[2931] ポスター自主制作!の巻

投稿:  著者:  読了時間:22分(本文:約10,800文字)


《「やりましょう」の重みか。》

■わが逃走[73]
 ポスター自主制作!の巻
 齋藤 浩

■電網悠語:日々の想い[168]
 経営者:孤高の舞台、孫さん
 三井英樹

■私症説[20]
 人生の意味を探求する筋肉
 永吉克之



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■わが逃走[73]
ポスター自主制作!の巻

齋藤 浩
< http://bn.dgcr.com/archives/20101007140300.html >
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こんにちは。
この不況下で紙媒体の仕事が減ってるというのに、何故かポスターの仕事がどっかり入ってきて、にわかに活気づいているtong-poo graphicsの齋藤です。やっぱりポスターは楽しい。もう、面積がでかいってことだけで気合いが入るぜ。

思い起こせば私がこの業界を目指した頃、グラフィックデザインの花形といえばレコジャケ、ポスター、そして新聞広告だった。奥村靫正氏の『BGM』(YMO)、戸田正寿氏の『ランボオ』(サントリー)、大貫拓也氏の『プール冷えてます』(としまえん)は私の人生を変えた三大スバラシイ仕事と言えよう。

『BGM』でレコジャケを作る人になろう! と決意し、『ランボオ』で美大進学を決意し、『プール冷えてます』で広告デザインの道に進むことを決意した訳だ。

なので、偉大なデザインとその作り手は、情報を伝えるというグラフィックデザイン本来の仕事をしつつ、それに興味のある若造に対して通信教育をしてくれていたとも言える。うーん、ありがたいなあ。

なんだけど、最近のデザインにはこの教育的な部分が不足しているように思う。消費者にわかりやすく、親切に丁寧にと言えば聞こえはいいが、それが行き過ぎてしまい、バカでもわかるような表現で作ればいい、みたいに相手を見下したようなツマランものが増えてるように思えてならない。

ここで思い出すのは、20年くらい前の『チョコラBBドリンク』広告事件。かったるそうな桃井かおりが「世の中、バカが多くてつかれません?」と語りかける広告に対し、"お客様"から「バカとは何事か!」とのお叱りが来たとのことで、放映&掲出中止になった。だけど、意味的には全く同じの「世の中、オリコウが多くてつかれません?」バージョンはおとがめなしで、そのまま展開されたのだね。で、当時私が思ったことは、「なんてバカな世の中なんだ!」だったのである。

ちょうどバブルがはじけた直後くらいだったかな。そんなことも影響してか、それ以降の広告はなんとなく元気がなくなってきて、『五感に響くデザイン』が減り、『セールスマン的に説明する』ものが増えてきた。

私はデザインとはじっくり説明するものではなく、わかりやすく感じさせるものだ! と学んできたし、今でもそう思っている。たとえ「新製品のデジタルカメラがなんと19,800円!」的な内容であっても、説明されて安いと認識するよりも早く、デザインの力で自分に必要な情報と感じさせ、欲しいと感じさせ、買おうと感じさせてみせるぜ。

なんて思う今日この頃だったので、今回の案件(あ、ポスター制作ね)はいずれもかなりトンガッた表現を提案してみたところ、奇跡的にもそのトンガリ案が採用されてしまったのです。うーん、信じるものは救われるなあ。現在最後の調整作業中です。

さて、気持ち的にテンションが上がってくると、さらに作りたくなってくるものだ。なんだけど、そうそうポスターの仕事なんかない。なければ勝手に作ればいいのだ! という訳で、ここで自主制作やるぜモードに突入、アイデアを練り始めるのだった。

自主制作とは読んで字の如く『自主的に制作』することだ。なので、当然ながらクライアントも表現もメッセージ内容も自由。なんでもアリなのだ。なのだが、なんでもアリとなると収拾がつかなくなるのである程度制約してみる。

1)目的から入る。まあ当たり前なんだけどね。何を伝えたいかをじっくり整理して、コンセプトをまとめる。でも、これっていつも仕事でやってることなので、自主制作のときは目的を後回しにすることが多い。こんなこと言っちゃっていいのだろうか。最終的に辻褄が合えばいいんです。

