映画と夜と音楽と...[483]スクリーンの中の名医たち
── 十河 進 ──

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〈瞳の中の訪問者/コーマ/酔いどれ天使/静かなる決闘/赤ひげ/本日休診/カンゾー先生〉

●ピカピカ輝いている近代的な設備の充実した病院

カミサンが膝の手術をすることになり、火曜日に入院した。水曜日の9時から手術だと連絡が入り、水曜日の朝、8時前に車に乗って病院に向かった。それほど遠い病院ではないし、裏道を抜ければ大丈夫だろうと思っていたのだけれど、やはり通勤時間にぶつかったせいで、それなりに混んでいた。

それでも8時20分には着いて、広い駐車場のどこに車を駐めようか迷うほど、まだスペースは空いていた。端っこの方が埋まっているのは、病院関係者の車なのだろう。大きな病院で、働いている人も相当いそうである。場所を移転して新しくなった病棟で、何もかもがピカピカ輝いている感じだった。近代的な設備の充実した病院になっていた。

病室でカミサンに言われるまですっかり忘れていたのだが、僕もこの病院には入院したことがあった。もう10年ほど前か、古い病棟で昔ながらの病院という感じだった。急性胃炎で七転八倒し、カミサンの運転で運び込まれ、それから5日間入院した。最初の3日間は点滴だけ、4日目におもゆから始め、三分がゆ、五分がゆ、七分がゆと進んで、ようやく復帰した。

死ぬかと思った、と人はよく口にするが、あのときは本当に僕も死ぬかと思うほどの鋭い痛みだった。ひと足歩くごとに胃に響き、鋭い痛みが走る。車に乗ると振動が耐えられない。歯を食いしばる。病院に着き緊急注射をしてもらい、少し落ち着いたが不安で動けない。「入院しますか?」と訊かれ、「お願いします」と答えた。病院にいる安心感が広がる。そのせいか、その後、痛みは嘘のように消えた。



さて、新しくなった病室でベッドに寝ていたカミサンは、手術が近付くと「嫌だ、嫌だ」と言い始めた。そういうのに弱い人で、今回も下半身麻酔だけでいいのだが、怖いからと全身麻酔を頼んだ。今は、脊椎麻酔で瞬間的に感覚がなくなる。僕も17年ほど前に脊椎麻酔をした。痛くはないが、意識ははっきりしているので何が行われているかはわかる。確かに、あまり気持ちのよいものではない。

カミサンに改めて訊くと、麻酔は脊椎注射で下半身だけ。同時に、薬を飲んで手術中は眠っている状態にすることになったらしい。目が覚めると、手術が終わっているわけだ。全身麻酔よりリスクが少ないので、その病院でもよく使われているという。そんな話をしていると、看護士さんがきて準備を始めた。それでも、カミサンは声に出さずに「嫌だ」と口の形だけで訴える。そんなこと、今さら言われても...。

三国連太郎のエピソードだったと記憶している。「飢餓海峡」(1965年)のロケのときの話だと聞いた。飛行機嫌いの三国さんは、覚悟を決めて飛行機に乗ったのはいいが、扉が閉まり飛行機が動き出した途端、どうしても我慢できなくて「降ろしてくれ〜」と叫んだという。結局、飛行機は引き返し、三国さんは降り、列車で北海道にむかったとか。

その話が刷り込まれていたのか、僕も最初に飛行機に乗ったとき、同じことをやりそうな気がした。あれは、三国連太郎だから許されたのだ。一介の勤め人が「降ろしてくれ〜」と叫んでも、無理だろうなあ。ていうか、そんなことして人に迷惑をかけられないよなあ、と煩悶した。もっとも、そのときの飛行は割に快適で、その後、2時間程度なら何とか飛行機も我慢できるようになった。

しかし、手術台に載せられて、さあオペだ...となった瞬間、患者が「どうしても嫌だあ〜」と叫んで逃げ出したら、一体、どうなるのだろう。まさか、無理矢理おさえつけるわけにもいかないだろうなあ。そんな不謹慎なことを想像しながら、僕はカミサンが手術室に消えていくのを見送った。まあ、命にかかわる大手術ではないので、待つ方も気楽ではある。

●僕はシロクマのように室内をいったりきたりしていた

テレビドラマや映画で、手術結果を待つ人々のシーンは、かなり見た。そういうのは、たいがい命にかかわる手術なので、待っている人たちは沈痛な顔をしている。心配した知人が駆けつけてきて「容態は?」などと質問し、待っている人物が暗い顔をして首を振る。「かなり出血しているらしい」と、沈んだ声で言ったりする。何だかパターン化されたイメージだけど、他にどんな描き方があるだろう。

