[2941] 人生はままならないもの...なのか?

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《アホロートル化するっきゃない》

■映画と夜と音楽と...[482]
 人生はままならないもの...なのか?
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[482]
人生はままならないもの...なのか?

十河 進
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〈杳子/アンヴィル!夢を諦めきれない男たち〉

●「ハンダース」のメンバーたちのままならない現在の姿

「あの人は今...」といった企画が嫌いだ。しかし、世の中には昔の有名人の今を見たがる人が多いらしく、週刊誌やテレビでよくそんな企画を見かける。人々が期待するのは、今も成功している有名人ではなく、ままならない人生を送っている元有名人の姿である。先日も日曜の昼間にやっていたドキュメント番組で、「ハンダース」のメンバーたちが苦闘する現在の姿を追っていた。

「銀座NOW」という番組に、コメディアン志望の素人が登場するコーナーがあった。ラビット関根(現在の関根勤)も、その番組から出てきた人である。ハンダースは、そこで勝ち残った人たちで作ったグループだった。僕が社会人になった前後のことだから、もう30年以上昔のことである。小林まさひろ、清水アキラ、桜金造、アゴ勇、アパッチけん、鈴木末吉の6人で「半ダース」である。

そのドキュメント番組は、埼玉の地方都市にワンボックスカーを止めたアゴ勇が、派手な眼鏡に掛け直して、電気設備の訪問セールスをするシーンから始まった。住宅街のインターホンを押してセールスすると、ほとんどの家は「うちは、けっこうです」と断る。いわゆる玄関払いだ。それでも、アゴ勇はめげずに明るく次の家に向かう。

以前はアゴ勇であることを隠してセールスしていたが、今は営業トークに元タレントだったことを利用しているという。だから派手なフレームのメガネをかけるのだ。彼は、共働きの奥さんとふたり暮らしである。仲むつまじそうに食事をする場面もあったが、「今月、まだ家賃払ってないんだよね」と屈託なく口にした。

それは、視聴者へのサービス、あるいは番組制作者への迎合なのではないか、と僕は思った。落ちぶれた元芸能人、尾羽打ち枯らした売れっ子タレント、視聴者が期待する姿をことさらに演じていたのではないか。ディレクターなりプロデューサーが要望したからではないか、あるいはそんな彼らの期待をアゴ勇がくみ取ったのではないか、と僕は疑った。

番組のナレーションは、人気のあるフジテレビの女子アナだった。やさしい語り口だが、メンバーたちの今の苦境を容赦なく暴き出す。一時は「ものまね四天王」として人気を博した清水アキラは、箱根の温泉ホテル専属になって、湯治客たちが集まる宴席のステージで、鼻の頭にセロテープを貼って引っ張り、研ナオコに似せた顔で歌う芸をやっていた。

桜金造は、数年前、都知事選に出馬したことから極端に仕事が減ったという。小林まさひろは早くにタレントを引退し、ふぐ調理師の免許を取得して都心に料理店を開いたが、最近の不況で高級料理店は閑古鳥が鳴いている。小林末吉も飲食店を開いている。その5人が「ハンダース再結成」を企てる。

最後は箱根の温泉ホテルのステージで5人が揃って、かつてのヒット曲を歌うシーンだった。そろいの衣装で、彼らは楽しそうに歌っていた。30年前の人気絶頂だった頃のことを、甦らせているのだろうか。グループを解散した後、アゴ&金造として売れたこともあった。桜金造は演技者としても評価された。清水アキラは、一時期、お茶の間の人気者として毎日のようにものまね芸を見せていた。

ただひとり再結成に参加しなかった、アパッチけんは批判的な言葉を口にした。結局、それは昔を懐かしむだけ、過ぎ去った栄光にすがるだけ、そんなものは取り戻せないし、惨めになるだけじゃないか...、そこまでは言わなかったが、そんなニュアンスが伝わってきた。落ち目の姿を視聴者に見せ、同情されたり、憐れまれたり、「有名じゃないが俺の方がマシ」と優越感を持たれたり...。それでも、売れっ子だった時代を忘れられず、テレビに出たいのだろうか?