2)カタチから入る。田中一光みたいなポスターを作りたいとか言うと「近頃の若者はすぐカタチから入る!」と怒られたものだが、もうバカボンパパと同い年になるのでカタチから入ってもいいのだ。

そんな訳で、80年代にタイムスリップして『モリサワ』からポスター制作の依頼があったという設定で制作する! ということにしてみる。いいのかな? いいよね、趣味だし。

3)素材から入る。
以下の写真素材を使ってポスターを作る、という制約をつけてみる。撮りためた写真を素材とし、紙面上で再構成する。たとえばオレは階段が好きだ。こんな階段の写真ばかり何百枚も撮っている。
< http://bn.dgcr.com/archives/2010/10/07/images/fig01.jpg >

また、オレは脇役が好きだ。ギャラリーの展示台とか。
< http://bn.dgcr.com/archives/2010/10/07/images/fig02.jpg >

博物館のガラスケースに乗った展示物の影とか。
< http://bn.dgcr.com/archives/2010/10/07/images/fig03.jpg >

さらに、オレはたまたまできちゃった系の構成美が好きだ。美しいものを作ってやろうと意気込んだ時点で、その下心は見透かされてしまう運命にあるものだ。たとえば、この写真を見てくれ。
< http://bn.dgcr.com/archives/2010/10/07/images/fig04.jpg >

これをここにこのように置いた人は、決して美しいバランスを追求した訳ではなく、ここにこのように置くことが適切と考えたからこれをここに置いたにすぎない。さらに、この写真を見てくれ。
< http://bn.dgcr.com/archives/2010/10/07/images/fig05.jpg >

このホースを巻いた人は、バックとの色彩的対比を追求した訳ではなく、実用本意で掛けているだけだ。なのに! 何故こんなにも美しいのか!! と思ってるヒトはオレだけかもしれんが、だとしたらその美しさを伝える意味からも、これらを素材として使わねばならない! というルールを自らに課してみる。

とかね。まあ、こんなことを考えながら、いっちょ作ってやるかー、という気持ちになってます。テンション上げつついろいろアイデアを練っていたら、某ギャラリーからメールが。

なになに、「お願いしている作品ですが、締切が過ぎてます。進行の具合はいかがでしょうか?」
!!!!!!!!!!!! すっかり忘れてました。

まずは依頼されてる仕事を片付けなきゃね。
シャレにならないオチで今回はこれにて。

【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
< http://tongpoographics.jp/ >

1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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■電網悠語:日々の想い[168]
経営者:孤高の舞台、孫さん

三井英樹
< http://bn.dgcr.com/archives/20101007140200.html >
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ソフトバンク(SB)の孫さんが舞台に立っている。会場は東京国際フォーラムホールA、舞台はソフトバンクアカデミア、講義テーマは「意思決定の極意」。次期経営者の育成と公募を目指す異例の講義群。

  ▼ソフトバンクアカデミア公開講義
  SoftBankCorp on USTREAM. 会議
  < http://www.ustream.tv/recorded/9868282 >

2時間半、孫さんはステージにたった一人で立ち、巨大スクリーンに映し出される映像を素材に話し続けた。「極意」と言っても、決断の仕方を伝授しようとしてはいない。多分それは教えられない領域なのだろう。話された内容は、ソフトバンク30年の歴史。各要所要所で起こる難題と、その時に下した「決断」の事例集。

30問の二者選択解答用紙(問題番号とA/B欄のみ)も配布され、あなたならどうしたかを書き留めるクイズ形式も用意されている。聞くものを飽きさせないための配慮のように思え、企画側の姿勢も垣間見える。前提条件によって答えはどうにでもなる難題ばかり。だから正解はない。でも共に考えられる。

