウンター部の吉田くんと菊池くんが立っていた。そのまま本社内に案内される。すぐに衣装部から「キャバレーの客」用のスーツとワイシャツとネクタイを渡された。冬物のスーツである。着替えて控え室に入ると、見知った人々が椅子に座っていた。兄貴分カルロスは、中小企業の社長という役らしい。僕は、その会社の経理課長といったところだろうか。

女性たちはホステス役だ。普段、飾らない姿しか見ていないが、皆さん、髪をアップに盛り上げて、スパンコールでキラキラするロングドレスを身に着け、派手なメイクを施されている。結髪さんたちが数人で早朝から仕上げた結果である。女性たちのメイクが終わり、男たちの番になった。僕も60年代風、まじめなサラリーマンのシンボルだった七三分けにされてしまった。

ホステス役の女性たちは車でロケ現場まで連れていってもらえたが、男たちは徒歩で現場に向かう。熱中症が騒がれていた時期で、その真夏の太陽の下を冬物のスーツを着て歩くのだ。もっとも、ロケ地は数分歩けば到着する銀座通りの一本裏で、煉瓦亭近くにある「白いバラ」という昔ながらのキャバレーだった。

当時、赤塚不二夫さんは年がら年中飲み歩いていた。そのキャバレー・シーンである。「白いバラ」には、昔ながらのミラーボールがあった。キラキラと輝いている。撮影は、二階で行われているらしい。一階にはスタッフがいっぱいいて、いろんな準備をしていた。エキストラたちは、とりあえず一階のキャバレーの椅子に腰を下ろして待機になった。

出演する人間にとって、映画の撮影とは「待ち」である。スタッフは、撮影までの準備が忙しい。美術部、大道具、小道具、結髪、録音部、撮影部、演出部、みんな事前に入念な準備をする。テストをして、まずい部分を直していく。これでいこう、となったら出演者を呼び、リハーサルをする。オーケーなら本番だ。本番にオーケーが出たら、出演者たちは再び「待ち」に入る。

馴れていない人は、この「待ち」が辛い。しかし、当日のキャバレー客のエキストラは、みんな顔見知りである。「待ち」の間に会話が弾む。しかし、「本番いきまーす」と二階から声がかかると、沈黙になる。同時録音だから、空調も切る。しばらくすると、汗がしたたり始める。結髪の女性たちが冷水を配ってくれたり、冷たいタオルで首の後ろを冷やしてくれる。

●映画作りはリアリズム演出の方が楽だと思うのだが...

撮影現場に入るのは、久しぶりだった。特に映画本編の現場は、那須博之監督の「美少女プロレス 失神十秒前」(1984年)以来かもしれない。その後、テレビやCM撮影の現場を見たことがあるくらいか。もう10年以上、現場は見ていないが「小型映画」という雑誌の編集部にいた頃は何度も撮影所にいったし、自主映画の現場なら数え切れないほど見せてもらった。

思い出深いのは、東映大泉撮影所のダビングルームで工藤栄一監督にインタビューしたことだ。音入れ作業の現場を見たのは初めてだった。そのときの映画は、松田優作主演「ヨコハマBJブルース」(1981年)だった。その後、CMのポストプロダクションの作業やCG制作をやっている現場も見たことがあるが、スタジオがきれいで現実感がわかなかった。

佐藤英明監督のロケは、昔ながらの現場だった。理由は、佐藤さんが芝居の演出に専念し、それぞれのパートの仕事に対して絶対の信頼を寄せていると思えたからだ。佐藤さんはキャメラ横にいて、浅野忠信や堀北真希の芝居をじっと見つめている。ベテランのキャメラマンは、何をどのように撮るのか画面が浮かんでいるのだろう、キャメラ・ポジションを手早く決めていく。

昔ながらの現場と言った理由は、モニターがないからだ。昔、伊丹十三監督のメイキング番組を見たが、伊丹監督は「ヨーイ、スタート」と声を掛けた後、ずっとモニター画面を見つめていた。ムービー・キャメラのフィルム位置にCCDを仕込み、撮影される映像を現場でモニタリングする方法を始めたのはハリウッドである。確か、コッポラ監督じゃなかったかな。