●「ジャニーズ」のリーダーだった真家ひろみの出演映画

「ジャニーズ」というグループがあった。あおい輝彦や飯野おさみなど、4人のグループだった。リーダーだったのは、真家ひろみ(真家宏満)である。背の高いすらりとした、今で言うイケメンだった。しかし、数年間の華やかで派手な活動の後、ジャニーズは60年代末にグループを解散した。

僕が真家宏満を見たのは、1977年10月22日のこと。北の丸公園の科学技術館地下一階サイエンスホールだった。会社の先輩だった日比野幸子女史が制作した「杳子」(1977年)公開のときである。「杳子」を演じたのは、その後、「必殺シリーズ」で中村主人の憧れの茶屋娘を演じることになる石原初音だったが、そのときはまだ無名の少女だった。

16ミリで制作する自主映画である。予算なんかない。出演料だって、払ったかどうかわからない。だが、出演者に有名人を入れないと客は呼べない。主人公は自主映画界でしか名を知られていなかった(大島渚の「東京戦争戦後秘話」に出ているけれど)後藤和夫であり、ヒロインは新人だった。

そこで、制作者の日比野さんは、かつての有名人である真家宏満に出演を依頼した。さらに、東洋人の神秘的な魅力でパリ・コレのモデルをしていた山口小夜子を、杳子の姉にキャスティングした。主要な役である杳子の姉の役は別にして、真家宏満がやった役はほとんど印象に残らず、出番も少なかった。客寄せパンダ的な存在だった。

その当時でさえ、真家宏満は忘れられたアイドルだった。その日、舞台挨拶に立った真家宏満を、人々は「ほらほら、昔、ジャニーズのリーダーだった、あの人」と指さした。彼にとっては、配給もままならない16ミリ制作の自主映画に出演したことが、よかったのかどうかはわからない。元アイドルが仕事がなくなり、とうとうマイナーな映画に...という印象の方が強かったかもしれない。

売れっ子だった山口小夜子には、そんな印象はなかった。高いギャラを取っていた日本を代表するファッション・モデルである。たぶん、誰か仲のいい人に頼まれて、ボランティアで出演したのだろう、という好意的な見方をする人が多かった。結局、それは現役として売れているかいないかだけの差だったのだ。

まだ20代だった僕は、真家宏満という元アイドルの姿に目を背けたくなった。みじめさだけを感じた。なぜ、そんな舞台に出てきたのか、わからなかった。あれほど華やかな姿でテレビに出ていた人間の、落ちぶれた(そのときの僕はそう思った)姿を見たくなかったのだ。僕は若く、寛容ではなかった。

その年、真家宏満は久しぶりの映画出演を果たしていた。日活ロマンポルノ「東京チャタレー夫人」(1977年)である。そのことも、僕を不寛容にしていた理由かもしれない。落ち目の元アイドルを出演させ、それだけで客を呼ぼうとする映画に、僕は志を感じられなかったのである。そんな映画に出る元アイドルには、浅ましささえ感じていた。

人は、生きていかなければならない。どんなにみじめでも、屈辱的な人生であっても、死ねない限り生き続けなければならない。生き恥を晒すような生き方であっても、生き続けねばならないのだ。毎日、メシを食わねばならないし、家賃を払い、洋服を買わねばならない。時には酒も飲みたくなる。だから、懸命に生きている人を責めるな...。そんなことを僕が悟るのは、ずっとずっと後のことである。

「杳子」は、古井由吉の芥川賞受賞作だった。古井さんの作品群の中でも、最も読者に愛された作品である。多くの人が映画化を望んだ。その映画化権を、どうして僕と机を並べていた日比野さんがもらえたのか、未だに謎である。彼女は、普通の出版社勤めの編集者だった。映画制作に金を使ってしまい、ガス・水道を止められるのは、少し後のエピソードである。

日比野さんが古井由吉さんの馬事公苑近くのマンションにまで押しかけた話は、聞いたことがある。当時、古井由吉エッセイ全集三巻が作品社から出版されていた。ある日、日比野さんが作品社で古井さんと会うと聞いた僕は、エッセイ集三巻を購入するから古井さんのサインをもらってほしい、と彼女に頼んだ。

僕は「先導獣の話」以来の熱烈な古井由吉ファンだった。愛読者ではなく、追随者だった。当時の僕の小説らしき書き物を見ると文体は古井さんそっくりだし、30枚ほどまで書いた「古井由吉論」も残っている。もちろん、「古井由吉」とサインが入ったエッセイ集は、今も本棚に並んでいる。