孫さんは、決断とは「決めて、(ボツとした選択肢を)断つ」ことだと切り出す。一方を選ぶことは、即ち他方を捨てることだ。決して両方をと欲張ることは叶わない。けれど、語られる言葉は柔らかく、どちらかと言うと未練があり、スパッと決め切れなかった余韻が感じられて、逆に興味深い。

そもそも、「孫さん」などと呼んで良いのかという存在のはずだ。しかし、今や主にTwitterを通じて、お父さん犬以上に親しまれている(逆に敵視もされているのかもしれないが)と言えるだろう。IT業界で、逸話を知らないことこそが恥にすらなりつつある。話を聞き進むにつれ、それ(ブランディング)すら次世代を見据えたものに感じてくる。巧さにもその戦略にも諸々考えるところはあるけれど、誰もがやれることではない。その行動力に学ぶべきところは山のようにそびえ立つ。「やりましょう」の重みか。


クイズ形式の方は、実際のSBの歴史を知っていれば、あの時そっちに行ったよね、と思い出させられるイメージ。全てを知っていた訳ではないけれど(あぁそんなこともやってたっけ、という感じ)。でもその裏で信じ難い巨額の資本がやり繰りされ、動いている。見た目の派手さがないところでの決断が下支えしている。

その度に断腸の思いの決断があり、(社内)説得があったようで、目頭が熱くなるエピソードも多い。自分の会社ではあるけれど、自分だけの会社ではない。それでも、例えば「日本のブロードバンドを世界一に」というテーマに関しては、頑として譲らない、譲れない意志がひしひしと伝わってくる。現場に下って陣頭指揮が熱い。風呂にも入れないから臭いんだ、ということがやけにリアル。数秒で語られる各思い出話の裏に山ほどの想いがひしめき合っている。

赤字事業と天秤にかけながら、譲れない部分で衝突すると、とんでもなく高く分厚い壁になるのだろう。エピソードからも、泡を飛ばしながら社員を説得したシーンが何度も出てくる。譲らない経営者の下で、やはり譲れない社員が集い育っていったからかもしれない。しかし、それがSBとしてのアイデンティティなのだろう。会社規模から考えて、全社員が同じ思いで突き進むのは難しいだろうが、特に最近の露出を通じて、実は益々トップの意志は広まり強固になっているプロセスを見せられてもいる。


同じ、東京国際フォーラム ホールAでの株主総会の話が沁みた。何度も経験している危機的状況の中でも最大級の過酷さの中だという。6時間延々と全て自分で質疑に応えたそうだ。株価暴落の中、詐欺師/ペテン師/泥棒との怒号がとんだ、辛かったという。「本当に辛かった」、短い言葉の中に万感の思いが伝わってくる。でも、そう語る彼の後ろに、そのままの文字がフキダシ調に映し出されている。会場から笑いが漏れる。語る孫さんも笑って語れるほど消化しているし、そんなことに囚われている場合じゃないという前進思考オーラが逆に漂う。既に過ぎたこと、更に多くは学んできた、という自負。

アウェーの中のアウェー。そんな株主総会も、一人の株主の発言で、怒号から拍手での終幕へと変わったという。詳しくは本人の言葉で接した方が良いので書かないが、人と人との繋がりを感じる。まるで映画だ。事実は小説より奇なり、リアルは想像より重し。支えられていることを、孫さん自身が感じ感謝しているのも伝わってくる。


もっともっと語りたいのだろう。今考えていることを伝えたくてしょうがない。一人の命には限りがある、でも志や夢やビジョンには限りはない。どこまでも行け、そんな風に背中を押したくてしょうがない。老婆心なのかお節介なのか、教育者なのか。ビンビン響いてくる想いに、倦怠感とか沈滞感とか言っている後ろ向きの風潮に、批評している暇があったら励ませよと、自戒の意味も込めて感じる。

この業界にそこそこいるから、SBが繰り出してきたサービスも本も品質もそれなりには知っている。安かろう悪かろうという時代も知っている。それが許されるかどうかは置いておいて、SBのチャレンジがなければ、「今」はなかった未来だったのだろうと思わされる。