しかし、佐藤監督はモニターを使っていなかった。理由は「芝居が見えなくなる」からだという。「撮影はベテランの撮影監督がいるからね」と、スタッフに全幅の信頼を置いている。撮影現場で気が付いたいろんなことを、僕は遠慮なくいろいろ訊ねたのだが、佐藤さんはすべて明快に答えてくれた。その話の中で、「僕は『地下鉄のザジ』をやろうと思ったんです」という言葉が出た。

そのひと言でわかった。僕がキャバレーの客として座っている横で、堀北真希演じる少年サンデーの編集者と若い俳優が演じた少年マガジンの編集者の追っかけっこが始まったり、堀北真希がパッパッとキャバレーのあちこちに姿を現すのを同ポジで撮影していたのだが、それを見ながら僕は「スラップスティックな感じだなあ」と思っていたのだ。

映画は、リアリズム描写の方が楽なのだ。演出もリアリティにこだわる方がやりやすい。なぜなら、そこには「本当らしさ」というリファレンスがあるからだ。できるだけ現実に近づける。それに向かって何度もダメ出しをするのは、監督としてはある意味で楽だと思う。スラップスティックな喜劇描写が難しいのは、外す(最近はスベルというらしい)リスクがあるからだ。

だから、佐藤さんがスラップスティックなトーンの作品を作っていることに感心しながらも、よくデビュー作でそんな作品を選んだな、と僕は思った。もちろん、自信があるからだろうが、少し心配気味にそんな疑問を佐藤さんにしてみた。その答えが「地下鉄のザジ」(1960年)だった。それは、「死刑台のエレベーター」(1957年)で劇映画デビューした若きルイ・マル監督が、「恋人たち」(1958年)に続いて制作した作品である。

パリにやってきた少女ザジはメトロに乗るのが夢だったのに、メトロはストで動いていない。ザジは、ひとりでパリの街をさまよい始める。その表現は斬新で、技巧を凝らし、ときにスラップスティックな描写になる。実写を使ったパラパラアニメのような映像もあったような記憶がある。

なるほど...と、僕は納得した。赤塚不二夫役の浅野忠信がセーラー服姿で「高校三年生」を歌う後ろで、キャバレーの客とホステスたちが合唱するシーンも、きっと作品に溶け込んでいるのだろう。その客たちの一番前で大口を開けているのは、ひげを生やしたカルロスと七三分けに黒縁メガネの僕である。公開は、来年のゴールデンウィークの予定。ヒットするといいな。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
会社で小言幸兵衛をやることが多く、若いモン相手の説教が増えましたが、説教の真意が伝わっている実感がありません。異星人相手ならまだマシ、自分と次元の違う世界の生物という気がすることがあります。もっとも、僕は特殊な美学で生きているらしいので、相手にとっては僕が異次元生物かもしれません。

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■Otaku ワールドへようこそ![125]
塀の森公園で昼メシ

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20100924140100.html >
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ようやく秋めいてきた。昼メシ(というか遅めの朝メシ)をさわやかに外でという気分。パンを買うのを南口前のコンビニで済ませるか、踏切を渡って北口前の店まで行くか、ちょっと迷う。北口の店は、そこで作っていて、作りたてのが並べてある中から好きなのをトングでトレーに取っていき、会計のときにひとつひとつ袋に入れてくれる方式。

そっちのほうが断然いいのだけど、時として、踏切がなかなか開かないのだ。通過待ちのできる駅なので、運が悪いと目の前を電車が何本も通り過ぎるのを眺めてないとならない。南口に戻って少し行ったところに、刑務所の跡地に作られた「塀の森公園」がある。ここで食うわけだが、あの踏切を行って帰ってくることを考えると、コンビニで済ませちゃおうかという考えになるのである。踏切のたもと、パン屋との間に交番があるのだけど、これがまた超ムカつく。

●ムカつくケーサツ、煎じ詰めれば社会の原理矛盾

そういうわけで、今回は、塀の森公園で昼メシを食っているときに頭に浮かんだ、よしなしごとを吐き出してみるテスト。

刑務所だった当時のコンクリートの厚い壁は、もうない。あれ、残しておいてくれてもよかったのに。よく、テニスの壁打ちに利用されてた。この塀の中の面々にはそれほど凶悪なのはいなかったとみえ、外へ出てきて掃除することがあった。それ見たら、「石を投げないでください」という立て札の意味が分かった。なんかあの作業姿があまりにも平和すぎて、刑に服しているという感じがしないのだ。下手すると、塀の外の俺らよりものほほんと快適に暮らしてねーか? いっちょ私的に懲らしめてやれ、そんな気を起こす人がいるんだろうな、きっと、って感じがよく分かる。

