[2950] 村上さんが愛したマクドナルド

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《いや〜、たまには読んでみるもんだね、日本国憲法。》

■映画と夜と音楽と...[484]
 村上さんが愛したマクドナルド
 十河 進

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■映画と夜と音楽と...[484]
村上さんが愛したマクドナルド

十河 進
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〈動く標的/新・動く標的〉

●高校時代にポール・ニューマンの「動く標的」を十回見た村上さん

村上春樹さんのインタビュー集「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです」を読み終わった後、インタビューの話が気になって「ダンス・ダンス・ダンス」を読み返した。それを読み終わると、村上さんが「ダンス・ダンス・ダンス」「ノルウェイの森」を書いていた頃のことを読みたくなって、久しぶりに「遠い太鼓」を本棚から抜き出した。今は、アメリカ時代の話である「やがて哀しき外国語」を再読している。

その「やがて哀しき外国語」の中に「僕は高校時代にポール・ニューマンの『動く標的』を十回くらい見た」という文章が出てきた。もちろん、以前にも読んでいたし、村上さんは他の文章でも書いている。ポール・ニューマンが演じた私立探偵ルー・ハーパーの着ていたアメリカン・トラッドのスーツについても、何かの文章で触れていた。

僕も「動く標的」は、高松市のライオン館で見た。1966年、中学三年生のときのことである。映画公開の前には、創元推理文庫で出ていた原作も買っている。表紙は、拳銃を構えて左手を腰に当てている仰角ぎみのポール・ニューマンの写真だ。裏表紙は富豪の娘を演じたパメラ・ティフィン。大きく胸の開いた水着姿でセクシーである。当時の僕は、胸をときめかしたに違いない。

「動く標的」は、私立探偵が目覚めて事務所を出ていくまでのタイトルバックの映像が評判になった。目覚めたハーパーは、洗面台に水を溜めて氷を入れ、顔を浸ける。下着姿で台所にいき、コーヒーを淹れようとするが豆がない。昨夜、一度使ったドリップフィルターをくず箱から拾い上げる。何だか今の僕みたいだ。

ハーパーは、ずっと同じダークスーツを着ている。白いシャツに細身の無地のネクタイを締める。ただし、シャツは半袖だし、ボタンダウンではない。「ポール・ニューマンが着ている服は西海岸風の少しカジュアルなトラッドだが、その軽さが映画の雰囲気にぴたっと合っていて、魅力的だったことを記憶している」と村上さんは書いているが、僕も同意見だ。

あの頃のポール・ニューマンが体現していた軽さあるいは空気感は、「暴力脱獄」(1967年)「明日に向かって撃て」(1969年)でも感じるし、僕は好きだった。それに僕も「動く標的」のポール・ニューマンのスタイルには影響を受けていて、未だにミッドナイト・ブルーのダークスーツに紺のネクタイというスタイルが好きだ。もちろんナチュラル・ショルダーのアメリカン・トラッドである。

もっとも、僕が「動く標的」を見にいったのは、ポール・ニューマンが目当てではなく、ロス・マクドナルドのリュウ・アーチャー・シリーズが初めて映画化されたからだった。僕は、どちらかと言えばリュウ・アーチャーをルー・ハーパーという名前に変えたことを怒っていた。なぜ、あれほど有名になっている主人公の名前を変える必要があるのか。

その真相は、映画雑誌の記事で読んだ。「ハスラー」(1961年)「ハッド」(1962年)と、頭文字がHの作品が当たり評価が高かったので、ポール・ニューマンがHで始まるタイトルにこだわったからだと、その記事は伝えていた。ハリウッド・スターのわがままが、アーチャーをハーパーに変えたのである。だから、僕はポール・ニューマンに怒りを抱きながら映画館に入ったのだった。

●村上春樹さんのロス・マクドナルドへのレクイエム

村上春樹さんはレイモンド・チャンドラーが好きなんだろうなあ、というのは初期作品からうかがえた。おそらく、ハードボイルド小説もかなり読んでいるのだろう。ロス・マクドナルドがアルツハイマーとの長い闘いを経て亡くなったのは、1983年のことだった。そして、その年の晩秋に出版された村上春樹さんの「象工場のハッピーエンド」には、ロス・マクドナルドへのレクイエムが載った。

                 ★
ロス・マクドナルドが死んだ。
ロス・マクドナルドが死んじゃったことで、ひとつの流れが終わったんだな、
と思う。そう思われつつ死んでいくことは、作家にとってひとつの勲章である
かもしれない。あるいはその逆かもしれない。
               (中略)
僕はロス・マクドナルドの死を心から悼む。
(村上春樹・文/安西水丸・画「象工場のハッピーエンド」CBSソニー出版刊)
                 ★

その文章が醸し出す気分は、当時の僕にぴったりはまった。僕もロス・マクドナルドの死を心から悼んだ。あれほど人の心の中に踏み込んでいく小説を書き続けた作家が、1976年に刊行した「ブルー・ハンマー」を最後に、1983年7月11日、サンタバーバラの病院で67歳で亡くなるまで、7年間も沈黙をしなければならなかったのだ。悲痛な想いだった。残酷な晩年を悼んだ。

