Otaku ワールドへようこそ![127]愚かな老人は現代社会への適応形/GrowHair

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特に気に病んでいるわけではなく、むしろ面白がってたりするのだが、若いころから老けてみられてきた。大学の入学式を終えて、キャンパス内を歩いていると、サークルの勧誘の嵐にあうのが通例だが、私は無関係な通行人のごとく素通りできた。

20歳のとき30歳ぐらいにみられ、それから一貫して、実際の歳+10歳ぐらいにみられてきた。5月のデザフェスでは、ネットに「ヒゲを三つ編みにしてセーラー服を着たじいさんがいた」とずいぶん書かれた。そんな私は12月で48歳になる。じいさんと呼ばれるにはまだまだ若すぎるのだ本当は。

しかし、状況によっては若くみられることもあるのである。このコラムを読んでいる人に初めて会うと、「もっと若いと思ってました」とたいてい言われる。精神年齢はガキんちょだったりするのかも。



●ネオテニーとオタク

生物学で「ネオテニー(neoteny)」という概念がある。「幼形成熟」と訳される。正確な定義はややこしいので置いといて、簡単に言っちゃうと、大人になりきらない身体のままで、生殖能力を持つことがあるという現象のこと。

その一例はウーパールーパー。その一部の種はアホロートルとも呼ばれる。漢字で書くと「阿呆老頭児」、意味は「愚かな老人」。ウソです。"axolotl"というスペイン語から来ていて、原義は「水の犬」。両生類なので、幼生はエラ呼吸し、変態して成体になると肺および皮膚呼吸する。ウーパールーパーの成体はサンショウウオの一種なのだが、環境によって、成体になったり、幼形のままで一生を終えたり。

成熟しなくたって、子供は作れるので、種の保存には問題ない。一旦成熟しちゃうと元には戻れないので、あわてないほうがよい。もし陸の環境があまりよろしくないとみれば、エラ呼吸のまま水中で一生を過ごしちゃえばいいのだ。選択肢が広いぶん、種の保存には好都合ともいえる。もし大人社会が面倒くさそうだと思ったら、小学校を卒業せず、一生通い続けてもいいよ、って言われたら、俺だったらそうするね。

小学生で思い出した、ここから5行ばかりは余談なので、飛ばして読んでいただいて構わないのだが。20代のころ、数学科の修士課程の後輩とデートしたとき、テーマパークだったか植物園だったかの入場チケットを買う窓口で、彼女が「大人と学生」と言ったら「小学生ですか?」と聞き返されたことがあった。うん、やっぱそうみえるよねー。私は大笑い、彼女はムッとして、窓口のおじさんは平謝り。

精神面はどうなんだろう。ネオテニー化した個体は成熟した個体に比べて精神的にも未熟さが残るのだろうか、というのは学術的にも興味深い問題だと思う。ただ、ウーパールーパーの精神的成熟度をどうしたらわれわれ人間が知ることができるか、その方法が問題だ。見かけで判断していいなら、サンショウウオは、平坦な道ばかりでなかった人生にやや疲弊気味で、世の中を斜めに見ているようなところがありそうなのに対して、ネオテニーなやつは天真爛漫で屈託なさそうに見えるけど。もし、精神的成熟度判定テスト手法が確立されたら、肯定的な結果が出ると予想している。

さて、ひとつの学説として、イヌはオオカミのネオテニーなのではないか、というのがある。イヌの頭蓋骨の縫合状態がオオカミの胎児に似てるとか、あるらしいが、学術的考察はそれとして、全体的な体型が「かわいい」とか「萌える」といった感情を喚起するのは、幼児体型のなせる効果だ、と言っちゃえば、直観的にはすっと納得できたりしないだろうか。

犬は幼児体型のまま生涯を送る狼。ということは、環境によっては狼に変身しちゃったりするのだろうか。BGMは石野真子の「狼なんか怖くない」。満月の夜に、というのは別物か。じゃ、ひょっとしてネコはトラとかライオンのネオテニー? パンダは熊の? (←それは違うっぽい)

さらなる学説で、犬種によって、ネオテニー度に差異があるらしい。犬ぐらいになると、精神的成熟度もある程度分かったりしないだろうか。体型がガキんちょっぽい犬は、やることもガキんちょっぽいとか。ありそうではないか。

さてさて、またひとつの学説として、ヒトはチンパンジーのネオテニーなのではないか、というのがある。あー、体毛がもじゃもじゃしてないしね。チンパンジーに比べれば、幼児的なかわいらしさを備えている感じだしね。で、やはり人種によって、ネオテニー度に差異があるらしい。チンパンジーに近いほうから、黒人、白人、アジア人の順に幼児に近くなっていく。なるほどー。

日本発のオタク文化に象徴的な「萌え」の概念は、世界に広がっていったが、一番よく理解されたのは、アジアの国々においてであったという印象がある。メイド喫茶とか、台湾、中国、東南アジアの国々とずいぶん出現したようだが、欧米ではカナダやフランスに出来たって話を聞いた程度だし、黒人の国々では、ちょっと聞かない。