いや勿論、孫さんがいなければ、あんな闘い(対NTTしかり、対経産省しかり)をしなかったなら、他の人が立ち上がっただろう。それでも、お父さん犬には出会えなかったかもしれなし、「やりましょう」にも触れられなかったろう。

一人の大きさを感じつつ、一つの組織の大きさも感じる。存在感、そして存在価値。決断の結果もたらされるものと、失われたもの。迷いながら、未練を残しながらの決断、意識や覚悟も用意する間も与えられずの致し方ない決断、様々な蓄積が、色んなことを教えてくれる。そして、こんなチャンスを作ってくれた孫さんとSBに感謝したい。

日本のブロードバンドを世界一に。その夢はかなり実現してきている。競争が生み出す世界の強さや大きさも、多くの人が体感してきた。次は、その中身か。道ができてから考える、先ず形から入る。日本のインターネット史とSB史を見返すと、極めて日本人的な道筋なのかもしれない。でも、あと50年も経てば、そんなことにそんなに時間をかけてきたんだと笑われるべきことかもしれない。いや、そうなることを目指しているのだろう。

SBの広告塔を担いつつ、別の起爆剤を仕込んでいる。「勇ましい人が多いですね」と何度も口にした。言うは易し、やってみろと挑発にも聞こえる。そんな孫さんをいつの間にか応援している。すっかり手の内だ(笑)。

《PS》
今や、妻と娘はSBユーザ、私は(笑われながら)Willcom。息子のみがDocomo。かなりSBよりな家庭環境になってしまった。そしてWillcomにはSB参戦のおかげで、Hybrid Zero-3が再販され、未だ未だ苦しそうだけど、頑張っている感が出てきた(Yahoo!オクがadesで最適化されないとかはあれど)。良いことだ。何かやってる感は伝えないと駄目だし、旗振り役にとっても損なのだろう。

それでも(?)iPadを教育現場、特に初等教育の場に持ち込むのは反対です(笑)。昨夜終電で、女性が音符を前にピアノを弾いていた。目を閉じて、真剣な表情で、指が軽やかに紙の上で舞っていた。彼女にとってはグランドピアノが見えているのだろう。この想像力を子供たちに育てたい。iPadは便利に使うものであって、どうすれば便利になるかを想像するには便利すぎる。

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■私症説[20]
人生の意味を探求する筋肉

永吉克之
< http://bn.dgcr.com/archives/20101007140100.html >
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以前、ツイッターでちょっこし書いたことがあって、われながらうまいこと言うもんだと自画自賛した140字に満たないツイートを何10倍にも水増ししたのが今回のテキストである。

宇宙が発生する前はどうなっていたのか? 死んだらどこに行くのか? 神は存在するのか? 「東京に行く」「大阪に住む」「福岡で生まれる」などのように「都・府・県」は省略するのに、なぜ北海道だけ「道」を省略して「北海に行く」と言わないのか?

......などなど人類を長い間苛み、ときに狂気に走らせてきた問いは数多(あまた)あるが、なかんずく「生きることの意味は何か」という問いは、その答えを探し求めた人びとの多くを自死に追いやった、いわば「人殺し問い」である。

信仰篤く、教義を無条件に受け入れられる人は幸いなり。「食べるにも飲むにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい」と、人生に目的を与えられている人は幸いなり。では、そうでない人びと、羊飼いに導いてもらえない羊たちはどないしまひょ。

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生きる意味や目的なんていうものは知らなくても、少しも困らない。胃袋がなんのためにあるのか知らなくても食べれば勝手に消化吸収してくれるのと同じである。では、なぜ人はそれを知ろうとして苦悩するのか。

それは、人間の探究心が「不随意筋」でできているからだ。説明するまでもないが、不随意筋というのは、心臓を鼓動させたり胃に蠕動(ぜんどう)運動させたりする筋肉のことで、持ち主の都合で止めたり動かしたりはできない。ステキな男性の前でドキドキして顔が紅くなるのがイヤだから、彼といる間は心臓と血流を止めましょ、というわけにはいかないのだ。