僕は、カミサンの手術に立ち合い、待合室で待つのは二度目である。もう12、3年前になるだろうか。たったひとりで、5時間近くかかる大手術が終わるのを待っていた。そのとき、僕は誰もいない親族の待合室で何もできず、ときどき立ち上がってうろうろするくらいだった。僕ら夫婦には近くに親戚もいないので、そういうときに駆けつけてくる人はいないのだ。

印象に残っているのは、小さな音でずっとBGMが流れていたことである。「恋は水色」とか「真珠取りのナントカ」という曲だ。ポール・モーリアとかビリー・ボーンといった楽団である。そういう人の心を穏やかにすると思われる、ヒーリング・ミュージックである。そんな曲を聴きながら、僕はシロクマのように室内をいったりきたりしていたのだった。

手術が終わると、医者がやってきて「手術は、うまくいきました」と言った。それから、手術の結果について説明を始めた。僕は、患部の前後10センチずつ、つまり20センチ分切り取られたカミサンの一部だったものを見せられた。「他にも憩室ができていたので、ついでに切除しておきました」と、割に大きな肉片も三つ見せられた。手術で切除された己の肉片を見せられたときは顔を背けたが、カミサンのものは確認するようにじっくりと見た。何だか妙にきれいだな、と思った。

すでに10数年経っているから、そちらの方はもう再発の心配はしていないが、年齢を重ねるといろいろ細かな肉体的支障が出てくるものである。手術は誰だって嫌だが、今回は手術日が決まった後も「膝の痛みはまったくないのよねえ」と、カミサンは「なら、やめれば...」と言ってほしそうな顔をした。「でも、手術しないと直らないと言われたんだろ」と、僕は答えた。

一時間くらいと聞いていたのに、一時間半が経った。僕は持っていたiPadで先日ダウンロードした小説を読んだり、原稿書きのためのメモをしたり、ときどき立ち上がって窓の外を眺めたりした。病院の裏に小さな川が流れていて、両岸に散歩道が造られている。そこを通る人たちを、ぼんやりと見ていたのだ。平日の午前9時。老人と女性の姿が多い。

二時間近く経過した頃、手術着に大きなマスクと髪を覆うカバーのために、どんな顔をしているのかまったくわからない(オマケに黒縁のメガネもしていた)担当医が現れた。「説明室」とドアに書かれてある部屋に僕を呼び入れ、ポラロイド写真を何枚か見せながら説明を始めた。「膝の軟骨が...」「半月板が...」とか、いろいろ言っていたけれど、僕は「はあ」とうなずくだけだ。要するに手術は成功し、直るのは間違いないということだった。

●テレビではいつもどこかの局が医学ドラマをやっている。

医者を主人公にしたドラマは数多い。テレビでは、いつもどこかの局が医学ドラマをやっている。先日も「医龍」というドラマが始まっていた。アメリカには「ER」という連続ドラマがあるし、日本でも「緊急病棟」というドラマは人気があるらしく、何度もシリーズが作られている。病院には、ドラマがいくらでも転がっているのだ。

僕が子供の頃、黒板に様々なシンボルを描くシーンに「男、女、無限...」というナレーションが重なるオープニングで印象的だった、「ベン・ケーシー」というドラマがあった。僕は、アメリカの近代的な病院を初めて見た。外科医が主人公だから、手術シーンは多い。病院と医者に対する僕のイメージは、あれで形作られたと言ってもいい。

医学ドラマが人気があるのは、「生と死」というテーマを浮き彫りにできるからだろう。それに、劇的な展開が考えられるのだ。最近、ドラマでは天才的な医師が登場する設定がよくあるが、これは手塚治虫の「ブラック・ジャック」がハシリではないだろうか。僕は「安楽死」医師のキリコが好きだった。ドクター・キリコの存在が、あのマンガの世界を深めていると思う。

「ブラック・ジャック」は、実写版が作られている。「瞳の中の訪問者」(1977年)というタイトルで、監督はアイドル映画を撮っていた頃の大林宣彦さんだ。主演のアイドルは、片平なぎさである。ブラック・ジャックを演じたのは、宍戸錠。その後、加山雄三もブラック・ジャックを演じたと記憶していたが、そちらはテレビシリーズだった。

テレビドラマが治療や困難な手術を作劇の中心として展開する、医療ドラマの色彩を強くしているのに較べ、映画ではあまりそういう設定はない。医学ミステリものはけっこうあり、僕は「コーマ」(1977年)を思い出す。ミステリ作家ロビン・クックの原作を、マイケル・クライトンが脚色し監督した。主演の女医は、ジュヌヴィエーヴ・ヴィジョルドである。

病院内で、密かに何かが行われている。そんな疑惑を抱いた女医が秘密を探っていく設定だったが、病院という場所はそういうシチュエーションにはぴったりだと思う。僕の経験だと、夜の病院ほど不気味な場所はない。急性胃炎で入院したとき、深夜、誰もいない薄暗い廊下を点滴液の入ったビニール容器を吊すスタンドを押しながら、トイレにいくのはなかなかスリリングだった。