かつて、知能指数という概念が提唱されたとき、調査の結果、黒人よりも白人のほうが、統計的に知能指数が高いと判明し、この概念は白人から支持された。ところが、その後、白人よりもアジア人のほうが高いと判明したら、急速に支持を失っていった。と、どこかで読んだような、おぼろげな記憶がある。ネオテニー度の並び順と知能指数の並び順とが一致していることに、関連性があるのかどうかは、知らない。

けど、複雑化し、常に変化の激しい現代社会を生き抜くには、ネオテニー化しちゃったほうが好都合ということはあるのだと思う。もし変化に乏しい安定社会であれば、じいちゃんばあちゃんの知恵というのは重宝がられる。一生かけて蓄積した知識の集大成は、次の世代にとっても有効であり、困ったときには相談に行けば、いつもいい知恵を授けてくれると頼られる。横丁のご隠居さん。安穏とした老後の生活。

ところが、今は、そうはいかない。人々の価値観は変化していくし、社会の仕組みも21世紀っぽくシステム化していくし、コミュニケーションのスタイルもデジタル化してきている。新しい機器やらサービスやらが次から次へと出てきて、使い方が分からなくて困ったからといって、じいちゃんばあちゃんに相談しに行ったところで、「そんなもん使わんでも生きていけるわぃ」と、ありがたい知恵を授けられるのが関の山である。

25年ほど前、私が就職した当初は、UNIX上でC言語でプログラミングができた私は、その芸だけで一生食っていけるような気がしていた。ところがそうはいかなかった。

オブジェクト指向プログラミング言語としてC++が出てきたり、ユーザ・インターフェースを構築するのに、X11やらMotifやらが出てきたり(その前にSun Viewなんてのもいじったしな)、Cシェルスクリプトで間に合うかと思っていたスクリプト言語はPerlやらRubyやらと進化していったし、データベース言語としてSQLが出てくるし、Webページ記述言語としてHTMLが出てくるし、Excelなどのアプリケーションにはそれぞれ独自のマクロ記述言語が用意されているし、結局のところ、プログラマとして生きていくにも、新しいことを次から次へと覚え続けなくてはならない。すっかり脱落したけど。

今までに蓄積した知識やら経験やらをもって権威っぽい風を吹かせ、その上にどかっとあぐらをかいて生きていくことで、陽の傾きかけた人生を惰性的に安穏とやり過ごしていこうという戦略がまかり通らなくなってきている。それよりも、実際の年齢とは無関係に、若々しい好奇心とチャレンジ精神をもって、新しいことをじゃんじゃか取り込んでいく姿勢のほうが、疲れるけど、まだしも生きやすかったりしそうだ。

そのためには、身体も、ひとつの形に固着して、それ以上変わっていけないというのでは、不都合だ。成熟しちゃだめ。まだまだ変わっていけるという柔軟さと、もう一花咲かせられるという未開拓領域の掘り起こしが肝要。よって、アホロートル化するっきゃないのだ。

日本人のネオテニー化とオタク文化との関係、みたいなテーマは、今、私が言い出したというわけではない。適当にキーワードを組合せてググれば、それを論じたテキストがわんさかヒットする。また、2009年の5月から7月には、上野の森美術館にて、精神科医・高橋龍太郎氏のコレクション展「ネオテニー・ジャパン」が開催された。気鋭の作家たちによる現代アート作品を楽しめるという点だけでも非常に面白い展示であった。会田誠氏による「大山椒魚」がことに印象的だった。

のっそりとした巨大なサンショウウオに2人の裸の少女がもたれかかっている。成熟と未熟の対比、グロテスクと清純の対比が面白い。同じ対比でも、ウーパールーパーと老婆の組合せでは、意味不明の作品になってしまう。かように、日本人のネオテニー化は、一般的にも認識されつつあるように感じられる。

今年の4月7日(水)に私は、人生初のボイストレーニングのレッスンを受けた。で、それが今も続いている。楽しいから、という以上の何かがある。自分の中に潜在していた別の自分が始動する感覚。今、裏声を絶賛開拓中。始めた当初に比べて、軽く1オクターブは高い声が出せるようになっている。40数年間使わずに放置してきた筋肉が、使うようになったことで発達し、強化されていく。ちょっとびっくり。

生まれてこの方、出したことのない声が出ている。この歳でまさかの声変わり。保留していた変態が花開いてきた。metamorphosisの変態かperversionの変態かはともかくとして。本来の成体とは別の方向へ変態。ある晩、行きつけのカラオケスナックで、気持ちよく歌っていた。70年代のアイドル歌手の歌だったと思うが、具体的には覚えていない。石野真子だったか、堀ちえみだったか、河合奈保子だったか、早見優だったか、石川ひとみだったか、倉田まり子だったか。

閉店間際に、男性3人組のお客さんがどやどやっと入ってきて、私の歌ってる姿を見るなり、大笑いしていた。えーっと、まさか外へ漏れた声を聞いて女性が歌ってると思って入ってきたとか? ひぇっ、どうもすいません。姿を見せずに声でだまくらかすあたり、なんかオレオレ詐欺っぽいけど、こういうのは何詐欺っていうんだろ?

