映画と夜と音楽と...[478]はじめての映画出演なのだ!!/十河 進

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〈君よ憤怒の河を渉れ/冬の華/これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫/地下鉄のザジ〉

●日本冒険小説協会会長こと内藤陳さんの誕生パーティにて

今年も、日本冒険小説協会会長こと内藤陳さんの誕生パーティに参加してきた。夜の7時からと聞いていたので、7時ちょうどに渋谷にある兄貴分カルロスのスペイン料理店「ラ・プラーヤ」にいったら、すでにほとんど満席で陳さんもレイバンタイプのサングラスをして談笑していた。

真ん中のテーブルしか座るところがなくてひとりで座っていたら、新宿ゴールデン街の酒場「深夜+1」の元カウンター担当の匡太郎くんが相手をしてくれた。匡太郎くんは好きな映画の世界に入り、2年ほど前から助監督としてがんばっている。昨年は「沈まぬ太陽」(2009年)に付き、今年は「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」(2011年公開予定)に付いた。

僕が日本冒険小説協会と縁ができたのは2007年に特別賞をいただいたからだが、以来、春に熱海で行われる全国大会、9月の会長の誕生パーティ、暮れの忘年会には欠かさず顔を出している。会長の誕生パーティに出るのは4度目で、以前は六本木の店でやっていたらしいが、僕が出るようになってからはずっと兄貴分カルロスの店で開かれている。

参加している人は様々で、大病院の麻酔科のお医者さんもいれば歯医者さんもいる。警察庁の警察官僚もいれば、書店員もいる。現在、講談社100周年記念で100冊の書き下ろしシリーズが刊行されているが、その一冊として9月末に「残火」を出す小説家の西村健さんもいる。その「残火」の見本がカウンターに飾られていた。乾杯の音頭は、西村さんがとった。

しばらくして、西村さんと新刊の話になった。任侠小説である。何かに憑依されたように筆が進み、500枚強を4か月足らずで書き上げたという。主人公のイメージは「昭和残侠伝」シリーズの高倉健、もちろん、風間重吉こと池部良を想起させる人物も登場するし、菅原文太や原田芳雄をイメージしたキャラクターも出るらしい。



資料として「昭和残侠伝」シリーズ全9作のDVDを購入したけれど、見直す前に書けてしまったとか。そう言えば、ツイッターによると佐々木譲さんも先日から資料として「昭和残侠伝」シリーズ全9作のDVDを改めて見ていると書いてあった。みんな、健さんが好きなんだろうなあ。

西村さんの健さん好きは年季が入っていて、デビュー作の主人公を小田健と名付け、シリーズ・キャラクターにした。高倉健の本名は小田剛一だから、本名と芸名をくっつけたネーミングなのだ。西村さん自身の名前が健だし、出身も健さんと同じ九州である。僕が「新作、映画になるといいですね」と言うと、「そうなんですよねぇ」と自作が映像化されたシーンを思い浮かべるように西村さんは答えた。

「原田芳雄は『君よ憤怒の河を渉れ』の警部のイメージなんです」と西村さんが言う。「君よ憤怒の河を渉れ」(1976年)は、西村さんの子供の頃の映画である。やっぱり、好きな映画なのだろう。以前に書いたけれど、僕も好きだ。そこから映画の話になった。もっとも、こういうときは「中野良子、おっぱい出すシーンは明らかに吹き替えでしたね」と、たわいのない話になりがちである。

●映画好きの会話は果てしなく、たわいなく、情熱にあふれる

「君よ憤怒の河を渉れ」に続いて、「冬の華」(1978年)の話になった。高倉健の「男の美学」を最も美しく描いた映画だ。倉本聰さんが高倉健および「昭和残侠伝」シリーズに、オマージュを捧げた映画である。だから、プロローグで高倉健に刺される兄弟分は、池部良が演じている。

──あそこで、池部良が「なんとかならねぇか」って言うんですよね。
──「ガキがいるんだ...」ってね。
──最後のシーンで裏切った健さんの子分のひとりが、同じ台詞を言う。
──小林稔侍が、ひと言も台詞のない元子分の板前の役で...
──いいですねえ。黙って包丁握りしめるところ。
──池上季実子に毎月、金を届けているチンピラ役が三浦洋一で...
──「毎月、会っているうちに惚れてしまいました」って。
──健さんが「本気か」って、短く訊く。
──藤田進の組長もよかったですね。
──そうそう、シャガールの絵を買って「シャガールはいいぜ」って...