僕は、十代半ばから最後のアーチャーものである「ブルー・ハンマー」が出るまで(それは1978年の暮れに唯一のハードカバーとして早川書房から翻訳が刊行された)、十数年にわたってロス・マクドナルドの小説を読み続けた。リュウ・アーチャー・シリーズの長編18冊と短編集1冊、それに単独の主人公の作品が4冊、それらは今も僕の本棚に並んでいる。

リュウ・アーチャー・シリーズ第一作「動く標的」など、初期作品の6冊は創元推理文庫で出ていた。それ以後のリュウ・アーチャー・シリーズや「死体置場で会おう」「ファーガスン事件」は、ほとんど早川ポケットミステリ版で入手した。僕が初めて翻訳が出るのと同時に買ったのは、今では最高傑作と言われる「さむけ」である。それ以降は、新作が翻訳されて出るのを首を長くして待ち続けた。

リュウ・アーチャー・シリーズの中でも、とりわけ名作と言われる「ウィチャリー家の女」「縞模様の霊柩車」「さむけ」は、小笠原豊樹さんの訳で刊行された。小笠原豊樹さんは、詩人の岩田宏さんである。その訳文の素晴らしさは、リュウ・アーチャーにより精神的な深みをもたらせ、静謐な性格を与え、思慮深い私立探偵のイメージを作り上げた。

ただ、岩田宏さんの詩は、特に僕が好きな「いやな唄」という詩は、言葉のリズム感にあふれ、ユーモアとシニカルさが漂う作品だ。リュウ・アーチャー・シリーズの訳文の静かな雰囲気とは少し印象が異なる。「いやな唄」は最初に読んでから40年以上になるけれど、そのフレーズは僕の頭に刷り込まれ、今でも通勤電車の中で口ずさむことがある。こんな具合である。

                  ★
あさ八時
ゆうべの夢が
電車のドアにすべりこみ
ぼくらに歌ういやな唄
「ねむたいか おい ねむたいか
眠りたいのか たくないか」ああいやだ おおいやだ眠りたくても眠れない
眠れなくても眠りたい
                  ★

●なぜポール・ニューマンは10年近く経ってハーパーを演じたのか

1976年の冬だった。ポール・ニューマン演じるルー・ハーパー・シリーズの新作が公開されることになった。「新・動く標的」(1975年)である。原作はリュウ・アーチャー・シリーズ二作目の「魔のプール」だった。監督はスチュアート・ローゼンバーグ。ポール・ニューマンと組んで傑作「暴力脱獄」を作った人である。僕の期待感は高まった。

当時、結婚して間がなかった僕は、カミサンとふたりで新宿のロードショー館に「新・動く標的」を見にいった。「動く標的」が公開されてから10年後である。「新」と付けたところで、誰が前作を憶えていただろう。「動く標的」は私立探偵映画として好きな人には高く評価されたが、特にヒットしたわけでもないし、名画座で何度も上映されるような映画でもなかった。当然のことだが、カミサンも前作は見ていなかった。

それにしても、なぜ、ポール・ニューマンは10年近くも経ってハーパーを演じようと思ったのだろう。当時のポール・ニューマンは、ハリウッドのナンバーワン・スターだった。前年には、スティーブ・マックィーンと組んだ「タワーリング・インフェルノ」(1974年)で、マネーメイキング・スターとしても認められていた。それが、どうしてしがない孤独な私立探偵を再び演じたのだろうか。

そんな疑問を感じながら僕は映画館の椅子に腰掛け、2時間近くスクリーンを見続けた。依頼人を演じたのは、実生活でもポール・ニューマン夫人のジョアン・ウッドワードだ。彼女の無軌道な娘役をメラニー・グリフィスが演じた。僕は後にメラニー・グリフィスが主演スターになることはもちろん、「鳥」(1963年)のヒロインを演じたティッピ・ヘドレンの娘であることさえ知るよしもなかった。

「新・動く標的」には、印象的なシーンがふたつあり、その映像は今でも鮮明に甦る。ひとつは、プールでの拷問シーンだ。原題の「the drowning pool」の意味である。大量の水がものすごい勢いでハーパーを直撃し、彼は溺れ死にそうになる。俳優も大変だなと思ったが、どういう展開でそうなったのかはよく憶えていない。

初期のリュウ・アーチャーものは、それまでのハードボイルド小説を踏襲した作風で、後年のいわゆる「ロス・マク節」とは趣が異なる。戦後の同時期に派手な私立探偵小説を書いてデビューしたミッキー・スピレインの、ベストセラーになっていたマイク・ハマーものとそんなに違いがあるとは思えない。もちろん、そう書くとかなり語弊はあるのだけど...