もし探究心が自分の意志でコントロールできる「随意筋」でできていたら、人間は、空を見ても、この空間はどこまで続いているんだろうなんて考えなかっただろう。随意筋を使うのは生活するうえで必要なときだけだからだ。

神様が直接教えてくれない限り、生きることの意味をいくら考えても答えなんか出ないのだから、考えるのをやめれば余計なエネルギーを使わずにすむのだが、何しろ不随意筋なのだから、やめたくてもやめられない。そんなわけで人間は、答えの出ない問いの答えを探し続けて生涯を終るのだ。不随意筋に引っぱり回されて、疲労困憊して死ぬのだ。

経験から言うのだが、女がいったん男に愛想も小想も尽き果てて他の男に走ったらもうお終いだ。その女と寄りを戻すことは不可能である。しかし男の不随意筋は丈夫だから、どんなに冷たくされても、なんとか女を取り戻す方法はないかと探求を続ける。そして、たいていは不随意筋が炎症を起こして挫折するが、一部の男たちの不随意筋はむしろ鍛えられ、ストーカーに進化して警察沙汰になるまで探求を続ける。刑務所にいても探求をやめない。出所したらまたストーカー活動に復帰する。事程左様に不随意筋とは堅固なものなのだ。

私は宇宙物理学については無知蒙昧だが、ただひとつ確信がある。根拠はないが、これは啓示なのだから根拠など要らない。それは宇宙がどうやって始まったのか、人間には永遠に解明できないということだ。ビッグバン以前が「無」だったとするとビッグバンを誘発するものもなかったことになる。にもかかわらず、科学者たちが、無から有が生まれた理屈を作り上げようとしているのは、ほかならない不随意筋の活動によるものだ。

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私の両親はともに泉下にいる。ふたりが息を引き取るまでの数ヶ月を毎日見続けたが、臨終までの数週間は、ふたりとも正常な思考ができなくなっていた。何もない場所を指差して「子供がいる」と言ったり「夜は右か左か」などと意味のわからないことを聞いたりした。だから、おそらく人生の意味だの目的だの考えることもなかっただろうと思う。それは神仏の慈悲だったにちがいない。答えのない問を死ぬ直前まで考えさせるがは、ちっくとムゴいぜよという思し召しだったのだろう。

父親が亡くなったときの年齢が72だったから、私はあと18年しか生きられないのである。われわれモンゴロイドは、第一子が男で、その父親と血液型が同じ場合は、例外なく父親と同じ年齢で死亡するのだ。残りわずか18年間の人生。欺瞞に満ちた平和のなかで自分をだましながら生きていきたいものだと日頃から考えていた。

そんなわけで私は、探究心を支えている不随意筋を切除した。この筋肉は、盲腸の先端にある虫垂と同じで、なくても生きて行ける部位である。実際、私は虫垂を30年以上前に切除した。手術前に若い、ぽっちゃり美人の看護婦に下腹部の体毛を剃られるのが、それほど嫌ではなかったし、どっちかというと嬉しかったが、そんなことはどうでもいい。とにかく、いまだに何の不調もない。虫垂でそうなのだから、探究心を支える不随意筋を切除したところでウオノメを取り除いたほどの影響もなかろうと思って切ったのだった。

探究心を支える不随意筋は左右の臀部の表面にある。衛生に注意して、少し痛いのを我慢できるなら、麻酔もいらず自宅でも施術が可能だ。熱湯消毒したカミソリで1cmほどの切り込みをつけたら、あとは指ではがすだけのこと。10分もかからなかった。

術後の経過は良好で、もう自転車に乗っても臀部に痛みを感じない。探究心を支える筋肉は、2cm×8cmほどの大きさで、切除してから4〜6日間おいておくと堅くなって茶褐色になり、ちょうどビーフジャーキーのようになる。ビタミンB、亜鉛、タンパク質などが含まれているらしい。ビールの肴にしようと思っていたのに、どこに置いたのかわからなくなってしまって、かれこれひと月近く放置している。まあ、どうでもいいのだが。