今は、池があって、ネズミが泳いでいる。いや、マジで。丸々太った茶色いネズミが向こう岸をちょろちょろ走り回っていて、子供が近づいてきたら、気づかれないうちに、ドボンと池に飛び込んだ。しばらくすると、違う岸辺をまたちょろちょろ走っている。ネズミは泳ぎの達人だ。

そういえば、ウチのトイレにウンコをしにくるネズミがいる。トイレでウンコをする行為自体は間違ってないような気もしなくもないが、ネズミだったらわざわざトイレでしなくてもいいのではなかろうか。たまに、タイルの上にころころと小さなフンが転がっているのである。密室ゆえ、可能な出入り口はただひとつ。じゃっと流したときに流れていく、排水パイプ以外にありえない。名探偵でなくても分かる。解けない謎は、ヤツが何を考えているかである。頼むから、俺が入ってるときは来ないでくれよ。

闖入者といえば、風呂場はたまにKGBに入られるときがある。なめくじの食いカスが散らばっていると、ヤツが来たな、と思う。遭遇しちゃうときもある。これは、知っているのといないのとでは大違い。「宇宙生物を発見しましたっ!」と興奮した口調でテレビ局に電話しちゃう人もいると聞く。

コウガイビル。漢字で書くと笄蛭。略号はKGB。笄(こうがい)とは、ウィキペディアによれば「髪を掻き揚げて髷(まげ)を形作る装飾的な結髪用具」。一端が銀杏の葉のような形をした棒状。コウガイビルは、頭の形がそれに似るが、ぷるぷるしたゼラチン質のひも状。ウチに来るのはせいぜい10センチぐらいのヤツだが、80センチに達するヤツもいて、外ではそういうのを見たことがある。ヒルではなく、プラナリアの仲間。昔、生物の授業で習った、切っても切ってもプラナリア。ふたつに切断すると、それぞれ欠けたところが生えてきて、2匹になるのである。KGBおそるべし。

あ、話が逸れたが、ムカつくケーサツのことだ。もう一年以上も前のことで、まだ怒っているというわけではないのだけれど。南口から北口へ踏切を渡っていると、見知らぬおじいさんがうろうろしている。何か落として、探しているようだ。その横を通って渡りきったところで、警報機が鳴り始め、遮断機が降りてくる。気になって振り返ると、おじいさんはまだ中にいる。しゃがんで、線路と道路の間の溝(車輪のフランジが通るところ)を一心に調べている。何かを探しているようでもあるけれど、子供が砂遊びかなんかしているふうでもある。ボケちゃってるっぽい。

点灯している赤い矢印は右から左になっている。おじいさんは向こう側の線路上にいるので、電車が通過する線路ではない。けど、中にいるのはマズい。開く前に反対方向の電車が来る可能性だってある。人は両サイドに10人以上いて、状況に気がついているのだが、誰も動こうとしない。しょうがないなぁ。右から来る列車がまだ接近していないことを確認し、遮断機が降りている踏切へ入っていった。

おじいさんの手をとり、「ほら、行こ行こ」と促すと、素直にそろそろと立ち上がった。そのまま向こうの南口側へ手を引いていくと、抵抗せずについてくる。降りた遮断機を手で持ち上げ、一緒に向こう側へ出る。救出、成功。まあ、もともと電車の通過する線路上にいたわけではないので、間一髪というようなスリリングな状況ではなかったのだが。冷静に行動できた。手を離しても、戻ろうとはせず、降りた遮断機の手前で立って開くのを待っている。開いたら探し物の続きかと思ったら、もはや関心はないようで、普通に渡っていき、北口側に出ると、そのままどこかへ歩き去っていった。