しかし、私立探偵の事務所に依頼人が現れ、彼が調べ始めると殺人が起こり、あるとき私立探偵は後頭部を殴られて昏倒し、ギャングたちにつかまって拷問を受け、何とか反撃して窮地を脱出し、最後に意外な真犯人がわかる...、そう要約できてしまう物語であることは間違いない。特に、リュウ・アーチャー登場以前のロス・マクドナルド作品はそうだった。

「新・動く標的」で僕の記憶に鮮明に残るもうひとつのシーンは、後のロス・マク節を彷彿とさせるものだった。真犯人の告白シーンである。僕は原作では感じられなかった後期ロス・マクドナルドの作風を、映画版を見て感じたのである。おそらく、それは僕がほとんどのリュウ・アーチャーものを読んでいたからだろうけれど、そこには深い人間理解がなければ描けない何かがあった。

●「ギャルトン事件」でロス・マクドナルドはさらなる高みに達した

深い人間理解...。確かに、そうかもしれない。リュウ・アーチャー・シリーズ8作目の「ギャルトン事件」で、ロス・マクドナルドはさらなる高み(深み)に達した。「ギャルトン事件」の読後感は、当時、僕に深い余韻を残した安岡章太郎の「海辺の光景」の読後感、あるいは遠藤周作の「沈黙」の読後感、サリンジャーの「フラニーとズーイー」の読後感と同じだった。素晴らしいものを読んだ、と高校生の僕は思った。

さらに「ウィチャリー家の女」「縞模様の霊柩車」とロス・マク節は冴えわたり、「さむけ」に到達する。この小説のラストフレーズを、ときどき僕は思い浮かべる。「あげるものはもうなんにもないのだよ、レティシャ」と僕はつぶやき、その物語の全容を甦らせる。そうつぶやくことで、僕は宿命のようなものを己に言い聞かせることができる。そこには、間違いなく人生のひとつの真実が描かれていた。

「さむけ」以降、ロス・マクドナルドは12年間に7作のリュウ・アーチャー作品を生み出した。だが、次第に「ロス・マクドナルドの作品は同工異曲、自己模倣から抜けられず、何を読んでも同じである」という批判が起こってくる。確かに、そうかもしれない。しかし、それのどこがいけないんだ?

僕は、ロス・マクドナルドの新作が翻訳されるのを待ちかねて読んだ。初めて小鷹信光さんが訳した「一瞬の敵」は本当に面白かったし、小鷹さんの訳したリュウ・アーチャーは小笠原豊樹さんの訳したアーチャーとは別人に感じることもあったけれど、それはそれで味わい深かった。確かに、「一瞬の敵」のストーリーもそれほど変わり映えはしなかったけれど、だからこそ僕はロス・マク節に酔えたのだ。

「ギャルトン事件」以降の作品は、単純な家出事件あるいは失踪事件の調査依頼を受けたリュウ・アーチャーが動き始めると、古い未解決の殺人事件が浮かび上がり、新たに殺人が起こり、次第に複数の事件がからみ始め、複雑に錯綜した人間関係が明らかになり、最後に意外な悲劇が顕わになる、というストーリーに要約できる。だが、僕はそんなロス・マクドナルド的世界に浸りたくて、新作を読み続けたのだ。

ロス・マクドナルドの世界は小説でこそ表現できるものであって、映像化しても華がないと判断されたのだろう。数少ない映像化された作品は、ほとんど前期のものばかりである。後期リュウ・アーチャーものを映画化しても、探偵が人と会って話を訊いているシーンばかりになる。拳銃も暴力もセックスもない。アクションシーンもない。これでは、ハリウッド映画にはならない。

そう思っていたのだけれど、アメリカでは「残酷の愛・殺人放火魔の正体」(1974年)というテレビ・ムービーが作られている。日本でもテレビ放映されたようだが、ひどいタイトルだ。原題は「地中の男/the underground man」である。原作はニューヨークタイムズ・ブックレビューの巻頭で論評され、ベストセラーになった。映像化されたのは、大規模な森林火災のシーンがあるからだろう。アーチャー役は、「スパイ大作戦のフェルプスくん」ことピーター・グレイブスだった。

●やっぱり評価は人がするものだと思い知らされる

ロス・マクドナルドを読み過ぎた僕は、そんな小説が書きたくなって、1985年に長編ミステリに挑戦してみたことがある。三十半ばだった。僕が書き始めた物語は、明らかに「さむけ」と「一瞬の敵」の影響を受けていたが、300枚まで書いて行き詰まった。その頃は、まだ400字詰めの原稿用紙に書いていたので、書き進めるのはなかなか辛かったのと、途中からプロットが錯綜しすぎて整理がつかなくなったからだ。

それから20数年後、たまたま雑誌で大沢在昌さんと対談する機会があり、そのときに「ソゴーさんは小説は書かないの?」と言われてその気になって(植木等みたいだけど)、大沢さんが選考委員をつとめる江戸川乱歩賞めざして長編ミステリを書いたら、何と500枚以上も書けてしまい、応募したら三次選考まで残った。すっかり気をよくして、翌年も2作目を書いて送ったら同じく三次選考に残った。

そこで、僕は3作目に途中まで書いていた昔の物語を取り出したのである。その300枚の原稿用紙は24年の風雪(?)を耐え抜き、かなり黄ばんでいたけどインクの色も鮮やかに残っていた。僕は、その1985年5月の3日間だけの物語に、23年後に設定したプロローグとエピローグを付け、全面的にリライトした。結局、530枚ほどでまとまった。