●「あしたのジョー」になれなかった人々を取材した

真家宏満が、もう一度、瞬間的に脚光を浴びるのは、80年代半ばだっただろうか。ジャニーズのリーダーだった元アイドルが、タクシー運転手として糊口をしのいでいたことが話題になったのだ。「ハンダース」の番組と同じように、そのことがテレビ・ドキュメントで取り上げられたからである。

悪趣味だ、と僕は思った。そこには、他人の不幸を覗きたい大衆に迎合する、テレビ局の商業主義がうかがえた。不遇な人生を晒しものにし、視聴率を稼ごうとする下品な狙いが感じられた。「どんなにテレビで売れたって、こんな人生なら俺の人生の方がマシだ」と、元アイドルがタクシーを運転する映像を見ながら、視聴者は思うのかもしれない。だが、それは作り手がそんな視点で編集していたからだった。

真家宏満をきちんと取材し、彼の言葉を再現したノンフィクションを読んだのは、テレビ番組の少し後のことだと思う。その本もなくし、誰の著作だったかもわからなくなっていたが、ネットで調べてみると猪瀬直樹の「あさってのジョー」という本のようである。1986年末に「ミカドの肖像」が出版された後、僕は猪瀬直樹の本を集中して読んだから、その頃のことかもしれない。

「あしたのジョーにもなれなくて...」と歌うのは三上寛の「夢は夜ひらく」だが、僕らの世代は「あしたのジョー」に何かを託す癖があり、猪瀬直樹の「あさってのジョー」も「あしたのジョー」になれなかった人々を取材したノンフィクション集である。そのひとりとして、真家宏満が取り上げられていた。

読後の印象は、彼は彼なりにきちんと生きているのだということだった。ほとんど、彼の語りで構成されていたと思う。若くしてアイドルとしてデビューし、華やかな芸能界で数年を送り、グループ解散後は自分で事務所を起こしたりしたがうまくいかず、生活のためにタクシーの運転手を始めた。だが、そこには自己卑下はなく、タクシー運転手という職業に対する誇りが感じられた。

「昔はアイドルだったんだぜ」という意識から離れられず、タクシー運転手として働く自分を卑下したり、「今にカムバックするからな」みたいに語っていたら、僕はきっと嫌になったに違いない。だが、そこにはアイドル時代はアイドルとして生き、その後の不遇の時代も懸命に生き、今はタクシー運転手としての仕事にプロの誇りを持って生きている、ひとりの男の人生があった。

10年前、真家宏満の死が報じられた。心筋梗塞だった。53歳の若さである。30数年前に一度、その姿を見かけ、その後、テレビのドキュメント番組を見て、取材された文章を読んだだけだったが、僕にとっては気になる存在だったのだ。その小さな記事を僕は目に止め、冥福を祈った。

●50を過ぎ肉体労働しながら自分たちの音楽が認められることを夢見る

昨年、「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」(2009年)というドキュメンタリー映画を見た。70年代に結成されたメタル・バンド「アンヴィル」を追った作品である。僕の音楽体験は70年代がすっぽり抜けているので、アンヴィルというグループを知らなかったが、ロック史では80年代初頭に他のバンドにも影響を与えた存在だったという。

彼らにも、レコードが売れた栄光の時代はあったのだ。しかし、50を過ぎた今、彼らは肉体労働をしながら生活を支え、再び自分たちの音楽が認められることを夢見て、飽くなき挑戦を続けている。その諦めない父親の姿を子供たちは誇りに思い、妻は「夢を持ち続けること」を肯定し、夫を支える。親兄弟も彼らを応援する。

彼らは新しいマネージャーと契約し、ヨーロッパにツアーに出る。小さなライブスタジオ、ほんの少ししかいない客。おまけに、トラブルがあって出演料を払ってもらえない。その交渉シーンを延々見せる。彼らは、自分たちの音楽に誇りを持っている。自分たちの音楽は、いつか理解されると確信を抱いているのだ。

新曲を作り、スタジオで録音しCD発売を計画する。昔、一緒に仕事をした敏腕プロデューサーに連絡すると、一緒にやってもいいと言う。しかし、レコード会社はどこも否定的だ。残るのは自主製作である。しかし、そのためには、まとまった金が必要だ。その金はない。

家族や支援してくれる人たちのおかげで、何とか自主製作のCDができあがる。しかし、レコード会社に持ち込んでも「時代遅れだ。今の時代には合わない」と突っ返される。彼らは、自分たちでCDを販売する。ネットでの販売も始める。彼らにも世界中にコアなファンがいるのだ。