誰が呼んだか、救急車が来た。けど、その時点ではもはや何事もない、日常の光景であった。こういうところ、すぐ脇に交番があるっちゅうのに、見てないんだよなぁ。見てたら俺なんて表彰もんなんじゃないかと思うんだけど。まあ、それはいい。ムカついたのは、別のときだ。

南口から北口へ渡ろうとしていた。ずいぶん待たされて、やっと遮断機が開いた。前の人に続いて渡ろうとすると、また警報機が鳴り出した。その間、ほんの10秒ほど。このタイミングで、渡るのを断念する人がいるだろうか。いや、いるまい(反語)。前を行く人の歩きが遅いので、小走りで横を追い越そうとすると前から自転車が来て、さらに大きく迂回して向こう岸にたどり着いたとき、右側の遮断機は降りていたが、左側が降りきる前にくぐり抜けられた。気がつかなかったが、警官が立っていた。で、「ちょっと来てください」である。住所氏名を書かされ、警告カードみたいなのを渡された。

自分より後から渡りきった人もいたはずだが、お咎めなしかよ? こっちのほうが渡り始めるタイミングが遅かったからだというのか? だったら、毎日毎日、まる一日そこに立って、同じタイミングで渡った人全員に、同様に警告してくれないかね? そういう人が完全に撲滅されるまで、ずっとやっててくれないかね? なんでやることがそういうふうに恣意的なんだよ?

かなーりムカついたが、下手に抗議なんかしたら、余計に長くなりそうだし、なんちゃら妨害でタイーホされかねない。こっちもいちおう勤め人なので、面倒は起こしたくない。その後も、同じようなタイミングで渡る人はいくらでも見かけるが、ずっと野放しだ。ほんっと、ムカつく。

この種の、ケーサツ心底腹立つ経験、誰でもひとつやふたつや3つや4つや5つや6つ、あるのではなかろうか。私はなんとか耐えたが、その場で素直に怒りを爆発させて、結果として一晩ご厄介になってきたという経験の持ち主を何人も知っている。パトカーなんてめったに乗れないぜ、と自慢するやつまでいて、そう言われるとちょっとうらやましい。

そうなるともはやどうだからムカつくとか、もしそうでなかったらムカつかない、という話ではなく、ケーサツとはムカつくもんだという、なんらかの普遍性が存するのではないかと考えざるをえない。それは煎じ詰めると、今の社会の仕組みに潜在する原理矛盾に対するフラストレーションからくるのではなかろうかという仮説が立つのではなかろうか。暴力を否定しようとして、かえって肯定してしまうという矛盾。

ライオンは、シマウマにがぶりと食らいつき、そのままバクバクと食べてしまう。それは残虐な行為である、暴力である、やめさせねばならぬ、と思ったとしよう。誰が思うか、って、シマウマがである。で、シマウマたちが寄り集まって、法律を作ろうと決議したとしよう。金輪際、ライオンはシマウマを食ってはならん、と。

しかしながら、実際にシマウマを食うという行為をはたらいたライオンに対して、とっ捕まえて牢屋にブチ込むという強制力をシマウマの側が持ち合わせていなければ、この法律は絵に描いた餅というやつで、実質的には効力がない。

われわれ人間は、地球上でいちばん大きな顔をしてのさばっている生き物だが、それは知恵があるからではなく、知恵を使って武器という道具を作り、いちばん大きな暴力を手に入れたからである。丸腰のときに飢えたライオンと一対一で対峙してしまったときは、いくら知恵があってもしょうがなく、ほぼ絶望的であろう。

相手が暴力を使ってきて、それを正当だというのならば、こっちがそれに暴力で対抗しても、やっぱり正当だよな? で、暴力と暴力がぶつかり合ったとき、どっちが勝つかといえば、正義が勝つ、なんてことはなくて、強いほうが勝つわけで。その原理はどうにもならない。

ただ、この原理をまったくの野放し状態にしておいたら、社会などといえるような代物は構築できず、野生動物状態になっちまう。曲りなりにも社会とよべるような仕組みを構築していくためには、一般市民が自由に暴力を行使できて、弱肉強食の原理がはたらいてしまうような状態にならないよう、治めておかなくてはならない。つまり、暴力は抑え込んでおかなくてはならない。

しかしながら、先ほどのライオンとシマウマのたとえで分かるとおり、暴力を抑え込むことができるのは、より強い暴力だけである。つまり、暴力を否定しようとして、より強い暴力を肯定してしまうという原理矛盾。