それは、1985年5月に起こった事件が23年後に真実の姿を現す物語になった。事件の核になるのは1961年に起こった出来事であり、主人公が動き始めるきっかけは友人の妹の家出だった。今更ながら、何とロス・マク的かと思う。その物語を今年の乱歩賞に応募した。正直なところ、僕としては前2作が最終選考の前まで残ったのなら、今度の方がミステリとしては絶対に面白いと思っていた。しかし、雑誌での結果発表を見ると二次選考で落ちていた。

やれやれ、自分でいつも言うように「評価は人がするもの。自己評価なんて何の意味もない」のだと思い知らされた。下読みの人にロス・マク風と思われたかな、と思うと少し恥ずかしいが、応募直後にカメラマンの加藤孝にPDFにしたものをメール添付で送っておいたら、ある日、「ホントにめちゃくちゃ面白かった」と電話をもらった。たぶん、彼はロス・マクドナルドを読んだことがないのだろう。

ところで、昔、「ミステリマガジン」に竜弓人のペンネームで映画評を書いていた人がいる。僕が以前に知っていたNさんは名前が「隆」なので、「リュウ」さんと呼ばれていたが、自らの事務所を「リュウ・アーチャー探偵事務所」と呼んでいた。みんな、リュウ・アーチャーが好きだったのだ。そんなNさんとも会わなくなってずいぶんになるけれど、今でも「リュウ・アーチャー探偵事務所」を名乗っているだろうか?

【そごう・すすむ】sogo@mbf.nifty.com < http://twitter.com/sogo1951
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先日、ある若いモンに「ロス・マクドナルドって知ってる?」と訊いたところ、「何ですか、それ。ロスにあるマクドナルドですか?」と問い返された。たぶん、彼流の冗談だろうと思う。いや、そう思うことにした。時は過ぎゆき、水は流れる、文化は変わる...。そして、いつも犬は吠える。

●306回〜446回のコラムをまとめた「映画がなければ生きていけない2007-2009」が新発売になりました。
< http://www.bookdom.net/suiyosha/1400yomim/1447ei2007.html
>
●305回までのコラムをまとめた二巻本「映画がなければ生きていけない1999-2002」「映画がなければ生きていけない2003-2006」が第25回日本冒険小説協会特別賞「最優秀映画コラム賞」を受賞しました。
< http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4880651834/dgcrcom-22/
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■Otaku ワールドへようこそ![128]
ベーシックインカムに理論の鎧を着せてみる

GrowHair
< https://bn.dgcr.com/archives/20101105140100.html
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武盾一郎さんがデジクリでときおりベーシックインカムのことを熱く語るので興味がわき、私もこの社会運動の現状がどういうふうになっているのかぐらいは勉強しておいたほうがいいかと思い、折よく見つけた、そのテーマのメルマガをこっそり購読している。「BI(ベーシック・インカム)メールニュース」というタイトルで、「ベーシックインカム・実現を探る会」が週刊で発行しているもの。

そしたら、7月8日(木)発行のイベント告知号No.028に武さんの初個展『リアル・ファンタジア』の告知が載っているではないか。あー、つながりあったのね。火星にマクドナルドがあって、火星人が並んでいるのを発見したくらい驚いたけど、よくよく考えたらそれほどのことじゃないか。なんか、釈迦の掌を出られなかった孫悟空の気分だ。さて、その武さんが、10月23日(土)のNo.070と30日(土)のNo.071に、「Art(ist)とベーシックインカム(前編・後編)」を寄稿している。
< http://bijp.net/mailnews/article/220
> 前編
< http://bijp.net/mailnews/article/221
> 後編

これが非常に面白くて、いい刺激を受けたので、私もなにか言ってみたくなった。ちょいと別の観点から加勢してみたいかな、と。武さんは、アーティストとしての個人的な観点からベーシックインカムを考えていて、情緒的にはたいへん説得力があり、うんうんうんうん...、と300回ぐらいうなづいてしまう。しかしながら、政治運動として成り立たせていくためには、一見まっとうそうな反対意見に対して、反論して打ち勝たねばならない。理論武装が必要である。その辺は、学者先生たちがすでに寄ってたかって固めているのかもしれない。だとしたら、私の出る幕はなくなってしまうわけだが、まあそこは勢いである。

●人がまずあって、法律があり、お金がある

そもそもベーシックインカムとはどういう概念かというと、「国民の最低限度の生活を保障するため、国民一人一人に現金を給付するという政策構想」である(ウィキペディアより)。働かない人にも、生きてく上で最低限必要なくらいは、収入を保障してあげよう、って話である。

これに対するベーシックな反論は、そんなことしたら、だれも働かなくなる、少なくとも労働意欲は著しく下がる、というもの。あるいは、俺らがせっせと働いて納めた税金を、働いてないやつらにほいほい配っちゃうなんて、許せない、というもの。ごもっともである。

働くというのは、多かれ少なかれ、つらいことである。しかし、働かないことによって、収入源がなくなり、結果として食うものすらない、という状態になっては、つらい以前に生きていけない。このマイナスとマイナスとを比較した上で、よりダメージの絶対値の小さいほうを選択した結果として、つらさに耐えながら、まじめに労働しているという現状があるわけだ。

