[2932] 戦う女の勇姿に見惚れる

投稿:  著者:  読了時間:35分(本文:約17,300文字)


《女性には気持ちを言葉にしないと通じない》
 
■映画と夜と音楽と...[480]
 戦う女の勇姿に見惚れる
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[480]
戦う女の勇姿に見惚れる

十河 進
< http://bn.dgcr.com/archives/20101008140600.html >
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〈天使の牙B.T.A/グロリア/エイリアン2/リベンジャー/ニキータ/少女コマンドー・いづみ/スケバン刑事/ブルースチール/ストリート・オブ・ファイヤー〉

●大沢在昌さんの作品群には「戦う女」の系譜がある

先日、NHKの「ブックレビュー」を見ていたら、今年の初めに放映した大沢在昌さんの「ブラックチェンバー」の回を再放映していた。大沢さんの語りは明快で、口跡もいいので話がわかりやすい。前回見たときは「ブラックチェンバー」を読む前だったのだが、その後、読んだので話の内容も理解しやすかった。

「ブラックチェンバー」には、主人公のパートナーになる銃器と格闘技のプロである女性が登場する。彼女は、冒頭で主人公の絶体絶命の危機を救い、その後、反犯罪組織ブラックチェンバーのメンバーになった主人公のパートナーになるのだが、男のような口をきき心を開かない。だが、人を躊躇なく殺すし、格闘でも男には負けない強い女である。

その女性キャラクターの話になったとき、大沢さんは「強い女が好きなんでしょうね。戦う女が...」と、はっきり答えていた。そう、ホントに好きですよね、と僕はテレビに向かってつっこみを入れそうになった。大沢さんの作品には、連綿とつながる「戦う女」の系譜がある。

初期の作品から見ると「相続人TOMOKO」がいて、「撃つ薔薇」の涼子がいる。最近では「魔女」シリーズもある。彼女たちは銃器を分身のように扱い、男と対等に闘い、クールな言動が魅力的だ。そんな系譜の中に「天使」シリーズのアスカもいる。僕が無理を言って解説を書かせていただいた角川文庫「天使の爪」の主人公アスカは、男以上にハードに戦うヒロインである。

「天使の爪」は「天使の牙」の続編である。「天使の牙」は麻薬組織のボス君国の愛人だった神崎はつみが警察に保護を求めてきたため、彼女の護衛として警視庁刑事の河野明日香が派遣され、二人とも銃撃されるところから物語が動き出す。河野明日香の肉体は死に、脳死した神崎はつみの肉体に明日香の脳が移植される。こうして生まれた神崎アスカは、美貌と理想的な肉体を持つ最強の戦う女として生きることになる。

「天使の牙」は「天使の牙B.T.A」(2003年)として映画化され、河野明日香を黒谷友香が演じ、モデルの佐田真由美が神崎はつみを演じた。僕としては、退廃的な佐田真由美のアスカより、黒谷友香そのままのアクションを見たかった。ただ、河野明日香の恋人・古芳刑事を大沢たかおが演じたのだが、これはミスキャストだと思う。ショーケンが演じた君国の狂気だけが、記憶に残っている。

「天使の牙」は自分が河野明日香の記憶を持っていることを恋人の古芳に言えないまま、古芳と共に死地を切り抜けていかなければならないアスカの切なさに涙する。僕が解説を書かせてもらったからというわけでもないが(半分くらいはあるかもしれないけれど)、続編の「天使の爪」はさらなる物語の魅力に充ちあふれ、読み出したらやめられない上下二巻である。

●ギャンブル好き作家が10人を招いて交わす映画談義

樋口修吉さんは「ジェームス山の李蘭」で小説現代新人賞を受賞して出てきた元商社マンだ。昔、まだ新人だった頃の大森一樹監督と話したときに「『ジェームス山の李蘭』を映画にしたいなあ」と、しみじみ言っていたのが記憶に刻まれていて、僕にとってはずっと気になる作家だったのだが、長編のギャンブル小説を一冊読んだだけで、「ジェームス山の李蘭」は未だに読んでいない。

樋口さんはもう10年近く前に亡くなったが、僕は樋口さんが同期デビューの作家たちと映画をテーマにエッセイ対決をしている、「樋口修吉と10人の作家たちのシネマ倶楽部」という集英社文庫は、じっくり読んでいる。対戦相手は、船戸与一、大沢在昌、佐々木譲、宮部みゆき、志水辰夫、藤田宣永、北方謙三、夢枕獏、山崎洋子、逢坂剛とそうそうたる顔ぶれだ。

この本は、ゲスト作家があるテーマで自分の好きな映画についての原稿を書き、それに対して樋口修吉さんが返答の原稿を書く構成になっている。「小説すばる」に連載されたらしいが、忙しい人たちなので顔を合わせて対談という形にできなかったから、こんなややこしい構成にしたのかもしれない。しかし、それが妙に面白いのだ。みんな一映画ファンになって、ミーハーな映画賛歌を歌っている。