監督は、10代の頃にアンヴィルに夢中になった人物だという。アンヴィルのツアーにも参加したことがある。だからだろうか、アンヴィルのふたりは何も隠さず、悪戦苦闘をそのまま晒し、カメラに向かって気取らずに本音を吐く。喧嘩沙汰も写すし、ときに絶望して自棄になる姿もありのままに見せる。

「アンヴィル!夢を諦めきれない男たち」を見ていて、僕が感じたのは人が懸命に生きる姿の美しさだ。彼らは自分の人生を肯定し、目標を持ち、過去の栄光にすがらず、現在の状況を卑下せず、まっすぐに視線を上げ、未来を見て生きている。昔のことを思えば気の毒に...という他者の視線を気にせず、金がないことを隠さず、己の生き方に誇りを持っている。

それが、彼らをみじめに感じさせない。過去の華やかさが忘れられず、失われて二度と戻ってこない栄光にすがっているわけではない。彼らは、かつての栄光を求めているのではない。もう一度、あの華やかだった時代に戻りたいと思っているのではない。彼らは、自分たちの音楽を認めさせたいのだ。自分たちの音楽を支持してもらいたい。そのために、自分たちが考える新曲を作り、努力をする。

そして、日本のファンに呼ばれ、彼らは幕張メッセにやってくる。広い会場だ。客で埋まるかどうか、心配で仕方がない。ヨーロッパでは、客が数人ということもあった。だが、懸命に生きる彼らに神様は、素敵なプレゼントを与える。そのシーンでは、僕も頬を濡らした。「よかったね」と、スクリーンに語りかけたくなった。

それは一瞬の幸福かもしれないが、人生なんてそんなことの繰り返しである。成功することもあれば、何もかもがうまくいかないこともある。しかし、生活のためにどんな仕事も厭わず、懸命に生き、家族を愛し、ささやかでもいいから夢や希望を棄てず、努力する人間でなければ、そんな一瞬の幸福さえもやってはこない。

人生はままならない、と諦めるな。過去にすがって生きるな。失われたものは、二度と戻ってはこないのだ。何かがほしければ、これからやってくる時間に向かって進むしかない。それを、人は「夢」や「希望」と呼ぶ。少なくとも、そこには「可能性」がある。そう、僕も死ぬまで「夢を諦めきれない男たち」でありたい。そう願う。

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
>

来年、還暦だというのに、また、青臭いことを書いてしまいました。もっとも、先日、還暦の兄貴分と深夜まで飲み歩き、自宅には帰らず都内某所で目覚め、そのまま会社に出勤しました。若い頃ならいくらでも経験はありますが、アラ還男のやることじゃありませんね。さすがに、翌日は飲まずに帰りました。36時間ぶりの帰宅?

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
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■Otaku ワールドへようこそ![127]
愚かな老人は現代社会への適応形

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特に気に病んでいるわけではなく、むしろ面白がってたりするのだが、若いころから老けてみられてきた。大学の入学式を終えて、キャンパス内を歩いていると、サークルの勧誘の嵐にあうのが通例だが、私は無関係な通行人のごとく素通りできた。

20歳のとき30歳ぐらいにみられ、それから一貫して、実際の歳+10歳ぐらいにみられてきた。5月のデザフェスでは、ネットに「ヒゲを三つ編みにしてセーラー服を着たじいさんがいた」とずいぶん書かれた。そんな私は12月で48歳になる。じいさんと呼ばれるにはまだまだ若すぎるのだ本当は。

しかし、状況によっては若くみられることもあるのである。このコラムを読んでいる人に初めて会うと、「もっと若いと思ってました」とたいてい言われる。精神年齢はガキんちょだったりするのかも。

●ネオテニーとオタク

生物学で「ネオテニー(neoteny)」という概念がある。「幼形成熟」と訳される。正確な定義はややこしいので置いといて、簡単に言っちゃうと、大人になりきらない身体のままで、生殖能力を持つことがあるという現象のこと。

その一例はウーパールーパー。その一部の種はアホロートルとも呼ばれる。漢字で書くと「阿呆老頭児」、意味は「愚かな老人」。ウソです。"axolotl"というスペイン語から来ていて、原義は「水の犬」。両生類なので、幼生はエラ呼吸し、変態して成体になると肺および皮膚呼吸する。ウーパールーパーの成体はサンショウウオの一種なのだが、環境によって、成体になったり、幼形のままで一生を終えたり。