このマイナスとマイナスの上下関係が逆転したら、当然、我慢して働くなんて動機がなくなっちゃうわな。とっとと机を蹴っ飛ばして辞めちゃう。うんうん、そりゃそーだ。国民全体の働く意欲が低下すれば、国全体の生産量が減じ、経済力が低下し、ベーシックインカムとして配れる額も下がっていき、結局は国がまるごとみんなで沈んでいき、極貧国家になっちゃうという哀れな結果が待ち受けている。

そうはなりません、だいじょうぶです、という形で反論するのは、けっこう難しい。そうはならないように、なんとか防波堤を設けておかなくては、成り立たないような気もする。推進論としては、ちょっと別の方向から攻めてみたい。

日本国憲法の基本的人権の保障を盾にとる手がある。第3章「国民の権利及び義務」の第25条「生存権、国の社会的使命」に、
1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
とある。

武さんのコラムにもあるように、その昔は、お金がぜんぜんなかったとしても、その辺に生えてるものや、なってるものや、いるものや、飛んでいるものを取ってきて食うことで、生命の最低限の維持くらいはなんとかなった。しかし、現代では、法律や貨幣経済の強制力が非常に強くて、お金がないこと、イコール、衣食住ままならぬ、ということに直結してくる。だから、健康で文化的な最低限度の生活は、お金で保障する以外にない。

「働かざるもの食うべからず」というけれど、それは憲法制定前の昔の日本の話であり、今の日本は、そういう国ではない。勤労に関しては、
第27条「勤労の権利及び義務、勤労条件の基準、児童酷使の禁止」に
1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負う。
と書いてある。おやまあなんと! 勤労って、義務だったのね。知ってました?
お金さえ潤沢に持ってれば働く必要なんかない、って思ってませんでした?
私は思ってました。いや〜、たまには読んでみるもんだね、日本国憲法。

まあ、もっとも、巨万の富を有する人は、庭の盆栽の手入れをするのも、豪華客船で世界一周の旅をするのも、ポーカーに興じつつ隣りにはべらせた真っ赤なロングドレスの金髪ねーちゃんの尻をすすっとなでたりするのも、勤労のうちだ、って言い張っちゃえば、否定はできないかも。真珠のネックレスを三重に巻いたマダムが隣りにホストをはべらせて、キン弄、とか。

話が逸れたが、基本的人権の保障と勤労の義務とどっちが優先するかといえば、前者である。健康状態に問題があるわけではなく、働こうと思えば働ける人が、あえて働かないことを選択した場合、その人にも基本的人権は保障されるのか。もちろん。働いた人にだけ、とは書いてない。働いてない人も含めて、すべての人民に、である。働かざる者も食うべきなのである。そして、国は、社会保障の向上に努めなければならないのである。現状、働かない人や、ワーキングプアな人の基本的人権が守られていないのならば、なおしていかなくてはならない。

このところ、法律やお金を絶対視して、人はそれらに隷属すべきだという世界観をもつ人が増えてきたように感じる。これに反論しだすと長くなるので、やめとくけど、私は、人がまず先にあって、人権の保障がまず大事で、ただ、人が集まってできる社会においては、みんなが好き勝手に自由を行使しては、互いの利害の衝突が起きるから、調整機能をはたらかせる便宜として法律やお金があるのだと思っている。

人に迷惑をかけることが「悪」であるから、それを禁じる法律を人が作ったのであって、法律を破ったから悪だというのは、論理が逆である。路上や公園などで生活するのは、それ自体違法行為だから取り締まればいいのだと言う人がいるが、私の個人的な意見としては、格差社会の上側にいる者が下側にいる者をいっそうひどい目にあわせる手段として、法を振りかざすべきではないと考える。

●理念的にはきれいなはずの「お金」

現実社会においてお金というものがきれいか汚いかはいったん脇に置いといて、理念的には、たいへんきれいであるべきはずのものだと私は考えている。物々交換の自然な発展形として、お金の原型があったはずだ。

もし、個人個人が完全に自給自足の生活をしているとしたら、豚肉野菜炒め定食ひとつ食うためにも、豚の飼育から野菜の栽培から調味料の精製から調理道具の製作から水や燃料の調達まで、すべて自分でやらなくてはならない。それでは、社会全体として、効率が悪い。分業化して、各自が、できれば得意なことに専念して、野菜なら野菜ばかりをコミュニティが必要とする分だけを生産し、自分が必要なその他の物資は物々交換によってまかなう仕組みになっていたほうが、みんなが楽できる。

物々交換においても、交換するものが等価でなければ不公平が生じるという認識はあったであろうから、その時点ですでに、各々のものに対して、価値という抽象的な量的属性を割り当てておこうという考え方はあったであろう。

その物々交換に時間差が可能なようにと導入したのが、お金である、おそらく。豚肉をもらっておきたいけど、なら、野菜と交換してくれって言ったって、今はないよ。収穫したら、渡すからさ。という約束をするのなら、その旨を一筆書いておけばよい。けれど、そのうち、交換するもの自体は何でもよくて、それに依存しない、価値という抽象概念そのものを具象化して流通させれば便利だと気がついたのだろう。それが、お金。自然な流れだと思う。