大沢在昌さんの回のタイトルは「怒らせなくともコワイ五本の細腕」というもので、戦う女の映画五本を挙げている。「グロリア」(1980年)「エイリアン2」(1986年)「リベンジャー」(1979年)「ニキータ」(1990年)「少女コマンドー・いずみ」である。本当に、大沢さんは戦う女・強い女が好きなんだなあ、と感心する。実は、僕も強い女が好きで、戦う女の勇姿には惚れ惚れする。

「グロリア」で中年女のヒロイン(ジーナ・ローランズ)がふんわりとしたシックなスカート姿で脚を広げて立ち、リボルバーを持った片手をまっすぐに伸ばしてギャングたちに向けて引き金を絞る姿に見惚れ、ミニドレスで大型のオートマチックを撃ちまくるニキータ(アンヌ・パリロー)に喝采し、エイリアンへの反撃のために武器を準備をするリプリー(シガニー・ウィーバー)に拍手する。

「リベンジャー」(1979年)という映画は、マイケル・ウィナー監督の切れ味がよかった頃のアクション映画で、ソフィア・ローレンが強い女を演じた。今では忘れられた映画だが、先日、僕は近所のホームセンターの500円DVD棚を見ていて発見し、すぐに買った。久しぶりに見たが、夫を爆殺されたソフィア・ローレンのクールさが際立っていた。

大沢さんが最後に挙げた「少女コマンドー・いづみ」については、初めて大沢さんと話したときに「あれは、いいよ」と熱心に勧められ、僕は全15話が収録された3枚組DVDを購入した。その帯には「『いづみ、お前がこの街を戦場に変える』こんなセリフ、いつか自分の物語でも使ってみたいものです」という大沢さんのコメントが添えられていた。本気で好きだったみたいだ。

7時間ほどをかけて僕は「少女コマンドー・いづみ」全15話を見たのだが、確かに人間兵器にされた少女コマンドー・いづみの戦い方は、30分のテレビドラマとしてはよくできていて、大沢さんがはまったのもよくわかった。これは南野陽子や浅香唯の「スケバン刑事」シリーズの後継番組として放映されたものらしい。

僕は「落ちぶれ果ててマッポの手先...」と、毎回、決めゼリフを言う「スケバン刑事」は和田慎二のマンガで読んでいて、けっこう好きだったのだけれどテレビドラマは見ていない。だいたい、セーラー服姿の刑事で武器がヨーヨーという荒唐無稽さはマンガならいいけれど、実写版では噴飯ものになるのではないかと思っていた。

ところが、最近、テレビ放映された映画版「スケバン刑事」(1987年)を、僕はけっこう楽しんで見た。南野陽子というアイドルが、違った顔に見えた。面白いじゃないか、と僕は途中で口にした。改めて予見や偏見はいけないな、と思うと同時に、やっぱり大沢さんと同じく「戦う女・強い女」に弱いんだなと改めて自覚した。

●女性監督キャスリーン・ビグローが描いた女性警官

樋口修吉さんの本の中で佐々木譲さんの回は「あっぱれな五人のコップ」というタイトルである。ニューヨーク市警の警官を主人公にした映画から五本を挙げている。その中の一本に、ジェイミー・リー・カーティスが主演した「ブルースチール」(1990年)があった。女性監督キャスリーン・ビグローの名作である。この一本で、僕はキャスリーン・ビグローという名を刻み込んだものだった。

「ブルースチール」は、女性監督だから描けたであろう細部がとてもいい。ジェイミー・リー・カーティスは、コメディからシリアスものまで幅広く活躍していたが、これほどクールでハードな役は他にない。スーパーマーケットに押し入った強盗を射殺した女警官に、その現場を見ていたヤッピーの男が魅了され、女警官のストーカーになる。

当時、セクシャル・ハラスメントなどが言われ始めた頃だろうか。男の職場と思われていたニューヨーク市警のパトロール警官たちの世界に、女警官を投入してみたらどんなドラマになるだろうかと試したような話で、女警官のストーカーになった男が、彼女の戦う姿を見たくて連続殺人を犯す設定も、サイコ犯が頻出した時代の特徴だった気がする。

もっとも、犯人でなくてもスリムで長身のジェイミー・リー・カーティスが、警官の制服姿で拳銃を構える姿はかなりぐっときた。そのシーンを見せたくて撮った映画だろう。監督のキャスリーン・ビグローは元モデルで、ジェームス・キャメロン監督の奥さんだという話だった。彼女自身がスリムで長身、ジェイミー・リー・カーティスより美人だった。

あれから20年、今年のアカデミー賞は元夫婦の監督対決と言われた。キャスリーン・ビグロー監督作品「ハート・ロッカー」(2009年)とジェームス・キャメロン監督作品「アバター」(2009年)が監督賞、作品賞の候補になったからである。しかし、これは「ハート・ロッカー」の完全な勝利だった。