話は果てしない。延々、続きそうである。西村さんは「宇宙戦艦ヤマト」世代だから、僕とはひとまわり以上は年下だと思うのだが、映画の趣味は似ている。その後も「緋牡丹博徒」シリーズのお竜さんの話になり、「お竜さん、あんたには人殺しをさせたくなかった」と言いながら死んでいく高倉健を語る西村さんの情熱に、この人も「映画がなければ生きていけない」人なのだなあと共感したのだった。

陳さんの横で胸に赤塚不二夫さんの写真がプリントされたTシャツを着ていたのは、佐藤英明監督である。「深夜+1」カウンター部の先輩で、長年、助監督として映画作りに携わってきた人である。その佐藤さんが初監督作を撮ることになったのは、春に熱海で行われた日本冒険小説協会全国大会で知った。

その作品に7月からクランクインし、8月の初めに出演者たち(浅野忠信、堀北真希)と一緒に記者発表を行い、翌日のテレビのワイドショーや新聞に大きく取り上げられた。タイトルは「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」という。原作は小学館の「少年サンデー」編集者だった武居記者が書いた「赤塚不二夫のことを書いたのだ」である。

映画では武居記者の役を、新米の女性編集者ハツミ(堀北真希)に変えている。赤塚不二夫役は浅野忠信である。ちなみに奥さん役は僕の好きな木村多江さんだという。話は、1968年から1972年の4年間。赤塚さんが「少年マガジン」に「天才バカボン」を連載していた頃だ。「少年サンデー」に連載していたのは、「もーれつア太郎」だと思う。

佐藤英明監督は内藤陳会長の横に腰を下ろして話をしていたが、カウンター部の檜山くんが「佐藤さんが話したがってます」と呼びにきてくれた。佐藤さんの隣の椅子を空けてくれたので、僕はジャケットの胸を広げて白いTシャツを見せながら「着てますよ」と笑った。

そのTシャツの左胸には小さなマンガの吹き出しが赤くプリントされ、白抜き文字で「佐藤組なのだ!!」と書かれている。背中には「これでいいのだ!! 映画★赤塚不二夫」と大きくプリントされ、バカボンのパパの鼻毛の絵が添えられている。7月にエキストラ出演したときにもらったスタッフTシャツだ。着てくる人はもっといると思ったのだが、その夜は僕だけがそのTシャツを着ていたのだった。

●夏の一日、ロケ現場のキャバレーで汗をかきながら出演

「みんなで佐藤巨匠の映画に出ませんか」と、カウンター部の祐介くんから連絡が入ったのは、7月中旬のことだった。日曜日の早朝からのロケだという。プロのプロダクションに頼んでエキストラを集めるといつも通りになるので、「深夜+1」の客たちでエキストラをやろうという話だった。監督には内緒にしておいて、現場で驚かすというイタズラ心も少しある。

「日曜一日なら大丈夫」と返事をすると、「ソゴーさんのメガネ、縁なしですよね。時代設定が1968年で、その頃は縁なしメガネはないですよね」と祐介くんが言うので、「以前に使っていた黒縁のメガネがあるので、それでいきますよ」と答えた。そのメガネを掛けてみると、大橋巨泉かミッキー安川みたいになった。時代的にはピッタリかもしれない。

7月25日、午前7時過ぎにいくと、有楽町プランタンの隣にある東映本社前に、カウンター部の吉田くんと菊池くんが立っていた。そのまま本社内に案内される。すぐに衣装部から「キャバレーの客」用のスーツとワイシャツとネクタイを渡された。冬物のスーツである。着替えて控え室に入ると、見知った人々が椅子に座っていた。兄貴分カルロスは、中小企業の社長という役らしい。僕は、その会社の経理課長といったところだろうか。

女性たちはホステス役だ。普段、飾らない姿しか見ていないが、皆さん、髪をアップに盛り上げて、スパンコールでキラキラするロングドレスを身に着け、派手なメイクを施されている。結髪さんたちが数人で早朝から仕上げた結果である。女性たちのメイクが終わり、男たちの番になった。僕も60年代風、まじめなサラリーマンのシンボルだった七三分けにされてしまった。

ホステス役の女性たちは車でロケ現場まで連れていってもらえたが、男たちは徒歩で現場に向かう。熱中症が騒がれていた時期で、その真夏の太陽の下を冬物のスーツを着て歩くのだ。もっとも、ロケ地は数分歩けば到着する銀座通りの一本裏で、煉瓦亭近くにある「白いバラ」という昔ながらのキャバレーだった。

当時、赤塚不二夫さんは年がら年中飲み歩いていた。そのキャバレー・シーンである。「白いバラ」には、昔ながらのミラーボールがあった。キラキラと輝いている。撮影は、二階で行われているらしい。一階にはスタッフがいっぱいいて、いろんな準備をしていた。エキストラたちは、とりあえず一階のキャバレーの椅子に腰を下ろして待機になった。

出演する人間にとって、映画の撮影とは「待ち」である。スタッフは、撮影までの準備が忙しい。美術部、大道具、小道具、結髪、録音部、撮影部、演出部、みんな事前に入念な準備をする。テストをして、まずい部分を直していく。これでいこう、となったら出演者を呼び、リハーサルをする。オーケーなら本番だ。本番にオーケーが出たら、出演者たちは再び「待ち」に入る。

馴れていない人は、この「待ち」が辛い。しかし、当日のキャバレー客のエキストラは、みんな顔見知りである。「待ち」の間に会話が弾む。しかし、「本番いきまーす」と二階から声がかかると、沈黙になる。同時録音だから、空調も切る。しばらくすると、汗がしたたり始める。結髪の女性たちが冷水を配ってくれたり、冷たいタオルで首の後ろを冷やしてくれる。

●映画作りはリアリズム演出の方が楽だと思うのだが...