個人対社会で考えると、ある人が社会に対して施してあげたことの総量から、社会がその人に施してあげたことの総量を差っ引いた差分が、その人の手持ちのお金ということになる。ということは、お金をたくさん持っている人というのは、社会に対して多くのことをしてあげたけど、社会から受ける権利のある恵みを保留にしている人ということになる。非常に偉い、社会から賞賛と感謝を受けるべき人である。

しかし、まあ、それは理念であって、現実にはそうはなってないね。お金を得る手段が、社会貢献だけではないから、なのかな。たまたま生まれたところの親が金持ちだったとか、将来値上がりする株をうまく予測できて、リスクを負いつつ投資しておいたことへのリターンとしてとか、宝くじが当たったとか、通帳の代わりに包丁を持って銀行に行っておろしてきたとか(昔のビートたけしのギャグだったような気がするのだが、違ったかな?)、「魚心あれば水心」と言ったら袖の下に入れてくれたとか、スカートの裾をピラピラやったら胸の谷間にはさんでくれたとか。そりゃ、何千年も流通しているうちには、イメージだって、黒っぽく汚れてくるわな。

あるタイプのパソコンには必須の基本ソフトを、複製を作るのにさしてコストがかかりそうでもないのに、いい値段で世界中に売りまくって巨万の富を手に入れたやつなんて、そのカエル顔にパイが投げつけられるのを見てついついスカッとした気分になっちゃうよね。医者やパイロットがお金持ちなのはまあまあ許せるとして、弁護士とか坊さんとかだとちょっとなー、とついつい思っちゃったり、しない?

なんか、お金というものを、本来あるべききれいなイメージのものに戻す方策って、ないもんかな。お金を色分けしておいて、白いのをいっぱい持ってる人は尊敬せよ、黒っぽいのをいっぱい持ってる人にはパイを投げつけてよし、みたいな。どの色のお金を払うかは、払う人が決めていい、と。「ありがとう助かったよ」の思いで払うときは白いやつを、「こんちくしょー、持ってけ!」の思いで払うときは黒いやつを。スカートピラピラのコにはうっかり白いほうを渡しちゃいそうな私。

●ホームレスに関連する法律と実態

私が小学校4年ぐらいのときだったっけ、学校の授業でNHK教育テレビの「はたらくおじさん」という番組を見る時間が設けられていた。タンちゃんと犬のペロくんが気球に乗って空から望遠鏡で覗き、毎回様々な職業のおじさんに仕事を説明してもらうという番組。それもいいけど、もうひとつの側面も見てみたいもんだなぁ。「はたらかないおじさん」。その望遠鏡からは見えてんだろ?

働くことが可能なのに、働かないことを選択した人たちの生活の実態がどんなふうになっているかを調査して、ありのままにレポートする番組。働く人と働かない人とを客観的に見比べた上で、自分はどんな大人になりたいかを考えさせるというのは、なかなか教育的だと思うぞ。

それ以前に、そのレポート、私が見たいぞ。働かない人の実態がどうなっているのか、実はよく知らないのだ。路上や公園や川原で生活するホームレスの人たちは、みずから選択してそういう生活をしているのだという見方をする人が多くいる。国なり自治体なりが、職にあぶれてお金がない人たちの基本的人権を守るために用意した施設がきっとあるはずだから、そこに入るべきなのだ。それを拒否して、みずから路上などに住み着くことを選択してああなっているのだ。だから支援してやる必要なんかないのだ。路上生活は違法行為なので、強制的に立ち退かせるなり、施設に放り込むなりすればよいのだ、という理屈。実態はそのとおりなのか。

ざっとネットを検索してみた限り、働かないことやホームレスであることに関連する法律には、「軽犯罪法」と「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」がある。まず、軽犯罪法の第1条に「左の各号の一に該当する者は、これを拘留又は科料に処する」とあり、その第22項に、ずばり「こじきをし、又はこじきをさせた者」とある。えーっと、「こじき」ってなんだっけ? 人からのお恵みで暮らしていくこと? 拾った雑誌を安く売るなどして自活している路上生活者はこじきではないことになるのかな?

第1項には、「人が住んでおらず、且つ、看守していない邸宅、建物又は船舶の内に正当な理由がなくてひそんでいた者」とある。「ひそむ」ってどういう状態? 堂々と住んでれば、いいのかな? また、第4項には、「生計の途がないのに、働く能力がありながら職業に就く意思を有せず、且つ、一定の住居を持たない者で諸方をうろついたもの」とある。「うろつく」って? 結局、路上や公園に住むこと自体を禁じるとは、どこにも書いてないようにみえるんだけど?(道交法と公園条例もいちおう読んでみたけど同様)

一方、「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法」は、10年間の期間限定で、2002年8月に施行されている。あと2年じゃん。で、その内容は、ホームレスの自立の支援等に関する施策の目標を述べたり、ホームレス自身や国や自治体の努力すべきことを述べているにすぎない。文末がだいたい「努めるものとする」という調子。努めなくても、罰則はない。また、具体的にこれこれのことをする、と規定されているわけではなく、何をしたらいいか、これから考え、決めていきましょう、という調子なのである。

しかしながら、第14条には、「国は、ホームレスの実態に関する全国調査を行わなければならない」とあり、2003年2月と2007年4月に実施されている。2007年の調査結果では、ホームレスの数は全国で18,564人、東京23区で4,213人という結果が報告されている。