キャスリーン・ビグロー監督は、感傷を排したクールな描写が得意だ。センチメンタルなカットは、どこにもない。対象を突き放したような描き方ができるのだ。思い入れたっぷりに「ここで観客に感情移入してほしい」という、物欲しげなカットはない。男の監督では、どこか情緒的な要素、センチメンタルな描写が出てしまうが、女性が持つ冷徹な目がある。

しかし、冷たいのではない。彼女には、とことん物事を突き詰めて描こうとする意志があるのだ。今年のアカデミー賞発表の後、オスカー像を手にして記者会見場に立ったキャスリーン・ビグローは年齢を感じさせない若さで、相変わらずスリムな長身を美しいロングドレスに包んでいた。彼女自身が戦う女であり、精神的な強さをにじみ出していた。

●最強の女兵士に対しても気持ちは言葉にしなければ伝わらない

僕が大好きな戦う女たちがいる。映画の中に登場したふたりの女兵士だ。「ストリート・オブ・ファイヤー」(1984年)のマッコイことエイミー・マディガンと、「エイリアン2」のバスケスことジャネット・ゴールドスタンである。ふたりとも、実に魅力的な強くたくましい女兵士だった。

ジャネット・ゴールドスタンは「エイリアン2」では、刈り上げ頭にバンダナをして実にかっこよかったけれど、「ターミネーター2」(1991年)ではジョン・コナー少年の里親で、髪も長く口うるさい母親役だったので僕はがっかりした。しかし、液体金属のターミネーターが彼女に化け、腕がスチールの刃みたいになり夫を突き刺すシーンではギョッとした。その冷徹な表情に、バスケスらしさが甦った。

僕は、エイミー・マディガンを初めて見たのが「ストリート・オブ・ファイヤー」だったので、「フィールド・オブ・ドリームス」(1989年)にケヴィン・コスナーの奥さん役で出てきたときは、とても女らしくて驚いた。ただ、「発禁にしろ」と叫ぶ頭の固いPTAを相手に、ある小説(原作では「キャッチャー・イン・ザ・ライ」)の擁護論をぶち、「やったぜ」みたいなガッツポーズをするシーンでは、女兵士マッコイの姿が甦った。

「ストリート・オブ・ファイヤー」のマッコイは宿無しで、主人公トムに拾われて家にいくのだが、「変なことを期待していると、お門違いだぜ」みたいなことを言い、トムは苦笑いをする。マッコイは飾りっ気がなく、ほとんど男のようだ。トムは暴走族ボンバーズに誘拐された元恋人のロッククィーン・エレンを、彼らの本拠地から救い出すためにマッコイを雇う。

マッコイは見事な戦い方で、トムを助ける。鍛えた戦闘能力で主人公の危機を救う。息の合った連係プレーを見せる。そんな中で、マッコイは充実感や使命を果たした喜びを感じていたに違いない。相棒(バディ)としてトムを認めたのだ。兵士たちにとっては自分の命を安心して預けられるバディは、最高の存在なのである。絶対の信頼を寄せられるバディ...。マッコイにとってはトムがそんな存在になる。

しかし、トムはマッコイの仕事について何も言わない。報酬を支払うだけだ。ねぎらいの言葉もない。マッコイは「おまえは最高の相棒だったぜ」という言葉を、トムに望んでいる。面白いのは、この辺からマッコイがすね始めることだ。ここで、僕はウォルター・ヒル監督がマッコイを女性にした意図を理解した。彼女は報酬を提示されて救出を手伝うのだが、自分がどれだけ役だったか、トムにはっきりと口にしてもらうことの方が大切なのである。

すねたマッコイの姿は、もうひとりの女性に重なる。ダイアン・レイン演じるロッククィーンのエレンは、自分を愛しているからトムが救出にきてくれたと思いたい。しかし、トムは「報酬のためだ」と冷たく言い放つ。男なら、トムの言動は理解できるだろう。心の底から愛しているが、「愛している」とは口が裂けても言いたくないことも、男の心理にはあるのだ。

マッコイは自分に対する言葉がないのと同じように、元恋人に素直に心を明かさないトムをなじる。そのマッコイの言葉でトムはエレンに本心を告白し、ふたりは昔の愛情を取り戻す。もちろん、トムはマッコイにも「おまえは最高の相棒だ」と口にする。だから、エレンに別れを告げて再び街を出ようとするトムに、マッコイは盗んだ車を寄せて「乗せてやってもいいぜ」と声を掛けるのだ。

女性には気持ちを言葉にしないと通じない、とよく言われる。何十年も連れ添った妻であっても「愛している」と言わないと通じないのだ、あ・うんの呼吸を期待するなと人生相談などではアドバイスされる。しかし、昔から男同士の友情や信頼は、「俺の目を見ろ。何にも言うな」的美学で彩られている。