撮影現場に入るのは、久しぶりだった。特に映画本編の現場は、那須博之監督の「美少女プロレス 失神十秒前」(1984年)以来かもしれない。その後、テレビやCM撮影の現場を見たことがあるくらいか。もう10年以上、現場は見ていないが「小型映画」という雑誌の編集部にいた頃は何度も撮影所にいったし、自主映画の現場なら数え切れないほど見せてもらった。

思い出深いのは、東映大泉撮影所のダビングルームで工藤栄一監督にインタビューしたことだ。音入れ作業の現場を見たのは初めてだった。そのときの映画は、松田優作主演「ヨコハマBJブルース」(1981年)だった。その後、CMのポストプロダクションの作業やCG制作をやっている現場も見たことがあるが、スタジオがきれいで現実感がわかなかった。

佐藤英明監督のロケは、昔ながらの現場だった。理由は、佐藤さんが芝居の演出に専念し、それぞれのパートの仕事に対して絶対の信頼を寄せていると思えたからだ。佐藤さんはキャメラ横にいて、浅野忠信や堀北真希の芝居をじっと見つめている。ベテランのキャメラマンは、何をどのように撮るのか画面が浮かんでいるのだろう、キャメラ・ポジションを手早く決めていく。

昔ながらの現場と言った理由は、モニターがないからだ。昔、伊丹十三監督のメイキング番組を見たが、伊丹監督は「ヨーイ、スタート」と声を掛けた後、ずっとモニター画面を見つめていた。ムービー・キャメラのフィルム位置にCCDを仕込み、撮影される映像を現場でモニタリングする方法を始めたのはハリウッドである。確か、コッポラ監督じゃなかったかな。

しかし、佐藤監督はモニターを使っていなかった。理由は「芝居が見えなくなる」からだという。「撮影はベテランの撮影監督がいるからね」と、スタッフに全幅の信頼を置いている。撮影現場で気が付いたいろんなことを、僕は遠慮なくいろいろ訊ねたのだが、佐藤さんはすべて明快に答えてくれた。その話の中で、「僕は『地下鉄のザジ』をやろうと思ったんです」という言葉が出た。

そのひと言でわかった。僕がキャバレーの客として座っている横で、堀北真希演じる少年サンデーの編集者と若い俳優が演じた少年マガジンの編集者の追っかけっこが始まったり、堀北真希がパッパッとキャバレーのあちこちに姿を現すのを同ポジで撮影していたのだが、それを見ながら僕は「スラップスティックな感じだなあ」と思っていたのだ。

映画は、リアリズム描写の方が楽なのだ。演出もリアリティにこだわる方がやりやすい。なぜなら、そこには「本当らしさ」というリファレンスがあるからだ。できるだけ現実に近づける。それに向かって何度もダメ出しをするのは、監督としてはある意味で楽だと思う。スラップスティックな喜劇描写が難しいのは、外す(最近はスベルというらしい)リスクがあるからだ。

だから、佐藤さんがスラップスティックなトーンの作品を作っていることに感心しながらも、よくデビュー作でそんな作品を選んだな、と僕は思った。もちろん、自信があるからだろうが、少し心配気味にそんな疑問を佐藤さんにしてみた。その答えが「地下鉄のザジ」(1960年)だった。それは、「死刑台のエレベーター」(1957年)で劇映画デビューした若きルイ・マル監督が、「恋人たち」(1958年)に続いて制作した作品である。

パリにやってきた少女ザジはメトロに乗るのが夢だったのに、メトロはストで動いていない。ザジは、ひとりでパリの街をさまよい始める。その表現は斬新で、技巧を凝らし、ときにスラップスティックな描写になる。実写を使ったパラパラアニメのような映像もあったような記憶がある。

なるほど...と、僕は納得した。赤塚不二夫役の浅野忠信がセーラー服姿で「高校三年生」を歌う後ろで、キャバレーの客とホステスたちが合唱するシーンも、きっと作品に溶け込んでいるのだろう。その客たちの一番前で大口を開けているのは、ひげを生やしたカルロスと七三分けに黒縁メガネの僕である。公開は、来年のゴールデンウィークの予定。ヒットするといいな。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >
会社で小言幸兵衛をやることが多く、若いモン相手の説教が増えましたが、説教の真意が伝わっている実感がありません。異星人相手ならまだマシ、自分と次元の違う世界の生物という気がすることがあります。もっとも、僕は特殊な美学で生きているらしいので、相手にとっては僕が異次元生物かもしれません。

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