自立支援の実態については、東京23区の例では、23区を5ブロックに分け、それぞれに、「緊急一時保護センター」と「自立支援センター」を1箇所ずつ整備している。5年ごとに別の区へ引越しする。「緊急一時保護センター」は、心身の健康回復と能力に応じた処遇方針決定を目的とし、入所期間は原則1ヶ月、5箇所の収容定員合計は454名である。「自立支援センター」は、就労自立を支援することを目的とし、入所期間は原則2ヶ月(必要に応じて4か月以内の延長可能)、収容定員合計は326名である。

利用実績をみると、入所者累計は、それぞれ、15,932名、7,280名である。実態調査で報告された人数よりも多いということは、同じ人が出たり入ったりしてるというわけですな、たぶん。就労自立実績は3,627名(51%)とある。約半数の人が、ホームレス状態を脱出して、住む場所と職とを獲得しているということのようだ。えーっと、かなりよくがんばってるんじゃないかと思う。

けど、駅やら公園やら河川敷やらで、ホームレスは相変わらずいっぱい見かけるね。彼らは、どういういきさつでそうなっているのか、私には分からない。緊急一時保護センターに行くように指示は受けたけど拒んでいるのか、まるっきり声がかかっていないのか、一度は入ったけど、脱落したり放逐されたりしたのか、一度は自立できたけど、再び挫折して元の木阿弥になっちゃったのか。そのへんを、「はたらかないおじさん」で、ぜひレポートして頂けたらなぁ。

裁判になっている例もある。「新宿区ホームレス生活保護裁判」。この裁判は、生活に困窮し野宿生活を余儀なくされていた58歳の男性が、法律家や支援者らの援助で新宿区福祉事務所に生活保護の申請をしたところ、二度にわたり「稼働能力不活用」などを理由に却下されたことから、2008年7月7日、却下処分の取消しと保護開始決定の義務づけを求め、新宿区を提訴したもの。現在係争中。

都の施設のがんばりは評価できるとはいえ、この裁判の陳述を読むと、基本的人権、まだまだ保障されてないんだなぁ、と思う。やはり、このような形で戦っていかないと、何も変わりはしないのか、とも思う。

●ばら撒きで終わってはいけないベーシックインカム

さて、ここまでの論で言いたかったことは、働く働かないにかかわらず、基本的人権が優先するので、生活のままならぬ人にはまず支援が先立つべきであろう、ということ。ただ、それだけで終わっては、際限なくばら撒き続けることになり、「怠け者天国」を助長してしまいかねない。それでは、反対論者を説得しきれない。なんとかして、労働の義務を果たしてもらう方向へと結びつけられるような形の支援でなくてはならない。

「働きたいんだけど、働き口がないんだからしょーがねーじゃん」という言い訳を成り立たせないためにも、雇用創出策とセットになってなきゃならないかな、とも思う。また、働くことへの適性を高めるためには、知識や技能の獲得のためのトレーニングを受ける機会を強化すべきだろうとも思う。

勉学したいという意欲をもった学生に対して奨学金があるのと同様、生活に困っている人たちを支援することで、働く意欲に結びつくのであれば、将来の日本の経済発展に貢献し、税収として還元されるわけだから、先行投資的な意味合いで、支援が正当化されるべきだと思う。アーティストが制作活動にエネルギーを注ぎ込むのは、学生が勉学に励むのを労働の義務の不履行とはみなされないのと同様に、奨励されるべきこととして認められていいと思う。奨学金ならぬ「奨芸金」みたいな形で、とか。

あるいは、医者が「こいつは間違いなく芸術家だ」と「診断」したら、障害者手帳みたいなものが発行され、年金がもらえるとか。人間、失格。24時間365日芸術家として活動することが許されるのなら、俺だったらもらっておくぜ、って思っちゃうけどなぁ。

......うう、ベーシックインカム論にたどり着かないうちに紙幅が尽きてしまった。続きはまたいつか。

●告知:吉村眸 人形彫刻展「the ivory gate」

9月18日(土)は、東京近郊の廃線跡にて、吉村眸さんの人形を撮らせてもらった。前回5月22日(土)に撮らせてもらった「兎」と同系のシリーズで、今回は「熊」である。たいへん抽象的な兎と熊。同じロケ地で撮ってみた。
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/MgqlOI#
> 熊(今回)
< http://picasaweb.google.com/Kebayashi/fBIAkK#
> 兎(前回)

吉村さんは、東京学芸大学の教育学部で美術を専攻して修士課程を修了し、今は同じ大学の研究生。まじめな印象。芸術に向かう姿勢が、やぐらに組んだ材木がぼうぼうめらめら燃えさかるキャンプファイアーみたいな情熱むきだしなのとは対極的に、青白く小さくとろとろちろちろ燃え続ける種火のよう。芸術にどっぷり浸って生きていくという覚悟がしっかりと座っていて少しも迷いがないので、熱く語る必要もなく、普通に芸術を呼吸して生きてます、って感じ。