これは古今東西を問わず、世界共通の美意識だと思う。「人生劇場」(1972年)であっても「ワイルドバンチ」(1969年)であっても、僕は同じものを感じた。しかし、マッコイに象徴的なように、いくら強い女性であっても気持ちは言葉で伝えないと伝わらないというのもまた、世界共通の教訓なのかもしれない。肝に銘じておこう。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951 >

ジェイミー・リー・カーティスのお父さんトニー・カーティスが亡くなった。「お熱いのがお好き」ではジャック・レモン、「手錠のままの脱獄」ではシドニー・ポアチエに花を持たせていたけれど、好きなハリウッド・スターだった。特に「ボーイング・ボーイング」のモテモテ・パイロット役が好きだった。ちなみにジェイミー・リー・カーティスのお母さんはジャネット・リー。「サイコ」のシャワー室で襲われる人です。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html >
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![126]
表現の場としての街頭のもつ意味について

GrowHair
< http://bn.dgcr.com/archives/20101008140500.html >
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●若い女性が新宿の街頭で詩を売っていた

「私の志集」と大きめに書かれたボードを首から下げて、新宿の街頭に立っている女性をときおり見かけ、気になっていた。東口マイシティの地下一階、国鉄の改札口から左のほうへ進み、駅前ロータリーへ昇っていく階段の手前。見かけるのはたいていそこだったと思う。たいてい夜だったと思う。

ただ静かに立っているだけで、呼び込みなどはしない。年齢は自分と同じくらいに見えた。20歳前後か。まったく飾り気のない、きちんとした地味な服装、やや華奢な体格で、顔立ちはあどけなさを残す。その姿からは純粋な精神が見えるような気がする。えーっと、けっこうかわいいじゃん。

しかし、「私の志集」とだけ掲げて、人通りのかなり激しい街頭に静かに立ち続けている姿というのは、唐突というか突飛というか、思い詰めたようなただならぬ気配を放っていた。文学にかぶれすぎて気が触れてしまった少女、とか?そこだけ空気がピンと張り詰めていた。

私が学生だったころのこと。1年浪人した後、修士課程を終えるまで、19歳から25歳までの間のいつかだ。真ん中とって22歳のときだったとすると、25年前になる。気になっていただけで、声をかけたりはしなかった。

その後はぱったりと見かけなくなったり、また急に見かけたり。最初に声をかけて一冊買ったのはいつのことだったか、思い出せない。すでに学生ではなかったと思う。「一冊売っていただけますか」と切り出し、300円払って受け取った。それだけだったと思う。

いわゆるコピー本。B6サイズで20ページほど。ホチキスで綴じてある。プロフィールが書いてあり、私よりひとつ年上、神奈川県の小田急線沿線に住んでいて、37歳年上の旦那さんがいることを知った。旦那さんと共著である。「街から街頭詩人を絶やしてはならぬ」というようなことが書いてあったような気がするが、あいまいな記憶しかない。

'90年代後半だったか、ネットでちょこっと話題になっていた。まだウェブが登場するかしないかぐらいで、たしか「ネットニュース」と呼ばれる、テキストオンリーの掲示板みたいなところだったと思う。受けた印象は「こいつらヘタレだなぁ」だった。もっとも「ヘタレ」という表現は割と最近になってよく使われるようになった気がするので、そのころは違う言葉で同じことを思ったかもしれない。

UFOやネス湖の恐竜やツチノコの話だったら、不確かな伝聞情報も情報として価値があるのかもしれないけど、そこにいると分かっている人のことだ。話しかけたらどうだったとか、買ったら内容はこうだったとか、直接的な情報が出てきてもよさそうな話題なのに。気に入った人でないと売ってくれないらしい、みたいな、まるで都市伝説のような調子である。

●街頭に立つ意味を問うてみる

2005年ごろだったか、しばらくぶりに見かけたのは、西口だった。地上に出て、大ガードのほうへ向かう歩道上、上の歩道の円柱状の柱を背にして、向こう向きに立っていた。以前とほとんど変わらない姿。年月の痕跡さえ感じられない。

そのときは、ちょっとした議論を吹っかけている。私がここにレギュラーで書き始めたくらいの時期だったと思う。「俺も、もの書く人の端くれなんだぜぃ」といった、妙に驕り高ぶる気持ちがあった。ぐぇ、ハズカシィ〜。書いたものを正式な出版物として発行してもらう機会のないアマチュアにとっての発表の場としては、自費出版とか、ネットとか、コミケのような同人誌即売会などがあるが、わざわざ街頭に立って売る意味は何か、そこを聞いてみたかったわけである。