【ながよしかつゆき】thereisaship@yahoo.co.jp

私がツイッターのアカウントをデジクリで公表しないのには訳がある。というのは、「これが私のツイッターアカウントなんです」と暗にフォローを促すかのような印象を読者に与えておいて、結果フォロワーがぜんぜん増えなかったら、強烈に恰好悪いからだ。そしてその結果、私のコラムがいかに読まれていないかが判明することにでもなったら、もうデジクリに寄稿する意欲を失ってしまうだろう。私は不都合な真実は知りたくないのだ。

しかしそれだけではない。もし、フォロワーが少ないな、人気ないねアンタと言われたとしても、公表してないんだから少なくて当然でしょ、と言い訳ができる。そんなカラクリになっているのだ。また、プロフィール欄では「フォロー返しされようがされるまいが面白いこと書いてる人はフォローしています」と表明しているが、これは、フォローしたのにフォローを返してもらえなかったという不都合な真実をまったく問題視していないかのように装うための巧妙なレトリックである。これらの恐るべき戦略的才覚に、我ながら震撼する。/このコラムのテキストは、私のブログにも、ほぼ同時掲載しています。

無名芸人< http://blog.goo.ne.jp/nagayoshi_katz >

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■編集後記(10/7)

・「意志も国家感も理念もない空っぽの政党」の「腰砕け批判を恐れ、検察に責任をおしつけるひきょう者内閣」(by稲田朋美)による無能な政治で、景気は低迷、外交では大敗北、まったく意気上がらない日本だったが、鈴木章博士と根岸英一博士のノーベル化学賞受賞で束の間の元気を取り戻した。おかげで、昨夜は第3のビールを飲み過ぎて今も頭が痛い。この受賞は日本の基礎研究の底力を示すものだが、評価されたのは約30年前の成果である。つまり、30年前の日本の教育や研究水準の高さを示している。現在の日本の学生・生徒の学力のなさや、国の科学技術予算の無茶苦茶な削減は周知のとおりだ。このままでは早晩、日本はノーベル賞から縁遠くなるのは間違いない。今回の受賞にうかれている場合ではない。思い起こすのは、費用対効果と天下りばかりに捉われたあの威丈高で下品な政治ショー「事業仕分け」だ。費用対効果を考えたら、基礎科学研究はいつになってもゼロだろう。間違った物差しをあてても意味がない。科学技術立国を目指す日本に、2位じゃダメなんでしょうか言ったあの人(エリマキトカゲ)は、尖閣事件を「領土問題だ」とか「ベストな対応だった」とかとんでもないこと言っていたな。嗚呼、科学技術はもとより、教育や防衛をしっかりやれる政治家はいないのか。/永吉さんの考察は、ノーベル賞の話題でもちきりの本日にふさわしいと思う(のはわたしだけ?)(柴田)

・ノーベル化学賞おめでとうございます!/武さん、お化粧していなかったそうです。お化粧したらいったい......。/事務所にNさんきたる。女子トークが新鮮。というのも、友人らには女子トークをするのがいないからだ。仕事とか趣味とか家事とか健康とかの話題になってしまう。そこに色気が介在する余地はない。私に色気がないからその手の話をあえて皆が持ち出さないのか、類友なのかは不明。Nさん、引っ越しするなら近辺へ!/事務所は、以前借りていたビルの系列。担当の方には何かとお世話になった。その上、ビリヤードに連れていってくださったり、格闘技のビデオを持ってきてくださったり、趣味のお話をしたり。古いビルだが、掃除が行き届いているところが好き。入居者への無料貸し出し品の中にルンバがあって、ルンバ使ってみたい〜とこだわっていたら、Fさんから「おそうじロボットルンバを鉄騎コントローラで壮大に操縦する動画」情報が届く。緊急避難ボタンでドック帰還ってのが好き。ルンバを自らの手で操れ!(hammer.mule)
< http://www.gizmodo.jp/2010/08/post_7545.html >
ニコニコ動画でね
< http://burusoku-vip.com/archives/1356844.html >
チャリ通にありがちなこと