去年の12月に人形と写真のグループ展「臘月祭(ろうげつさい)」を銀座のGallery 156で開催したとき、見に来てくれたことで知り合った。その時点ですでに、同じギャラリーで個展を開催する計画があったようで、私に写真を撮ってくれないかと言ってきてくれたのである。そのとき私はいなくて、八裕さんが、「セーラー服着た変態おじさんだけどいい?」みたいにバラしてくれちゃったのであった。

向かう姿勢に派手さはなくても、発想力は超越的だ。一回の撮影で私はたいてい600枚ほど撮るのだが、その中からよく撮れていると思うのを選んでもらうと、構図が整って「上手く」撮れたのにはあんまり興味が行かないようで、ほとんど失敗作と紙一重みたいな「変な」のを重点的に選んでくれる。3月の撮影のときは、カメラのレンズのすぐ前に横方向に走る細い木の枝が、完全にピンボケして半透明に人形の目を覆っているのを、「ヤッターマン」みたいだとか言って選んでくれたり。

今回、個展の案内用にピックアップしてくれた一枚も、見ていてムズムズしてくるような、変な構図な上に、変な効果をかけたもの。私の中から個性を引っ張り出そうと手助けしてくれようとしているように感じられ、たいへんありがたく思っている。

吉村眸 人形彫刻展「the ivory gate」
会期:2010年11月19日(金)〜11月28日(日)11:00〜19:00 最終日17:00
会場 Gallery 156(東京都中央区銀座1-5-6 福神ビルB1F)
< http://www.kino19.com/
>

「展覧会タイトルのthe ivory gateは眠りの門という意味の言葉です。現実から、現実のその先、続き、へつながりを持つようなイメージで人形、彫刻を作りました」とのこと。

【GrowHair】GrowHair@yahoo.co.jp
カメコ。すでに字数オーバーにつき、ピンクのパジャマの話は次回書きます。

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■編集後記(11/4)

・BPnet BizCOLLEGEサイトの野口恵子「社会人入門講座 好感をもたれる敬語入門」が、おもしろく読めてすごく役に立つ。「『させていただく』の多用は耳障り」という、我が意を得たりのコラムをたまたま発見して、バックナンバーも読むことができた。ちなみに、1回から4回までは、シンプルで礼にかなった敬語を使う、二重敬語の誤りを避ける、尊敬語のつもりで謙譲語を使う誤り、謙譲語「いただく」は過剰に使わない、という内容で社会人だったらこれは読まなくてはならんと思うでしょ。「させていただく」は「相手または第三者の許可を得て、もしくは、相手または第三者のおかげで自分が何かをし、そのことに感謝している気持ちを表すものだ」が、誤用や無用の「させていただく」が増殖中なのが不愉快だ。声の調子や笑顔で「敬語表現」、言葉はシンプルに、という筆者の考えに同意する。「ペケポン」というバラエティのMAX敬語(最上級の敬語に直すクイズ)はおもしろい。いつも半分もできないが。それにしても、野党やマスコミにはふんぞりかえるオレ様なのに、中国には敬語連発、平身低頭の仙谷長官が見苦しく、なんでこんな人が日本のトップにと愕然とする。尖閣ビデオの非合法な公開(?)で、これから国会や日中関係がどんな大騒ぎになるのか、おもしろくなってきた。冷静に見守りたい(笑)。(柴田)
< http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20101029/250181/
>
BPnet BizCOLLEGE 「社会人入門講座 好感をもたれる敬語入門」第5回

・いまはだいたい4時半起き。といっても、いつもそれから1時間ぐらいは、頭が動かずスローペース。食事の用意をしながらテレビをつける。引き続きスローペース。「尖閣諸島衝突事件のビデオがYouTubeに流出」というキャスターの声で、脳にスイッチが入る。なんですと? 少し前に起きていた家人が「まだ消されていないらしいよ」と言うので、慌てて検索。ビデオは6つあった。どのビデオを見せたかによって印象は違うだろうと思った。後方から撮影された一度目のものは、コツンという言葉はわからないでもない。が、前方からの二度目の衝突は警告メッセージと警告音(サイレン)が鳴り響く中で、緊張感がある。私の目にはどう見ても、海流のせいで偶然に起こった出来事には見えなかった。だって向かってくるんだもの。パトカーが警告している中、目の前で悠々と罪を犯し(網が見える)、逃走車がUターンしてパトカーに向かってきて、コツンであろうが、ゴンであろうが、二度ぶつけてきて、処分保留で釈放なんてないよな〜。ビデオ流出させた人の勇気に敬意。内閣はどう動く? 国会は?/メルマガ配信時には消されていると思うので動画URLは貼りません。というより、消されなかったら、政府に何か別の意図があると思ってしまうな。拡散されているので、YouTubeやニコニコなどの動画サイトを検索してみてね。約2時間のもののうちの40分。私が見た時には、オリジナルと思われるものの視聴者数は約3万人と6万人(一番迫力ある二度目の衝突動画。5番)。/中国からはYouTubeにアクセスできないんだってさ。中国人は、自分たちの領地と主張しているわけだから、ぶつけるのは当然のこと(勇気ある行動)と言いそうだ......。/と書いていたらテレビで流しはじめたわ。て、テレビ......。(hammer.mule)