種々の発表形態のメリットデメリットを挙げて比較検討し、街頭に立つことの優位性を滔々と論じ倒してくるような人ではなかった。「志です」とだけ返してきたように記憶している。写真を撮らせてもらえないかとお願いしたが、断られた。

私がメルマガに書いたことをプリントアウトして、渡してみようかと考えた。また、メルマガやウェブサイトのような情報発信形態のことを教えてあげて、こっちのほうが楽だし、はるかに多くの人々に言葉を届けることができますよ、と教えてあげようかとも考えた。いや〜、やらなくてよかった(冷や汗)。

その後も同じ場所でときおり見かけたが、素通りしていた。9月25日(土)、銀座で打合せがあった帰りに見かけたときは、また声をかけてみたくなった。去年の12月に「ギャラリー156」で人形と写真のグループ展「臘月祭(ろうげつさい)」と催したが、今年もやることになった。臘月とは12月のことなので、やはり12月に。その打合せ。今回は俳優・演出家のV銀太さんに参加していただける話になっている。

帰りの電車の中、Vさんは、お芝居をすることの意味について語ってくれた。よく、舞台で生の芝居をするよりは、テレビに出演したほうが、いっぺんに数万人に届くので、そっちを志向したくならないか、と聞かれることがあるそうだが、それは違うという。見た人の記憶の残り方が違うでしょ、と。うん、たしかにそうだ。舞台では、今、その場にいて見なければ、同じものは二度と再現されない。自分に向けて生で演じられるのと、四方八方に飛んでいった電波をたまたま受信するのとでは、なるほど見る真剣さが違う。

会場が満杯になったとしても、黒字になることはまずないという。費用の7割方が持ち出しになるのが普通だという。それを聞いて、芝居とは、その場にいる、せいぜい100人ほどの観客への心のこもった贈り物なのだと思えた。その話の余韻に浸りつつ、私は先に新宿で中央線の電車を降りて、数日前から見当たらないclubDAMカードを見つけに、置き忘れたのはここではないかと思うビッグエコー新宿西口店に向かった(それは後に中野から出てきた)。

詩を売る人は、いつものように立っていた。「ずっと以前に買った者ですが」と話しかけ、最新号を買い求めた。「20年以上前から居ますよね?」と聞いたら28年だという。街頭に立って詩を売ることの意味について、聞いてみた。すると「それ、前にも聞きましたよね?」。あ。言われて、以前の会話が記憶によみがえってきた。

「メルマガに書かせてもらっていいですか?」、「それも聞かれました」。あああ、そうだっけ? あー、聞いた聞いた。書きたいと思ったんだった。それで、こっちの書いた文章のサンプルをプリントアウトして持ってこようなんて考えて、けど、実行しないまま流しちゃったんだった。

5年前の会話がお互いの記憶に残っている。それ自体が答えなのだと思った。自費出版でもネットでもコミケでもなく、街頭に立つことの意味。言葉の重さが違う。消費されて消えていったりしない言葉。メリット・デメリットを勘案して表現メディアを選択するというのとは違う。これでなくては駄目、そのほかはありえない、という必然性。それが「志」ということなのだろう。

最新号は第43号で、「私の群集」。10篇の詩が収められている。その表題作には、もっとストレートに答えが書いてある。「生きられなくなったから」。損得勘定ではもちろんない。好きだから、というのともちょっとズレてる。売名が目的ではけがらわしい。修行? 自分磨き? ぜんぜん違う。生きられない自分がなんとか生きていこうとするならば、こういうふうにしかありえない、そういうあたりに、創造的な活動に向かう姿勢としての本物らしさを感じる。

いま、試しに「私の志集」でググってみると、5,050件ヒットする。軽〜い調子の日記風の文章が多い。新宿で詩集を売る女性をときおり見かけて気になるけど、誰か買った人はいませんか、とか、ググってみたらだいたいのところは分かって、こうだった、とか。相変わらず、一次情報が少ないねぇ。悪いとは言わないけど、なんのひっかかりもない日常の言葉、言葉、言葉...。発せられたそばから消えていく。

そんな中にあって、北尾トロ氏の文章には、負けた、と思わされた。鉄人社の「裏モノJAPAN」に寄稿したものだという。ふざけて面白半分に書いている文章に見せかけて、自己の内部で起きている反応の描写などがスルドイ。まるで暴風雨にさらされるかのごとく、1分間に100人もの人が通り過ぎる場所に平然とみずからの身を置いているあのパワーに圧倒され、衝撃を受けた、というようなことが書いてある。

で、そうすることの意味を知ろうと、自分もボードを首から下げて、自作のミニコミ誌を売るべく、吉祥寺に立ってみるのである。人の視線を受けて脇の下に汗が伝わることを描写し、そして、一冊も売れなかった旨を報告している。いやぁ、自分でそこまでしてみようとは、私には思いつかなかった。負けた、と思ったゆえんである。