批評家である東浩紀氏は「そもそも国家の機能は大きく分けて三つぐらいしかない」と述べている。「整理すると暴力の独占、富の再配分、共感の調達装置です」。大塚英志+東浩紀「リアルのゆくえ おたく/オタクはどう生きるか」(講談社現代新書、2008年)の中で。「まず、暴力の独占はする必要がある。社会哲学的にもこれは譲れないところとしてある。つまり、みんなが銃を持って、警察も軍隊もない状態ではヤバそうだと」。

これはもうどうにもならない原理的なものであって、戦国時代に天下取りの戦いが繰り広げられていたのも、結局は誰が暴力を一手に独占するかを決めあうための戦いだったといえる。現代社会においては、一般市民はすべての暴力を警察に預け、秩序の維持管理をゆだねるしかないわけである。その権力を悪用しないでちょうだいね、というのは、希望として託すしかない。

印刷屋は有価証券を刷る技術をもっている。それを悪用して、本物と寸分たがわないものを偽造してしまえば、不正に利益を得ることができる。しかし、いくらなんでもそれはやらないだろう、という社会的信頼が成り立っている。もしそういうことをして、バレたときは、もはや営業を存続できなくなるであろうから、自分の首を絞めるようなリスクを負ってまで、まずやらんだろう、と。

万が一そんなことが起きていて、明るみに出た日には、その印刷屋が信頼を失うだけでは済まない。印刷業界全体がダメージを食らうだろうし、有価証券の真贋を見分ける手段がないとなると、価値が暴落するであろうし、そうなったら、日本という国への信頼もあやしくなり、経済がガタガタになりそうだ。どの業界でも、そこに委ねられた技術を悪用した不正な利益の獲得は、やれば可能であるが、まずやらないだろうという社会的信頼はいちおう成り立っている。

では、暴力を独占している国家はどうだろう。それを悪用すればいろいろできちゃうのは同じである。しかし、国家の場合は、そう簡単には潰れない。ちょっとした不正がバレたところで、じゃああいつは信用できないから他に頼もうったって、代わりがいるわけではない。それだけ強大な権力を握っているわけだ。で、権力を握ったものは、必ず腐る、とは歴史の教えるところではないか。

科学でいうと、「発酵」と「腐敗」の区別はないそうである。起きている現象としては本質的に同じことなのだが、人間様の役に立つか立たないかの違いでしかない。一方、政治が発酵したという話はついぞ聞かない。あれは必ず腐敗するもののようだ。俺だって、もし権力なんちゅう面白いものを手に入れたら、とりあえず自分の横車がどこまで押せるか、試して遊んでみたくなるわな。

われわれ市民は、暴力を行使する権利をすべて国家にあずけてしまったわけだが、悪用してくれるなよ、よろしく頼むぜ、というのは、はかない希望でしかない。一般市民に対して法を守らせる立場にある者ならば、自身の法の遵守に関してはより一層厳しい心構えでいてほしいもんだと願いたいところである。ところが、警察官でありながら、違法に女性のプライベートな空間にアクセスしてしまったというようななっさけない不祥事がときおり発覚しますわな。

まあ、そういう個人的な気の迷いみたいなやつは、どうでもよろしい。よくないけど。むしろ、そういうのに人々の怒りの矛先が向けられるのに隠れて、もっと大きな問題が潜在していないかどうかである。組織的に、内部が腐ってないかどうか、そこがよく見えない。そのフラストレーションが、原理矛盾からくるフラストレーションに輪をかけている。

市民が常に国家組織の内部までチェックし、腐ってないか確認できるような透明性を確保するシステムができていれば、もうちょっとマシになるのかもしれない。

現代の日本という国家においては、暴力の独占は、いちおうちゃんと機能していて、国家として治まっている。世界の国々に目を向けてみると、たいていの国家は暴力の独占に成功して、政情が安定している。けど、そうでもない国々もまだあるっぽい。