成熟しなくたって、子供は作れるので、種の保存には問題ない。一旦成熟しちゃうと元には戻れないので、あわてないほうがよい。もし陸の環境があまりよろしくないとみれば、エラ呼吸のまま水中で一生を過ごしちゃえばいいのだ。選択肢が広いぶん、種の保存には好都合ともいえる。もし大人社会が面倒くさそうだと思ったら、小学校を卒業せず、一生通い続けてもいいよ、って言われたら、俺だったらそうするね。

小学生で思い出した、ここから5行ばかりは余談なので、飛ばして読んでいただいて構わないのだが。20代のころ、数学科の修士課程の後輩とデートしたとき、テーマパークだったか植物園だったかの入場チケットを買う窓口で、彼女が「大人と学生」と言ったら「小学生ですか?」と聞き返されたことがあった。うん、やっぱそうみえるよねー。私は大笑い、彼女はムッとして、窓口のおじさんは平謝り。

精神面はどうなんだろう。ネオテニー化した個体は成熟した個体に比べて精神的にも未熟さが残るのだろうか、というのは学術的にも興味深い問題だと思う。ただ、ウーパールーパーの精神的成熟度をどうしたらわれわれ人間が知ることができるか、その方法が問題だ。見かけで判断していいなら、サンショウウオは、平坦な道ばかりでなかった人生にやや疲弊気味で、世の中を斜めに見ているようなところがありそうなのに対して、ネオテニーなやつは天真爛漫で屈託なさそうに見えるけど。もし、精神的成熟度判定テスト手法が確立されたら、肯定的な結果が出ると予想している。

さて、ひとつの学説として、イヌはオオカミのネオテニーなのではないか、というのがある。イヌの頭蓋骨の縫合状態がオオカミの胎児に似てるとか、あるらしいが、学術的考察はそれとして、全体的な体型が「かわいい」とか「萌える」といった感情を喚起するのは、幼児体型のなせる効果だ、と言っちゃえば、直観的にはすっと納得できたりしないだろうか。

犬は幼児体型のまま生涯を送る狼。ということは、環境によっては狼に変身しちゃったりするのだろうか。BGMは石野真子の「狼なんか怖くない」。満月の夜に、というのは別物か。じゃ、ひょっとしてネコはトラとかライオンのネオテニー? パンダは熊の? (←それは違うっぽい)

さらなる学説で、犬種によって、ネオテニー度に差異があるらしい。犬ぐらいになると、精神的成熟度もある程度分かったりしないだろうか。体型がガキんちょっぽい犬は、やることもガキんちょっぽいとか。ありそうではないか。

さてさて、またひとつの学説として、ヒトはチンパンジーのネオテニーなのではないか、というのがある。あー、体毛がもじゃもじゃしてないしね。チンパンジーに比べれば、幼児的なかわいらしさを備えている感じだしね。で、やはり人種によって、ネオテニー度に差異があるらしい。チンパンジーに近いほうから、黒人、白人、アジア人の順に幼児に近くなっていく。なるほどー。

日本発のオタク文化に象徴的な「萌え」の概念は、世界に広がっていったが、一番よく理解されたのは、アジアの国々においてであったという印象がある。メイド喫茶とか、台湾、中国、東南アジアの国々とずいぶん出現したようだが、欧米ではカナダやフランスに出来たって話を聞いた程度だし、黒人の国々では、ちょっと聞かない。

かつて、知能指数という概念が提唱されたとき、調査の結果、黒人よりも白人のほうが、統計的に知能指数が高いと判明し、この概念は白人から支持された。ところが、その後、白人よりもアジア人のほうが高いと判明したら、急速に支持を失っていった。と、どこかで読んだような、おぼろげな記憶がある。ネオテニー度の並び順と知能指数の並び順とが一致していることに、関連性があるのかどうかは、知らない。

けど、複雑化し、常に変化の激しい現代社会を生き抜くには、ネオテニー化しちゃったほうが好都合ということはあるのだと思う。もし変化に乏しい安定社会であれば、じいちゃんばあちゃんの知恵というのは重宝がられる。一生かけて蓄積した知識の集大成は、次の世代にとっても有効であり、困ったときには相談に行けば、いつもいい知恵を授けてくれると頼られる。横丁のご隠居さん。安穏とした老後の生活。