●確認しに行く

さて、この辺まで書いたところで、街頭に立つことの意味について私が思ったことを本人に聞いてもらい、的外れでないかを確かめておきたい気持ちになった。5年前に交わした会話をお互いがちゃんと覚えていることに象徴されるように、ここから発せられる言葉は重みが違う、そこなんでしょ、と。

10月6日(水)の仕事帰り、夜8:30pmごろ新宿西口に着くと、冬子さんはいつもの場所でいつものように立っていた。あいさつすると、すぐにこの前会ったことを思い出してくれた。同じ昭和37年生まれで、数ヶ月しか違わないことが判明する。

以前は東口にいたのに、そこに居られなくなったいきさつが、誰かのブログに書いてあった。それがその通りであるかを聞いてみた。その人は、沖縄に赴任してほどなく東京に出張する機会があったので、久しぶりに彼女に会いに行ったら、鉄道公安官と口論の真っ最中だったと書いている。結局、彼女は公安室に連れて行かれ、2時間ほど待っていると戻ってきたという。

彼女によると、物売りの取締りが強化されて、以前から警告されていたのをずっと抵抗してきたのだが、今日、誓約書にサインさせられてしまった、あの場所にはもう立てない、愛着のある場所だったのでとても寂しい、ということだったそうだ。私はそれを読んで、激しく憤りを感じた。そこに立って詩を売ったって、誰に迷惑がかかるというのだ? 迷惑どころか、その場にプラスの価値を添えることではないか。物販禁止の法律をかざして追い立てるなんて、それは正義でもなんでもなく、ただの弱いものいじめだろう、と。

冬子さんによると、そういうことは、確かにあったという。しかし、今になってみると、公安の言うことももっともだという。法律は誰に対しても公平・公正に適用されなくてはならない、この人は認めるけど、あの人は認めない、というわけにはいかない。一人を許してしまうと、誰かがその隣りで商売を始めちゃったときに、駄目と言えなくなってしまうから、と。本人がそう納得しているのなら、私なんぞが脇から怒ってもしょうがないか。

それはもう10年も前のことなのだという。その沖縄に赴任した人は、会いにくるときはいつもチューリップを一輪くれるのだそうだ。あ、書いてあった。なんてロマンチックな話! 街頭で詩を売る女に、チューリップを持ってくる男。けど、あのとき以来、会っていないという。今、再びそのブログを見に行ってみると、日付は2001年6月10日だった。

自主制作のドキュメンタリー映画に出演していることもネットに書いてあった。けど、それは断りもなく勝手に収録され、勝手に上映されたのだとも書いてあった。聞いてみると、その通りだという。そのことについては、今もお怒りのようす。うん、たしかにそれは失礼な行為だ。けど、映画の制作者としては、たいへんまじめな動機で、ある種の義務感・使命感をもって作ったことが伺われるので、悪いとは決めつけきれない。うーん、難しい。

軽いなぐさめのつもりで、私もネットに画像をさらされた件について言ってみた。しかもその画像が拾われ、テキトーなキャプションをつけられて書籍になり、コンビニや書店で売られていたのだ。鉄人社の「バカ画像500連発」。それを聞いて冬子さんはそうとうお怒りのようであったが、私はもうぜんぜん怒ってないのだ。笑って流しちゃってる。そう言っても、冬子さんはちょっと納得いかない様子であった。

さて、本題。5年前の会話をお互いに覚えていた件、やっぱり街頭に立つことによって生じた会話というのは、言葉の重みが違うということでしょうか? 「いえいえ、私、記憶力よくないんで、そういうのはどんどん忘れていっちゃうんですよ」。あれ? 「たぶん、あなたが、強い印象を残す人だからということではないでしょうか」。あれれー。俺の勝手読み?

訂正。街頭に立つ意味については置いておくとして、そこで出会った人と交わされる言葉の重みについては、本人が通行人に強い印象を残しているのは必然として、その逆のケースが起きるのは、その通行人のキャラによる。それだけ。あったりまえじゃん。最初っからそうと分かっていたら、そもそもこの文章は書かなかったなぁ。うん、失敗だ。

コミケについてはあまりご存知ではなかったようで。どんな感じのイベントか、ざっと説明する。3万サークル(だっけ?)が表現者として参加し、48万人が来場する。表現したい人って、たくさんいるんですよねぇ。

なんだか、すごくショックだったみたい。柱に頭の後ろをつけ、くらくらしている様子。「私には、ゆったりと時間が過ぎていくんです。今日はものすごい量の情報が急に入ってきて、すでに私の中ではパンク状態です。どうか、もうこれ以上しゃべらないでください」と懇願されてしまった。ひぇっ、どうもすみません、また来ます。

●寺嶋真里さんのイベント情報、再掲

◎菊地拓史×柴田景子の展覧会「Mythos Erotica」会期中
マメ山田マジックショウ×寺嶋真里作品上映会×清水真理のお人形で「ホフマン物語」をモチーフにした関連イベントを行います。
< > 予告動画

「コッペリア Meets オリンピア from ホフマン物語」
日時:2010年10月16日(土)・23日(土)19:00〜
会場:浅草橋:parabolica-bis パラボリカ・ビス
料金:当日券3000円、前売2500円

上映作品
◎「エリスの涙」(04年)♪ベルリンロケ敢行の短編作品!
◎「初恋」(89年)♪伝説の耽美的デビュー作品!