アホなロートル、世を惑わす。いやいや、慣れてください。これからは、こういうのがきっと増えます。そういうわけで、11月6日(土)、7日(日)のデザフェスでは、またセーラー服、着ます。あ、その前の10月30日(土)には池袋の乙女喫茶Cougarのパーティーでセーラー服着てニセ乙女に。スネ毛が伸びてる暇がない。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp

10月16日(土)は、浅草橋のパラボリカ・ビスで寺嶋真里さんの映像作品の上映やマメ山田さんの手品などからなるイベントがあり、行ってきました。寺嶋さんの映像、とっても面白いんだけど、どういうふうに面白いのか、私の拙い文章じゃ、うまく表現できません。一言で言って、前衛的です。「エリスの涙」は、「舞姫」書いた鴎外、ひどい人! がテーマです。それを寺嶋さん流に表現するとこうなるのか、というところが大変面白い。

上映後、金髪にきらびやかなゴスロリ衣装で登場した寺嶋さん、足が大変なことに。筋断裂症だそうで、片足、ギブスで固めて白い包帯でぐるぐる巻き状態でした。今月の初めごろだったか、ご自宅で、熱いお茶が手にかかりそうになって、身体をねじったら、そんなことになってしまったそうです。ピキピキピキっと切れる音がしたそうです。うぇっ。

けど、白い包帯がゴスロリ衣装によく似合ってて。たぶん、来場者の方々からは、演出だと思われてたでしょう、って、今野さんからからかわれていました。あ、今野裕一氏はパラボリカ・ビスの主です。かつて、寺山修司氏率いる劇団「天井桟敷」で出演・演出していました。雑誌「夜想」の編集長でもあります。

マメ山田さんのマジック、すばらしかったー。醸し出す雰囲気は昭和の素朴な芸って感じです。見ていると、気分が自然とくつろいできて、技が披露されるたびに会場からわーっ、わーっと歓声があがり、あたたかな空気に包まれます。この幸せなひととき、ずっと終わらずに続いたらいいのに、と思いました。雰囲気は素朴ですが、技は磨き抜かれて驚嘆に値すると思いました。実は私が一番スゴイと思ったのは、種も仕掛けもないやつです。太めのひもの一端を持ってぶらぶら振り、ひょっ! とやると、結び目ができてます。一瞬です。何回でもやってくれます。ぜんぜん失敗しません。

美少女さんの手製になるデザート、見かけはけっこうリアルな目玉ですが、おいしかったです。清水真理さんの人形も展示されています。個展で仮面の展示をしている柴田景子さんとお話しすることができました。以前にタロット占いしてもらった結果が見事に当たっていた旨、ご報告することができました。実際、怖いくらいよく当たっていたのですが、占ってもらっている時点で、この方の言葉には全面的に身を預けることができる、と感じていたので、当たったこと自体になんら不思議という感覚がわきませんでした。

物販コーナーで、宝野アリカさんの写真&執筆集「蜜薔薇、棘薔薇」を入手しました。サイン入りで。これ、すご〜くいいです、ほんっと素敵です。何がいいって、文章がたっぷり読めるところが。よくある写真集って、言葉がぜんぜん入ってないか、あってもせいぜい短いコピー程度なのが多いですよね? それはそれで分かるのですが。言葉は、写真の鑑賞のしかたを限定するマイナスの働きをしうるから、いっそのことないほうがいいという考え方でしょう。しかし、この本は、完全に逆をいっています。

しかも、抽象的で意味不明な詩などではなく、メッセージ性の強い文章です。ロリータを礼賛し、少女の生きるべき道を説いています。たとえばこんな調子です、「夢見ることは現実逃避ではありません。想像力こそが心や頭を鍛えるのです」。私は、たぶん想定された読者とはちょっとズレているかもしれませんが、そんな私にも言葉はしっかりと届き、しみこんでいきます。

写真に対しても、相乗効果が非常によく発揮されています。言葉と写真とが強い関連で結びついているので、読んでから写真を見ると、あー、そういうことか! と、狙いがはっきり伝わってきて、深く感じ入ることができます。宝野さんは、"ALI PROJECT"の作詞 & ボーカル。『ローゼンメイデン』、『コードギアス 反逆のルルーシュ』のアニメのオープニング(OP)ソングなどを手がけています。ローゼンメイデンの第2期アニメのOPソング『聖少女領域』のPVには、恋月姫さんのビスクドールが登場します。そのつながりで、'07年にパラボリカ・ビスで恋月姫さんのドールの個展が開かれたとき、週末イベントとして、6月24日(日)にお二人の対談が催されました。

この本は、宝野さんという人そのものが、言葉と写真を通じてばーんと迫ってきます。幸せになれます。宝野さんの言うような理想の乙女を目指すぞ、と、もりもり元気がわいてきます。

寺嶋さんのイベントは10月23日(土)にもあります。
< http://www.yaso-peyotl.com/ >