僕は見ていないのだが、最近の医学ミステリと言えば海堂尊原作「チーム・バチスタの栄光」(2008年)が映画だけでなく、テレビドラマ化されて人気があるらしい。映画もシリーズ化され「ジェネラル・ルージュの凱旋」(2009年)が公開された。原作者の海堂尊さんは現役の医師。やはり、医学に対する専門的知識がないと書けないのだろう。

●黒澤明監督は医者を主人公にすることが多かった

日本映画で医者を主人公にすることが多かったのは、黒澤明監督だ。「酔いどれ天使」(1948年)「静かなる決闘」(1949年)「赤ひげ」(1965年)と3本も撮っている。それに、「天国と地獄」(1963年)の犯人(山崎努)は貧しいインターンだった。ヒューマニストだった黒沢監督は、医師を主人公にしてストレートなメッセージを伝えたかったのかもしれない。

たとえば「酔いどれ天使」である。志村喬が演じる真田は、闇市の近くにあるスラム街で診療所の医師をしている。診療所の前にはメタンガスが吹き出すような沼があり、汚いゴミが浮いている。猫や犬の死骸も漂っていそうだ。それは、終戦直後の日本の混沌を象徴するように見える。あるいは、社会の底辺で生きる人間たちの、欲望をむき出しにした醜さを表しているのかもしれない。

酔いどれの中年医師は、腕は確かでヒューマニストである。ヤクザは大嫌いだが、治療はこばまない。ただ、普通の患者に対するより、荒っぽいだけだ。闇市を仕切るヤクザが喧嘩で怪我をして運び込まれてくると、麻酔なしで治療したりする。あるとき、やってきたヤクザが妙な咳をしているのに気付き、結核の検査をしろ、と勧める。そのヤクザの松永を演じたのが、デビューしたばかりの三船敏郎だった。

「酔いどれ天使」の脚本を書いたのは、植草圭之助である。彼は黒澤明とは尋常小学校の同級生で、青春期を共に過ごした友人だった。やがて戦後になり、植草圭之助の脚本で黒澤明は「素晴らしき日曜日」(1947年)を撮る。それは、黒澤映画の中では異色の作品だった。おそらく、植草圭之助の資質が前面に出たからだろう。翌年、彼らは「酔いどれ天使」を企画し、そのストーリーを話し合う。

                 ★

私は聞いているうち、黒沢の力の美学、『姿三四郎』の復活だ、と感じた。「時代劇のやくざ映画のパターンだな」本木がやや批判的に言った。「ああ、それでいいんだ。医者も大事な役だが、闇市がやくざの世界なら、やくざ映画の典型をつくればいいんだ。そのつよい縦の線に、医者のヒューマニズムや、君の言う時代の頽廃、戦後社会の腐敗を盛りこめばいい。結論は同じことになるんだ」  ──「わが青春の黒沢明」(植草圭之助・文春文庫)

                 ★

このときの黒澤明の断定的な言い方に植草圭之助は違和感を感じ、自分と黒澤明の資質の違いに気付くのだが、このいかにも黒澤らしい言葉に僕は「酔いどれ天使」に込められたメッセージを読み取った。ヒューマニズムは医者が体現し、美しく汚れなきものを結核の治療に通ってくる女学生(久我美子)が象徴し、否定されるべき存在をヤクザが担う。

黒澤明の「医師=ヒューマニズムの象徴」は、「静かなる決闘」の主人公になり、「医は仁術」の権化のような「赤ひげ」につながる。しかし、僕は立派すぎる彼らのような存在は少し苦手だ。渋谷実監督作品「本日休診」(1952年)のとぼけた老医師(柳永二郎)や、今村昌平監督作品「カンゾー先生」(1998年)の飄々とした中年医師(柄本明)に、優しく暖かいものを感じる。診てもらうのなら、あんな医者がいい。

ところが、みんながそうではないだろうけど、僕が会った医師たちは「ちゃんと説明しましたよ」というアリバイのために、事務的に説明している感じである。まるでマニュアルがあって、それに従っているみたいだ。「いらっしゃいませ、店内でお召し上がりですか、お持ち帰りですか」とは訊きはしないけど、病院のマクドナルド化である。そりゃあ、まあ、医療訴訟の多い現代では、医者をやっていくのもかなり大変なんだろうと思うけどね...

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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朝起きて、掃除して洗濯して、昼飯を作って息子に食べさせ、洗濯物が乾いたら取り込んで、買い物にいって野菜を買い込み、夕食用にたっぷりの野菜サラダを作りました。ひさしぶりにそんな休日を送ったら、原稿書きより充実した気分に...。もしかしたら、家事が好きなのかも?

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
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