※詳細はこちらの菊地拓史+柴田景子展サイトの"access+Event"と夜想サイトをご覧下さい。
< http://www.tacji.com/mythos/ >
< http://www.yaso-peyotl.com/ >

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

カメコ。先日のデジクリで、べちおさんがとっておきの暇つぶし方法を気前よく公開してくれていたので、私もひとつ。およそ科学技術とは縁遠いキーワードで特許検索。特許電子図書館のサイトへ行き、
< http://www.ipdl.inpit.go.jp/homepg.ipdl >
[特許・実用新案検索]-[公報テキスト検索]を選択し、公報全文の枠内に「メイド喫茶」などチョー適当なキーワードを入れ、[検索]ボタンを押す。ヒットしたのがあれば[一覧表示]ボタンを押す。発明の名称を見て面白そうなのがあれば、公開番号のリンクをつつけば中身が見れる。

例えば「猫耳」で検索すると5件の公開特許がヒットし、その中には新日鉄から出願された真面目そうなのがある。本文中に「鋼板断面の形状が猫耳状になり」という表現が見つかる。鋼板の加工形状を猫耳にたとえちゃうあたり、ひょっとして発明者さん、萌えるクチですか?

「怨念」で検索すると6件がヒットするが、どれも一癖ありそう。「霊遺伝子から解く姓名判断法」とか「熱力学の第二法則を否定する動力機関」とか。念のため言っておくと、公開特許というのは出願から一年半後に自動的に公開された段階のものであり、その後、審査を通過しなければ特許としては認められない。こういうのが特許査定を受ける可能性は億が一にもないので、ご安心されたし。

怨念で出てきた中の「若い男性の人格形成の方法」という名称のは、秀逸な発明だと思う。まず、この発明によって解決しようとしている課題が壮大で、「男性の人格形成において、特に、社会的正義感を醸成し、犯罪の少ない世の中とし、また、ニート、フリーターといった層が増大するのを防止し、ひいては、日本国家と日本国の産業の発展に寄与する為の、若い男性の人格形成の方法を提供すること」とある。そんな方法、あったらすごい。で、その解決方法がまたすごい。「1.社会的正義感を持つ人格形成を行う為に映画の持つ効果を活用する、2.映画が、任侠映画であること、3.映画が、女優藤純子が主演しているものであること」とある。選択図は藤純子の写真。

これだけでも従来の特許の概念を覆す驚くべき出願であるが、本領が発揮されるのは、「実施例」の項目においてである。拝啓に始まり敬具で結ばれる150通ものファンレターからなる大作である。「お元気ですか。日本侠客伝シリーズの第一作のビデオを見ました。今から36年も前の作品なのですね。私は、まだ15歳ぐらいで、貴女も19歳ぐらいの時の作品かと思います。高倉健さんの恋人役で、とても初々しい感じがしました。貴女は、緋牡丹博徒のころから、また一段と美しくなられたのですね」とこんな調子。

言うまでもなく、この発明のすごいところは、次の点にある。アマチュアが、自分の書いた文章を世に送り出すための手段としては、自費出版、同人誌即売会、インターネット、街頭売りなどが知られているが、それらに加えて官報を発表媒体として用いることを案出したことである。先に述べたように、審査を通過するしないにかかわらず、出願したものはもれなく一度は官報に掲載されるのである。やるなぁ。よい子はまねしないでね。

いろいろなキーワードで検索をかけてみると、技術立国ニッポンの行く末が見えてくる。「援助交際」で検索して「膣内筋の収縮機能強化器具」とか出てくると、もう仕事どころじゃなくなるね。この手のを集めて本にしてコンビニで売ったら、売れるんじゃない? タイトルは「DQN特許500連発」。

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■展覧会情報
YOUCHAN個展「文学山房」
< http://arabiq.jugem.jp/ >
< http://bn.dgcr.com/archives/20101008140400.html >
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期間:2010年10月7日(木)〜19日(火)13:30〜21:00(日祝20時)水休
会場:珈琲舎・書肆アラビク(大阪市北区中崎3-2-14 TEL.06-7500-5519)

「文学山房」とは古今東西の文学作品を絵に起こすYOUCHANの個展で、東京にて三回開催。この個展が、初めて大阪へ。これまでの作品からアラビク仕様に厳選し、展示作品やモチーフとなった文学作品収録の書籍販売もあり。
作者在廊:16日17:00〜21:00、17日13:30〜18:00、18日13:30〜15:00