それよりも、問題は世界全体だ。国と国の間で起きる暴力をどうするか。やはり、暴力を否定するためには、より強い暴力を肯定せざるをえないという原理矛盾は同じことである。どこかの国が代表して、世界の暴力を独占すればいいのか。その役目は、イギリスが果たしていたころもあったが、ここ数十年は、アメリカがやってきた。で、公明正大に世界の警察の役目を果たし、世界からの信任を獲得してきたかというと、どうも失敗したっぽい。困ったもんだ。それでもやっぱりアメリカは世界一強大な国なんだ。ほんとうに困ったもんだ。

さて、そうこうするうちに、北口まで行って買ったパンは、いつの間にか腹に納まっていた。というか、もう夕方だ。帰ろう。ネズミはどっかへ行ってしまった。きっと帰ったのだろう。

●イベント「コッペリア Meets オリンピア from ホフマン物語」

以前、浅草橋の「パラボリカ・ビス」にて黒澤潤監督の映像作品「猫耳」が上映されたとき、それのレビューを書くのは私の力の及ぶところではないことに気がついて、映像作家である寺嶋真里さんに本欄の代筆をお願いしたことがありました。
< http://bn.dgcr.com/archives/20100625140100.html >

さてさて、その寺嶋さんが、同じ画廊で、ご自身の映像作品を上映します。寺嶋さんの最新作は『アリスが落ちた穴の中〜Dark Marchen Show!! 』だが、今年の2月、清水真理さんの人形の個展がパラボリカ・ビスで開かれたとき、会期中の週末イベントで上映されています。その映像作品に清水さんの人形が出演しているというつながりでした。今回上映するのは、『エリスの涙』(04年)と『初恋』(89年)。また、『アリス〜』でアリスを演じたマメ山田さんも、このイベントに登場して、マジックショウを見せてくれるとのことです。
< >

◎菊地拓史×柴田景子の展覧会「Mythos Erotica」会期中
マメ山田マジックショウ×寺嶋真里作品上映会×清水真理のお人形で「ホフマン物語」をモチーフにした関連イベントを行います。

「コッペリア Meets オリンピア from ホフマン物語」
日時:2010年10月16日(土)・23日(土)19:00〜
会場:浅草橋:parabolica-bis パラボリカ・ビス
料金:当日券3000円/前売2500円
上映作品:「エリスの涙」(04年)♪ベルリンロケ敢行の短編作品!
「初恋」(89年)♪伝説の耽美的デビュー作品!

♪目玉デザート付き(デザート提供:美少女)
♪菊地拓史×柴田景子作品と絡んだ妖しいイベントです。
♪マメ山田、美少女と共に寺嶋真里もパフォーマンスに初挑戦!
※詳細はこちらの菊地拓史+柴田景子展サイトの"access+Event"と夜想サイトをご覧下さい。
< http://www.tacji.com/mythos/ >
< http://www.yaso-peyotl.com/ >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。茨城県にある煉瓦の廃墟を見てきた。ついこの間、埼玉県本庄市で、廃屋となった元パチンコ店に探検のつもりで入った小学生の男子児童2人が、白骨化した遺体とコンニチハしちゃった事件がニュースになっていた。
ネットでは廃墟に凸した(← 「突入する」、「突撃する」のネットスラング)レポートがけっこうあるが、その中には、死体とコンニチハ体験がやはりちらほら報告されている。コミケで廃墟写真集を売っている人に聞いてみたら、「普通にあること」らしい。

それに、危険な行為ではある。ネットの凸レポでは、膝にできた傷からばい菌が入ったようで、骨が露出するぐらい膿んだなんてことも書かれている。また、凸しているときに地震が来て恐かったとか。厳密に言えば、人様の所有地に侵入する違法行為であることも意識しておかなくてはならない。だから、茨城のときも、ある程度の気構えをもって凸したつもりではある。

しかし、そこで遭遇してしまったものには、完全に意表を突かれた。初音ミクのコスの人と、カメコ。こういうのを予想の斜め上を行かれたというのだな。そう来るか。私もカメコの端くれ、撮らせてくださいっ! とお願いして撮らせてもらう。二人が帰った後も、次から次へと人が来る。廃墟ブームなんだね。

廃墟凸の後、県道をひとりとぼとぼと歩く。人気がないからと、密かに歌の練習など。9月12日(日)のことで、まだたいへん暑かった。行き交う車はみな窓がぴたりと閉じていて、中は涼しいんだろうな。と思ってたら、信号待ちで止まっている車の列の中の一台、全開なのに気づいていなかった。中から若いオニイチャンに「こんにちは〜」と手を振られる。う。虚無僧かいね、俺。