ところが、今は、そうはいかない。人々の価値観は変化していくし、社会の仕組みも21世紀っぽくシステム化していくし、コミュニケーションのスタイルもデジタル化してきている。新しい機器やらサービスやらが次から次へと出てきて、使い方が分からなくて困ったからといって、じいちゃんばあちゃんに相談しに行ったところで、「そんなもん使わんでも生きていけるわぃ」と、ありがたい知恵を授けられるのが関の山である。

25年ほど前、私が就職した当初は、UNIX上でC言語でプログラミングができた私は、その芸だけで一生食っていけるような気がしていた。ところがそうはいかなかった。

オブジェクト指向プログラミング言語としてC++が出てきたり、ユーザ・インターフェースを構築するのに、X11やらMotifやらが出てきたり(その前にSun Viewなんてのもいじったしな)、Cシェルスクリプトで間に合うかと思っていたスクリプト言語はPerlやらRubyやらと進化していったし、データベース言語としてSQLが出てくるし、Webページ記述言語としてHTMLが出てくるし、Excelなどのアプリケーションにはそれぞれ独自のマクロ記述言語が用意されているし、結局のところ、プログラマとして生きていくにも、新しいことを次から次へと覚え続けなくてはならない。すっかり脱落したけど。

今までに蓄積した知識やら経験やらをもって権威っぽい風を吹かせ、その上にどかっとあぐらをかいて生きていくことで、陽の傾きかけた人生を惰性的に安穏とやり過ごしていこうという戦略がまかり通らなくなってきている。それよりも、実際の年齢とは無関係に、若々しい好奇心とチャレンジ精神をもって、新しいことをじゃんじゃか取り込んでいく姿勢のほうが、疲れるけど、まだしも生きやすかったりしそうだ。

そのためには、身体も、ひとつの形に固着して、それ以上変わっていけないというのでは、不都合だ。成熟しちゃだめ。まだまだ変わっていけるという柔軟さと、もう一花咲かせられるという未開拓領域の掘り起こしが肝要。よって、アホロートル化するっきゃないのだ。

日本人のネオテニー化とオタク文化との関係、みたいなテーマは、今、私が言い出したというわけではない。適当にキーワードを組合せてググれば、それを論じたテキストがわんさかヒットする。また、2009年の5月から7月には、上野の森美術館にて、精神科医・高橋龍太郎氏のコレクション展「ネオテニー・ジャパン」が開催された。気鋭の作家たちによる現代アート作品を楽しめるという点だけでも非常に面白い展示であった。会田誠氏による「大山椒魚」がことに印象的だった。

のっそりとした巨大なサンショウウオに2人の裸の少女がもたれかかっている。成熟と未熟の対比、グロテスクと清純の対比が面白い。同じ対比でも、ウーパールーパーと老婆の組合せでは、意味不明の作品になってしまう。かように、日本人のネオテニー化は、一般的にも認識されつつあるように感じられる。

今年の4月7日(水)に私は、人生初のボイストレーニングのレッスンを受けた。で、それが今も続いている。楽しいから、という以上の何かがある。自分の中に潜在していた別の自分が始動する感覚。今、裏声を絶賛開拓中。始めた当初に比べて、軽く1オクターブは高い声が出せるようになっている。40数年間使わずに放置してきた筋肉が、使うようになったことで発達し、強化されていく。ちょっとびっくり。

生まれてこの方、出したことのない声が出ている。この歳でまさかの声変わり。保留していた変態が花開いてきた。metamorphosisの変態かperversionの変態かはともかくとして。本来の成体とは別の方向へ変態。ある晩、行きつけのカラオケスナックで、気持ちよく歌っていた。70年代のアイドル歌手の歌だったと思うが、具体的には覚えていない。石野真子だったか、堀ちえみだったか、河合奈保子だったか、早見優だったか、石川ひとみだったか、倉田まり子だったか。

閉店間際に、男性3人組のお客さんがどやどやっと入ってきて、私の歌ってる姿を見るなり、大笑いしていた。えーっと、まさか外へ漏れた声を聞いて女性が歌ってると思って入ってきたとか? ひぇっ、どうもすいません。姿を見せずに声でだまくらかすあたり、なんかオレオレ詐欺っぽいけど、こういうのは何詐欺っていうんだろ?