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■イベント情報
デジタルコンテンツEXPO
< http://www.3dcgawards.com/camp/ >
< http://bn.dgcr.com/archives/20101008140300.html >
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期間:2010年10月14日(木)〜2010年10月16日(土)
会場:日本科学未来館(東京都江東区青海2-3-6)、東京国際交流館(東京都江東区青海2-2-1)

デジタルコンテンツ分野で活躍する研究者やクリエイター、企業関係者等が参加し、最新の情報を交換しながら、デジタルコンテンツ産業の5年、10年先の将来像を描き出す国際的イベント。(主催者情報)

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■イベント情報
3DCG CAMP 2010
< http://www.dcexpo.jp/ >
< http://bn.dgcr.com/archives/20101008140200.html >
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期間:2010年10月14日(木)〜2010年10月16日(土)
会場:日本科学未来館7F みらいCANホール(東京都江東区青海2-3-6)

国内の3DCGユーザーのためのコンテスト「3DCG AWARDS 2010」の受賞作品発表会を中心に、3DCG関連のツールや、テクノロジー等の展示およびセミナーを行います。また、海外より、映画「AVATAR」の3DCGスーパーバイザーをつとめたRob Powers氏などのクリエイターが来日し、その豊富な経験を元に講演する予定です。(主催者情報)

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■イベント情報
Creative Market Tokyo2010
< http://www.cmtokyo.jp/2010/ >
< http://bn.dgcr.com/archives/20101008140100.html >
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期間:2010年10月13日(水)〜2010年10月15日(金)
会場:東京ビッグサイト 西4ホール(東京都江東区有明3-21-1)

アニメ、実写映像、コンピュータグラフィック、ゲーム、キャラクター、ブランド等オールジャンルのコンテンツ&ブランドが出展。オリジナリティ溢れるコンテンツが集う「TCM」ゾーンと人気ブランドやキャラクターなどプロフェッショナルコンテンツ・プロパティが集う「ブランド・キャラクターライセンシング」ゾーンの2つで構成され、新たなビジネスチャンスをつかむ場、そして既存ビジネスをさらに拡大する出会いの場としてご参加を。(主催者情報)

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■編集後記(10/8)

・ここ数年、わが家で夫婦喧嘩が絶えない。サラリーマンと主婦を対象にした意識調査の結果では、サラリーマンのストレスのトップは年代を問わず仕事、とりわけ上司であり、妻のストレスは年代を問わず夫である。わたしはいまストレスがないが(サラリーマン時代のストレスはいい刺激だった)、妻にはずっと大ありなのだ。藤原正彦「管見妄語 大いなる暗愚」(新潮社、2010)に、藤原家のケンカのようすが描かれていて興味深い。妻が夫の言動を叱り夫が自らを弁護するのだが、妻は戦線を拡大し「いきなり全面戦争に持ちこむ。こちらの忘れている昔の失言やほんの出来心を思い出して攻め立てたり、何の関連もない私の癖や容姿を持ち出しなじったり、ひいては私の育ちの悪さや人格の低さを立証しようとしたりする。的外れとは言えないもののそこまでやられると」はらわたが煮えくり返って仕事が手につかない、という。よくわかる。切実にわかる。わが妻も舌鋒鋭く攻め立ててきて、必ず戦線拡大、ほとんど私が負けてはらわたが煮えくり返る。もっとも、藤原家では原稿を最初に読むのは奥さんだから、活字になったものは奥さん公認、とりあえず平和だ。わが家はそうはいかない。でも、息子も娘も妻の言い分が激し過ぎると、本人に向かって言っているようだ。強くてかっこいい女は映画の中だけでいい。(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4103274077/dgcrcom-22/ >
→アマゾンで見る(レビュー1件)

・New York Times誌が「MicrosoftがAdobe買収の可能性」報道、とITmediaの記事。携帯(スマートフォン)マーケットでのApple対抗策とのこと。iPhoneやiPadではサポートされないFlashのためらしい。ほんとに買収されたらSilverlightとFlashが統合される、いやSilverlightが消えるの?/電子書籍関連セミナーではInDesignでのiPadアプリの話が出ていたし、iPhoneやiPadアプリはFlashでも開発できるようになるってあったし......えー! あ、頼みます、Adobeさん、Mac用のCSシリーズがWindows用より劣るのだけはやめてくださ......いえっ、開発終了というのだけはやめてください〜!(hammer.mule)
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1010/08/news031.html >
ITmedia
< http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1004/30/news029.html >
「Flashの方こそクローズドだ」AppleのジョブズCEOが反論
< http://bits.blogs.nytimes.com/2010/10/07/microsoft-and-adobe-chiefs-meet-to-discuss-partnerships/ >
What Did Microsoft and Adobe Chiefs Talk About?