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■編集後記(9/24)

・土曜日の朝の習慣。テラスのデッキチェアで新聞小説「母の遺産」を読む。朝から気が滅入る、リアルでいやなテーマの小説である。最初から読んでいたわけではない。ある日、ふと山口晃画伯の「嚥下訓練」なる妙な挿絵に気がついた。第26回だった。途方もなく陰鬱な話だ。やっぱり母は死んではくれない、わたしたちを解放してくれない、とはなんだ。途中から読んだからわからないが、どうやら死にそうだった老母が持ち直してしまったようだ。その母は娘たちに迷惑をかけ続けたあげく、最後は平気で頼る自分勝手な女だったらしい。老醜。主人公・美津紀も姉も母が大っ嫌いだ。病院通いの疲労で朦朧として生きている50女の言動は、まことにリアルで残酷である。「胃瘻」「経鼻」をはじめ憂鬱な医療用語も出て来る。「延命処置」か、他人事じゃないな。ああ、いやだいやだ。第30回でやっと死んでくれた。そして、いまのテーマは夫の愛人問題だ。母の死の前に夫のGメールから発見した、自分との離婚を仕向ける若い女(といっても40近い)と夫の間の膨大なメールを、休養で訪れた山のホテルでじっくりと読む美津紀。感嘆するほど現実的なその女は、話し合いだけの協議離婚を成立させるため、美津紀に分けるべき財産を計算している。女の情熱と整理された頭に圧倒される主人公。ここでは「合意分割」「年金分割」「退職金の財産分与」なんて言葉を読者も学ぶのである。だが、離婚を躊躇しているような夫。さて、どんな残酷な展開になるのか怖いけど楽しみな、読者層ど真ん中のわたしである。(柴田)

・ソフマップのポイント有効期限が2年から1年に変わっていたって知ってた?メールボックスを検索してみたが、登録している二店舗からのメルマガには、プレミアムCLUB誕生については書かれてあるが、有効期限変更については書かれていない。サイトにアクセスしたら、今日の日付と時刻時点で1万ほどと確認できたが(そんなに貯まっていたのか〜!)、有効期限欄はなし。店頭レシート探さないと、有効期限がいつかわからない。こういうのが嫌で、行く機会が少ないヨドバシ(有効期限2年)なんかだと上の階で買ってついたばかりのポイントでも、下の階でのお買い物の時に使うようにしているのだが、ソフマップあたりなら、たまに行くし2年もあるし大丈夫だと思い込んでいた。空き容量が厳しくて、CS5のバージョンアップができていないノート用ハードディスクか、プリンターインクを買おう。あ、Bluetooth用機器のエネループも買っとかなきゃ。マウス用には軽くなったliteがいいな。とっさに浮かぶのは仕事用ばかりね......。/規約が今年6月1日変更として、前年5月31日に有効期限2年と思って購入した人は、その分のポイント有効期限は2年? 失効? 1年としたら救済措置はなし? 法律関連なら遡及適用はないけど、規約ってどうなの? グレー?/ドットコム規約には「ただし、追加規定を遡及的に適用する場合にはご利用者の同意を条件とします。」と「本利用規約の成立、効力、履行及び解釈については、日本法を準拠法とします。」があるが、カード規約にはそれらの文言なし。ソフマップカードは入会金が必要なものだし、失効金額の大きい人が増えると問題になるんじゃないの?(hammer.mule)
< http://www.sofmap.com/topics/exec/_/id=guide/-/sid=a01 >
ドットコムは6/1に変更
< http://www.sofmap.com/topics/exec/_/id=guide/-/sid=a02 >
カード規約は6月変更
< http://www.sofmap.com/topics/exec/_/id=guide/-/sid=406 >
プレミアムCLUB会員は2年、一般は1年
< http://jp.sanyo.com/news/2010/03/08-1.html >
単3形2個なら16g軽くなる
< http://kotobank.jp/word/遡及効 > 規約は商法?
< http://kotobank.jp/word/不遡及の原則 >
不利益になる場合は遡及できないはずだが