アホなロートル、世を惑わす。いやいや、慣れてください。これからは、こういうのがきっと増えます。そういうわけで、11月6日(土)、7日(日)のデザフェスでは、またセーラー服、着ます。あ、その前の10月30日(土)には池袋の乙女喫茶Cougarのパーティーでセーラー服着てニセ乙女に。スネ毛が伸びてる暇がない。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

10月16日(土)は、浅草橋のパラボリカ・ビスで寺嶋真里さんの映像作品の上映やマメ山田さんの手品などからなるイベントがあり、行ってきました。寺嶋さんの映像、とっても面白いんだけど、どういうふうに面白いのか、私の拙い文章じゃ、うまく表現できません。一言で言って、前衛的です。「エリスの涙」は、「舞姫」書いた鴎外、ひどい人! がテーマです。それを寺嶋さん流に表現するとこうなるのか、というところが大変面白い。

上映後、金髪にきらびやかなゴスロリ衣装で登場した寺嶋さん、足が大変なことに。筋断裂症だそうで、片足、ギブスで固めて白い包帯でぐるぐる巻き状態でした。今月の初めごろだったか、ご自宅で、熱いお茶が手にかかりそうになって、身体をねじったら、そんなことになってしまったそうです。ピキピキピキっと切れる音がしたそうです。うぇっ。

けど、白い包帯がゴスロリ衣装によく似合ってて。たぶん、来場者の方々からは、演出だと思われてたでしょう、って、今野さんからからかわれていました。あ、今野裕一氏はパラボリカ・ビスの主です。かつて、寺山修司氏率いる劇団「天井桟敷」で出演・演出していました。雑誌「夜想」の編集長でもあります。

マメ山田さんのマジック、すばらしかったー。醸し出す雰囲気は昭和の素朴な芸って感じです。見ていると、気分が自然とくつろいできて、技が披露されるたびに会場からわーっ、わーっと歓声があがり、あたたかな空気に包まれます。この幸せなひととき、ずっと終わらずに続いたらいいのに、と思いました。雰囲気は素朴ですが、技は磨き抜かれて驚嘆に値すると思いました。実は私が一番スゴイと思ったのは、種も仕掛けもないやつです。太めのひもの一端を持ってぶらぶら振り、ひょっ! とやると、結び目ができてます。一瞬です。何回でもやってくれます。ぜんぜん失敗しません。

美少女さんの手製になるデザート、見かけはけっこうリアルな目玉ですが、おいしかったです。清水真理さんの人形も展示されています。個展で仮面の展示をしている柴田景子さんとお話しすることができました。以前にタロット占いしてもらった結果が見事に当たっていた旨、ご報告することができました。実際、怖いくらいよく当たっていたのですが、占ってもらっている時点で、この方の言葉には全面的に身を預けることができる、と感じていたので、当たったこと自体になんら不思議という感覚がわきませんでした。

物販コーナーで、宝野アリカさんの写真&執筆集「蜜薔薇、棘薔薇」を入手しました。サイン入りで。これ、すご〜くいいです、ほんっと素敵です。何がいいって、文章がたっぷり読めるところが。よくある写真集って、言葉がぜんぜん入ってないか、あってもせいぜい短いコピー程度なのが多いですよね? それはそれで分かるのですが。言葉は、写真の鑑賞のしかたを限定するマイナスの働きをしうるから、いっそのことないほうがいいという考え方でしょう。しかし、この本は、完全に逆をいっています。

しかも、抽象的で意味不明な詩などではなく、メッセージ性の強い文章です。ロリータを礼賛し、少女の生きるべき道を説いています。たとえばこんな調子です、「夢見ることは現実逃避ではありません。想像力こそが心や頭を鍛えるのです」。私は、たぶん想定された読者とはちょっとズレているかもしれませんが、そんな私にも言葉はしっかりと届き、しみこんでいきます。

写真に対しても、相乗効果が非常によく発揮されています。言葉と写真とが強い関連で結びついているので、読んでから写真を見ると、あー、そういうことか! と、狙いがはっきり伝わってきて、深く感じ入ることができます。宝野さんは、"ALI PROJECT"の作詞 & ボーカル。『ローゼンメイデン』、『コードギアス 反逆のルルーシュ』のアニメのオープニング(OP)ソングなどを手がけています。ローゼンメイデンの第2期アニメのOPソング『聖少女領域』のPVには、恋月姫さんのビスクドールが登場します。そのつながりで、'07年にパラボリカ・ビスで恋月姫さんのドールの個展が開かれたとき、週末イベントとして、6月24日(日)にお二人の対談が催されました。

この本は、宝野さんという人そのものが、言葉と写真を通じてばーんと迫ってきます。幸せになれます。宝野さんの言うような理想の乙女を目指すぞ、と、もりもり元気がわいてきます。

寺嶋さんのイベントは10月23日(土)にもあります。
< http://www.yaso-peyotl.com/
>

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■編集後記(10/22)

・広瀬隆「原子炉時限爆弾」を読む(ダイヤモンド社、2010)。帯に「危機は刻々迫っている! 世界各地で頻発する大地震は何の予兆なのか? クリーンエネルギーとして推進されている原発は本当に安全か? 『原発震災』がもたらす日本壊滅の危機に警告を発する。著者15年ぶりの反原発書!!」とある。そうか、もうそんなに経つのか。一時期、広瀬隆、高木仁三郎、広河隆一らの反原発書を読み漁ったものだが、いつのまにか別な危機や熱中できること(CGとかDTPとかネットとか)に関心が移り、原発のことを忘れていた。というのはウソで、この間さいわい深刻な原発事故が起きなかった(実はあった)から、忘れたふりをしてよそ見をしていたのだ。筆者は「大地震によって原発が破壊される『原発震災』のために日本が滅びる可能性について、私なりの意見を述べる。しかもそれが不幸にして高い確率であることを示す数々の間違いない事実を読者に見ていただくが、内心では、そこから導き出される結論が間違っていることを願っている。(略)ここに書く事実を、ほとんどの日本人は知らないと確信しているからである」と本書を書いた動機を記す。この本を読むと、知らなかった、知らされていなかった、こんな大変なことがあったのか、と背筋が寒くなる。あした日本が終わってもおかしくない......。つづく(柴田)
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478013594/dgcrcom-22/
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→アマゾンで見る(レビュー6件)

・新しい事務所に、電話とインターネット回線が入らない。申し込んでからひと月は経つのだが、いまだに工事日が決まらない。電話番号だけは数日で決定。繋がらないのに番号だけ知っても......。ビル内の回線が飽和状態とかで、増設のため道路工事が必要だとか。道路工事がなくても、一ヶ月はかかるみたい。ADSLなら10日間で、という話なのだが、ADSLでも10日かかるのって......。24時間稼働&サポートで、翌日納品なんてしてくれる印刷屋さんの企業努力の凄さを改めて感じた。というより感覚が麻痺してるんだな。宅配便は翌日配達、アスクルやアマゾンは半日、コンビニは24時間営業でほぼ品切れなし。私の仕事も早く仕上げるよう心掛けよう。/なので、メンバーの持つポケットWiFiでしのいだりしてる。実はビル内には即日開通可能なインターネット回線(電話なし)もあるのだが、そこはなんと回線料金は接続するパソコンの台数で決まるとのことで、敬遠していたのであった。ハブかまそうが、無線LANでの接続であろうが(グローバルIPがひとつでも)、台数計算。定期的にカウントしに来るんだろうか。パソコン一台でサーバ立ててもいいんだろうかと、ふと思ったり。そしてiPhoneやiPadは台数に入れなくて良いとのことで、これまた頭が混乱。電話使えたら、それでも臨時導入したかもしれないんだけど。携帯電話やポケットWiFiのある時代で良かった。/土曜日のパーティーは定員オーバーで、スペース拡大してもらうことに。ぜひご参加ください。名簿を見ながら、この人とこの人を引き合わせたら面白いことになるんじゃないかとか、この人はぜひこの人に紹介したい〜とか考えてワクワク。(hammer.mule)
< http://www.cap-ut.co.jp/
>  土曜日のパーティー
< http://alfalfalfa.com/archives/1140004.html
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Twitterと短縮URLには注意よ
< http://latimesblogs.latimes.com/washington/2010/10/meg-whitman-bass-player.html
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記事
< http://aresoku.blog42.fc2.com/blog-entry-1875.html
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安全面が気になるF1韓国グランプリ。案山子......。
< http://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51557597.html
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ランボルギーニ新作
< http://kuromacyo.livedoor.biz/archives/1296374.html
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中国が謝罪
< http://yamaiomoiomoi.blog97.fc2.com/blog-entry-1260.html
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桃屋と日本語ラップと江頭と医者になったらと
< http://karapaia.livedoor.biz/archives/51777867.html
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ファッショナブルな自転車用エアバッグ。背骨は?
< http://dr.bluehornet.com/hostedemail/email.htm?h=3b59705371eafc5bb37f078992cce5d7
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